竹島

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●^o^● 脱南移民300万人だって

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/20 09:25 投稿番号: [18380 / 18519]
投稿者 :
heisinokumaarasi


韓国を捨てて逃げ出す脱南移民が
なんと!4000万人の国で300万人もいるのだって
●^o^●ビックリしたなぁもう〜



http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n2.htm

Re: 世界人独島理解16−1

投稿者: anti_notarin 投稿日時: 2010/08/20 09:22 投稿番号: [18379 / 18519]
>1 韓国は遥かな昔(西暦512年)から「独島」を韓国固有領土として「領有」して来ました。

領有したことと領土確定とは何ら関連がないと思います。

本来、陸続きの大陸各国は有史以前から侵略、被侵略を繰り返し戦争に勝った方が領有してきました。

近代の国境策定は第二次大戦後に確定されたと考えるべきです。

国境確定は二国間のあるいは国境を接する多国間の条約に依って決定されるべき問題であります。

国際慣習で国境を認められたとしても、当事国間で認め合わなければ何ら意味を持ちません。

その意味では日本は昔から他国と海洋で分離され、領土、国境に関して極めていい加減で有ったといえます。

また韓国も現在、竹島を自国領土として占拠していますが、日本が認めてないので、韓国領土と確定はしてないと言えます。

すなわち現在はどちらのものとも言えない状況です。

北方4島しかり、これは日本がサンフランシスコ条約締結時、時の政府が国境確定の法的措置を怠ったためであり、日本人の国境意識が希薄で有ったために禍根を残す結果になったのだと思う。

国境確定は平和裏に決定できることは理想で有るが、基本的に双方が反目対峙しあう状況では武力または金銭に依って確定するしかないだろう。

世界人独島理解16−1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/20 01:09 投稿番号: [18378 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16のポイント」
シン・ヨンハ
http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf

1 韓国は遥かな昔(西暦512年)から「独島」を韓国固有領土として「領有」して来ました。
(1)古文献である『三国史記』(金富軾   編、1145年)には、西暦512年(新羅智証王13年)に于山国が新羅に服属して併合されたので新羅の一地方として編成したと2ヶ所に記録されています。于山国は、今の「鬱陵島」と「独島」を含んだ東海上の小さな王国でした。
「独島」は、19世紀までは于山島と呼ばれました。新羅は韓国を形成した古代国家の一つです。韓国は西暦512年以前から独島を「認識」し、512年には独島を「領有」したが、日本は『2008年−10のポイント』(1)でようやく18世紀末(1779年) の地図を根拠として提示して、「領有」ではなくようやく独島を「認識」したと主張しています。

(2)別の古文献『三国遺事』 (一然   著、1285年)にも、新羅の智証王の時、将軍異斯夫が于山国の降服を受け、于山国が新羅の一地方として併合されたと記録されています。 『三国遺事』と『三国史記』は記録内容が一致します。

(3)于山国が鬱陵島と独島で構成されていたという事実を証明する古文献は多数あります。『世宗実録』地理誌(1432年編纂)、『東国輿地勝覧』(1481年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『肅宗実録』(1696年の条)、『万機要覧』軍政編(1808)、その他に各種の古文献と古地図に鬱陵島と于山島(独島)が全て昔の「于山国」の領土だったと記録されています。
  特に、『万機要覧』軍政編では于山島(独島)を当時の日本の呼称も記録して、「輿地志にいう、鬱陵島と于山島は皆于山国の地であり、于山島は倭人たちが言う松島(マツシマ)だ」としました。日本では19世紀に鬱陵島を「竹島」(タケシマ)、于山島を「松島」と呼んでいました。『万機要覧』は朝鮮の「于山島(独島)」が日本では「松島」(今の独島)と呼称され、全て「于山国」の領土と明白に記録して説明しているのです。
  日本外務省の『2008年−10のポイント』(2)において、韓国が昔から独島(松島、今日の日本でいう竹島)を認識していたという根拠がないと主張しているのは千万不当な嘘であることが『万機要覧』軍政編によってよく証明されます。

(4)また、独島の古い名前である「于山島」という名称自体が、「于山島」は「于山国」の所属であることを証明してくれています。于山国の大きい島である「鬱陵島」の名称が固定されると、その付属島である独島に遅くとも15世紀に「于山島」という名称が固定して付いたことは、于山島が于山国の領土であったことを明白に証明してくれるのです。

(5)日本外務省は、『2008年−10のポイント』(2)において「于山島」が今日の 「独島」だという根拠がないと言うが、韓国と日本の多数の古地図が最も理解しやすい根拠です。例えば、韓国の初期カトリック神父金大建が1846年に報告用としてフランス語で表記した「朝鮮全図」(Carte de la Coree)は、鬱陵島の東南側の正確な位置に「独島」を描き、「Ousan」(于山)と表記しました。

ahirutousagi氏 & 南島風土記

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/19 20:11 投稿番号: [18377 / 18519]
西短が敗れるだけでなく、九州学院も東海大相模にやられてがっくりです。タイアップ資料が公開出来ませんのでahirutousagiさんにご協力をお願いする次第です。NHKの番組で正当な主張をしていた青年が運営しているサイトを見つけました。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。アニオタは凄いです。


さて、掲題の件ですが、「開発と真相」に一部不備がありましたので、先に「南東風土記」の下記文章越しをします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nantofuudoki-1950/
(文字化けしていますが、序々に修正します)


next, coming up
■南島風土記(文章起こし開始)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nantofuudoki-1950/
■chaamieyさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka76/a001a.jpg
上記翻訳をお願いします。(翻訳後チュンドゥボン公開)
■ahirutousagi2さん案件
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1905-202/
文章起こしで可頭峰公開!


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
アニオタ保守本流   「日本の、これから」に出演していた人のサイト
http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/

脱南移民300万人だって

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/19 19:46 投稿番号: [18376 / 18519]
韓国を捨てて逃げ出す脱南移民が
なんと!4000万人の国で300万人もいるのだって
●^o^●ビックリしたなぁもう〜



http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n2.htm

格調高いです。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/18 19:04 投稿番号: [18375 / 18519]
http://www.youtube.com/watch?v=KzZMotE-0i4&feature=related

見たら感想をお願いします。

太政官は竹島と外一島を共に・・・ 3

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/18 18:48 投稿番号: [18374 / 18519]
  2-02   1872年   官許・日本與地全圖増補改定日本輿地全圖 翠堂中島彭編述東京銅鐫師 楊堂木村胤鐵筆
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,1 55,0

  2-03   1874年   官許・大日本西国四国九州地図 北畠茂兵衛他
     http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-3-7-01.pdf

  2-04   1875年   官許・大日本国郡全図 明治八年第二月 隠岐國


3   アルゴノート島ダジュレー島の他に于山島鬱陵島があるとの認識を示している地図があります。1855年のイギリスの地図がそれです。中国を媒体とした朝鮮情報は、鬱陵島の浜の沙渚が歴歴と見える程に半島から近いとなっていたのでしょう。シンヨンハ氏等が、フランス地図に独島を韓国領で表示と主張する地図に、アルゴノート島ダジュレー島が組み合わされています。但し、1-06   1963年のイギリスの地図では、于山島鬱陵島が消えているようです。

  3-01   1855年のイギリスの地図
     http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/zn/1855/1855.html/


4   朝鮮の地図を日本人が転記した地図は次のとおりです。これらの地図に載っている鬱陵島は、私には、アルゴノート島であるかに見えます。明治政府の官僚も同様に判断したと思います。

  4-01   1873年   朝鮮全図 海軍水路寮 明治6年
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1873

  4-02   1875年   佐田白茅著 改訂新鐫朝鮮全図 岸田?香・松田敦朝 外務省出仕
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kaiteishinsenchosenzenzu-1875/

  4-03   1876年   原板朝鮮全図之写 海左全図 陸軍大尉
     http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-1-1-7-02.pdf

  4-04   1876年   朝鮮国全図 瀬脇壽人校 金麟昇音 外務省浦塩須徳駐在
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,6,1,0


5   磯竹島略図(太政官指令のある『公文録』に所収された地図。島根県が提出した享保年間の大谷家の地図を縮写したもの。) は、そこに示されている距離を基に判断すれば、磯竹島はアルゴノート島を示しています。そして、その姿形はダジュレー島を示していますが、当時の明治政府の官僚はダジュレー島の姿形を知りませんから、その姿形から判断していないと思います。
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/index.html


6   1875年に出版されたかどうかは知りませんが、『日本地誌提要』は、「西北に方たりて松島・竹島の2島あり。土俗相伝て云ふ。穩地郡福浦港より松島に至る。海路凡六拾九里三拾五町。竹島に至る。海路凡百里四町余。朝鮮に至る海路凡百三拾六里三拾町。」と記しています。ここには、詳細な距離が記されています。これほどの詳細な距離は、地図を基に経緯度から計算したと推察され、示された竹島はアルゴノート島を示しています。

太政官は竹島と外一島を共に・・・認識 2

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/18 18:26 投稿番号: [18373 / 18519]
1   太政官指令は、「竹島外一島を版図外とする」旨を決定しています。この事は、竹島の位置情報と版図外とする理由が、明治政府内で共有されていたことを示しています。先ず、位置情報ですが、それは当時の地図を参照すれば解ると思います。太政官指令が出される1877年までの地図は、アルゴノート島を竹島と表記し、ダジュレー島を松島と表記しています。

  1-01   1840年   シーボルト「Japan」所収日本図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/t-siebold1840.gif

  1-02   1855年   ハイネの地図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/t-heine1855.gif

  1-04   1855年   幕命   山路諧孝の重訂萬國全圖 幕府天文方
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/exhibit/ex_search_detail?detail_sea_param=4,63,0 ,b

  1-05   1856年   アメリカ艦隊ペリー提督の地図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/t-perry1856.gif

  1-06   1863年   イギリスの地図   U.K hydrographic office Admirary Chart 2347 Japan sikok and kiusiu
     http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/zn/1863/1863.html/

  1-07   1867年   勝海舟の大日本沿海略図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/enkairyakuzu-1867/

  1-08   1870年   官許・橋本玉蘭の大日本四神全図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/shijinzenzu-1870/09.jpg

  1-09   1873年   Carte de l'empire du Japon
     http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/vienne-1873/

  1-10   1874年   官許・大日本及支那朝鮮圖 北畠茂兵衛他
     http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka38/nipponchinakorea-1874/07.jpg

  1-11   1875年   亜細亜東部輿地図 陸軍参謀局
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/asiaeast-1875/05.jpg

  1-12   1875年   朝鮮全図 陸軍参謀局 明治8.11
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1875

  1-13   1876年   朝鮮東海岸図 海軍水路寮
     http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/korea_eastcoast-1876/

  1-14   1876年   朝鮮全図 明治9年 陸軍参謀局
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1876

  1-15   1877年   大日本図(文部省出版 宮元三平著)
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/nihonzenzu-1877/


2   長久保赤水の『日本輿地路程全図』の改訂版が出版されており、それは次のとおりです。これらの地図には「高麗を見ること、猶雲州より隠州を望むがごとし」という付記があります。この付記から、半島と竹島は雲州から隠州の程度に離れていると解釈し、竹島をアルゴノート島に比定することが可能です。

  2-01   1871年   官許・明治改正大日本輿地全圖
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,9,90, 0

  2-02   1872年   官許・日本與地全圖増補改定日本輿地全圖 翠堂中島彭編述東京銅鐫師 楊堂木村胤鐵筆
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,1 55,0

Re: 韓国人は優秀ですか?

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/08/18 10:56 投稿番号: [18372 / 18519]
>世界一優秀な民族がなんで売春しに
日本に来るのですか?

言いたいことはわかるけど、そういう朝鮮たたきは他でやりましょ。
このトピは史料価値の高い議論の伝統があるんだよ。

Re: 竹島

投稿者: xpsqp700 投稿日時: 2010/08/18 10:02 投稿番号: [18371 / 18519]
ただの岩
固有の領土など有り得ない。

Re: 韓国人は優秀ですか?

投稿者: kuntakinte1929 投稿日時: 2010/08/18 09:35 投稿番号: [18370 / 18519]
それは全てが嘘、捏造(当然世界1優秀も)の国だから。

韓国人は優秀ですか?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 23:36 投稿番号: [18369 / 18519]
世界一優秀な民族がなんで売春しに
日本に来るのですか?

なぜノーベル賞がとれないのでしょうか?

なぜ日本の経済大国二位に追いつけないのでしょうか?

世界一優秀な民族がなぜ日本の真似ばかりするのですか?

なぜ強姦が激烈に多いのですか?

教えてください。

chaamiey氏 & 在特会 22日(日) 15時

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/17 22:13 投稿番号: [18368 / 18519]
先日の「日本の、これから」は面白かったですね。冒頭マツコデラックスが出てきたかと思いました。webデザイナーの方はよく歴史を知っていると思いますが、ツイッターのコメントで「おいおい」見たいな意見が出て、監督も暴言を吐いていましたね。全くダメです。見逃した方は下記をご覧下さい。

日本のこれから   〜韓国人の妄言 1/3
http://www.youtube.com/watch?v=IC-GII8hh_Y
http://www.youtube.com/watch?v=DTYvWV3rRs8
http://www.youtube.com/watch?v=SxwBZ-WUDEM

今週日曜日には東京の日比谷公園で15時から「日韓併合の真実」がございます。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。全国各地でもやって頂きたいです。


さて、掲題の件ですが、西短が2回戦で負けましたので下記文章お越しをしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
ただ、ある問題が・・・。


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短2回戦突破で可頭峰公開!(←負けたので当分の間非公開)
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!(←負けたので当分の間非公開)
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
(6-7ページを紛失していることが判明!)
■chaamieyさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka76/a001a.jpg
上記翻訳をお願いします。

今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
朝鮮半島を救った日韓併合の真実   東京・日比谷公園   22日(日) 15時
http://www.zaitokukai.info/

歴史の真実ですね。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 17:14 投稿番号: [18367 / 18519]
イチローの年収が36億円だって●^o^●

チョンチョンさんは
どう思われましたか?

太政官は竹島と外一島を共に松島と認識

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/17 15:06 投稿番号: [18366 / 18519]
>内務省や太政官が・・・松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

  ここで問題となっているのは、島根県の認識ではなく、太政官の認識ですね。すると、島根県提出の資料の解釈は後回しにして、太政官の認識を論点とすべきです。「ウィキペディアの竹島外一島」は、太政官指令が出される1877年までの地図を掲げ、太政官が「竹島=アルゴノート島」の認識を有していたと主張しているようです。ararenotomo1さんは、これに反論せず、又、太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた資料の提出を拒んでいます。


>内務省は・・・『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました。

  この内務省伺いの本文は、「竹島所轄之儀に付   島根県より別紙伺出取調候処」と始まり、竹島のみの「所轄之儀」に付いて取り調べたことを明らかにしています。「竹島所轄之儀に付」「本邦関係無之相聞」と判断した内務省は、「版図の取捨は重大之事件に付」、1号〜4号・口上書を摘採し添付し上申しました。
  そこで、「1号〜4号・口上書」を見ると、そこには竹島のみの争いが記され、アルゴノート島とダジュレー島、又は、ダジュレー島とリャンコ島の2島が争われた痕跡はありません。安龍福が于山島鬱陵島2島領有を呈書したことに「有妄作之罪(3号)」と応えていますから、争われたのが1島であることが明らかです。
  そして、元禄期に争われた朝鮮名「鬱陵島」は、「風日清明、則峯頭樹木及山根沙渚、歴歴可見(3号の輿図所載)」であり、「無論彼遠此近(3号)」であると記されています。半島から峯頭の樹木及び山根の沙渚が歴歴可見な島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。論ずる迄もなく日本に遠く朝鮮に近い島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。更に、磯竹島略図で確認すると、隠岐〜竹島は120里であり、竹島〜半島は50里です。
  この様に、版図外とした竹島はアルゴノート島であると解するに相当性があります。


>竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

  島根県令境二郎は、明治9年10月16日と明治14年11月12日に、「竹島外一島」にかかる判断をしています。境二郎は、明治9年に「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」をして、「竹島外一島の義   本邦関係無之義」の返答を得ています。これを承知の境二郎は明治14年に「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」をしました。
  この事から、明治9年の伺いに謂う「外一島」が松島を意味しないとの境二郎認識が判明しました。『原由之大畧』の「次に一島あり・・・」が、論理的に境二郎認識として「外一島」を意味しないのです。

  明治10年の内務省が「外一島」をどの様に認識していたのかは解りません。そもそも、「版図の取捨は重大之事件」にも関わらず、わざわざ「外一島」の文言を使用して曖昧にした理由が判りません。

  しかし、明治14年の内務省は、「外一島ハ松島ナリ」の註記をしました。史料的には、ここで始めて「外一島」への意味付が為されたのです。「竹島」=ダジュレー島、「外一島」=ダジュレー島と意味付けが為されたのです。
  ところが、 ararenotomo1さんは、内務省照会別紙甲号の「外一島ハ松島ナリ」の松島はリャンコ島であると主張されます。この解釈を延長すると、内務省照会本文の「日本海ニ在ル竹島松島之義」の松島もリャンコ島となり、別紙乙号の「日本海内松島開墾之儀」の松島もリャンコ島となります。更に、外務省返信の「朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀」の松島もリャンコ島となります。もう少し拡大解釈すると、明治15年に渡海を禁じた「蔚陵島(我邦人竹島又は松島と唱ふ)」の松島もリャンコ島となります。
  こんな解釈はありえません。ここに謂う松島はダジュレー島を示していると解釈しなければ、全体として意味を為しません。


島根県伺再考
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html

明治15年指令
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/

おれは釜山が欲しい

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/17 15:01 投稿番号: [18365 / 18519]
だからよこせ

韓国人は竹島が欲しいの?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 14:47 投稿番号: [18364 / 18519]
ん?

問題は反応

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/08/17 13:05 投稿番号: [18363 / 18519]
おひさしぶりです。

7月13日の記事が竹島を石島としたものであるなら、日本の領有に対する反対運動や記事が無ければおかしい。
領土だと思うけど、日本の領有を仕方ないと思うなら、結局同じ。
だから、アリバイが無いことは結局変わらない。

太政官は竹島外一島を鬱陵島・現竹島と認識

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/16 23:19 投稿番号: [18362 / 18519]
ahirutousagi2様、ご返事ありがとうございます。

少し誤解しておりました。確かに、ahirutousagi2様が述べておられるのは、太政官は竹島と松島を版図外にした、だけですね。大変失礼いたしました。

私が誤解したのは、ahirutousagi2様が、「結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と書かれたからです。これはahirutousagi2様の解釈ですね。

私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

1876年10月16日付で、島根県が提出した資料は古来の竹島を鬱陵島とは言っていませんが、内務省は1877年3月17日に、『旧政府評議之旨意』(一号文書)等を加えた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。一号文書には所謂「竹島一件」で幕府が竹島=鬱陵島(蔚陵島)を放棄したことが明記されています。

ahirutousagi2様はまた、「その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、」と述べられました。『原由之大畧』の「松島」の位置は、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし私は、『原由之大畧』の記事から、内務省・太政官はその「松島」を隠岐から竹島へ行く途中にある島と理解していた、と思います(No.18332)。さらに、内務少輔前島密は、「古来の松島」が勝海舟識『大日本國沿海畧圖』で「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた、とahirutousagi2様が紹介された「ウィキペディア:竹島外一島」は記しています。

私は「ウィキペディア」の「竹島外一島」の項目を前に読んだことがありますが、何とも歯切れが悪い曖昧な文章が多く、どうもよく理解できませんでした。それでも、「竹島外一島」は鬱陵島と現竹島を意味しない、という日本の一部にある主張に、根拠を与えようと懸命に努力されていることは分かりました。ahirutousagi2様の優れた文章力によって、この項目が一読して理解できるようになればと期待しております。

「ウィキペディア:竹島外一島」には、「明治10年頃の状況、内務省の立場、情報を纏めると、」として、“(6)前島密ら明治政府は欧米列強各国からの相次ぐ情報から、幕末時に勝海舟が編纂した『大日本国沿海略図』では鬱陵島が二重描画になっていて「竹島」は架空島で、海図上の「松島」が鬱陵島である蓋然性が高いことを知っていた。(7)前島密らは欧米列強各国からの相次ぐ情報で、シーボルト海図以前の徳川時代に「松島」と呼ばれていた島は、『大日本国沿海略図』では「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた。”と記されています。

前島密は、箱館の諸術調所で武田斐三郎に航海術を学び、1859〜1861年に函館から日本海を南下し太平洋岸に出て函館に戻る航海や、ロシア領ニコライエフスクへの航海等を行っています。また、鹿児島・対馬から北海道まで日本全土を何度も旅行し、地理には精通していましたから、上記の「ウィキペディア」の記述は頷けます。
http://www.japanpost.jp/corporate/founder/index02.html

太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

Re: ふと考えて見た

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 07:21 投稿番号: [18361 / 18519]
ええと・・・・・・コメントありがとうございます。が、私がふと思ったのは1900年の勅令制定時の資料ではなくて、1906年の統監府の質問とそれに対する大韓帝国政府の回答に関する文書に関してでした。制定時には地図が添えられていなくても、6年後のやりとりはまた別でしょうから。

Re: ふと考えて見た

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/16 06:31 投稿番号: [18360 / 18519]
chaamiey様

>鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。
>報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。

Web竹島問題研究所2008年11月分の回答に次のものがあります。

【質問1】
    実事求是10に、「勅令第41号が裁可される前日、内部大臣李乾夏が提出した請願書に「該島地方は縦八十里、横五十里たるべし」とあるように、その中に竹島(竹嶼)と石島も含まれていたということである。」とあるが、勅令第41号の起案書や請願書には地図は添付されていないのだろうか。

<回答>
    「勅令第41号」の請議書に、地図が添付されていたかとのご質問に対し、お答えします。結論から申しますと、地図は添付されておりません。
    しかし、「勅令第41号」の第二條で欝島郡の行政区域に加えられた石島が、今日の竹島(独島)でないことは明らかです。「勅令第41号」の公布に繋がる内部大臣李乾夏の「欝陵島を欝島と改称し、島監を郡守に改正するに関する請議書」は、1900年6月、欝陵島に派遣された視察官禹用鼎等の視察録を基にしており、禹用鼎が残した『欝島記』では、欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としているからです。この事実は、極めて重大です。
禹用鼎が欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としたのは、1882年5月、高宗の命を奉じ、欝陵島を踏査した李奎遠の『欝陵島検察日記』・『啓本草』等を踏襲しているからで、李奎遠は欝陵島の疆域を「一百四五十里許」、「周回仮量為一百四五十里」とし、欝陵島開拓の必要性を奏上しています。そこで高宗は、それまで渡海を禁じていた欝陵島の開拓を命じますが、同時にそれは欝陵島の疆域が定まった時でもありました。
    ここで問題になるのは、李奎遠が「周回仮量為一百四五十里」とした中に、今日の竹島が含まれていたのかどうかです。それを知る手がかりは、同行した画員劉淵■の『欝陵島外図』の中にあります。この『欝陵島外図』も、李奎遠によって高宗に奏上されますが、そこには「勅令第41号」に登場する竹島(竹嶼)と、後に鼠項島となる島項の二島が描かれているだけで、今日の竹島は描かれていません。

ということのようです。

ふと考えて見た

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 01:09 投稿番号: [18359 / 18519]
  鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。

  報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。

  もし韓国政府にそういう地図も含めて文書が残っているならば、それを公開すれば「石島」は明らかに「独島」であることが分かって、「石島は観音島ではないか」などという「妄言」を吐く日本人をギャフンと言わせられるのに。公開されないということは、そういう資料は残っていないのかなあ。

  日本側については、まず、その当時、この件についてのやりとりが本国政府にまで報告されていたのかどうかが問題です。単に現地の統監府の判断だけで事実を確認しようとしたのであれば、文書は統監府限りのものとなり、現在の日本政府には全く残っていないことになります。

  ただ、統監府が、「こんな話があったので、こういうふうに確認したよ」と本国政府に報告していたならば、文書が残っている可能性もあります。
どうなんでしょうねぇ。

国際司法裁判所の小和田所長は

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/16 00:16 投稿番号: [18358 / 18519]
雅子様の父親ニダ      愛子様の祖父ニダ

Re: 国に恥をかかせるようなこと 1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 00:12 投稿番号: [18357 / 18519]
鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)

  統監府から内務部に照会があって、江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島に所属する島嶼と郡庁設置年月を示せとのことであったので回答が出され、光武二年五月二十日に鬱陵島監を置いていたが、光武四年十月二十五日に政府会議を経て郡守を配置し、郡庁は台霞洞に在り、その郡の所管島は竹島、石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合わせて二百余里だとしたという。



  現時点ではこの記事しか手がかりがないので、正確な解明ができないわけですが、統監府が「何の理由で」、「何について」質問したのかが重要ですね。

  記事によれば、照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったように見えます。ところが韓国政府の回答は、その二つのほかに、「郡庁の位置」と距離なのか範囲なのか判然としない「数字」が回答されています。

  では、「郡庁の位置」と「数字」は、聞かれてもいないことを回答したのか、という疑問が生じますが、私はそうではなかろうと思っています。

  まず、郡庁の位置については、聞かれているのは郡庁の設置年月であるわけですが、設置年月を回答しようとすれば、自然に、「郡庁は台霞洞だが」というくらいの説明はくっつくものと思います。まあ、聞かれていないことを回答したと言えないこともないですが、郡庁の設置年月を回答する際の補足説明でしょうから、全く無関係のことを回答したとは言えません。

  次に謎の数字ですが、これも、聞かれていることと全く無関係のことを回答するはずはないので、聞かれている「鬱陵島に所属する島嶼」を説明するために必要であったから付け加えられたと考えるのが自然でしょう。

  「鬱陵島に所属する島嶼」は勅令には「竹島、石島」とありますが、これではどこにある島なのかさっぱり分からないので、正確に回答するためには、勅令には書いてないけれども数字を持ち出す必要が生じます。

  では、その数字は、大先生が言うように距離を示すものなのか?   海上の島と島との間の距離を示すのならば、方角と距離を示せば良いわけです。「鬱陵島から東南東に○○里」とかいう言い方で。ところが、この回答では「東西が六十里で南北が四十里だから合わせて二百余里」ですから、これはとても2地点間の距離を指すものとは言えない。明らかに何かの「範囲」です。大先生はこの点を無視しました。

   これは、やはり、「所管する島は竹島、石島」というだけではどこらへんにあるのかさっぱり分からないので、それらの島は「東西が六十里で南北が四十里、合わせて二百余里」の四方の範囲内にある、と説明したものだ、と考えるのが最も自然ですね。

  また、柳美林氏が「東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里」は鬱陵島そのものの範囲を言ったものだというのも、何の根拠がある話なのか。統監府の照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったわけで、鬱陵島の面積を回答する必然性は何もないです。

  統監府は、要するに、日本が韓国の領土を誤って竹島として編入したのかそうではないのかをはっきりさせたかったから「鬱陵島に所属する島嶼」を中心とするこの照会を出した(と私は考えている)のであって、鬱陵島の面積なんかはこの場合はどうでもいいことだったはずです。

   ただ、柳美林氏の見解は、大先生の「二百里は独島までの距離だ」という見解を否定していることにはなりますね。

国際司法に出て来れない情けない人たちです

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 22:51 投稿番号: [18356 / 18519]
おかしく滑稽な人達です。

これが小国の発想なんでしょうなぁ

Re: 国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/15 22:31 投稿番号: [18355 / 18519]
   鄭佑相(チョン・ウサン)記者も、そして彼のこの記事を掲載することを認めた朝鮮日報の編集責任者も、全くひどいものですね。


  「日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」などという話は聞いたこともない。鄭佑相記者が個人的に接した日本人の誰かがそんな類のことを語ったということはあるのかも知れないが、公的な主張としてはそんなことは誰も主張していないでしょう。

  そもそも1905年の竹島編入は、そこが「無主地」であることを前提として行われている。無主地を編入するのに日韓協約などの二国間条約が何の関係があると言うのだろう。

  鄭佑相記者は日本側の主張を捏造して、韓国人が反日感情を持ちやすい材料であるところの日韓協約に強引に結びつけている。新聞が両国国民間の相互理解を進めるのでなく、いたずらに悪感情を増幅させる役割を果たしていることになる。

  もっと正確な報道をしてもらいたいと思う。(ト、ムリヲショウチデイッテミル。)

Re: 国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 12:21 投稿番号: [18354 / 18519]
http://photo.jijisama.org/index.html

国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 12:12 投稿番号: [18353 / 18519]
  朝鮮日報チョンウサン記者は、「独島(竹島)問題と関連し、日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」と述べています。
   http://www.chosunonline.com/news/20100811000019

  ここにいう「日本」とは、日本政府を意味する筈です。日本政府・島根県はかかる主張をしていません。
  この認識は、日本側が「1905年以降実効支配をしていたのに、韓国から異議申立がなかった」と主張し、韓国側が「外交権を奪われていたので、異議申立が出来なかった」と反論している事実に基づく誤認であると推察されます。

  朝鮮日報チョンウサン記者においてすら、独島領有根拠に関しこの程度の知識なのです。韓国一般市民において、そのレベルの低さは推して知るべきです。
  この独島領有根拠への市民レベルでの低い認識が、昨年末に発表の「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」が犯した『幼稚な歪曲解釈』を、半年以上に渡って放置しているのだと思います。

国に恥をかかせるようなこと 1

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 11:54 投稿番号: [18352 / 18519]
  ahirutousagi2さん。   「こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。」No.18344
  chaamieyさん。   「こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?」No.18348


  韓国にも「恥」という概念はあるようです。
  8月13日付朝鮮日報社説は、菅談話誤訳報道に対して「こうした韓国の姿を見詰める日本の視線を思うと、顔から火が出る思いだ。外交部は、国に恥をかかせるようなことを自ら招いたのだ。」と締めています。
   http://www.chosunonline.com/news/20100813000011

  ところで、柳美林氏の主張は「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当しないのでしょうか。柳美林氏は杉野氏への反論において、皇城新聞の記事を「郡の所管島は竹島と石島である。(郡の主島である鬱陵島は)東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里である。」と解釈しました。対して、杉野氏は文理解釈上の反論をしていました。又、韓国施政改善の途中で為されたものであれば、統監府が鬱陵島の大きさ情報を求めたとは考えられません。これは、「減らず口」なのかも知れません。

  さて、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」は、相変わらず「減らず口」に満ちていますが、皇城新聞の記事解釈においては、その限度を超えていると思いました。韓国人の知的レベルがこんな「子供騙しの説明」を受け入れる程に低いとは考えられません。韓ドラ「チャングムの誓い」は面白いですもん。私の翻訳が誤っている可能性が高いと考えるべきです。
  しかし、私の翻訳はそれ程間違っていなかった様です。
  すると、シンヨンハ氏の皇城新聞の記事解釈は、明らかに、「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当すると考えられます。


 -- -追伸 -- -
  冒頭の社説は、『日本は一度も「返還」という言葉を使ったことがないのにもかかわらず、韓国だけが「日本の姿勢は変わった」と騒いでいたということだ。・・・今回の誤訳騒動は「意図的な歪曲ではないか」という声が上がるほどひどかった。』と述べています。
  しかし、この誤訳騒動の本質は、一国の首相の発言に対しその原文を確認することなく、外交の成果として発表した外交部、お祭り騒ぎをしたマスコミの幼稚性にあります。然るに「意図的な歪曲である」との前提で問題を掘り下げない反動性をこそ恥ずべきでしょう。

おめでとうございます。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/14 22:37 投稿番号: [18351 / 18519]
http://photo.jijisama.org/hata.html

鬱陵、独島で世界大学生祝祭

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/14 21:59 投稿番号: [18350 / 18519]
鬱陵、独島で世界大学生祝祭

毎日新聞 2010.08.14
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=32938&yy=2010


   社団法人韓国未来青年フォーラム(代表金ククソン)は、17〜20日、鬱陵島と独島で「第1回8.15独島世界大学生祝祭」を開催すると11日明らかにした。韓国未来青年フォーラムは、大学生60人と国内に居住する外国人大学生50人を招待して鬱陵、独島を探訪する計画だ。参加する学生たちは、18日午後に鬱陵島に到着して「サンフランシスコ平和条約と独島」を主題とする保坂祐二世宗大学教授の講演を聞いて、19日には独島現地を訪問して大型太極旗を広げて光復節記念行事を行う。
   金ククソン韓国未来青年フォーラム代表は、「独島探訪を通じて学生たちに海洋領土の重要性と愛国心を悟らせ、外国の学生たちには独島が大韓民国の領土であることを確かに伝えるために行事を行う。」と語った。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/14 04:57 投稿番号: [18349 / 18519]
>公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・

それではペテン師、詐欺師、法螺吹きなどではいかがでしょうか?(ウソツキの言い換えは難しい!!)

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:50 投稿番号: [18348 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分の翻訳です。



10 1900年、大韓帝国勅令41号により独島を韓国の領土として、西洋の国際法を参照して、世界へ改めて公布しました。

(4)日本側が1906年に大韓帝国政府に鬱陵島の所属島を質問してきた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日、政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島(竹嶼島を意味する)と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島から100里あるいは200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることが、もう一度再確認されたのです。

    「鬱島郡の配置顛末」の記事画像

  石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島であることを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した「皇城新聞」1906年 7月13日付け記事。

(翻訳ここまで)



  実際の記事は、「その郡の所管島は竹島と石島で、東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里という。」ですが、大先生の説明では「東西が60里で南北が40里なので」の部分が完全に無視されていて、単に鬱陵島から竹島/独島までの距離が200里と書かれているかのようになっています。

  こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?


  公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・



「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」も何の進歩も見られない。

Re: 「韓国施政改善ニ関スル協議会」

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:11 投稿番号: [18347 / 18519]
良い資料を確認なさいましたね。

  ほんの一部だけですが、ここにも記録があります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=17368


   要するに韓国統監である伊藤と韓国政府との間では定期的に話し合いが行われていたわけで、韓国側の言う「日本の竹島編入に対して、外交権を日本に掌握されていた韓国政府は抗議ができなかったのだ」という主張がたわごとに過ぎないことが、今回確認なさった資料によって一層明らかになると思います。

日の出展望台 & 韓国が意図的に「誤訳」

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/13 20:48 投稿番号: [18346 / 18519]
菅さんの「お詫び」で物事が大きくなっております。「菅首相談話」よりも「太田総理と安倍元総理のトーク」の方がよっぽど日本の為になります。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。中国にも飛び火しちゃってますね。


さて、掲題の件ですが、西短が1回戦突破しましたので「日の出展望台」をアップしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短1回戦突破で日の出展望台公開!(アップ済み)
西短2回戦突破で可頭峰公開!
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
韓国が首相談話を意図的に「誤訳」、文化財すべて返還要求の声も
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0812&f=national_0812_180.shtml
独立運動団体が首相談話に反発「天皇による具体的な謝罪」を要求ー韓国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0812&f=national_0812_090.shtml
日本首相の「韓国だけへの謝罪」に神経を尖らせる中国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0813&f=politics_0813_006.shtml
【櫻井よしこ   菅首相に申す】36回…なぜ謝罪続ける
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100811/plc1008112356015-n1.htm

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 17:45 投稿番号: [18345 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.ht ml で取り上げていますね。

「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。素直に読めば鬱陵島の南東92km程の所にある竹島は版図外と朝鮮政府は認識していたことを示すとしか読めないでしょう。

1900年の勅令第41号には欝島郡の範囲は示されていませんが、その請議書には「該島地方は縦が八十里ほど、膻は五十里という。」(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/02/1900-oct-22-petition-by.html )との記述が出てきます。皇城新聞の「鬱島郡の配置顛末」とは若干数字が異なりますが、いずれにしてもリアンクル島と呼ばれたこともある竹島は朝鮮の版図外であると朝鮮政府が認識していたという事実は覆しようがなさそうです。

すなわち、これは「512年の于山国の新羅帰順以来の朝鮮領である」との韓国側の主張を否定するものであり、1905年段階で竹島は無主地であったのであって、日本の先占は合法的に行われたものであるということでしょう。だからこそ初期の草案で韓国領としていたサンフランシスコ講和条約も最終的には日本の主張を認め、竹島を日本が放棄する地域に含めなかったのではないでしょうか。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/13 17:39 投稿番号: [18344 / 18519]
>「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。

これはひどい。議論の余地もなく、ブログを参照するまでもなく、あきらかに仰る通りの理解が正しいわけで、こじつけもいいところです。話になりませんね。問題外。

こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。この引用解釈は、韓国ならではの、議論以前のむちゃくちゃな話ですね。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 14:45 投稿番号: [18343 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.ht ml で取り上げていますね。

「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。素直に読めば鬱陵島の南東92km程の所にある竹島は版図外と朝鮮政府は認識していたことを示すとしか読めないでしょう。

1900年の勅令第41号には欝島郡の範囲は示されていませんが、その請議書には「該島地方は縦が八十里ほど、膻は五十里という。」(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/02/1900-oct-22-petition-by.html )との記述が出てきます。皇城新聞の「鬱島郡の配置顛末」とは若干数字が異なりますが、いずれにしてもリアンクル島と呼ばれたこともある竹島は朝鮮の版図外であると朝鮮政府が認識していたという事実は覆しようがなさそうです。

すなわち、これは「612年の于山国の新羅帰順以来の朝鮮領である」との韓国側の主張を否定するものであり、1905年段階で竹島は無主地であったのであって、日本の先占は合法的に行われたものであるということでしょう。だからこそ初期の草案で韓国領としていたサンフランシスコ講和条約も最終的には日本の主張を認め、竹島を日本が放棄する地域に含めなかったのではないでしょうか。

竹島でお風呂はどうしていますか?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/13 14:01 投稿番号: [18342 / 18519]
朝鮮人軍はお風呂に入っていますか?

頑張ってくださいませ。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/13 13:42 投稿番号: [18341 / 18519]
  5月初旬の一連の独島の報道から7月13日の「鬱島郡の配置顛末」までの認識を新たにすることが出来ました。

  ところで、独島学会が、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」という『PDF』を作成しています。シン・ヨンハ氏がまとめたものの様です。その30頁に次のとおりです。
  http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf

 --------------------
  日本から、1906年に大韓帝国政府に鬱陵島所属島の照会があったた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島で100里または200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることがもう一度再確認されたのです。
    「鬱島郡の配置顛末」の記事画像
  石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島なのを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した黄城新聞。   1906年 7月 13日付け記事。
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  と言うことなので、puracyaka2007さんへの反論は、「いいえ、韓国に対して勅令41号にかかる照会があったので、独島が韓国領であると回答しています。」となるのかも知れません。


 ---- 追伸 --------

  どなたか、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分を正しく翻訳していただけませんか。
  又、鬱島郡の配置顛末の皇城新聞記事が、独島学会の様に解釈できる可能性を教えて下さい。それはハングル文字を除くと「郡所管島■竹島石島■東西■60里■南北■40里■合200余里■■■」となっています。
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