初心者のための日韓議論場

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>給料日前に・・・

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/09/24 00:57 投稿番号: [332 / 7270]
>値段を確かめずに〜

  よりによって吉川弘文館!(お気の毒です)
  あそこの本は値がはるとか・・・
  福沢さん一枚が小銭に変わったりしました?
  その昔、先輩に「本はは絶対カードで買うな!」と言われたを思い出しました。

  別カテで、以前紹介してもらった記事が見つかりましたので、
  お知らせいたします。(来月の馬券代の足しになるかもしれません)

  ↓忘れられた国土開発(李朝朝鮮の飢餓地獄   その他)  
 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html
 
  ↓前の台湾で東洋一のダムを作った男
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog216.html

給料日前だと言うのに・・・

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/23 02:57 投稿番号: [331 / 7270]
何気に本屋で立ち読みして値段を確かめずに

事典   昭和戦前期の日本   制度と実態   吉川弘文堂

を買ってしまいました。うう、馬券代がぁ・・・(泣き

誰か「戦前」を知らないか

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/22 17:51 投稿番号: [330 / 7270]
注文していた本が届きました.あと,「山本周五郎のことば」も.
早く帰宅して読みたいです.

>ユスラさん、ちょっと気になったので

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/20 13:43 投稿番号: [329 / 7270]
>甘やかす、甘やかさない・・・と言う言い方は子供の躾けなどで子供を甘やかさない・・・というような相手を子供と見なした時に使う言葉ですよね?
>「甘やかさない」という言葉は、これは韓国の方が聞くと確かにバカにしているように聞こえると思うんですよ。

そう言われればそうですね.

僕は日本の態度が,泣いてる子供をあやして「はいはい,ごめんなさいねえ,
もう泣かないのねえ」と同じだと思っているので,そういう態度は取らない,
という意味での発言だったのですが.

>ぼくは韓国をオトナの対等の友人と思うからこそ、ナアナアで子供扱いの、ハイハイ、ご無理ごもっとも、ではかえって失礼である。

同意します.

>「正しいことは正しい、間違っていることは間違っている」

僕は正邪で意見の一致に至ろうとは思っていません.

韓国が近代史の中で持っている喪失感は,自分で乗り越えてくれ.日本が
いくら謝罪したところで,あなたがたの喪失感は埋まらないんだよ,という
意味で,無意味な謝罪や贖罪意識を拒否している,という感じです.

ユスラさん、ちょっと気になったので

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/09/20 08:22 投稿番号: [328 / 7270]
ユスラさんの某トピでの「韓国を甘やかさない」という発言がちょっと気になったもので、こちらに投稿します。

甘やかす、甘やかさない・・・と言う言い方は子供の躾けなどで子供を甘やかさない・・・というような相手を子供と見なした時に使う言葉ですよね?
「甘やかさない」という言葉は、これは韓国の方が聞くと確かにバカにしているように聞こえると思うんですよ。

議論の中では相手を挑発するため敢えて刺激的な言葉で煽るということはあるのかと思います。
そして、ユスラさんがどういう気持ち(意図)で書いたかはわかりませんが。


ぼくは韓国をオトナの対等の友人と思うからこそ、ナアナアで子供扱いの、ハイハイ、ご無理ごもっとも、ではかえって失礼である。
オトナの対等の友人と思うからこそ互いにきちんと意見を言い合い「正しいことは正しい、間違っていることは間違っている」、「あることはある、ないことはない」と筋を通して話したいと思っています。


それから、まともに議論しようという相手ではなく、友好トピへの意図的なアラシや挑発、明らかな煽りは場面によっては完全無視するのがいいと思います。

アラチは最初はもっとまともに話しの出来る相手かと思っていましたが、最近はもうあきらめています。
まともに議論する相手ではありません。

アラシは何とか相手にレスを付けさせようと、わざと煽るような投稿、突っ込みたくなるような投稿を書き込んできますが、それに乗っては相手の思うツボです。

罵倒トピではオモチャにして遊んでやるのも楽しいですが、そのトピの雰囲気にもよるでしょう。

世間

投稿者: jaway 投稿日時: 2003/09/13 10:47 投稿番号: [327 / 7270]
>ところが天皇も   天皇より政権を代行する将軍も
>専制君主ではなかったために   比較的庶民の方を向いていた

「世間」ってものに対する大儀と面目かも。

>>そうなら読んでみたい。

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/13 05:59 投稿番号: [326 / 7270]
>「日露戦争物語」江川達也

え、え、え、あの「東京大学物語」の江川達也???

まさか、超ド級の妄想漫画とかじゃないですよね・・・、とりあえず本屋に行ってブツを確認してみます。

ヤフーのバグ

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/12 23:33 投稿番号: [325 / 7270]
でしょう。最近頻発です。

一度投稿画面に戻られてみるとわかりますよ。

すみません

投稿者: j_ururu 投稿日時: 2003/09/12 23:31 投稿番号: [324 / 7270]
2重投稿してしまいました。

一回目ではエラーぽかったので、

もう一回文章を作成したのですが、

既に投稿されていたようです。

おかしいな・・・。

「日露戦争物語」

投稿者: j_ururu 投稿日時: 2003/09/12 23:26 投稿番号: [323 / 7270]
「日露戦争物語」江川達也 小学館

今は9巻ぐらいまで出ているのでしょうか?

この人の絵はあまり好きではないのですが、

弟の方はさすがに素敵に描かれています。

>そうなら読んでみたい。

投稿者: j_ururu 投稿日時: 2003/09/12 23:21 投稿番号: [322 / 7270]
「日露戦争物語」江川達也

小学館から出ています。

9巻ぐらいまででているかな?

私も漫画も全部読んでいません。

私はあまりこの人の絵が好きではないのですが、

さすがに弟の方は結構素敵に描かれています。

>「邪馬台国の秘密」

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2003/09/12 20:16 投稿番号: [321 / 7270]

あ゛っ   積ん読状態だ(^-^;

>>岩波新書 の 「昭和史」

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 20:07 投稿番号: [320 / 7270]
>書いていることがさっぱり分からず、矛盾だらけだったからです。矛盾していることを理解せよ、と言うことが無理だった。

本当のこと書いちゃいますとね、渡辺昇一の方は読み終わってるんです。で、なぜか隣の岩波は中々進まなくて。

>高木彬光の「ジンギスカンの秘密」みたいな本ですね。

これ個人的には好きです。あくまでも「小説」として読めばの話です。
タイムマシンでも登場させて戦国自衛隊みたいにとんでもSFにすればもっと面白かった思うのですが、残念です。


どちらかと言うと「邪馬台国の秘密」のほうが鼻に付きました。あれは、小説としては読めなかったもんですから。

中朝では・・・

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2003/09/12 20:04 投稿番号: [319 / 7270]

盛んに「大義   親を滅す」と言うことを前提にしているように見えます
結局これは   「忠」より「孝」を大義と見る存在が多かったからだと思われます

中国なり朝鮮なりはそもそも「絶対君主」「専制君主」なので
乱暴狼藉・悪政・苛斂誅求の限りを尽くしていた
これを父母と同視するなど不敬の極みとする考えもある一方  
庶民の側も嫌悪感があったのでしょう

ところが天皇も   天皇より政権を代行する将軍も
専制君主ではなかったために   比較的庶民の方を向いていた
そして   それだから日本人は   権力者に対してある程度の
親近感を持っていたのだと思われます

また   ユスラさんへのレスにもつけましたが   「お家」や
「お国」に対する忠誠心を重視する考え方から  
「家族を守る・郷土を守る・国家を守る」   という事が  
一般人に普及して行きやすかったのではないかと思われます

こういう思想が「集団での行動を好む」「集団から外れるのを厭う」
という国民性へと繋がって行きます
その弊害もさることながら   それがあったからこそ  
天皇家も一千有余年にわたって   形だけでも続き   今日に至っている
終戦後   天皇を悪く言うモノは(サヨクを除いては)存在しなかった

以前女性カテで   こう書きました
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=bdwc0ada4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel&sid=1835396&mid=1547

朝鮮での   より大きな集団であることの利と   日本でのそれとは大いに異なると思います
朝鮮での利とは「私利」   日本での利は「公利(こんな言葉はありませんが   笑)」
結局   こういうところに行き着く気がします

>>水野忠善

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 19:58 投稿番号: [318 / 7270]
こんなのみつけました。

http://club.pep.ne.jp/~t.mizuno/root_miz80.html

これでみると、忠守は次男ではないですね。
うちの資料は主な当主しか網羅してなかったので勘違いしました。

於大の方はあまりにも有名ですよね。

>岩波新書 の 「昭和史」

投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/12 19:43 投稿番号: [317 / 7270]
これは、受験日本史の補助教材として読んだのですが、これを読んだことが、左翼の歴史観に疑問を持つようになった大きなきっかけになりました。

書いていることがさっぱり分からず、矛盾だらけだったからです。矛盾していることを理解せよ、と言うことが無理だった。

家永の「太平洋戦争」は、高木彬光の「ジンギスカンの秘密」みたいな本ですね。資料の都合のよいところだけをつぎはぎして作り出したもの、という感じを受けました。

武士の忠誠心

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2003/09/12 19:16 投稿番号: [316 / 7270]

ユスラさんご紹介のこの本   読んでみたくなりました(^-^)

さて   江戸期の武士の忠誠心の対象は   「藩主」に向けられたモノと   「お家(藩)」に向けられたモノがあります

「藩主」に向けられた忠誠心は   勢い「阿諛追従」の対象と思われ  
同僚の嫉視を生み   お家騒動のネタになります
これは   ユスラさんがご紹介くださった本も同じことを言っていますね

「お家」に向けられたモノですと   暗愚の藩主を幽閉し  
幕府の疑念を抱かせないように代替わりを行ったりします
で   だいたいの武士は   この「お家」に対する「ご奉公」を中心にしています
この考え方は   明治期以降にも引き継がれて  
「天皇陛下」のために  
「お国」のために  
に   つながっていくように思います

>水野忠善

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/12 19:15 投稿番号: [315 / 7270]
>本家ではありませんが、後の水野忠邦などを輩出してますね。

実在の人物なんですか.知りませんでした.

>滅私奉公なんて言うとちょっとぞぞっとする人もいるかと思いますが、ある特定個人
>への忠誠なんかは「奉公」にはならないということなら理解出来ます。

物欲や功名心という私心を捨て,公の役に立つ個人になれ,ということ
なんですよね.個人の人権がないがしろにされた考え方だ,なんて言う
人がいますが,その人は無知です.個人の尊厳は,社会に必要とされる
存在になることにより実現される,という考え方なので,「滅私奉公」
というのは,個人の尊厳を実現するためには不可欠の姿勢です.

>>飢え死にしたのがいない

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 18:08 投稿番号: [314 / 7270]
>文春今月号の「父が子に教える昭和史25のなぜ」も、それぞれの項目が短すぎる。まあ、しかたがないけど。

渡辺昇一   の   「昭和史」と
岩波新書   の   「昭和史」を

並べて交互にポツポツと読んでます。

えらい違いだ・・・

>広瀬、秋山というと

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 17:37 投稿番号: [313 / 7270]
>好古のえらいとこは、陸軍大将にまでのぼりながら、田舎に帰って中学校の校長になったことですね。陸軍経験者の比喩によると、大手銀行の頭取をやった人間が、田舎の信用組合の組合長になるようなもの、とかいってました。そのひとも、社会的地位などにはまったく拘らない好古はえらい、という評価でした。

う〜ん、わかります。なんとなくだけど。このキャラクターはなんと言ったらいいんでしょうね。

秋山真之や広瀬武夫の方が何かと有名かもしれませんが、個人的には好古兄が好きですね。
この人ありて真之ありですよね。ただ、真之もそうでしたが、この好古みたいな兄と同居した
ら、そりゃ、逃げ出したくなりますね。私も。堪らんでしょう色々と(笑

>司馬遼太郎の「坂の上の雲」

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 17:20 投稿番号: [312 / 7270]
>漫画も出てますね。

え〜、そうなら読んでみたい。

好古兄さんの顔どんなかなぁ・・・

広瀬、秋山というと

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/12 17:17 投稿番号: [311 / 7270]
「ロシヤにおける広瀬武夫」、「アメリカにおける秋山真之」(朝日新聞社)がおもしろいですね。

同時期にロシアとアメリカに留学(?)していた両者を描いたものです。

司馬も坂の上の雲を書くについて、結構これを引用しています。

好古のえらいとこは、陸軍大将にまでのぼりながら、田舎に帰って中学校の校長になったことですね。陸軍経験者の比喩によると、大手銀行の頭取をやった人間が、田舎の信用組合の組合長になるようなもの、とかいってました。そのひとも、社会的地位などにはまったく拘らない好古はえらい、という評価でした。

>>>天皇陛下万歳

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 17:17 投稿番号: [310 / 7270]
岡崎城主・水野忠善

ちょっと調べてみました。水野忠政の次男が忠守。その忠守とその子忠元は下総山川の城主でしたが、
忠善の時、駿河田中、三河吉田、三河岡崎の城主と変わっています。

本家ではありませんが、後の水野忠邦などを輩出してますね。

生まれたのは慶長一七年(1612)、延宝四年(1676)没。

大阪夏の陣が慶長二十年(1615)ですから、生まれた頃はまだかなり、戦国の遺風が残っていた
でしょうね。

>蕭々十三年

この蕭々という文字は実に言いえて妙ですね。ユスラさんのダイジェスト版からでも
その切ない一三年間が伺いしれます。

>これは戦時中に書かれた作品です.この作品を読んで,自分が「奉公」の
>意味を全く理解していなかったことを思い知りました.奉公の対象は社会
>なんですよね.

滅私奉公なんて言うとちょっとぞぞっとする人もいるかと思いますが、ある特定個人
への忠誠なんかは「奉公」にはならないということなら理解出来ます。

公に捧ぐと書いて「奉公」なんですね。

これから暫くは、個人的にはこの「高い公共心」がテーマになりそうです。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」

投稿者: j_ururu 投稿日時: 2003/09/12 16:14 投稿番号: [309 / 7270]
今、読み途中です。

漫画も出てますね。

正岡子規のキャラがあまりにも病的な感じがしました・

>やはり水戸学なのかなあ

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 15:46 投稿番号: [308 / 7270]
すみません。こちらにレスつけるつもりがなんでか自分にレスしてる。

自分にレスしてどうすんじゃ(爆

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

>しかし、明治帝も「玉(ぎょく)」と呼ばれて、幕府と薩長の奪い合いになったのですからね。

当時、それほど大事にはされなかったというのは、あくまで個人的な感覚です。

その薩摩は鳥羽・伏見の時に先端が開かれれば「一発直様、玉を移」すことまで考えていたと
言われています。

まあ、確かに危険なところから安全なところへ避難させるのだとう心配りともみれますが、
これは天皇が幕府側に移ったら困るというのも大きな理由でしょう。うがった見方をすれ
ば簡単に玉体を移せると確信していたということにもなるんじゃないと思うわけです。

いくら倒幕の雄藩とは言え、当時は未だ一地方の藩が「一発直様、玉を移」すと考え、かつそ
れを実行できると思っていたところがあまり大事にされていなかったと考えた根拠なんです。

これは賛否あるところと思いますが、

>禁門に対する意識は時代とともにずいぶんと変わってはいるでしょうが、

ということですし、また、この時は権力闘争真っ最中のことですし、それらを斟酌しなけば
ならないし。

いろいろと見方考え方はあると思います。

>詔書が手許に届いてから、初めて将軍を名乗れたのですしね。

>元号だって、幕府が「奏請」して決めていたとは言え、天皇の名において制定されていましたからね。

君臨はすれど統治はせずの日本的な形だと思います。勿論以前は天皇が権力の行使者であった時代も
ありますが、この階層的な統治機構は日本的な優れたものだと思います。

統治の求心力と言えばいいのでしょうか。むしろ権力から乖離した部分で、その権力の源泉として
の権威を保つということが極めて日本的な優れた政治的システムだと思います。

本来なら暗澹たる権力闘争がある意味を持つ方向に収斂されてきたのはこのシステムがあればこそ
といったらすこし褒めすぎでしょうか

>日露戦争の秋山真之、広瀬武夫

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 15:39 投稿番号: [307 / 7270]
>自分たちは江戸時代の人間ではない、というようなことをいっていたと思う(江戸時代の人間の真似はできないという尊敬を込めて)

随分昔ですが、「坂の上の雲」は読みました。だいぶ忘れていますが。

兄の秋山好古の方はあきらかに武人だと思いました。この人のイメージは古武士ですね。
どちらかと言えば「しん」さんの方が華奢で繊細なイメージです。

広瀬武夫は随分ともてたそうですね。

>>そうでしょうね

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 15:21 投稿番号: [306 / 7270]
>しかし、明治帝も「玉(ぎょく)」と呼ばれて、幕府と薩長の奪い合いになったのですからね。

当時、それほど大事にはされなかったというのは、あくまで個人的な感覚です。

その薩摩は鳥羽・伏見の時に先端が開かれれば「一発直様、玉を移」すことまで考えていたと
言われています。

まあ、確かに危険なところから安全なところへ避難させるのだとう心配りともみれますが、
これは天皇が幕府側に移ったら困るというのも大きな理由でしょう。うがった見方をすれ
ば簡単に玉体を移せると確信していたということにもなるんじゃないと思うわけです。

いくら倒幕の雄藩とは言え、当時は未だ一地方の藩が「一発直様、玉を移」すと考え、かつそ
れを実行できると思っていたところがあまり大事にされていなかったと考えた根拠なんです。

これは賛否あるところと思いますが、

>禁門に対する意識は時代とともにずいぶんと変わってはいるでしょうが、

ということですし、また、この時は権力闘争真っ最中のことですし、それらを斟酌しなけば
ならないし。

いろいろと見方考え方はあると思います。

>詔書が手許に届いてから、初めて将軍を名乗れたのですしね。

>元号だって、幕府が「奏請」して決めていたとは言え、天皇の名において制定されていましたからね。

君臨はすれど統治はせずの日本的な形だと思います。勿論以前は天皇が権力の行使者であった時代も
ありますが、この階層的な統治機構は日本的な優れたものだと思います。

統治の求心力と言えばいいのでしょうか。むしろ権力から乖離した部分で、その権力の源泉として
の権威を保つということが極めて日本的な優れた政治的システムだと思います。

本来なら暗澹たる権力闘争がある意味を持つ方向に収斂されてきたのはこのシステムがあればこそ
といったらすこし褒めすぎでしょうか。

>>天皇陛下万歳

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/12 14:56 投稿番号: [305 / 7270]
>う、何がおきているのだ・・・同じ投稿がずらーとならんだ画面はちょっと引きましたよ(笑

あれは枕詞と申しましょうか,あのトピでのお約束と申しましょうか(笑)

>ユスラさんには釈迦に説法ですが、

とんでもないです.僕もここでは勉強させてもらってるし,面白い
本も色々と紹介して貰えて有り難く思っています.

>天皇陛下個人に対する忠誠競争はなかったと思っています。もちろん政治機関と
>して天皇というものを眺めるとなかなか難しくてここで簡単には論じることはで
>きませんが、現在の象徴天皇とこの当時の天皇がまるで別物という意識はありま
>せん。

全く同意します.この書込みを見て思い出したのですが,山本周五郎の
短編に「蕭々十三年   (しょうしょうじゅうさんねん)」という作品が有り
ます.岡崎城主・水野忠善への奉公の熱心さの余り遠ざけられた家臣,
天野半九郎が主人公なのですが,彼は,あんなに熱心に奉公したのに何故
遠ざけられたのか,どうしても理解できず,思い余って鷹狩中の藩主に
直訴します.このときの藩主の答えはこのようなものでした.

「家中全部が同じ心になり互いに協力して奉公すればこそ家も保つが,もし
おのおの我執にとらわれ、自分いちにん主人の気に入ろうとつとめるように
なれば、やがては寵(ちょう)の争奪となり、五万石の家は闇(やみ)となって
しまう」

これを聞いて半九郎は自分の間違いを悟り,身を隠します.

それから13年後,城が大火に見舞われます.火の手は焔硝蔵にまで達し,
蔵の中の火薬に引火するのは時間の問題と思われました.悪いことに蔵の
高窓が開いていたのですが,既に火の手が迫っているため危険で締めること
もできません.

その時,一人の男が焔硝蔵の高窓に飛びつき,窓を閉めたかと思うと,窓の
合わせ目にぴったりと張り付き,わが身を呈して熱の侵入を防ぎました.
お陰で焔硝蔵への引火は避けられ,藩は救われます.男は窓にしがみついた
まま絶命します.

鎮火後,この話を聞いた城主・水野忠善は,身を挺して焔硝蔵を守った
のは誰なのか,と尋ねますが,城下に行方不明者は一人もおらず,城外の
人間としか考えられない,との答えです.これを聞いて彼は,「ああ,半九郎,
お前なのだな」と確信します.

これは戦時中に書かれた作品です.この作品を読んで,自分が「奉公」の
意味を全く理解していなかったことを思い知りました.奉公の対象は社会
なんですよね.

玉は、別に蔑称ではないという説も

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/12 14:31 投稿番号: [304 / 7270]
ありますね。

王の隠語として使っただけとの説。

>>>天皇陛下万歳

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 14:30 投稿番号: [303 / 7270]
>そして   父母がいる家族   家族のいる故郷   故郷のある国・・・
>それらすべてを一つに収斂した言葉が「天皇陛下万歳」
>だったのじゃないでしょうか?

そのとおりだと思います。

なんのために戦ったのかなんですよね。

愛すべきもの、まもるべきもの達のためなんですよね。

じゃなければ、日本人は本質的に戦えない民族だと思っているのですが・・・

やはり水戸学なのかなあ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/09/12 14:23 投稿番号: [302 / 7270]
>戊辰の役の時の明治帝の扱いをみるとその当時はそれほど大事にはされなかったような・・・

しかし、明治帝も「玉(ぎょく)」と呼ばれて、幕府と薩長の奪い合いになったのですからね。
幕末には、幕府も討幕派も、やたらと「皇国」という言葉を使い、どちらも非常に勤皇的でしたよね。
「日本で王土たらざるはなく、日本人民で赤子たらざるはなく」という言葉がよく使われました。

遠くは、室町将軍足利氏も、自分の権力基盤が揺らぐと、「錦の御旗」を奏請して下賜され、反対派の討伐を実施したりしましたしね。

>「君が代」「日の丸」なんて言うと、左の方から石が飛んできそうですがやっぱり、
千代に八千代になんですかね。

欲しいものは全て手にしていた徳川将軍だって、就任の際には、「権大納言源朝臣○○ 勅件人選為征夷大将軍者」と書かれた詔書が手許に届いてから、初めて将軍を名乗れたのですしね。
これは大きい事です。
元号だって、幕府が「奏請」して決めていたとは言え、天皇の名において制定されていましたからね。

日露戦争の秋山真之、広瀬武夫

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/12 14:21 投稿番号: [301 / 7270]
あたりは、明治元年頃のうまれだったかなあ。年齢と明治の年が一致するからわかりやすい。(広瀬の方が一つ二つうえだったかもしれない)

自分たちは江戸時代の人間ではない、というようなことをいっていたと思う(江戸時代の人間の真似はできないという尊敬を込めて)

やはり、明治元年頃生まれの学生を主人公にした久米正雄の「学生時代」の中の一編で、作者は、主人公に「自分は遅れてきた者」といわせている。
「彼はつくづく明治の世に生まれたことを悔いた。それは赤手をもって一世を蓋うような大業を成就するにはあまりにも整いすぎていた・・・・・」

おそらく、明治維新に参加できず、その後の欧米文化の大流入期にも先駆者としてなんら貢献できなかったというようなことかな。



>この高度な公共心

吉田松陰が若年のころ、おじから田んぼの脇でで講読をうけているときに、汗が顔に垂れて痒いので掻いたら、死ぬほどなぐられた。「お前が今勉強しているのは他者ため。顔が痒いというのは個人のこと。個人のことのために他者をないがしろにするか.それでも侍の子か」というようなことだったかなあ。

>そうでしょうね

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 14:13 投稿番号: [300 / 7270]
>元来日本以外ではなかなか君主イコール国家・民族というコンセプトは無かったのではないでしょ
>うか。

禁門に対する意識は時代とともにずいぶんと変わってはいるでしょうが、
戊辰の役の時の明治帝の扱いをみるとその当時はそれほど大事にはされなかったような・・・

それでも権力闘争のキーとして錦の御旗は必要だったんですよね。

これは一体何を意味するんでしょうか。

「君が代」「日の丸」なんて言うと、左の方から石が飛んできそうですがやっぱり、
千代に八千代になんですかね。

愛新覚羅溥傑は

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/09/12 14:09 投稿番号: [299 / 7270]
>「天皇(皇后)陛下=父母」とした考えもあったように思います

溥傑は、日本の陸士に留学してこれを知り、「この日本の忠と孝を一体化した考え方は、なるほどと感心した(満州でも採用したらいいのではないかと思った)」そうです。
つまり、中国なり朝鮮では、忠よりも孝の方が重要な場合が多いですしね。

>飢え死にしたのがいない

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/12 13:50 投稿番号: [298 / 7270]
乏しきを憂えず、
等しからざるを憂う。


文春今月号の「父が子に教える昭和史25のなぜ」も、それぞれの項目が短すぎる。まあ、しかたがないけど。

>>天皇陛下万歳

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2003/09/12 13:42 投稿番号: [297 / 7270]

>つまりわかり易く言い換えれば「天皇陛下万歳」は「大日本帝国万歳」の意味だ
ったんじゃないのかなということです

私が思うのには   この場合の天皇とは   自分を子供に見立てて
「天皇(皇后)陛下=父母」とした考えもあったように思います
そして   父母がいる家族   家族のいる故郷   故郷のある国・・・
それらすべてを一つに収斂した言葉が「天皇陛下万歳」
だったのじゃないでしょうか?

同様に   死後を見立てたのが「靖国で会おう」だったのじゃないかな?

あくまで   私見ですけど(^-^;

乱入失礼しましたぁ〜

そうでしょうね

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/09/12 13:28 投稿番号: [296 / 7270]
>つまりわかり易く言い換えれば「天皇陛下万歳」は「大日本帝国万歳」の意味だ
ったんじゃないのかなということです。

そうですね。
フランスのルイ14世は「朕は国家なり」と言ったとか言わなかったとか。
しかし、それは単なるルイ14世個人の自負心であり、元来日本以外ではなかなか君主イコール国家・民族というコンセプトは無かったのではないでしょうか。(他に例がありましたら、お教えいただければ幸いです。)

善し悪しは別にして、ですが。

>天皇陛下万歳

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 13:18 投稿番号: [295 / 7270]
久しぶりに覗いた掲示板、トピ主殿の投稿を検索してみれば・・・

う、何がおきているのだ・・・同じ投稿がずらーとならんだ画面はちょっと引きましたよ(笑
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


>明治から戦前までの日本人の価値観,倫理観は,武家社会をモデル
>として構築されたと信じているんですが

ユスラさんには釈迦に説法ですが、日清・日露を戦い抜いたのは紛れもなく江戸人
ですよね。

つまり、ありとあらゆる面で近代日本の基礎を作り上げたのはこの江戸時代に生まれ、
教育を受けた人たちなんですよね。

そのあたりの人たちの影響力がなくなるにしたがってどうも妙なことになっていって
しまった・・・そんな気がします。

もっと言えば、戦後の高度経済成長をなんとかなしとげて日本を豊かにしたのは、
これまたまぎれもなく戦前に生まれ、戦前の教育を受けた人たちなんですよね。
その世代が現役引退するにしたがってやはり日本は妙なことになりかけている・・・

>核家族化により日本の社会単位は末端から解体され,個人が
>社会とのかかわりの中で個を確立するという「アジア的個人主義」が
>破壊され,「戦後民主主義」がこれに取って代わり,同時に日本人の
>高度な公共心が無くなりつつある,という流れなんでしょう.

この高度な公共心というのがキモですね。これっていったい何に源泉を求めれば
いいのでしょうか。日本の武家社会(特に江戸時代)はきわめて日本的な価値観を
醸成させたわけですよね。

それで、この高度な公共心とはこの武家社会におけるモラルのある部分を源泉と
しているんじゃないのかなと推測します。ある部分と濁しているのは、今の私の
知識と表現力ではそれを詳らかにしようとすると誤解を招く恐れがあるのでここ
では試みませんが・・・

ただ、アジア的個人主義のもつベクトルはなんとか理解できそうです。

>戦前のこういう価値観を理解しないと,「天皇陛下万歳」ひとつ
>取ってみても理解できないですよね.

天皇陛下個人に対する忠誠競争はなかったと思っています。もちろん政治機関と
して天皇というものを眺めるとなかなか難しくてここで簡単には論じることはで
きませんが、現在の象徴天皇とこの当時の天皇がまるで別物という意識はありま
せん。「輔弼」と「助言と承認」の違いはありますが、基本的には権力の行使者
ではないと思うからです。

つまりわかり易く言い換えれば「天皇陛下万歳」は「大日本帝国万歳」の意味だ
ったんじゃないのかなということです。

さらに、言うと天皇陛下個人のためだけに戦場い赴いたり、特攻した人はいなか
ったろうということでしょうか。

>>この上戦争なんか望んでいなかった

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 12:28 投稿番号: [294 / 7270]
兎亀蝸牛さん、どうもレスありがとうございます。こちらのトピに投稿されているのは
存じておりましたが、やり取りをさせていただくのは初めてですね。どうぞ、宜しくお願いします。

>戦前を語るのはかくの如く難しい。何しろ敵は幾万だからね。細かいディテールをつ
>みあげなければ納得してもらえない。

細かいディテールとは馬から落馬みたいですが、ここは突っ込まず、この積み上げると
いうのが厄介ですよね。かなり地味な作業だし、時間もかかる。でも、それをすっ飛ばすと
結論ありきになってしまう。

>ふと見た電信柱に落書きが・・読めば『不穏な』内容が書いてある。
>しめた!明日からはこれを集めて報告書にしよう・・そんな姿が私には浮かんでくる」

この、「しめた!」は秀逸ですね。(笑

特高警察のおまわりさんといっても(官憲)サラリーマンなんですよね。家に帰れば女房もいる、
腹をすかした子供いるかもしれない。

この時代ですから、いまより父権は強いにしても、察するものがあります。

この本音といおうか、本当のとろこと言おうか、それが知りたいんですよね。もちろん仔細な
ことにこだわり過ぎるのは事象を矮小化すので慎みたいですが、先に結論ありきはもっと慎みたい。

こんなディテールを少しずつ積み上げていって自然と自分の中に形成される心証を大事にした
いですね。

> 鶴見   俊輔
>戦時期日本の精神史   1931〜1945

参考にさせていただきます。

それと気になっているのはこの精神史と同様に生活史も大事に考えるべきだと思うのです。

この山本翁の話で、(この翁はいいですね)戦争中とはいえ本土爆撃以前はそれなりに
余裕があったことが伺えます。それに、飢え死にしたのがいないということはとっても大事な
情報です。一部では戦前の日本と現在の北朝鮮は同じだみたいな話がでますが、まるでそれは
違うということの一端でしょう。

どうも、戦後の私たちはロクな証拠集めもせず、安易な裁判をしていいかげんな判決に踊らさ
れてきた、そんな気もしますね。

それで、ひとつこのあたりをぼつぼつ詳らかにしたいと思う今日この頃です、ハイ。

なんかこちらもとりとめがないですが・・・・(苦笑

>日本的感覚での韓国の魅力

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/12 10:27 投稿番号: [293 / 7270]
>・・・なんか、絶望的な気分になってます。
>   日本的感覚での韓国の魅力って何かありそうに思うんですが・・・。

まあ,こういうのは理屈じゃないですし,毒ごと愛せばいいんじゃないでしょうか(笑)
僕は最近,2ちゃんねる等によく登場する韓国ネタのアスキーアートを
見る度に,愛おしさが湧き上がってくるようになってきました.

まあ,国としてどう,よりも,個人と個人の繋がりから得られる印象の
方が遥かに強いので,その点で恵まれてきた僕としては,どうしても
嫌韓にはなり切れないです.
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