美しい国日本

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シンガポール攻略

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/29 09:28 投稿番号: [122 / 402]
日本軍の快進撃はミッドウェイまでの6ヶ月間続いた。残りの3年間は悲惨な戦況に置かれた。
快進撃が短すぎるというなかれ、この間の胸のすく日本軍の勝利と、戦況が不利に転じた後も、随所で見せた頑強な抵抗が、500年も続いた白人の植民地主義に終止符を打つことになるのだ。
どうも、ハワイの話から離れてしまったが、もう少し時系列を追って[快進撃]を確認してみたい。

ちょうど100年前の1841年、英国はアヘン戦争を仕掛け、結果、九龍半島と香港島に極東における唯一の英海軍基地を設ける。
阿片戦役から100年目というアニーバーサリィに、悪の帝国の象徴とも言うべき英国香港行政区に対して、漢民族と同じ黄色い顔をした日本人が、今まさに英軍の白旗を要求していた。

英軍は10年前の1931年の満州事変以来、今日を期して九龍半島中央部に防御線を敷いた。ランダムに起伏する高地を緻密に連繋させた、考え抜かれた防衛線であった。英軍はそこに「ジン・ドランカーズ・ライン」と、彼ららしいユーモラスな命名を施した。
ウィキからこの攻防を転載する。
「9日夜、土井連隊長は第3大隊に夜襲の決行を命じた。20時30分、若林東一中尉の率いる第10中隊は255高地のイギリス軍陣地に突入し、3時間の戦闘の末これを奪取した。土井連隊長の独断専行を知った佐野師団長以下師団司令部は激しく動揺し後退を命じたものの、土井連隊長は司令部からの電話を切ってしまった。若林中隊はさらに前進し、10日1時には341高地まで占領した。
酒井軍司令官は急報を聞き激怒したが、この際、この機に乗じて所定の準備期間を待つことなく攻撃を開始しようと決断した。第1砲兵隊は準備未了の状態であったが10日午後から砲撃を開始しイギリス軍の主要な砲兵陣地を制圧、右翼の歩兵第230連隊も11日未明から攻撃前進を始め、同日昼までにジン・ドリンカーズ・ライン西側の主防衛線である366高地と256高地を占領した。11日12時、イギリス軍は香港島への撤退を発令した。」

日本軍の降伏勧告を一蹴した英軍は、香港島とヴィクトリア湾に浮かべた艦船から九龍の日本軍に砲撃を加えた。極東の、5千年続く支那の地において[ヴィクトリア湾]とは面妖な。
日本軍は上陸作戦を開始する。

孤立状態の英軍とすれば、頼みの綱は中国軍であった。
「イギリス軍は、在香港重慶軍事使節団長である陳策提督の「中国軍6万が国境に集結して日本軍を背後から攻撃せんとしている」との言葉を信じていた。」(ウィキ)
うそつきの達人英国もシナ人のうそにはかなわない。やつらは全身を使ってうそをつく。
日本軍はすでに38年、広東を攻略し、香港周辺の制空権・制海権は完全に日本軍のものとなっていた。さらに40年6月、深&#22323;を攻略しイギリスと中国との国境を完全に封鎖した。
それなのにどうして6万の国民党軍が香港の国境に集結し、日本軍の背後を襲うのだ!   信じた英軍もどうかと思うが信じさせたシナ人に驚嘆する。
ために、英軍の士気は落ちず、日本軍の降伏勧告を受け入れずに無用な死闘を演じ、双方ともに多大な犠牲を出した。

「香港島内における戦いで、日本軍は戦死683名、戦傷1,413名を出した。イギリス軍の遺棄死体は1,555、捕虜は戦闘間1,452名、戦闘後9,495名。
香港攻略戦のイギリス軍捕虜は11,000名。イギリス人が5,000名、インド人が4,000名、カナダ人が2,000名であった。捕虜の証言によれば、イギリス軍は半年間は持ちこたえる構えで食糧弾薬等を準備。だが香港はわずか18日間で日本軍によって攻略された。」(ウィキ)

かたやシンガポール攻撃が始まる。
英軍がジョホールバルとシンガポール島を結ぶ一本の人口堤道を破壊して閉じこもった姿は、堀の橋を落として篭城する敵を攻める、日本の攻城戦を思わせる。ために日本軍の攻撃は1週間おくれる事となる。
しかし日本の準備砲撃は熾烈を極め、対する英軍の砲は艦隊の船腹を貫くよう海に向けて設置してあったものを急遽陸地向けに設置し直したものだが、徹甲弾なので地上散会の日本軍には効果が薄く、おまけに爆撃機もなかったので、日本軍は激戦を味わいながらも着々と地歩を進めた。
激烈な戦闘は1週間続いたがついに、

「連合軍の食料と何種類かの弾薬はすでに底をつき始めていた。パーシヴァルは、指揮下部隊の司令官たちと協議したあと日本軍と連絡し、午後5時15分を少しすぎたころフォード自動車工場において、正式に山下司令官に降伏した。(この時山下がパーシヴァルに「イエスかノーか」と迫ったが、降伏の意思の有無を訊く為であって恫喝の類ではなかったとされている。)戦後、山下が戦犯として処刑される際、米軍はパーシヴァルをわざわざ呼び寄せ、山下の処刑を見物させた。」(ウィキ)

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/27 17:54 投稿番号: [121 / 402]
あげ

香港攻略

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/25 17:20 投稿番号: [120 / 402]
「1991(平成3)年12月、マレーシアのコタバルを首都とするケランタン州政府は、日本軍の上陸50周年を記念して特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立しました。その館長でケランタン州副知事のロザリー・イソハック氏はこんなふうに言っています。
[1991年、私達は日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤにとって、意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。私は、戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を、長く記憶に留めていただきたいと願っています。]

これが、日本軍のコタバル上陸に対するマレー人の評価だ。はたして、この[コタバル上陸50周年記念式典]のことを、どれほどの数の日本人が知っているだろうか、また、その戦争博物館を訪れた日本人は何人いるのだろうか。

マレー半島北端に上陸した日本軍は、1100キロの道程を英軍を粉砕しながら南下する。そしてわずか55日間という驚異的な速度で到達点ジョホールバルに到達する。英軍は全員マレー半島を捨てシンガポール島へ撤退し、ジョホールバルと島とを結んでいる一本の土手道を破壊した。英軍は篭城の構えを取った。

ジョホールバルまでの快進撃には、日本陸海軍の決死の敵前上陸もあった。いっぽうタイから進撃した陸軍は、小マジノ線といわれたジットラ陣地を攻略する。タイとの国境際にある同陣地は日本軍との戦闘を想定して半年の訓練を積んできた英印兵6千名と戦車90両で守られていた。それがたった1日、日本陸軍の一部隊581名の兵力で片付けたのである。
佐伯挺身隊の戦死27、戦傷83。英印軍の捕虜は1,000名以上であった。

実は、対米戦を主張していた陸軍は年初からマレー攻撃の猛訓練を行っていた。日本と連合国の戦機は、両陣営の周到な準備と演習の下ますます熟し、落ちるべきときに落ちたのである。
せっかくである、マレー戦役をもう少し辿ってみよう。

「馬や自転車を活用した日本軍であったが、重砲や車両の前進には橋梁の修復が不可欠であり、第25軍の進撃速度はすなわち橋梁の修復速度であった。この作業には各師団の工兵隊と独立工兵連隊とが文字通り不眠不休であたった。西海岸では舟艇機動も効果を発揮した。20人乗りの舟艇30隻を用意して運び込み、十数回にわたって海上をつたってイギリス軍の背後を奇襲した。」
「年が明けて1月6日、日本軍はスリムでイギリス軍の堅陣にぶつかった。ここで戦車第6連隊の島田豊作少佐は戦史に例のない戦車夜襲を決行する。7日午後11時からの夜襲により1日で全縦深を突破し、逃げ遅れた英印軍1個師団を包囲し壊滅させた。イギリス軍のクアラルンプール防衛計画は崩壊し、12日に同市は放棄された。」

しかし相手は近代兵器で訓練された先進国軍隊である。敗戦苦戦もないわけではない。
「1月14日にはイギリス軍を追撃中の向田支隊(戦車第1連隊基幹)がゲマスでオーストラリア第8師団の逆襲を受け壊滅するという一戦もあった。
19日、近衛歩兵第5連隊第2大隊はバクリで英印軍第45旅団と対戦し、大柿大隊長以下6割の死傷者を出しながらも英印軍を殲滅、第45旅団長を戦死させた。」
結果、
「日本軍は12月8日の上陸から55日間で、95回の戦闘を行い250本の橋梁を修復しつつ1,100キロを進撃した。海上機動も650キロに及んだ。日本軍の損害は戦死1,793、戦傷2,772。イギリス軍は遺棄死体5,000、捕虜8,000を数えた。」(以上ウィキ)

上記の他ユニークな自転車部隊、工作兵の獅子奮迅たる活躍、さらにマレー沖海戦による南シナ海の制圧など、緻密に練って大胆に実行した大本営の勇断、そしてそれにすべてこたえた日本兵士の資質という裏づけが、この勝利にはあった。

英軍にとって英領マレーに上陸された上、ジョホールバルまで占拠されるのは想定外のことだ。しかし、シンガポール要塞島はまさに日本軍の攻撃というこの日を期して備えられていた。

いっぽう、日本時間12月8日の日本軍の連合軍に対する攻撃はハワイ真珠湾、マレー・シンガポール、そして英国領の香港にも向けられた。
払暁、日本飛行隊は啓徳飛行場を奇襲、英軍機14機すべてを破壊。陸上でも奇襲を繰り返し、当初数週間と考えていた九龍島がわずか6日で陥落し英軍は香港島に撤退、迎撃の構えを見せる。
日本軍戦死22名、戦傷121名。イギリス軍の遺棄死体165、捕虜49名。

英軍は降伏勧告を拒否、逆に九龍進駐の日本軍へ香港島から砲撃を加えた。九龍占領で戦闘が終了すると考えていた日本軍は急遽香港島攻略の軍議を開始する。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/22 18:45 投稿番号: [119 / 402]
継続は力なり   其の弐

マレー上陸 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/21 15:29 投稿番号: [118 / 402]
マレー半島コタバルは敵前上陸となった。敵が、‘ござんなれ‘と待ち構えている防御ラインに挑むのだから攻める方の犠牲は大きい。しかも相手はゴリラに棍棒を持たしたようなシナ兵と違い、近代戦を科学的に処理でき戦闘慣れした英軍である。しかし日本軍は果敢に、そして執拗に挑み、激闘4時間、戦傷者700名、上陸用舟艇15隻沈没、損傷10という多大な対価の下海岸線の制圧に成功する。
翌9日、コタバル市を占領、11日には補給基地トンバット、12日はムロン、13日は航空基地タナメラと電撃的に部隊を進めた。

また別の2隊はタイ政府の許可のもと、同国南端の英領マレー国境近くに上陸した。

[11日アースンの国境陣地に入った佐伯支隊は、戦車中隊を先頭に交戦、約20分後にこれを突破、英軍が国境防御のため後方の要地に設けたジットララインに迫った。しかし、敵の砲撃は正確で第1中隊長以下多数の死傷者を出した。敵の砲火は峻烈をきわめるも我が軍はようよう第2線陣地の一角を占領。歩兵31連隊主力をもって夜襲を決意しその準備中、敵は突如全面的退却を開始し、帝国軍はあっけに取られながらも占拠に成功する。このジットララインは、インド第11師団の第6、第15旅団の守備する有力なる防御線であり、よもや1日で、しかも約600人の支隊が突破できるとは両軍とも驚かざるを得なかったと記録されている。
英軍兵力はインド第6、第15旅団からなる人員約5400名、戦車約90両
      英軍被害      500〜1000名(捕虜証言)
      英軍捕虜      1000名以上
      我軍の損害     戦死27    戦傷83
(戦史   マレー作戦   参照)」
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-mare1.html

コタバルに敵前上陸した部隊はマレー半島東海岸沿いを、タイに上陸した二隊は合流して西海岸沿いを南下、橋梁を破壊して待ち構える英印豪混成軍と熾烈な戦いを演じながら半島南端の町、ジョホールバルを目指す。そこからシンガポール要塞島まで一本の人口土手でつながっている。
シンガポールは英国東洋艦隊の本拠地であり、同国の東南アジア、中国支配の大本営であった。もし、わが軍が海から攻撃するとすれば、その英東洋艦隊を突破して、さらにシンガポール要塞からの巨大砲の対艦砲撃にさらされながらの上陸戦になる。
かといって、タイ国境付近からシンガポールまで1100キロある。しかも前述したように東西沿岸の二つの道路は左右が密林で250もの河川が進軍を遮る。英軍はこれらの川にかかる橋梁を一つひとつ破壊させながら防御すれば日本軍の進軍を食い止めるのは容易と考えていた。つまりマレー半島自体が一つの要塞なのである。

たしかに机上の計算では英軍の作戦は合理性を持つ。しかし日本軍としてはそれを承知のE作戦だ。蘭領インドネシアの石油、その他の戦略物資は連合国相手に戦端を開いた日本軍にとってなんとしても手に納めなければならない。日本軍は念密な作戦と演習を重ねた。

海軍は真珠湾攻撃のため航空魚雷の発射訓練を鹿児島錦江湾で重ねていたのと同時に、E作戦のマレー上陸部隊は海南島で進軍訓練を行っていた。同地は熱帯で道路は密林の中を突っ切り、条件がマレー半島と極似していたのだ。上陸隊はマレーと同距離の進軍訓練を実戦並みに消化していた。加えて日本軍は戦史に残るユニークな作戦を敢行した。[銀輪部隊]と称された自転車部隊だ。日本海軍は揚陸船に大量の自転車を積み込んでいた。重装備の歩兵に自転車を与えて迅速に行動させたのだ。以前より同地方には日本製の自転車が輸出品として出回っていたので、部品の調達も容易だった。開戦時のヒトラードイツが、オートバイを伴った機甲師団で電撃作戦を成功させたが、日本の場合は自転車だ。なんかほほえましい感もしないではないが、欧州人にとってはタタールの騎馬軍団のように恐ろしかったろう。勝てばいいのである。

結果として英蘭豪連合軍はマレー半島を横切る250の河川の橋梁、渡しなどのほとんどすべてを破壊した。そして日本の工兵隊はそのすべてを補修した。E作戦成功の最大の功労者はこの、やはり厳しく訓練され不眠不休の働きを演じた工兵隊だといって過言ではない。

もちろん日本海軍の働きも無比のものだった。日本艦隊と英国東洋艦隊はマレー沖で激突する。これに赫々たる戦果を挙げた日本軍は制海権と制空権を確保する。もし東洋艦隊が健在なら、マレーを南下する日本陸軍は海からの攻撃にさらされ、目的地到着は至難の業であったろう。

Re: 美しい国日本

投稿者: ahoroda333 投稿日時: 2008/04/20 22:21 投稿番号: [117 / 402]
あげます

マレー攻略戦

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/19 07:03 投稿番号: [116 / 402]
真珠湾に挙った無数の業火と黒煙は耐えに耐えた日本人の怒りの一太刀であり、その刃には、白人に収奪され呻吟する世界中の有色人種の怨念も込められていた。痛快なり、自らを神の子と称しながら血塗られたバイブルをかざし、カラードの膏血を絞りとっていた厚顔無類の白人の大物が、日本海軍の神業とも言える奇襲でのたうち回ったのである。

さて、ここで一つの大きなパラドックスを提示したい。
大航海時代以来の500年、世界中に惨禍をもたらした白人の植民地支配は、日本軍の連合国攻撃を端緒として終焉に向かう。まさに日本は世界史の一エポックの扉を開いたのである。
常識的にはその第一矢を[真珠湾奇襲]として、それを捉えてアメリカは‘宣戦布告なしのだまし討ち‘と日本を非難する。応えて日本は、‘あれは外務省の怠慢であって日本には宣戦布告前攻撃の意思がなかった‘と弁解する。これは事実に照らしておかしい。

日本は真珠湾攻撃と同時に死活的に重要な蘭印の資源を狙い、その障害である英軍のシンガポール要塞攻略を目指して「E作戦」を敢行していた。作戦は真珠湾攻撃と同様、やはり密とした。真珠湾攻撃と英領マレーへの上陸に時間差があってはどちらかが[奇襲]にならなくなる。だから大本営はハワイとマレーの時差も考慮して真珠湾攻撃とマレー上陸を同時刻とした。しかし結果としてマレー上陸は真珠湾攻撃の1時間50分前に実行された。戦史的にはここに大東亜戦争は正式の幕を開けたことになる。宣戦布告の時間に拘泥して戦機を逃すようなことはできないのだから、この時間差は計算内、つまり日本軍のスニークアタックは確信犯なのである。

[1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始した。真珠湾攻撃に先立つこと1時間50分、大東亜戦争はこのとき開始されたのである。この上陸作戦は宣戦布告予定時間より前に開始されており、宣戦布告の遅れが無くても、日本軍が宣戦布告無しで開戦することは予定通りであった。](ウィキ)

仮に日本の野村大使が宣戦布告文書(とはいえないダラダラした文言だが)をアメリカ側に手交した30分後に真珠湾攻撃が開始されたとして、アメリカはそれを正規の開戦として納得するだろうか。「後ろから声をかけて振り向いたところを殴りつけて、俺は宣戦布告をした」と言ったら、かえって相手を怒らせるだろう。アメリカはかならず、「返答を待って開戦すべきだ]という論理で追及したはず。

奇襲とはもともとスニークアタックと同義である。まさかという油断を突いて急襲する、効果は実に大であり、寡をもって衆に向かうに欠かせない戦術で、わが国の英雄義経の得意としたところである。そして、それはものの見事に成功した。
この[真珠湾奇襲]は、ドレークの無敵艦隊殲滅やネルソンのトラファルガー海戦勝利と並ぶ、世界海軍史上に燦然と輝く金字塔であろう。
宣戦布告の後だ先だなんていう微細な航跡に拘泥する必要はまったくない。連合国による中国への戦争物資の提供、米退役(建前)パイロットで構成されたフライイングタイガーの戦線参加、ハルノートなど、実質的に日米は交戦状態にあったのであるからなおさらだ。
だいたいハーグ陸戦協定に違反しなかった軍隊があるのか?

さて、E作戦の目的は、英軍が待ち構えるコタバルに敵前上陸、制圧し、タイ国境からの別部隊と合体し、南端にある要塞シンガポールを目指すものだ。英軍の東南アジアにおける本拠地はシンガポールで、言うまでもなくそこはマラッカ海峡に突き出たマレー半島南端の海中にある。日本軍が上陸した英領マレーの北端コタバルからシンガポールまで1100キロ。しかも一本道で両側はジャングルが生い茂り250本の河川が横たわる。
さらに到達点のシンガポールは日英同盟破棄以来要塞化し、いまや[東洋のジブラルタル]といわれるほどの難攻不落を誇っている。E作戦は困難を予想された。

一方日本海軍は陸軍のマレー上陸2日後の12月10日、マレー沖海戦でイギリスの最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈する。これは奇襲でもなんでもない、堂々の会戦である。そもそも英国人は日本との戦闘兵器の技術差をロールス・ロイスとダットサンの戦いだと嘲笑していた。七つの海を制した大英帝国に陰りが見えて久しいが、スペインの無敵艦隊を壊滅させ、ナポレオンの艦隊をトラファルガー沖に葬った栄光の艦隊は健在である。がに股で出っ歯でチビの未開民族など鎧袖一触、と豪語していた彼らの高い鼻はいまや無残にひん曲がりぼたぼたと血を垂らしている。以後、終戦の年までインド洋の制海権は日本が握る。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/17 04:38 投稿番号: [115 / 402]
継続は力!   其の2

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/14 19:58 投稿番号: [114 / 402]
継続は力なり!

大学勝利志願隊

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/13 07:11 投稿番号: [113 / 402]
「ハワイ大学の学生たちは3V, (Uni)Versity, Victory, Volu
nteers, 『大学勝利志願隊』を結成し、授業はそっちのけで『ハワイ地区防衛隊』に加入した。が、まもなく日系人たちは隊員から除外させる処置が取られた。
学生たちは『われわれに適当と思われるどのような仕事でもいいから、勤務に就かせて下さい』という請願書を再三提出した。その結果与えられた仕事は土木建築工、われこそは国の干城――と血気にはやった若者にとって、土木建築工事とはおよそ場違いであったが、それでも彼らは目を血走らせて当局から与えられた任務に励んだ。

文字通りの『臥薪嘗胆』の一年が過ぎたとき、『日系人戦闘部隊』の募集発表があった。アメリカ合衆国の『敵』を倒し、立派に『忠誠』を尽くし、『ジャップ』の汚名をはらすために、彼らは歓声をあげて、シャベルや金槌を放り出し、銃を担うために駆けつけた。
募集人員、19−39歳までの男子1500人に対して1万人の応募者というから2人半に1人の割合だ。まさに、挙国一致団結の精華というほかはない。銃を取って戦場に赴くということは『敵』を倒すか、自分が倒されるかの場に立つことだ。いや『倒す』という表現には、むごたらしさはまるでない。そう『敵』という血の通った生身の人間を殺すか、逆にその『敵』に自分が殺されるかーーということなのだ。若者を、そのように醒めさせてしまっては、いかに‘ジャップ‘の汚名をはらすためとはいえ、まるで熱狂的に(少なくても数字的に言って)『決死隊』志願者が、門前市をなすはずがなかろう。若者をしてやむにやまれぬ(大和魂的に)興奮に駆り立てる何ものかがあるはずである。

あのころ、ほとんどの日系人家庭の子弟が通っていた皇民教育を基礎とした『日本人学校』での教育を別にすれば、まず、第一は、日本語新聞の影響が大きい。以前は『敵性日本人』を作り出す元凶とレッテルを貼られた日本語新聞は、その‘汚名‘を一掃するためもあり、日系人部隊が作られる機運が出てくるとともに、連日『忠誠のとき来る!』といった調子で『父も子も、学生も農夫も、店主も法律家も、実業家も労働者も、こぞって立つときは今!』と書きたてた。当然だが、日本語新聞はすべて当局によってチェックされていた。しかし、ホノルル日本人商工会議所は『今こそ、この地区のもっとも大切なとき!』と前置きして、各商店に対し「もし使用人の日系人二世が志願したい様子があれば、暇を出すように」という通達を行った。さらに決定的役割を果たしたのは、各地区に設けられた『日本人部隊促進委員会』の活躍だ。彼らは各地区で、先導的な長広舌をふるい、日系人の浮沈は諸君の双肩にかかっている!と若者たちの士気をふるいたたせ、そして「日系人部隊」編成の請願書を当局に送ったのである。(『あの連中は、煽るだけ煽って、自分たちは、一人として戦場に行っとらんですよ・・・上手い汁を吸って功労者になったんです』と語った人もいる)

『真珠湾奇襲』以後、とくに指導的立場にあった日系人たちは、およそ無差別的に、遠く米本土の奥地に設けられた各収容所に送り込まれた。その子弟が『日系人部隊』に応募し採用されると、たちまち霊験あらたかに『忠誠』が効力を発揮し釈放される。日系米人の驚異的応募数には、親思いの息子たちが収容所からの解放を願ったことも、その一端を担っていたといえよう。

つけ加えるならば、米陸軍省は収容所内の婦女子を含む成人全員に『貴下は、合衆国の法律を尊守し、合衆国の戦争遂行製作を妨害しないことを誓うか』という質問書をだした。これに対し、全登録者数7万5千人中の約8500人は『アメリカ合衆国に忠誠を誓わない』と答えたのであった。

日本軍が真珠湾に攻撃をかける直前、ハワイの英字紙に次のような所論が載った。
『聖書の言葉に[汝二君に仕えるなかれ]というのがある。もし日系二世が日米両国旗に忠ならんと欲すれば、いずれからも不審の目で見られよう。アメリカに対する忠誠は、ことに東洋系の子孫の場合においては、行動によってその忠誠を証明しなければならない。アメリカ市民権は二世の忠誠心を要求する。ヒトラーはわれわれに第5列の教訓を与えた。われわれは今良心の自由において日系二世の忠誠を見守っている。二世は速やかに単一国籍者としてアメリカに忠誠を誓うべきである。忠臣二君に事えずという言葉がある。二世の正しい行動のみがアメリカ人の疑念を一掃するものである。』

汚い国民 日本人

投稿者: bigmanfuree 投稿日時: 2008/04/10 09:22 投稿番号: [112 / 402]
堕落して楽をすることしか考えず
無神経で自分勝手が横行して
他人のために何かをする概念がないから
人間関係は希薄になり家族の絆すら無ない。
日本社会は悪意に満ちている。
この国は政治は既に、経済も退廃して
文化も治安も崩壊していくだろう。

ダニエル K イノウエ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/08 09:43 投稿番号: [111 / 402]
「1877年(明治10年)から、日清戦争まで、日本の象徴的『国民標語』は、例えば次のようであった。『忠君愛国』『富国強兵』『軍人ハ忠節ヲツクスヲ本分トスベシ』『神州不滅』『悠久の大儀』・・・。また日清戦争から、独仏露の‘三国干渉‘で遼東半島を還付することになってから日露戦争に至るまでは『臥薪嘗胆』『露西亜征伐!   バイカル湖占領』『負けて逃げるはチャンチャン坊主』・・などの標語が加えられた。
そして『支那事変』から『大東亜戦争』に至る間は、『八紘一宇』『大東亜共栄圏確立』『大東亜の盟主』『鬼畜米英』『撃ちてし止まぬ』『ほしがりません勝つまでは』『一億特攻』などが、雄叫び的『評語』となり、日本人は徹底的にそのような標語のもとに、『神州日本』を双肩に担う『天皇の赤子』にされてきた。
上のような『国民標語』を半ば宗教的にまで身につけて、はるばる太平洋の波頭を越えてやってきた日本人、――。」

山東省青島生まれの著者は終戦時10歳だった。氏は『(兵士は)天皇の赤子にされた(国民)』と当時を皮肉るが、氏の学業時代は戦後戦脳教育の影響を受けざるを得なかった時期だと思う。今は多様な意見が自由にできる。多少反論したい。
たしかに、これらの過激な『標語』は愚民を扇動するツールと見ることができようが、それだけでは茶器の底だけ見て良否を論じるようなものだ。
およそ戦争という国家の大異常時に立ち向かうとき、名分を揚げ、意義を説き、勝利目指して一丸となるためには過激なアジテーションは絶対必要なのである。かえって、そうしなかった古今東西の大戦争があっただろうか。
日本から中国に返還させた遼東半島をぬけぬけと我が物とした、三国干渉後のロシアの振る舞いに対する『臥薪嘗胆』、この語に込めた日本国民の思いは、「究極の目的」である日露戦争の勝利に大いに貢献したはずだ。そして、その勝利に日本国民挙げて狂喜した。
往時は現在の価値観では計れない。その時はそういう『国民的標語』が必要だったのである。

「彼らは、永住の決意を固めて(ジャパニーズ・アメリカン)になったが精神的支柱は、そう容易に変化するものではない。
そんな‘ジャップ‘に対する排日運動は、サンフランシスコの一白人医師によって主唱され、燎原の火のように広がり、一方日本は、あたかもそれを証拠づけるように、『大東亜共栄圏確立』の名のもとに大陸進攻を重ね、日独伊三国協定を結んでいた。その結果日系人たちは、『土地所有を禁ずる』『妻子の呼び寄せも不可』『日本人学校の閉鎖』『漁獲禁止』、そして「財産凍結」というふうな処置を受けるようになっていた。そのような事態に立たされた日系人の態度は、当然のことながら一様ではなかった。

『アメリカがミーに市民権をくれん以上、ミーらはジャパンに忠義を尽くすことは当たり前じゃ・・・。今アメリカじゃジャパニーズはポリスマンにもなりゃせんが・・・。』『ノーノー、ユーはミステイクしとるよ。早い話がミーらの子供は市民権を持った立派な日本人じゃろうが・・・。ユーのようなことを言うとったら、いつまでも孤立したままで、発展はありゃせんが・・・。』『なに、ユーはアメリカかぶれじゃ.と言うてジャパンにだけ忠義を尽くすというのも反対よ。二世の子供たちは、ジャパンの国籍と、アメリカの市民権が一緒に取れるんじゃから、二重国籍が一等いいよ』」

ハワイにダニエル・K・イノウエ(井上   建)という民主党上院議員の名士がいる。日系442部隊の勇士だったイノウエ氏は、アメリカ合衆国における初めての日系連邦議員である。欧州戦で片腕を失い医者への道を断念した彼は下院に初当選、その後上院に変わり、隻腕の政治家としてハワイはおろか米中央政界で活躍を続けている現役である。
ハワイ州の知事は歴代イノウエ氏のサポート下にあり、氏のハワイにおける政治的影響力は絶大なものがある。
ただ近年、さすがに長期にわたる『イノウエ天皇』ぶりに反発が来て、2002年の知事選挙にはハワイ州初、共和党の女性ユダヤ系知事が誕生した。

日米貿易摩擦の折にはゲッパード上院議員と組んで日本の貿易慣行を『不公平』だと激しく攻撃した。しかし最近は、米議会の『従軍慰安婦』非難決議を阻止するべく尽力した。この対日の変化は従来通りの政治的なものなのか、あるいは鬼籍を前にして(84歳)、骨の髄まで日本人だった両親の故国にかける、いささかの情であったのか、興味をそそられる変化である。

日系二世の参戦 3

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/06 15:48 投稿番号: [110 / 402]
ルーズベルトの偽善ぶりは堂に入っている。彼は終戦の前年に亡くなるまで、日系米人の強制収容を止めようとはしなかった。お題目のアメリカ建国の理念はさほど薄っぺらなものだ。
近年、その行為を合衆国政府は謝罪し、強制収容された日系人に一人頭2万ドルほどの賠償を行ったが、実害はそんなものではなかった。築き上げた財産を没収され、生業の地を有無を言わせず追い払われたのである。

「ハワイ大学では、陸軍省の日系部隊編成発表当日に、大学の予備将校訓練団指揮官の大佐が、学生全員を集めて『ただいま、陸軍省が、千五百人の日系二世の志願兵を採用して、精鋭戦闘部隊を編成することを決定した。選抜徴兵委員会では、さっそく志願を受ける』と伝達した。大佐の伝達が終わるや否や、日系人学生たちの興奮が一気に爆発した。彼らは、言葉にならぬ歓声をあげながら教室を飛び出した。そしていっせいに選抜徴兵委員会までの5キロの道を走り出した。

それはたしかに異様な光景だった。‘ふつうの学生‘たちの多くは、いかにその戦争が正義の名のものに行われていようと、『敵』『味方』の殺し合いの戦場に赴くことを忌避するものだ。アメリカ人学生たちは、猛烈な点取り虫だ。なぜならM・A(修士号)やPh・D(博士号)を持っていれば、兵役免除(もしくは延期)の得点がまずあるからだ。だから学位獲得は、男子学生にとっては生命がかかっていた。またM・AやPh・Dを持っていると、日本と違って、就職の際は確実に待遇が違う。だから学生たちは、それこそ目の色を変えて、一点でも他人に差をつけて、より高い学位を得ることに腐心する。特に兵役のがれのために、男子学生のなかには、自分がいかに同性愛実践者であるかを他人から実証させようと必死になって演出する学生もいた。
そのように、どのような学生も兵役を拒否するのが常識なのに、ハワイのジャパニーズ・アメリカンの若者たちは、熱狂的に選抜徴兵委員会の事務所に長蛇の列を作り、少しでも早く登録されるよう押し合いへし合いを演じた。

徴兵登録票には、
二十七項「貴下は、合衆国軍隊に服従し、命じられた戦線で戦闘に参加することを希望するか?」
二十八項「貴下は、合衆国に無条件で忠誠を誓い、外国または国内の外敵に抗し、合衆国の国防に全面的に参与するか。同時に、日本の天皇あるいは他国の政府および団体に対し服従と忠節を拒絶するか?」とあった。
各島のジャパニーズ・アメリカンの‘特攻志願者‘たちが「YES」と答えたのは言うまでもない。

戦争という名の殺し合いの場へ国民を送り込む際、『国家』が、国民に要請するのは、『忠誠』という美名だ。『忠誠』とは何か。それはいうまでもなく、『国』に仇なす『敵』を、ともかく、わが身をなげうって倒す心情と実践にほかならない。
『日系市民特攻隊』の請願が認められたとき、スチムソン陸軍省長官は次のように語った。
『国民の敵に対する戦闘に参加するために、特殊な部隊を作ってもらいたいーーというのが、日本人の血統を継いで忠誠なるアメリカ国民が、熱心にしばしば出した請願であった。
陸軍省はさまざまな角度から検討を加えた後、日系人部隊の編成を認めるに至った・・・・。国民の敵に武器をとって立つことは、祖先の如何を問わず、あらゆる忠誠なる国民にとって、固有の権利であるーー』

忠誠―その言葉は、いかにも雄雄しく、格好よく、そして美しい表現だ。若者は、特にそのような美的興奮を伴った扇動に弱い。その扇動に乗って、若いエネルギーを爆発させ、『お国のために』猪突猛進して『忠誠』を尽くす行為が、『散華』ということになる。

いっぽう当時のアメリカ人の日系米人感は、なにより日本海軍による真珠湾奇襲の時点から、日系人は敵性人という烙印が、べったりその背中に捺されていたがゆえに、疑惑で敵視の眼差しからはなんとしても免れなかったのだ。
その疑惑と敵視と憎悪の端的な表現が、『ジャップ!』であった。『ジャップ!』は、日系人にとっては最大の蔑称であり、恥辱の最たるものであった。日系人はAJA (American of Japanese Ancestry) とか、あるいは単にJA (Japanese American) と呼ばれる。この二つの略称で呼ばれてもにこにこしている者が、いったん『ジャップ!』と言われたが最後、怒髪天を衝く状態になるのだ。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/06 05:30 投稿番号: [109 / 402]
UP

日系二世の参戦 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/04 19:56 投稿番号: [108 / 402]
>日本軍は真珠湾奇襲以来、翌年一月マニラを占領し、2月にシンガポールを陥落させ、三月バタビア占領、四月バターン攻略、そして五月にはコレヒドール要塞まで攻め入っていた。

文字通りの鬼神に尻餅をつかせるような快進撃である。真珠湾奇襲でルーズヴェルトの度肝を抜いた日本軍は2日後のマレー沖海戦でイギリスの至宝プリンス・オブ・ウェールズ他を撃沈した。このアタックは航空機による戦艦撃沈の嚆矢となり、各国の戦争戦術に大きな変更を強いた。
とまれ、寝室で報告を受けたチャーチルは葉巻を手に持ったままフリーズ、ベッドに失禁していたという。

「そのような日本軍とまったく同じ顔と背格好をしたジャパニーズ・アメリカンがはたして敵同士になれるのかーーという考えが、まずあった。いや日本軍や同盟国の敵になれるのかというより、ジャパニーズ・アメリカンはアメリカの敵そのものではないかという疑念が根強かった。
だがいっぽうでは、当初の日本軍の特攻的パワーをアメリカ側も高く評価し、そういった面から、開戦後半年も経たぬ1942年4月に、『日系市民特攻隊』組織計画がワシントンの戦時省の議題にのぼった。だが、その際は『いちおう、見合わせよう』ということになり、日系人たちはすっかり失望した。

ダニエル・K・イノウエと同じように、後に『日系市民特攻隊』(200大隊)に入隊したローレンス・サカモトは言う。
『・・・私たちはハワイ生まれ、ハワイアンである。日本人である意識は忘れていた。市民権を持っている。クリスチャンネームもある。交際は、すべてアメリカ流である。英語を話す。立派なアメリカ人ではないか。然し家庭が違った。そこには両親がいた。仏壇があり、味噌汁が香り、下駄履きの姿が見られるのである。日本語を話している。(中略)私たちは生まれ乍らにして日本人とアメリカ人を使い分けたのである。いずれに向かっても矛盾を感じなかった。日本人でありアメリカ人である。兵隊になると、私達は、ジャップ=ヤンクスと綽名された。日系米軍というような正面切った呼称ではない。ジャップというヤンクスである。それは自然な呼び方であった。然しそれは兵隊になって始まったことではない。私達は生まれたときからジャップ=ヤンクスであった。ジャップ=ヤンクスの信念と安心とは、然しながら、まったく予想しない方法で突き崩さなければならなかった。血統上の祖国、本物のジャップが突然空の一角から舞い降りて、傍若無人に機銃弾の雨を浴びせかけたのである』

血で血を洗う戦争という大異常時に、ジャップ=ヤンクスと綽名される若者たちが、本物のアメリカ人たることを証明するために、『とにかく最前線に行こう!』と決意したことは、あの『大東亜戦争』末期の、生還を期し得ぬ特攻隊員の日本の若者たちの悲劇にも通じるものがあり、限りなく痛ましい。

『とにかく最前線に行こう!』というジャパニーズ・アメリカンたちの悲劇的請願は、尽きることなく当局に送られた。これに対し、時の大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトは、Americanism is a matter of mind and heart, Americanism is not and never was a matter of race or ancestry.という‘名言‘をモノにし、『日系市民特攻隊』を編成することに同意した。
リーズヴェルト大統領は、次のように述べた。

『忠誠な日系市民をもって戦闘部隊を編成するという陸軍省の計画に対して、私は満腔の賛意を表する、合衆国の忠誠なる市民は、その祖先の血統にかかわりなく、市民としての責任を果たす民主的権利が拒否されるべきではない。この国の建国的原理であり、それにより、この国が今日まで統治されてきたアメリカイズムとは、知性と情熱にかかわっている。アメリカイズムが人種や祖先の問題だったことは決してなく、今でもそうない。善良なるアメリカ人とは、この国に対して忠誠で、自由と民主主義の心情に対して忠実なる者を言うのである。忠誠なるアメリカ人は誰でも、その特技を持って、この国にさ大の貢献をなし得る機会を与えられなけねばならないーー軍隊において、軍事生産において、農業、国家行政、その他、戦争関係のあらゆる職務において』

かくして、アメリカ合唱国陸軍省は四十三年一月二十二日、『日系市民戦闘部隊を二月一日から新設する。すなわち、日系二世をもって四四二歩兵連隊、五五二野砲大隊、二三二工兵中隊を編成すべし』という発表を行った。ジャパニーズ・アメリカンたちは、ルーズヴェルト大統領の‘名言‘にすっかり士気を高揚され、酔いしれ、そして新たに勇気を奮い立たせた。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/04/02 02:50 投稿番号: [107 / 402]
こんばんわ。

Re: 白人児童誘拐殺人事件 徒花

投稿者: macarthur0126 投稿日時: 2008/03/30 14:13 投稿番号: [106 / 402]
  貴方の投稿には、白人の資本家の子供を誘拐し殺害した日系人に対する慈しみにの気持ちとは対象的に、アメリカに対するマイナスの偏見が著しく見てとれるように思います。

たぶん、根は凄く優しい人なのかな。

だから、「アメリカ人に騙されないように」、「アメリカに負けないように」という自分を律する気持ちが、必要以上に大きく働き過ぎているのかもしれないね。

確かに、そういう気持ちも自己防衛本能として大切だと思うので、私もこれ以上書くのは止めることにします。

行けるところまで今の考えで行ってみて、もし将来、アメリカのことをもっと好きになったら、日米の過去の歴史をもう一度再考してみてください。

  短い付き合いだったけど、ありがとう。

Re: 白人児童誘拐殺人事件 徒花

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/30 11:40 投稿番号: [105 / 402]
>「乗っ取り」などと言うのは、企業間では日常茶飯事ですよね。より上手い経営の出来る人がトップにいた方が、従業員全員が助かります。ハワイも多分そうだったと思いますよ。

これは最大級の恐れ入った論理ですね。参った、参った。ずいぶん荒削りな人だ。
中国はチベット占領を『経済的恩恵』で恩着せがましく説明していますが、同じ論旨ですね。

>戦前の体制が、戦後の体制より、全体主義、軍国主義、男尊女卑、経済格差の激しい社会だったことは言うまでもありませんが、

さて、西欧世界に全体主義、軍国主義は数多く出現し、およそ男尊女卑でなかったことはなく、産業革命以前も以後も経済格差は現代社会の比ではないと思いますが。
こういった物事はすべて相対的に見るしかありませんので、あなたの『日本未文化国』論は見当はずれでしょう。

>その体制から脱却できたのは、良くも悪くも、太平洋戦争の敗北−アメリカからの一時的占領ということに負うところが大きいでしょう。

外国の文物を能動的に取り入れ改良し自家薬籠中のものとしていくことは二千数百年の日本史が証明しています。
たかだか建国200年、貧民移民が創ったアメリカ人に文化を教えてもらわなくても・・。

>だから、安部前総裁も、「戦後レジームからの脱却」などと、対アメリカ批判的に話しを持って行かずに、戦後体制の中の何を変えるべきなのか、それを具体的にいうべきでしたね。

安倍前首相の目的は具体的とは対極の抽象的なものでした。国民の共通意識の醸成といいますか、国家・国民のアイデンティティの確立です。それにはまず正確な日本史を教えることが肝要です。特に近代史。学業ではなぜかすっぽかされてきた開国以来の近代史を教えなければなりません。

それは戦勝国が口をぬぐっている残酷無比な植民地政策に触れないわけにはいかなく、またアメリカがいかに謀略を尽くして日本を戦争に導いたかということを知ることになる。
加えて、原爆を2発も投下して一般市民を殺戮、日本降伏後は3流の農業国にした上で植民地主義を復活、白人種による世界支配を確立しようと図ったことを公的に確認することになる。

そしてアメリカにとってそれは、『極東軍事裁判』を多くの国民が受け入れ、また多くの国民が真実の近代史を知ろうともせず知りたいとも思わず、いっぽう東シナ海ガス田や竹島に怒りを見せない日本人、アメリカが狡知を絞った「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の影響下にある日本人を覚醒させ、結果、しごく快適な現在の『米日関係』に楔を打ち込むことになると考えている。

だから安倍首相(当時)が『従軍慰安婦』の強制性を否定したとき激しく反発した。まったく笑止である。

>罪(戦後体制の中の変えるべきこと)を憎んで、人(アメリカ)を憎まず。

多くの日本人はアメリカ人が好きだ。実際愛すべきところも多い。(あくまでも他の白人種と比べて、だが)

そして両国の現在は切っても切れないほど複雑に結びついている。現代日本にとってアメリカは必要だし、アメリカにとっても、中国、ロシアの台頭でまだまだ日本が必要だ。かえって日米の軍事面での一体化は進み、東南アジア極東地域における事実上の混成軍となるでしょう。
日本人が近代史の真実を知ることになってもアメリカ人を憎むなどということはないと思いますよ。
振り向けば色々さまざまがあるのが当たり前。現在と未来のために人は生きればいいのであって、過去は教材なのです。日本人はその点実にあっさりしています。

まあ、日本が国力をますます増し、有能な政治家が国を動かすようになれば、解決する問題だとは思いますが。早晩です。

Re: 白人児童誘拐殺人事件 徒花

投稿者: macarthur0126 投稿日時: 2008/03/27 19:12 投稿番号: [104 / 402]
貴方が、そこまでの優しい気持ちで、その日系人のことを思っているなら、もう、私もこれ以上言うことはありません。この件は忘れることにしましょう。

だから、貴方も、「アメリカ合衆国はハワイ王朝を乗っ取った。そういう歴史も同時に忘れてはいけないと思います。」などと言わずに、これも『罪を憎んで・・』という至言のとおり、忘れてみてははどうでしょうか。

「乗っ取り」などと言うのは、企業間では日常茶飯事ですよね。より上手い経営の出来る人がトップにいた方が、従業員全員が助かります。

ハワイも多分そうだったと思いますよ。

トピックの「戦後レジーム」についても、同じことが言えると思います。

安部前総裁が、アメリカから押し付けられた戦後体制からの脱却ということを言っていたのだと思いますが、これも、元を正せば、戦前レジームからの脱却から考えなければいけないと思います。

戦前の体制が、戦後の体制より、全体主義、軍国主義、男尊女卑、経済格差の激しい社会だったことは言うまでもありませんが、その体制から脱却できたのは、良くも悪くも、太平洋戦争の敗北−アメリカからの一時的占領ということに負うところが大きいでしょう。

だから、安部前総裁も、「戦後レジームからの脱却」などと、対アメリカ批判的に話しを持って行かずに、戦後体制の中の何を変えるべきなのか、それを具体的にいうべきでしたね。

罪(戦後体制の中の変えるべきこと)を憎んで、人(アメリカ)を憎まず。

そういうことでしょう。

Re: 白人児童誘拐殺人事件 徒花

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/27 11:49 投稿番号: [103 / 402]
あなたのご意見は大正論です。ただ、見方には濃淡があり、抗し得ない正論も、あなたがおっしゃるように見方のひとつ、ということでしかありません。これからの私のレスも私の見方でしかなく、あなたのご意見に抗するものではありません。
ただ、日系社会に多大な悪影響を及ぼした福永に対して、「それでも福永の悪びれない態度や、罪を罪として反省していること、さらに犯罪動機に同情酌量の余地ありとして、日系人間から助命運動が猛然と起こった。」と、当時の人が感じたものに、同じ思いを持つ者です。

日系移民の民族性は勤勉、正直だという評価を得ていますし、その中から身代金目的の幼児誘拐殺人事件などは本件意外にないはず。あくまでも加害者マイケル・福永はハワイで咲きほこった日系移民の花群の中での小さなちいさな徒花といえるでしょう。
そして徒花は仇花ゆえに異彩を放ち、時に人の目を奪うものです。
それを、所詮実をむすばぬ花、無駄花、と摘み捨てたり、あるいは踏みにじったりするのも一つの処し方なら、なぜこのような花が咲いたのか、と斟酌し、結果、一掬の情を以って「はかなく散りゆく花」(広辞苑)を偲ぶのも、一つの接し方、優しさだと思うのです。

蛇足ですが、西洋社会に『罪を憎んで・・』という至言があり、日本には歎異抄の「悪人こそ往生するにふさわしい」という教えもあります。

蛇足の蛇足
>重労働とは言え、日系人がサトウキビ畑で職を得ることができたのは、ハワイ王朝にグレートマヘレの土地改革を勧めたアメリカ宣教師の存在があり、サトウキビ畑を経営する資本家の存在があり、ハワイ産の砂糖をアメリカ本土に輸送するアメリカ海運会社の存在がり、そのハワイ産の砂糖を買ってくれるアメリカの消費者の存在がありました。
そういう状況が整っていたお陰で、日系移民は職にありつくことができたという感謝の気持ちも忘れてはいけないと思います。

そしてアメリカ合衆国はハワイ王朝を乗っ取った。そういう歴史も同時に忘れてはいけないと思います。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/27 07:13 投稿番号: [102 / 402]
小旅行をしていて覗かなかった。

まともなレスが入っている。バカ黄泉とは大違いだ。

Re: 白人児童誘拐殺人事件 2

投稿者: macarthur0126 投稿日時: 2008/03/24 17:15 投稿番号: [101 / 402]
hendazo04さん、初めまして。

貴方のお書きになった「白人児童誘拐殺人事件 2」について、私の意見を書かせて頂きます。

ちょっと厳しい意見かもしれませんが、私はこの殺人を犯した日系人を許すことはできないし、十分責められるべきだと思います。

彼や彼の家族が、いくら家賃の取立て屋から怒鳴られようと、酷いことを言われようと、最低限、命を取られることは無かったのだから、彼が殺人という行為を犯してしまったことは、取立て屋がやったことを遥かに上回る凶悪犯罪であり、結果として、ハワイの日系人全体の印象をも悪くしてしまい、その弊害として、当時のハワイ在住の日系人が、白人から嫌われたり、恐れられたり、仕返しのトバッチリを受けたりして、住み難い状況になったことは容易に想像できます。

貴方は、「国内の貧窮から逃れてきたはずの日本人移民の中には、さまざまな事情からその貧困から脱け出せない者も数多くいた。要因の一つには前項で書いたように、貧しい同国民の衣服をはぐような経済家の跋扈があったことは否めない。」と書いていますが、私が思うに、「ハワイに行けば貧困から抜け出せる」と安易に考えてしまうことの方が甘いことではないでしょうか。

どこでも新参者は苦労するは当たり前です。当時のハワイはすでに、ポリネシア人が住み着いてから1500年以上の歴史があり、イギリスのキャプテンクックが訪れてから140年の歴史があり、アメリカの宣教師団が訪れてから100年以上の歴史がありました。

そこへ、資本と言えば自分の身一つしかない移民者がやって来て、そんなすぐに裕福になれるほど、世の中は甘くないでしょう。

  重労働とは言え、日系人がサトウキビ畑で職を得ることができたのは、ハワイ王朝にグレートマヘレの土地改革を勧めたアメリカ宣教師の存在があり、サトウキビ畑を経営する資本家の存在があり、ハワイ産の砂糖をアメリカ本土に輸送するアメリカ海運会社の存在がり、そのハワイ産の砂糖を買ってくれるアメリカの消費者の存在がありました。

そういう状況が整っていたお陰で、日系移民は職にありつくことができたという感謝の気持ちも忘れてはいけないと思います。

私は、この殺人を犯した日系人のやったことは支持できませんが、第2次世界大戦で、ドイツ軍と戦って、アメリカ軍最多の表彰を受けたハワイ出身の日系二世部隊、100大隊と442連隊の頑張りは支持します。

  ハワイの日系人の地位向上に貢献したのは、これらの部隊であって、殺人を犯した日系人ではありません。

  厳しい意見でしたが、一つの意見として参考にしてください。

Re: 美しい国日本

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/23 22:25 投稿番号: [100 / 402]
こんなに早く追いやられるのか。人気トピなのに・・。

ヨミ、あげとけよ!

Re: お前にわかるのか・・

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/22 22:56 投稿番号: [99 / 402]
>その母の仏前に向かいお前は、『ドカタ姿を友達に見られて死ぬほど恥をかいた』とか、『闇米の買出しは違法だ、それを拒否した裁判官もいるというのに、あなたは犯罪者だ』とか、「つぼ八で見知らぬ男に媚を売った金なんかで育ててほしくなかった」と自分の母を責められるのか?

これは君の母親だろ、、オイラの母親なぞ   知らないだろう   オイラもアンタさえ知らないんだから   妄想も   ほどほどにしなよ   ぼけちゃったのかい?   ボケナス君(笑)

例え   土方であろうが   仲居であろうが   掃除婦であろうが   子供や家族の生活を支えて働いている姿ってのは   魅力的だよ   しかしな   そんな境遇に陥れる組織構造ってのは   問題があるんじゃないのかい?   お前さんの様な愚民ばかりだと   肉体労働者を卑下したり   差別したりしちゃうんだよ。

日本人が日本人をいじめてどうすんだ?   ボケナス   応援   支援することが同胞意識ってもんだろ   それが欠如してるのが   日本民族なんだよ。

漫才師の麒麟   のホームレス中学生な   ホントにすばらしい友達   知り合い   に恵まれたとおもうぜ   日本の奇跡だろうよ。多くの愚民はホームレスって聞いただけで嫌悪観を顕わにするんじゃないのかい?   まじめに働いた結果が運悪く   ホームレスになった多くの人もいるんだぜ。

それに引き替え   公務員   官僚   政治家のやってることはありゃなんだ?

根性の汚いのが   金持ちか?   詐欺   ペテン   猫ばばやんなきゃ   この国では金持ちになれそうもないようだぜ   東大じゃ詐欺   ペテンのやり方おしえてるのかい?(笑)

君の母親は、yominokuni56、

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/03/22 22:48 投稿番号: [98 / 402]
yominokuni56、

君の母親は、

君の投稿の事を知っているのか?

在日韓国人の面汚し??yominokuni56

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/22 22:14 投稿番号: [97 / 402]
ありゃりゃ〜0

君が韓国人とは   知らなかったよ、、君の恥辱になるのかね(笑)

オイラは日本人だから日本の歴史認識を正しくしたいと思ってるだけなんだよ   事実は事実として知らなければならないと   思うんだよね。

韓国人の君には関係のない   話だろう。。。

ところで   ナリスマシ詐欺師ってのは   どこまでもアホなんだね。

口先だけで他人が信用してくれるとでも   思ってるのだろうか、、他人は行動を見て   その人格を判断するのが正しい判断能力だってことなんだけど、、君には無理だね   口先だけの   男のようだから、、韓国でも君の評判は悪いんじゃないの?   と思うよ(笑)

在日韓国人の面汚しyominokuni56

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/03/22 18:54 投稿番号: [96 / 402]
他人の著作物を引用するなら、関係者を明示し、敬意を示せ。

こんな簡単明瞭な指摘に応じないyominokuni56は、在日韓国人みんなの恥辱である。

なんど指摘を受けても対応できないyominokuni56に、在日全員が歯軋りしている。

あやまれ!    在日全員にあやまれ!    土下座して、あやまれ!

まず、書籍の正式名称と版数を示せ。   それが基本である。

著者と編集者を示して、日本に知らしめた労と功績に敬意を表わせ。

出版社名を示して、功績に感謝せよ。

翻訳者名を明示して、その学恩に感謝をあらわせ。

引用するなら当然のことだろう。   人間として当然のことだろう。

どうしてできない?

在日韓国人に、特定のレッテルが貼られてもいいのか、yominokuni56!

マレーシアの教科書 中学生2年 用 2

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/22 18:45 投稿番号: [95 / 402]
日本語教育
全ての学校で日本語が教えられた。

食料不足の事態
イギリスが支配していたときは米をビルマやタイから輸入していた。
日本支配時代には米は多く輸入されなかった。米不足は深刻な問題であった。

輸送手段は兵士を運ぶ為のものであり、米を運ぶ輸送手段を用意していなかった。また、タイ政府が日本の貨幣価値を信用しないという理由で米を売ることを渋るようになってからは事態はますます、ひどくなった。

インフレーション
日本は役人に給与を与える為にお金が必要であった、イギリス貨幣が使用されなくなったため、「バナナ紙幣」(軍票)を必要に応じて印刷し、その量がどれくらいの量か分からないくらいに発行した。物価上昇は1941年   卵、一個の値段は3セントであったものが1945年には35ドルにも跳ね上がった。

タイメン鉄道建設
マラヤの国民を日本軍自身の目的の為に利用した。タイとビルマ間の鉄道建設に労働者(ロームシャ)を必要とし、マレー人労働者が強制的に使われた。
その数約10万人が犠牲となった。この鉄道建設は「死の鉄路」と呼ばれている。

マラヤの各民族と日本
中国人=1937年中国を侵略した、彼らは全ての中国人が反日であると疑っていた、シンガポールを占領した後、日本軍は数万人の中国人を殺した。
イポーの近くのアンパン村で起きた事件は日本の残忍さを示す一例である。
*二人の日本の憲兵が中国人らに殺された。(アンパン事件)中国人の村長は逮捕され、拷問にかけられ、罪があろうと無かろうと、ずべての中国人は調査もなしに、処刑された。村の住民は出て行くように命じられ、そのあと村は焼かれてしまった。

インド人=日本はインドからもイギリス人を追い払いたかった。彼らはこの時こそ、イギリス人を攻める機会だと思った。私たちの国のインド人の助けがほしかった。この国のインド人がイギリスからの独立を望んでいるのを知っていた。日本はこのインド人たちには友好的な態度を見せた。インド国民(INA)を組織することを助けた。指導者はスブハス.チャンドラ.ボースであった。彼は反英活動の為、インドを去って日本へ行き、日本からマラヤにやって来た。多くの男女がインド国民軍に入隊し「デリーを目指せ」が合言葉であった。

私たちは日本が自分の為にインド人の魂や感情を利用したことがわかった。
インド人は次第に日本を信用しなくなっていった。
農園が閉鎖されたとき職を失った数千のインド人は「死の鉄路」の建設に強制的に働かされた。インド人は独立の約束は嘘であることに気が付き始めた。反対に日本はインド人を奴隷化していった。インド人も反日グループに参加し、日本人に抵抗した。

マレー人=日本はマレー人と友好関係を保っていた、マレーはマラヤの最大の民族である。日本はいつもマレー人警察官に対し、疑わしい中国人の逮捕を促していた。マレー人は次第に日本の目的を疑い始めた、私たちの国をイギリスから解放すると約束をしていたのに、しかし、多くの人々は比較してみるとイギリス支配のほうが日本より好いと思い始めたのである。日本支配の残忍さと必要物資や食料の不足が起こり、マレー人は失望し、多くは反日運動に参加していった。

抗日運動
日本支配の残忍さや残酷さが多くの反日感情を呼び起こしたということを学んだ。日本に敵対した最大組織は、反日マラヤ国民軍MPAJAだった。
MPAJA=イギリス官吏の一人であったスペンサー.チャップマン大佐が組織する中国人軍でマラヤ共産党が指導した。

イギリス復帰
日本が降伏してから3週間後にイギリスが戻ってくるまで、民族対立が起きた。
日本支配の結果国民の考え方が変わった。イギリスの権威は失墜した。ナショナリズムの感情は日本支配時代が終わってからより激しくなり政治意識が高まり政治活動も多く繰り広げられ、12年後私たちの国は独立が達成されるのである。

マレーシアの教科書 中学生2年 用 1

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/22 18:44 投稿番号: [94 / 402]
*「歴史の中のマレーシア」(マレー語)
中学2年生用M.タムビラジャー著   連合出版

第8章日本人によるマラヤの占領
イギリス支配は1957年8月31日に終わった。
1942年2月から1945年8月まで私たちの国は日本によって支配された。

第2次世界大戦
ドイツはオーストリアとイタリアとともにヨーロッパの他の国と戦争を行った。この戦争が第一次世界大戦である。ドイツは負け、イギリスやアメリカ、フランス、ロシアの戦勝国に服従することを約束せざるを得なかった。その服従とは1919年に調印したベルサイユ条約である。多くの賠償金と領土を奪われた。

ナチス党とヒットラー
1920年代ドイツは経済不況に見舞われ多くのドイツ人は失業した。国内経済はさらに悪化し、このとき現れたのがアドルフ、ヒットラーという名の指導者であった。ドイツを再び強国にしたいという情熱が「我が闘争」に述べられている。
1933年ドイツの支配者となる。ドイツ人は世界で唯一の優秀な民族であるとの信念から全ヨーロッパを支配することを望み戦争を通してこの目的を達成しようとした。1939年9月1日ポーランドを侵攻した。イギリスとフランスはやがて自国が侵略されることに気づき、このことがきっかけとなりドイツに宣戦布告を行った。これから第二次世界大戦がはじまった。

日本、満州と中国を侵略-1931〜1939
満州国
19世紀末、日本は自国の地位を保持する上で朝鮮と満州が重要であると判断した。これらの領土が友好国以外の国によって奪われるようなことになれば、日本は容易に侵略されてしまうだろう。そのような理由から1931年満州を攻撃し、占領した。傀儡政権を樹立させ、事実上の支配者として日本は満州の炭鉱や鉄鉱山を所有した。

中国
日本は満州で位置を固めると中国も占領したいと強く望んでいた。
中国との戦争は予想よりも長引き重要物資や天然資源が切れてしまった。
しかし、運のいいことに第二次世界大戦がはじまり、日本の危機的立場は救われた。アジアの国々は日本の手の中で放置されてしまった。
1940年には中国のみならず、東南アジアやオーストラリアまで占領しようとした。

日本が東南アジアを侵略した理由
天然資源   石油をアメリカから50%以上を輸入に頼っている、いつまでも外国に頼ってはいられないと気づいた。他にゴム,スズ、鉄鉱石など経済的必要性からである。

日本の軍司令官
1930年陸軍と海軍の幹部は大きな勢力となっていた。満州占領に成功したことも地位をより高めた。政治家たちは軍部にもっとも嫌われる存在となり、1936年2月勢力のあった政治家を一掃した。新しい政権は軍の指導者からなり、彼らはヒットラーの支持者たちでもあった。その後日本とドイツの関係はますます深まって行く。

日本の東南アジア侵攻
1940年9月北部インドシナを獲得し、1941年3月インドシナの他の地域を占領、
タイは占領されなかった。タイは独立国でヨーロッパ支配されたことのない国であった為に、「アジア人のためのアジア」というスローガンを掲げる日本はタイを占領することはしなかった。そこで1940年6月タイと友好親善条約を結び、タイは日本と同盟国となった。

日本軍は急速に進んで行った、自転車を利用した部隊もあったが、この自転車は現地住民からの調達品であった。日本はマレーシアとシンガポールを70日で占領してしまった。

現地の人々の協力
現地人の多くは日本は「アジア人のためのアジア」の為に戦っていると信じていた。ヨーロッパ人を追い出してアジアを解放したいと言う意味である。進出に対して激しい抵抗は無かった。が、進出のあとになって、日本が約束を守らないことに気づいた。

日本軍政府
日本はマレー人の解放獲得への期待を裏切った。まるで植民地であるかのように支配した。日本の支配はイギリスのそれよりもひどかった。
日本人は評議会を開いた。議長はその州の日本人軍政官で議長補佐はスルタンで、他のメンバーは現地人からなり、その多くは日本人によって任命され、残りは村長によって任命された。実質的な権力は国民には与えられなかった。

ケンペイタイ
罪の無い人間を罪人だと自白させる為に、さまざまな残酷な拷問が行われた。彼らは手や足の爪を抜いたりした。

お前にわかるのか・・

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/22 17:55 投稿番号: [93 / 402]
現実感のある例え話だ。よく聞け。
お前は戦地で父親を失い戦後貧乏の極みにあったとしよう。その苦難の時代に母親はお前とみったくない妹を必死に育てた。ヨイトマケだろうと、闇物資の買出しだろうと、お前たちを飢えさせないために母は必死に働いた。居酒屋で酔客を相手にすることもあった。

そしていま、母は亡くなり、お前らはそれぞれ、お前らなりに成長し、独り立ちすることができている。

その母の仏前に向かいお前は、『ドカタ姿を友達に見られて死ぬほど恥をかいた』とか、『闇米の買出しは違法だ、それを拒否した裁判官もいるというのに、あなたは犯罪者だ』とか、「つぼ八で見知らぬ男に媚を売った金なんかで育ててほしくなかった」と自分の母を責められるのか?

いうまでもない、ここで言うお前の母親は『日本国』だ。よーく胸に手を当ててペラペラしゃべらずに黙考せよ。   わかったね。

Re: シンガポールの教科書 1 外国人は?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/21 22:45 投稿番号: [92 / 402]
あほか?   じゃない   あほだね(笑)

Re: シンガポールの教科書 1 外国人は?

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/21 19:10 投稿番号: [91 / 402]
オエは日本の宣戦布告なしの攻撃を責めているようだが、どうしてそう貧乏たらしい考え方しかできないのだ。   ・・オメ、本当に貧乏なんだべ!!

在日韓国人の面汚しyominokuni56

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/03/21 09:08 投稿番号: [90 / 402]
他人の著作物を引用するなら、関係者を明示し、敬意を示せ。

こんな簡単明瞭な指摘に応じないyominokuni56は、在日韓国人みんなの恥辱である。

なんど指摘を受けても対応できないyominokuni56に、在日全員が歯軋りしている。

あやまれ!    在日全員にあやまれ!    土下座して、あやまれ!

まず、書籍の正式名称と版数を示せ。   それが基本である。

著者と編集者を示して、日本に知らしめた労と功績に敬意を表わせ。

出版社名を示して、功績に感謝せよ。

翻訳者名を明示して、その学恩に感謝をあらわせ。

引用するなら当然のことだろう。   人間として当然のことだろう。

どうしてできない?

在日韓国人に、特定のレッテルが貼られてもいいのか、yominokuni56!

Re: シンガポールの教科書 1 外国人は?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/21 07:02 投稿番号: [89 / 402]
ほれで、、イギリス   シンガポールに   宣戦布告して   侵攻したのか?

日本軍は、、、   戦争状態でのゲリラ戦なら   理解できるがね(笑)

日本軍はどこにも   宣戦布告も警告も無く、、月のない   闇夜に   丸腰の軍隊へ   後ろから襲いかかる   通り魔的強姦を   戦術とした   軍隊なんだけどね(笑)

君の理屈は   屁の突っ張りにもならない   実に馬鹿げた妄想だよ(笑)

日系二世の参戦

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/20 20:07 投稿番号: [88 / 402]
およそ『祖国』というものは、迫害や経済的理由から離れなければならなかった外国移民たちにとって精神的な拠り所であるのが普通だ。ディアスポラのユダヤ人は主に白人先進国にその存在感を見出すが、彼らは建国されたイスラエルに強烈なアイデンティティを持っている。彼らなしではイスラエルの存続自体がおぼつかないほど強力にサポートしている。とくに英米のユダヤ人は、その『寄宿』主の不利益になることをいとわない。イラクに対する侵略はユダヤ人の利益のための出来事の一つでしかないし、米英とも金融を通じて彼らに引きずり回されている。
ユダヤ民族のその行動の源泉は紀元前からの迫害の歴史と宗教に求めることができる。

また、迫害や極貧から逃れてきた華僑は、それでも「中華大文明」の旗幟に集い、彼らの資本主義化の活発な経済活動と矛盾する『共産シナ』に献身的奉仕を試みている。とくにアメリカにおける軍事機密のスパイ行為は核からスペースシャトルにまで及び、その『愛国無罪』は関係者を驚嘆せしめる。
彼らの『愛国』のソースは米英などの寄宿地で受ける迫害と、逆に発展途上国における彼らが持つ差別だ。その基は世界史における輝く『大中国』の臣民、ということであろう。

印僑のインド人も世界中に散らばっているが、彼らの海外移住の目的は経済だ。彼らもやはり最古の文明を誇り、長い英国支配から脱した『愛国』がある。しかし彼らは日本との交わりも摩擦もなく、この点アメリカを通じて日本に影響力を及ぼすユダヤ人や、やはりアメリカで反日行動に精力的な中国人とは違う。
(蛇足だが、韓国もアメリカで反日行動にいそしむが、彼らは偉大な文明も持ったことがなく、世界を動かす外交力も経済力もない。彼らの強烈な『愛国』の基盤は、・・ミステリーだ。)

上記の各国の『祖国愛』に比べて、日本人移住民のそれはいかにも希薄だ。平素日系外人が、日本に対する特別な情に絡んで存在感をあらわすことはないし、逆にマイク・ホンダみたいな男が跋扈する始末。なんとももの悲しい感を否めないが、この違いはどこから来たのだろう。筆者はそれを日本政府の皇民化政策に求めるが、「祖国」に忠誠を尽くすよう教育された想いが、なぜ一転アメリカに向かったのか説明がない。

「ハワイ州選出上院議員のダニエル・K・イノウエは、当時の「ハワイの日本人」たちの慣習にしたがって「日本人学校」に通い、その皇民化教育に断固反発し、「アイ・アム・アン・アメリカン!」と言い切る態度を保ったため、激怒した教師からなぐられた逸話を持つが、その精神形成には、皮肉にも皇民化教育が十二分に浸透していた。それは、あの当時の、ハワイ生まれで、ハワイで教育を受けたジャパニーズ・アメリカンに共通したものである。

そのような彼らは、つねに疑惑の目で見られ、真珠湾を‘スニーキング・アタック‘した日本軍のスパイと思われ、集合ごとに『バンザイ!』を叫ぶ人種として不気味がられた。そのような人たちは、、ジャパニーズ・アメリカンを見ると、吐き捨てるように『ジャップ!』と叫んだ。つまり『ジャップ』は、ジャパニーズ・アメリカンにとっては、耐えがたい恥辱なのだ。

『ジャップ』の汚名と屈辱を晴らさんがためにジャパニーズ・アメリカンたちが到達した結論は、アメリカ合衆国に仇なす敵を、ともかく自分たちの手で打ち倒そう、それ以外に『アメリカ人』として認められる道はない、ということであった。

つまり『私』を捨てて、『お国のために』献身奉公する決意を固めたのである。そして、その方法こそは、『日本人学校』で身につけた皇民化政策のまさに精華だったのだ。

しかし、ジャパニーズ・アメリカンのそういった捨て身の特攻的決意を無視するかのように、アメリカ合衆国は、彼らを『敵性化』する措置をとった。すなわち『ハワイ護国軍』各部隊にいた日系人は、略式手続きでその役目を解かれ、予備役将校や地方軍にいた二世たちは武器を取り上げられ、すでに任務に服していた者は労務大隊に回されたのである。そのような処置に対するジャパニーズ・アメリカンたちは、『とにかく最前線に出してほしい。敵はドイツ人だろうとイタリア人だろうと、また日本人だろうと、私たちは戦う』という請願を当局に提出した。当局は、当初そのような請願を一蹴した。

日本軍は真珠湾奇襲以来、翌年一月マニラを占領し、2月にシンガポールを陥落させ、三月バタビア占領、四月バターン攻略、そして五月にはコレヒドール要塞まで攻め入っていた。

Re: 美しい国日本

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2008/03/16 16:40 投稿番号: [87 / 402]
>相対的な見かたをすれば日本という国は、世界史の中で突出した芳しさを醸す国だ。これは地政学的な天恵であるといえるが、その好ましい環境の中、日本民族としての我々を形作った。

相対的どころか、我田引水のオナニズムによる見方である。

>今、世界から正当な評価を得られているだろうか。

戦前への回帰を標榜する復古主義を捨て、対米阿諛追従を捨てることなくして、まともな評価はありえない。

Re: シンガポールの教科書 1 外国人は?

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/16 16:34 投稿番号: [86 / 402]
黄泉、オメも認識しているようにシンガポール進攻前から、同地の華僑らは中国本土への送金どころか、シンガポールに寄港する日本軍向けの物資にもちょっかいを出していた。

日本軍の上陸はるか前よりこのことを想定し多くの華僑はイギリス軍の指導の下軍事訓練に励んでいた。その結果負けたり捕虜になったりしたのだから処置されるのは当然だろ。

その後も英国は間断なく武器や資金を夜陰に乗じて華僑ゲリラに届けた。
彼らによる東南アジア駐留の民間日本人に対する暴虐も中国本土のシナ人と何も変わりなく、ある地区では約50名の日本人民間人が襲われ、女子供を嫌わず首を切り落とし、それらを橋の欄干に並び飾るというシナ人固有の猟奇事件を起こしている。

その報復として日本軍は400名ほどのゲリラと思しき者を逮捕処刑した。
その中には確かに無実の者も混ざっていただろう。

ゲリラ戦とはそういう様相を呈するもので、おまえが取り立てて言う意味はない。   わかったね。

カンニング常習yominokuni56

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/03/16 09:38 投稿番号: [85 / 402]
他人の著作物を引用するなら、それと明示し、
著者に敬意と感謝の意を表わすべきと、何度指摘されても、しない。

出来ないんだな。  
知らない、自分は読んでいない、理解できていない、
理解する気もない、

だれかの指図を受けて毎日ビラを貼っているだけ、

だから、「ミャンマーのサッチー女史」がどうのこうのと書く     (笑

カンニング常習の行動が身にしみ付いた    (笑

yominokuni56のあんちゃん、事情は丸見えだよ    (笑

あんちゃんは在日韓国人みんなの面汚し、屈辱だ!

あやまれ、在日みんなにあやまれ!

そして勉強しろ!   勉強して書け!

1、出版社
2、書籍の正式名称
3、著者や編集者
4、原典が外国語なら翻訳者

たったこれだけが、できないか、あんちゃん?

シンガポールの教科書 1 外国人は?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2008/03/16 08:26 投稿番号: [82 / 402]
シンガポールの教科書
*「現代シンガポール社会経済史」(英語)
中学初級歴史   ロングマン出版社
1. マラヤおよびシンガポールにおけるイギリス軍の敗北
1941年12月8日日本軍はタイ南部の東海岸およびマラヤ北部の東海岸に上陸した。マラヤ北部における最初の24時間の戦闘でイギリス空軍を撃退し、飛行場を占領した。まもなく2隻の軍艦プリンス   オブ   ウェールズ   ラパルスはシンガポールから出航したが爆撃を受け、爆発   炎上   沈没した。
イギリスの防衛線クダーは15時間の戦闘の末敗北、ペナンでは日本軍の急襲爆撃によって約2000人の死者が出た。

1942年1月末ジョーホールでの戦いに敗れたイギリス、オーストラリア、インド編成部隊はシンガポールへ撤退した。
1941年12月8日コタバルに上陸、多数の日本の戦闘機がシンガポールへ向けて飛んだ。

1942年2月8日ジョホール海峡を渡り、シンガポールの北西海岸に上陸。
2月11日ブキティマ地区に到達、この島で起こった激戦でマラヤで失ったと同じくらいの兵隊を日本軍は失った。この地区の中国人志願兵は勇敢であったので後日日本軍は村で見つけた中国人男性や女性、子供を皆殺しにする復習を行った。
2月15日午後   パーシバルほか5名のイギリス軍将校はブキティマにある日本陸軍指令部の山下奉文陸軍中将に降伏する。
*シンガポールの人々は大変な衝撃を受けた。イギリス軍を信じ、自国の防衛をイギリス軍に頼っていたのに、彼らは期待を裏切ってしまった。
マラヤとシンガポールでの戦いで約12万5000人の兵を失い、多くは捕虜となった。日本軍は15000人を失った。

日本占領下のシンガポール
123年間平和に暮らしていた。日本軍が占領した3年半の間は大きな被害と困難な状況が待ちつづけていた。多くの死体の埋葬と町の清掃をイギリスとオーストラリアの捕虜が強いられていた。日本国旗を家の前に掲げさせられ、シンガポールは昭南島と名前を変えさせられた。シンガポールの人々は日本の支配化で彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々を過ごした。

イギリス人の監禁
民間人は監獄に入れられた、男も女も子供も、町からチャンギ監獄まで行進しなければならなかった。イギリスと、オーストラリア、インド兵士は軍人の捕虜収容所に送られ、多くの兵士が獄死した、また、多数の捕虜がタイとビルマの鉄道建設に送り出され約45000人が死亡したといわれている。
(タイのノンプラドックからビルマのタムピサヤまでの415km軍用鉄道42年10月開通)

中国人処罰
シンガポール在住の中国人が抗日中の中国を援助するために資金を与えていたので処罰することに全力を尽くした。すべての中国人、特に18歳から50歳までの男性は検証(適正架橋摘発と粛清の調査=適正と断じられた者は即時処分=虐殺)

される為に何箇所もの集合場所(ジャラン、プサール、パーガー)に出頭しなければならなかった。小屋も食料も飲料も与えられず何千人もの中国人が貨物自動車に乗せられ、チャンギ海岸や東海岸に連行され、グループごとに縛られ、撃たれ、銃剣で死に至るまで刺された。

真珠湾攻撃外伝 2

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/03/16 04:58 投稿番号: [81 / 402]
とまれ、不時着ゼロ戦を囲む群衆はふくれあがり200人にもなっていた。彼らはまだ真珠湾攻撃を知らなかったが、機体の生々しい弾痕を見て騒ぎ出した。そのうち気付いた西開地飛行士にあれやこれや大声で詰問するが、カナカ語と英語のチャンポンなのでさっぱり通じない。逆に書類を奪われたことに気付いた日本人飛行士は、これまた血相を変えて群集を追及するがブロークンイングリッシュなのでこっちもチンプンカンプン。

原田はこのとき日本軍の真珠湾攻撃を知った。原田はなにも言わずにこの若き飛行士を自宅に連れ帰るが、群衆もついてきて家を取り囲みその数は300人にもなっていた。原田と西開地は監視の目を掠め書類を取り戻そうと裏口から脱出、ハウイラの家に急ぐ。そしてかれらはハウイラの妻が居るのにもかかわらず強引に家捜しを開始した。

二人の脱出に気付いた群集は今度はハウイラの家を取り囲み投石を始めた。もはやこれまで、家ごと書類を燃やしてしまおうと、二人はハウイラの家に火を放った。群集がひるんだ隙を捉えた二人は脱出し不時着したゼロ戦に急いだ。
原田の中に巣くっていた最も日本的な心情が、日本兵士特有のはりつめた責任感と悲壮感に合致したのだろうか、二人は、お互いの視線にうなづき合ってゼロ戦に油をかけ炎上させた。
このときすでに二人は暗黙裡に死への了解があったのだろう。追いついた群衆は二人を捕縛しようと迫る。二人は裏山に逃げ込んだ。元より長く身を隠す術もない孤島である。二人は、原田の拳銃で順に頭を打ち抜いて自決した。

翌日、通報を受けたFBIとMPがやってきて原田夫人を逮捕した。主人と一体のスパイ容疑である。
日本機がニイハウ島に不時着したのも予定の行動であって、放火したり拳銃自殺を遂げたのはその証拠とされた。
婦人は結局3年2ヶ月もの間刑務所に収監された。

この事件には不明なところが多い。夫人の口が重く多くを語らなかったからだ。
当時のアメリカの日系人に対する世評は、
「ジャパニーズは、しょせん異人種と同化できない。またアメリカ市民権を得ても、天皇の誕生日には日の丸の国旗を掲げて忠節を誓い、生活ではタクワンと味噌汁を離せない人種である。
平時でさせアメリカ人の生活基盤を乱す傾向のある彼らは、いったん有事の際には、どういう結果を招くか予測できない。
日本人は、全部を警戒し、監視する必要がある」という根強い、厳しい評価があった。

治外法権の島ニイハウでの事件に、軍の機密保持のためなら殺人、放火、自殺をもあえて断行することこそ、帝国軍人の面目とする日本の若者と、アメリカ市民として生きようとしていた日系二世の意識の裏にある「日本臣民」という自覚が織りなした、あまりにも痛ましい悲劇であった。
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