Re: 勅令41号への疑問
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/12/14 14:54 投稿番号: [17196 / 18519]
万機要覧の概略を、次のようなものと解釈しております。
「鬱陵島は蔚珍の正東海中にあり、日本の隠州に近い」に始まり、
元禄日朝交渉において、朝鮮が、「幣境之鬱陵島」を越え「貴界竹島」に至ったのは申し訳ないと返答したので、
対馬藩は、「幣境之鬱陵島」に異議を唱え、芝峯類説を引用して、「壬辰乱の後に鬱陵島は日本領となった」と反論しました、
この様にして、日朝交渉は暗礁に乗り上げてしまいましたが、
安龍福が活躍し、日本から「不敢復造人至鬱陵」と記した文書を朝廷は受け取りました。
この解釈が正しいかどうかは判りませんが、この解釈は次のように発展させられます。
勅令41号を発布した高宗皇帝の傍らには「万機要覧」があったはずです。又、竹島=チェクトに比定した検察使の報告書がありました。すると、帝国主義に目覚めた高宗は日本領を侵略するように勅令41号を発したことになります。日露戦争の準備に忙しい日本からチェクトを奪ったのです。尤も、日本がチェクトに領有意思を持っていなかったので大事には至りませんでした。
さて、問題は、他国領と思っていた島を該当国に通知せずに自国領に組み入れることの是非です。現行の国際法では問題なしとされていると思いますが、独島領有派の方々は問題ありとしています。すると、経緯度表示が常識であった時代に経緯度を表示せずにした公告は無効ですから、万機要覧の「竹島」に対する評価をきちんとするべきであると思います。
朝鮮側資料における「竹島」
1694年、外交文書に「貴界竹島」と記載する。
1797年、鬱陵島検察使が「竹島」の存在を報告する。
1808年、万機要覧を編集する。
1882年、鬱陵島検察使が「竹島」の存在を報告する。
1900年、勅令41号を発布する。
1908年、増補文献備考を編集する。
これは メッセージ 17191 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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