南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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宿題はやり直しです そんなのないよ。

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 22:54 投稿番号: [5975 / 41162]
>それは、違いまんがな。
アヘン戦争がいつの出来事で、イギリスがアヘンの販売を停止したのは知っていますか?

アンタが知ってりゃそれで良いんじゃないの?(笑)

それともイギリス政府のアヘン販売所でも知っているというの?(笑)

>中曽根は、覚書などなかったと言ったのだが

紳士協定だと、言っているのだから、信じましょうね。
いつまでも子供じみたこと、止めましょうね、みっともないよ(笑)

一部訂正

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/12 22:46 投稿番号: [5974 / 41162]
>アヘン戦争がいつの出来事で、イギリスがアヘンの販売を停止したのは知っていますか?

↓   ↓   訂正   ↓   ↓

アヘン戦争がいつの出来事で、イギリスがアヘンの販売を停止したのは【いつか】知っていますか?

同じ思考回路でしょ(笑)アンタとは

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 22:45 投稿番号: [5973 / 41162]
>ですけど、国の高官が公の場で行った発言は、失言として取り消さない限りその国の意思を反映する意見として記録に残るのが国際常識でしょう。それとも某国の国家重鎮は冗談半分で感謝の意を表すほど国際感覚のない愚人だったということがいいたいのかな。


なにを馬鹿なことを書いているのか、、頭を疑うよ(笑)

事実その通りだから、何の問題もないのだよ。
当時の戦力分布が解っていないのだろうね。

日本軍は国民党軍、共産軍共同の敵であったことくらいは理解したらどうでしょうね。

だから、国共合作により、まず、日本軍と戦いを片付けた後、国民党あるいは共産党が中国の政権を担当するか結しようと画策したのが西安事件じゃないですか。
蒋介石はまず、共産党を叩いてから、日本軍を追い出そうとしていたのを、長学良の反乱(?)により、国共合作が成功し、共に日本軍と戦ったということですよ。

だから、毛沢東初めとする中国首脳の答えは正しいのですよ。
何も日本が喜ぶき事柄でも何でもありません。アホな日本人が浮かれて、よろこんでいるだけけでしょうね(笑)

宿題はやり直しです

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/12 22:43 投稿番号: [5972 / 41162]
>>1.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514

>反省したからイギリス政府はアヘンを販売してはいない、、なんど書かせるのかこのアホは(笑)

それは、違いまんがな。
アヘン戦争がいつの出来事で、イギリスがアヘンの販売を停止したのは知っていますか?
まずは、ここから学習しましょう。



>>2.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514

>紳士協定に残っている文書などあるものか(笑)結果として中曽根元総理は公式参拝を自粛した、それが答えだ。アホチン(笑)

「覚書がある」と言ったのだから、それではいけない。
つーか、中曽根は、覚書などなかったと言ったのだが。
オマエに勝ち目はないのだから、素直に、「ゴメンナサイ、また嘘を吐きました。」と言ってしまえば良いだろ。

何に対して犯罪なのでしょう?こちらが?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 22:35 投稿番号: [5971 / 41162]
>一体何が犯罪なのでしょう?

なぜ、戦時賠償金を支払ったのでしょうか?なぜ絞首刑となったのでしょうか?
なぜ、独立できたのでしょうか?
なぜ、天皇は裁かれなかったのでしょうか?

>欧米や中国にとって、
戦争は犯罪ですか?

日本人にとっても
人を殺すことは犯罪、不道徳行為ですよ。これは人間が社会生活を始めた頃からの普遍的なものですよ。
江戸幕府でも殺人は罪人とされていたと思いますがね。
自国の兵士には免罪とされるだけでしょうね。


>侵略は犯罪ですか?

人の物、土地を勝手に武力で奪うことは、およそ、人間が社会という組織を意識したころから、犯罪行為だったでしょうね。江戸時代においても、不動産侵奪、農地侵奪は罪でしたでしょうね。

>植民地支配は犯罪ですか

非植民地の民衆にしてみれば、明かな犯罪行為被害者でしょうね。
よろこんで植民地化される民族なんていないでしょう。(笑)

この戦争の結果として以前統治していた国家が統治を停止しまた近代社会の困難な条件の下で独力で立つことができない人々により居住されている植民地または領土に対しては繁栄し発展した民族が文明の崇高なる信託を形成し発展させるという原則が適用される。

そしてこの信託の成果の保証はこの条項で具体化されるであろうこの原則を実際的な効果に高めるまでに至る最良の方法は、資源や経験また地勢上の理由によりこの責任をもっとも良く果たせることができる先進国にこの後見役を任せることである。

それら先進国は喜んでこの役を引きうけ、後見役は連盟に代わって委任統治者として委託される。委任の性格はその民族の発展度合い、領土の地理的状況、経済的状況などなどにより異なる。

国際連盟憲章にはこの様に書かれていますよ。
独り立ち出来ない国には手を差し伸べよ、、と侵略し自国のものとせよとは書いてはありませんね。(笑)

犯せば、条約違反でしょうね。

yominokuni56の宿題地獄知らんがな(笑)

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 22:16 投稿番号: [5970 / 41162]
アンタのような出来の悪い生徒を持った覚えもなけりゃ、宿題を出した覚えもない、(笑)

アンタの勝手な思いこみにまで、付き合う気など毛頭ありませんよ、、時間の無駄というモノです。(笑)

まともで無い証明を自らなさっていらっしゃますよ(笑)

(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)
馬鹿をアホが引き継いでもやっぱり馬鹿の二乗にしかならんかな(笑)

1.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514

反省したからイギリス政府はアヘンを販売してはいない、、なんど書かせるのかこのアホは(笑)

2.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514

紳士協定に残っている文書などあるものか(笑)結果として中曽根元総理は公式参拝を自粛した、それが答えだ。アホチン(笑)

なにが宿題だ、、問題の意味すら分からん馬鹿が、、(笑)

yominokuni56の宿題地獄

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/12 21:56 投稿番号: [5969 / 41162]
宿題がかなりたまっている。


#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802や#5814や#5879や#5882や#5902で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、

1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756

2.支那軍がわざと上海の市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775

3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783

4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787

5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799

6.支那側は停戦協定を何度も繰り返し破り、8月9日に予定されていた和平会談も支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊し、さらに上海戦の後11月6日に蒋介石に伝えられた和平条件も蹴って南京戦を強行したことを認めるんだな?#5799

7.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802

8.上海戦は、蒋介石が攻撃を始めて日本が防衛した戦争だったと認めるんだな?#5814

9.上海戦における日本軍の損害が予想を超えた理由は、日本の不拡大方針による小出しの兵力投入と、支那軍の細菌戦のせいだったことを認めるんだな?#5814

10.日本軍の食糧は、日本本土からの補給を原則としたが、補給が不如意になって現地調達する際にも、支那軍のように強奪するのではなく、カネを払って調達したことを認めるんだな?#5851、#5868、#5879

11.南京戦の前に多くの南京市民は南京を脱出し、残った20万人も全員が国際安全区に避難して無事だったことを認めるんだな?#5882、(#4674、#5696)

12.上海から南京への道路沿いの村々や周辺の村落を破壊、略奪、放火したのは支那軍であり、支那はそのような焦土作戦(清野作戦、焦土戦術)をしておいて、「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁したことを認めるんだな?#5882

13.「句容県誌」(日本軍侵占句容期間暴行録)という記録は、いつ、誰が、書いたのか?
どうして、南京軍事法廷や東京裁判(1946年〜1948年)に、証拠として提出されなかったのか?#5902


(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)

1.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514

2.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514

>>>歩兵第20連隊牧原信夫の日記

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/12 21:50 投稿番号: [5968 / 41162]
>歩兵第20連隊牧原信夫日記
>道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体
>第二大隊は喚声をあげ、勇ましく敵陣に突撃し、敵第一戦を奪取、
>4名の敗残兵がぼやっと現れたので、早速捕らえようとしたが、一名は残念ながら逃し、あと3名は捕らえた。兵隊たちは早速2名をエンピ(小型シャベル)や十字鍬で叩き殺し、一名は本部に連行、通訳が調べた後、銃殺した。
>付近部落の掃討が行われた。
>休憩中に家に隠れていた敗残兵を殴り殺す。
>残敵の掃討に行く、
>舟で逃げる5〜6名を発見、照準をつけ、一名を射殺、掃討はこのときから始まった。
>逃げる者は怪しいと見て射殺する。
>その上5,6名を射殺する。
>また、舟にて逃げる2名の敗残兵を射殺し、
>3名の義勇兵らしき者を発見。二名はクリークに蹴落とし、射殺する。一名は大隊本部に連行し手渡す。


以上、敗残兵の掃討の様子でした。

日記というのは眉唾物が多く、その日記もかなり胡散臭い日記だが、それでも、殺したのは全て敗残兵であり、住民の虐殺は1人もないね。

「日記」では、あちこちで民家に放火したことになっているが、#5882で勉強してね。


(参考)

第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。

結論 2)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/12 21:40 投稿番号: [5967 / 41162]
>オメガ氏あたりが「宋姉妹」のような「伝記」や「ノンフィクション」を引用すると
>インチキ呼ばわりする人間が、・・・


あいつの場合は、最初から「宋姉妹」や「悪魔の飽食」を資料として持ち出すから論外。

それで、どうでも良いことだが、8月14日に支那軍が行った爆撃にノースロップ機は使用されなかったの?



>「蒋介石軍の飛行機はホテルやデパートを狙ったのではない」と言ってることも忘れないように。


ハイ、ハイ。
―――――――――――――――――――
蒋介石軍の飛行機はホテルやデパートを狙ったのではないが(それほどの技量がなかっただろう)、繁華区を目標にしたのであることはまちがいない。
―――――――――――――――――――
が、戦争中に上海に何年間か住んでいたunhoo氏の見解でした。


そして、俺の結論
―――――――――――――――――――
よく勉強しないと、支那人(軍)のやることは、古今東西、誰でも奇妙に思う。

しかし、よく勉強すれば支那軍の行動パターンがちゃんと見えてくる。
支那軍は、己のためなら罪も無い一般住民を平気で大量に殺害する。

敵への攻撃のために住民諸共大量殺害したこともあったし、自分たちが逃げるために住民を大量殺害することもあったし、日本軍を悪者に仕立てる宣伝のために住民を大量殺害することもあった。
だから、細菌戦もやったし、南京で便衣兵になったし、毒ガス弾も使用したし、黄河の堤防を決壊させて数十万人を殺したし、長沙市などを焼き払ったりもした。

つまり、支那軍は自分で住民を殺しては、その暴虐をすぐに日本軍の仕業に転嫁して宣伝する常習犯だった。

上海で支那軍がホテルやデパートを爆撃したのは戦争の開始段階であり、支那軍の行動パターンがよく把握できていなかったから、カール・カワカミも「中国は国際租界を自分自身で攻撃することによって日本に対する国際干渉を引き起こそうと目論んでいる、というのは一見したところ奇妙なことのように思えるかも知れない。」と述べたのだろう。
『シナ大陸の真相』が、あと1年遅く出版されていれば、もっと他のネタもたくさん紹介され、上海爆撃についても違う表現になっていただろう。

結論

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/12 21:36 投稿番号: [5966 / 41162]
>お好きに。
>「重慶抗戦紀事」を自信を持って紹介したのはでりちゃんなのだから、
>内訳もそれに倣えばいいのじゃないかな?


よろしい。

・1939年の死者数は5247人
・1940年の死者数は4149人
●1939年〜1943年の5年間で死者数1万1889人
『重慶抗戦紀事』』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)

これは、「民國二十八年度、四川各地空襲損害統計表」とも矛盾しない。

これで結論だ。

結局、俺の最初の投稿(#5913)のとおりだった。



>第三艦隊戦闘詳報(第五一四号)   五月四日
>「・・・重慶防空司令部・委員長行営・県政府ヲ中心トシテ中央公園ヲ通スル南北線以西市街地全面ニ亘リ猛爆撃ヲ加ヘ   之ニ壊滅的損害ヲ与ヘタリ市街地周辺数十門ノ高角砲アリ   殊ニ市街西側各国領事館所在付近防御砲火熾烈ニシテ飛行機隊ハ敵戦闘機ヲ撃退シツツ相当ノ被弾アリシモ負傷者ナク帰還セリ」


ふーん。
市街地の周辺に数十門の高角砲があったわけのか。
爆撃機はかなり被弾したみたいだけど、負傷者もなく帰還できて良かったね。

まあ、俺の#5913
―――――――――――――――――――
1940年後半から、日本軍が、支那軍の対空砲火陣地だけではなく、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃をしたことは事実でしょうが、それ以上の爆弾投下は爆弾等の物資の無駄遣いとなります。
―――――――――――――――――――
の「1940年後半から、」を除外しておいたほうが良いかもしれないが。



>「その住宅密集地への焼夷弾のバラ撒きがあったから「火災」が起きたのだが。」
が、正確な表現だな。


市街地の周辺に数十門の高角砲があったことを隠匿(トリミング?)してはいけないだろ。

あらら  (^^;

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/12 19:35 投稿番号: [5965 / 41162]
unhooさん、見ておられたのですか。

>わしが上海に住んでいた期間は1942年4月から1946年4月まで。日本敗戦後に台湾へ帰ってから、その後上海へ行ったことがない。

私もその場にいたわけではないので、1940年代のことについては、
当たり前ですが、unhookさんの方が詳しいのだと思います。

で、私がここまでに調べたところでは、1930年代当時のキャセイホテルとパレスホテルは、
黄浦灘路と南京路の交差点にあったということになるのですが。
二ヶ月ほど前に、この関係の資料を見まくったので、いますぐ直接リンクが
できないのですが、現在の和平飯店がキャセイホテル、その向かいの友邦大厦が
パレスホテルだと思うのです。

この件、少し詳しい人との会話がありますのでリンクします
1930年代の外灘の写真があります。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=177;id=imgbord#17 7

>>歩兵第20連隊牧原信夫の日記

投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/06/12 17:04 投稿番号: [5964 / 41162]
捏造ですよ。
戦前の日本人は「焼き肉」なんて知りませんでした。

ソウルで聞きましたが、朝鮮人もそんな食べ方しなかったとか。

「焼き鳥」もどうですか。
戦後しばらくまで「焼き鳥」とは、
ツグミなどの野鳥の料理のことだったのでは。

焼き鳥のネタが鶏あるいはブロイラーになったのは、
野鳥捕獲が禁じられ、生息数も減って、
実際に獲れなくなって以降ですよ。

「歩兵第20連隊牧原信夫の日記」の
捏造時期は1970年代以降だね。

それも実戦経験のない人物の手で。
「日記」では、あちこちで民家に放火したことになっているが、
進撃路の跡は基本的に補給路であり、状況によっては退却路になる。
無闇な放火は、自殺行為でっせ。

>歩兵第20連隊牧原信夫の日記

投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/12 15:54 投稿番号: [5963 / 41162]
徹底的に新かな遣いで書かれているから、戦後の書き直しか、ことによると捏造だね。

永安、先施ホテルの位置

投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/12 15:50 投稿番号: [5962 / 41162]
下記の上海地図について説明する。

http://www.mahooshanghai.com/map/huangpu.htm

この地図ではスケールが示されていないが、黄浦江の幅はこの地図に描かれてある部分では400〜500mである。それをスケール代わりにすればよい。

地図の中に南京東路、南京西路が東西に走っている(道路の下の地下鉄を表示した旗竿線が描いてある)。南京東路東端(黄浦江西岸)から西へと注意深く視線を移して行くと、約1.5kmのところに華聨商廈という文字がある。「華聨」は簡体字で書いてある。これが以前の永安デパートである。永安デパートの向かい(北)に先施デパートがある。ここは戦前の上海でいちばん繁華なところとされていた。わしが上海に住んでいた時期も、いつも雑踏で混んでいた。

永安、先施から更に1km西に金門大酒店、国際飯店がある。そのどちらかがパレスホテルである。パレスホテルの高い階から競馬場がよく見えた。その競馬場が今は人民公園になっている。

わしが住んでいた頃は南京路と言っていたのが、今は南京東路、南京西路に分けられた。

キャセイほてるは、わしの記憶ではフランス租界にあった。フランス租界は延安東路、延安西路の南の地域である。地図の上からキャセイホテルの位置を決定できないが、黄浦江岸から3km以上離れているはず。もしキャセイホテルが南京東路か南京西路にあったことが確実なら、わしのキャセイホテルについての記憶は誤りとなる。

わしが上海に住んでいた期間は1942年4月から1946年4月まで。日本敗戦後に台湾へ帰ってから、その後上海へ行ったことがない。

>>2.『 パール博士のおかしなことば 』

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/06/12 12:11 投稿番号: [5961 / 41162]
>アメリカの単独占領で日本は助かったのだよ(笑)占領政策によっては、

短絡(笑)。

>これは国民の意識レベルの問題だよ。

そう。yominokuni56みたいのがいるようじゃ。彼が日本人だとしてのことだが。

>特に政治家、官僚に言いたいね、欠如しているのはここだ!

じゃなくて、そういう政治家、官僚しか出せない日本国民の問題だろう。だから、

>自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。(パール判事の言葉)

同じ思考回路でしょ(笑)

投稿者: zannnen_giri 投稿日時: 2005/06/12 12:00 投稿番号: [5960 / 41162]
>>先人たちが述べているとおりなら、その後継政府がいまさら歴史問題云々という資格はないですね

というのは

>東京裁判を日本国が受け入れ、講和条約に調印し、独立国として、世界に認められ、曲がりにもアメリカの小坊主として、また、アジアの工場として、アメリカ主導のもとに、現在の経済大国としての地位を築きあげることができたのじゃないか?
それも、これも、東京裁判での有罪確定が全ての出発点ですよね。
認めなきゃ、、現在の生活は無かったでしょうね

という過去の歴史の延長上に現在があって、現在を肯定するなら過去も肯定するという幼稚な理屈と同じですから。

ところで

>国共合作前ならば当然だろう、お互い敵同士で戦っていたところへ日本軍が国民党軍を戦い追っ払ってくれれば、被害最小で最大の効果が得られたのだから、l当然感謝もするだろう、外交辞令上、冗談半分にでもな(笑)

ですけど、国の高官が公の場で行った発言は、失言として取り消さない限りその国の意思を反映する意見として記録に残るのが国際常識でしょう。それとも某国の国家重鎮は冗談半分で感謝の意を表すほど国際感覚のない愚人だったということがいいたいのかな。
もっとも親書を記者団の前で公開しようとしたり、オフレコの話をマスコミに発表して騒いでいる××な国も現実にありましたがね。

何に対して犯罪なのでしょう?

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/12 11:00 投稿番号: [5959 / 41162]
>犯罪者に「罪はありません」なんて、良く言えるもんだよ(笑)
>犯罪加害国で犯罪者とされた人達に、同情しても、其れは「その身に染まりては、悪行もまた、知らず」って事だね。

一体何が犯罪なのでしょう?
欧米や中国にとって、
戦争は犯罪ですか?
侵略は犯罪ですか?
植民地支配は犯罪ですか?

>侵略し、中国国民を殺害し、捕虜を虐待、虐殺し、他国を疲弊、破壊し、国民を犠牲にした戦争の責任が誰にもない?

盧溝橋事件や上海事変で、計画的に日本軍を引きずり込んだ者こそが戦争の責任を取らなければなりません。

つまり、共産党であり国民党です。

現実の掃討作戦

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/12 10:50 投稿番号: [5958 / 41162]
>付近部落の掃討が行われた。

現実の掃討作戦の様子が良く表されています。

戦闘では、まず敵の本体を撃破して組織的抵抗を排除し、次に残敵を掃討します。
もし村が敵の拠点あるいはゲリラの巣であれば村ごと(焼却)処分しなくてはなりません。

>民衆および婦人の死体が見づらい様子で伸びていたのも可愛相である。
>住民は家を焼かれ、逃げるに道なく、失神状態で右往左往していのも全く可愛そうだがしかたがない
>老人が2〜3人にて可愛そうだったが、命令だから仕方がない。次、次と3部落を全焼さす。
>支那人の若い者が先を争って逃げていく、何の為に逃げるのか分からないが、逃げる者は怪しいと見て射殺する。

「中国市民」を「敵軍人あるいは敵義勇兵」と明確に区別して見ている事がよく分かります。

歩兵第20連隊牧原信夫の日記

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 08:23 投稿番号: [5957 / 41162]
歩兵第20連隊牧原信夫日記

歩兵第20連隊の牧原信夫上等兵が書き残した日記より、、句容に至る前の部分より

11月22日
  道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体が見づらい様子で伸びていたのも可愛相である。
橋のたもと付近には5〜6個の支那軍の死体が焼かれたり、あるいは首をはねられて倒れている。話では砲兵隊の将校が試し斬りをやったそうである。

11月26日午後4時
第二大隊は喚声をあげ、勇ましく敵陣に突撃し、敵第一戦を奪取、住民は家を焼かれ、逃げるに道なく、失神状態で右往左往していのも全く可愛そうだがしかたがない。午後6時完全に占領する。
7時道路上に各隊集結を終わり、付近部落の掃討が行われた。

自分たちが休憩している場所に4名の敗残兵がぼやっと現れたので、早速捕らえようとしたが、一名は残念ながら逃し、あと3名は捕らえた。兵隊たちは早速2名をエンピ(小型シャベル)や十字鍬で叩き殺し、一名は本部に連行、通訳が調べた後、銃殺した。

8時半、宿舎に着く、三小隊はさっそく豚を殺していた。全く素早くやるのには恐れ入った。

11月27日
支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵を殴り殺す。
支那人2名をつれて、11時州発す、、、鉄道線路上を前進す、休憩中に5〜6軒の藁葺きの家を焼いた。炎は高く上がり、気持ちがせいせいした。

11月28日
午前11時大隊長の命令により、下野班長以下6名は小銃を持ち、残敵の掃討に行く、その前にある橋梁に来たときに橋本与一は舟で逃げる5〜6名を発見、照準をつけ、一名を射殺、掃討はこのときから始まった。

自分たちが前進するにつれ、支那人の若い者が先を争って逃げていく、何の為に逃げるのか分からないが、逃げる者は怪しいと見て射殺する。

部落の12〜13軒に付け火すると、たちまち火は村を包み、全くの火の海である。老人が2〜3人にて可愛そうだったが、命令だから仕方がない。次、次と3部落を全焼さす。その上5,6名を射殺する。意気揚々とあがる。

11月29日
途中の部落を全部掃討し、また、舟にて逃げる2名の敗残兵を射殺し、あるいは火をつけ部落を焼き払って前進する。

呂城の部落に入ったおり、すぐに徴発に一家屋に入ったところ3名の義勇兵らしき者を発見。二名はクリークに蹴落とし、射殺する。一名は大隊本部に連行し手渡す。

12月4日
昨夜は大変に寒くて困った。2〜3日は滞在の予定だというので、今度こそは一服だと言うことで早速、徴発にでる。

自分は炊事当番で岡山、関本とともに昼食を準備する。
徴発隊は鶏、白菜などを持って帰り、家の豚も殺して昼食は豚汁である。
正午すぎ、移転準備の命令があり、大騒ぎ、結局、中止となりよかった。各自焼き鳥、焼き肉、をやってたらふく食う。午後2時命令があり、連隊は南京街道を南京に向かって進撃することとなった。クーリー( 苦力)も重い荷物を背負ってよくもついてきたものだと感心した。

12月5日
午前8時準備万端終わり、同部落を出発する。出発するときはもはや、全村火の海である。

南京に近いのだろう。一軒家に乾し芋が目についた、我先にと、瞬く間に取り尽くした。
(京都師団関係資料集)

歴史問題はこれで決着?単純XX

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 08:18 投稿番号: [5956 / 41162]
>先人たちが述べているとおりなら、その後継政府がいまさら歴史問題云々という資格はないですね

幼稚な言いがかりだな(笑)

国共合作前ならば当然だろう、お互い敵同士で戦っていたところへ日本軍が国民党軍を戦い追っ払ってくれれば、被害最小で最大の効果が得られたのだから、l当然感謝もするだろう、外交辞令上、冗談半分にでもな(笑)
そして、共産軍にとっても日本軍は最大の敵であった事も事実だよ。
共産軍は国民党軍に追いつめられ長征という過酷な軍事行動を取らねばならなかった経緯もある。
その後、西安事件により国共合作が成功し、共に最大の敵である日本軍と対峙したということだよ。戦略的に観ればなんら不思議なことじゃないよ(笑)
単純なアンタの頭ニャ〜呆れるがな(笑)

>毛沢東

田中角栄の手を握って『日本の軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。おかげで中国人民は蒋介石をやっつけ、権力を奪取できた。日本軍がいなかったらわれわれは全滅していた。』と謝辞を述べたという。

訒小平

『日本軍が蒋介石の軍隊を重慶まで追い払ってくれたため、われわれは勢力範囲を日本軍の後方に展開することができた。旧日本軍を非難するのは不公平だ。』と謝辞を述べたという。

周恩来

1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している

>『 パール博士のことば 』 田中正明著

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 08:06 投稿番号: [5955 / 41162]
>「戦犯といわれるが、決して犯罪者ではありません。全員無罪です。何も罪とがを犯したのではないのです。恥ずべきことはひとつもありません。世界の人たちも、戦争裁判が間違っていたことを少しづづ分かり始めたようです。しかし、わたくしは、今さらながら自分の無力を悲しみます。ただご同情申しあげるだけで、わたくしには何もできません。・・・けれど戦犯釈放にはできるだけ努めます。これ以上、罪のない愛する者同士を引き離しておくわけにはいきません。・

この人、、被害者の遺族代表か?(笑)
ホント馬鹿な話だよ、、
これも小泉首相が先日言っていた「罪を憎んで、人を憎まず」的な言葉だな(笑)

被害者遺族でもないのに、犯罪者に「罪はありません」なんて、良く言えるもんだよ(笑)

中国で発言して、日本の立場を理解させてほしいモノですよね。

犯罪加害国で犯罪者とされた人達に、同情しても、其れは「その身に染まりては、悪行もまた、知らず」って事だね。

この人、何か袖の下でももらったのか?

結局   天皇陛下一人に罪があるというのだろうかな(笑)

侵略し、中国国民を殺害し、捕虜を虐待、虐殺し、他国を疲弊、破壊し、国民を犠牲にした戦争の責任が誰にもない?

やりたい放題、言いたい放題だな(笑)

これで、国際連合常任理事国入り、、?

それりゃー無いぜ!!と思うよ。

>2.『 パール博士のおかしなことば 』

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/12 07:54 投稿番号: [5954 / 41162]
>日本は負けた(無条件降伏)から繁栄したのか、負けても繁栄したのか。負けなかったらもっと繁栄したのか。負けなかったら悲惨なことになっていたのか。そう簡単にいえないだろう。


其れは火を見るより明らかだろう(笑)
この単純馬鹿は、、、

アメリカの単独占領で日本は助かったのだよ(笑)占領政策によっては、、
東西2分割あるいは4分割されて、主義主張の異なる日本ができていたことだろうよ(笑)
こんなことすら、解らんとは、程度が低すぎるね、、アンタ(笑)

経済発展など夢また夢の空想ごとで終わっていただろう(笑)


>>自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。(パール判事の言葉)

これは国民の意識レベルの問題だよ。
自尊心なんてのは崇高な理想を持って行動してりゃ、芽生えてくるもんだ。
特に政治家、官僚に言いたいね、欠如しているのはここだ!
建設的に物事を考えなきゃ、いつまでも低レベルの民族のままだよ(笑)

パールのオッサンの国では過日のインドネシア大津波被害者の大半は最下層被差別民族であったが十分な援助も受けられず多くが死亡したが、なんら、意に介していないような国だったな。
国際法の権威も実行力がなけりゃ、ただのオッサンだよ(笑)

でりちゃん、 結論が見えたな 2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/12 06:45 投稿番号: [5953 / 41162]
>>おいおい、トレヴェニアンの「シブミ」って・・・
>>そりゃ、   冒   険   小   説   じゃないか。
>そうだよ。
>知らなかった?

「シブミ」が小説だということは知ってたさ。
オメガ氏あたりが「宋姉妹」のような「伝記」や「ノンフィクション」を引用すると
インチキ呼ばわりする人間が、
「冒険小説」を根拠にして自説を強弁することに呆れたのだよ。


>思考に誠実さを持てば、カール・カワカミやトレヴェニアンや俺のように、
支那軍はホテルやデパートを狙って爆撃したと考えるものなのさ。

ほ、   以後私がイアン・フレミングや大藪春彦を根拠にしても文句は言うなよ。
と、言いたいところだが、
自分は恥を知る人間だと信じていたいので、それは言わないことにしよう。


>戦争中に上海に何年間か住んでいたunhoo氏も、「繁華区を目標にしたのであることはまちがいない」とおっしゃっていた。

「蒋介石軍の飛行機はホテルやデパートを狙ったのではない」と言ってることも忘れないように。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbf aea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&action=m&mid=30777&mid=

unhoo氏のパレスホテル、キャセイホテルの位置説明には記憶違いがあるように思うのだが、
でりちゃんにそんなこと言っても仕方がないのでやめる。


でりちゃん、 結論が見えたな

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/12 06:44 投稿番号: [5952 / 41162]
>>おいおい、総合計は「重慶抗戦紀事」からとって、個別の犠牲は、
>>「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」からとるのか。
>だったら、総合計は何人にすれば良い?

お好きに。
「重慶抗戦紀事」を自信を持って紹介したのはでりちゃんなのだから、
内訳もそれに倣えばいいのじゃないかな?


>>その住宅密集地への油脂焼夷弾のバラ撒きがあったから「火災」が起きたのだが。
>資料はあるの?

第三艦隊戦闘詳報(第五一四号)   五月四日
「一.第一空襲部隊は中攻二十七機(14fg十五機   13fg十二機)ヲ以テ雲ト山頂ノ間ヲ縫ヒ夕闇ヲ選ヒ二○三○頃再度敵首都ノ攻撃ヲ実施シ   重慶防空司令部・委員長行営・県政府ヲ中心トシテ中央公園ヲ通スル南北線以西市街地全面ニ亘リ猛爆撃ヲ加ヘ   之ニ壊滅的損害ヲ与ヘタリ市街地周辺数十門ノ高角砲アリ   殊ニ市街西側各国領事館所在付近防御砲火熾烈ニシテ飛行機隊ハ敵戦闘機ヲ撃退シツツ相当ノ被弾アリシモ負傷者ナク帰還セリ」
使用弾種は、二五番陸用(250kg)、六番陸用(60kg)、六号(焼夷爆弾)の3種だが、
内訳数は手許の資料では不明。
この爆撃で中央公園以西の銀行街、絹織物商店街、映画館、住宅密集地などが焼失し、
前日の空襲と合わせて4889棟の建物家屋が被害を受けた。
(「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」)

さて、困ったな、   というのは、当時の日本海軍の焼夷爆弾には九八式七番六号(一型)爆弾と
九八式七番六号二型の二種類があって、一型がエレクトロン焼夷弾(マグネシウムを燃やす)で
二型が固形油焼夷弾なのだが、どうもこの時期に使われたのは一型らしい。

爆弾並ビニ航空燃料現在量    四月十日   漢口軍需品供給所
二十五番陸用爆弾            五八四
同改一                   一五○
六番陸用爆弾             二四九四
九七式六番陸用爆弾         八五五九
九八式七番六号爆弾           四一九

油脂焼夷弾の二型はこの時期に取扱説明書が配布されており、配備が始まったばかりのようだ。


したがって、
「その住宅密集地への油脂焼夷弾のバラ撒きがあったから「火災」が起きたのだが。」
は、訂正の必要がある。
「その住宅密集地への焼夷弾のバラ撒きがあったから「火災」が起きたのだが。」
が、正確な表現だな。

慌てるな、チンピラ 2)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 23:28 投稿番号: [5951 / 41162]
>おいおい、トレヴェニアンの「シブミ」って・・・
>そりゃ、   冒   険   小   説   じゃないか。

そうだよ。
知らなかった?
前にも1回だけだが、軍事カテでこの話題が長引いた時に参考として紹介したことがあったはずだよ。

これは小説だが、上海戦の実情と実によく符合している。

死傷者の数は、『チャイナ・イアーブック1938年版』(1937年)の、
―――――――――――――――――――
8月14日、支那軍機、国際租界を空爆。
これにより南京路キャセイホテルとパレスホテの間で死者729名、負傷者861名、エドワード七世通りとドモンティグニイ通りの交差点にて死者1012名、負傷者1007名
―――――――――――――――――――
と一致。

爆撃の状況も松本重治の「『上海時代(下)』や、その他は海軍の記録とも一致していると言われている。
―――――――――――――――――――
14日、午後四時過ぎ中国空軍の編隊が・・・大型爆弾を落としつつ、租界上空を飛び去った。
一つは愛多亜路の十字街の舗装道路上で炸裂した。その十字街の一角には大衆歓楽センターである「大世界」と言う四・五階のビルが有り、十字街上と「大世界」内にいた千人余りが、爆風と破片とで死亡した。
第二弾は南京路カセイホテルの玄関先で炸裂し数百枚の窓ガラスが破壊された。その為、通行中の中国人約二百名、外人八名が死んだ。
第三弾は、南京路を隔ててカセイホテルの向かい側のパレスホテルの屋根を貫いて地階に達し、数十人の死傷者を出した。
松本重治著『上海時代(下)』(P195〜P196)
―――――――――――――――――――

著者トレヴェニアンは、外国で報じられた記事を参考にして書いたのだろうが、事実とよく符合している。
冷静に分析、判断したトレヴェニアンは、皮肉たっぷりに、支那軍による上海爆撃の暴虐を表現している。


>さらに、「8月14日にアメリカ製のノースロップ機に」と、
>明らかに8月14日の爆撃と8月23日の爆撃を混同している。

あ、そう?
8月14日に支那軍が行った爆撃にノースロップ機は使用されなかったの?
間違えたのかもね。


>たしかに、「外国の介入を誘い出すつもりで、」というフレーズはあるが、
>その根拠は述べられていない。

だから、外国で報じられた記事を参考にし、上海の地図などを見ながら考えた結果、「こりゃ、支那軍がわざと狙って爆撃したんだな」と思ったんだろうな。


>一体なにが言いたいのかな?

思考に誠実さを持てば、カール・カワカミやトレヴェニアンや俺のように、支那軍はホテルやデパートを狙って爆撃したと考えるものなのさ。
戦争中に上海に何年間か住んでいたunhoo氏も、「繁華区を目標にしたのであることはまちがいない」とおっしゃっていた。

慌てるな、チンピラ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 23:24 投稿番号: [5950 / 41162]
>おいおい、総合計は「重慶抗戦紀事」からとって、個別の犠牲は、
>「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」からとるのか。

だったら、総合計は何人にすれば良い?


>その住宅密集地への油脂焼夷弾のバラ撒きがあったから「火災」が起きたのだが。

資料はあるの?

yominokuni56 の顔つき

投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/06/11 22:15 投稿番号: [5949 / 41162]
この↓おっさんと似ているのではないかナ

http://www.tokakushin.org/

 yominokuni56 の 性 格

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/11 21:52 投稿番号: [5948 / 41162]
  yominokuni56 の性格

1.自己中心

   世界中で自己中心的で横暴な態度、大人の外交ができないどこかの国と一緒ですね。

2.ご都合主義

   あなたは、自分の都合に従って行動し、他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮しないようですね。

3.独善

あなたは、自己の理想とする政治思想や国家像を最上とし、それに反する政治思想を許容できないようですね。

4.責任転嫁

   最近どこかの国で起こった、反日デモで日本企業や料理店への破壊行動、さらにはウィーン条約で保護されているはずの大使館への攻撃を行っておきながら、「歴史を反省していない」日本が悪いの一点張りで謝罪を拒否した国と、あなたの投稿似ていますね。

  ※ 自己を正当化する前に必ず己の落ち度を認識するべきです。それができない以上、 己の能力は現状維持か、もしくは下降してゆくのみですね。 レベルの低い人間は自分 の失敗さえ他人のせいにします。このタイプの人間は間違いなく排除され第一線から姿 を消す事になります。それでもやはり、それを他人のせいにするのでしょうね。

5.人間不信

   社会も人間も信用していない。妻子や血のつながった親兄弟でさえ信用できない哀れな人ですね。

3.『 パール博士のことば 』

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/11 21:43 投稿番号: [5947 / 41162]
『 パール博士のことば 』(東京裁判後、来日されたときの挿話)   田中正明著

■ 戦犯家族と遺族へのいたわり

  1952年11月7日、わたくしたち一行が福岡に到着すると、BC級戦犯者の家族が60名ほど福岡消防館で博士を待っていた。
  深い悲しみにつつまれた家族たちを前に、パール博士は沈痛な表情でこう述べた。
  「戦犯といわれるが、決して犯罪者ではありません。全員無罪です。何も罪とがを犯したのではないのです。恥ずべきことはひとつもありません。世界の人たちも、戦争裁判が間違っていたことを少しづづ分かり始めたようです。しかし、わたくしは、今さらながら自分の無力を悲しみます。ただご同情申しあげるだけで、わたくしには何もできません。・・・けれど戦犯釈放にはできるだけ努めます。これ以上、罪のない愛する者同士を引き離しておくわけにはいきません。・・・わたくしは倒れそうです。・・・許してください。」受刑家族の苦悩を苦悩とする博士は、言葉も途切れがちに、ようやくこれだけ述べて合掌するのみであった。

  戦犯の無罪を確信し、この暴挙に憤りをもつ博士は、受刑家族を目のあたりに見て、深い責任感-自ら犯した過ちの如く- 責められる気持ちであったのだろう。「自分の無力を悲しむ・・・許してください」といって涙し、そして嗚咽する家族の中に歩みよって、家族の一人一人の肩にやさしく手をおいた。

  若いお母さんに連れられた水兵服の4才の遺児(父親は陸軍参謀中尉・重労働30年)を抱きかかえて頬ずりする。博士の目からは大粒の涙がこぼれている。元九州大学助教授の鳥巣太郎氏(九大事件で刑期10年)の夫人の肩をやさしく抱いて「泣かないで・・・泣かないで・・・」といたわりながら自分も泣いている博士である。

  本当に博士は倒れそうな心のささえを、合掌によってささえているようであった。

  東京へ帰ると博士は、巣鴨プリズンを慰問された。巣鴨にはA級戦犯とBC級戦犯あわせて130名ほど留置されていた。博士は一部屋ごとに声をかけられ慰めかつ励まされた。当局もインド代表判事ということで、BC級戦犯全員を廊下に整列せしめた。博士は「皆さんには何の罪もない。講和条約も終わった。講和条約が終われば、当然皆さんは釈放されるはずです。あとは手続きの問題だけです。それが国際法の定めるところです。どうかそれまで健康に留意してください。」と励ました。

  博士は東京裁判で処刑された7人の遺族に対しても、心からいたわりの情を示された。まず東條勝子夫人から面会の申し込みがあったのを、夫人にわざわざ来てもらうのは忍びないといって、博士はわざわざ遠隔の世田谷・用賀の東條宅を訪れた。荒れはてた庭にはコスモスが咲き乱れ、七面鳥が鳴きわめいていた。勝子夫人と二人の娘さん、三人のお孫さんに囲まれた博士は、一人一人孫を抱きあげ、頬ずりしながら、長時間勝子夫人を慰めた。

  板垣征四郎元大将未亡人喜久子夫人は博士を帝国ホテルに訪ねてきた。博士は夫人の手をとって迎え、「板垣さんはわたくしの座席の真正面でした。」と博士がいうと、
  「はい、いつもパール先生がまっ先に正面にあらわれて、被告席に向かって合掌されるので、とても印象が深かったと、主人は死ぬまで申していました。」
  夫人はそういって二枚の色紙をとり出した。それには次の二首の短歌が染筆されていた。

   ふたとせにあまるさばきの庭のうち
    このひとふみを見るぞとうとき

   すぐれたる人のふみ見て思ふかな
    やみ夜を照らす灯のごと

  《ひとふみ》とは、博士が判決した全員無罪の要旨を弁護人から聴いた時の感慨である。ナイル君が英訳して伝えると、「そうでしたか・・・」と目をうるませながらこまごまと夫人をねぎらった。

  この夜、廣田弘毅元首相のお嬢さんと、東郷茂徳元外相の夫人が訪ねてきた。この時も博士は懇切に二人を慰めた。

  木村兵太郎元大将の未亡人可縫夫人は奈良ホテルに博士を訪ね、「わたくしども7人の戦犯処刑家族のものは、年2回、23日の命日に集まってひそやかに慰めあうのを何よりの楽しみにして、淋しい日を送っています。」といった。博士は「12月23日!この日は今に日本国中の人が《記念の日》とする日が来るようになりましょう。」と慰めた。

  博士はその判決文の最後を次の言葉で結んでいるのである。「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。」と。・・・その「時」がきっときますよ、と慰めたのである。

>2.『 パール博士のおかしなことば 』

投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/06/11 20:10 投稿番号: [5946 / 41162]
>それも、これも、東京裁判での有罪確定が全ての出発点ですよね。
認めなきゃ、、現在の生活は無かったでしょうね、

また、一原因一結果の短絡(飛躍)をやってる。

日本は負けた(無条件降伏)から繁栄したのか、負けても繁栄したのか。負けなかったらもっと繁栄したのか。負けなかったら悲惨なことになっていたのか。そう簡単にいえないだろう。
http://www.dupuy.jp/815.html

>自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。(パール判事の言葉)

これ、ある意味あたってるだろう。繁栄とはなんだろうか。そろばん片手に経を読むとは。

でりちゃん、 まあ落ち着け  2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/11 18:35 投稿番号: [5945 / 41162]
>その翌日、13日金曜日に・・・・・トレヴェニアン著『シブミ』上巻(P90〜P93)

おいおい、トレヴェニアンの「シブミ」って・・・
そりゃ、   冒   険   小   説   じゃないか。
早川書房から出てる「007」とおんなじような小説だぞ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150404623/249-6557254-7803552#product-details
伝記やノンフィクションならともかく、娯楽小説を根拠にしてどうする。
でりちゃんの根拠は「アクション小説」だったのか?

しかもだな、中身を読むと
「上海を盲爆した」、「誤爆を繰り返した」、「今では珍しくなった誤りを犯して」
と書いてある。
「盲爆」   とは   「狙いの定まらない爆撃」であって、「狙った爆撃」じゃあない。
その上   「誤爆」、「誤り」とまで書いてあるじゃあないか。
さらに、「8月14日にアメリカ製のノースロップ機に」と、
明らかに8月14日の爆撃と8月23日の爆撃を混同している。
たしかに、「外国の介入を誘い出すつもりで、」というフレーズはあるが、
その根拠は述べられていない。


一体なにが言いたいのかな?
「私の資料引用は無茶苦茶です」   なのかね?


でりちゃん、 まあ落ち着け

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/11 18:34 投稿番号: [5944 / 41162]
とりあえずレスするのはいいが、なんかいっぱいおかしな発言をしてるぞ。

>なるほど。
○「1939年5月の2日間で死者3991人」
○「1939年〜1943年の5年間で死者1万1889人」
は決して矛盾しないというだな。

まあとりあえず矛盾はしないだ。
おめさも解ったけ?

>結論としては、「1939年5月の2日間で死者3991人、1939年〜1943年の5年間で死者1万1889人」で良いわけだな。

おいおい、総合計は「重慶抗戦紀事」からとって、個別の犠牲は、
「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」からとるのか。
毎度ながら資料のつまみ食いが好きだな。

>1939年5月の死者の直接的な原因は火災であり、爆撃は間接的な原因だから、
俺の#5913と特に矛盾しないわけだ。

ん?
>4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は少なかった。

のことかな?
その住宅密集地への油脂焼夷弾のバラ撒きがあったから「火災」が起きたのだが。

「死者の直接的な原因は火災であり、爆撃は間接的な原因だから、」って、
いっぺん東京大空襲の体験者や犠牲者遺族の前で言ってみるかね?

>>サンフランシスコ平和条約第11条

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 15:52 投稿番号: [5943 / 41162]
>>>小林云々が言ってるセリフだがそれをコビ-したんだな。

>>はて?
>>何のことでしょうか?

>判決を受諾した云々のことだよ。

とか言われても、俺は小林云々が言ったことを知らんのだから仕方がない。
つーか、俺が投稿したことは、「世界の国際法学界の常識」なのだから、その小林云々も似たようなことを言ったかもしれないし、俺も言ったって構わないだろ。


>人の意見のコピ-も良いがそれを読んで自分の意見にして
>レスする方が賢く見えますよ。

俺は、別に、賢く見られなくても結構。
暇人じゃないから、コピペして時間を節約してるだけ。

>サンフランシスコ平和条約第11条

投稿者: chankoro_kirai 投稿日時: 2005/06/11 15:00 投稿番号: [5942 / 41162]
>小林云々が言ってるセリフだがそれをコビ-したんだな。

>はて?
>何のことでしょうか?

判決を受諾した云々のことだよ。

人の意見のコピ-も良いがそれを読んで自分の意見にして
レスする方が賢く見えますよ。

サンフランシスコ平和条約第11条

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 14:16 投稿番号: [5941 / 41162]
>小林云々が言ってるセリフだがそれをコビ-したんだな。


はて?

何のことでしょうか?

ヒトの投稿をちゃんと読んでからレスしてくださいね。

国際法と極東国際軍事裁判所
六、日本が東京裁判史観により拘束されるとの説は間違っている
(1)サンフランシスコ平和条約第11条についての誤解
(2)講和条約とアムネスティ条項
(3)平和条約第11条の機能
http://www.kokusairinri.org/database/16.html

>戦犯赦免決議

投稿者: chankoro_kirai 投稿日時: 2005/06/11 14:05 投稿番号: [5940 / 41162]
>日本は、東京裁判を受諾していない
>判決を受諾しただけであり

小林云々が言ってるセリフだがそれをコビ-したんだな。

判決を受諾したのなら裁判も受諾したことになるよ。

裁判が有っての判決だ。

現に戦犯となつた人達を処刑している。

しかも後ほど戦犯を赦免している。

裁判を受諾しなければ戦犯は存在しないし赦免の必要も
ないだろう。

戦争に負けたことが全ての原因にある。
負けてから言い訳しても始まらん。

日本は負けを素直に認めて次に生かさなければならない。

支那事変の真実を白状

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 13:59 投稿番号: [5939 / 41162]
>その数十年後、「今度は共産党が反日政策をとることになる」とは思いもせずに、「日中戦争の真実」を余すところ無く白状してますね

そうですね。
#5816にある蒋介石の白状と共に、保存版です。

東京裁判と講和条約第11条と戦犯赦免決議

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 13:52 投稿番号: [5938 / 41162]
>ばかじゃないの?
>東京裁判を日本国が受け入れ、講和条約に調印し、・・・


日本は、東京裁判を受諾していない。

講和条約(第11条)で日本は、裁判を受諾したのではなく、判決を受諾しただけであり、刑の執行や赦免・減刑などの手続きを引き受けたに過ぎない。
「南京大虐殺」など嘘っぱちのでっち上げが多い東京裁判そのものを受け入れたわけではない。
そして、翌年(1953年)に「戦犯赦免に関する決議」を可決し、戦犯全員を赦免した。
―――――――――――――――――――
国際法と極東国際軍事裁判所
http://www.kokusairinri.org/database/16.html
(一部抜粋)
要するに、第11条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず。それ以上の何ものでもなかった。日本政府は第11条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には全く根拠がない。
著者(法学博士 佐藤 和男)は昭和61年8月にソウルで開催された世界的な国際法学界〔ILA・国際法協会〕に出席した際に、各国のすぐれた国際法学者たちとあらためて第11条の解釈について話し合ったが、アメリカのA.P.ルービン、カナダのE.コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD.H.N.ジョンソン、西ドイツのG.レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも上記のような筆者の第11条解釈に賛意を表明された。議論し得た限りのすべての外国人学者が「日本政府は東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで講和成立後も東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはあり得ない」と語った。これが、世界の国際法学界の常識である。
―――――――――――――――――――
即ち、日本は、裁判の内容までは受諾していないし、裁判の正当性を認める義務もないのである。

講和条約発効後、各国にA級戦犯を含む全戦犯の赦免・減刑を要請。

社会党議員を中心に四千万人もの戦犯釈放署名を集め、衆参両院は昭和二十八年(1953年)、圧倒的多数で「戦犯赦免に関する決議」を可決し、戦犯全員を赦免した。
同年には戦犯刑死者を戦死者と同じ扱いにする遺族援護法の改正が、全会一致で可決。
それに伴い、1954年には恩給法も改められた。

A級戦犯のうち懲役7年とされた重光葵氏は外相に、終身刑だった賀屋興宣氏は法相として公務に復帰した。

日中戦争の真実を白状してますね

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/11 13:45 投稿番号: [5937 / 41162]
>「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」

>1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している。

その数十年後、「今度は共産党が反日政策をとることになる」とは思いもせずに、「日中戦争の真実」を余すところ無く白状してますね

heinz_barさんzannnen_giriさん毛訒周

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 13:41 投稿番号: [5936 / 41162]
>毛沢東
>田中角栄の手を握って『日本の軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。おかげで中国人民は・・・


たぶん、それ、田中角栄ではなく、社会党の佐々木更三ではないかと思います。

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日本社会党の人士佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光らを接見した際の談話   (1964年7月10日)

佐々木――今日、毛主席の非常に寛大なお気持ちのお話しをうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われはれはみな、非常に申し訳なく思っております。

主席――何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね。

(皆が笑い、会場がにぎやかになる)。

佐々木――ありがとうございます。

主席――過去のああいうことは話さないようにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った1部の将軍をも含めて、彼らは今では、われわれの友人に変わっています。

東京大学近代中国史研究会訳『毛沢東思想万歳』、下巻


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訒小平も語っている

  「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」

西安に旅行したとき、周恩来が隠れていた地下指令室を見学した時のことを思い出した。展示されていた古い雑誌に、日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現してあった。「形勢はいいぞ」という意味だ。当時は「へんなことが書いてある」といった程度の認識だったが、国共合作で友軍になったはずの蒋介石軍が負けていて「いい」ということもなかろうにと考えた。

  とにかく1936年秋の西安事件までは、蒋介石は日本とことを構えるより、共産党制圧を第一目標にしていた。それが西安事件で順番が逆転する。そうしなかったら捕らわれの身だった蒋介石は殺されていただろう。

http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
1998年06月06日(土)
伴   正一


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1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している。
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