南京虐殺の原因は何か①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2007/08/05 00:32 投稿番号: [18682 / 29399]
なぜ南京大虐殺が起きたのか。
歴史の事実にきちんと向き合い、その原因を解明することは、
過ちを2度と繰り返さない、繰り返させないという決意につながる。
多くの日本人には、その勇気と潔さ、そして英知がある、
自国の歴史を美化し、偏狭な民族意識に固執する民族とは違う、と信じたい。
南京での大規模な残虐行為を、どうして日本軍はおこしたのだろうか。
日本人がもともと残酷で、人殺しを好む本性だなどとは とても考えられない。
それが 突然 このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と原因があったはずだ。
もともと軍隊とは暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのではないか、という見方もある。
たしかに、満州事変での平頂山事件や、ベトナム戦争での
ソンミ事件のように、内外に いくつもの類似例がある。
だが、それらに比べても、南京大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で しかも組織的な行為だった。
それが、なぜ実行されたかを知るためには、
日本軍の性格と特質について 検討する必要がある。
旧日本軍の残した当時の資料を検証・分析してみて気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため戦後に司令官を戦犯死させることになった
という事例が 少なくないことだ。
その代表的なものとして、1931年の十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では中将で参謀長だった将校の場合をみてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、上海派遣軍参謀兼中支那方面軍参謀
情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が、偕行社の「証言による南京戦史」に寄せた投書に
当時の方面軍司令部内部の雰囲気を示すものとして、
次のような出来事を記録している。
12月18日朝、第六師団から軍の情報課に電話があった。
「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
情報課長、●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると確信した。
この事を軍司令官に報告した。
軍司令官は直ちに●中佐を呼んで
「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
●中佐は「支那人の中には軍人が混っております」という。
軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために必要だ」と
強く「解放」を命ぜられたので、●中佐は「解りました」と返事をした。
(中略)ところが約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
「下関の支那人をどうするか」である。●中佐は再び「ヤッチマエ」と命じた。
私はこのことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)
歴史の事実にきちんと向き合い、その原因を解明することは、
過ちを2度と繰り返さない、繰り返させないという決意につながる。
多くの日本人には、その勇気と潔さ、そして英知がある、
自国の歴史を美化し、偏狭な民族意識に固執する民族とは違う、と信じたい。
南京での大規模な残虐行為を、どうして日本軍はおこしたのだろうか。
日本人がもともと残酷で、人殺しを好む本性だなどとは とても考えられない。
それが 突然 このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と原因があったはずだ。
もともと軍隊とは暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのではないか、という見方もある。
たしかに、満州事変での平頂山事件や、ベトナム戦争での
ソンミ事件のように、内外に いくつもの類似例がある。
だが、それらに比べても、南京大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で しかも組織的な行為だった。
それが、なぜ実行されたかを知るためには、
日本軍の性格と特質について 検討する必要がある。
旧日本軍の残した当時の資料を検証・分析してみて気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため戦後に司令官を戦犯死させることになった
という事例が 少なくないことだ。
その代表的なものとして、1931年の十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では中将で参謀長だった将校の場合をみてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、上海派遣軍参謀兼中支那方面軍参謀
情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が、偕行社の「証言による南京戦史」に寄せた投書に
当時の方面軍司令部内部の雰囲気を示すものとして、
次のような出来事を記録している。
12月18日朝、第六師団から軍の情報課に電話があった。
「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
情報課長、●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると確信した。
この事を軍司令官に報告した。
軍司令官は直ちに●中佐を呼んで
「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
●中佐は「支那人の中には軍人が混っております」という。
軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために必要だ」と
強く「解放」を命ぜられたので、●中佐は「解りました」と返事をした。
(中略)ところが約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
「下関の支那人をどうするか」である。●中佐は再び「ヤッチマエ」と命じた。
私はこのことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)