琉球新報 1905年 & 田代アナにもらい泣
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/12/07 21:14 投稿番号: [17162 / 18519]
私はいま『琉球新報』の尖閣諸島や古賀辰四郎関連を掲載している最中ですが、古賀がとんでもない海難事故を起しているこを知りました。それは皆さんも追々分かると思います。
竹島は島根県に属しますが、その島根にあるご遺族が住んでおられます。その前に先ずは下記の動画をご覧下さい。
JAL123 interview
http://jp.youtube.com/watch?v=YvuSD0Z2vZA&feature=related
奇跡的に助かった4人のうちの1人、川上慶子さん(32)の兄、千春さん(34)は島根県出雲市に住む。5年前に結婚し、長男の創也君(3)も生まれた。
事故当時は中学2年生。野球部の練習のため、留守番をしていた。父の英治さん(当時41歳)、母の和子さん(同39歳)、もう一人の妹の咲子さん(同7歳)を奪われ、祖母のキミエさん、慶子さんと3人の生活が始まった。
「生きている実感が持てなかった」。心臓の病気でキミエさんが入退院を繰り返すようになると、一家の大黒柱として重圧がのしかかった。高校2年の秋、不登校になり、中退。慶子さんは地元の高校から大阪の看護系短大に進んだ。
「失敗や挫折を事故のせいにしていた。慶子に比べ、自分に弱さがあったかもしれない」
町議として医療費貸し付け制度の創設に奔走した父、朝から晩まで患者さんのもとを駆け回った看護師の母。その姿を忘れることはなかった。親類の励ましもあって、通信制高校から大学に進学。福祉関連の会社に勤め、お年寄りの車いすを修理し、住宅の段差をなくす工事をする。
慶子さんは2002年に結婚し、昨年夏に男の子を出産した。四国に移り住み、看護師を辞めて子育てに専念する。今年の大型連休には帰省し、墓前に長男の誕生を報告した。
2人を見守ってきた伯母の池田富士子さん(65)は「平凡だが、地に足の付いた幸せをつかんでくれた」と語る。
夫婦で支え合う生活や子供が生まれる喜び。「父も母もきっと経験していた。決して不幸ではなかった。両親と妹の命は次の世代につながっていくんだ」。千春さんはおもちゃで遊ぶ創也君をいとおしそうに見つめた。(おわり)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/kikaku/048/9.htm
そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。あの世にいる古賀辰四郎もよく見て於いて下さい。あなたには海難事故を防ぐ義務があった。
さて、掲題の件ですが、琉球新報を1905までアップロードしました(coming up参照)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)
next, coming up(シリーズ上海万博への道)
http://en.expo2010china.com/
http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/
『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1901年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1901/
『琉球新報 1902年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1902/
『琉球新報 1903年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1903/
『琉球新報 1904年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1904/
『琉球新報 1905年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1905/
『琉球新報 1906年』
『琉球新報 1907年』
『琉球新報 1908年』
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
『公文雑算』(あとは「褒章の写し」を残すのみ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a13san1108-koga/
『石島上申書』
(半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成した
竹島は島根県に属しますが、その島根にあるご遺族が住んでおられます。その前に先ずは下記の動画をご覧下さい。
JAL123 interview
http://jp.youtube.com/watch?v=YvuSD0Z2vZA&feature=related
奇跡的に助かった4人のうちの1人、川上慶子さん(32)の兄、千春さん(34)は島根県出雲市に住む。5年前に結婚し、長男の創也君(3)も生まれた。
事故当時は中学2年生。野球部の練習のため、留守番をしていた。父の英治さん(当時41歳)、母の和子さん(同39歳)、もう一人の妹の咲子さん(同7歳)を奪われ、祖母のキミエさん、慶子さんと3人の生活が始まった。
「生きている実感が持てなかった」。心臓の病気でキミエさんが入退院を繰り返すようになると、一家の大黒柱として重圧がのしかかった。高校2年の秋、不登校になり、中退。慶子さんは地元の高校から大阪の看護系短大に進んだ。
「失敗や挫折を事故のせいにしていた。慶子に比べ、自分に弱さがあったかもしれない」
町議として医療費貸し付け制度の創設に奔走した父、朝から晩まで患者さんのもとを駆け回った看護師の母。その姿を忘れることはなかった。親類の励ましもあって、通信制高校から大学に進学。福祉関連の会社に勤め、お年寄りの車いすを修理し、住宅の段差をなくす工事をする。
慶子さんは2002年に結婚し、昨年夏に男の子を出産した。四国に移り住み、看護師を辞めて子育てに専念する。今年の大型連休には帰省し、墓前に長男の誕生を報告した。
2人を見守ってきた伯母の池田富士子さん(65)は「平凡だが、地に足の付いた幸せをつかんでくれた」と語る。
夫婦で支え合う生活や子供が生まれる喜び。「父も母もきっと経験していた。決して不幸ではなかった。両親と妹の命は次の世代につながっていくんだ」。千春さんはおもちゃで遊ぶ創也君をいとおしそうに見つめた。(おわり)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/kikaku/048/9.htm
そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。あの世にいる古賀辰四郎もよく見て於いて下さい。あなたには海難事故を防ぐ義務があった。
さて、掲題の件ですが、琉球新報を1905までアップロードしました(coming up参照)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)
next, coming up(シリーズ上海万博への道)
http://en.expo2010china.com/
http://www.shanghai-expo-sangyoukan.jp/
『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1901年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1901/
『琉球新報 1902年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1902/
『琉球新報 1903年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1903/
『琉球新報 1904年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1904/
『琉球新報 1905年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1905/
『琉球新報 1906年』
『琉球新報 1907年』
『琉球新報 1908年』
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
『公文雑算』(あとは「褒章の写し」を残すのみ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a13san1108-koga/
『石島上申書』
(半月城さん、琉球新報の文章起しをお願いします。完成した
これは メッセージ 17156 (senkaku_islands さん)への返信です.
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