南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
>>上海爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 13:23 投稿番号: [5935 / 41162]
>カール・カワカミだって、
>「日本は自分から攻撃に出るのを厳しく抑えているのに、中国は国際租界を自分自身で攻撃することによって日本に対する国際干渉を引き起こそうと目論んでいる、というのは一見したところ奇妙なことのように思えるかも知れない。」
>と、自分で「奇妙な説」だと認めているぞ。
そうだよ。
普通なら、そう思うだろうな。
よく勉強しないと、支那人(軍)のやることは、古今東西、誰でも奇妙に思う。
しかし、よく勉強すれば支那軍の行動パターンがちゃんと見えてくる。
支那軍は、己のためなら罪も無い一般住民を平気で大量に殺害する。
敵への攻撃のために住民諸共大量殺害したこともあったし、自分たちが逃げるために住民を大量殺害することもあったし、日本軍を悪者に仕立てる宣伝のために住民を大量殺害することもあった。
だから、細菌戦もやったし、南京で便衣兵になったし、毒ガス弾も使用したし、黄河の堤防を決壊させて数十万人を殺したし、長沙市などを焼き払ったりもした。
つまり、支那軍は自分で住民を殺しては、その暴虐をすぐに日本軍の仕業に転嫁して宣伝する常習犯だった。
上海で支那軍がホテルやデパートを爆撃したのは戦争の開始段階であり、支那軍の行動パターンがよく把握できていなかったから、カール・カワカミも「中国は国際租界を自分自身で攻撃することによって日本に対する国際干渉を引き起こそうと目論んでいる、というのは一見したところ奇妙なことのように思えるかも知れない。」と述べたのだろう。
『シナ大陸の真相』が、あと1年遅く出版されていれば、もっと他のネタもたくさん紹介され、上海爆撃についても違う表現になっていただろう。
冷静に分析、判断した人は他にもいる。
下の著者も、皮肉を用いて、支那軍による上海爆撃の暴虐を表現している。
―――――――――――――――――――
その翌日、13日金曜日に、中国軍第88師団が北停車場に到着して、租界から外に通じる道路をすべて遮断した。
それは、ごく少数の日本軍と自分たちの間の緩衝用にできるだけ多くの一般市民を閉じ込めておくのが狙いであった。
8月14日にアメリカ製のノースロップ機にのった中国軍パイロットたちが上海を盲爆した。
高性能爆弾の一弾がパレスホテルの屋根を貫いた。別の一弾がカフェホテルの表の路上で爆発した。
729名が死に、861名が負傷した。
31分後に別の中国機が女性と子供の避難所になっていた大世界娯楽センターを爆撃した。1012名が死に、1007名が負傷した。
閉じ込められた中国人に脱出の道はなかった。
その夜、土嚢と閉じ込められた中国市民という二つのバリケードの蔭から蒋介石の砲兵が川に投錨している日本の艦船を砲撃した。
外国の介入を誘い出すつもりで、中国軍は…連日空軍による【誤爆】を繰り返した。
大きな百貨店ウィン・オン(永安公司)とシンシア(先施公司)のある地区にいるとき、今では珍しくなった【誤り】を犯して中国の急降下爆撃機数機が人のぎっしりつまった南京路上空に現れた。
昼食時間で通りが人で立て込んでいるとき、シンシア百貨店が直撃を受け、ウィン・オン百貨店の側面が削り取られた。
…ケーブルが切れて満員のエレベーターが地価に激突するまで中の人々は悲鳴をあげていた。
爆発した窓に面していた老女は体の前面の肉を剥ぎ取られ、後方からは無傷のように見えた。
トレヴェニアン著『シブミ』上巻(P90〜P93)
これは メッセージ 5931 (ja2047 さん)への返信です.
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>>重慶爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 13:19 投稿番号: [5934 / 41162]
>あのな、マーチンケイディンの「日米航空戦史」は通俗書だが、「民國二十八年度
>四川各地空襲損害統計表」は1939年末時点での被害状況を中華民国がまとめた
>もので、同時代資料なんだよ。
これが当時の公式統計だ。
>これに対して『重慶抗戦紀事』は、1985年になって、中共政府がまとめたものだ。
>で、それが手許にあるのなら、五・三、五・四空襲の被害数字を確認してごらんよ。
>5月3日死者約1000人、5月4日死者約4400人と書いてあるから。
>当時の中華民国政府公式発表の死者3991名に対して、現中国政府は5400人を
>公式数字にしているのだよ。
なるほど。
○「1939年5月の2日間で死者3991人」
○「1939年〜1943年の5年間で死者1万1889人」
は決して矛盾しないというだな。
結論としては、「1939年5月の2日間で死者3991人、1939年〜1943年の5年間で死者1万1889人」で良いわけだな。
1939年5月の死者の直接的な原因は火災であり、爆撃は間接的な原因だから、俺の#5913と特に矛盾しないわけだ。
了解。
「日米航空戦史」(マーチン・ケイディン、1967年)の信頼性の無さは認めたようだから、今後はそれを持ち出しておかしな電波は飛ばさないように。
これは メッセージ 5930 (ja2047 さん)への返信です.
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歴史問題はこれで決着
投稿者: zannnen_giri 投稿日時: 2005/06/11 12:22 投稿番号: [5933 / 41162]
東京裁判を日本国が受け入れたことで現在の経済大国の地位があるという理屈でよいのなら、大東亜戦争とそれに付随する過去の歴史問題を否定的に見る必要も全くなくなりますね。先の戦争の結果として現在の中韓の政府があるわけで、その政府が自らの存在を肯定するなら過去は否定できませんから。
先人たちが述べているとおりなら、その後継政府がいまさら歴史問題云々という資格はないですね。
(2005/ 6/ 2 19:13
メッセージ: 1980 / 2104
heinz_bar さんの投稿より引用)
毛沢東
田中角栄の手を握って『日本の軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。おかげで中国人民は蒋介石をやっつけ、権力を奪取できた。日本軍がいなかったらわれわれは全滅していた。』と謝辞を述べたという。
訒小平
『日本軍が蒋介石の軍隊を重慶まで追い払ってくれたため、われわれは勢力範囲を日本軍の後方に展開することができた。旧日本軍を非難するのは不公平だ。』と謝辞を述べたという。
周恩来
1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している。
西安にあった周恩来の地下指令室が保存されているが、そこに展示されていた古い雑誌に日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現している。「形勢好」とは「形勢はいいぞ」という意味であるからして、日本軍の蒋介石軍追撃戦の開始が当時の共産党にとって「慈雨」であったことを証している。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=bfc0iwfc96bba4ka4da4a4a4f&sid=1143582&mid=1980
これは メッセージ 5932 (yominokuni56 さん)への返信です.
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2.『 パール博士のおかしなことば 』
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/11 08:35 投稿番号: [5932 / 41162]
>「日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。日本よ!日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ。・・・」と、博士は繰り返し強調された。
ばかじゃないの?
東京裁判を日本国が受け入れ、講和条約に調印し、独立国として、世界に認められ、曲がりにもアメリカの小坊主として、また、アジアの工場として、アメリカ主導のもとに、現在の経済大国としての地位を築きあげることができたのじゃないか?
それも、これも、東京裁判での有罪確定が全ての出発点ですよね。
認めなきゃ、、現在の生活は無かったでしょうね、、ホント、いい加減な奴らですよ。(笑)
これは メッセージ 5926 (yominokuni57 さん)への返信です.
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>上海爆撃
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/11 05:35 投稿番号: [5931 / 41162]
>俺は、百万歩譲って、「ホテルやデパートに命中することも想定した上で、ホテルやデパートが建ち並ぶ繁華区をわざと狙った。いずれにせよ、民間人と外国人が大勢いる場所を狙った。」という旨を述べただけだ。
事実は、ホテルやデパートをわざと狙ったのだと確信している。
確信しているのかね。
根拠が示せなくなると、いつも「確信」に逃げ込むのだね。
信仰の人でりちゃんとしては根拠資料がなくても布教には勤めているわけだ。
で、信者は増えそうかね?
>8月14日に支那軍がパレスホテルとキャセイホテルを爆撃した時も、8月23日に再びシンシアーとウイン・オンデパートを直撃した時も、支那政府の宣伝広報局は、日本軍機から投下されたと発表した。
何故、そんな嘘を吐いたんだ?
軍隊というのは敵対勢力に被害を与えて抗戦の能力または意志を挫くために行動する
ものだ。「狙ってやった」のでない限り、中国側の設備に損害が出れば、まず敵軍に
よるものと認識するだろう。
誤爆だと言うことが即座に判明しない限りは、敵軍によるものとして発表するのは
おかしなことではない。
誤爆かもしれないという意識があれば、なおさら失態を隠すために、敵軍の仕業と
発表するわな。
トンキン湾事件を知っているね?
>最初から支那軍は、市民を爆撃して、日本軍の仕業にして宣伝したかったとしか考えられないだろ?!
カール・カワカミだって、
「日本は自分から攻撃に出るのを厳しく抑えているのに、中国は国際租界を自分自身で攻撃することによって日本に対する国際干渉を引き起こそうと目論んでいる、というのは一見したところ奇妙なことのように思えるかも知れない。」
と、自分で「奇妙な説」だと認めているぞ。
http://www.geocities.jp/yu77799/owarai.htmlなお、松本重治の「上海時代」にも、「故意説」に言及した下りがあるが、
私には中国空軍の稚拙かつ間抜けな攻撃ぶりに呆れて
「あいつら、わざとやってんじゃねーのか?」
「わざとでもなきゃこんな間の抜けたことしねーよな」
と言ってるような気もするな
(^^;
当時観察された事実はこうだ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbf
aea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&mid=31074
これは メッセージ 5927 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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>重慶爆撃、
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/11 05:31 投稿番号: [5930 / 41162]
>しかし、まあ、よく付きまとうものだ。
うん、私が掲示板に参加しているのは、「妄想を垂れ流す人間」を批判する
ためなのだからね
d(^^
特に、いくら資料を突きつけられても確信的に虚説を信奉し続ける人間は
批判の対象になる。
>本当にちんぴらだな。
前にも言っただろ?
堂々たる批判が欲しいのなら、
それに耐える主張をせよと。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835559&tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbf
aea47a4fa4a4a4k&sid=1835559&mid=32111>支那側の資料『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)に、犠牲者は1939年〜1943年の5年間で1万1889人と書いているのに
書いてるけど、それがなんだって?
>「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」とか「日米航空戦史」(マーチン・ケイディン、1967年)とか頓珍漢な資料を引っ張り出して来るな、
ち
ん
ぴ
ら
。
あのな、マーチンケイディンの「日米航空戦史」は通俗書だが、「民國二十八年度
四川各地空襲損害統計表」は1939年末時点での被害状況を中華民国がまとめた
もので、同時代資料なんだよ。
これが当時の公式統計だ。
これに対して『重慶抗戦紀事』は、1985年になって、中共政府がまとめたものだ。
で、それが手許にあるのなら、五・三、五・四空襲の被害数字を確認してごらんよ。
5月3日死者約1000人、5月4日死者約4400人と書いてあるから。
当時の中華民国政府公式発表の死者3991名に対して、現中国政府は5400人を
公式数字にしているのだよ。
>4年前の「人民日報」でさえ、『重慶抗戦紀事』の統計数字を採用している。
そーかい、でりちゃんは中華民国発表の少ない数字より、現中国政府発表の多い数字
の方が信憑性ありと判断しているのか、
珍しいことがあるじゃあないか。
これは メッセージ 5927 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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農協
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/11 00:33 投稿番号: [5929 / 41162]
これは メッセージ 5928 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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いえいえ
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 23:47 投稿番号: [5928 / 41162]
あまり、お役に立てませんで。
>
なお、絨毯爆撃とは言えないというご意見は全面的に賛成です。
ありがとうございます。
もう1人農協だか何だか云うチンピラみたいな奴が何か言っていますが、支那人犠牲者数を少しでも多くして日本軍を少しでも悪者にしやすければ人民日報でさえも採り上げないような怪しげな資料(?)を掲示するのが彼の癖のようです。
あまり、真に受けないようにして下さい。
これは メッセージ 5923 (nmwgip さん)への返信です.
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重慶爆撃、上海爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 23:35 投稿番号: [5927 / 41162]
しかし、まあ、よく付きまとうものだ。
本当にちんぴらだな。
>当時の重慶というのは中華民国の「抗日首都」のわけですから、
>そういう意味では援蒋ルートの終点と言うことになります。
>「或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
>の部分を、「援蒋ルート終端の破壊」と解釈すれば出来ないこともないでしょう。
了解。
>「・・・
目標ハ両戦隊共重慶市街中央公園、都軍公署・・公安局県政府ヲ連ヌル地区内トシ副目標ヲ重慶飛行場トス
爆弾は百瓩以上ノモノヲ使用スヘシ」
中央公園内に支那兵が大勢居たかもしれないし、対空砲台があったかもしれないし、その他何らかの軍事施設か何かがあったと考えるのが普通だろ。
>>重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編)によると、犠牲者は、1938年から1943年の約5年間で1万1889人です。
>・・・(民國二十八年度四川各地空襲損害統計表)とか
>「最初の晩に一万人が焼き殺された」(マーチン・ケイディン
「日米航空戦史」)
>とか言われる事実とも相違しています。
支那側の資料『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)に、犠牲者は1939年〜1943年の5年間で1万1889人と書いているのに、「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」とか「日米航空戦史」(マーチン・ケイディン、1967年)とか頓珍漢な資料を引っ張り出して来るな、ちんぴら。
4年前の「人民日報」でさえ、『重慶抗戦紀事』の統計数字を採用している。
―――――――――――――――――――
更新時間:2001年06月06日16:15(北京時間)
歴史的記録フィルム、「重慶大爆撃」を重慶で初めて放映
5日午前、重慶紅岩革命記念館は、歴史的記録フィルム「重慶大爆撃」を一般市民に向けて初めて放映した。
6月5日は、重慶市民にとって忘れられない日である。60年前のこの日の夜、日本軍の爆撃機24機が3編隊に分かれ、連続5時間以上にわたり重慶市内を爆撃した。驚いて避難した市民らが防空壕の中で窒息状態となり、2500人以上が死傷する事件が起きた。
今年4月、紅岩革命記念館の関係者が北京を訪れ、中国共産党・中央南方局の資料を閲覧中に「重慶大爆撃」に関する記録フィルムを発見した。関係者らは、膨大な記録フィルムを51分に短縮し、再編集した。
フィルムには、当時の日本軍が「戦争の功績」を誇示するために撮影した5年半におよぶ重慶市街への戦略的な爆撃(歴史上「重慶大爆撃」と呼ばれる)が鮮明に映し出されている。統計によると、この間に、日本軍は延べ218回にわたり爆撃を繰り返し、延べ9513機を出動させて2万1593発の爆弾を投下し、市民1万1889人が死亡、1万4100人が負傷、1万7608戸の家屋を爆破した。
「人民網日本語版」2001年6月6日
http://j.people.com.cn/2001/06/06/jp20010606_6193.html―――――――――――――――――――
>故意にホテルやデパートを狙ったという電波説は放棄したんじゃあなかったのかな?
他人の主張まで捏造するな。
でっち上げるのは、南京事件だけにしろ。
俺は、百万歩譲って、「ホテルやデパートに命中することも想定した上で、ホテルやデパートが建ち並ぶ繁華区をわざと狙った。いずれにせよ、民間人と外国人が大勢いる場所を狙った。」という旨を述べただけだ。
事実は、ホテルやデパートをわざと狙ったのだと確信している。
#5396、#5397
思考に誠実さを持て!
8月14日に支那軍がパレスホテルとキャセイホテルを爆撃した時も、8月23日に再びシンシアーとウイン・オンデパートを直撃した時も、支那政府の宣伝広報局は、日本軍機から投下されたと発表した。
何故、そんな嘘を吐いたんだ?
最初から支那軍は、市民を爆撃して、日本軍の仕業にして宣伝したかったとしか考えられないだろ?!
後に長沙で街全体を焼き払ったときと同じ動機だ。
#5586
これは メッセージ 5917 (ja2047 さん)への返信です.
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2.『 パール博士のことば 』
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/10 21:37 投稿番号: [5926 / 41162]
『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話)
田中正明著
■子孫のため、歴史を明確に正せ
1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。
「1950年のイギリスの国際情報調査局の発表によると、『東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない』と書いてある。ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって三か月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。しかるに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全部有罪と判定し、わたくし一人が無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。おそらく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。」
このように述べた後、博士はいちだんと語気を強めて、
「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。
「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は書きかえられねばならない。」
博士は、慈愛と情熱を込めて切々と訴えられるのである。
パール博士は東京弁護士会においても多数の法律家を前にして講演された。いうまでもなく、博士は極東国際軍事裁判を根本的に否定している。それは戦勝国が復讐の欲望を満足させるために国際法を無視し、司法と立法を混合してマッカーサーが法を制定し、法の不遡及まで犯した一方的な軍事裁判だったからである。ここでも博士は次のように述べている
「日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。日本よ!日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ。・・・」と、博士は繰り返し強調された。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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>資料の提供
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/10 20:42 投稿番号: [5925 / 41162]
いえ、単なる引き写しです。
>「地理的」にも援蒋ルートの終着点だと思うのですが。
それがあるからこそ四川省の奥地に遷都したのでしょうね。
>重慶爆撃に使われた攻撃機にはB29のような爆弾槽がなく、
いわゆる中攻、96式陸上攻撃機についてはそうなのですが、
陸軍の97式重爆は爆弾倉を備えています。
機数的には、百一号作戦の場合、中攻常用90機、補用42機に対し、
97式重爆は36機、補用18機ですので、96式陸攻の方が倍以上ではありますが。
これが1941年7月からの百二号作戦になりますと、海軍機も爆弾倉を備えた
一式陸上攻撃機が投入されます。
>爆弾の搭載力から見ても絨毯爆撃を行える能力はなかったこと、
これは年代の差による機材の差なので、いかんともしがたいのですが、
当時の日本がそろえうる限りの機材で、世界に先駆けて都市壊滅を狙った
爆撃を敢行したということは事実です。
イギリス空軍が「点の爆撃」から、「面の爆撃」に転ずるのは、先に述べた
1940年12月のマンハイム爆撃からであり、本格的な地域爆撃の実施は
1942年3月のリューベック爆撃からに
なります。
重慶爆撃が与えた被害については、東京大空襲やドレスデン大空襲とは比ぶべくも
ないですが、B29による日本の中規模都市爆撃に匹敵する人的被害を与えています。
大戦後半の英米なら軽爆に類する機材でよくもやったものです。
今日の日本は、「戦争を恥じる文化の国」となっていますが、
これがなければ「世界航空戦史上に燦然と輝く偉業」なわけですよ。
これは メッセージ 5924 (nmwgip さん)への返信です.
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資料の提供ありがとうございます。
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/10 19:28 投稿番号: [5924 / 41162]
ただ、ご指摘の通り、どちらとも取れる「草案」ですね。
それから「抗日首都」という意味でなくても、重慶はビルマ公路の延長上にある都市ですから、「地理的」にも援蒋ルートの終着点だと思うのですが。
これは メッセージ 5915 (ja2047 さん)への返信です.
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無理を言ってすみませんでした
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/10 19:27 投稿番号: [5923 / 41162]
そうですか、やはりこの観点に立脚する研究は進んでいないのでしょうね。
状況証拠を見る限り妥当性のある推論だと思うのですが、重慶市街地に軍事物資の仮倉庫が設けられていたという証拠がない限り、単なる仮説に留まるものですので……
もう少し自分で探してみます。
なお、絨毯爆撃とは言えないというご意見は全面的に賛成です。
重慶爆撃に使われた攻撃機にはB29のような爆弾槽がなく、爆弾の搭載力から見ても絨毯爆撃を行える能力はなかったこと、日本製の爆弾は重量に対して炸薬量が少なく、都市機能を全面破壊するような攻撃力は見込めなかったことは既に論じられている事実ですね。
これは メッセージ 5913 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5923.html
RE:>重慶爆撃
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/10 12:42 投稿番号: [5922 / 41162]
>重慶爆撃についての話題についてでしたので、
まずそちらのほうの結論を得ることからはじめてはどうかと思ったものですから。
錯誤のある記述については、注意だけ喚起しておく必要があると思いました。
上海爆撃についてはでりちゃんも自らの記述の誤りを認識しているようなので、
これ以上触れません。
>以前にあまりにも詳細な意見の相違から話題からどんどん外れていったのを見ていましたから、
議論が不利になると、別の話題に振って自分が正当な主張をしているかのように
見せかける、ということは醜い行為なので慎みたいものです。
私がそのようなことをしたときには、遠慮なくご批判下さい。
>あなたのテリトリーの軍事カテで思う存分議論していただくのが適当かと思います。
上海爆撃については軍カテではすでに勝負が付いていますので、
向こうで蒸し返す必要はありません。
これは メッセージ 5920 (syubinohito さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5922.html
syubinohito=kintakunte
投稿者: syubinohito 投稿日時: 2005/06/10 11:47 投稿番号: [5921 / 41162]
です。
使っているパソコンが違うものですから。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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>重慶爆撃
投稿者: syubinohito 投稿日時: 2005/06/10 11:43 投稿番号: [5920 / 41162]
重慶爆撃についての話題についてでしたので、
まずそちらのほうの結論を得ることからはじめてはどうかと思ったものですから。
それと、以前にあまりにも詳細な意見の相違から話題からどんどん外れていったのを見ていましたから、
あんなのは御免こうむりたいと思いましてね。
あなたのテリトリーの軍事カテで思う存分議論していただくのが適当かと思います。
これは メッセージ 5919 (ja2047 さん)への返信です.
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>>上海爆撃
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/10 10:20 投稿番号: [5919 / 41162]
>その点についてはほかのところでやってください。
主題は一般市民への無差別攻撃か否かですね。
中国空軍による上海誤爆が一般市民への無差別攻撃であると主張しているのはでりちゃんです。
あなたもこの主張がおかしいと思うと言うことでしょうか?
これは メッセージ 5918 (kintakunte2002 さん)への返信です.
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>上海爆撃
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/06/10 07:54 投稿番号: [5918 / 41162]
その点についてはほかのところでやってください。
主題は一般市民への無差別攻撃か否かですね。
これは メッセージ 5917 (ja2047 さん)への返信です.
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援蒋ルート
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/10 06:03 投稿番号: [5915 / 41162]
>重慶爆撃と援蒋ルートを結びつけた研究成果というのは、特にわかりません。
他の方でわかる方がいれば、教えていただきたいです。
当時の重慶というのは中華民国の「抗日首都」のわけですから、
そういう意味では援蒋ルートの終点と言うことになります。
重慶市街壊滅を企図した百一号作戦の開始時期に、海軍軍令部次長名で
出された1940年4月10日付の『海軍要務令続編(航空戦之部)草案』には、
次のように書かれています。
「軍事政治経済ノ中枢機関,重要資源,主要交通線等敵国要地二対スル空中攻撃ヲ謂フ」
「第七十四
要地攻撃ノ要ハ作戦ノ推移二即応シ主トシテ戦略的要求二基キ,敵ノ軍事政治経済ノ中枢機関ヲ攻撃シテ其ノ機能ヲ停止セシメ,又ハ重要資源ヲ破壊シテ作戦ノ遂行ヲ困難ナラシムルト共ニ,敵国民ノ戦意ヲ挫折シ敵ノ作戦二破綻ヲ生ゼシメ,或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
(『海軍要務令続編(航空戦之部)草案』
1940年4月10日)
このうち、
「要地攻撃ノ要ハ作戦ノ推移二即応シ主トシテ戦略的要求二基キ,敵ノ軍事政治経済ノ中枢機関ヲ攻撃シテ其ノ機能ヲ停止セシメ,又ハ重要資源ヲ破壊シテ作戦ノ遂行ヲ困難ナラシムルト共ニ,敵国民ノ戦意ヲ挫折シ」
の部分について言えば、これは立派な戦略爆撃であり、
都市恐怖爆撃を意図したものということになりますが、
「或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
の部分を、「援蒋ルート終端の破壊」と解釈すれば出来ないこともないでしょう。
これは メッセージ 5913 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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『暗黒大陸中国の真実』
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 01:45 投稿番号: [5914 / 41162]
これは メッセージ 5911 (gorompan さん)への返信です.
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重慶爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 01:38 投稿番号: [5913 / 41162]
重慶爆撃と援蒋ルートを結びつけた研究成果というのは、特にわかりません。
他の方でわかる方がいれば、教えていただきたいです。
1938年から始まった重慶爆撃は当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたのですが、重慶市街にも相当数の支那軍側の対空砲台があり、そのため日本軍の被害も増大する状況となったので、1940年6月頃になって作戦指導部は市街地域の徹底した爆撃を決意しました(海軍航空隊・巌谷二三男氏、陸軍航空隊独立第一八中隊・河内山譲氏の証言)。
これらの証言には「絨毯爆撃」という言葉が用いられたりしますが、我々が東京大空襲などでイメージする絨毯爆撃とは実態は違っていると私は考えています。
重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)によると、犠牲者は、1938年から1943年の約5年間で1万1889人です。
1940年後半から、日本軍が、支那軍の対空砲火陣地だけではなく、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃をしたことは事実でしょうが、それ以上の爆弾投下は爆弾等の物資の無駄遣いとなります。
ですから、支那軍が上海で行った故意にホテルやデパートを狙った爆撃や米軍が行った東京などの住宅地への焼夷弾による絨毯爆撃や広島・長崎への原爆投下と同列にするのが間違いで、それは5年間で1万人強という重慶爆撃の犠牲者の少なさが証明していると考えています。
南京戦の前にも後にも提出した日本政府の和平案を蹴って重慶に逃げ込み、その重慶の市街地から対空砲火で日本軍機を攻撃したのだから仕方がないのです。
最初から民間人密集地を狙った支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による原爆投下や東京大空襲とはまったく異なります。
まとめると、
1.支那軍が対空砲台を市街地に設置していた。
2.1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。
3.1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)
4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は少なかった。
5.戦争の早期終結への願望も要因としてあっただろう。
よくある回答で、あまり、お役に立てずに申し訳ありません。
(参考)
旧日本軍が行なった重慶爆撃は無差別爆撃なのですか?そしてこれが無差別爆撃の先鞭をつけたとは本当ですか?
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000089.html
これは メッセージ 5909 (nmwgip さん)への返信です.
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1.『パール博士のことば』
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/09 22:14 投稿番号: [5912 / 41162]
『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話)
田中正明著
■「パール判事に学べ」
産経新聞は平成6年8月18日のオピニオンアップで大きく「パール判事に学べ/見直したい東洋の誇り」と題する主張を尾崎諭説委員の署名入りで発表した。パール判事とはいうまでもなく極東国際軍事裁判(俗称・東京裁判)のインド代表判事ラダビノード・パール博士のことである。この裁判で11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下した判事で、尾崎氏は次のごとく述べている。パール博士の外貌をわかりやすくデッサンしているので、やや長文であるが引用させていただく。
《ラダビノード・パール(1886〜1967年)。現在、どれほど多くの日本人がこの恩人の名をご記憶だろうか。
東京裁判(1946〜1948年)で、日本は満州事変(1931年)から盧溝橋事件(1937年)を経て日中戦争に突入し、日米開戦(1941年)、そして終戦に到るまでのプロセスを「侵略戦争」と判定され、この「侵略戦争」を計画し、準備し、開始し、遂行したことは、「平和に対する罪」に当たるとして東條英機ら7人の絞首刑が遂行された。
パール判事は、この東京裁判で日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けてくれたインド人判事である。田中正明著『パール博士の日本無罪論』によれば、同判事は日本の教科書が東京裁判史観に立って「日本は侵略の暴挙を犯した」「日本は国際的な犯罪を犯した」などと教えていることを大変に憂えて「日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのをわたくしは平然と見過ごすわけにはいかない。」とまでいって励ましてくれたのである。
日本が敗戦で呆然自失し、思想的にも文化的にも、日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール判事の言葉はどれだけ日本人に勇気と希望を与えてくれたことか。わたしたちは決してこの恩義を忘れてはなるまい。
このパール判事の冷静かつ公平な歴史感と人権に感服し、義兄弟の契りまで結んだ平凡社創設者下中弥三郎は、世界連邦アジア会議を開催してそのゲストとしてパール博士を招致した。その没後二人を記念する建設委員会によって創設されたのが、箱根町の丘の上にあるパール記念館である。正式には「パール下中記念館」と呼ばれている。》
以上が産経新聞の要約である。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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正常国家となる為に
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/08 22:51 投稿番号: [5910 / 41162]
■ 正常国家となる為に
横浜市
田村
一
自由党総裁小沢一郎氏曰く、「日本が普通の国(正常な国家)になる為には、先ず憲法改正(特に9条)と東京裁判史観から脱出することである」と。
一、米国製即席強制憲法について
現在の日本国憲法は、戦後、対日占領軍マッカーサー司令官の命令で、部下が僅か一週間で作成した米軍強制の即席憲法である。それを、旧社会党(現社民連)・共産党や進歩的(実は退歩的で対日占領政策迎合派=占領政策を利用して左翼革命を企図している)護憲派の面々は、改正に反対している。しかし先進国は、いずれも戦後五十年間に何回も憲法を改正している。
憲法は国の基本法であるが、時代に応じて改正するのが常識である。況んや敵国の都合で押しつけられた「間に合わせの強制憲法」であるから、尚更改正する必要がある。
憲法改正の機会は、過去に三回あったと言われる。一回目は昭和二十七年四月二八日の、サンフランシスコの平和条約発効日、二回目は平成三年、ソ連共産党崩壊の時、三回目は平成七年の、戦後五十周年記念の時である。三回とも、護憲派の反日的文化人に妨害された上に、決断力のない優柔不断な政治家揃いで改憲の機会を失ったと言われる。
二、東京裁判について
(1)
東京裁判の特質
ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判と同様である。即ち、戦争の原因と理由の全べてを敗戦国指導者の野望と恣意に帰して、勝者は善であり正義であり、敗者は悪であり不正義であると規定して、自分達の悪事所業には目を瞑(つむ)って知らぬ顔で、実に不公正極まる暴君的裁判である。
(2)
東京裁判史観を断ち切れ
東京裁判史観は、始めから敗者日本(戦前の強大国日本)を再起不能にするための戦略で、特に精神的に強力な日本人を骨抜き水母(くらげ)に、且つ負け犬の卑下根性に改造するのが占領政策の目的であった。所謂武士道的精神を抜き取ることに全力を傾注した対日占領政策であった。民主主義と称しながら愚民主義を押し付けたのである。教育勅語も放棄させて、人権尊重というまやかしで利己主義を助長し、民族の団結を破壊したのである。しかも独立の気概も喪失させ、米国の属国的な存在にしたのである。日本が一人前の独立国を望むなら、「東京裁判史観」という戦勝国の呪縛から脱出しなければならない。
東京裁判の仕掛人である三人の主役(対日占領軍司令官マッカーサー元帥、ウェッブ裁判長、キーナン首席検事)は、裁判終了後帰国して、夫々が「あの戦争は日本の安全保障の為であり、あの裁判は大きな誤りであった。」と反省の発言を行った。これを考えると、「大東亜戦争」は正に日本自衛の聖戦であり、戦勝国が別称する「太平洋戦争」こそ、白人帝国主義侵略の不正義且つ悪の戦争であったことを白状しているのである。
大東亜戦争が間違った戦争でなかったもう一つの証拠は、戦争には負けたが、日本が多大の犠牲を払った結果、負けるが勝ちの「身を殺して仁を為す」の大成果を挙げたからである。それは戦後に、アジアからアフリカに及ぶ百ヶ国もの独立国が生まれた。それもイスラエルを除いては、皆有色人種である。東亜の一角で日本が頑張った努力で、白人の世界侵略を防止し、植民地の多数が解放された。アトランタ・オリンピックに一九七ヶ国の多くの国が参加出来たのも、日本が大東亜戦争を戦った成果である。
タイ国元首相クウリット・プラモート氏の次の言葉が何よりの証拠である。「十二月八日(大東亜戦争開戦日)を忘れるな。日本のお蔭でアジア諸国は全べて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話が出来るのは誰のお蔭か?。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったからである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。我々は此の日を忘れてはならない。」と。」
元陸軍海上挺進第35戦隊長
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5910.html
ご質問:deliciousicecoffee様
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/08 22:51 投稿番号: [5909 / 41162]
私信、トピずれの質問をご容赦下さい。
ご博識を見込み、一つお教え頂きたい事があります。
南京大虐殺、従軍慰安婦、万人坑等の嘘が暴かれた今、反日親中派が最後に拠り所とするプロパガンダの材料は重慶爆撃だと思われます。
重慶爆撃については軍事史に相当詳しい人々の間でも違法な無差別爆撃という評価が大半であるように見えます。
しかし重慶は援蒋ルートの終着点である軍事物資集積地であり、明らかな軍事拠点であって、重慶爆撃は暫定首都に対する戦略爆撃というより、後方兵站基地に対する攻撃、補給路の遮断という観点から論じるのが正当ではないかと考えています。
インドシナ進駐からインパール作戦まで日本軍の戦略目標は援蒋ルートの遮断により中国軍の継戦能力を失わせることで一貫していました。
その中で「民間人に損害を与え戦争継続の意思を失わせる」という無差別爆撃の思想は場違いに感じます。
そもそも蒋介石が首都としての重慶に与えられた被害で継戦意思を失うだろう、などと当時の軍部が考えたでしょうか。
蒋介石は南京を捨てているのです。
重慶は暫定首都に過ぎないのですから、被害が激しくなれば更に奥地へ逃亡すると普通なら考えるはずです。
重慶が単なる首都としての機能しか持っていなかったのであれば。
無差別爆撃であるなら、米軍のように主要都市を虱潰しに空襲せず、重慶しか爆撃しなかったことも説明がつきません。
重慶に爆撃が集中したのは、都市の破壊ではない標的が重慶にはあったと考えるべきではないでしょうか。
重慶爆撃も援蒋ルートの遮断により中国軍の継戦能力を失わせるという目的の下に行われたと考えれば、日本軍の戦略に一貫性が保たれますし、この観点に立てば、市内に高射砲台を設置し、市中が攻撃目標となる口実をわざわざ与えるかのごとき重慶政府の対応も納得のいくものです。
(つまり、高射砲台は市中に集積された軍事物資を防守する為の物と見れば自然)
そこでご質問なのですが、重慶爆撃と援蒋ルートを結びつけた研究成果をご存じないでしょうか?
そのようなものがあれば、一度目を通しておきたいと考えております。
これは メッセージ 5751 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5909.html
RE:>>>>コヒーさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/08 21:59 投稿番号: [5908 / 41162]
>読み終わりましたらできればでいいのですが、
>内容の紹介をお願いできませんか。
年内に読み終わるかどうかわかりませんが、読み終わりましたら可能な限り紹介したいと思っております。
これは メッセージ 5907 (kintakunte2002 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5908.html
>>>>コヒーさん
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/06/08 06:53 投稿番号: [5907 / 41162]
読み終わりましたらできればでいいのですが、
内容の紹介をお願いできませんか。
勝手なお願いとは存じますが、よろしくお願いします。
これは メッセージ 5901 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5907.html
>● ラダ・ビノード・パール
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:49 投稿番号: [5906 / 41162]
感動しました。
これは メッセージ 5904 (yominokuni57 さん)への返信です.
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日本の対米和平打診は1945年2月から
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:47 投稿番号: [5905 / 41162]
>3月8日に天皇は内閣、軍部からこの大戦の戦況を聞き、敗戦は間違い無いとの感触を得ながら、敵に一撃を加えてからの和平を選択し、終戦を長引かせた、その結果、神風、その他の特攻隊の編成、と東京、大阪、その他都市部への無差別爆撃、広島、長崎、原爆投下、ソ連の参戦によりシベリア抑留等々、最高位責任者のとしての判断を誤り、多大の死ななくてもよい、兵士、民衆を殺してしまっている。民を思う政治が行われたか?
米戦略爆撃調査は1946年7月、トルーマン大統領に「日本の戦争終結努力」と題する報告を提出した。日本指導部との面接調査を基にしたこの報告は、単なる流言とされていた降伏の打診が、かなり早い時点からしばしば行われていたことを確認している。
同報告によれば、1944年2月には日本指導部の多くが、この戦争には勝てないと判断し、妥協による和平努力を主張している。しかも、この「妥協による和平」は日本の戦前の地位を引き上げようというものではなかった。寧ろ、高木惣吉海軍少将は、日本は朝鮮と台湾の放棄を前提にして交渉すべきであると主張していたのだ。
1944年7月には、和平派は東条内閣を倒すところまで力を強めていた。そして後継内閣は最高戦争指導会議を設置した。その主な仕事は戦争からの離脱だった。
1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。交渉は中国を仲介者とし、1931年以前の国境線を基礎にするものだった。そして、同年5月までに駐ソ日本大使は「結果が如何なるものであれ、『戦前の条件より後退したものであっても』」、それを前提に可能な和平提案を協議するよう訓令を受けている。これほど早い時期に日本政府内部で降伏を唱える人々が影響力を持ち始めていたことを、米戦略爆撃調査報告は確認しているのだ。同報告は「天皇、枢密院議長、首相、外相、海相は1945年5月に、連合国の条件による敗戦を受け入れることになっても、戦争は終結させなければならないとの結論に達していた」
いまや政府内部の指導権を握った和平派は、こうした大きな支持を得て、この月のうちに具体的行動を起こした。既に見たように、モスクワ駐在日本大使は交渉打診の訓令を受けていた。そして近衛公を交渉のためモスクワに送ることも計画された。できれば無条件降伏より緩い条件を期待してはいたが、いづれにしても和平のための交渉だった。
1945年5月付けのワシントン・ポストは、日本の降伏条件について伝えたシカゴ・サンのフレデリック・クー記者の記事を転載している。それは、日本軍部の全面降伏、中国から奪った領土と戦争中に占領した全領土の放棄を求めたカイロ宣言を、本土は占領しないという条件で受け入れるというものだった。同記者が伝えた和平提案は、米戦略爆撃調査が報告する日本政府の協議内容と一致している。クー記者はまた、米国務省が4月にこの和平提案を受け取ったと伝えたが、これに対して国務省は公式提案は何も受け取っていないと答えていた。
5月12日、ハルぜー提督が「太平洋の某所」で従軍牧師グループに語った話から判断すると、戦争状況を把握する立場の人は日本の和平工作を予測していたようだ。同提督は日本が間もなくかなり積極的に和平打診をしてくるだろうが、「日本を2度と戦争できなくなるまで叩き潰して、はじめて戦争目的は成就する。我々はそこまで徹底しなければならない」と語っている。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
(P143)
これは メッセージ 5896 (yominokuni56 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5905.html
● ラダ・ビノード・パール
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/07 22:42 投稿番号: [5904 / 41162]
ラダ・ビノード・パール
法学教授・国際連合国際法委員会委員長
■ 日本人戦犯7人の全員無罪を主張
■ 極東軍事裁判
パール判事は、この裁判が最初から日本を侵略国と決め付けていることに不快感を示した。そしてこの
裁判の本質は連合国側の政治目的を達成するために設置されたに過ぎず、日本の敗戦を被告達の侵
略行為によるものと裁く事によって、日本大衆を心理的に支配しようとしていると批判した。
さらに、検察側の掲げる日本の侵略行為の傍証を、歴史の偽造だとまで断言した。かつて欧米諸国がア
ジア諸国に対して行った行為こそ、まさに侵略そのものであると訴え、全被告を無罪だと主張した。
パール判事の判決を聞いて
殉難者が遺した歌
・東條英機
百年の後の世かとぞ思いしに今このふみを眼のあたりに見る
・板垣征四郎
ふたとせにあまるさばきの庭のうちこのひとふみを見るぞとうとき
すぐれたる人のふみ見て思うかなやみ夜を照らすともしびのごと
・木村兵太郎
闇の夜を照らすひかりのふみ仰ぎこころ安けく逝くぞうれ志き
■ その後のパール博士
1950年10月、パール博士は二度目の来日をされた。約1ヶ月間の滞在中に次の言葉を残されている。
「この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は《法の真理》である。われわれはこの《法の真理》を奪い返さ
ねばならぬ。」
「たとえばいま朝鮮戦争で細菌戦がやかましい問題となり、中国はこれを提訴している。しかし東京裁判
において法の真理を蹂躙してしまったために《中立裁判》は開けず、国際法違反であるこの細菌戦ひとつ
裁くことさえできないではないか。捕虜送還問題しかり、戦犯釈放問題しかりである。幾十万人の人権と生
命にかかわる重大問題が、国際法の正義と真理にのっとって裁くことができないとはどうしたことか。」
「戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金
日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とド
イツの指導者のみを裁いたのか。勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそ
こには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろ
う筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ。」
「今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。しかして、そのたびに国際法は幣履のごとく破られるで
あろう。だが、爾今、国際軍事裁判は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。その責任は
ニュルンベルクと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない。」
「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独
立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観と
いう歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。
日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」
「いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルクの軍事裁判が、果して正当か否かとい
う激しい論争や反省が展開されている。げんに英国法曹界の長老ロード・ハンキーは<パール判事の無罪論こ
そ正論である>として『戦犯裁判の錯誤』と題する著書まで出版している。しかるに直接の被害国であり、げん
に同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本においてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうした
ことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・」
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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たまっている宿題を、念のため、
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:20 投稿番号: [5903 / 41162]
念のため、他にも宿題がかなりたまっているから一応知らせておくね。
#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802や#5814や#5879や#5882で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、
1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756
2.支那軍がわざと上海の市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775
3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783
4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787
5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799
6.支那側は停戦協定を何度も繰り返し破り、8月9日に予定されていた和平会談も支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊し、さらに上海戦の後11月6日に蒋介石に伝えられた和平条件も蹴って南京戦を強行したことを認めるんだな?#5799
7.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802
8.上海戦は、蒋介石が攻撃を始めて日本が防衛した戦争だったと認めるんだな?#5814
9.上海戦における日本軍の損害が予想を超えた理由は、日本の不拡大方針による小出しの兵力投入と、支那軍の細菌戦のせいだったことを認めるんだな?#5814
10.日本軍の食糧は、日本本土からの補給を原則としたが、補給が不如意になって現地調達する際にも、支那軍のように強奪するのではなく、カネを払って調達したことを認めるんだな?#5851、#5868、#5879
11.南京戦の前に多くの南京市民は南京を脱出し、残った20万人も全員が国際安全区に避難して無事だったことを認めるんだな?#5882、(#4674、#5696)
12.上海から南京への道路沿いの村々や周辺の村落を破壊、略奪、放火したのは支那軍であり、支那はそのような焦土作戦(清野作戦、焦土戦術)をしておいて、「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁したことを認めるんだな?#5882
(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)
1.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514
2.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514
これは メッセージ 5902 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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句容県誌についての質問 >yominokuni56
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:14 投稿番号: [5902 / 41162]
>日本軍は村を去る前に村落に放火し、全村八〇余戸は全て焼失した。
>睨塘村虐殺事件は120余名が殺害されたが多くは他村の農民で、睨塘村民は7人が犠牲となり、そのうち2名が女性であった。(句容県誌)(日本軍侵占句容期間暴行録)
その「句容県誌」(日本軍侵占句容期間暴行録)という記録は、いつ、誰が、書いたんだ?
どうして、南京軍事法廷や東京裁判(1946年〜1948年)に、証拠として提出されなかったんだ?
つーか、その句容県の睨塘村虐殺事件というのを俺は初めて聞くのだが、いつから話題になってるんだ?
オマエが質問や反論に答えないから宿題は増え続ける一方だが、まずはこの質問への回答よろしく!
これは メッセージ 5895 (yominokuni56 さん)への返信です.
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>>>コヒーさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:05 投稿番号: [5901 / 41162]
>そうです。でも飛ばし読みです。
お〜、そうですか。
早いですね。
>ワシントンの日本大使館盗聴で、大使館よりはやく、日本の和平交渉うちきり(事実上の宣戦布告)を傍受していながらハワイ基地への通報を(故意に?)「遅らせ」日本に先に手を出させた。
ハワイへの通報を遅らせたのは、「故意に」であると認識していました。
やはり、その本でも、そのことについて述べられているわけですね。
>ところが思わぬ大惨事だったので、米国民に取り繕うために、二枚舌の演説をした。
真珠湾攻撃による被害は、ルーズベルトの予想を遙かに超えたようですね。
まだ、本が届いていませんが、読むのを楽しみにしています。
お知らせ、ありがとうございました。
これは メッセージ 5893 (asdll58 さん)への返信です.
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>>東 京 裁 判 天皇 裕仁
投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/06/07 13:34 投稿番号: [5900 / 41162]
>その結果、神風、その他の特攻隊の編成、と東京、大阪、その他都市部への無差別爆撃、広島、長崎、原爆投下、ソ連の参戦によりシベリア抑留等々、最高位責任者のとしての判断を誤り、多大の死ななくてもよい、兵士、民衆を殺してしまっている。民を思う政治が行われたか?
その結果?これは短絡では?
タイムスパンのとりかたというのはこのこと。
ナチズム台頭の直接の原因(責任)は、敗戦国ドイツにたいする過酷なヴェルサイユ条約だともいえる。
これは メッセージ 5896 (yominokuni56 さん)への返信です.
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昔の中国軍の実態
投稿者: kaka8950jc 投稿日時: 2005/06/07 13:14 投稿番号: [5899 / 41162]
暗黒大陸『中国の真実』
ラルフ
タウンゼント(1900−1975)
1931年アメリカ上海副領事その後福建省の副領事として赴任。原書は1933年発行。
兵の装備はお粗末なもので、街中で見かける宣伝用の兵隊は別として、食料は殆んど支給されない。
したがって、行く先々で食券代代わりに銃剣を振り回して食糧を略奪する。
荷物運搬用の牛馬の代わりになる苦力を大量に捕獲する。したがって軍が動くという噂が流れると、苦力でごった返していた通りがガランとなる。
捕まったらその扱いは残酷で目を覆うものがある。過酷な仕事やらされ、抵抗しなくても、ただ「殴って楽しむため」棍棒や銃で殴るのである。銃を持たない苦力は食の調達にも苦労する。
戦場では兵隊さえ嫌がるところへ回される。互いの捕膚の圧倒的な多数は徴発された苦力であるそして戦闘記録にある「捕獲捕膚」とは敵方で虐殺された者」と読み替えてよい。
兵隊は略奪した食糧を腹いっぱい食える。
食うために兵隊になるから命を懸けて戦わない。
最後まで戦う事はまずない。それぞれ5万人の兵力がぶっかる戦では、2,3百人の戦死者がでたら「勝負あった」となる。兵士には敢闘精神が無い。日本人や欧米人と違い「闘争心」「何が何でも勝利を」という気迫がない。
所詮、食うためにたまたま兵隊に入ったたのだから、弾に当って死んだら元も子もない。両軍ただ睨みあうだけである。勿論前線では小競り合いがあり、少々犠牲者も出るが、本隊は相手が自陣に攻め込まないかぎり数ヵ月ものらりくらりして、本格的な攻撃はしない。
犠牲者は圧倒的に住民である。
多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。
殆んどが戦場となった地域の住民である。しかも殆んどが餓死である。
米粒一つ残さず「友軍」に略奪されるからである。
一つ例を挙げよう。
1931年5月、江西省と湖南省における対共産党戦に関する楊将軍の報告である。
江西
死者18万6千人
難民の死者210万人
焼失家屋10万棟
湖南
死者7万二千人
焼失家屋12万棟
次は1932年の湖北省での共産党の略奪報告(湖北省の知事)である
死者
35万人
家を失った難民
350万人
焼失家屋9万8千棟
これはほんの一部に過ぎない。この数字を疑う理由は無い。
数字には無いが、
『住民を守るべき軍が逆に食糧を取り上げ、飢えさせ。あるいは焼き打ちにする。』
将軍たちはこういうことは報告しないのである。
共産党の支配地区には「どちらもひどいが防衛軍(国民党かな?)より共産党がまだまし」というものも多い。宣教師の家族達も「その通りだ」と言っていた。
共産党のやり方はこうである。金のありそうな者を拷問する、羽振りが良く資本主義者と思われる者は即刻殺す。だから金持ちは共産党が来る前にさっさ逃げる。貧乏人だけが残り、餓死者が出るのである。
ほんの一部を紹介しました。
これを読むと日本軍が、中国戦線で百戦百勝だったことがよくわかります。
叉南京戦での当時の国民党軍の行動様式が想像されます。誰が虐殺したのか?
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5899.html
へっ、へっ、へ
投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/06/07 11:14 投稿番号: [5898 / 41162]
yominokuni56よ、
お前は最近たるんでおるぞ。
書き込みの内容は、ネタ切れ、
文章はお粗末。
中共日本支部による
勤務評定も低いぞ。
ま、夏のボーナスはないと思うべきだナ。
これは メッセージ 5896 (yominokuni56 さん)への返信です.
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小泉を応援しよう
投稿者: nonnnonnnotiku 投稿日時: 2005/06/07 07:09 投稿番号: [5897 / 41162]
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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>東 京 裁 判 天皇 裕仁
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/07 06:56 投稿番号: [5896 / 41162]
>東京裁判において国際法学者のパール博士はこういいました。「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪で
戦争犯罪最高責任者天皇裕仁を訴状にあげよ!
>います。アメリカが行った原子爆弾の投下。シナ側が行った便衣兵。この2つのことを見ただけでも国際法違反で
3月8日に天皇は内閣、軍部からこの大戦の戦況を聞き、敗戦は間違い無いとの感触を得ながら、敵に一撃を加えてからの和平を選択し、終戦を長引かせた、その結果、神風、その他の特攻隊の編成、と東京、大阪、その他都市部への無差別爆撃、広島、長崎、原爆投下、ソ連の参戦によりシベリア抑留等々、最高位責任者のとしての判断を誤り、多大の死ななくてもよい、兵士、民衆を殺してしまっている。民を思う政治が行われたか?
>「日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が
無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域に
は存在してゐたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生する
そうかい(笑)
アンタは強盗にも同情をよせる心の広い人だね。
「罪と罰」でも読んでみたらどうだろうか?
才能ある青年が
金持ちの老婆を殺害し、無能な老婆が金を持っていても社会の役には立たない、貧乏人で有能な自分が金を使うことが社会の為になる、、だから、殺して金を奪った、、何処が悪い?といっているようなものだな(笑)
いっそ、、刑務所も無くしてしまったらどうだ、、、(笑)
これは メッセージ 5887 (yominokuni57 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/5896.html
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