竹島

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満州還付協約・閔妃殺害事件・露館播遷

投稿者: gourishugisha 投稿日時: 2008/12/15 20:58 投稿番号: [17201 / 18519]
を理解してないと大韓勅令第41号は見えてこない。

義和団事件以後のロシアの野望、日本の対露交渉、中国(満州)ー朝鮮国境問題に関する外交交渉、
政策は植民地政策ではない。ロシアの対韓政策は、明らかに日本の安全保障を脅かすということは、
英米も認めていた。
国際社会からも、日本国内外でも中国人からも評価されてたことだ。

そういった時、ロシア皇帝の側近のベゾブラーゾフって言うとんでもない政商・国匪賊がいたが、
そういった連中に動かされていたのが時の朝鮮王朝なのだ。
朝日新聞とか野党政治家とか一部学者や韓国側多数派は、閔妃殺害事件の主犯人は日本人としてるが
真実はそうではない。閔姫殺害は韓国人たちが主役だ。韓国学会は閔妃についてはそれほど評価
してないよ。「必然的事件」だった。韓国併合も含めてLOGIACAL EVENTSというのが最近の米国の学会での
一致した見解だ。

当時の韓国人は朝鮮王朝のヤンバン政治に辟易してた。改革派は閔姫を除去しようとしていた。
閔姫は西太后に並ぶ「悪女」だったのだ。

それが見えれば、日本の「植民地主義政策」によって当時の韓国の学者らが言いたいこと言わなかった
なんてことはありえない。
1899年「大韓地誌」(玄采)で朝鮮領の東端を130度35分にしたのは、日本の軍事圧力によるものなんて、
李承晩政権以来の話。当時の大韓帝国王朝は、ロシアの野望が見えてきて、露館播遷をやめたとき。

高宗は萬機要覧を相手にしていない

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/15 18:51 投稿番号: [17200 / 18519]
   [ No.17196 ]のつづきです。

   高宗実録を「萬機要覧」で検索すると1件もヒットしませんでした。
   高宗実録を「輿地勝覽」で検索すると1件だけヒットしました。
   朝鮮実録を「龍福」で検索するとヒットするのは肅宗実録のみでした。

   ヒットした1件は、高宗が李奎遠に語った内容で、高宗実録1882年04月07日の項に次のとおりです。
      或稱芋山島, 或稱松竹島,
      皆《輿地勝覽》所載也。
      而又稱松島竹島,
      與芋山島爲、三島統稱鬱陵島矣。
      其形便一體檢察。
      或いは芋山島と称し、或いは松竹島と称しているが、
      これらは皆『輿地勝覧』に載っているところである。
      また松島竹島と称するが、
      芋山島とあわせ3島を統べているのが鬱陵島である。
      その形便よく検察せよ。

   これだけの情報で、「高宗は輿地勝覧に拠って裁断している」「高宗は萬機要覧を相手にしていない」と結論するのは早計ですが、私はこの懸念を捨てられません。


【理由1】   誤記改竄があること。
   光海君実録、光海君6年1614年09月02日の項に次の通りです。
      今者島倭, 猶欲來居鬱陵島, 又送書契, 殊爲可駭。
      本島之屬於我國, 在《輿地勝覽》
      或收方物, 或刷島民, 明有典故。
      対馬から鬱陵島で住みたいと書契を送ってきた
      本島が我国に属したと《輿地勝覧》に記録されている。
      方物を収め、島民を刷新したと、典故が明確にある。
   一方、萬機要覧には次の通りです。
      《輿地志》云   鬱陵・于山 皆于山國地 于山則 倭所謂 松島也
      光海七年、倭差船ニ隻、謂将探 磯竹島
      ・・・・・
      所謂 磯竹島 實我國之鬱陵島也。
      介於 慶尚・江原海洋、載在 《輿地》 焉可誣也。
      盖自 羅麗以来 取考 方物、逮至我朝刷民逃民。
      《輿地志》に「鬱陵・于山 皆于山國地 于山則 倭所謂 松島也」とある。
      光海君7年(1615年)に、倭船が来て「磯竹島の状況を探りたい」と言う、
      ・・・・・
      磯竹島とは、実に我が国の鬱陵島である。
      慶尚道と江原道の海洋にありと、《輿地》に載っている・・・
      新羅高麗以来、方物を受け入れたし、本朝は逃民を刷新している。

   高宗は、戦後の韓国学者と同じ様には、1656年に作成された《輿地志》を光海君が参照したとは考えないでしょう。仮に、《輿地志》=《輿地勝覧》との解釈を採ったとしたら、萬機要覧に誤記改竄ありと高宗は考えたでしょう。
   尚、仁祖実録の1640年7月15日の項に《輿地誌》とあります。《輿地志》=《輿地勝覧》の解釈がリ・ライン以前の常識だったようです。


【理由2】   漂流の愚民に国策は左右されないこと。
   萬機要覧は、次のように元禄日朝交渉を締めています。
     倭至今 不復指 鬱陵爲日本地、皆龍福功也。
     柳成龍答。皇朝将書曰、
     東海・・・無島嶼、且水性悍急、不利行。
     故自前賊兵雖不無犯境之時、而不常有之。
     日本が今まで、鬱陵島は日本の地とできないのは、皆な安龍福の功績だ。
     柳成龍答。皇朝将書曰、
     東海・・・には島々がなく、また潮流が急で、航行に不便である。
     故に、賊兵たちの国境侵犯は常にあるわけではない。

   高宗の時代は、東海の急な潮流をものともしない賊兵(英仏米ロ日)による、国境侵犯が日常茶飯になった時代です。清朝初期を上回る危機意識があったはずです。萬機要覧史観のような脳天気な感覚はもてません。すると、龍福の自供以外に根拠の無い「皆龍福功也」という結論に違和感を抱かねばなりません。そして、儒教の本質に立ち戻った思考をすると、漂流の愚民の言を典故に国策は立案できません。

Re: 勅令に「竹島」が出てるというのか? 

投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2008/12/14 17:31 投稿番号: [17199 / 18519]
rfdgm815 さんへ

あなたも、十分すぎるほど低レベルですよ。

まずは、「竹島石島」が現在のどの島をさしているかを検証しないと話にな

らないんじゃないかと。「竹島」って漢字が書いてあるだけじゃだめだよ。

まっ、適正な証拠があったならこんなに嘘を重ねる必要もなかったんだろう

けど。後始末が大変ですよ。

  勇気を持って真実と向き合おうよ。

Re: 竹島一件まで朝鮮は松島を認識してない

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/12/14 17:30 投稿番号: [17198 / 18519]
備辺司謄録によれば、1735年1月19日に「丁丑&#183;戊寅年間朝家送張漢相   看審圖形以來   而聞鬱陵島   廣闊土沃   曾有人居基址   或有往來之痕   其西又有于山島   而亦且廣闊云矣」という認識ですな。
張漢相の調査報告後も「はるかかなた東南東方向に見えた島(竹島)」を于山島とする意識なんて0。
そして、竹嶼を于山島とする認識が朝鮮に広がっていったと。

遭難支那人31人件 ガンバvsアデレード

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/12/14 17:16 投稿番号: [17197 / 18519]
今日はアジアクラブ王者のガンバ大阪がいよいよ出てきますね。この試合に勝ってマンチェスターUと戦って欲しいです。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/club_wcup/2008/index.html
http://www.ntv.co.jp/fcwc/


さて、掲題の件ですが、どなたかがネットで探しても石島の史料が出てこないと言っていますが、インターネットで全部の史料を入手出来る筈がありません。ネットで入手出来るのはごく一部であることは私が一番痛感しております。私は掲題の史料を、皆様へのお年玉として来年公開する予定でおりましたが、仕方ありません。ネット未公開史料の『遭難支那人31人件』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wreck-1919/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


next, coming up(シリーズ上海万博への道)
http://en.expo2010china.com/
http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/
『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1901年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1901/
『琉球新報 1902年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1902/
『琉球新報 1903年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1903/
『琉球新報 1904年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1904/
『琉球新報 1905年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1905/
『琉球新報 1906年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1906/
『琉球新報 1907年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1907/
『琉球新報 1908年』
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
『公文雑算』(あとは「褒章の写し」を残すのみ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a13san1108-koga/
『石島上申書』
(半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成したらアップロードします。どうでしょうか?)


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「日航ジャンボ機墜落事故」
http://jp.youtube.com/watch?v=ReowcEJu81I

Re: 勅令41号への疑問

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/14 14:54 投稿番号: [17196 / 18519]
   万機要覧の概略を、次のようなものと解釈しております。
   「鬱陵島は蔚珍の正東海中にあり、日本の隠州に近い」に始まり、
   元禄日朝交渉において、朝鮮が、「幣境之鬱陵島」を越え「貴界竹島」に至ったのは申し訳ないと返答したので、
   対馬藩は、「幣境之鬱陵島」に異議を唱え、芝峯類説を引用して、「壬辰乱の後に鬱陵島は日本領となった」と反論しました、
   この様にして、日朝交渉は暗礁に乗り上げてしまいましたが、
   安龍福が活躍し、日本から「不敢復造人至鬱陵」と記した文書を朝廷は受け取りました。


   この解釈が正しいかどうかは判りませんが、この解釈は次のように発展させられます。
   勅令41号を発布した高宗皇帝の傍らには「万機要覧」があったはずです。又、竹島=チェクトに比定した検察使の報告書がありました。すると、帝国主義に目覚めた高宗は日本領を侵略するように勅令41号を発したことになります。日露戦争の準備に忙しい日本からチェクトを奪ったのです。尤も、日本がチェクトに領有意思を持っていなかったので大事には至りませんでした。

   さて、問題は、他国領と思っていた島を該当国に通知せずに自国領に組み入れることの是非です。現行の国際法では問題なしとされていると思いますが、独島領有派の方々は問題ありとしています。すると、経緯度表示が常識であった時代に経緯度を表示せずにした公告は無効ですから、万機要覧の「竹島」に対する評価をきちんとするべきであると思います。

   朝鮮側資料における「竹島」
   1694年、外交文書に「貴界竹島」と記載する。
   1797年、鬱陵島検察使が「竹島」の存在を報告する。
   1808年、万機要覧を編集する。
   1882年、鬱陵島検察使が「竹島」の存在を報告する。
   1900年、勅令41号を発布する。
   1908年、増補文献備考を編集する。

Re: 竹島一件まで朝鮮は松島を認識してない

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/12/14 14:15 投稿番号: [17195 / 18519]
>「あれが安龍福のいう于山島か?」とか「あれが于山か?」とか「あれが、倭人は松島と言ってるが、実は安龍福のいうように于山島だ。」とかって言うはずだ。だが、そういうことはまったく言ってない。

   なるほど、そうですね。張漢相も言っていないし、張漢相の報告の後にも話題になっていないようです。

  もし韓国側が主張しているように西暦512年以来竹島/独島を認知していたというのが本当なら、何かの形でそれらしい話題にならなければおかしいところです。

  韓国側の主張が正しいならば当然あっていいはずのことが、なぜかやっぱり存在しない、という例がここでも確認されることになりますね。

竹島一件まで朝鮮王朝は松島を認識してない

投稿者: gourishugisha 投稿日時: 2008/12/14 13:59 投稿番号: [17194 / 18519]
理由二
海の男(海事関係者)、地理的な熟練者なら、習慣として、彼らが動かない地面に立って島などを
見つけた場合には通常、必ずといってよいほど、その島など発見対象物が見えた方角を記録する
か口頭で報告するなど、とにかく必ずといってよいほど「見えた方角」と、およその距離を他人に
伝えようとする。(張漢相のように。)
何時の時代でも、いずれの国でも、そのような記録(報告)で示された方角について言えば、
それは意外に精確なものである。
それは古代から人類が北極星を利用することを知っていたらだ。夜に印をつけおいて昼でも
それを利用すればかなり精確にわかるし北極星に頼らなくても太陽の南中で、ほぼ精確にわかるからである。
また、その方法は一般庶民にとってさえ、それはさほど困難なことではなかったからである。
まして海事関係者(特に船員)や地理学上の専門家にとっては容易なことだった。
しかるに我々は1694年以前、張漢相の「欝陵島事蹟」以前に編纂された朝鮮の文献(書類)において
鬱陵島から東南東方向に見えるはずの現・竹島(徳川時代は松島と呼んだ)の方角を正しく
示したものは、一つとして見出すことができない。

なぜか?

それは、そもそも朝鮮王朝が「松島」の存在を認識してなかったからに外ならないとしかとりようがない。
数百年もの間、あまた多くの海事専門家らが(どのような呼称にせよ、)松島を視認していたにもかかわらず、
彼らのうちの全ての海事専門家が、およその距離と、その方角を記録として残さなかったなど
ということはそれこそ、その蓋然性は極めて低いというか、それはありえないことだと思える。
(いずれにせよ朝鮮半島からリャンコ島は見えない。)

「史的検証 竹島・独島」  内藤 正中, 金

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/12/14 12:46 投稿番号: [17193 / 18519]
1454年の世宗実録地理誌の解釈(鬱陵島から竹島が見える、見えないの話)に、1694年の張漢相の報告や1714年の江原道御史趙錫命の報告(鬱陵之東 島嶼相望)を引用して、
「この内容からすると江原道地方の人々は鬱陵島の東側に独島があるということを熟知していた」
って結論を導いてる。200年も遡及するわ、鬱陵島の東にある三仙岩から観音島竹嶼を無視するわ、于山島とはこれっぽっちも書いてないわ、竹嶼を于山島と書いた地図を無視するわ、これは酷い。

竹島一件まで朝鮮は松島を認識してない

投稿者: gourishugisha 投稿日時: 2008/12/14 12:25 投稿番号: [17192 / 18519]
理由一
「竹島一件」(1692年)という欝陵島に関する領土上の国際外交事件が起きた為、1694年、
朝鮮王朝政府は張漢相を隊長とする鬱陵島調査隊を派遣した。
その調査報告書
「欝陵島事蹟」 (1694年張漢相編纂)で 張漢相は「はるかかなた東南東方向に島が見えた。」
と言ってる。
しかし、彼は、その島の名前を言っていない。
この島名を言わない張漢相の報告説明というか紀行文のようなそっけない文章は何を意味するか?
といえば、それは明確に張漢相が鬱陵島の東南東方向(又は東南東方向)に島が存在してる
ということを認識するのが初めての経験だったということを意味している。これまでは見たことも
聞いたこともないということを意味してるのである。(政府派遣の調査隊の隊長において。)
それまで、もし朝鮮政府が既に「東国輿地志」(1656年、柳馨遠)の地理観でなく、安龍福以降の
「輿地考」(1770年   申景濬)以降のデッチアゲ地理観の一部海事関係と同じようなものだった
と仮定するなら、「あれが安龍福のいう于山島か?」とか「あれが于山か?」とか「あれが、
倭人は松島と言ってるが、実は安龍福のいうように于山島だ。」とかって言うはずだ。
だが、そういうことはまったく言ってない。島の名前は一切、出てでないのである。
つまりは「竹島一件」が起きるまで朝鮮王朝政府、王朝役人らは鬱陵島の東南東方向に島がある
などということは、まったく概念としてなかったから想定もしてない、だから島名も比定しようがない
から出てこない、というのことを意味してるとしかとりようがないのである。
こように、
当時朝鮮政府の「松島」(現竹島)に関する無認識は朝鮮政府の調査報告である「欝陵島事蹟」
(1694 張漢相)によって明らかに証明されている。

Re: 勅令41号への疑問

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/12/14 12:24 投稿番号: [17191 / 18519]
>「幣境之鬱陵島」「貴界竹島」とあります。

これは、竹島一件での対馬藩と朝鮮の交渉を万機要覧が再録したもんですね。
当初、朝鮮は鬱陵島と竹島を別の島として解決をはかろうとした。
それで後々、日本側は「貴界竹島」に突っ込みをいれた。
「以前、竹島は日本領と言ったでしょ」ってね。

ただ、よく考えれば「幣境之鬱陵島」は朝鮮の国境認識を明確に示してますね。
国境としての現竹島の存在を全く意識してない。
しかも外交交渉上の話で、結構、重要な記録だと思います。
再評価されるべきでしょうね。

あと個人的には100年前の記録にある日本の呼称を、勅令41号の韓国の竹島に
比定するのは蓋然性が低いように思います。

「独島」の言葉はどの古文書にある?

投稿者: takeshimataro 投稿日時: 2008/12/14 11:43 投稿番号: [17190 / 18519]
韓国人はあちこちで、「独島は朝鮮領であると古文書に書いてある。」
って言ってるが、俺は、いくら探しても見つからないな。

Re: 万機要覧とは

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/14 11:26 投稿番号: [17189 / 18519]
1808年の「万機要覧」の話にいきなり「増補文献備考」1908年の話を持ち出しておいて、それは
「東国文献備考」の「松島・・・」の話ではなかったって言うわけ?

「万機要覧」(1808年で朝鮮王朝の認識)と「増補文献備考」で共通してる問題って、いったら
「東国文献備考」の「松島・・・」の捏造歴史の話しかないだろうが

Re: 勅令に「竹島」が出てるというのか? 

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/14 11:15 投稿番号: [17188 / 18519]
おまえの「竹島」ってどういう意味なんだ。?

Re: 勅令に「竹島」が出てるというのか? 

投稿者: rfdgm815 投稿日時: 2008/12/14 11:09 投稿番号: [17187 / 18519]
-------------------------------------- -
> まああ、よくもこんな嘘を吐き続けるもんだ。
> 大韓帝国勅令第41号には↓こんなこと書いてない。

> >第2条   ・・・鬱陵全島と竹島石島を管轄すること。


じゃあ、なんて書いてあるんですか?
------------------------------------------ -

この質問↑には、答えられないようですね。

せっかく良いスレなんだから、

低レベルの人たちは、他スレで遊んでほしいな。

Re: 万機要覧とは

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/14 11:02 投稿番号: [17186 / 18519]
   要するに、no.17173の「幣境之鬱陵島」「貴界竹島」という言葉を知らなかったってことですね。

Re: 万機要覧とは

投稿者: takeshimataro 投稿日時: 2008/12/14 10:46 投稿番号: [17184 / 18519]
「万機要覧」は李氏朝鮮時代の1808年に編纂され、朝鮮総督府(つまり日本政府)が1937年に発刊した。

俺の質問は、第一点は俺が知らない部分で朝鮮総督府が前書きとか加筆とか(注)みたいなものが
あるかもしれないと思った点

第二点は、やはり原文用語(漢字熟語)としての「竹島」なのか、それとも現在の韓国が主張する
「于山島(=松島=現竹島))」という意味での「竹島」の意味なのか、どっちなのかって聞いてたんだ?

何故なら、韓国人は文献に書いてある言葉とは違った言葉にすりかえて、自分たちが解釈した後の用語が
原文の言葉として書いてあるかのように表現することの常習犯だから、いちいちち確かめてんだよ。

Re: 久場島医師募集一名

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/14 10:10 投稿番号: [17183 / 18519]
>   皆様からのご質問は後日回答します。
   との事なので、質問します。

>   『石島上申書』(半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成したらアップロードします。どうでしょうか?)
   石島上申書をWeb上にUPしたのなら、その内容は韓国情報部門が入手している可能性は大です。同じように、半月城さんも既にその内容を知っていると考えてもよいのではないでしょうか。

万機要覧とは

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/14 09:57 投稿番号: [17182 / 18519]
   万機要覧とは、万機を親裁する君主が、日常の政務を総覧するにあたり、常時手元に置いて参照し備忘に役立てるようにする本のことです。したがって、一般臣民の報告書は、万機要覧に諮問することにより裁断されます。
   又、万機要覧における「竹島」の記述ですが、「倭所謂松島也」の先「安龍福」の前に出てきます。

久場島医師募集一名

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/12/14 09:45 投稿番号: [17181 / 18519]
※皆様からのご質問は後日回答します。

私は今月下旬に"かの地"に史料を求めて飛行機に乗るのですが、今から緊張しております。それにしても何故古賀は海難事故を未然に防ぐことが出来なかったのでしょうか?


さて、掲題の件ですが、琉球新報を1907までアップロードしました(coming up参照)。1907年6月21日の新聞に「久場島医師募集一名」という広告があります。古賀は本格的に無人島開拓をしていたのが分かります。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


next, coming up(シリーズ上海万博への道)
http://en.expo2010china.com/
http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/
『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1901年』
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『琉球新報 1902年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1902/
『琉球新報 1903年』
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『琉球新報 1904年』
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『琉球新報 1905年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1905/
『琉球新報 1906年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1906/
『琉球新報 1907年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1907/
『琉球新報 1908年』
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
『公文雑算』(あとは「褒章の写し」を残すのみ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a13san1108-koga/
『石島上申書』
(半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成したらアップロードします。どうでしょうか?)


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「日航ジャンボ機墜落事故」
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勅令第41号は未公開資料でもなんでもない

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/14 08:55 投稿番号: [17180 / 18519]
とっくに論理破綻した、自爆資料だ。
現竹島は朝鮮領に含まないことを決めた勅令だと自己証明してるだけ。

勅令41号は、その後、新聞で、その具体的説明がされた。つまりマスコミによって、
その海域の詳細な範囲は広報された。つまり広報記事は「郡所管の島は鬱陵島と竹島(チクトウ=現在の竹嶼)
と石島。東西六十里、南北四十里」としている。韓国の1里は0.4kmだから東西24km、南北16kmmが
鬱陵郡の範囲となる。よって鬱陵島から約90kmにある現在の「竹島」は、かの勅令が定めた
鬱陵郡の範囲には入らないことは明らか。
勅令に記載される漢字熟語としての「竹島」が現在、竹嶼と呼ばれる島を意味することは、
これまでは、多くの韓国の学者、政府関係者が認めていたこと。

しかし、彼らは「石島は独島だ。」とは主張していたが、最近、当時の新聞記事が見つかってその
主張が破綻したから、「石島は独島だ。」の主張をやめて「竹島石島」を一つの島として
解釈する手法に変えたかもしれない。(笑

また、当時の、勅令の前提、背景となる韓国地理学者らの認識はどうであったかという観点からも
現在の「竹島」は「鬱陵郡」には入らないことは明らか。
勅令の前年、1899年(光武3年)に朝鮮の歴史家兼書道家の玄菜(1886 - 1925年)によって編纂
された地理書「大韓地誌」からも、そのことは明らか。地理書「大韓地誌」は朝鮮の学校でも
地理の教科書として広く使われたもの。これでは朝鮮の領域の東端は東経130度35分としている。

現代の竹島(1905年以降の名称)は東経131度52分にある。
かの勅令の資料として意義は「韓国の主張はこじつけや嘘だらけ。そして、山の天気のように
コロコロと変わる」ということだ。

Re: 勅令に「竹島」が出てるというのか? 

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/14 08:23 投稿番号: [17179 / 18519]
おまえらは、ここでもそうだが、あちこで時間を混同した語義で
「竹島」という言葉を使ってる。現代の言葉の意味で利用する。

典型例は「于山島」としか書いてない過去の文献の記述を、
「独島」が書いてあるといってる。あちこちで・・・

つまりおまえらが使う言葉、「日本文モドキ」は、現代の言葉の語義で解釈する必要がある。

現代の語義でいうなら勅令(1900年)での「竹島」は現代の「竹島」でない。
別な言い方をすれば、勅令(1900年)には現代の「竹島」は書いてない。

三国史記や、太宗実録に、現代の「竹島(独島)」が書いてないように。

Re: 勅令に「竹島」が出てるというのか? 

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/12/14 08:21 投稿番号: [17178 / 18519]
http://www.takeshima222.net/

相変わらず八道総図に竹島が出ているなんて主張してるのですねえ。
三国接壌図に竹島が出ているなんて、かの内藤センセですら否定している主張です。
石島=独島なんて全然証明されていないし、仮に証明されたとしても領有権が成立しているかどうかはまた別の問題です。

17135で紹介した内藤センセのインタビュー↓ですが、

―独島懸案を韓国は歴史問題と見る一方、日本は領土問題と見ようとします。お互いに理解できない 理由ですね。
「国際法上の領土問題を話す時は歴史問題を前提にしなければなりません。日本の国際法学者たちの場合、歴史に対する認識がありません。そのため(竹島問題も)国際法上の手続きだけ問題にするのですね。」

なんて言ってますが、国際法学者からダメ出し食らったのではないかと。
2年くらい前の国際法外交雑誌に竹島に関する韓国人の論文が出ていましたが、レベル的にちょっとなあという感じでした。
国際司法裁判所で決着をつけるべきだとは内藤センセは絶対に言いませんね。
内心では勝てないと思っているのでしょう。

http://farm3.static.flickr.com/2183/1849347021_8005669785_o.jpg
↑この地図を見ると、1900年頃ですら韓国人が鬱陵島に対する正確な情報を持っていたとは思えません。鬱陵島の南側にバラバラと島がありますが、これを石島と呼んだ可能性があります。

「申景濬の歴史捏造」の正当化が始まった

投稿者: takeshimataro 投稿日時: 2008/12/14 08:11 投稿番号: [17177 / 18519]
RE:勅令41号への疑問
>問3、1900年当時の韓国で、竹島という島は2種類の意味・・・

なんで【万機要覧】の話が出てくるのだ?
万機要覧という表現だけでは、よく主張の意味がわからないが、
1808年に朝鮮政府によって編纂されたものということなら、

その1808年の「万機要覧」で「竹島」とか「竹島」の語義説明は、どこに書いてあるのか?

「松島」に関する記述のことか?
そうなら、それは、「于山島は日本でいう松島である」という安龍福のこじつけに呼応した、
というか、もっと詳しく言うと『東国文献備考』所収で申景濬が編纂した「輿地考」での
デッチアゲ(「輿地志」(『東国輿地志』の内容に関するデッチアゲ)、捏造記述を、
そのままの引用記述でしかない。

「東国輿地志」(1656年、柳馨遠)は官撰(「竹島一件」前)
「輿地考」(1770年   申景濬)申景濬は私撰(「竹島一件」後)

「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」
(輿地志に言う、鬱陵、于山は皆于山国の地で、于山は即ち倭の
所謂松島である。)
なんて、「輿地志」には書いてないことが判明してる。

「輿地考」:申景濬が安龍福の「于山島は松島だ。」こじつけに呼応して、タイムマシーン手法で、
過去の公文書(「輿地志」)の内容を書き換える記述、「歴史の変造」をやった。
尚、安龍福事件(「竹島一件」)では、徳川幕府ー朝鮮政府の外交交渉で「松島」については、
一切、問題になってない。問題になったのは鬱陵島だけ。

Re: 勅令に「竹島」が出てるというのか? 

投稿者: rfdgm815 投稿日時: 2008/12/14 07:24 投稿番号: [17176 / 18519]
> まああ、よくもこんな嘘を吐き続けるもんだ。
> 大韓帝国勅令第41号には↓こんなこと書いてない。

> >第2条   ・・・鬱陵全島と竹島石島を管轄すること。


じゃあ、なんて書いてあるんですか?

大韓帝国   光武四年   勅令第四十一号
http://www.museum.go.kr/kor/images/exh/special/10img.jpg
http://www.takeshima222.net/

1900年での韓国の竹島の意味は現・竹嶼の意

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/14 06:58 投稿番号: [17175 / 18519]
だ。大韓帝国41号2条に書いてある「竹島」とは現代「竹島」と呼ばれる、鬱陵島の北東2kmにある島のことだ。

1900年の頃は、日本では「竹島」とは、英国が誤って測量した鬱陵島の位置に描かれた「アルゴノード島」のことを指す。

現在の日本名・竹島を、「竹島」と呼ぶようになったのは1905年以降の話。
当時は日韓ともに、現竹島は「リャンコ島」と呼んでいた。

勅令に「竹島」が出てるというのか? 嘘も

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/14 06:43 投稿番号: [17174 / 18519]
休み休み言えよ。嘘吐きども。
まああ、よくもこんな嘘を吐き続けるもんだ。
大韓帝国勅令第41号には↓こんなこと書いてない。

>第2条   ・・・鬱陵全島と竹島石島を管轄すること。

勅令41号への疑問

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/13 22:27 投稿番号: [17173 / 18519]
   勅令41号は、次のとおり定めています。
   第1条   鬱陵島を鬱島に改称する・・・島監を郡守に改正する・・・
   第2条   ・・・鬱陵全島と竹島石島を管轄すること。

疑問1
   第2条の「管轄する」は、誰が管轄するのでしょうか。島監でしょうか、郡守でしょうか。文章の流れから、郡守が管轄すると解するのが自然な様です。しかし、郡守と解した場合、「鬱陵全島」とは何処なのでしょうか。第1条で「鬱陵島」は改称され存在しないことになっています。論理的に、郡主は存在しない「鬱陵島」を管轄することはできません。


疑問2
   独島領有派の言によれば、広義の「鬱陵島」とは「ダジュレー島」+「リャンコ島」であると言います。第1条の「鬱陵島」はこの様に解されるのでしょう。しかし、この解釈をした場合、「鬱陵全島」をどの様に解するのでしょうか。石島=リャンコ島であるとすると、「鬱陵島」は「鬱陵全島」よりも広い概念ということになります。

疑問3
   1900年当時の韓国で、「竹島」という島は2種類の意味を持っています。
   一つは、鬱陵島検察使が使用している竹島です。これは現チェクトを指しています。他の一つは、万機要覧が使用する竹島であり、増補文献備考で再確認している竹島です。ここには「幣境之鬱陵島」「貴界竹島」とあります。竹島記事等に拠れば別の解釈があるかもしれませんが、万機要覧を単独で解釈すれば「竹島は日本領」というのが元禄竹島一件の最終合意事項であったと解されます。
   勅令41号の「竹島」はどちらの意味を込めているのでしょうか。万機要覧と検察報告書では、その重要度に格段の差があり、万機要覧の解釈に関する議論があってもよさそうに思います。

韓国人の嘘つき根性は、一回、叩き直しして

投稿者: takeshimataro 投稿日時: 2008/12/13 13:54 投稿番号: [17172 / 18519]
やる必要があるね。

Re: 未公開資料・また韓国の呼吸嘘が

投稿者: figthingfreedom 投稿日時: 2008/12/13 13:49 投稿番号: [17171 / 18519]
始まった
その官報のどこに「竹島」なんて書いてある。息するように嘘ばかりついてるな。嘘でないというなら、原文を示せ。
↓「官報 第1716号 光武4年10月27日*2」の原文を示せ。

>「官報 第1716号 光武4年10月27日*2」に「陵全島と竹島石島を管轄すること」とあります
>「鬱陵全島と竹島、石島とされた。」

Re: 未公開資料

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/12 20:10 投稿番号: [17170 / 18519]
   サイバー独島歴史館は、その主張の根拠として、「禹用鼎の鬱島記と報告書」「高宗実録 巻40」「官報 第1716号 光武4年10月27日」を示しています。
   「高宗実録 巻40*1」に「第四十一號, 江原道 鬱陵島 , 以 鬱島郡 改稱, 島監以郡守改正件。」とあり、「官報 第1716号 光武4年10月27日*2」に「鬱陵全島と竹島石島を管轄すること」とあります。
   この証拠から、
   >勅令第41号(10月25日)を公布して鬱陵島を鬱島に改称し、島監を郡守に変更することで江原道の27番目の郡として地方官制に編入された。勅令によれば、郡庁の位置は台霞洞とし、鬱島郡守の管轄区域は鬱陵全島と竹島、石島とされた。島監を郡守に改定した。
   が、証明されます。
   但し、「管轄区域は鬱陵全島と竹島、石島とされた」ではなく、「管轄区域は鬱陵全島と竹島石島とされた」が正しいと思います。現段階では、「竹島石島という一つの島」「竹島又は石島と呼ばれる島」という解釈可能性が否定されていません。

   ところで、「鬱陵郡を南面と北面に区分したことにより、独島は鬱陵郡の南面に属することとなった。」という主張の根拠を、サイバー独島歴史館は示していません。この根拠を示して下さると、
   >「ああ、なるほど、これは間違いなく現在の竹島/独島のことを書いてあるのは明らかだ。」となるはずだと思うんですがねえ。

   しかし、怠惰な私が入手可能な資料で判断すると、逆の結論になります。
   当時は、「鬱陵島に附屬する小6島中で最著者は于山島竹島である。」という常識があったと推察されます。例えば、「大韓全図*3」「朝鮮地圖*4」です。何れの地図も、北面に于山島を描き、南面に残り小5島を描いています。即ち、北面にある于山島が竹島であり、南面にある小5島のひとつ若しくは全部が石島であるという結論です。
   勿論、サイバー独島歴史館が、この様な素人考えをするはずがありません。確かな資料を持っているはずです。ぜひとも、その確かな資料を拝見したいですね。


*1   http://sillok.history.go.kr/inspection/inspection.jsp?mState=2&mTree=0&clsName=&searchType=a&query_ime=%E9%AC%B1%E9%99%B5%E9%83%A1&keyword=%E9%AC%B1%E9%99%B5%E9%83%A1
*2   http://www.flickr.com/photos/16408790@N08/1850069365/sizes/l/
*3   http://farm4.static.flickr.com/3259/2855413021_e2ae07495f_b.jpg
*4   http://farm3.static.flickr.com/2183/1849347021_8005669785_o.jpg

Re: 属島

投稿者: nobmarujoho 投稿日時: 2008/12/11 23:41 投稿番号: [17169 / 18519]
誰が、属島って決めたんだ?
ふざけんじゃねー、この盗人野郎どもがあああああ。

あとから、あとから、もう許せねーな。
チョンどもおおおお

RE 未公開資料

投稿者: fightingfreedom1000 投稿日時: 2008/12/11 23:37 投稿番号: [17168 / 18519]
未公開資料でなく、どうせ「ひょっこりひょうたん島博物館、名物」
の捏造資料だろうが。

どこまで言っても大韓帝国勅令41号で言う、石島が竹島(リャンコ島)
ということが立証できないんで、また捏造を始めたんだろ。

八道総図の「ひょっこりひょうたん島方式于山島みたいにな」な。

韓国の主張は、再検証可能な根拠は何もなく、李承晩政権以後、ただ
自分たちの都合のいいように歴史捏造して「石島=リャンコ島」と
牽強付会してるだけだ。

1947年以前に「石島=リャンコ島」を主張した文献はないのだ。

未公開資料

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/12/11 22:21 投稿番号: [17167 / 18519]
なのか、そもそも無いのか知りませんが、鬱島郡守が鬱島郡の状況を中央政府に報告した文書というものは見かけないですね。


1900(大韓帝国 光武4)
− 5月31日、鬱陵島視察委員の禹用鼎と釜山駐在日本領事館補の赤塚正補等、日韓領国の調査団が鬱陵島に到着し、6月5日まで日本人の蛮行と材木盗伐及び税金徴収の有無について調査し、島内の実情と島勢を把握する。
− 6月 15日、禹用鼎が帰還して報告書を提出し、日本人の速やかな撤収と鬱陵島官制の改編を提案する。
− 10月 27日、勅令第41号(10月25日)を公布して鬱陵島を鬱島に改称し、島監を郡守に変更することで江原道の27番目の郡として地方官制に編入された。勅令によれば、郡庁の位置は台霞洞とし、鬱島郡守の管轄区域は鬱陵全島と竹島、石島とされた。島監を郡守に改定したため、当時の島監、蠔季周が初代郡守となり、鬱陵郡を南面と北面に区分したことにより、独島は鬱陵郡の南面に属することとなった。

サイバー独島歴史館
http://japanese.dokdohistory.com/museum/d_history04.html


   日本人の「蛮行」に対処するために郡制を敷いて行政を強化したはずなので、郡守は少なくとも年に一度ぐらい、鬱島郡がどういう状況にあるのかを中央政府に報告したのではないかと思うのですが、そういう文書はネット上には出回っていないようです。無いのでしょうかね。

  もしそういう報告書があるなら、たぶん、「鬱島本島」と「竹島」と「石島」の3つの項目があって、「石島」についても多少の報告が書いてあって、それを読めば、「ああ、なるほど、これは間違いなく現在の竹島/独島のことを書いてあるのは明らかだ。」となるはずだと思うんですがねえ。

そろそろ復活。。。

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/12/11 21:15 投稿番号: [17166 / 18519]
  皆さんお久しぶりです。私は竹島問題については深刻なネタ切れもあってしばらく手をひいていたのですが、竹島の日も近付いて来た事だしそろそろ復活すべきかといくつか新ネタを発掘して来ました。これからそれらを随時公開して行きたいと思います。しかしながらその前にどうしても書いておかなければならないことがあります。



  senkaku_islandsさんへ


   >>『石島上申書』
     (半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成した


  『石島上申書』については半月城さんとの取引で貴方が公開することになっているはずです。その内容が何であれ今すぐ真相を明らかにすべきではないでしょうか?
senkaku_islandsさんは『石島上申書』を持ち出して一体何がやりたいのですか?半月城さんを撹乱するのが目的ですか?半月城さんが撹乱されたのかどうかは知りませんが、私は思いっきり撹乱させられてしまいました。私がこれから公開しようとしている新ネタの中には勅令四十一号の石島が竹島ではないという主張が含まれています。しかしながらこれを公開した後に竹島が石島であるという内容の『石島上申書』が公開されると私はとんだうそ吐きピエロになってしまいます。貴方はそれで構わないかもしれませんが私にとっては涙目以外の何者でもありません。したがって『石島上申書』が公開されない限り私は自らの主張を公開することができません。真理の追究に馴れ合いは無用です。senkaku_islandsさんにどのような事情があろうとも竹島問題についての研究を遅らせるべきではないと考えます。
貴方ももうそんなに若くないのだから少しは空気を読むことを心がけるべきですよ。

  言うまでもありませんがこの文章は様々な立場の人が読んでいます。『石島上申書』は本当は竹島が石島であるという内容のなのにそうではないとごまかしたと受け取られるような言動は絶対にしないでください。
senkaku_islandsさんは日本で一番有名な竹島問題についてのサイトの管理人です。明らかに竹島問題についてのオピニオンリーダーの一人です。
何か不手際があれば貴方個人に対してではなく竹島問題に関わる全ての日本人に対する韓国側のネガティブキャンペーンの餌食にされてしまう可能性があります。
下のリンクの文章を読めば半月城さんが何を考えているかよくわかるはずですよ。

掲示板の雰囲気

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16980

これは私が半月城さんのサイトの記述の誤りを指摘した「西村捨三の照会」という題の書き込みのすぐ後に書き込まれたものです。私にはこれが私が以前書き込んだ「石島=独島説の秘密」(No16259・No16260・No16263)で赤っ恥をかかされたことに対する意趣返しであるとしか思えません。
「石島=独島説の秘密」も本当は私は『石島上申書』の正体が分かるまで公開したくはなかったのですよ。

  はっきり言って私はふざけ半分で竹島問題を研究しているわけですが、いんちきをした覚えはまったくありません。かのナポレオンの名言に「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」とあります。半月城さんが無能な味方にとれだけ悩まされて来たかは貴方はよくご存知のはずです。
senkaku_islandsさんにはぜひとも自分の言動が歴史を変えてしまうかもしれないという自覚を持って、責任ある行動をとっていただきたいと思います。
もし何をすべきか悩むような事があるならリアル実社会で貴方の周囲にいる人の中で貴方自身が信頼できると思える人に相談するとよいと思います。
貴方一人で責任が取れる問題ではないのですよ。

韓国は竹島をドサク紛れの火事場泥棒根性で

投稿者: fightingfreedom1000 投稿日時: 2008/12/09 20:33 投稿番号: [17165 / 18519]
強盗した行為を正当化するために「植民地政策」とか「帝国主義」とかって
難癖つけてるだけ。

「大韓地誌」(玄采)を持ち出すと、韓国は、「当時は帝国主義、植民地主義で脅かされて・・・」
とかって、いがかりで、「日本政府に脅かされて領土を狭く言った。自由にものが言えなかった」
と言い訳するのを常套手段にする。

だが、日本がポツダム宣言を受諾し、占領軍であるマッカーサー総司令部が
日本を軍政統治した
状態でも、財閥の犬・李承晩らがロビー活動で、しきりに米国に対して、

「日本のポツダム宣言受諾は竹島を放棄したことにしてくれ。」と頼んでいた最中でも、
韓国学会は竹島は韓国領でなく日本領としていた。

1947「朝鮮常識問答」崔南善:(韓国東端:130度56分23秒(官撰)
1948「朝鮮常識」崔南善:(韓国東端:130度56分23秒(官撰)

このことは、とりもなおさず、もともとから、竹島(徳川時代末期まで「松島」と呼ばれ、
幕末から1905年の島根県編入までは「リャンコ島」、その後は「竹島」と呼ばれた島が、
徳川時代から日本領であったことを、韓国人学会が認めていた自己証明でもある。
ちょうど1900年ころから鬱陵島での林業がうまくいかなくなったが、その頃、日本から
漁業を学んだ韓国財閥が強欲になって竹島を狙っていたが、日本が戦争で
負けたのを
これ幸いに、李承晩を焚きつけ、竹島に「石島」や「于山島」を牽強付会し、李承晩政権は、
サンフランシスコ平和条約発効の3月前にドサク紛れの火事場泥棒根性で
強盗しただけ。

1899年韓国は竹島を放棄1900年に広報

投稿者: fightingfreedom1000 投稿日時: 2008/12/09 19:47 投稿番号: [17164 / 18519]
           朝鮮の東端
1899「大韓地誌」   玄采:130度35分(※)

大韓帝国学部省の依頼で編纂されたもの。
大韓帝国の学校教育でも、広く使われた教科書。

その領土範囲の認識のもとに翌年、大韓国帝国勅令41号が発令された。
その勅令は、鬱陵島一帯を鬱陵群とするもので、それに所属する
島は「鬱陵島、竹嶼(鬱陵島に北東約2.5km前後にある小島)、石島
(鬱陵島の北に近接する岩だけの小島)」とされ、

その後、マスコミによって、その海域の詳細な範囲は広報された。
つまり広報記事は「郡所管の島は鬱陵島と竹島(チクトウ=現在の竹嶼)と
石島。東西六十里、南北四十里」としている。
韓国の1里は0.4kmだから東西24km、南北16kmmが鬱陵郡の範囲となる。

よって、
1、竹島は鬱陵島の南東90kmだから、鬱陵島郡には入らないことは明白。
2、最近の韓国がこじつける「石島=独島」は不正な牽強付会であることは明白。
3、竹島(独島)≠石島であることも明白。

日航機墜落 田代アナにもらい泣き

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/12/07 21:25 投稿番号: [17163 / 18519]
済みません、文字制限により文章が途切れました。

chaamieyさんのご意見に対する回答は、琉球新報アップロード後に致します。

今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「日航機墜落   田代アナにもらい泣き」
http://jp.youtube.com/watch?v=3KTm2b3CUnY

琉球新報 1905年 & 田代アナにもらい泣

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/12/07 21:14 投稿番号: [17162 / 18519]
私はいま『琉球新報』の尖閣諸島や古賀辰四郎関連を掲載している最中ですが、古賀がとんでもない海難事故を起しているこを知りました。それは皆さんも追々分かると思います。

竹島は島根県に属しますが、その島根にあるご遺族が住んでおられます。その前に先ずは下記の動画をご覧下さい。

JAL123 interview
http://jp.youtube.com/watch?v=YvuSD0Z2vZA&feature=related

  奇跡的に助かった4人のうちの1人、川上慶子さん(32)の兄、千春さん(34)は島根県出雲市に住む。5年前に結婚し、長男の創也君(3)も生まれた。

  事故当時は中学2年生。野球部の練習のため、留守番をしていた。父の英治さん(当時41歳)、母の和子さん(同39歳)、もう一人の妹の咲子さん(同7歳)を奪われ、祖母のキミエさん、慶子さんと3人の生活が始まった。

  「生きている実感が持てなかった」。心臓の病気でキミエさんが入退院を繰り返すようになると、一家の大黒柱として重圧がのしかかった。高校2年の秋、不登校になり、中退。慶子さんは地元の高校から大阪の看護系短大に進んだ。

  「失敗や挫折を事故のせいにしていた。慶子に比べ、自分に弱さがあったかもしれない」

  町議として医療費貸し付け制度の創設に奔走した父、朝から晩まで患者さんのもとを駆け回った看護師の母。その姿を忘れることはなかった。親類の励ましもあって、通信制高校から大学に進学。福祉関連の会社に勤め、お年寄りの車いすを修理し、住宅の段差をなくす工事をする。

  慶子さんは2002年に結婚し、昨年夏に男の子を出産した。四国に移り住み、看護師を辞めて子育てに専念する。今年の大型連休には帰省し、墓前に長男の誕生を報告した。

  2人を見守ってきた伯母の池田富士子さん(65)は「平凡だが、地に足の付いた幸せをつかんでくれた」と語る。

  夫婦で支え合う生活や子供が生まれる喜び。「父も母もきっと経験していた。決して不幸ではなかった。両親と妹の命は次の世代につながっていくんだ」。千春さんはおもちゃで遊ぶ創也君をいとおしそうに見つめた。(おわり)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/kikaku/048/9.htm


そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。あの世にいる古賀辰四郎もよく見て於いて下さい。あなたには海難事故を防ぐ義務があった。


さて、掲題の件ですが、琉球新報を1905までアップロードしました(coming up参照)。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


next, coming up(シリーズ上海万博への道)
http://en.expo2010china.com/
http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/
『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1901年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1901/
『琉球新報 1902年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1902/
『琉球新報 1903年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1903/
『琉球新報 1904年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1904/
『琉球新報 1905年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1905/
『琉球新報 1906年』
『琉球新報 1907年』
『琉球新報 1908年』
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
『公文雑算』(あとは「褒章の写し」を残すのみ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a13san1108-koga/
『石島上申書』
(半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成した

Re: 竹島

投稿者: ilkuji_88 投稿日時: 2008/12/05 11:47 投稿番号: [17161 / 18519]
ちょっぱりらが喜びそうな映画のポスター

http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=63&articleid=20081205111322897e7&newssetid=33
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