未公開資料
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/12/11 22:21 投稿番号: [17167 / 18519]
なのか、そもそも無いのか知りませんが、鬱島郡守が鬱島郡の状況を中央政府に報告した文書というものは見かけないですね。
1900(大韓帝国 光武4)
− 5月31日、鬱陵島視察委員の禹用鼎と釜山駐在日本領事館補の赤塚正補等、日韓領国の調査団が鬱陵島に到着し、6月5日まで日本人の蛮行と材木盗伐及び税金徴収の有無について調査し、島内の実情と島勢を把握する。
− 6月 15日、禹用鼎が帰還して報告書を提出し、日本人の速やかな撤収と鬱陵島官制の改編を提案する。
− 10月 27日、勅令第41号(10月25日)を公布して鬱陵島を鬱島に改称し、島監を郡守に変更することで江原道の27番目の郡として地方官制に編入された。勅令によれば、郡庁の位置は台霞洞とし、鬱島郡守の管轄区域は鬱陵全島と竹島、石島とされた。島監を郡守に改定したため、当時の島監、蠔季周が初代郡守となり、鬱陵郡を南面と北面に区分したことにより、独島は鬱陵郡の南面に属することとなった。
サイバー独島歴史館
http://japanese.dokdohistory.com/museum/d_history04.html
日本人の「蛮行」に対処するために郡制を敷いて行政を強化したはずなので、郡守は少なくとも年に一度ぐらい、鬱島郡がどういう状況にあるのかを中央政府に報告したのではないかと思うのですが、そういう文書はネット上には出回っていないようです。無いのでしょうかね。
もしそういう報告書があるなら、たぶん、「鬱島本島」と「竹島」と「石島」の3つの項目があって、「石島」についても多少の報告が書いてあって、それを読めば、「ああ、なるほど、これは間違いなく現在の竹島/独島のことを書いてあるのは明らかだ。」となるはずだと思うんですがねえ。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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