竹島一件まで朝鮮王朝は松島を認識してない
投稿者: gourishugisha 投稿日時: 2008/12/14 13:59 投稿番号: [17194 / 18519]
理由二
海の男(海事関係者)、地理的な熟練者なら、習慣として、彼らが動かない地面に立って島などを
見つけた場合には通常、必ずといってよいほど、その島など発見対象物が見えた方角を記録する
か口頭で報告するなど、とにかく必ずといってよいほど「見えた方角」と、およその距離を他人に
伝えようとする。(張漢相のように。)
何時の時代でも、いずれの国でも、そのような記録(報告)で示された方角について言えば、
それは意外に精確なものである。
それは古代から人類が北極星を利用することを知っていたらだ。夜に印をつけおいて昼でも
それを利用すればかなり精確にわかるし北極星に頼らなくても太陽の南中で、ほぼ精確にわかるからである。
また、その方法は一般庶民にとってさえ、それはさほど困難なことではなかったからである。
まして海事関係者(特に船員)や地理学上の専門家にとっては容易なことだった。
しかるに我々は1694年以前、張漢相の「欝陵島事蹟」以前に編纂された朝鮮の文献(書類)において
鬱陵島から東南東方向に見えるはずの現・竹島(徳川時代は松島と呼んだ)の方角を正しく
示したものは、一つとして見出すことができない。
なぜか?
それは、そもそも朝鮮王朝が「松島」の存在を認識してなかったからに外ならないとしかとりようがない。
数百年もの間、あまた多くの海事専門家らが(どのような呼称にせよ、)松島を視認していたにもかかわらず、
彼らのうちの全ての海事専門家が、およその距離と、その方角を記録として残さなかったなど
ということはそれこそ、その蓋然性は極めて低いというか、それはありえないことだと思える。
(いずれにせよ朝鮮半島からリャンコ島は見えない。)
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