>>現在の目
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 14:36 投稿番号: [3554 / 18519]
>>だからこそ大臣達も大竹や木々が鬱蒼と茂る鬱陵島とは明らかに異なると判別できたのです。
>それは違うでしょう。もしも竹や木が鬱蒼としげる図面であったとしても「島」が未知のものであった以上、それはそれで受け入れたことでしょう。そもそも鬱陵島の地勢を把握できる図面なるものもどの程度の精度のものがあったかは不明です。
いいえ、竹や木が鬱蒼と茂っていれば、土地の産物として、重要な成果を報告しないのは全く不自然です。
そして金自周の報告を素直に読むならば、どこにも書かれていない木や竹を勝手に書き加えることもできません。
>しかし、その後、金自周のことが出てこないで朴宗元の失敗探査が別のところなどで引用されるところを見ると、金自周の調査はあまり受け入れられていなかったのかもしれません。
勘違いしないで頂きたいのは、現在残された記録では成宗7年の記録で初めて二島の認識が確認できるだけと云うことです。これは現在の我々の問題です。
実際にはそれ以前に二島認識が確立していれば、当時は金自周の報告を殊更に重要視する必要はないのです。
これは メッセージ 3552 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3554.html