>やはり水戸学なのかなあ
投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/12 15:46 投稿番号: [308 / 7270]
すみません。こちらにレスつけるつもりがなんでか自分にレスしてる。
自分にレスしてどうすんじゃ(爆
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>しかし、明治帝も「玉(ぎょく)」と呼ばれて、幕府と薩長の奪い合いになったのですからね。
当時、それほど大事にはされなかったというのは、あくまで個人的な感覚です。
その薩摩は鳥羽・伏見の時に先端が開かれれば「一発直様、玉を移」すことまで考えていたと
言われています。
まあ、確かに危険なところから安全なところへ避難させるのだとう心配りともみれますが、
これは天皇が幕府側に移ったら困るというのも大きな理由でしょう。うがった見方をすれ
ば簡単に玉体を移せると確信していたということにもなるんじゃないと思うわけです。
いくら倒幕の雄藩とは言え、当時は未だ一地方の藩が「一発直様、玉を移」すと考え、かつそ
れを実行できると思っていたところがあまり大事にされていなかったと考えた根拠なんです。
これは賛否あるところと思いますが、
>禁門に対する意識は時代とともにずいぶんと変わってはいるでしょうが、
ということですし、また、この時は権力闘争真っ最中のことですし、それらを斟酌しなけば
ならないし。
いろいろと見方考え方はあると思います。
>詔書が手許に届いてから、初めて将軍を名乗れたのですしね。
>元号だって、幕府が「奏請」して決めていたとは言え、天皇の名において制定されていましたからね。
君臨はすれど統治はせずの日本的な形だと思います。勿論以前は天皇が権力の行使者であった時代も
ありますが、この階層的な統治機構は日本的な優れたものだと思います。
統治の求心力と言えばいいのでしょうか。むしろ権力から乖離した部分で、その権力の源泉として
の権威を保つということが極めて日本的な優れた政治的システムだと思います。
本来なら暗澹たる権力闘争がある意味を持つ方向に収斂されてきたのはこのシステムがあればこそ
といったらすこし褒めすぎでしょうか
これは メッセージ 302 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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