>捕まえた日本兵を「反戦兵士」にして前線に送り出したことが、
「日本兵を捕虜として保護した」ことかい?
ひょっとして、「反戦兵士」というのは、武器をもたされて日本軍と
戦闘させられたとでも勘違いしているのかな?
彼ら「日本八路軍」は、けっして銃を持たず、日本軍との戦いにも
加わらなかった。その目的は、日本人として八路軍の捕虜政策を
宣伝し、さらに多くの日本兵を覚醒することにあった。八路軍の
指導のもと、目覚めた人たちによる反戦団体の発足が決まった。
39年11月7日、杉本さんをはじめとする日本人七人は、山西省
遼県(現在の同省左権県)麻田鎮の八路軍野戦総部で、在華
日本人による「覚醒連盟」成立大会を開いた。この時以来、
戦場にいた日本人の多くが、覚醒連盟に加わっていくのである。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/zhuanwen/200208/zhuan46.htm中国共産軍に協力した日本の「反戦兵士」を君がケシカランと
思おうが思うまいが、彼らは中国軍に捕らえられた日本兵であり、
殺されることなく、大部分は終戦後に無事に帰国したのは確か
である。君の言う「支那軍が捕虜として保護した日本兵は
1937年7月から1945年8月までの8年余りの間に0人」と
いうのは明らかに間違いであるわけだ。
>「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日
その記事は知らないが、『朝日新聞』昭和12年12月17日の、
両角部隊が約1万5千人の中国兵を捕虜にしたという記事の
ことかな? これは、その後ほぼ全員が殺された幕府山事件の
犠牲者の人数、および彼らが(敗走中の兵士ではなく)確かに
捕虜であったことを示す資料のひとつだが、何か?
その1万5千人の中国兵が終戦時まで日本軍の捕虜として
生かされていたと言いたいのなら、ひとつ君のお得意の
名簿とやらを出してもらいたいな。当然ながら、8年間も
収容所にいた捕虜の名簿くらい日本軍は作っていたはず
だよな。君のように、殺された人間の名簿を出せというより
よほど簡単な要求だぜ(藁