南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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Re: 昭和天皇は「平和主義者」か(1)
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/08/05 07:12 投稿番号: [18703 / 29399]
>国体の護持は、結局、日本人全員を納得させるために必要だったように思う。
こういう採って付けたような
こと書くなよ(笑)
>でないと、その後、ゲリラ戦に移ってしまい、戦争は一向に終了しなかった可能性がある。当時の日本人は天皇陛下を心のよりどころにしていたと思う
食う飯すら無くて
戦えるか?(笑)
国民の多くは
戦争終結を望んでいたんだよ。
だから
敗戦と同時に
アメリカ軍、連合国軍を
受け入れられたんだよ。
その心情の転換の早いこと
連合国軍を恨んだ国民なんてのは政府関係者軍人以外
いなかったんじゃないのかい(笑)
占領軍
マッカーサーの下に
感謝の令状が山ほど届いたって資料もあるんだぜ(笑)
>アメリカはそこをついたんだと思う。日本が降伏できないようにした。
あのな、、ミズリー艦上で降伏文書署名する前夜
鈴木貫太郎は連合国軍に
1国体の護持
2天皇の戦争責任不訴追
3戦争指導者の戦争責任不訴追
を降伏条件として提示し、
国体の護持だけが
認められた経緯があるんだよ。
何が何でも天皇制だけは護持したかった、、ただ
それだけなんだよ(笑)
国民が望んだことじゃないんだよ(笑)戦争責任者が命の補償を求めただけ何じゃないの?(笑)
国民は民草ってね、、草なんだよ、、理解出来てないようだね。
>ところで君は、よみ君と同じような考えをするようだけど、原爆で日本人が焼かれたことを、楽しいと思っているの?どう?おしえて?
おいおい、、問題の程度を落としちゃいけんがね(笑)
おいらが
何時
原爆被爆者を笑ったかね?
原爆投下を許した日本国政府を笑ってるんだがね、、、(笑)
君は
天皇陛下の玉音放送がどういった理由で敗戦を決断し
放送されたかを
書かなければならない
問題があるんだけどね(笑)
玉音放送をした時点では
まだ、国体の護持について
連合国軍からの補償は得られていないんだよ、、何故
敗戦
降服を決断
裁断したんだろうかね?
それを君は答えなければならないんだよ。
大口あけて
漫才やってる場合じゃないだろう(笑)
これは メッセージ 18645 (yousunwai さん)への返信です.
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Re: yominokuni56 日ソ不可侵条約とは何か
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/08/05 06:59 投稿番号: [18702 / 29399]
低脳屁以下
どの
日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)は1941年(昭和16年)に日本とソ連の間で締結された中立条約。相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた全4条の条約本文、及び、満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全と相互不可侵をうたった声明書から成る。有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされた(第3条)。
当時日本はアメリカなどと関係が極端に悪化していた。当時の駐ソ連大使であった東郷茂徳は、日独伊三国軍事同盟の締結に反対し、むしろ思想問題以外の面で国益が近似する日ソ両国が連携することによって、ナチス・ドイツ・アメリカ・中華民国(蒋介石政権)の3者を牽制する事による戦争回避を考え、日ソ不可侵条約締結を模索していた。
ところが、松岡洋右が外務大臣に就任すると、構想は変質させられ、日独伊三国軍事同盟に続き、日ソ中立条約を結ぶことによりソ連を枢軸国側に引き入れ、最終的には四国による同盟を結ぶことで、国力に勝るアメリカに対抗することが目的とされた。
当初、ソ連は応じなかったものの、ドイツの対ソ侵攻計画を予見したことから提案を受諾し、1941年4月13日調印した。調印後、ソ連は極東に配備していた部隊を移動し、同年12月8日のソ連軍のドイツ東部戦線での反撃に投入した。この戦闘がドイツ敗北の遠因となる。
[編集] 条約破棄
1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達した。
この背景には、ヤルタ会談にて秘密裏に対日宣戦が約束されたことがある。ポツダム会議では、原爆完成により、アメリカはソ連の参戦なくして日本を降伏させることも可能と判断しソ連参戦の回避を図ったとされる。一方、日本側はソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼していた。ソ連はこれを黙殺し密約どおり対日参戦を行うことになる。ソ連は8月8日深夜に日ソ中立条約の破棄を宣言し「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告。9日午前零時を以って戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国等へ侵攻した。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。
>以前、或る関係者の講演会で、ソ連の行為(20年8月8日侵攻)は、条約違反の疑いが濃い、というのを聞いた。
お前が聞いたのは
条約を破棄する場合は一年前を要すって
年月だけのことだ(笑)
すでに
駐ソ大使佐藤が四月にソ連外務大臣から条約の更新はしないと通告されていた事実が先頃
ソ連の資料から明らかとなっている。
奇襲とされていることは
明らかにねつ造であり改竄
詐欺政府の仕業だな(笑)
戦争に1年後に参戦し
あんたを攻撃しまっせ、、っていうバカな国もないぜ(笑)攻めるに時間の猶予はないんだよ
日本軍がやったようにね。
日本は宣戦布告も
警告もなく
中国大陸を侵略し
アジアを侵略
真珠湾を攻撃し
連合国軍と戦わなければならなかったアホ軍隊
アホ政府なんだぜ(笑)寝込みを襲うのは日本軍の常套手段だよな。
あったことも
無かったって
なかったことも
あったって云うのが日本式だよ。
盗人猛々しい
詐欺国家なんだよ(笑)
[編集] 条約破棄を巡る議論
これは メッセージ 18644 (pluszee さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑱
投稿者: china_korea_saiko 投稿日時: 2007/08/05 02:56 投稿番号: [18701 / 29399]
wadatumi_voice21様
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「お知らせ携帯メール」を「ON」に設定して下さいね。
⇒携帯メールご利用の際はドメイン指定「55114.com」を設定して下さい。
これは メッセージ 18700 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑰
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:48 投稿番号: [18700 / 29399]
南京大虐殺のような残虐行為を、どうして日本軍が起こしたのだろうか。
日本人が
もともと残酷で、人殺しはその本性だ
などとはとても考えられない。
むしろ、歴史が示すように
日本人は
本来温和で、人や自然を愛する民族だった。
それが、このような事件の主役になったのには、
相当の背景と原因があったはずだ。
もともと軍隊とは暴力組織であり、明白な自律意識が保たれなければ
残虐行為に走るのは当然だ、と言ってしまえば
それまでであるし、
満州事変での平頂事件や
ベトナム戦争でのソンミ事件のように、
内外にいくつも
その例を見出すことはできる。
しかし、南京事件は、あまりにも大規模で
しかも組織的な行為だった。
それを行なった旧日本軍=「皇軍」の性質に、
事件を誘発する原因があったのだと考えられる。
第1に、近代の日本軍の特徴は、世界にも稀なほど厳しい規律と、
兵士に対する服従の強制があり、兵士の自主性を尊重することなく、
がんじがらめの規則と厳しい罰則とで、軍隊の秩序を維持していた。
兵士の人権は極度に制限され、苛酷なまでの絶対服従が強要された。
古参兵士が新兵にたいしてふるった私的制裁としての暴力などは有名だ。
自国の中でも、また自己の軍の中でも、人権と自由を尊重していないのだから
敵国軍の捕虜や民衆にたいする処遇に、人権の尊重を求めるのは無理な話だ。
第2に、皇軍の特徴には、非合理な精神主義の強調があった。
明治の建軍にあたって、日本軍の幹部はすべて士族、つまり
もとの武士だった。
近代軍でありながら、「武士道」が
そのまま持ち込まれた。このことにより
死ぬことが名誉であるという武士の価値観が、天皇のために死ぬことが軍人の
最高の美徳という位置づけとなり、やがて玉砕や特攻などという
およそ近代軍にあるまじき作戦の立案・実行にまで行き着くものになった。
いさぎよく死を選べ、生きて虜囚の恥はさらすな、という思想が
兵士一人ひとりに
徹底して刷り込まれた。
自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国の捕虜の処遇も非道なものとなった。
日本人が、日本人らしさを最も失っていた軍国時代に起きた悲劇。
その現実に向き合わなければ、未来に責任を持つことはできない。
歴史を省みることは自虐でもなければ
恥でもない。
恥だとすれば、自国にのみ都合よく歴史を歪曲することだ。
そうした恥ずべき歴史の改ざんに躍起になりながら、
国際社会が進展している現代にあっても、いまだに他国の人々を
侮蔑しようとする傲慢な日本人がいる。
しかし、他国民衆への侮蔑的感情が、
違法な残虐行為の要因になったことを
忘れてはならないと思う。
これは メッセージ 18699 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑮
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:30 投稿番号: [18698 / 29399]
ドイツ本国に送られた大使館の報告によれば、
直接ドイツ人が見聞した日本兵の殺人や強姦の例が多数あげられている。
ドイツ大使館にまで、女性を渡せと日本兵が侵入してきたことまで報告し、
37年12月24日には、
「日本兵による民間人にたいする行為のもっとも忌まわしい事実があきらかになった」
「それはドイツの政策目標である共産主義拡大防止に明白に対立するものだ」としている。
38年1月15日の報告では、
「日本軍が占領してから1ヶ月以上もたっているのに、女性や少女の連行と、
暴行も同じく続いている。この観点から言えば、日本軍はここ南京において
みずからの恥辱の記念碑をうちたてた」とまで言っている。
同年2月10日の報告には、米国人マギー神父が撮影した映画フィルムを同封するとし、
このフィルムは残虐行為を雄弁にものがたっているから、
「総統にもぜひ、映画をご覧いただきたいと願う」としている。
このとき同封された解説文はベルリンに残されているが、フィルムは残されておらず、
ヒトラーが
実際に、これを見たかどうかは
知るすべがない。
当該フィルムは、米国で発見された『マギーの遺言』と題する映画と
おそらく同じものであったと考えられる。
当時、南京の国際員会委員長は、ドイツ人のジョン・H・D・ラーべという人物だった。
彼は、38年2月に帰国して報告書を作成している。この報告書には、
日本軍が捕虜を数千単位で処刑したり、集団で略奪や強姦を繰り返したと記録されている。
そして、非戦闘員で殺された者については「5万から6万人ぐらい」と述べている。
ラーベが記した非戦闘員犠牲者の数は、彼が居た安全区内もしくは周辺市街のものだ。
一般住民の被害は、市内よりも周辺農村部のほうが
はるかに多かったのであるし、
調査が十分に行われたわけではないので、これらの数字は最低限のもと考えるべきだろう。
一般市民の被害者数を正確に数えることは困難なことだ。
問題は、日本軍による一般市民への残虐行為
とくに殺人、強姦が多出したという事実だ。
否定派は、その数がきわめて少ないから大虐殺ではないと主張している。
極端な主張では、市民の殺害は47人だけだ
などという非現実的な主張まである。
これは、国際委員会が
47人の市民殺害について日本軍に抗議したことを
根拠としたものらしい。
しかし
それは、スマイス調査はじめ第3者のあげる数字も、まして被害者側の
なまなましい証言も
すべて無視するものであって、まったく根拠に欠ける。
これは メッセージ 18697 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑭
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:29 投稿番号: [18697 / 29399]
加害者である日本軍側が
まとまった記録を公式に残しているわけがない。
したがって、一般市民への残虐行為、特に
どれだけの人が殺されたかを
推定するためには、第三者の記録に
たよるほかはない。
一般市民の被害を、そのとき調査した第三者の記録として残されているものは、
金陵大学社会学教授ルイス・S・C・スマイス博士が行った
「南京地区における戦争被害1937年12月−1938年3月
都市および農村調査」
(日中戦争資料編集委員会編『日中戦争資料9南京事件Ⅱ』河出書房新社、所収)がある。
この調査は、日本軍の占領下で行動が制限されているという困難な状況下で、
南京の市部と、南京市の行政区にふくまれる周辺6県について行われたサンプル調査だ。
市部の中でも調査員の立ち入りが困難な地区もあり、周辺部についても県城を除外した
純農村だけが対象となっているので、その数字は総数をあらわしているものではない。
この調査によると、市部(城内および城門外の下関と中華門外をふくむ)で、
死傷者6,750名、拉致された者4,200名となっている。
死者は3,400名で、そのうち兵士の暴行によるもの2,400名、
爆撃や砲撃その他によるもの1,000名となっている。
域内の農村部では、5県の県城をのぞく純農村で、死者30,905名、
そのうち殺されたもの26,870名、また「村に帰って来ない」もの133,230名
となっている。
「拉致された者」や「帰って来ない者」の大多数も
殺された可能性は高いが、
これをのぞいても、この調査で
日本兵の暴行による死者、または殺された者として
計上されているのは、29,270名にのぼっている。
これに、調査で除外されている県城での被害をたせば、この数はもっと増えるはずで、
犠牲者の総数は、はるかに多いことが分かるだろう。
南京虐殺否定派は、英米人は日本に敵意をもっていたはずだから
その証言や調査は信用できない、と言うかも知れない。
しかし、日本と同盟を結んでいた友好国ドイツの在中国大使館の報告でも、
日本軍の残虐行為をくわしく報告している。
当時、ドイツ大使館の書記官が、直接本国の外務省に克明に報告を送っていたのだ。
この報告は、ベルリンの旧東ドイツ国立公文書館に残されており、ドイツ統一後に
公開されている(0102在大使館報告「2208日中紛争203〜205」)。
これは メッセージ 18696 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/18697.html
南京虐殺の原因は何か⑬
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:28 投稿番号: [18696 / 29399]
11月11日付の第三師団歩兵第六聯隊第二大隊の攻撃計画は、
大隊長から将兵に対して
次のように命じるものとなっていた。
「一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス」とし、さらに次の項では
「掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ準備スルコト」
と示していた。
つまり、城外にいる一切の人間を殺し、家屋を焼き払うことを命じていたのだ。
それでなくとも
日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗により苦戦を強いられ、
味方に多くの犠牲者がでたことで
中国人への憎悪と敵愾心にあふれていた。
さらに
後方補給のないまま
強引な物資の「現地徴発」を重ねて追撃していったのだ。
そのうえに、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ」ているのだと
刷り込まれ、一切の区別なく敵と見なし、村落も焼き払えと命じられれば、
極限状態にあった兵隊たちが
どのような行動をとったかは、想像するに難くない。
その第一線部隊の後方にも、大量の軍隊が進軍していった。
道路や橋が破壊されていたため、馬や車両をもつ部隊の前進はとどこおり、行李や輜重、
砲兵や通信隊などの特科部隊は、後方から第一線を追いかけることになったのだ。
また、上海戦での損害も大きかったので、各隊には次々と補充員が送られた。
この補充員たちが、各隊ごとに先任者の引率で第一線を追いかけるので、
これも後方の混乱の原因になったと言われている。
こうして
上海から南京への江南の平地は、日本軍の第一線の通過したあとも、
雑多な日本軍部隊が
長期間、広範囲にわたり、まるでイナゴの大群のように
「現地徴発」を繰り返しながら進んでいった。
第一線部隊が通りすぎ、避難していた住民が集落に戻ったあとに、
三三五五とまたやって来た日本兵に、殺されたり強姦されたりした例が多いという
中国側被害者の証言があるのは、このためであったと考えられる。
一般市民の被害の状況を全体としてあきらかにすることは非常に困難だ。
兵士の日記や証言などに、個々の掠奪や殺害の記録があるが、
加害者である日本軍側が
まとまった記録を残しているわけがない。
したがって
一般市民への残虐行為、特に
どれだけの人が殺されたかは、
概数を第三者の記録にたよるほかはない。
これは メッセージ 18695 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/18696.html
南京虐殺の原因は何か⑫
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:27 投稿番号: [18695 / 29399]
国際法にも人道にも反する大量の捕虜殺害が組織的に行われたという事実は、
日本軍の公式記録でもあきらかであり、外国人の捏造だなどと否定できない。
そこで南京虐殺否定派は、戦闘継続中のゲリラ掃討のようなものだから
違法行為ではないなどと
主張するかもしれない。
しかし、どの記録や証言をみても、難民区を含む地域での「敗残兵の剔出」、
あるいは自ら投降した捕虜たちを「処断」したのであって、戦闘によるものではない。
仮に、敗残兵の中に
戦闘継続を図る者がいたというのであれば、
入城後において日本軍側にどれほどの犠牲者が出たか、記録があれば示すべきだ。
さて、このように中国軍捕虜および敗残兵と見なされた中国人の大量殺害とともに、
南京大虐殺の核心というべきは、
非戦闘員への残虐行為、とりわけ婦女に対する強姦殺人だろう。
なぜ、このような残虐な行為が行われ、また
それを防げなかったのだろうか。
南京攻略より以前、すでに日本軍は
退却する中国軍を追撃するなかで
一般民衆と接触する機会が頻繁となっていた。
第十軍は、杭州湾上陸に先立つ10月21日、将兵に対し「軍参謀長の注意事項」を
通達したが、その中の「支那住民ニ対スル注意」では
次のように一般住民に対する
断乎たる処置は求めているが、その保護については
いっさい触れていない。
北支殊ニ上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ
敵ノ間諜ヲ勤メ、或ハ日本軍ノ位置ヲ敵ニ知ラシメ、或ハ敵ヲ誘導シテ
日本軍ヲ襲撃セシメ、或ハ日本軍ノ単独兵ニ危害ヲ加フル等寔ニ油断ナリ
難キ実例多キヲ以テ、特ニ注意ヲ必要トス、殊ニ後方部隊ニ於テ然リトス、
斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テ些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執
ルベシ(防衛研究所図書館所蔵「昭和12年陸支密大日記」)
中国一般住民は老人、女性、子供であっても敵に通じ、
日本軍に危害を与える存在であるから
油断するな、
怪しい者は断固として処置せよ、という指示であり、
どこにも一般市民は保護すべきだという考えは
示されていない。
むしろ、すべての民衆を敵とみなせという命令さえ下していた。
その具体的例としては、
上海南方地域の掃蕩にあたった第三師団の歩兵第六聯隊第二大隊の
11月11日付の大隊長命令による攻撃計画などがある。
これは メッセージ 18694 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑪
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:25 投稿番号: [18694 / 29399]
国際委員会の要請を無視して行なわれた難民区での掃蕩作戦は、凄惨をきわめた。
第九師団第七歩兵聯隊長の日記では
「三日間ニ亘ル掃蕩ニテ約六千五百ヲ厳重処分ス」、
戦闘詳報には「刺射殺数(敗残兵)六六七〇」(資料集「南京城内掃蕩成果表」)
との記録が残されている。
この市内掃蕩は、国際委員会が難民保護にあたっていた安全区を主な舞台として
行なわれたことから、当時から世界に広く知られることになった。
そのやり方は、青壮年を狩り集め、額に日焼けの線がある者、靴ずれのある者、
姿勢のよい者、眼つきの鋭い者などの
いい加減な基準で「兵士」を選び出し、
これを処刑の対象にしていった。
殺したのは「兵士」だけだったと言い切ることは到底できるはずがない。
この難民区での「掃蕩」については、たくさんの国際委員会関係者の証言が
残されているだけでなく、日本軍側の聯隊長や兵士の証言も残されており、
歩兵第七聯隊の戦闘詳報の裏づけとなっている。
大虐殺否定論者は、この掃蕩は戦闘行為の継続なのだから、
不法行為ではない、などと主張してみせる。
だが、きわめて曖昧な基準で「便衣兵」を選び出して処刑したのだ。
また、たとえ兵士であったとしても、
裁判にもかけず
いきなり殺すのは
違法であり、非人道的な行為だ。
日本も批准公布していたハーグ会議での陸戦法規条約は
「武器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁じている。
武器を捨て、軍服を脱ぎ、ひたすら死を逃れようとしていた者を、
それが兵士であったとしても、すぐに殺していいということはない。
それは不法殺害であり、虐殺という部類に当然入るものだ。
一個聯隊だけの市内掃蕩で6,000名以上の「敗残兵」に、国際法に背く
虐殺が実行されたことが、公式に記録され、証言で裏づけられている。
大虐殺否定派の中には
苦し紛れに、便衣兵はゲリラ活動する者だから
国際法の捕虜としての資格はないなどと主張している者もいる。
しかし、すくなくとも南京の場合、「便衣兵」がゲリラとして
意図的・組織的に敵対行動をとっていた事実はない。
いずれも
殺されるのを怖れて平服に着替え、
隠れていた戦意を失った兵士や、兵士の疑いのある市民が
殺害されたのだ。
しかも
その舞台の一部が、国際安全区だったのだ。
これは メッセージ 18693 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/18694.html
南京虐殺の原因は何か⑩
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:09 投稿番号: [18693 / 29399]
“宮様”も参加する入城式を成功させるために、
すでに戦闘能力を失った敵に対し、徹底した掃蕩作戦が展開された。
12月13日午前8時30分に第十軍が発令した南京城内攻撃作戦命令では、
「各兵団は城内に対し砲撃はもとよりあらゆる手段を尽くして敵を殲滅すべし」
「これが為要すれば城内を焼却し特に敗残兵の欺瞞行為に乗ぜられざるを要す」
と示していた。
仮に、中国の敗残兵が潜んでいたとしても、
非戦闘員である市民の居住区、さらに外国人も残留している城内に対して、
砲撃や焼き払いなどを行なうというのは、まさに無差別攻撃だ。
さらに、驚くべき命令が出る。
第十六師団の歩兵第三十旅団が12月14日午前4時50分に下達した
城内掃蕩の命令では、「各隊ハ師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」
すでに城内の各所で掃討作戦が行なわれている時点で、
敵を捕虜にするなとは、何を意味するのか。
13日から14日にかけての城内掃蕩によって、
どれだけの中国兵もしくは敗残兵と見なされた中国人が殺されたのか明確ではないが、
中山路以南の掃蕩を担当した第九師団だけに限っても
「7千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」(「南京戦史資料集」第九師団作戦経過概要)
と記録していることから、他の師団を合わせれば
何万人もの無抵抗の中国人が、短期間に殺されたことが分かる。
日本軍の市内掃蕩で多くの中国人が殺されたが、
一部は国際委員会が管理する難民区に逃げ込んだ。
これについて
国際委員会のラーベ委員長(ドイツ人)は、
彼らを武装解除して収容しているから
その生命を助けてくれ、という要請書を
日本軍に提出した。(笠原十九司「南京難民区の百日」、岩波書店)
これを受けて中支那方面軍は、難民区には入らないように指示した。
しかし、この指示は
まったく守られなかった。
入城直後から日本兵が難民区に侵入し、掠奪や強姦を繰り返したことについては、
おびただしい数の外国人の証言があるし、さらに
第九師団歩兵第七聯隊の
戦闘詳報や従軍者の日記にも
日本軍が難民地区にまで侵入し、
徹底的に敗残兵の捕捉殲滅作戦が行なわれていたことが記録されている。
これは メッセージ 18692 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑨
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:07 投稿番号: [18692 / 29399]
歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報の13日の記事には、さらに次の記述がある。
九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル結果、
各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ五十名宛連レ出シ、第一中隊ハ路営地
南方谷地
第三中隊ハ路営地西南方凹地
第四中隊ハ露営地東南谷地ニ於テ
刺殺セシムルコトトセリ
但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際
絶対ニ察知サレザル如ク注意ス
各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分刺殺ヲ終リ
聯隊ニ報告ス
第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ乗リ出シ
従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セルモノアリ
特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ
すでに武装を解除し
収容された捕虜を、裁判にもかけずに全員殺害するとは、
あきらかに陸戦条約違反であり
人道に反する残虐行為にほかならない。
ひとつの部隊だけでも、上記のような数日にもわたる組織的な大量殺害が
実行されたのだから、日本軍全体での捕虜殺害は、いったいどれ程のものだったのか
想像を絶する膨大な犠牲者数であったことは
間違いないだろう。
南京大虐殺として事件が国際的に知られるようになったのは、
難民区をふくむ市内での「敗残兵の掃蕩」「便衣兵の剔出」による集団処刑が
外国人の眼にふれたことによってだった。
中国軍の南京防衛軍司令官唐生智恵は、12月12日夕刻
「各隊各個に包囲を突破せよ」と命令し、ひそかに揚子江を渡って脱出した。
このため中国軍は一挙に崩壊し、脱出するもの、投降するもの、武器を捨て
軍服を脱いで便衣(中国人の平服)に着替えて市内に潜伏するものなど、
完全に四散して
軍隊としての戦闘能力は消滅していた。
これに対し
日本軍は、市内の「中国軍」の徹底的な「殲滅」を命令し、
14日以降も市内の掃蕩を行なった。
この掃蕩は、皇族の朝香宮も参加する17日の「入城式」以前に、
市内に潜む「中国兵」狩りを目的としたものだった。
これは メッセージ 18691 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑧
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:06 投稿番号: [18691 / 29399]
支隊長の日記には、捕虜の処置について
軍司令部と打ち合わせしたこと、
その結果、皆殺しにせよとの支持があったことが記されている。
日記は続く。
18日に「捕虜ノ仕末ニテ隊ハ精一杯ナリ、江岸ニ之ヲ視察ス」とあり、
19日には「捕虜仕末ノ為出発延期、午前総出ニテ努力セシム」とある。
(「南京戦史資料集Ⅱ」偕行社、1993年)
この日記には、捕虜の「仕末」についての具体的な「方法」は記述されていない。
しかし、記述されていないこと自体が
その実態を物語っている。
前後の記述を見れば、軍司令部の指示により
捕虜を殺害したことは明白であり、
それは、他の幹部や兵士の日記と照らし合わせればより確実なる。
それらの資料は、いずれも17〜19日にかけて
部隊総出で大勢の捕虜を揚子江岸で射刺殺したことを記述している。
ひとつの支隊だけで、少なくとも1万数千人の捕虜を殺害したことが分かる。
第九師団については史料が乏しいが、入城後の敗残兵剔出で、
歩兵第七聯隊戦闘詳報では6,670、同聯隊長の日記では6,500を
「処断」したと記されている。
南京に至るあいだの戦闘や入城時に
同師団のその他の部隊が
まったく捕虜を殺していないということは
あり得ないことであり、
総数は膨大なものになったと考えるべきだろう。
第十軍の第百十四師団では、歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報が残されている。
そこでは、12月10日から13日のあいだに捕虜1,657人を捕らえたこと、
この捕虜を
旅団命令で14日にすべて殺したことを、具体的に記述している。
記述によれば、数日間にわたって収容していた捕虜を、上部の命令で
組織的に虐殺したことがあきらかにされている。
以下に
13日の記事の一部を抜粋してみよう。
八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
ハ.聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
貴大隊ノ任務ハ前通リ
これは メッセージ 18690 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑦
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:04 投稿番号: [18690 / 29399]
南京攻略戦に直接参加した部隊の中で、上海派遣軍では
第十六師団の歩兵第三十三聯隊と歩兵第三十八聯隊、
第九師団の歩兵第七聯隊、第三師団の歩兵第六十八聯隊の第一、第三大隊、
第十軍では第百十四師団の歩兵第六十六聯隊第一大隊と歩兵第百五十聯隊、
国崎支隊、歩兵第四十一聯隊の第三大隊、同第十二中隊の戦闘詳報が、
防衛研究所図書館に所蔵されており、
偕行社の『南京戦史資料集』に関係部分が収録されている。
また、この資料集には、多くの関係将兵の日記も収められている。
第十六師団長の日記によると、同師団は12月13日の一日だけで
2万4千〜5千人の捕虜を「片づけた」と記録しており、
同師団の旅団長も「我支隊のみで二万以上の敵は解決した」としている。
また、同師団隷下の歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報では、
13日に捕虜2,896を「処断」したと記録されている。
上記の師団長日記が、もしも誇大な数を記したものと仮定しても、
第十六師団全体では、少なくとも2万人を超す捕虜を殺したと考えられる。
上海派遣軍のなかで、もっとも組織的に捕虜の大量殺害を実行したのは
第十三師団歩兵第百三旅団が指揮する歩兵第六十五聯隊基幹のY支隊とされる。
同支隊は、12月14日に幕府山付近で14,777名を捕虜にした。
この人数は、当時の国内の新聞にも報道されており、
同支隊の幹部や兵士の日記にも記録されているものだ。
そのほか、17,000名とか20,000名という記述もある。
上海派遣軍の参謀長の12月15日の日記にも
「支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ、尚増加ノ見込」
とあることから、14日以降も捕虜は増え続けていたことがわかる。
支隊は、この大量の捕虜を
いったんは収容したが、
隊の兵力の数倍にのぼる数で、その給養にも困惑した。
支隊長の日記によると、14日には
「恰モ発見セシ上元門外ノ学校ニ収容セシ所、一四七七七名ヲ得タリ」
「斯ク多クテハ殺スモ生カスモ困ツタモノナリ」、15日には
「捕虜ノ仕末其他ニテ騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ連絡ス
皆殺セトノコトナリ」
と記されている。
確認しておくべきことは、これが
一個支隊だけが行なった
事実の記録だということだ。
日本軍全体でなく、限られた範囲での記録であっても
これだけの事実が記録されているのだから、記録のないものも含め
全師団、全部隊を併せて
どれほどの犠牲がうみだされたのかは想像を絶する。
これは メッセージ 18689 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑥
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 01:00 投稿番号: [18689 / 29399]
軍や師団の幕僚が捕虜の殺害を指示していたという証言には、次のような例もある。
上海派遣軍の右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
12月14日仙鶴門鎮付近で大部隊を捕虜にしたさいの状況を証言している。
捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」
と言ってきたので拒否しましたら「では中山門まで連れて来い」と命令されました。
「それも不可能」と断わったら、やっと「歩兵四コ中隊を増援するから連れて来い」
ということになり、私も中山門近くまで同行しました。(中略)
「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより今日に至るまで、
私の脳裡から離れません。(畝本正巳「証言による『南京戦史』(5)」)
師団副官が捕虜を殺せと指示したという歩兵第三十八聯隊副官の次の証言もある。
聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて
混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。(中略)
部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達
しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。
師団が捕虜の処置を決めて指示した史料も残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名で「戦闘に関する教示」を出し、
中国人捕虜の扱いについての方針を次のように示していた。
(前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、師団司令部ニ
護送スルヲ要ス
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝ニ利用スルモノ
ニ付、此ノ点部下各隊ニ徹底セシムルヲ要ス
但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スルモノトス
(防衛研究所図書館所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)
武装を解除した後の捕虜を、裁判もなしに
その場で処刑することは
明白な国際法違反であることは言うまでもない。
もちろん、捕虜になる意思を示して自ら降伏してくる敵も同様だ。
しかし、「事変」と称した殺戮の場では、戦時法の適用は無視され
道義的規範は完全に抹殺されたのだ。
これは メッセージ 18688 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か⑤
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:44 投稿番号: [18688 / 29399]
当時の方面軍司令は、捕虜の処置についての関心は
あまりなかったと思われる。
その証言の中では、南京での捕虜殺害について
次のように述べている。
さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物もない。
さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから始末することが出来ない。
それでちよん斬つてしまうといふことになった。
それで大したことではないのだが、南京の東南方の鎮江との間の所で
一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは無論追撃中だから
戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても逃亡する者もあるし、
始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射つてしまつたのだ。
その死骸が川に流れた。それから問題になつたのだ。
(吉田裕『南京事件と国際法』より)
捕虜の大量処刑を「戦闘行為の一部」だとして済まそうとしたというのだ。
この方面軍司令の捕虜処分の認識については、偕行社の『南京戦資料集』の解題でも
「○○大将の捉えていた『南京事件』は、外国権益の侵害と一般市民に対する掠奪、
暴行、強姦の軍紀風紀問題で、捕虜処分の問題は視野の外であったようだ」としている。
どうやら、日本軍の司令官は
中国軍捕虜を処分することを、国際法上の犯罪とは考えていなかったことがうかがえる。
このほかにも、軍や師団が
捕虜の「処分」を命令または指示し、
組織的な殺害がおこなわれていたという史料は、数多く存在している。
派遣軍司令部の情報主任参謀で方面軍参謀を兼ねていた中佐が、
捕虜をどうするかという師団からの問い合わせにたいして、
くりかえし「ヤツチマエ」と命令していたという証言がある。
これは、当時少佐で方面軍司令の専属副官であった人物が『偕行』に寄せたものだ。
おそらく、南京虐殺まぼろし説を振りかざすヤスクニ派などは、
こうした数々の証言を、すべて
捏造だ、ウソだ、などと否定しようとするだろう。
しかし、前述に引用した陸軍次官通牒や戦闘詳報など日本軍が残した文書には
これらの証言を裏付けるように、日本軍の中国軍兵士への認識や
対処方針などが示されており、資料的価値は
十分にあるものなのだ。
これは メッセージ 18686 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か③
投稿者: china_korea_saiko 投稿日時: 2007/08/05 00:43 投稿番号: [18687 / 29399]
これは メッセージ 18683 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か④
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:43 投稿番号: [18686 / 29399]
前述したように、すくなくとも日本軍には
中国兵捕虜に対しては
他国の兵士のような処置は不要である、という差別意識が深く根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が全面化し始めたとき
陸軍は、
これを「戦争」ではなく「事変」であるから、戦時国際法は適用しない
と決定したことだ。
支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の1937年8月5日に発令された
日本軍の指令書「陸支密第198号支那駐屯軍参謀長宛陸軍次官通牒」
『交戦法規ノ適用ニ関スル件』には、次のように示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ
さらにまた、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ言動、
例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」などは
つとめて避けよと指示している。
つまり、国際法規は適用しない、俘虜という言葉は使うな、と命じたのだ。
要するに、中国兵は国際法上の捕虜として処遇しなくともよいと言うことになる。
こうした軍中央部の方針は、ただちに現地軍に伝えられた。
現地の日本兵は、これを
捕虜はつくるな、捕虜にせず殺せ、と受け止めた。
とくに
上海戦での苦戦から敵愾心にあふれた第一戦部隊に、
捕虜にした中国兵を躊躇なく殺す例が数多く見られたのは
こういう理由だ。
もともと「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要などない、
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」と侮蔑していた中国兵なのだから
わざわざ収監したり護送するなどの面倒な処置は必要ない。
ましてや、「国際法規を気にする必要はない」と指示されたのだ。
陸戦条約に基く人道的扱いなど、日本軍の念頭から消え去ったのは当然だった。
日本軍の包囲網が完成したことにより、南京城内及び周辺地域には
少なくとも10万人程度の中国兵が逃げ遅れて投降したと推定されている。
これに対し日本軍側には、捕虜収容の用意は
まったくなかった。
これを裏付けるものとして、
大量の捕虜の処置に窮し、上級司令部が殺害を命じたという証言がある。
これは メッセージ 18685 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:41 投稿番号: [18685 / 29399]
当時の資料を分析するかぎり、日本軍の軍紀の緩み、
軍としての素質の低下が厳然としてあったことが読み取れる。
おそらく、兵士の大部分には
国際法などの知識が欠如していたと思われる。
南京周辺における戦闘にさいしての日本軍による虐殺の中で
とくに問題になるのは、婦女暴行や民間人虐殺ばかりでなく、
大量の捕虜の組織的殺害が行なわれたことにある。
いうまでもなく
捕虜の殺害は、当時も
明白な国際法違反だった。
1899年にハーグ平和会議で制定され、
1907年の第2回平和会議で改訂された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」
には、日本政府も加入して1912年に批准している。
この条約は
捕虜に対する人道的処遇について定めたものであり、
人権尊重の観念が生まれた近代社会になって、
戦争の遂行について
はじめて国際的な規範を示したものだった。
日本は、みずからを近代国家として世界に認知させようとしているあいだは、
戦時国際法を遵守する努力をしていた。
たとえば、日露戦争におけるロシア人捕虜や
第一次大戦におけるドイツ人捕虜を
収容所で好遇するなど
当時の日本は、国際法の“模範生”だった。
しかし、欧米人に対する場合とアジア人に対する場合には、
あきらかに
異なった基準があった。
それは
軍国主義が強まり、靖国精神が広く行き渡った昭和に入ると露骨になる。
満州事変を経たのちの1933年1月、陸軍歩兵学校は
「対支那軍戦闘法ノ研究」というパンフレットを
参考書として配布した。
これは、同校教官であった大佐の研究を、校長の序を付して刊行したもので、
その中に「捕虜ノ処置」という項目があり、以下のように書かれている。
捕虜ハ他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁シテ戦局ヲ待ツヲ要セズ、
特別ノ場合ノ外現地又ハ他ノ地方ニ移シ釈放シテ可ナリ
支那人ハ戸籍法完全ナラザルノミナラズ特ニ兵員ハ浮浪者多ク其存在ヲ
確認セラレアルモノ少キヲ以テ仮ニ之レヲ殺害又ハ他ノ地方ニ放ツモ
世間的ニ問題トナルコト無シ
中国兵捕虜は、他国人のように国際法に基く処置をしなくてもよい、
殺しても問題にはならない、と述べたこの文書には、
あきらかに
中国の人々への蔑視があらわれている。
当時、日本人には
他のアジア諸国民を見下す傲慢な思想が植付けられていたが、
それに加えて、日本軍の、少なくとも陸軍将校は、
このような参考書によって、対中国への戦術を学んでいたことになる。
これは メッセージ 18683 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京虐殺の原因は何か①
投稿者: guripen01 投稿日時: 2007/08/05 00:36 投稿番号: [18684 / 29399]
情報課???
情報課が指揮をとるのか??
調べさせていただきます。
これは メッセージ 18682 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/18684.html
南京虐殺の原因は何か②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:34 投稿番号: [18683 / 29399]
この中佐が、勝手に処刑命令を出したという点については、別の証言もある。
彼は南京戦直後の1938年に、朝鮮の歩兵第七十四聯隊長に転任するのだが、
同年4月に同じ師団の砲兵聯隊長であった人物が、本人から聞いたとして、
次のような話を
戦後の東京裁判判決と前後して刊行された「裁かれる歴史」に書いている。
約30万人の中国兵捕虜を「みな殺し」にすべしとの命令を、
「何人にも無断で、軍司令官の名で配下の各部隊に無電で伝達した」
と豪語していたというのだ(新風社1948年刊行「裁かれる歴史〈敗戦秘話〉」)。
筆者は、これは中佐の大言壮語と思っていたが、あとで残虐行為の全貌を知り、
そんな大量虐殺は軍の統制ある集団行為でなければできないから、
中佐の言葉は真実であったと思い当たったと書いている。
同じ本の中で、中佐を評して「その最大の欠点は正邪を問わずいやしくも自己が
是と信じたことは、如何なる悪辣なる手段を以てするも貫き通そうとする反省なき
実行家であった」と記している。
以上のような日本軍の特質が、南京事件の背景にあったことはあきらかだ。
さらに1937年という時期と、対ソ戦を準備しながら予期しない対中国全面戦争を
戦うことになったことから生じた条件が、大虐殺を引き起こす原因になったのだ。
上海で苦戦し、南京で大虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような
現役兵を中心とし訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、すっかり異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも一方で対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は
それまで経験したことのない規模の戦時動員を行なった。
ところが
日本軍の戦時動員計画は、
第一次大戦を画期としてはじまった総力戦段階に適合するものにはなっていなかった。
双方とも千万人単位の大軍を動員した大戦は、
それまでの常備軍中心の戦争とは、まったく違う性質の戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて
戦時には膨大な大衆軍を編成できるような
準備をすすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに変わっていた。
しかし
日本の軍部は、一般国民を有能な軍人として信頼しなかった。
第一次大戦後の戦時動員計画も、いぜんとして日清・日露戦争時代と同じように、
常備兵力を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、あくまで既教育兵を中心とするように計画してあったから、
動員部隊は年齢の高い予後備兵が主力を占めるものとならざるを得なかった。
また陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連に備えて、満州と朝鮮北部の常設師団はそのままにしておいた。
そのため中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団を除く
すべての内地の常設師団を動員のうえで派遣することになった。
ところが、華北の戦線拡大、上海での苦戦など
予想外の事態が進展したので、
つぎつぎと特設師団まで動員して、これを第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年8月に、陸軍省は動員部隊の兵の役種区分調査を行なっている。
その調査報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記(防衛研究所図書館所蔵)に残されている。
これによると、損耗の程度、補充の回数や
その他の理由によって
各師団がかならずしも同一ではない。
だが、大雑把にいえば、常設師団では現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵あわせて3割、つまり予備兵がもっとも多かったことが判る。
これに対し、特設師団の場合は
圧倒的に後備兵が多く、これに予備兵と補充兵が加わる。
これは メッセージ 18682 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺の原因は何か①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:32 投稿番号: [18682 / 29399]
なぜ南京大虐殺が起きたのか。
歴史の事実にきちんと向き合い、その原因を解明することは、
過ちを2度と繰り返さない、繰り返させないという決意につながる。
多くの日本人には、その勇気と潔さ、そして英知がある、
自国の歴史を美化し、偏狭な民族意識に固執する民族とは違う、と信じたい。
南京での大規模な残虐行為を、どうして日本軍はおこしたのだろうか。
日本人がもともと残酷で、人殺しを好む本性だなどとは
とても考えられない。
それが
突然
このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と原因があったはずだ。
もともと軍隊とは暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのではないか、という見方もある。
たしかに、満州事変での平頂山事件や、ベトナム戦争での
ソンミ事件のように、内外に
いくつもの類似例がある。
だが、それらに比べても、南京大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で
しかも組織的な行為だった。
それが、なぜ実行されたかを知るためには、
日本軍の性格と特質について
検討する必要がある。
旧日本軍の残した当時の資料を検証・分析してみて気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため戦後に司令官を戦犯死させることになった
という事例が
少なくないことだ。
その代表的なものとして、1931年の十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では中将で参謀長だった将校の場合をみてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、上海派遣軍参謀兼中支那方面軍参謀
情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が、偕行社の「証言による南京戦史」に寄せた投書に
当時の方面軍司令部内部の雰囲気を示すものとして、
次のような出来事を記録している。
12月18日朝、第六師団から軍の情報課に電話があった。
「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
情報課長、●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると確信した。
この事を軍司令官に報告した。
軍司令官は直ちに●中佐を呼んで
「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
●中佐は「支那人の中には軍人が混っております」という。
軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために必要だ」と
強く「解放」を命ぜられたので、●中佐は「解りました」と返事をした。
(中略)ところが約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
「下関の支那人をどうするか」である。●中佐は再び「ヤッチマエ」と命じた。
私はこのことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)
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Re: 南京事件の実相③
投稿者: guripen01 投稿日時: 2007/08/04 23:02 投稿番号: [18681 / 29399]
南京事件。
中華民国の戦力が北伐をおこなってるときに起きた共産党(らしい)勢力による暴動のこと。
1927年の3月のことですね。
その後、済南事件(10数名)、通州事件(二百余名)、尼港事件(7百名)など虐殺事件が起きてますね。
で南京「大」虐殺ですが・・・。
日中戦争での南京虐殺の一番の原因は「オープンシティ」を中華民国政府がおこなわなかったことですね。
市街戦をおこなえば民間人の犠牲は避けれませんね。
もっとも、この件に関しては100%中華民国側に非がありますね。
また・・・。
南京事件否定派の中には、中国兵が軍服と武器を捨てて
民間人に紛れ込んだから悪いのだ、などと言う人間もいるが、
これは
同じ日本人として
じつに恥ずかしい発言だ。
仮に、民間人のなかに
敗残兵が隠れていたとしても、
その疑いを理由に、多くの民間人ともども「処分」することは、
当時の国際法の規定からも、
また、なにより人道上からも、けっして許されない蛮行だ。
寝ぼけたことを言う人もいますね。
降伏してない敵兵いれば攻撃しないとこちらが殺されますね。
白旗揚げてるのを攻撃したとすれば、話は別ですが。
便衣兵は降伏してたのですか?民間人にまぎれての逃亡は殺されても仕方ないですね、どんな破壊工作に出られるか分かりませんし。
平和ボケしてませんか??戦争はサバイバルゲームじゃないですよ。
現在、本邦駐留中の米兵が暴行や殺人をおかすこともありますが・・・。
兵個人としておこなった犯罪を国家のせいにするのは無理があるのでは?
無論、南京で不届きな行いをした者は許すべきではありません。
しかし、個人の行いで国家を糾弾ですか?
ビデオに写っていたのが便衣兵か民間人かどう区別つけるのでしょう。
アメリカや韓国の兵士はベトナムで同様の思いをしたでしょうね。
で、枯葉作戦を・・・。
で、その日中戦争(らしい)ものの複写ですか?
どこかで見れますかね?
ベトナム戦争でゲリラ戦をおこなったベトナムは、枯葉剤や虐殺でただいな犠牲をしいられたが・・・。
国交回復後、過去をほじくり謝罪求めているだろうか?
なぜ彼らは謝罪をもとめないのか?
彼らが東亜の2カ国とちがうところでしょうね。
これは メッセージ 18675 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京事件の実相③
投稿者: umetarokojikoji 投稿日時: 2007/08/04 21:41 投稿番号: [18680 / 29399]
唯我独尊的に振舞っているかと思ったら、
案外陰口を気にするタイプでしょうか?
南京大虐殺をリクエストしたらほんまにあほみたいに投稿してはるし。
「ある」ことを証明することをとっても簡単。
偽物だろうがなんだろうが証拠としてだせばそれが証拠になる。
「ない」ことを証明するのはめちゃくちゃ困難。
それら偽者をいちいち精査しないといけない。
南京大虐殺の物証はほとんどが嘘っぱちと科学的に証明された現在、
それでも次から次へと「物証」が登場し
次から次へと偽物と証明されるのです。
さすが偽物大国。
つーことで、こと南京大虐殺に関しては物証すら証拠になりません。
数ある証言は当然証拠になりません。
物証のない証言ほど怪しいものはないことを肝に銘じましょう。
これは メッセージ 18675 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 「原爆しょうがない」論と「核の傘」論
投稿者: yousunwai 投稿日時: 2007/08/04 19:50 投稿番号: [18678 / 29399]
ところで、わだつみ君はよみ君と同じことを良く主張していると思うんですが、
よみ君は、原爆投下を礼賛しています。
君も似たような意見が多いですが、わだつみ君はよみ君と同じく、
原爆でなくなった方や今も原爆症に苦しんでいる方がいることを良かったと思っていますか?
これで3度目なんですが、いっこうに答えてくれませんねー。
もしかして君もよみ君と同じく、原爆が日本に落ちてうれしい人ですか?
これは メッセージ 18672 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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サッカー日中戦で中国人観客が騒動
投稿者: peking2008shina 投稿日時: 2007/08/04 19:40 投稿番号: [18677 / 29399]
中国遼寧省の瀋陽で1年後の北京五輪のプレ大会として3日夜行われた男子サッカーのU―22(22歳以下)代表による日本対中国の試合終了後、中国人観客が日本人観客の一部に紙コップを投げつけ、集団で罵声(ばせい)を浴びせる騒ぎが起きた。
けが人は出なかったが、日本人観客が一時、場外に出られず、スタンドで待機した。
会場の瀋陽五輪体育場に集まった中国人観客は5万人。日本人観客は約100人で、うち9人がゴール裏手で日の丸を掲げて応援していたが、試合終了と同時に9人に紙コップが次々と投げつけられた。さらに、スタンドからの出口通路に100人以上の中国人が殺到、中国国旗を振り回しながら、「小日本(日本に対する蔑称(べっしょう))」などと叫んだ。9人は公安当局の車でホテルに送られた。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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南京事件の実相④
投稿者: china_korea_saiko 投稿日時: 2007/08/04 19:16 投稿番号: [18676 / 29399]
【Neighbor affair (ご近所セクス)】
あなたの近くに住んでいるまだ知らぬ女性も、今夜は誰かに抱かれたいと
願っている。もっと近くにセクスを。あなたと、そして、あなたを待つ
女性との架け橋を作る
▼ Neighbor affair (ご近所セクス)
http://neighborsx.com/■とにかく驚いたのが、女性がこんなにも積極的であったこと。■━━━━
♂聡さん(19歳/男性/学生)
実はサイトで出会うのもセクスそのものも…初めてだったんですよ!(汗)
だから何もかもが緊張で…。その時出会った彼女は26歳の年上の女性でした。
既婚の方で、旦那さんとのセクスにも飽きていたとか。
そんな彼女は本当に積極的で、ラブホまで導いてくれたのも彼女の方
でした!彼女は部屋に入って扉が閉まると即行でキスをしてきました!
あまりの不意打ちに戸惑いながらも、僕のアスコはビンビンに!それに気付
いた彼女は何の躊躇も無くソレを握り締め、そのままベッドへと導かれまし
た。まだ煌々とした部屋の中で、早くもセクスはスタート!何もわから
ない僕を知ってか知らずか、イキナリ彼女が上になって占有権を握っていま
した。キスをしながらズボンを下ろされ、シミになったボクサーパンツも
すぐに下ろされてしまいました。まだシャワーを浴びていないにも関わらず
彼女は僕のアスコを口の中へ…!どんどん彼女のペースでコトが進み…
気付けば彼女は自ら僕のアスコをマソコに挿入!そして自ら腰を振り、
体をクネらせて「あんあん」感じていました!初めてのセクスは、
そうして彼女にされるがままのセクスで達成されました!(笑)
とにかく驚いたのが、女性がこんなにも積極的であったこと。
「どうやってリードすれば良いか?」とか…考える必要が全くありません
でした!(笑) 次に出会う女性とのセクスは僕のリードで頑張りたいと思う
けれど、果たしてそれ以上に積極的なリードでまたしてもイカされちゃうの
かもしれませんね!(笑)
▼ Neighbor affair (ご近所セクス)
http://neighborsx.com/
これは メッセージ 18675 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の実相③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/04 18:50 投稿番号: [18675 / 29399]
南京事件否定派の中には、中国兵が軍服と武器を捨てて
民間人に紛れ込んだから悪いのだ、などと言う人間もいるが、
これは
同じ日本人として
じつに恥ずかしい発言だ。
仮に、民間人のなかに
敗残兵が隠れていたとしても、
その疑いを理由に、多くの民間人ともども「処分」することは、
当時の国際法の規定からも、
また、なにより人道上からも、けっして許されない蛮行だ。
さらに、多くの婦女子に暴虐が及んだことも、言い逃れできない事実だ。
後の太平洋戦争で、フィリピンなどの占領地では兵士による強姦事件が多すぎる、
しかし中国戦線と比べれば軽微なほうだ、と記された日本軍の記録があるほど、
南京をはじめ中国各地で、人倫にはずれた行為が繰り返されたことがうかがえる。
ドイツの国立公文書資料室には、当時の南京駐在員から
本国にあてた報告が
残されている。
内容は、南京市街での日本軍の行為を伝えるとともに、
難民保護区の牧師が撮影した記録フィルムを提出するので、
ヒトラー総統にも直接見せて欲しい旨が記述されている。
残念ながら、この報告にあるフィルムをヒトラーが見たかどうかは記録にない。
また、そのフィルムの所在も、現在のところドイツ国内では不明となっている。
この報告にある牧師の記録フィルムは「マギーの遺言」と呼ばれるもので、
おそらく
その複写であろうといわれる1本のフィルムがアメリカに保管されている。
日中戦争の実像に迫ったNHK番組のなかで、そのフィルムの一部が引用された。
テレビ放送という枠内で許される範囲の映像であることから、
核心的な部分は映されなかったが、南京で
どのような行為が行なわれたかを
垣間見せるこのような貴重な資料が、世界に残されていることを
あらためて確認させられた。
南京は
当時の首都であったことから、多くの外国人が居留し、
国際機関も存在していた。
女はいるか、いるなら出せ、と大使館の中にまで日本兵は踏みこんできた、
同盟国であるドイツ駐在員の報告にさえ
そのような記録が存在している。
今後、各国に保管されている資料の調査・発見、文書公開なども進むだろう。
勇気をもって真実を語る
旧日本兵の証言の重みとともに、
戦争の実情と歴史の真実を示す史料から、目を背けてはならないと思う。
戦争を正義と描くヤスクニ「神社」を信奉するのは
勝手であり自由だ。
日本は侵略などしていない、非人道的行為など何一つしていない
と叫ぶのも自由だ。
戦争指導者を含め「皇軍」を「英霊」、つまり立派な偉人の霊だと讃えるのも自由だ。
南京虐殺はなかった、ウソだ
捏造だ、などと主張するのも自由だ。
しかし、それは
一宗教団体、あるいは、その信者個人のレベルだけにして欲しい。
一国の首相たるものが
国際社会の一員として、
責任ある国家代表として、政府の責任者として、
そのような
特定の歴史観を掲げる宗教団体に関わるなら、
世界中に
日本の恥を
さらすことになる。
これは メッセージ 18674 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の実相②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/04 18:42 投稿番号: [18674 / 29399]
すでに降伏し、武装を解除して反抗の意思もない者を
「殲滅」するとは
いったい
どのようなことだろうか。
旧日本兵は
証言している。
「民間人だと思ったが、捕まえた全員を殺した」
南京虐殺はなかったと主張する者は、短期間に何万人も殺せるはずがない、
殺したとしても、大量の死体を処分できるはずがない、
などと言いたてる。
しかし、実際に
その経験を語る旧日本兵の証言には、動かしがたい事実がある。
彼の部隊は、数人一組ずつ川に突き落とし、機関銃で掃射した。
川といっても、たとえば日本の街中を流れる排水路などとは規模のケタが違う。
大量「処分」には
好都合だった。
ある部隊では、成年男子を全員「取り調べ」の対象として
片っ端から出頭させた。
そして、兵士が銃剣を構える中で
長い列を作らせて「順番」待ちをさせたという。
前の方から順番に、十人ぐらいずつ呼び出し、銃剣で突き刺して崖から突き落とした。
先に行った者たちが戻ってこないので、後列の人々は不安になったが、
逃げ出すわけにもいかず、ただ
「取り調べの順番」を待つ以外になかったのだ。
ある部隊は、郊外に連行した捕虜たちに、自ら穴を掘らせ、
頭上から
機銃で一斉射撃を浴びせた。
見せしめの意味で、街中で「処刑」された者も少なくない。
各部隊が同じような方法で殺害すれば、短時間で大量「処分」が可能であり、
さらに数日かけて、膨大な数の「処分」が行なわれたことが分かる。
ある支隊長の日記には、次のような記述がある。
「捕虜ノ仕末其他ニテ●●騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ
連絡ス皆殺セトノコトナリ
各隊食糧ナク困却ス」
「捕虜ノ仕末ニテ隊ハ精一杯ナリ、江岸ニ之ヲ視察ス」
「捕虜ノ仕末ノ為出発延期、午前総出ニテ努力セシム」
軍司令部の「皆殺せ」の指示により「始末」するのに総出で対処したこと、
揚子江の岸で午前中いっぱいかかって射刺殺したことを記述したものだ。
南京事件は、「宣戦布告」もない「事変」の最中の行為だった。
「正規の戦争」ではないため、侵略戦争を禁じた不戦条約そのものに
違反していないという身勝手な理屈が通されたと同時に、
戦争下における捕虜の処遇を定めた陸戦条約にも抵触しないとする解釈まであった、
という驚くべき実態が伝えられている。
これは メッセージ 18673 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京事件の実相①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/04 18:37 投稿番号: [18673 / 29399]
第一次世界大戦後、侵略戦争を犯罪行為とし、
法によって戦争を防止していこうとするおおきな潮流が
国際社会の中に生まれ、発展しつつあった。
日本軍が
対中国戦争を「戦争」と呼ばずに「事変」と称し続けたのは、
そうした世界の潮流が
厳然として存在していたことを意味している。
「北支事変」と呼称した華北での武力行使から、上海、蘇州など
各地の主要都市に戦火が拡大し、全面戦争となっても
なお皇軍は「日華事変・日支事変」と公称し続けた。
国際不戦条約が禁じた侵略行為が
世界から断罪されることを
いかに意識していたかが判る。
以前に放送されたNHK特番では、宣戦布告もないまま大軍を派兵した皇軍が、
日中戦争の泥沼に突き進んでいく様子と、その結果もたらされた悲惨な実情が
多くの史料や日中両軍兵士の生存者の証言などで浮き彫りにされていた。
日本軍部は、一撃を加えれば中国軍は容易に屈服すると考えていたが、
蒋介石が率いる中国軍の不屈の抵抗は、その予想を完全に裏切るものとなった。
八路軍と国民党軍とが連帯して祖国防衛に起ち上がり、
統一戦線で徹底抗戦の姿勢を固めた。
さらに中国軍を側面から支えたもののひとつは、国際世論でもあった。
現在の常識から考えても、また、当時の国際社会の常識をもってしても、
もはや日本軍が振りかざす大義名分は通用せず、「正義」は中国人民側にあった。
日本も、日本を攻撃する意図も能力もない中国に「戦争」をしかけたのは
理屈がたたないと考えられ、軍上層部では、戦争不拡大の方針が主流だった。
しかし、現地の皇軍部隊は
独断で進撃を続け、中国の各地に戦火を拡げていった。
膨大な死体の山を築きながら、その矛先は
首都である南京へと向かった。
侵略の意図を隠し、あくまでも「事変」の延長上とする皇軍の身勝手な理屈は、
南京での悲劇を生む要因の一つとなった。
これは、「正規の戦争」ではない、偶発的な「事変」であり、
賊徒を制圧し、混乱をおさめ平和秩序を回復せしめるのための鎮圧である。
国際法規は適用されず、戦陣規定も下されておらず、
捕虜を殺害するのも、住民から略奪するのも、
国際法が定める戦争法規違反にはならない・・・・・
自衛隊に保管されている南京攻略に関する旧軍部の指令書が公表されている。
はじめ、その命令は、捕虜の「逮捕」の徹底を示唆するものだったが、
皇族も参加しての「南京入城式」が近づくと、さらに厳しい指令となり、
老人や子どもを除く成人は、すべて敵兵とみなして徹底的に捕縛拘束し、
厳しく取締まり、そのうえで敵兵捕虜は「殲滅」せよというものになっている。
すでに武器を携えず、反攻の意思もない者を「殲滅」するとは
いったい、どのようなことだろうか。
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「原爆しょうがない」論と「核の傘」論③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/04 18:19 投稿番号: [18672 / 29399]
「原爆投下はしょうがない」論と「核抑止力」必要論は
表裏一体だ。
そして、唯一の被爆国の政府でありながら、日本の自民党政権が
米国の核攻撃力にどこまでも依存し続けようとする姿勢に結びついている。
さらに実態は「依存」どころか、日米軍事一体化により
米核戦略への能動的な関与が
確実に進行しているのだ。
それを加速させたのが、
久間前防衛相も参加した日米外交・軍事担当閣僚で構成される
日米安全保障協議会(2プラス2)が5月に発表した合意文書だ。
文書は、核兵器と通常兵器の双方を意味する「あらゆる種類の米国の軍事力」が、
「拡大抑止の中核を形成し、日本の防衛に対する米国のコミットメント(制約)を
裏付ける」と強調している。
米ソ対決期に生まれた「拡大抑止」という概念は、米国本土を防衛する「消極抑止」
に対して、同盟国の防衛を口実とした敵対国への強い“核の脅し”を意味する
「積極抑止」とも呼ばれている。
日米同盟関係の公式文書で「拡大抑止」という概念をつかい、
米国の核攻撃能力を公然と確認したのは
じつは初めてのことなのだ。
この表現について
外務省筋は、
「北朝鮮の核実験に対する日米同盟の断固たる意思」を示したのだと解説している。
ところが
それ以前に、米国防総省は02年に
核使用政策をより明確にした
「米核態勢見直し(NPR)」報告を米議会に提出しているのだ。
それ以後、米核戦略に追随するように
政府・与党内から「非核三原則の見直し」や「核保有=合憲」論など、
核兵器廃絶という国民の願いに逆行する問題発言が相次いで出てくるようになった。
とりわけ「非核三原則」のうち「持ち込ませず」を見直し、
核攻撃能力を持った米原子力潜水艦などの自由寄港や
領海通過を可能にしようという意図がくりかえし表明されている。
日本は米国の「核の傘」があるから守られている、という理論があるかぎり
核兵器をなくし、本当の意味での軍縮を推進する立場には
たつことはできない。
もちろん、米軍による原爆投下を正目から批判することもできるはずはないのだ。
はじめて広島の資料館を訪れ、また被爆者の体験を耳にしたときの衝撃は、
おそらく一生忘れることはできない。
ヒロシマの有る国、9条を持つ国の国民として、われわれは
何を語り、
何をなすべきか、一人一人が
真剣に考えていかねばならないと心から思う。
これは メッセージ 18671 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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「原爆しょうがない」論と「核の傘」論②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/04 18:16 投稿番号: [18671 / 29399]
トルーマン大統領の指示でつくられた米国戦略爆撃調査団の
46年7月1日付報告「戦争終結のための日本の闘争」は、
戦争末期の日本の政治・経済情勢を分析し、次のように結論づけていた。
全事実の詳細な調査と、生き残った日本の関係する指導者の証言に基づけば、
原爆投下がなくても、ソ連が参戦しなくても、(本土)侵攻が計画されなくても、
おそらく日本は降伏していただろうというのが、調査団の見解である。
同報告書は、戦争末期の米軍部の情報認識を集約したものだ。
戦略爆撃調査団副議長として同報告作成の中心となったポール・ニッツェ
(後の国防副長官)は、45年7月に立案を命じられた日本空爆計画で
「原爆がなくても日本は数ヶ月で降伏しそうだと結論づけた」とし、
「45年11月までに日本は投降する」というのが当時の見解だった。
(89年刊の回顧録『広島からグラースノスチへ』)
では、なぜ
日本に原爆を投下したのか。
トルーマン大統領は
原爆投下を戦後の対ソ戦略に有利な「カード」と考えていた。
6月に予定していたスターリンとの会談も、原爆実験の翌日に延期した。
史実は、原爆投下が日本降伏の絶対的条件だとみなされていなかったことを示している。
原子爆弾の投下を正当化するための
「原爆投下が日本の降伏を決定付けた」「多くの人命を救った」という論は、
史実に反するものであり、米国に都合よく
あとづけされた主張にすぎない。
非戦闘員である市民を
何十万人も犠牲にした残虐な原爆の使用は、
どのような理屈をつけても
正当化されるものではない。
戦後
さかんに流布された
この原爆使用正当化論は、
そのまま
核兵器保有「しょうがない」論、つまり核兵器保有が抑止力として
世界の平和維持に役立っているという「核の傘」論へと結びついていくことになった。
「米国の核の傘の下で
核廃絶を訴えるのは確かに自己矛盾だ。
しかし、日本周辺に核保有国が存在しており、米国の核抑止に頼らざるをえない」
これは、昨年10月、都内の日本外国特派員協会で
唯一の被爆国でありながら米国の核攻撃力に依存しようとする
日本政府の矛盾を問われた久間防衛相(当時)の回答だ。
「原爆投下はしょうがない」発言の背景ともいえる考え方が
ここに
あらわれている。
これは メッセージ 18670 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/18671.html
「原爆しょうがない」論と「核の傘」論①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/04 18:14 投稿番号: [18670 / 29399]
「そこ(原爆投下)までやったら日本も降参するだろう、
そうしたらソ連の参戦を止めることができる・・・・」
原爆投下を「しょうがない」と発言した前防衛相は、このようにも語っていた。
非人道的な原爆投下を、よりによって被爆国の閣僚が
「しょうがない」と発言し、このような残虐行為を
上記のような理屈で正当化しようというのだから呆れるほかない。
心からの怒りと悲しみを覚える。
しかし、このような「原爆投下しょうがない」論は、
じつは
まったくの虚言なのだ。
事実として
これまで公開された米側資料から、
①日本への原爆投下はソ連の参戦が問題になっていない時期に検討が始まっていた
②多数の関係者が、原爆投下しなくても日本は敗北するとして投下に反対していた
③日本への原爆投下は戦後世界でのソ連封じ込め策と結びついていた
ことが判明している。
米国の核兵器開発は、すでに対日戦争開始の1941年当時に決定されていた。
43年5月の「軍事政策委員会」(原爆計画に関する大統領任命政策グループ直属機関)
の文書では、原爆投下対象として日本の名が挙がり、目標設定作業が進められる。
そこでは原爆投下の効果の測定が重視され、
「人口密集地域」、「周囲を労働者の住宅で囲まれた軍需工場」を
標的にすることが検討されていた(45年5、6月)。
45年7月には
米西部で原爆実験が行なわれ、投下準備は最終段階に至る。
しかし、この時点で少なくない関係者が、原爆を投下しなくとも日本の敗北は
決定的だと考えていた。
たとえば
アイゼンハワー欧州連合軍最高司令官(後の大統領)は、
日本への原爆投下計画を伝えたスティムソン陸軍相に対し
「日本はすでに敗れているのだから原爆投下は全く不必要」であるし、
「その兵器を使うことが、もはや米国人の生命を救うための措置としては
欠かせないものではなくなったさいに、わが国がこれを使って世界の世論を
憤慨させることは避けるべきである」(『アイゼンハワー回顧録』63年刊)
と話し、原爆投下に反対していた。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/18670.html
Re: 特定アジア
投稿者: tiger_10_4_7 投稿日時: 2007/08/04 16:50 投稿番号: [18669 / 29399]
対象国
2007年現時点に於ける『特定アジア』とは、一般的には以下の3ヶ国のみを指す。
* 中華人民共和国(中国)(台湾、香港、マカオは含まれない)
* 大韓民国(韓国)
* 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
上記の他に東アジア、東南アジア地域在住の華僑や在外コリアン、“反日日本人”などを含めることもある。また中国に関しては、漢民族・朝鮮民族が多く生活しているエリアを指し、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区は含めないことがある。
これは メッセージ 18668 (tiger_10_4_7 さん)への返信です.
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特定アジア
投稿者: tiger_10_4_7 投稿日時: 2007/08/04 16:48 投稿番号: [18668 / 29399]
>特三国
ちょっと違いますよ。
「特定アジア」⇒「特定アジア三国」→「特亜三国」のことでしょう。
かつては以下に列記する観点から、中国・韓国・北朝鮮を特定する様々な呼称(極東三国、極東三馬鹿、反日国家等)がインターネット上等で利用されてきた。
* 『アジア』とは地球上の一地域名であり、本来数十カ国から成る。
* 現在、中国・韓国・北朝鮮の反日姿勢は、他のアジア諸国と大きく隔たっている。
* 日本のマスコミや市民団体は反日姿勢を持つ中国・韓国・北朝鮮の三ヶ国だけで『アジア』という言葉を使用したがる傾向がある。
* それによって『アジア』という語が恣意的に使用され、正確な情報伝達が阻害されている。
しかしながら、これらの呼称は当該三国に対する侮蔑的表現と考えられ、国際交流の面からも相応しい語句とは言い難い。これを憂慮する人々により、本来的意味のアジアを縮小解釈する、すなわち侮蔑的表現にあたらない同義の語句の模索が図られた。その結果として、同義語として特定アジアの語句が提唱(下記の記述を参照)され、使用が拡大しつつある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2
これは メッセージ 18667 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 国家の謝罪
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/08/04 15:54 投稿番号: [18667 / 29399]
>「国家は謝らないよ」、というのは簡単。
謝らせようという気概を期待します。<
政府が国民に謝罪することはあっても、国が国に謝罪することはなかったのだが、日本国はあちこちの国に謝罪しまくった。その結果「特三国」という国ができた。どこが「特」かというと、日本国に謝罪させる点がである。
これは メッセージ 18663 (pluszee さん)への返信です.
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金曜の米国株式市場は大暴落!!
投稿者: you_act_like_you_own_the_world 投稿日時: 2007/08/04 15:34 投稿番号: [18666 / 29399]
ワハハ!!www
週明け月曜の日本株もまた外人の莫大な売り抜けや売りし掛けで大大大暴落ですかねぇ〜??www
(カッコ内は前営業日比)
ダウ工業株30種(ドル)<.DJI>
終値(非公式)
13181.91(‐281.42)
前営業日終値
13463.33(+100.96)
ナスダック総合<.IXIC>
終値(非公式)
2511.25(‐64.73)
前営業日終値
2575.98(+22.82)
S&P総合500種指数<.GSPC><.SPX>
終値(非公式)
1433.06(‐39.14)
前営業日終値
1472.20(+ 6.39)
これは メッセージ 18655 (we_think_we_are_smart さん)への返信です.
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Re: 原爆の日を目前にして思うこと
投稿者: yousunwai 投稿日時: 2007/08/04 11:18 投稿番号: [18665 / 29399]
で、君の意見なんだけど、
多くの点でよみ君と似通っているけど。
君自身はどうなの?原爆でなくなった方を笑っているの?
他人の文章を丸写ししているような投稿に見えるけど、それは君の意見じゃないでしょ。
君自身はどうなの?原爆でなくなった方を笑っているの?
これは メッセージ 18660 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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チョン・フリー♪ 「ソン・ブッシュ」
投稿者: chon_gera_chon_kusa_chonchon 投稿日時: 2007/08/04 10:45 投稿番号: [18664 / 29399]
朝鮮人にされてしまいました。ゲラゲラw
これは メッセージ 18663 (pluszee さん)への返信です.
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国家の謝罪
投稿者: pluszee 投稿日時: 2007/08/04 10:24 投稿番号: [18663 / 29399]
>他国に決して謝罪しない国、それがアメリカ。
>国は謝罪しないものだ。アメリカだけではないのだ。それが世界歴史の伝統だ。
レーガン、パパ・ブッシュ両大統領日系米人の集団収容に謝罪
クリントン大統領ハワイ武力制圧に謝罪、黒人男性600名以上の梅毒治療実験に謝罪
ドイツ政府、ユダヤ人虐殺、チェコ進駐に謝罪
ブレア首相、じゃがいも飢饉に対する政府の無策を謝罪
最大のもの:ソン・ブッシュのヤルタ会談の間違いを認めたこと
慰安婦決議は米下院が行ったもの、したがって、本決議は誤りであったことを米下院が認めなければならない。
米政府は関係ないばかりか、本決議を支持するとは言ってない。
「国家は謝らないよ」、というのは簡単。
謝らせようという気概を期待します。
桜井よしこ女史頑張ってます。
山谷えり子議員、さかもと未明先生も頑張ってます。
ホラ、キミたち、女に負けるな。
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Re: 慰安婦決議について補足
投稿者: umetarokojikoji 投稿日時: 2007/08/04 09:37 投稿番号: [18662 / 29399]
長い文章良くがんばった!!
くれぐれも腱鞘炎には気をつけてくれ。
次は南京大虐殺が本当だと証明してくれることを期待します。
まあむりでしょうけど。
これは メッセージ 18659 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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