竹島一件まで朝鮮は松島を認識してない
投稿者: gourishugisha 投稿日時: 2008/12/14 12:25 投稿番号: [17192 / 18519]
理由一
「竹島一件」(1692年)という欝陵島に関する領土上の国際外交事件が起きた為、1694年、
朝鮮王朝政府は張漢相を隊長とする鬱陵島調査隊を派遣した。
その調査報告書
「欝陵島事蹟」 (1694年張漢相編纂)で 張漢相は「はるかかなた東南東方向に島が見えた。」
と言ってる。
しかし、彼は、その島の名前を言っていない。
この島名を言わない張漢相の報告説明というか紀行文のようなそっけない文章は何を意味するか?
といえば、それは明確に張漢相が鬱陵島の東南東方向(又は東南東方向)に島が存在してる
ということを認識するのが初めての経験だったということを意味している。これまでは見たことも
聞いたこともないということを意味してるのである。(政府派遣の調査隊の隊長において。)
それまで、もし朝鮮政府が既に「東国輿地志」(1656年、柳馨遠)の地理観でなく、安龍福以降の
「輿地考」(1770年
申景濬)以降のデッチアゲ地理観の一部海事関係と同じようなものだった
と仮定するなら、「あれが安龍福のいう于山島か?」とか「あれが于山か?」とか「あれが、
倭人は松島と言ってるが、実は安龍福のいうように于山島だ。」とかって言うはずだ。
だが、そういうことはまったく言ってない。島の名前は一切、出てでないのである。
つまりは「竹島一件」が起きるまで朝鮮王朝政府、王朝役人らは鬱陵島の東南東方向に島がある
などということは、まったく概念としてなかったから想定もしてない、だから島名も比定しようがない
から出てこない、というのことを意味してるとしかとりようがないのである。
こように、
当時朝鮮政府の「松島」(現竹島)に関する無認識は朝鮮政府の調査報告である「欝陵島事蹟」
(1694 張漢相)によって明らかに証明されている。
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