南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 21:45 投稿番号: [11480 / 29399]
>中国軍が「投降兵」の殺害を行っていたか否かは知りませんが、「均衡」しているというのであれば、「質」と共に「量」も均衡である必要があるのですよ。

そうだな。
支那軍はとんでもない連中だな。


>青山和夫『反戦謀略』P119
>常徳捕虜収容所
>   戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された

そうして彼らは反戦兵士に仕立てられていったのだ。


>で、1938年2-3月ぐらいまでの日本軍の不法行為との均衡性を比較するのに、「1937年7月から1945年8月までの8年余り」を比較対照とするおつもりでしょうか?

「1938年2-3月ぐらいまでの日本軍の不法行為」って、一体、何のこと?

1938年2-3月ぐらいまでに支那軍が実行した不法行為なら山ほどあるが?!

――――――――
・支那共産党は盧溝橋事件を起こし、即座に「日本軍侵略開始」と宣伝した。

・国民党は、「日本軍を撃破したので次は通州を攻める」という内容のデマ放送を流し、騙された通州の支那保安隊は国民党に寝返るために200人以上の日本人居留民を惨たらしく大虐殺。

・支那軍は上海などで、わざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、日本軍の仕業と嘘宣伝。

・北支那においては、水中に毒物を投じたり農作物に毒物を注射し、上海からの撤退時にも井戸に細菌を投じたりしたくせに、後年の常徳ペスト流行については「日本軍がやった」と根拠のない宣伝。

・支那軍は上海から南京への敗走中や南京周辺で「清野作戦」「焦土作戦」と称して、徹底的に略奪や放火などを行なったが、それらを「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁。

・南京では、脱出を諦めた多数の支那兵が市民から服を奪って安全区に潜入し、支那人盗賊と共に行なった犯罪を日本軍の仕業に転嫁し、中には最初から反日宣伝が目的の反日撹乱工作隊までもが存在した。
――――――――


>アメリカ占領下、日本軍占領下では、状況が違うということです。

そう、そう。
アメリカ占領前の日本で原爆が投下されたのは事実だが、日本軍占領前の南京で民間人が虐殺された事実はなかったからね。


>ということは、あなたの解釈では、国民政府は捏造された「南京大虐殺」を認識していたのでしょう?

いや、いや。
国民政府は、「南京大虐殺」だけではなく、上で紹介したような「ありとあらゆる日本軍の悪行」を捏造(擦り付け)して年がら年中言いふらしていたのさ。

Re: 本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: marionohaka 投稿日時: 2006/03/15 21:29 投稿番号: [11479 / 29399]
貴方が戦陣訓・戦陣訓というから、時系列がおかしいと指摘したまでですが。
シナ事変ずっと後というのは言われるとおり間違い、勃発後とすべきでしたね。

捕虜を恥とする概念があったのは事実。しかし戦ってた相手がロシアに清国ですからね。清軍の捕虜虐待・殺害の話は外国の学者とかも指摘してましたが。
捕虜になったとしてどういう扱いをうけるか・・・
戦陣訓も山本七平によれば、一般にはほとんど浸透してなかったようですが。
それらを抜きにしても、第二次大戦前後にも捕虜になった日本兵はいっぱいいますよね?
しかし中国戦線では↓

中国軍(国民・共産)が日本兵を捕虜として厚遇した記録はない。それどころか混成旅団の相当数が捕虜となったケースもあった。そして帰還した記録はほとんどない。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/topix-2/military%20station%20in%20sj%20war.html

別宮氏によれば、国民党軍は兵士の投降も禁止していたようだね。

それとそのリンク先見れないんですが?
高文研というのがなんかあやしいなw
もしかして、戦後直後の話ですか?
戦後に厚遇をうけたというのは眉唾で
民衆裁判でかなりの数の日本人が処刑(通化事件とか)されてるんですが。

まあたしかにデリさんの捕虜0人というのはいいすぎかも。
でももし日本軍が便衣兵を処刑していたとしても
中国側には非難の資格はないというのは全く同感。

Re: デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 21:17 投稿番号: [11478 / 29399]
>デリ君、私が期待したというか(期待すること自体が間違いかも知れんが)、まあ、こういう感じの返事があったらなぁと思ってたんだ。
>「そうか、勇猛果敢な皇軍兵士はシナ軍のような愚かな連中に捕虜になるはずがない。戦陣訓をまっとうして果敢に挑み、

やっぱり、キミは頓珍漢だ。
日本兵は戦陣訓をまっとうして支那軍の捕虜にならなかったのではない。
支那軍が日本兵を全く捕虜にせず、日本兵は全員が惨たらしく殺されたり反戦兵士に仕立てられたりしたために1941年1月に東条陸相が示達した戦陣訓に「生きて虜囚の辱を受けず」の件が記載されたのだ。

Re: yousunwai君 (横です)

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2006/03/15 21:14 投稿番号: [11477 / 29399]
>支那人相手に対話が通用しないことは既に結論が確定しているのですから

おっしゃるように、中国人の発想は、我々のように、人命を大事にするという発想が、希薄だと思います。

ですから、軍事的な均衡は、戦略としてはあると思います。ただ、軍事でもいろいろあります。自前で軍拡できなければ、日本のような選択もあったかもしれません。英軍基地や米軍基地が、チベットに数多く展開されていれば、状況は、変わったかもしれません。チベット人は、中立維持に固執していました。それ自体は、尊敬に値すべきことだとは思いますが、そうした思いが強すぎたために、侵略を招いてしまったかもしれないという要因は、考えるべきだとは思います。

また、チベット侵略では、多くの難民が出ましたが、中立を保つという理念を捨てきれないのなら、いざとなれば、最初から逃げることを想定するという発想もあります。生きていれば、勝ちですから。

チベット人は、反省すべきだと思いますよ。自分のために。そして、中国人は、責任があるだけではなく、自己のとった行動に対して、責任をとらなくてはならないと思います。

>当然、防衛戦争と繋がりがあるから質問しています。理解できなければ、回答してくださらなくても結構です。

たとえ話は、話を簡単にする時などに良く行われますが、たとえ話をすることでその議論が、本来の議論と離れてしまった場合、それを修正しにくくなることもあります。

そして、個人と国家とは、少し置かれている状況が違うと思います。この議論をするのなら、あくまで、国家としての防衛戦争で考える方が良いと個人的には思っています。

さて、国家のどのような行動にも責任は、生じます。しかし、責任が生じても、責任が、問われるかどうかは、ケースバイケースではないでしょうか?

したがって、防衛戦争でも責任は、生じるでしょう。これ以上でも、これ以下でもないと思います。そして、責任が生じるから、防衛戦争を想定するな!とか、やるな!とかまでは、私は言っていません。

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 21:12 投稿番号: [11476 / 29399]
>けっこう有力な証拠に見えるが。

そう見えるのは貴方だけ。
一体、どれが「日本軍による民間人殺害」の有力な証拠に見えるの?
伝聞証言に証拠力がないことを理解していますか?


>マルク氏と論争している人たちは、どうして無視するのだろうか。

誰も有力な証拠だと見なしていないから。

Re: 全く反論になっていない、横

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 21:04 投稿番号: [11475 / 29399]
>要するに、犠牲者名簿がないからといって虐殺がなかったことの決定的な証拠にはならない。

いつ、俺が「なかったことの決定的な証拠」なんて言いましたか?
「なかったことの決定的な証拠」なんてないんだよ。
「あったことの決定的な証拠」がないのに、「あった」と言うことがおかしいのだ。

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 19:34 投稿番号: [11474 / 29399]
>一日(24時間)じゃなくて、41時間25分でしょ。
>それに、この投稿自体(.11444 )は、2日と2時間後
>のようです。あー、こりゃこりゃ。

そういう計算ですか(笑)。

私的には、
12日夜   投稿
13日    お休み
14日夜   投稿
ということです。

まぁ、どーでもいいですが(笑)

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 19:28 投稿番号: [11473 / 29399]
>キミはしつこい性格なの?
>それとも馬鹿なの?
>何度も何度も同じこと言わせるな。

会話能力の少ない方には、しっかりとした確認をしなければ議論が成立しにくいのです。
しょうがありませんね(笑)



>>そのことを証明してくださいね。
>――――――――
>南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一
>〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガ
>ウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告
>書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspo
>ndence American Embassy Nanking)には次のように記さ
>れている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学お
>よび歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況
>に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・
>デイリー・ニューズ』   のアーチボルト・スティール氏
>が当総領事館の館貞に手渡したものである」
>――――――――

へっ?


これが、『シカゴ・デイリーニューズ』12月15日の記事、『ニューヨーク・タイムズ』12月18日の記事が、「ベイツの出鱈目なメモを記事にした」という証明なのですか?

質問1:スティールがベイツのメモを領事館員に渡したことが、どうしてダーディンがそのメモを記事にしたことになるのでしょうか?因果関係を説明してください。

質問2:あなたが挙げられた資料で判断できることは、スティールがベイツからメモを渡され、それをアメリカ領事館員に渡したということです。スティールが、そのメモを記事にしたということは、どのように証明されているのでしょうか?



>キミは本気でゆうさんが知識や見識があると思っている
>のか?

最低限、私やあなた以上には、知識や見識を持ち合わせていると思われますね。
われわれが比較対照では、ゆうさんに失礼かもしれませんが(笑)。



>つーか、知識とか見識のことではない。
>投稿の芸風がyu77799とかMarc_Laforetとかsugi37_1と
>かは、クローン人間のように同じだと言っているのだが
>、理解できないかな?

それは、あなたの心の病気が原因だと思いますよ(笑)。
そのようなことは、私には理解できないので、医者にご相談ください。



>蒋介石は、どこにおいても日本軍がそのような虐殺をお
>こなっていたなどとは思っていなかった。
>有りもしないことを言いふらすのが戦時プロパガンダと
>いうやつなんだ。

政治宣伝であるのは当たり前ですが、それが「有りもしないことを言いふら」していることを証明しなければ、ただのあなたの妄想という結論に達します。



>キミ、頭、大丈夫?

あなたよりは、大丈夫だと思いますよ(笑)。



■ところで、以下の問題にお答えがありませんね?

>>では、蒋介石日記において、南京での大虐殺の記述が
>>「出鱈目宣伝」であったことを証明してくださいね。

どうしたのですか?

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 19:15 投稿番号: [11472 / 29399]
>>これは有名な話ですが、日本人捕虜の一部を「反戦兵士」
>>としたのですから、日本人捕虜は存在したということにな
>>ります。
>だから、「反戦兵士」にしなかった日本人捕虜の存在を証明しろ。

一部しか反戦兵士にはなりませんでしから、他の大部分は捕虜のままですよ。
しかも、「反戦兵士」になる以前は「捕虜」だったわけですから、この時点で捕虜が0だったというあなたの主張は否定されてしまっています。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/15 19:12 投稿番号: [11471 / 29399]
>>南京大虐殺が起きた時点においては、均衡性がなかっ
>>たということでよろしいでしょうか?
>
>南京大虐殺なんて起きなかったから、「南京大虐殺が起
>きた時点」なんてない。

苦しい詭弁ですね(笑)。



>南京戦の頃には、既に、投降兵の不当殺害は支那軍が一
>方的に行なっていたので均衡性はなかった。

「均衡」という意味をご存知ですか?
中国軍が「投降兵」の殺害を行っていたか否かは知りませんが、「均衡」しているというのであれば、「質」と共に「量」も均衡である必要があるのですよ。



>支那軍が捕虜として保護した日本兵は1937年7月から19
>45年8月までの8年余りの間に0人だったのだから、南
>京戦以前の1937年7月から1937年12月までの5ヶ月間で
>も0人だった。

----  引用  ----
青山和夫『反戦謀略』P119
常徳捕虜収容所
  戦争当初、特に上海南京戦時代の日本兵の捕虜は大部分空軍で、南京の収容所に入れられていたが、南京撤退前に西安の宝鶏に移された
  常徳に収容所が設立されたのは、台児荘、徐州会戦以降で、主として歩兵等が武漢に送られてきたのを、常徳に収容したのだった。軍政部の管轄で、所長を李列欽の馬丁をしていた雛任之だった。武漢時代王に工作援助を依頼してきたので、陥落後、わたしが収容所に行くことに内定していた。
----  終わり  ----

D.C.氏の言っていることは、ただのウソです(笑)。



で、1938年2-3月ぐらいまでの日本軍の不法行為との均衡性を比較するのに、「1937年7月から1945年8月までの8年余り」を比較対照とするおつもりでしょうか?



>アメリカ占領下で日本は原爆の犠牲者名簿を作ったのだ
>から、本当に南京大虐殺があったなら日本軍占領下でも
>犠牲者名簿は作れただろ。
>少しは考えろ。

アメリカ占領下、日本軍占領下では、状況が違うということです。
少しは考えましょうね。



>事件がないのを知っていて事件を捏造するのが「でっち
>上げ」なのだから、「デマ」とか「与太」というのはそ
>ういうことなのだ。

整理しましょう。
あなたの言いたいのは「事件がないのを知っていて」ではなく、「虐殺がないのを知っていて」ということですね。つまり、虐殺はなかったと認識しているが、「南京大虐殺」を作り上げたということです。
ということは、あなたの解釈では、国民政府は捏造された「南京大虐殺」を認識していたのでしょう?
よろしいでしょうか?

本題は日本人捕虜がゼロか否かだが・・

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/15 13:37 投稿番号: [11470 / 29399]
>戦陣訓の成立てシナ事変のずっと後ですよね?
>時系列おかしくないですか?

「シナ事変のずっと後」というのは変だな。それも言うなら、「シナ事変勃発のずっと後」だろう。デリ君は少なくとも昭和12年から八年間というような表現をしているな。しかしだね、戦陣訓は軍人勅諭を実践的に行動に移そうとしたより具体的な規範であり、いわば軍人勅諭をより具体的な行動規範として明文化しただけのことともいえよう。従って戦陣訓は日中戦争勃発後暫く経ってからのものではあるものの、軍人勅諭に「只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ」とあるように、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」のような軍人勅諭に通底する精神的・道徳的規範は以前からあったわけである。

>清軍及び国民党や匪賊の捕虜の扱いがすさまじくひどいので
>戦陣訓に捕虜のことが定められた(といってもあまり一般の兵士には浸透してなかったらしいが)という説もありますし
>当時の先進国の軍隊でも捕虜に対する扱いはひどいものがあったし
>シナの軍隊がまともに捕虜をとっていたとは思えないなあ。

私がちょこっとネットで調べた範囲では、中国側に捕らえられた日本兵捕虜はたいそうな厚遇を受けたという話もあるね。そういう話もあるってだけだが。
(例えば、http://www.koubunken.co.jp/0325/0307sr.html

>明治27年9月、京城に入つた山形有朋第1軍司令官
>「(敵に対しては)軍人といへども降る者は殺すべからず。然れどもその詐術にかかる勿れ。かつ敵国は古より極めて残忍の性を有せり。誤つて生捕りに遇はば、必ず酷虐にして死にまさる苦痛を受け、遂には野蛮惨毒の所為を以て身命を殺害せらるるは必然なり〜」

どうでもいいけど、それって表記の通り、日中戦争のずいぶん前の話だね。

ところで、私が議題としてきた本題は、中国に捕虜として保護された日本兵はゼロ人(まあ面倒だからこの際反戦活動した日本兵捕虜は除外してもいい)か否かであるが、君の知見はどうなんだい?

あと

投稿者: marionohaka 投稿日時: 2006/03/15 12:32 投稿番号: [11469 / 29399]
武装解除に応じた直魯軍3000人が国民党軍に虐殺されたってのはあったけど
これは日本軍じゃねえだろっていわれそうだな。

Re: デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: marionohaka 投稿日時: 2006/03/15 12:26 投稿番号: [11468 / 29399]
戦陣訓の成立てシナ事変のずっと後ですよね?
時系列おかしくないですか?

清軍及び国民党や匪賊の捕虜の扱いがすさまじくひどいので
戦陣訓に捕虜のことが定められた(といってもあまり一般の兵士には浸透してなかったらしいが)という説もありますし
当時の先進国の軍隊でも捕虜に対する扱いはひどいものがあったし
シナの軍隊がまともに捕虜をとっていたとは思えないなあ。

明治27年9月、京城に入つた山形有朋第1軍司令官
「(敵に対しては)軍人といへども降る者は殺すべからず。然れどもその詐術にかかる勿れ。かつ敵国は古より極めて残忍の性を有せり。誤つて生捕りに遇はば、必ず酷虐にして死にまさる苦痛を受け、遂には野蛮惨毒の所為を以て身命を殺害せらるるは必然なり〜」

なんか他に資料あった気がするが。まあ探してみます。

Re: デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/15 11:53 投稿番号: [11467 / 29399]
デリ君、私が期待したというか(期待すること自体が間違いかも知れんが)、まあ、こういう感じの返事があったらなぁと思ってたんだ。

「そうか、勇猛果敢な皇軍兵士はシナ軍のような愚かな連中に捕虜になるはずがない。戦陣訓をまっとうして果敢に挑み、戦死こそしたであろうが、恥かしくも捕虜になるはずがない。仮に捕らえられたとしても、皇国の名誉を守るため自決したに違いない。だから、(デリ君の知見上)シナに捕虜にされた日本兵の資料はないんだな」

デリ君、捕虜にされるということは、少なくとも手を上げて敵に屈服しなければならない。こうして降参すること自体が当時の日本軍では恥かしいことと考えられたんだ。
相手に虐殺されるから?   反戦兵士に仕立て上げられるから?   もし仮にデリ君の言うとおりだったと仮定しても、そんなことを恐れていて日本軍人は中国軍と戦争していたとでも言いたいのかね?   馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ。君はご先祖様を愚弄しているといっても過言ではない。

それにしても、私が「頓珍漢」という言葉を使い始めた直後から、デリ君が「頓珍漢」という言葉を使い出すという単細胞振りには、正直脱帽だw

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/03/15 11:51 投稿番号: [11466 / 29399]
>一日お休みしただけで

一日(24時間)じゃなくて、41時間25分でしょ。それに、この投稿自体(.11444 )は、2日と2時間後のようです。あー、こりゃこりゃ。

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/03/15 11:38 投稿番号: [11465 / 29399]
>俺とMarc_Laforetは、そんな論争してないよ。

「南京大虐殺」をめぐる論争という意味。してるでしょ。

>>■ほかにも、以下のページも参照すべきでしょう。
「民間人殺害命令」
http://www.geocities.jp/yu77799/minkanjin.html
>これにまともに反論している人はいないようだが。反論するまでもないクズなんとかというなら、やはりそれなりの論証が必要だろう。(11382)

べつにあなたでなくってもいい。彼と論争している人、誰か反論してもいいのでは。反論はないのか、に対して、たまたまあなたが口を出したのなら、あなたにもMarc_Laforetさんに反論してもらいたい。

私は、傍観者の立場から口をだすかもしれないが。

http://www.geocities.jp/yu77799/minkanjin.html

けっこう有力な証拠に見えるが。マルク氏と論争している人たちは、どうして無視するのだろうか。

Re: 全く反論になっていない、横

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/03/15 11:00 投稿番号: [11464 / 29399]
>アメリカ占領下で日本は原爆の犠牲者名簿を作ったのだから、本当に南京大虐殺があったなら日本軍占領下でも犠牲者名簿は作れただろ。
少しは考えろ。

「作れただろ」で推量だ。ある理由・原因で作れなかった(あるいは、作られなかった)のかもしれない。

それに、似たような状況でも、時間と場所がちがうのだから、簡単に結論(作れたはずだ)は出せない。要するに、犠牲者名簿がないからといって虐殺がなかったことの決定的な証拠にはならない。

Re: >Re: 横レス

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 01:30 投稿番号: [11463 / 29399]
>ひょっとして、「反戦兵士」というのは、武器をもたされて日本軍と
>戦闘させられたとでも勘違いしているのかな?

そんな勘違いしてねーよ。


>彼ら「日本八路軍」は、けっして銃を持たず、日本軍との戦いにも
>加わらなかった。その目的は、日本人として八路軍の捕虜政策を
>宣伝し、さらに多くの日本兵を覚醒することにあった。

銃を持たされずに前線に送り出されて日本軍に投降を呼びかけて死亡した反戦兵士も結構いたらしいぞ。
そもそも、捕まえた敵兵を宣伝工作に利用するのは国際法違反だろ。


>>「捕虜1万5百」
>>『朝日新聞』昭和12年12月29日

>その記事は知らないが、『朝日新聞』昭和12年12月17日の、
>両角部隊が約1万5千人の中国兵を捕虜にしたという記事の
>ことかな?

全然、違うよ。
何を頓珍漢なこと言ってるんだ?

Re: デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/15 01:18 投稿番号: [11462 / 29399]
>>生きて虜囚になっても、惨たらしく殺されるか、反戦兵士として前線に送り出されるしかなかったのだから、当時、戦陣訓が通達されたのは当然のことだったろうな。

>あのな、デリ君、・・・・・つか、何も言う気なくなった。つか、まさかここまで頓珍漢な回答が返ってくるとは予想もしなかったな。
>東条英機が泣くぞ。

頓珍漢はオマエだろ。

>Re: 横レス

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2006/03/15 00:59 投稿番号: [11461 / 29399]
>捕まえた日本兵を「反戦兵士」にして前線に送り出したことが、
「日本兵を捕虜として保護した」ことかい?

ひょっとして、「反戦兵士」というのは、武器をもたされて日本軍と
戦闘させられたとでも勘違いしているのかな?

彼ら「日本八路軍」は、けっして銃を持たず、日本軍との戦いにも
加わらなかった。その目的は、日本人として八路軍の捕虜政策を
宣伝し、さらに多くの日本兵を覚醒することにあった。八路軍の
指導のもと、目覚めた人たちによる反戦団体の発足が決まった。
39年11月7日、杉本さんをはじめとする日本人七人は、山西省
遼県(現在の同省左権県)麻田鎮の八路軍野戦総部で、在華
日本人による「覚醒連盟」成立大会を開いた。この時以来、
戦場にいた日本人の多くが、覚醒連盟に加わっていくのである。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhuanwen/200208/zhuan46.htm

中国共産軍に協力した日本の「反戦兵士」を君がケシカランと
思おうが思うまいが、彼らは中国軍に捕らえられた日本兵であり、
殺されることなく、大部分は終戦後に無事に帰国したのは確か
である。君の言う「支那軍が捕虜として保護した日本兵は
1937年7月から1945年8月までの8年余りの間に0人」と
いうのは明らかに間違いであるわけだ。

>「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日

その記事は知らないが、『朝日新聞』昭和12年12月17日の、
両角部隊が約1万5千人の中国兵を捕虜にしたという記事の
ことかな? これは、その後ほぼ全員が殺された幕府山事件の
犠牲者の人数、および彼らが(敗走中の兵士ではなく)確かに
捕虜であったことを示す資料のひとつだが、何か?

その1万5千人の中国兵が終戦時まで日本軍の捕虜として
生かされていたと言いたいのなら、ひとつ君のお得意の
名簿とやらを出してもらいたいな。当然ながら、8年間も
収容所にいた捕虜の名簿くらい日本軍は作っていたはず
だよな。君のように、殺された人間の名簿を出せというより
よほど簡単な要求だぜ(藁

デリ君には心底ガッカリだorz

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/15 00:49 投稿番号: [11460 / 29399]
>生きて虜囚になっても、惨たらしく殺されるか、反戦兵士として前線に送り出されるしかなかったのだから、当時、戦陣訓が通達されたのは当然のことだったろうな。

あのな、デリ君、・・・・・つか、何も言う気なくなった。つか、まさかここまで頓珍漢な回答が返ってくるとは予想もしなかったな。

東条英機が泣くぞ。

Re: 聞いたオレが○○だったw

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 23:57 投稿番号: [11459 / 29399]
>さてところで、デリ君は戦陣訓、要するに「生きて虜囚の辱を受けず」って奴だな、これについてどう思うかね?

生きて虜囚になっても、惨たらしく殺されるか、反戦兵士として前線に送り出されるしかなかったのだから、当時、戦陣訓が通達されたのは当然のことだったろうな。

Re: 結論

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 23:53 投稿番号: [11458 / 29399]
>いい加減、南京大虐殺も従軍慰安婦強制連行も無かったで、良いではないか。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言い争わなければならないのは、嫌になってしまう。

そのとおり。
ぐちゃぐちゃ言ってる暇があったら、早く日本軍による南京市民大虐殺の証拠を示してほしいものだね。

Re: 聞いたオレが○○だったw

投稿者: mht2040at 投稿日時: 2006/03/14 23:51 投稿番号: [11457 / 29399]
>だったら、1937年7月から1945年8月までの8年余り(支那事変)の間に、支那軍が日本兵を捕虜として保護した資料を提示しな。

デリ君、私ははっきりこの件に関しては「無知」だと言っておるのだが。
知らんとはっきり言っている相手に、資料を提示しろとは、無茶苦茶だぞw
(独り言だが、反証さえなければデマを吹聴して良いとでも思っているんだろうか・・)

まぁ良いよ、この話は。デリ君に知見を披露して貰っても仕方ない。さてところで、デリ君は戦陣訓、要するに「生きて虜囚の辱を受けず」って奴だな、これについてどう思うかね?

「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」

Re: 結論

投稿者: sgbmx335 投稿日時: 2006/03/14 23:33 投稿番号: [11456 / 29399]
大賛成ですね。

結論

投稿者: fumittiposupemomo 投稿日時: 2006/03/14 23:20 投稿番号: [11455 / 29399]
いい加減、南京大虐殺も従軍慰安婦強制連行も無かったで、良いではないか。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言い争わなければならないのは、嫌になってしまう。

Re: yousunwai君 (横です)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 22:55 投稿番号: [11454 / 29399]
>実際、侵略されてしまったのですから、そういう風な考えが主流になるのは、仕方ないと思います。もちろん、左翼のいうような対話が第一などということを、私は、主張する気もありません。ただ、無駄と断定した段階で、思考停止するような気がするんですよね。

支那人相手に対話が通用しないことは既に結論が確定しているのですから、思考停止もヘッタクレもありません。
支那人や朝鮮人には理屈や道徳は通用せず、武力しか通用しないので、何を期待しても無駄なのですよ。
この現実を認識せず、支那人や朝鮮人に理屈や道徳を期待するような無知な人々が大勢いるから世界の平和が壊され、多数の人間が戦争の犠牲になってしまうのです。


>まず、これらの質問が、防衛戦争とどのような繋がりをもって質問されているのかを教えていただけますか?

当然、防衛戦争と繋がりがあるから質問しています。
理解できなければ、回答してくださらなくても結構です。

①殺人鬼が子供を殺そうとしたから、子供を守ろうとして親が殺人鬼と戦ったら、その親には戦った責任が生じて反省しなければならないのですか?

②暴漢が小学校に侵入して児童を次から次へと殺傷しているのを阻止するために教師が暴漢と戦ったら、その教師には戦った責任が生じて反省しなければならないのですか?

③福岡一家殺害事件の犯人である王亮や楊寧は、自衛の延長と考えていたかもしれないのですか?

④池田小学校児童殺傷事件の宅間守は、自衛の延長と考えていたかもしれないのですか?

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/03/14 22:37 投稿番号: [11453 / 29399]
貴方は日本人?

スタンスをはっきりさせましょう。

日本人であるならば何でそう言う価値観になるんでしょうか。

日本人を捨てても良い日本人。

要するに屑なる日本人なんだろう。

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 22:33 投稿番号: [11452 / 29399]
>これは有名な話ですが、日本人捕虜の一部を「反戦兵士」としたのですから、日本人捕虜は存在したということになります。

だから、「反戦兵士」にしなかった日本人捕虜の存在を証明しろ。

Re: これも全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 22:31 投稿番号: [11451 / 29399]
>再度お聞きしますが、
>『シカゴ・デイリーニューズ』12月15日の記事(『南京事件資料集1』「34   南京大虐殺」P465-457)
>『ニューヨーク・タイムズ』12月18日の記事(『南京事件資料集』「16   捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う」P417-422)
>この二つの記事が、「ベイツの出鱈目なメモを記事にした」のですね?

キミはしつこい性格なの?
それとも馬鹿なの?
何度も何度も同じこと言わせるな。


>そのことを証明してくださいね。

――――――――
南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』   のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」
――――――――


>いえいえ、私はゆうさんほど知識も見識もありませんよ(笑)。

キミは本気でゆうさんが知識や見識があると思っているのか?
つーか、知識とか見識のことではない。
投稿の芸風がyu77799とかMarc_Laforetとかsugi37_1とかは、クローン人間のように同じだと言っているのだが、理解できないかな?


>『日本国民に告げる書』における「そのうえ一地区が占領されるごとに放火・掠奪の後、遠くに避難できないわが無辜の人民よび負傷兵に対し、そのつど大規模な虐殺をおこなった」は、南京大虐殺を念頭においていたのでないならば、一体、どこでの出来事を念頭においた発言なのでしょうか?

蒋介石は、どこにおいても日本軍がそのような虐殺をおこなっていたなどとは思っていなかった。
有りもしないことを言いふらすのが戦時プロパガンダというやつなんだ。


>>国民政府は、でっち上げの嘘っぱちを『戦争とは何か』に載せただけだよ。

>ならば、十分、「南京大虐殺」を認識していたことになりますね(笑)。

キミ、頭、大丈夫?

Re: yousunwai君 (横です)

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2006/03/14 22:21 投稿番号: [11450 / 29399]
>近くに支那人がいる限り、チベット人がいくら反省しても無駄ですよ。

実際、侵略されてしまったのですから、そういう風な考えが主流になるのは、仕方ないと思います。もちろん、左翼のいうような対話が第一などということを、私は、主張する気もありません。ただ、無駄と断定した段階で、思考停止するような気がするんですよね。

で、以下のご質問なのですが、どうしても答えなくちゃいけませんか?と、いうのも、防衛戦争と個人の犯罪とは、同じではない部分もあるように思うんです。まず、これらの質問が、防衛戦争とどのような繋がりをもって質問されているのかを教えていただけますか?そのお答えを斟酌した上で、私なりの回答ができるかどうかを判断した上で、お答えできるものについては、お答えするということでお願いできませんでしょうか?

①殺人鬼が子供を殺そうとしたから、子供を守ろうとして親が殺人鬼と戦ったら、その親には戦った責任が生じて反省しなければならないのですか?

②暴漢が小学校に侵入して児童を次から次へと殺傷しているのを阻止するために教師が暴漢と戦ったら、その教師には戦った責任が生じて反省しなければならないのですか?

③福岡一家殺害事件の犯人である王亮や楊寧は、自衛の延長と考えていたかもしれないのですか?

④池田小学校児童殺傷事件の宅間守は、自衛の延長と考えていたかもしれないのですか?

Re: 聞いたオレが○○だったw

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/03/14 22:17 投稿番号: [11449 / 29399]
日本兵はシナ兵によって殺されても、シナ人の行動に於いては、そんな事はなかったといいたい訳でしょうか。

シナ人は救われませんな。

如何に戦闘と言えども、日本人の捕虜を、その当時一人も生存して居ない様では、みんなシナ人の虐殺文明の発展した殺され方で、殺されて行ったのと思います。

シナ人は、世界に対して邪悪になりつつあります。

これが、本当に世界に広まれば良いと思う今日この頃です。

Re: 全く反論になっていない

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 22:15 投稿番号: [11448 / 29399]
>南京大虐殺が起きた時点においては、均衡性がなかったということでよろしいでしょうか?

南京大虐殺なんて起きなかったから、「南京大虐殺が起きた時点」なんてない。
南京戦の頃には、既に、投降兵の不当殺害は支那軍が一方的に行なっていたので均衡性はなかった。
支那軍が捕虜として保護した日本兵は1937年7月から1945年8月までの8年余りの間に0人だったのだから、南京戦以前の1937年7月から1937年12月までの5ヶ月間でも0人だった。


>あのぉ、南京大虐殺後は、南京は日本軍が占領し、その後、日本軍の傀儡政権が支配していたのですから、物証も死者名簿も作れなかったのですよ。

アメリカ占領下で日本は原爆の犠牲者名簿を作ったのだから、本当に南京大虐殺があったなら日本軍占領下でも犠牲者名簿は作れただろ。
少しは考えろ。


>認識がないにも関わらず、「南京大虐殺」を作り出すことなど出来るでしょうか?それが「デマ」であるか「与太」であるかに関わらず、「南京大虐殺」を認識していたのではありませんかね(笑)。

事件がないのを知っていて事件を捏造するのが「でっち上げ」なのだから、「デマ」とか「与太」というのはそういうことなのだ。

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 21:57 投稿番号: [11447 / 29399]
>じゃなくて、もともとあなたらとMarc_Laforet氏との論争でしょう。

いい加減なこと言うなよ。
俺とMarc_Laforetは、そんな論争してないよ。

#11198→#11202→#11203→#11209→#11211→#11218→#11222→#11231→#11243→#……

このような状況の中において貴方が#11382で頓珍漢な投稿をしたから、私はその貴方の頓珍漢な投稿に対して#11395で意見を述べたのだよ。

Re: 児玉義雄証言 その後

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/14 21:42 投稿番号: [11446 / 29399]
>   論点は虐殺に関する証言が本当だったかどうかだが。
>   「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」という命
>令で、一体何人殺されたんだ?
>   児玉証言を虐殺の根拠として持ち出したんだから、そ
>の結果どの程度の規模の「虐殺」がどの時点でどの局面
>において行われたのか、正確な数は分からなくても概況
>くらい分かるよな?

「ウソ」と「不正確」とは意味が違うことは知っていますか?



>   何のことを言っているのか大体見当は付くが、敢えて訊こうか。
>   誰から、誰に対する命令が出たんだ?
>   命令書は確認されているのか?

命令書は確認できませんが、山田支隊の山田栴二少将は、当時の日記に明記していますよ。
そして、鈴木明のインタビューに証言していますし、そこでは捕虜殺害の催促までされていたことを証言していますね。

あぁ、そういえば、この山田少将の証言も「南京大虐殺」の証言ですね。



>   これも大体何のことを言っているのか見当が付くけど
>、どの部隊が下関で多数の捕虜を殺害したと誰が証言し
>ているのかな?
>   答えられなければ、単なるデマカセと判断するが。

第16師団の部隊だと聞いていますよ。
証言に関しては、
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
でまとめてありますね。

Re: デリコ君へ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 21:38 投稿番号: [11445 / 29399]
>>ベイツを始めとする安全区国際委員会は、現地(南京)の状況を良く知る日本軍(憲兵隊など)や記者などには有のままの事実を話し、現地(南京)のことを良く知らない人たちには嘘・出鱈目を言いふらしていたのだよ。

>なるほど。では、その根拠(証明)は?

当時の安全区国際委員会の発言や文書を見れば分かるよ。
既に私も何度も投稿しているよ。
嘘トピの#8368などが参考になると思うけど、少しは自分で調べたり学習する努力をして下さい。

Re: さあな、横、Marcさんへ

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/14 21:36 投稿番号: [11444 / 29399]
>だから、Marcさんへとしてある。しかしMarc_Laforet氏
>このごろ出てこないようだが遁走かな。

あー、こりゃこりゃ。
一日お休みしただけで「遁走」は無かろう(笑)。

Re: 鬼頭証言は眉唾物

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/14 21:33 投稿番号: [11443 / 29399]
>ということは、出所もしっかり覚えていない噂話に過ぎ
>ないということになる。
>   こういうのを眉唾物と言うのだと思うが。
>   何十年も記憶に残る衝撃的な命令を下した自分の上官
>の地位くらい、覚えているものだと思うがねw

「中隊長」か「小隊長」から聞いた、ということですから、「出所」はある程度明確ですよ。
いずれにせよ、「上海派遣軍司令官の命令を確認できる立場だったのか?」などという論点は、無意味な立論だったわけです。



>   君がそう信じ込むのは勝手だが、上海戦で捕虜殺害を
>戦果として計上していたというのは根拠のある発言だろ
>うな?
>   是非、根拠を示して欲しい。

これは、秦郁彦『南京事件』に書かれています。
詳細がほしければ、私も調べて引用しても構いませんよ。



>   朝香宮司令の呼び方で君がどういうスタンスの人間か
>よく分かるよ。
>   普通は、殿下とか閣下とか呼ばないまでも、名前を呼
>び捨てにするような真似はしないんだがね。

鳩彦の方がシンプルで親しみやすいでしょう(笑)。



>   それはともかく、この回答では、全て根拠のない推量
>に過ぎないということになるが、そう理解して構わない
>のかな?

これは、回答ではなくコメントですよ。

あなたも「象徴的な存在でしかなかった朝香宮司令」であったと書いているわけですし、私もそう思っていますので、そこから導き出された妥当な推定として書いたのです。

もう、60年も前のことを根拠を含めて証言できる人の方が、どうかしていると思いますよ。

鬼頭証言で解るのは、上官から来た命令を受けた、ということでしょう。
それが鳩彦の口から直接でたものか否かは、この証言だけでは確認しようがりませんね。
なぜならば、鬼頭氏が、そのような上部の命令のやり取りを聞ける立場に居たとは思えないからです。



>   そもそも、証言者の生年月日が重要なファクターでな
>いと考えているなら、何故生年月日を記載しているんだ?
>   重要でないと考えているのなら、最初から書かないの
>が当たり前のやり方だ。
>   生年月日を載せた方が、証言がもっともらしく見える
>から、という理由以外に考え難いのだがね。
>   それで信憑性を疑われていれば世話はないのだが。

私は、「証言者の生年月日が重要なファクターでない」などとは言っていませんよ。
私が言いたいのは、編集者の校閲の段階で、生年月日の検証などは行わないであろう、ということです。
文字校正で修正が効かなかった場合に、間違ったまま掲載されてもしょうがないと思います。
もちろん、テレビ局側が、そのような点を疑いをもって検証するはずもないでしょう。

編集の課程を知っていれば、それほど不思議な問題ではありませんよ。

Re: 横レス

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/03/14 21:28 投稿番号: [11442 / 29399]
>>支那軍が日本兵を捕虜として保護した資料を提示しな。

>はて、君の相手は資料を知らないから日本兵の捕虜数
>については知らないと言ってるんだよ。

そうではない。
支那軍が日本兵を捕虜として保護したことを示す資料がないから、支那軍は日本兵を捕虜として保護しなかったことが判るのだ。


>一方、君は同様に
>資料を知らないにもかかわらず、捕虜数はゼロだと断言
>する以上、証明の責任は君にあるんだぜ。

いいや、違う。
支那軍が日本兵を捕虜にして保護したと言うなら証明責任はオマエらにあるんだぜ。


>八路軍に捕らえられて保護された日本兵の数は、君の
>言う「反戦兵士」になった人々だけでも2千人以上が知ら
>れている。君が個人的にどう思おうが、「支那軍が日本兵を
>捕虜として保護した」という定義に完全に合致している以上、
>君は嘘を言ってることになるな。

捕まえた日本兵を「反戦兵士」にして前線に送り出したことが、「日本兵を捕虜として保護した」ことかい?
ぶわっはっはっは!
あんまり馬鹿を晒すな。


>ところで、君の言う南京事件で日本軍が捕虜として
>保護した1万人以上の中国兵という話は、どんな資料に
>よるんだね?

「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日

Re: デリ君にご教示を請うてみよう

投稿者: Marc_Laforet 投稿日時: 2006/03/14 21:13 投稿番号: [11441 / 29399]
>1937年7月から1945年8月までの8年余り(支
>那事変)の間に、支那軍が日本兵を捕虜として保護した
>資料を見たことがないから。
>(もちろん「反戦兵士」は除外する)

これは有名な話ですが、日本人捕虜の一部を「反戦兵士」としたのですから、日本人捕虜は存在したということになります。もちろん、これらは、鹿地亘、野坂参三などの資料を見ても書かれています。

「資料を見たことがない」というのは、自分の無知を武器にするようなものです。



しかし、この人はデタラメばっかりですねぇ(苦笑)。
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