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>この上戦争なんか望んでいなかった

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/12 10:22 投稿番号: [292 / 7270]
暫く掲示板サボってました.トピ主なのにほったらかしで申し訳ないです.

>文春新書   誰か「戦前」をしらないか   夏彦迷惑問答   山本夏彦著

面白そうな本ですね.紹介頂き有難うございました.

>山本:あなた方に「戦前」を話して理解が得られないのは、ひとえに言葉が滅びたからです。
>それは核家族が完了したからです。教育のせいです。

これは,日本人の価値観の崩壊のことを言ってるような気がします.
僕は明治から戦前までの日本人の価値観,倫理観は,武家社会をモデル
として構築されたと信じているんですが,これは社会との関係の中で
個人を確立する「アジア的個人主義」の倫理観で,その最小単位が家族
です.核家族化により日本の社会単位は末端から解体され,個人が
社会とのかかわりの中で個を確立するという「アジア的個人主義」が
破壊され,「戦後民主主義」がこれに取って代わり,同時に日本人の
高度な公共心が無くなりつつある,という流れなんでしょう.

戦前のこういう価値観を理解しないと,「天皇陛下万歳」ひとつ
取ってみても理解できないですよね.で,理解できないもんだから,
「洗脳されてそう言わされていたんだ」という安易な結論を付けて
安心し,そこで思考停止,というのが,よくあるパターンなんだと
思います.

>この上戦争なんか望んでいなかった

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/09/11 01:48 投稿番号: [291 / 7270]
  hontonokotoga_shiritaiさん   こんばんは。

  兎亀蝸牛と申します。

>大正(ご遠慮)デモクラシーより抜粋

  私も読んでました。「・・・ラーメン・・・」の項にある当時の消費生活などの話も面白いですね。

>「戦前戦中まっ暗史観」は社会主義者が言いふらしたんです。
  〜転向して牢屋にいない者も常に「特高」に監視されていた。

  まっ暗史観と特高に少し関係のありそうな文をご紹介いたします。
(著者名で拒絶反応が出る人がいるかも・・・因みに、岩波現代文庫です)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  鶴見   俊輔
戦時期日本の精神史   1931〜1945

  転向について
  〜略〜
  学生の間で流行語となったこの意味における「転向」が、治安維持法に基いて
不穏な言動の取り調べにあたっていた思想警察によって取り上げられることになりました。
治安維持法は1928年に改正公布されたものです。思想警察は急進派の大学生の考えを変えていく技巧を工夫して、転向のための技術を説く手引きの本を出版しました。転向は、投獄と拷問だけによってもたらされるものではありませんでした。池田克検事の書いた本によりますと、警察署長は、留置場から彼自身の署長の部屋に逮捕者を呼び出し、署長自身のイスに坐らせ、彼自身のポケットマネーからお金を出して、親子丼を外の店からとってやるべきだということです。(中略)食べているあいだに政治思想などのことについては何もいわないようにすべきだと書いてあります。ただ、きみのお母さんが心配しているよなどといえというのです。父親のことはあまりいってはいけないそうで〜略〜
  転向に対するもう一つの条件となったのは、日本の人民大衆が満州事変を熱狂をもって迎えたことです。彼らの身をすりへらしての献身の対象であった人民が、彼ら自身の信念にまったく反対の目標を支持していたのです。そのときに彼らの感ずる人民からの孤立の感情、隣近所の人々と彼ら自身の家族からの孤立の感情は、彼らに転向を決意させました。1942年に警察のつくった統計によりますと、〜略〜転向の理由について転向者自身が述べた動機はつぎのように分類されています。信仰上2,21%、理論的矛盾の発見11,68%、拘禁による後悔14,41%、家庭関係26,92%、国民的自覚31,90%。〜略。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

>彼自身のポケットマネーからお金を出して、

  さりげなく、公務員のあるべき姿も書いてあるのですね。

  昔、新聞(たぶん、朝日か読売)に載っていた随筆にこんな内容のものがありました。
  (何分、30年近くかそれ以上前のことなので大まかにしか覚えていませんが)
  「戦時中の特高警察は都内の落書きまで取締ったというが、当時、特高の刑事だからといって、
特配(特別配給)がつくわけでもなく、仕事の成績は上げなければならない。
一日中街を歩いて、今日も何も見つからなかった、上司になんと報告しようか・・
ふと見た電信柱に落書きが・・読めば『不穏な』内容が書いてある。
しめた!明日からはこれを集めて報告書にしよう・・そんな姿が私には浮かんでくる」

  書いた人の名前は覚えていませんが、戦時中に社会人の年齢になっていた人だと思います。

>核家族が完了

  山本翁の本にはよく登場する言葉のようですね。

  親子だけの家庭では「文化の伝承」は難しいのかもしれません。

  そういえば、池波正太郎も江戸時代生まれのお祖父さんかお祖母さんと同居で育ったとか・・

  なんだか、とりとめのない書き込みで済みません。

  きのう読み終わった本「韓国民に告ぐ!」金文学、金明学
  途中までの本「日本人と韓国人   なるほど辞典」コリアンワークス
  ・・・なんか、絶望的な気分になってます。
  日本的感覚での韓国の魅力って何かありそうに思うんですが・・・。
 

続き:この上戦争なんか望んでいなかった

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/06 09:16 投稿番号: [290 / 7270]
−−−どうしてです。

山本:国力が比較にならない、日米開戦の昭和十六年は満洲事変以来すでに十年たっている、
この上アメリリカと戦争するなんて出来っこないと、軍国少年はいざ知らず、大人は思っていた。
大衆は戦さに倦んでいた。日清日露、くだって満洲事変だって一年余りで終っている。

−−−大衆は賢かったんですか。

山本:賢くなんかないこと今と同じです。ただこの上戦争する力がないことだけはよく知っ
ていた。軍人だって知っていた。

−−−知っててどうして?

山本:「ハル.ノート」のせいです。日本軍は中国から全面撤退すべし、蒋介石政権以外は
認めないというハル・ノートは日本への最後通牒、宣戦布告ですよ。政府はそれを国民にかく
して発表しなかった。発表すれば、世論は開戦はやむを得ないと承知したでしょう。

−−−なぜ発表しなかったんですか。

山本:そんなこと知りませんよ。外交べたのまじめ人問ばかりです。僕なら「ハル・ノー
ト」受諾します、そして催促されたら一個師団朝鮮に撤退させます。当時の朝鮮はわが国だと
いうことは世界が認めています。さらに催促されたらもう一個師団右から左に動かします。国
際情勢は猫の目みたいに変ります。わが国に有利に動いた好機を捕えます。

−−−成程「世はいかさま」ですね。

山本:分ったかい。もう一人の山本さん、山本七平さんは十二月八日開戦の日、二階で寝て
いたら下からドンドン天井をつつかれて「オイはじまったぞ戦争が」と言われて「えっ、どこ
とどこが」と聞いたそうです。七平さんはインテリだよ。そのインテリだって「まさか」と思
っていた。あとは推して知るべし。

−−−それじゃ終戦は喜んだのですか。

山本:ほっとした。玉音放送は録音が悪くて雑音だらけだったが、北方でも南方でも直ちに
武装解除したのは、終戦を待ち望んでいたからです。のどまで出かかっていたから、「耐ヘガ
タキヲ耐へ、忍ビガタキヲ忍ビ」だけで分ったのです。分りたいことは分るのです。

−−−私たちの教わったのとはだいぶ違いますね。

山本:戦前を語るのはかくの如く難しい。何しろ敵は幾万だからね。細かいディテールをつ
みあげなければ納得してもらえない。時代考証ってのがあるでしょう。あれは昔のほうがやさ
しい。江戸時代は元禄と文化文政と幕末の三つで片づけられる、「暴れん坊将軍」なんて将軍
吉宗が刀を振り回している、絵そら事にきまつているから、時代考証もへちまもない。多少気
をつけるのは岡本椅堂の「半七捕物帳」くらいかな。明治はもう時代劇です。大正はまだおぼ
えている人がいるから気をつける。   ・・・以下略

この上戦争なんか望んでいなかった

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/09/06 09:15 投稿番号: [289 / 7270]
戦前の庶民の意識がどうであったか軽視論トビで話題になったので、最近読んだ本で少し関わりがありそう
なとろを紹介します。

文春新書   誰か「戦前」をしらないか   夏彦迷惑問答   山本夏彦著

インテリア専門雑誌「室内」に掲載されたインタビュー形式の記事をまとめたものです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大正(ご遠慮)デモクラシーより抜粋

山本:あなた方に「戦前」を話して理解が得られないのは、ひとえに言葉が滅びたからです。
それは核家族が完了したからです。教育のせいです。あなた方は戦前という時代はまっ暗だっ
たって習ったでしょう。「戦前戦中まっ暗史観」は社会主義者が言いふらしたんです。社会主
義者は戦争中は牢屋にいた、転向して牢屋にいない者も常に「特高」に監視されていた。彼ら
にしてみれば、さぞまっ暗だったでしょう。けれども杜会主義者はほんのひと握りです。転向
しなかった主義者は戦争が終った途端にアメリカ軍によって解放され、凱旋将軍のように迎え
られました。彼らは直ちに労働組合を組織してその指導者になりました。短期間ではあるが
「読売新聞」を乗っ取りました。労働者は唯々として従いました。社会主義には何より「正義」
があったから一世を風摩しました。「日教組」はその巨大な組合の一つです。手短にいうとそ
の教育で成功したものの随一は、古いものは悪い、新しいものはいい、でしょう。彼らは日清
日露の戦役まで侵略戦争だと教えました。戦艦陸奥、長門の名も事典から抹殺しました。僕は
それを「お尋ね者史観」と呼んでいます。

−−−そんな言葉はじめて聞きます。

山本:言い得てて妙でしよう。大衆はお尋ね者ではないから、その日その日を泣いたり笑った
りすること今日の如く暮してました。向田邦子は「嚢」という短編のなかで、私たち女学生は
もんぺはいて明日の命も知れないというのに箸がころんでも笑っていたと書いています。

−−−「箸がころんでもおかしい」は大袈裟じゃありませんか。

山本:そういうたとえがあるのです。昭和初年のエログロナンセンス時代は聞いているでしょう。

−−−言葉だけは聞いています。

山本:今のポルノ時代と同じですよ。往年のエログロ時代が来るべき戦争におびえてのもの
だと言うなら、今のポルノ時代も次の暗黒時代の前兆だと言い玉え。それなら承知する。来る
べき戦争というが、だれもアメリカと戦争するなんて思ってもいなかった。

このギャグ、

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/03 17:00 投稿番号: [288 / 7270]
前にもありましたねー。

まあ、中国でも黄河流域は猿はいないんじゃないかな。揚子江沿岸にはいたような。日本猿ほど「進化」したものじゃないみたいだけど。

半島の猿は

投稿者: saitama_dojin 投稿日時: 2003/09/03 15:42 投稿番号: [287 / 7270]
食べつくされてしまいました。

とかってオチはあり?

>労務慰安婦

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/03 15:20 投稿番号: [286 / 7270]
>道新   2003年   9月2日   朝刊

「困った地元紙」HPでも早速ネタにしてますね.

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/nippon/j4-02-150902.htm

もはや,確信犯じゃないでしょうか(笑)

>ニホンザル タイワンザル・・・

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/03 15:11 投稿番号: [285 / 7270]
>yusuraさん、それ、何が起きてるのですか?

すいません.つい癖で貼ってしまいました.

元はと言えば,シブラルが立てた,阪神地震は天罰だトピの削除申請を
Yahoo が受け付けないことが原因ですので,悪いのは yahoo ニダ!

そういえばヨーロッパも〜

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/09/03 02:59 投稿番号: [284 / 7270]
  猿類は棲息していない地域ですね。


>イギリス人が設計の面で日本軍に協力

  このトピにあまり関係のない話になりますが、
  旧日本軍の技術のルーツは米英仏のどの国が中心なのでしょう?
  技術将校で小池中将って云う人がいるのですが、
  旭川の連隊からフランスへ留学してますので、
  昔の軍ではどんな留学先があったのかなぁと・・・


  朝鮮半島に猿がいないとは・・西遊記の孫悟空にもつイメージも
  日本とはだいぶ違いそうです・・・むずかしいなぁ

  では、おやすみなさい。


嫌韓ホームページ発見!

投稿者: flank_b 投稿日時: 2003/09/03 02:58 投稿番号: [283 / 7270]
最近、NAVERのdoronpa氏が自分の掲示をまとめてホームページに公開しています。
討論の参考になる掲示が沢山ありますよ。

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/doronpatop.htm

猿の惑星

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/03 02:37 投稿番号: [282 / 7270]
の作者のピエール・ブールは、日本軍の捕虜になった経験で、日本兵をゴリラにたとえてこれを書いたが、おなじ作者の「戦場に架ける橋」もうそが多い、というのは韓国カテにもなんどかでた。

イギリス人が設計の面で日本軍に協力、などはまったくの嘘っぱち。日本には、独立した優秀な鉄道連隊がいくつかあった。建設にあたった元日本軍関係者が、あの映画はまったくの嘘っぱちと腹を立てたという話がある。

泰緬鉄道で実際に走っていた機関車が靖国に置かれている。

半島に猿はいない。

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/09/03 02:19 投稿番号: [281 / 7270]
で、、猿がめずらしい。日本人を猿とよびたがる。日本人は猿は可愛いから、猿と呼ばれても何ともないんだけど、といっても連中あほだから、わからない。

ラーマヤーナの中の猿(ハヌマン)は神のつかい。


ヨーロッパも確か、イベリア半島の一部を除いて猿はいないはず。

で、ヨーロッパ人は日本人を猿とよんだ。

日露戦争では、マカーキー。これはモンキーと同じ語源だろうなあ。

考えてみたら〜

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/09/03 01:39 投稿番号: [280 / 7270]
  向うで載せてもトピずれでした(アホです)↓
  (「女性のための〜」トピ向けかな?)


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000578&tid=kl3a4fbba4nbfm4va4oa4bda4sa4ja4k52a4 a8a4fa4a4a4ka4na4aba1a9&sid=2000578&mid=1213


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道新   2003年   9月2日   朝刊  

労務慰安婦
“加害者”に朝鮮民族も   (史実の発掘進まず)
<解説>
  札幌市教育委員会非常勤職員の8年がかりの調査で、道内での実態が明らかになった
労務慰安婦については、従軍慰安婦と異なり、これまで韓国でも問題となることはなかった。
その背景には、鉱山に送り込むなどした“加害者”に同民族の朝鮮人が含まれていたことが挙げられる。
  従軍慰安婦は、強制連行に旧日本軍が深く関与していたため、1990年代前半以降、韓国国内で大きな波紋を呼んだ。
一方、労務慰安婦の場合は、日本で料理店を営んでいた朝鮮人経営者らが女性達を鉱山に送り込んだばかりでなく、
慰安所の利用者の多くも朝鮮人の労働者だった。  
  労務慰安婦問題にスポットが当れば、日本の加害者責任追及だけでは済まず、自国民の責任追及も避けられなくなる。
歴史の発掘が進まなかったのは、この複雑な問題が絡んでいたからだ。
  とはいえ、労務慰安婦問題は、日本の植民地政策の中で多くの女性が犠牲になった点で、
従軍慰安婦と同根だ。日本、韓国においてさらに調査、研究が進められるべきだろう。
それだけに、今回の研究が、今後の日韓での研究推進のきっかけとなることを期待したい。
(報道本部   中務航志)

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「女性史」も「被害・加害」の視点からしか見なかったら・・・つまらんなぁ(溜息)
  (「勘違いジェンダー」ってのも、鬱陶しい人達だった・・)

>とはいえ、労務慰安婦問題は〜

  ま、いきなり編集方針が変わるはずもないか・・

ニホンザル タイワンザル・・・

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/09/02 22:46 投稿番号: [279 / 7270]
  前々から気になってることで、
  あまりに初歩的な(ついでにトピずれの)質問です。

  朝鮮半島には(本物の)サルは生息してるのでしょうか?
(そう云えば、コウライザルとか・・聞いたことないなぁ)


 
  >俺の生きる〜

  yusuraさん、それ、何が起きてるのですか?  

  流れの読めない、兎亀蝸牛

>トピ主ドコいった?

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/09/02 18:22 投稿番号: [278 / 7270]
俺の生きの目的ははあれの念願で身体まで震えてるよ。チンポを女性の肌に触らせたくて息が詰まるよ。お前は何か他に緊急特別説明し切れない高尚な思い出もござる?猿!
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ごめん,このトピのこと忘れてた.

大変だ

投稿者: it_no1_corea_well 投稿日時: 2003/09/02 18:17 投稿番号: [277 / 7270]
ボクみたいなネット初心者でも気軽に立ち寄れるトピが落ちてる。カキコすんの正直ドキドキもんだケド、がんばってアゲなきゃ。
トピ主ドコいった?ん?

いつも

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/08/28 02:16 投稿番号: [276 / 7270]
  資料を提示して頂きありがとうございます。

  そのHP、面白そうなところが満載で(こことか↓)・・う〜ん、憧れの暮し『引き篭り』(笑)

http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-79.htm


>読了後,触りだけでも紹介頂けたら有り難いです

  遅読な上、普段読み慣れない文章で・・と言うより、生い立ちなどの部分は結構面白いんですが、
個人の闘争史部分には興味が沸かない・・(それにしても、生真面目というか愚直というか、気の毒になりました。)

  結婚してぶち当たった嫁姑問題を民主主義で解決しようと思ったのが、
ボタンの掛け違いの始りかも・・(家庭の「民主化」だそうです)。

  先の私の投稿での

>家永三郎の学生だった年代を考えると、何かブルジョアの「負い目」が在ったかも知れません。

  ↑これですが、軍の縮小のため父親の恩給で一家が暮していたそうで、
大正の好景気時代は物価が上がって(恩給額は上がらない)相当苦しく
(子供2人に仕送り+病人も抱えていた・・うわ〜、きつそう)、
逆に大恐慌の頃の方が安定していた(恩給、下がらず)。

  ちょっと、意外でしたが、高度成長期の公務員の給料を考えると(民間の1/2以下?)
  軍人も公務員だったんだしなあ〜と考えてしまいました(笑)
  よって、金持ちの「負い目」はなさそうです。
 
 
  本のなかに「天皇制イデオロギー」という言葉がくり返し出てきます。
  そんなに気にしなくてもいいじゃないの家永さんって感じです。

  少し長いですが、結びのあたりを引きます。
  (打ちっぱなしなので読みにくいでしょうがご勘弁下さい)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


〜略〜私が逆コースの進行を見てようやく社会情勢に危機感を覚え、日本国憲法の理念を理解してこれを擁護しなければならぬと考えるようになり、積極的な社会的発言を開始した〜(略)敗戦直後の言論界の豹変に反撥するあまり客観情勢の認識において混迷に陥っていた私に立ち直りの機会を与えてくれたのは、「逆コース」という反面教師であった。(略)憲法を学んでいくなかで、新憲法の天皇条項の画期的意義がはじめてわかってきたのであった。(略)マルクス主義者ら反体制運動からの反天皇制の主張には反撥を感じてもそれに動かされることのなかった私は、これら法律学者の天皇論によって自分の天皇観を根本的に改める必要を感じるにいたったのである。

―略―上に引用した拙著「新日本史」の記述に示されているとおり、降伏後しばらくの間、私は天皇の「御聖断」によって戦争が終結したとの認識からぬけだせなかったのであるが、その後日本の降伏にいたる歴史的経過と天皇の戦争へのかかわりについて多くを学び知るようになってからも、天皇制批判を差し控えてきたのと同じ理由によって、天皇個人の戦争責任を問うことは意識的にさし控えてきた。
しかしながら、1975年10月31日におこなわれた天皇と日本記者クラブとの会談のテレビ放送を視聴し、「陛下は、いわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか、お伺い致します」という質問に対し、天皇が「そういう言葉のアヤについては、(略)お答えができかねます」と答えるのを耳にし、もはや沈黙しているのに耐えられなくなり、(略)〜間接的な形で天皇の戦争責任を問うたのであるが、さらに1985年公刊の『戦争責任』のなかで、はじめて正面から天皇の戦争責任を追及したのである。
  因みに、1988年刊行の『国史大辞典9』所蔵の「天皇」の項は天皇制の歴史を私の最新の視点から概説したものであることを付記しておく。(略)編集委員会では、時代別に複数の執筆者に分担してもらうという案もあったけれど、結局私一人に全体を書いてもらうことになったのであるという。何故私が執筆者として選ばれたのかはわからない。
(1990年)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

>何故私が執筆者として選ばれたのかはわからない。

  たぶん、本当にわからなかったかもしれませんが(ホント世間に疎そうだ・・)
  他の執筆者に全部断られたのでは・・
  ややこしい問題が起きがちな部分だし(右翼左翼・その他色々)

右傾化・・・?

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/08/27 18:28 投稿番号: [274 / 7270]
>と言いつつ,右だと言われても屁でもないけど,左だと言われると
>むっとしたりしますが(笑)

最近自分はどっちなんだろうって考えたら、あえて言えば

非左翼、反左翼、あたりが妥当な線かなと思いました。

いつだったから「軽視論」トピで右傾化の話題が出てましたが、
非左傾化、反左傾化・・・ですかね。

ウヨ、サヨなんていいかにすると、ヒサヨ、ハンサヨ、ですか。なんか妙な響きですね。

左の人から見れば、右傾化なので、少し右ですねと言われてもあまり抵抗
ないけど、「右翼」は抵抗ありますね。○○塾とか入ってないし・・・(笑

あ、それとついでですが、

>美女三千人,牛馬三千頭,でしたっけ.これを毎年.この話は
>いろんな所で目にしますが,出展は何なんでしょうね.

崔基鎬「韓国   堕落の2000年史」に丙子胡乱後の和約内容がかかれていてその中に、

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一、清に対して黄金100両、白銀1000両と二十余種の物品を歳幣(毎年納める金と品物)
   として上納すること.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

更に、

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
李氏朝鮮はその後(和約後)、19世紀に至るまで、清に毎年、全国から選ばれた美女である
妓生と宦官を貢いだ。これらの妓生と宦官は、清によって珍重された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

の記述があります。

二十余の物品の中に、馬、妓生、宦官が入っていたんでしょうか。奴隷なら物扱いでしょう
から。

この記述のもととなる文献などの紹介は特にないです。
しかし、三千人はいくらなんでも多くないですかねぇ。(溜息

あと、すこし話題がずれますが、

宦官が珍重されたのは、清の下層宦官達の下に意図的に差別階級を作るためだったん
でしょうか。

上に諂ってそのストレスを下に当たって晴らすというのはよくありますが、宦官は猛烈に
酷い階級社会だったのでその程度も酷かったらしいですね。で、その清の下層宦官の下に
意図的に差別階級を作り出すために、この宦官が珍重されたとしたら、その扱いは言語に
絶するものがあったような気がします。実際のところは解りませんが。

宦官列伝
http://www.toride.com/~fengchu/

緑茶さん,ようこそ

投稿者: green_tea490 投稿日時: 2003/08/25 12:17 投稿番号: [273 / 7270]
>はい.僕もこのHPのリンク集には引いてしまいました(笑)
>日本の動機の全てを「膨張主義,植民地拡大野心」と説明している
>点も,なんだかなあ,という感じです.当時の東アジアの情勢下で
>安全保証を行うための帰結としての膨張政策だったと思いますが,
>それを「野心」で片付ける乱暴さは,あれだけの資料を集める緻密さと懸け離れたものが有りますね.

ソレダw!
ウソ氏とやり取りしてて、「なぜにそんな結論【しか】でないんだろう?」
漠然と抱いていたズレはそこから来てたんですね。

>・・・と言いつつ,右だと言われても屁でもないけど,左だと言われると
むっとしたりしますが(笑)

禿げしく同じですw

悪い方にもっていったというより

投稿者: chonkanchigaiyarodomo 投稿日時: 2003/08/25 11:38 投稿番号: [272 / 7270]
  近衛文麿は単に時流に流されやすい人間だったということ。

  なんでもかんでも反対しないで「そうせぇ〜そうせぇ〜」とやってた凡相だったということ。

  もっとも、軍部独走に反対していたら彼は暗殺されていたと思う。

  あの東条さんですら、首相になってからは関東軍の独走に悩まされたぐらいだからね。

  東条さんは、首相になった以降は陛下の意向を受け日米戦を極力回避しようと努力したんだけれども、関東軍は独立性が強くなって満州撤兵など受け付けなかったんだよ。

  あの時代は誰が首相をやっても日米戦回避は不可能だったと思う。

外国国旗冒とく罪

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2003/08/25 11:13 投稿番号: [271 / 7270]
本当に適用されているんでしょうか?

誇らしげにアメリカや日本の国旗を焼いたり,冒とくしたりするネット新聞の記事を見ますが,
顔がバッチリ写っていて,あれってつまり韓国でもれっきとした犯罪者なんですね.

http://japanese.joins.com/html/2003/0822/20030822164029400.html

「北朝鮮国旗燃やした20代男性、審理へ」

道で北朝鮮北朝鮮国旗を2日続けて燃やした保守団体代表が21日、審理に送られることになった。

主人公は某市民団体の代表、イ・ジュンホ氏(32)。

イ氏は20日午後2時、青瓦台(チョンワデ、大統領府)前の道で1人デモをしている途中、突然、
北朝鮮国旗を取り出しライターで火を付けた。「金正日(キム・ジョンイル)に屈服した盧大統領は
目を覚ませ」としてピケを張っていたところだった。「今後、北朝鮮国旗を燃やさないという覚書を
書けば訓戒措置する」という警察に、イ氏は「私に何の罪があるというのか?」と拒否した。

北朝鮮は国内現行法上国家として認定されず、「外国国旗冒とく罪」が適用されない。

警察は苦肉の策としてイ氏に軽犯罪処罰法を適用し、5万ウォンの反則金を賦課した。道で事物を
燃やし、他人に不安感を与えたという理由だ。

イ氏は21日「燃やしたのが問題なら、破いたものはどのようにするのか見てみよう」とし、再び
青瓦台前に出た。今度は北朝鮮国旗を取り出すことすらできず、検問中だった警察に押収された。
「イ氏が前日、軽犯罪処罰法を違反した前例があり、犯罪予防義務条項を履行したもの」ということ
が警察の説明だ。

>李氏(李朝?)朝鮮

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/24 10:14 投稿番号: [270 / 7270]
>「かつては」相当に「繁栄していた」街の様に見えます。
>   そのようなところがあの写真にあるような様子になるには、
>どれくらいの期間に、どのような事が起きたのでしょう?(飢饉?戦乱?)

その辺の歴史については下記が興味深かったですので紹介します.

http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-100.htm

http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-101.htm

>未発表原稿の「私と天皇制、天皇」が併録されています。
>   ↑読む人が読めば「意外!」満載かも知れません。
 
読了後,触りだけでも紹介頂けたら有り難いです.

>朝鮮の朝貢

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/24 10:06 投稿番号: [269 / 7270]
>朝鮮は清に対して毎年3000人の女性を貢いでいたという話を聞いたことがあるのですが、
>これは事実でしょうか?

美女三千人,牛馬三千頭,でしたっけ.これを毎年.この話は
いろんな所で目にしますが,出展は何なんでしょうね.

どなたかご存知の方,教えてください.

緑茶さん,ようこそ.

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/24 10:02 投稿番号: [268 / 7270]
そんなに緊張させるような悪いことした覚え無いんですが   (^^;

>ここってウソ氏のHPですよね。
>かの方とはチョコっとだけやり取りしたことあるのですが、
>膨大な知識・文章構成力のある方で、勉強にはなるのですが、
>多少?主観が強い方で、たまに妙なHPを引張ってくる方ですw

はい.僕もこのHPのリンク集には引いてしまいました(笑)
日本の動機の全てを「膨張主義,植民地拡大野心」と説明している
点も,なんだかなあ,という感じです.当時の東アジアの情勢下で
安全保証を行うための帰結としての膨張政策だったと思いますが,
それを「野心」で片付ける乱暴さは,あれだけの資料を集める緻密さ
と懸け離れたものが有りますね.

ただ,イベントを時系列的に纏めた資料として,HP上であれ以上の
ものを目にしたことが無いのも事実です.

>内容によって、極めて左よりだったり右よりだったりのことが多いので、

本人は,右だの左だのを議論することそのものに興味を持っていない
ようですね.このスタンスは僕も賛成です.

と言いつつ,右だと言われても屁でもないけど,左だと言われると
むっとしたりしますが(笑)

李氏(李朝?)朝鮮

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/08/24 03:16 投稿番号: [267 / 7270]
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=511772&work=list&st=&sw=&cp=1

↑ここの写真について以前から???に思っていることです。

  併合前のソウルの様子は確かに自慢出来るとは思えませんが、
「かつては」相当に「繁栄していた」街の様に見えます。
  そのようなところがあの写真にあるような様子になるには、
どれくらいの期間に、どのような事が起きたのでしょう?(飢饉?戦乱?)

  年表によれば李氏朝鮮は15〜19世紀の約400年とあります。
  この間、中国では17世紀に明と清が入れ替わっていますが、
  元に代わって明が出来たころに高麗も李氏になっている・・・
まさか、清に服属決めて以降、国の運営ろくにしなかったなんてことありますか?
  (日本は戦国時代でも領地の整備、運営には熱心だったような・・「信玄堤」とか「楽市楽座」とか)
「両斑」が制度として上手く機能していた時代はなかったんでしょうか?


  yusuraさんへ  

  家永三郎のことが気になったので文庫本を買ってきました。
  「一歴史学者の歩み」(岩波現代文庫2003年5月16日初版)
  未発表原稿の「私と天皇制、天皇」が併録されています。
  ↑読む人が読めば「意外!」満載かも知れません。
 
  私は遅読なのでなかなか読み進めませんが、
  同世代の山本夏彦の戦前に関する文を思い浮かべながら
  ちびちびと読んでおります。

>資料集を紹介してください…横〜

投稿者: green_tea490 投稿日時: 2003/08/22 12:04 投稿番号: [266 / 7270]
はじめまして、御無礼会幽霊会員の緑茶と申します。
ユスラさんに横するのもおこがましいとは思いますが、

>大東亜戦争に至る過程については、下記に詳しく纏められています。
このHPの管理者は Yahoo 掲示板でも目にすることができますが、
僕は直接やり取りしたことはありません。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1252/taiheiyou1.html


ここってウソ氏のHPですよね。
かの方とはチョコっとだけやり取りしたことあるのですが、
膨大な知識・文章構成力のある方で、勉強にはなるのですが、
多少?主観が強い方で、たまに妙なHPを引張ってくる方ですw
(・・・半月城氏のHPを紹介されたときには萎え萎えにww・・・さすがに、そのHPでは知識の源泉が疑われますよとカキコした記憶が・・・。)

内容によって、極めて左よりだったり右よりだったりのことが多いので、そのあたり考慮する必要のある方かなっと追加でw。

(・・・ふぅ〜ユスラさんにカキコは緊張するw)

>うん、そこなんだよな

投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2003/08/22 01:23 投稿番号: [265 / 7270]
>たまたまその時に首相をやった東条が戦争責任者として裁かれるなど愚の骨頂。東条は被害者だよ。

  これは同意。

>誰が首相をやっても同じ結果だったろうな。

  いや、近衛文麿は物事を悪い方へ悪い方へと持っていったと言えないでしょうか。

石原莞爾は師団長レベルじゃないの

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/08/21 18:48 投稿番号: [264 / 7270]
天才的戦略家などからはほど遠いとおもう。

世界的レベルの戦略をやるには、人をうごかさにゃならん。

人が付いてこないようでは何もできない。

ま、人間関係は複雑な面もあるけど。

石原をコケにした武藤章が、のちに東條にきらわれてスマトラにとばされるけが。

うん、そこなんだよな

投稿者: chonkanchigaiyarodomo 投稿日時: 2003/08/21 18:02 投稿番号: [263 / 7270]
>それをしたとしても、米国の要求がエスカレートしていくことは明らかですから、いずれは衝突したような気がします。

  俺もそんな気がする。

  つまり、満州を建国してからは誰がどうやっても日米戦争を避ける手だてはなかったと思う。

  たまたまその時に首相をやった東条が戦争責任者として裁かれるなど愚の骨頂。東条は被害者だよ。
  誰が首相をやっても同じ結果だったろうな。

  俺は石原莞爾を評価していないよ。
  自分で日米戦争の原因を作っておきながら、「日米戦回避論」など矛盾もいいところ。

  むしろマルクスが主張する史的唯物論(歴史は物的生産力の増大により必然的に動く)の方がわかりやすい。
  この立場に立てば、日米戦は明治維新以来、富国強兵策をとり続けた日本にとって必然だったことに気がつく。

  今のバカサヨはマルクスの歴史観を故意に歪め、あたかも軍部の意向だけで日米戦が起きたように主張するけれども、史的唯物論の立場からいうと、ありゃ間違いだよ。

凄いですね、このサイト

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/08/21 17:32 投稿番号: [262 / 7270]
>第一次大戦について膨大な資料を有するHPが有ります。
>面白いし、ちょっと経緯を調べるときに重宝します。

少し覗いただけだけど、ここ凄いですね。ビジュアルが豊富なのもいいな。

あと地図が結構必要ですね。戦闘詳細とかいってながら地図もなかったら
大笑いされそう。ブックマーク&購買リストに追加・・・


あとついでといってはなんですが・・・

>米国はそんなに待っちゃあくれなかった、というわけですね。

もし、待ってくれたりしたら・・・
いや、もうこれは妄想なんですけど、その間に大日本帝国が「核」をもてば・・・

我ながら怖い妄想をしてしいました。そうすると唯一の被爆国がほんのちょっとした
違いで・・・あ、止めます。妄想ですから。

この手の議論に参加するには私はまだ色々と足りないようなのでしばらく潜伏して
充電します。

>満州国を建国した時点で

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/21 16:13 投稿番号: [261 / 7270]
>日米決戦は既定の路線だったと思う。
>   満鉄の経営に米資本を参加させてでもいれば話は別だったかもしれないけれどもねぇ・・・

僕も、大東亜戦争を避けるとしたら、そのタイミングで満州の権益を
一部米国に分け与えることくらいしか思い付かないです。後知恵で
考えてもこれが限界。ただ、それをしたとしても、米国の要求がエスカ
レートしていくことは明らかですから、いずれは衝突したような気が
します。

満州事変の首謀者である石原莞爾も、日米の衝突は歴史の必然、と
考えていたみたいですね。それに備えるためにこそ、東亜経済共栄圏を
早急に整備して日本の国力を高める必要がある、と考えていたよう
です。ただ、彼の想定していた日米衝突は、当時から30年後なんです
よね。つまり、1960 年代。その間に、日本の国力を高めて、というのが
彼の戦略だったようです。

米国はそんなに待っちゃあくれなかった、というわけですね。

満州国を建国した時点で

投稿者: chonkanchigaiyarodomo 投稿日時: 2003/08/21 15:06 投稿番号: [260 / 7270]
  日米決戦は既定の路線だったと思う。
  満鉄の経営に米資本を参加させてでもいれば話は別だったかもしれないけれどもねぇ・・・
  日本にそんな気はなかったし・・・

  まあ、日米決戦は必然だったんじゃないの。

>資料集を紹介してください

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/21 14:00 投稿番号: [259 / 7270]
最近、再インストールしたばかりで古いブックマークが軒並み無いんですが、

#そういえば、句読点の設定もまだ変えてない。

第一次大戦について膨大な資料を有するHPが有ります。
面白いし、ちょっと経緯を調べるときに重宝します。

http://www3.kiwi-us.com/~ingle/index.html

その中で、日本関連は下記

http://www3.kiwi-us.com/~ingle/honbun-2/japans%20participation%20to%20ww1.html

あと、シベリア出兵も大事。

http://www3.kiwi-us.com/~ingle/sib/siberian%20expedition.html

大東亜戦争に至る過程については、下記に詳しく纏められています。
このHPの管理者は Yahoo 掲示板でも目にすることができますが、
僕は直接やり取りしたことはありません。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1252/taiheiyou1.html

資料集を紹介してください

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/08/21 13:19 投稿番号: [258 / 7270]
>手が打てるとしたら、こうなる前でしたね。国際連盟脱退後は、
>もう打てる手が無かったと思います。アメリカがやる気満々だった
>ので。

この当たりから各論の世界ですね。私は総論を卒業したとは思いませんが
そろそろこの各論にも触れたいと思っています。

暇があるときで結構なんですが、以下の公式スペック集のような資料を探
しています。要するに事典形式みたいな感じのものをイメージしています。
適当なものがありましたら、ご紹介願えませんでしょうか。

1)戦前の日本の国家組織とその運営について(朝鮮総督府も含む)

2)軍編成などについて

3)戦闘詳細(戊辰戦争〜大東亜戦争)

4)その他お勧め資料集

専門家ではないので一次資料までは手をだすことはないと思いますが、新書程度を
読むのでもただ単に読み流すのではなく、ある程度組織などの概要を踏まえる必要
がありますよね。

ちなみに人物単位では

日本歴史人物事典   (朝日新聞社)

などを使っています。(古書でしたが高いですね(ため息))

しかし、この手の本は高そうですね。ま、飲みに行くのと競馬を少し控えて、捻出
する予定です(苦笑

宜しくお願いします。

>>>靖国神社参拝報告

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/21 07:34 投稿番号: [257 / 7270]
>しかも、それを棄てれば、次々と要求はエスカレートしていくのは目に見えてます
>よね。どこまで毟り取られるかその先を想像するとなにか凍りつくようなものを感
>じてしまいます。

まったくその通りですよね。同意します。

満州の権益を全部放棄しろ。満州から撤兵しろ。そうすれば石油禁輸を
解いてやる、じゃなくて、

満州の権益を全部放棄しろ。満州から撤兵しろ。そうすれば交渉を
始めてやる

なんですから。

喩えれば、

さあ、ポーカーの相手をしてやる。ついては、始める前に、そちらの
切り札を全部放棄してくれたまえ。

って言われたのと同じです。

手が打てるとしたら、こうなる前でしたね。国際連盟脱退後は、
もう打てる手が無かったと思います。アメリカがやる気満々だった
ので。

朝鮮の朝貢

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2003/08/20 20:05 投稿番号: [256 / 7270]
別トピックでイルクジさんがカラユキさんのことで奮闘されていますが、
朝鮮は清に対して毎年3000人の女性を貢いでいたという話を聞いたことがあるのですが、
これは事実でしょうか?
ネットで調べて見たけどキーワードがダメダメなのか「大清皇帝功徳碑」にもそんな記述は
ないようですし・・・
ご存じの方お願いします。

それにしてもこの「大清皇帝功徳碑」って「日帝」が再建したんですってね。エグイなぁ。

>>靖国神社参拝報告

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/08/20 18:57 投稿番号: [255 / 7270]
>五分五分の視点から出発して歴史を振り返るという意味で言えば、大東亜戦争
>の発端は、日米間の中国利権争いですね。その利権に対する切実さは、日本の
>方が遥かに大きいし、そのために父祖が血を流しているわけですから、横から
>ひょっと出てきた、安全保障上の必要性も持ち合わせていない米国に譲る気に
>なれなかった気持ちも理解できます。

実はここが肝だと思いました。日清・日露と幾多数多の血を流してなんとか中国
に対する権益を得たわけですよね。もう、それは国の威信とかもあったでしょうが、
生き残るための悲痛なまでの決意の結果だと思うのです。

アメリカと戦争回避するにはこの権益を全て棄てる必要があったということになる
訳ですよね。これを棄てること自体当時の日本には無理難題なのは痛いほど解りま
す。

しかも、それを棄てれば、次々と要求はエスカレートしていくのは目に見えてます
よね。どこまで毟り取られるかその先を想像するとなにか凍りつくようなものを感
じてしまいます。

とどめは石油の備蓄が開戦時に2年分しかなかったそうですね。石油がなくなれば、
軍艦も戦車も戦闘機も全て動きません。アメリカに石油を依存していた日本の政略
・戦略の瑕疵もあるでしょうが、じゃあ、その石油が無くなったあとどうなるの?
ですよね。(この場合二年分はなんとか備蓄していたと言うのが正解なんでしょうが)

依存していたのは石油だけではないわけですから、事態の深刻さは日本海溝のように
深くなっていた訳ですよね。

言われるがままに、なすがままにしていたら最後は丸腰・丸裸日本ですか。当時、
丸腰・丸裸になるってことはどんなことに例えれば私達に理解できるんでしょうか。
これは比喩が浮かびません。

結論として言い方は悪いけどアメリカに嵌められた・・・最初の一発を撃たされた・・・

この点は感情抜きにして事実だと思いました。

美女軍団を・・・

投稿者: copypaperjp 投稿日時: 2003/08/20 18:16 投稿番号: [254 / 7270]
韓国入りした美女軍団を追っかけて、カメラで撮影してる韓国の男たちって・・・、やはりヲタはどこの国にもいるのですね。

>靖国神社参拝報告

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/08/20 17:43 投稿番号: [253 / 7270]
雨の中、お疲れ様でした。

>しかし、今回の参拝で靖国で強く感じたのは、戦わなければ独立国としての矜持は
>保てなかったということであります。

もっと有体に言えば、侵略する側かされる側かの二者択一を迫られた、という
ことでしょうね。で、日本は侵略する側を選んだ。

日本の安全を保障するためには朝鮮半島を押さえる必要がある。朝鮮半島を
押さえると、そこには日本人が住むようになる、もしくは住んでいる人が
日本人になる。そうすると、そこの安全も保障する必要が出てくる。半島の
安全を保障するためには満州を押さえる必要がある。だから満州の権益は
日本の安全保障上必須。ということでしょう。

>勿論日本に何の責任もなくすべて周りが悪かったから日本が戦争をしたなどと
>は思いません。また、侵略的行為により近隣諸国に少なからず迷惑もかけたこ
>ともあるかと思います。

日本国には国民の安全を保障する責任が有ったので、その責任を果たすために
満州の利権に拘り、結局泥沼的に戦争まで行ってしまったのだと思います。
日本は満州の利権を守るために、国際連盟から脱退までしたわけですから。

五分五分の視点から出発して歴史を振り返るという意味で言えば、大東亜戦争
の発端は、日米間の中国利権争いですね。その利権に対する切実さは、日本の
方が遥かに大きいし、そのために父祖が血を流しているわけですから、横から
ひょっと出てきた、安全保障上の必要性も持ち合わせていない米国に譲る気に
なれなかった気持ちも理解できます。

靖国神社参拝報告

投稿者: hontonokotoga_shiritai 投稿日時: 2003/08/20 14:22 投稿番号: [252 / 7270]
別トピでも書きましたが、少し天候が不順でしたが8月17日に靖国神社に参拝
に行ってきました。

過去、家族で行ったことはありました。家族で行った最後は8年前の終戦
50周年でした。私の父親の兄貴は徴兵され海軍にて戦死しております。
田舎では水兵姿の遺影が歴代の当主に混じって掲げられています。

実はサヨク史観から抜け出すきっかけは8年前の参拝でした。あの時初めて
遊就館にて特攻隊員達の遺書を目にしたのがきっかけでした。

これを確かに必要以上に美化することはできないけど、無駄死にだとか、犬死
だとかいっている連中の考え方は明らかに自分には受け入れられないと初めて
そのとき感じたのです。

それから8年間がたちました。仕事にかまけて中々時間がとれずにいましたが、
ようやくここ一年くらいは少しまとまって本なども読める時間が出来、自分な
りに積み上げて来ました。勿論専門家のような難しいことは解りませんが、淡
々とできるだけ事実を知るように心がけてきたことは事実です。

しかし、ここであらためて申し上げたいのですが、靖国神社側にたった歴史認識
も無条件で受け入れることは出来ません。勿論立場上、あのような歴史観を主張
するのは理解できますが、あれはあれで一つの視点として受け止めるべきだと、
個人的には思っています。

しかし、今回の参拝で靖国で強く感じたのは、戦わなければ独立国としての矜持は
保てなかったということであります。

当時、アジアで唯一の近代的独立国家であったのは日本だけであると言う事実。
日本は敗戦で連合国における占領統治は受けましたが、植民地としての歴史ない
のです。この有難さ。この誇り。これはいままで意識しませんでしたが、実はこ
れは大変なことだと今更ながら気が付いたのです。

勿論日本に何の責任もなくすべて周りが悪かったから日本が戦争をしたなどと
は思いません。また、侵略的行為により近隣諸国に少なからず迷惑もかけたこ
ともあるかと思います。

しかし、それらをひっくるめて五分五分の視点から出発して歴史を振り返る、
戦争の意義を考える、少なくてもその程度に自分は変化していることに気が
付きました。

自発的意思による靖国への参拝はその左に振れすぎた振り子を真ん中に持って
いくことの表れと自分では感じております。

そして、御霊へ捧げたのは、平和への感謝と不戦の誓いであることを報告致します。
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