>現在の目
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 14:19 投稿番号: [3552 / 18519]
>承政院日記も三峯島画図も残されていない現在とは異なり、金自周の報告当時には、より詳細な報告がなされ図画も添付されていたことは明らかです。
もちろん、そうです。
>だからこそ大臣達も大竹や木々が鬱蒼と茂る鬱陵島とは明らかに異なると判別できたのです。
それは違うでしょう。もしも竹や木が鬱蒼としげる図面であったとしても「島」が未知のものであった以上、それはそれで受け入れたことでしょう。そもそも鬱陵島の地勢を把握できる図面なるものもどの程度の精度のものがあったかは不明です。
しかし、その後、金自周のことが出てこないで朴宗元の失敗探査が別のところなどで引用されるところを見ると、金自周の調査はあまり受け入れられていなかったのかもしれません。
金自周探査から5年経っても、永安道監察使が三峰島の存在さえも明確に把握しておらず、民が島に移住することなど申し述べているところを見てもそこに独島の知見はありません。
大臣たちがどう考えたかは資料から確認できませんが、結果としては三峰島は鬱陵島を指す言葉として後に随所に見られますし、金自周が独島を確認したと引用する書籍も後にあったわけでもなさそうです。
これは メッセージ 3551 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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