南京虐殺の原因は何か②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:34 投稿番号: [18683 / 29399]
この中佐が、勝手に処刑命令を出したという点については、別の証言もある。
彼は南京戦直後の1938年に、朝鮮の歩兵第七十四聯隊長に転任するのだが、
同年4月に同じ師団の砲兵聯隊長であった人物が、本人から聞いたとして、
次のような話を 戦後の東京裁判判決と前後して刊行された「裁かれる歴史」に書いている。
約30万人の中国兵捕虜を「みな殺し」にすべしとの命令を、
「何人にも無断で、軍司令官の名で配下の各部隊に無電で伝達した」
と豪語していたというのだ(新風社1948年刊行「裁かれる歴史〈敗戦秘話〉」)。
筆者は、これは中佐の大言壮語と思っていたが、あとで残虐行為の全貌を知り、
そんな大量虐殺は軍の統制ある集団行為でなければできないから、
中佐の言葉は真実であったと思い当たったと書いている。
同じ本の中で、中佐を評して「その最大の欠点は正邪を問わずいやしくも自己が
是と信じたことは、如何なる悪辣なる手段を以てするも貫き通そうとする反省なき
実行家であった」と記している。
以上のような日本軍の特質が、南京事件の背景にあったことはあきらかだ。
さらに1937年という時期と、対ソ戦を準備しながら予期しない対中国全面戦争を
戦うことになったことから生じた条件が、大虐殺を引き起こす原因になったのだ。
上海で苦戦し、南京で大虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような 現役兵を中心とし訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、すっかり異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも一方で対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は それまで経験したことのない規模の戦時動員を行なった。
ところが 日本軍の戦時動員計画は、
第一次大戦を画期としてはじまった総力戦段階に適合するものにはなっていなかった。
双方とも千万人単位の大軍を動員した大戦は、
それまでの常備軍中心の戦争とは、まったく違う性質の戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて 戦時には膨大な大衆軍を編成できるような
準備をすすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに変わっていた。
しかし 日本の軍部は、一般国民を有能な軍人として信頼しなかった。
第一次大戦後の戦時動員計画も、いぜんとして日清・日露戦争時代と同じように、
常備兵力を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、あくまで既教育兵を中心とするように計画してあったから、
動員部隊は年齢の高い予後備兵が主力を占めるものとならざるを得なかった。
また陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連に備えて、満州と朝鮮北部の常設師団はそのままにしておいた。
そのため中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団を除く
すべての内地の常設師団を動員のうえで派遣することになった。
ところが、華北の戦線拡大、上海での苦戦など 予想外の事態が進展したので、
つぎつぎと特設師団まで動員して、これを第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年8月に、陸軍省は動員部隊の兵の役種区分調査を行なっている。
その調査報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記(防衛研究所図書館所蔵)に残されている。
これによると、損耗の程度、補充の回数や その他の理由によって
各師団がかならずしも同一ではない。
だが、大雑把にいえば、常設師団では現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵あわせて3割、つまり予備兵がもっとも多かったことが判る。
これに対し、特設師団の場合は 圧倒的に後備兵が多く、これに予備兵と補充兵が加わる。
彼は南京戦直後の1938年に、朝鮮の歩兵第七十四聯隊長に転任するのだが、
同年4月に同じ師団の砲兵聯隊長であった人物が、本人から聞いたとして、
次のような話を 戦後の東京裁判判決と前後して刊行された「裁かれる歴史」に書いている。
約30万人の中国兵捕虜を「みな殺し」にすべしとの命令を、
「何人にも無断で、軍司令官の名で配下の各部隊に無電で伝達した」
と豪語していたというのだ(新風社1948年刊行「裁かれる歴史〈敗戦秘話〉」)。
筆者は、これは中佐の大言壮語と思っていたが、あとで残虐行為の全貌を知り、
そんな大量虐殺は軍の統制ある集団行為でなければできないから、
中佐の言葉は真実であったと思い当たったと書いている。
同じ本の中で、中佐を評して「その最大の欠点は正邪を問わずいやしくも自己が
是と信じたことは、如何なる悪辣なる手段を以てするも貫き通そうとする反省なき
実行家であった」と記している。
以上のような日本軍の特質が、南京事件の背景にあったことはあきらかだ。
さらに1937年という時期と、対ソ戦を準備しながら予期しない対中国全面戦争を
戦うことになったことから生じた条件が、大虐殺を引き起こす原因になったのだ。
上海で苦戦し、南京で大虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような 現役兵を中心とし訓練も行き届いて
厳正な軍紀をたもった軍隊とは、すっかり異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも一方で対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は それまで経験したことのない規模の戦時動員を行なった。
ところが 日本軍の戦時動員計画は、
第一次大戦を画期としてはじまった総力戦段階に適合するものにはなっていなかった。
双方とも千万人単位の大軍を動員した大戦は、
それまでの常備軍中心の戦争とは、まったく違う性質の戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて 戦時には膨大な大衆軍を編成できるような
準備をすすめていた。
常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに変わっていた。
しかし 日本の軍部は、一般国民を有能な軍人として信頼しなかった。
第一次大戦後の戦時動員計画も、いぜんとして日清・日露戦争時代と同じように、
常備兵力を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、あくまで既教育兵を中心とするように計画してあったから、
動員部隊は年齢の高い予後備兵が主力を占めるものとならざるを得なかった。
また陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連に備えて、満州と朝鮮北部の常設師団はそのままにしておいた。
そのため中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団を除く
すべての内地の常設師団を動員のうえで派遣することになった。
ところが、華北の戦線拡大、上海での苦戦など 予想外の事態が進展したので、
つぎつぎと特設師団まで動員して、これを第一線に投入せざるを得なくなったのだ。
開戦後1年を経た38年8月に、陸軍省は動員部隊の兵の役種区分調査を行なっている。
その調査報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記(防衛研究所図書館所蔵)に残されている。
これによると、損耗の程度、補充の回数や その他の理由によって
各師団がかならずしも同一ではない。
だが、大雑把にいえば、常設師団では現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵あわせて3割、つまり予備兵がもっとも多かったことが判る。
これに対し、特設師団の場合は 圧倒的に後備兵が多く、これに予備兵と補充兵が加わる。
これは メッセージ 18682 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.