南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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日本人は恩知らず

投稿者: shoojouji 投稿日時: 2013/01/03 00:51 投稿番号: [41002 / 41162]
土人でなんの文化ももたなかったのに中国人が漢字を教え農業を教え仏教を教えてやったのに目上の国家に足蹴にする

むかしは世界の先進国だった中国に命がけで渡航した真面目な日本人もいたそうだが今は烏合の衆

日本軍はフィリピンで米軍の捕虜は木が主食

投稿者: shoojouji 投稿日時: 2013/01/03 00:47 投稿番号: [41001 / 41162]
食事が木の根だったらしい。
これは裁判にも残ってる事実だ。

これを木の実だったとかウソいうひとがいるのも日本人らしい


逆に日本人はアメリカの捕虜になると体重が増える

Re: 俘虜帰還兵の取扱2

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2013/01/02 20:41 投稿番号: [41000 / 41162]
ばーか。捕虜になって帰ってきた者は軍法会議にかけ、有罪になれば厳正処分(死刑)
にするとしっかり書いてあるだろうが。欧米では捕虜になることは当然の権利なのに
対して、日本軍では捕虜になるのは犯罪だったということだ。

米軍の捕虜になった者は日本軍と比べれば天国とも言える待遇に感激し、軍事機密でも
何でもしゃべってしまった。そりゃ、日本軍側では軍法会議にかけたくもなるわな。
現実には、馬鹿な上層部の理不尽な命令で飢え死にさせられ、くそ野郎の古参兵に
殴られて半殺しにされるような日本軍なんぞに、のこのこと死刑になるために帰って
来る者がいるはずがなかろう。

日本兵捕虜は何をしゃべったか
http://www.j-cave.com/bunko/bk71.html

捕虜帰還兵の取扱3

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 14:14 投稿番号: [40999 / 41162]
大東亜戦争ニ於ケル捕虜帰還者ノ取扱方ニ関スル件 永久 大臣 第七四頁 兵務甲第一二四号 昭和十七年八月 昭和十七年八月七日 昭和十七年八月十 日 人事軍務法務代補任恩賞軍事軍務兵備防衛法務 俘虜 報局 達書号記メ相成度 陸軍省兵務局兵務課 関東軍司令官支那派遣軍総司令官南方軍総司令官及香港総督並第十四、第十七軍司令官ヘ達案(陸亜密)以下同シ 大東亜戦争ニ於テ捕虜ソ為リ帰還セル者ニ就テハ一率ニ捜査ヲ行ヒ有罪ト認メタル者ハ総テ之ヲ起訴スヘシ 陸亜密第二八九五号昭和十七年八月七日 次官ヨリ関東軍参謀長支那派遣軍総参謀長南方軍総参謀長及香港総督部参謀長第十四第十七軍参謀長宛通牒案

↑一貫して捕虜と成るなと言う文言はないよね、況して俘虜になるより死ねなどとは書いてないよね。

戦後の左巻きが勝手に解釈を変えたんだね、戦陣訓に関して。

俘虜帰還兵の取扱2

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 14:13 投稿番号: [40998 / 41162]
昭和十四年九月三十日

次官より関東軍参謀長(支那派遣軍総参謀長)宛通牒案

今般陸満密第八五四号(陸支密第三五五三号)に依り今次事変に於いて俘虜と為り帰還せる者に就いては一律に捜査を行い有罪と認めたる者は総て之を起訴すべき旨達せられたるが爾後に於ける之が取扱に関しては左記に依るを可とする意見に付き通牒す
但し将校の分限進退に関する事項は別に措置せらるる儀と承知相成度申添う

左記
一.捜査の結果不起訴となり又は無罪と言い渡しを受けたる者の中所要の者に対しては厳重なる懲罰処分を行う

二.刑の執行修了者にして償勤を要する者は総て教化隊に於いて服役せしむ懲罰処分を受けたる者の中所要の者又之に準ず

三.処分修了者将来の保護に関しては本人の意向に依りては日本以外の地に於いて生活し得る如く斡旋す

↑捕虜となるな死ねなどと言うことは書いてないよね。

帰還後のことまで配慮しているよね。

捕虜帰還兵の取扱

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 14:12 投稿番号: [40997 / 41162]
昭和19年8月1日   内閣総理大臣   小磯

ビルマ派遣軍下各師団長殿

軍法会議に依り無罪と認められたる者竝に無罪の判決ありたる者は帰国を許可せらるるべし尚その公表は左記状況に依り決定せらるるものとす

優勢なる敵に包囲され且攻撃を受けたる場合敵の戦闘行動に依り所属部隊より遮断せられたる場合線上に於いて人事不省に陥り捕虜となりたる場合等事実に依り之を決す

其の他の状況の下に降伏し有罪の判決を与えられたる者は厳重なる懲罰処分を行う

刑の執行修了者にして償勤を要するものは要すれば教化隊に於いて服役せしむることを得

処分修了者将来の保護に関しては本人の意向によりては日本以外の地に於いて生活を得るが如く斡旋す

↑俘虜を禁止するなどとは書いてないよね。

俘虜になる場合のことは書いてあるが常識的なことばかりだね。

ガダルカナルの記録写真

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/02 11:02 投稿番号: [40996 / 41162]
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9e/GuadNakagumaMatanikauDeadJapanese.jpg/220px-GuadNakagumaMatanikauDeadJapanese. jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dc/GuadMatanikauDeadJapanese.jpg/220px-GuadMatanikauDeadJapanese.jpg

http://www.geocities.jp/a_sbjfg395/3_guadalcanal_war/image/obi1.jpg

死者を貶めて喜ぶ屑ワダツミ

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2013/01/01 17:09 投稿番号: [40995 / 41162]
左巻きの中でも突出した屑のワダツミ。

マルチポストのコピペ投稿

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2013/01/01 15:41 投稿番号: [40994 / 41162]
ワダツミは年が明けても馬鹿。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 15:34 投稿番号: [40993 / 41162]
降伏を許されず、死ぬまで戦うことを義務づけられた兵隊が、
戦うための体力を失い、密林の中で   次々と餓死・病死した。
そうした状況を   辛くも生き延びた将兵が   残した手記がある。
以下、小尾靖夫「人間の限界――陣中日記」   より引用する。

   12月27日(1942年)
    今朝もまた数名が昇天する。
   ゴロゴロ転がっている屍体に蝿がぶんぶんたかっている。
   どうやら俺たちは   人間の肉体の限界まで   きたらしい。
   生き残ったものは全員顔が土色で、頭の毛は産毛のように
   薄くぼやぼやになってきた。黒髪が、ウブ毛にいつ変った
   のだろう。
   体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。
     (中略)
   やせる型の人間は骨までやせ、肥える型の人間はブヨブヨに
   ふくらむだけ。   歯でさえも金冠や充填物が外れてしまった
   のを見ると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きている
   ことを初めて知った。

   この頃アウステン山に   不思議な生命判断が流行りだした。
   限界に近づいた肉体の   生命の日数を、総計の結果から
   次のように   わけたのである。
   この非科学的であり   非人道的である   生命判断は
   決して   外れなかった。

     立つことのできる人間は・・・寿命三十日間
     身体を起こして坐れる人間は・・・・三週間
     寝たきり起きられない人間は・・・・一週間
     寝たまま小便をするものは・・・・・三日間
     もの言わなくなったものは・・・・・二日間
     またたきしなくなったものは   ・・・・明日

これが、ガ島の第一線部隊の   食糧欠乏がもたらした   状況だ。
こんな惨状に陥っている第十七軍に対しても、なおも大本営は
11月16日付で、持久戦をせよ   という命令を   下している。
裸の人間を   毒蛇の巣に放り込んでおいて、そこで   耐えろ
と言っているに   等しい。   これでは   まるで、意図的に
「靖国の英霊」を、大量増産しようと していたかのようだ。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 15:32 投稿番号: [40992 / 41162]
補給が   不可能ならば、近代戦では   「敗北」   を意味する。
それでも   大本営は、ガダルカナル島奪回作戦を   打ち切る
という決断を下すことができず、前線の指揮官も作戦中止を
言い出すことができず、ずるずると   無謀な戦いが継続した。

この間の   海空の大消耗戦で生じた   艦船、航空機、兵員の
莫大な損害は、取り返しのつかない   戦力喪失となり、
その後の戦況にも   大きな影響を   及ぼすこととなった。
大本営が、やっとのことで   ガ島からの撤退を決めたのは、
42年12月31日に   なってからだった。

撤収作戦そのものは、米軍に   察知されずに   成功したが、
かろうじて救出された者は、上陸した全兵力の   3分の1。
その兵隊たちも   栄養失調で体力を失い、餓死寸前だった。
この   ガ島惨敗の責任は、まったく   大本営の作戦にある。

装備も優秀で   準備万端を整えて上陸してきた   米軍に対し、
情報収集もせずに、わずか1000名で軽装備の一木支隊に
銃剣突撃で飛行場を奪回しようという、およそ戦理に反した
無茶な攻撃を実行させ、その後も   同じ失敗を   繰り返した。

一木支隊先遣隊が、米軍の火力に阻まれ、戦車に蹂躙されて
一瞬にして全滅したのに、何回も同じ戦法を繰り返したのだ。
制海・制空権を失ったために   闇夜の中の鼠輸送しかできず、
重火器も運べず、白兵突撃戦法しか採れない――
これでは、優秀な火力装備に   勝てないことは明らかなのに、
大本営は、装備も補給も軽視して   亡国的怠慢を犯したのだ。

装備が   運べないのだから、食糧も   運べない。
人間は   食糧がなければ   生きて行けない。
ましてや   戦闘に耐えうる   体力維持は   不可能だ。
大本営の作戦当局者たちは、前線に送り込んだ兵隊たちの
食糧補給を、いったい   どう考えていたのだろうか。

南太平洋方面の日本軍の   戦略基地であった   ラバウルと、
ガダルカナル島との間は   1100キロも   離れている。
制海・制空権を   奪われ、補給が困難なことは明白なのに、
3万を超す将兵が、身一つで   この島に送り込まれたのだ。
上陸した兵士たちは、背嚢に背負った   数日分の食料を
食いつくした後は、食糧の補給を   受けられなかった。

空腹に耐えかね、野生の植物を食べて   下痢をおこしたり、
有毒植物に当たる場合も   多かった。
栄養失調で   体力が衰えているため、赤痢や   マラリア、
その他の風土病への抵抗力もなくし、次々と倒れていった。
そうした記録を   掘り起こしながら、太平洋戦争の実相と
玉砕という愚挙を繰り返した日本軍の性質を考えていきたい。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 15:31 投稿番号: [40991 / 41162]
1946年6月5日のミッドウェイの敗北によって、日本海軍は
主力空母4隻を失い、太平洋戦線における   制海権を失った。
それなのに、8月7日に   米軍がガダルカナルに上陸すると、
その時の前線基地ラバウルから、600カイリも前方にある
この島に、大本営は   次々と   兵力を送り込んでいったのだ。

米軍の上陸に   慌てふためいた大本営は、その奪回を決意し、
第十七軍を   その作戦に   当てることにしたが、とりあえず
急行させる   兵力としては、ミッドウェイ作戦用の   部隊で、
その中止後   グアムに待機していた一木支隊を送ることにした。

ところが   一木支隊を   急遽派遣するために、輸送船によらず
一木清直大佐以下1000名の先遣隊を駆逐艦6隻に分乗させ
急行させたのだ。   もともと   軽装備だった一木支隊先遣隊は、
駆逐艦輸送のため   重火器は持てず、食糧7日分だけを携行し、
戦車や重砲を持つ米軍から   飛行場を奪う任務を   負わされた。

一木大佐は、白兵突撃で   飛行場を奪回するつもりで、
8月1日夜   ガダルカナル島タイボ岬に上陸し、8月20日、
米軍陣地に突入したが、圧倒的な米軍の砲火によって全滅した。
一木支隊先遣隊の攻撃失敗後、第二梯団や海軍陸戦隊の輸送は、
制空権を握った   米軍機の妨害で   ことごとく   失敗した。

だが、大本営は   あくまでもガダルカナル奪回の意向を変えず、
パラオの川口支隊に続いて、ジャワから第二師団を第十七軍に
増加した。それらは   船団輸送ができず、「鼠輸送」とよばれる
夜陰に乗じての   駆逐艦による輸送に   頼らざるを得なかった。

辛うじてガ島にたどり付いた川口支隊は、9月11日と13日、
飛行場に   総攻撃を行なったが、強力な米軍の   砲爆撃を受け
携行食糧も尽きたため   失敗した。
10月24日、25日に第二師団主力による攻撃を行なったが、
これも   第一次攻撃と同じように   失敗した。

それでも   大本営は、奪回の方針を   変更しなかった。
11月中旬には   さらに第三十八師団主力をガ島に送った。
こうした兵力輸送のたびに、輸送に当たった駆逐艦も、
これを援護する   海軍の航空兵力も艦艇も   大損害を受け、
とどまることのない   消耗戦の様相を   深めていった。

ガ島における   陸上部隊の状況は、悲惨の一言だった。
増援兵力を送るのさえ困難をきわめたのだから、補給物資を
送る余裕はなく、駆逐艦が   米などを   ドラム缶やゴム袋に
入れて、海岸の近くに投棄したりして、辛うじて   わずかな
補給をしているだけ   というありさまになっていたのだ。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 15:30 投稿番号: [40990 / 41162]
餓死   という言葉で   まず思い浮かぶのは、ガダルカナルでの
餓死者の大量発生であり、ガ島は   「餓島」   と揶揄されるほど
これは   ひじょうに有名な   事実だ。
1942年8月から43年1月にかけてのガダルカナル戦は、
太平洋戦争での米軍反攻による戦局転換のきっかけになった。

ガダルカナル戦は、この島に日本海軍が建設した航空基地を、
上陸・急襲した   米軍の海兵一個師団が占領し、
それを奪還しようとする日本軍との間で   戦われた攻防戦だ。
日本軍は、すでに制海・制空権を奪われていたにも係わらず、
飛行場奪回のために、次々と   陸軍の部隊を島に送り込んだ。

兵員・物資の輸送もままならず、かろうじて上陸した部隊も
補給が途絶している上に、利用すべき現地物資も皆無に近く、
餓死者続出の   惨状をもたらした。
半年後、装備を捨てて   生き残った人員だけを   かろうじて
撤退させることになった。   この敗退を   大本営は   国民に
「転進」   と発表したが、日本軍敗退の   第一歩となった。

ガダルカナル撤退を指揮したラバウルの第八方面軍司令官の
今村均大将は、その回顧録に   次のように   記している。

   五ヶ月以前、大本営直轄部隊として、ガダルカナル島に
   進められた   第十七軍の百武中将以下   約三万の将兵中、
   敵兵火により斃れた者は約五千、餓死した者は約一万五千、
   約一万のみが、救出されたのだ。

そして、自決して責任をとる   と申し出た百武軍司令官を
押し止めた言葉の中でも、次のように言ったと述べている。

   今度のガ島での敗戦は、戦によったのではなく、饑餓の
   自滅だったのであります。   この飢えはあなたが作った
   ものですか。   そうではありますまい。
   日本人の横綱に百日以上も食を与えず草の根だけを口に
   させ、毎日たらふく食ってる   かけだしの米人小角力に、
   土俵のそとに押しだされるようにしたのは、全くわが
   軍部中央部の過誤によったものです。
   これは、補給と関連なしに戦略戦術だけを研究し教育
   していた陸軍多年の弊風が累をなし、既に   制空権を
   失いかけている時機に、祖国からこんなに離れた、
   敵地に近い小島に、三万からの第十七軍をつぎこむ
   過失を、中央は   犯したものです。

今村大将による   この指摘は、まさにガダルカナル敗戦の原因、
餓死者大量発生の責任を   的確に衝く言葉ということができる。

大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 15:29 投稿番号: [40989 / 41162]
日本軍には、伝統的に『因糧於敵』   という方針が   あった。
武器弾薬など現地調達が難しいものは、補給に頼るしかないが
食料などは現地で調達する―   物資は、敵国から奪う   という
典型的な   侵略者の姿勢が、そこには   示されていた。

中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで   捕虜にした
多数の中国軍兵士を   組織的に大量殺害した事件の背景には、
こうした日本軍の   食料補給軽視の体質があった。
自軍の食料さえも確保困難な状況で、大量の捕虜が   発生し、
殺害に及んだ   という多数の証言が、それを   裏付けている。

日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において   略奪行為などが   多発する事態をも招いた。
さらに、大戦の全般を通じて   日本軍兵士の   戦死者のうち
直接の戦闘での死亡者数よりも   餓死者の数が上回るという
近代軍としては   あるまじき惨状を   招くものとなった。

第二次世界大戦における   日本人の戦没者は   約310万人。
そのうち、軍人軍属の   死者数は   230万人とされている。
特徴的なことは、その過半数が、餓死や病死であった事実だ。
「英霊」   の多くが、華々しく   戦いに散った   のではなく、
飢餓地獄の中での   惨めな野たれ死に   だったのだ。

栄養学でいえば、飢餓には   食物を   一切摂取しないで起る
完全飢餓と、栄養不足または失調による   不完全飢餓がある。
日本軍の   戦闘状況の特徴は、補給の途絶によって、膨大な
不完全飢餓を発生させ、その結果、完全な餓死だけではなく、
栄養失調のために   病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、
アメーバ赤痢、デング熱等よる多数の病死者を出したことだ。

戦死よりも   餓死や   病死者の方が多い――
それが一局面の特徴的な状況ではなく、戦場の全体にわたり
発生したことに、旧日本軍の   特質を   みることができる。
補給もせずに、占領地の死守を命じ、退却も   降伏も許さず、
自軍を次々と   全滅させた大本営は、それを「玉砕」と称し、
美しく粉飾した挙句、餓死者たちを「英霊」   と誉め讃えた。

近代国家間の戦争で、これほど   悲惨な結果を招いたうえに
反省も改革も怠り、自画自賛ばかりを   最後まで繰り返した
愚かな   軍隊が、はたして   他にあるだろうか。
近代戦において   補給途絶は、それだけで   敗北を意味する。
大和魂だけで勝てるはずがない。   惨めな敗戦は当然だろう。

大儀なき侵略戦争に駆り出され、無謀な作戦に投入され、
悲惨な死を   強いられた   若者たちの   無念さを思い、
大量餓死や   無謀な玉砕戦法をもたらした   日本軍の責任と
特質を明らかにして、それを   歴史に残す必要がある。

大量の餓死や「玉砕」と称する全滅は、人為的なものであり、
その責任を、死者に代わって   告発しなければならない。
それによって、二度と再び   あの悲劇を繰り返さないように
未来へ伝える「歴史の教訓」   とすることこそが、
先人たちの犠牲を   無駄にしない   唯一の道だろうと思う。

年末と言うのに馬鹿だな赤犬

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/12/31 19:33 投稿番号: [40988 / 41162]
もしかして年末年始を誰とも過ごさない独居老人か(笑)

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 17:59 投稿番号: [40987 / 41162]
K作戦も知らずに南京を語るな、脳死君。

嘲笑

K作戦はどの師団が行ったkしらないようだね、脳死君。

ウイキには何処にも記載されていないからね、Y作戦も装だよ、農資金。

まともな軍隊が兵站を100パーセント確保するなど、君の夢想だね、その様な軍隊があれば資料を示して御覧、脳死君。

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/12/31 15:52 投稿番号: [40986 / 41162]
>5200屯の糧秣とはK方面作戦用だよ、脳死君。
>K作戦は自分で調べなさい、脳死君。

例によって誤摩化しが始まったな。やれやれ。

>因みに、戦時尋常食は精米4合5勺、精麦1合9勺、缶詰め肉40匁、食塩3匁、醤油エキス5匁、野菜、漬物、調味料、栄養価3800カロリーだよ、脳死君。

ほう、それら全部でひとりあたり一日握り飯2個分の重さの配給だったわけだ(藁

>↑当然だよ、君は目の前にあるのを喰わないんだね、脳死君。

まともな軍隊なら、食糧も弾薬も補給する体制を持つ。おまえは南京戦で
補給がゼロだったという日本軍の記録を当然だと言って認めるわけだ。
すなわち、補給が豊富だったというおまえの主張はウソだったわけだ。
食糧の補給もできない欠陥軍隊だった日本軍は、大陸では農民から食糧を
略奪できたから自国の兵隊は何とか食えたが、捕虜に食わせる食糧は
なかったから捕虜を虐殺した。太平洋の島では、自国の兵隊に食わせる
食糧さえなかったから、大量の餓死者を出した。

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 14:04 投稿番号: [40985 / 41162]
序でに、K作戦の前はY作戦だからね、それ用の糧食も輸送されているよん、脳死君。

Re: 蒋介石の静夜作戦を

投稿者: hassyumimawariyaku 投稿日時: 2012/12/31 13:42 投稿番号: [40984 / 41162]
http://integral.s151.xrea.com/chon.html

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 13:30 投稿番号: [40983 / 41162]
>はて、11月9日に中国軍が撤退を開始して上海戦の
勝敗が決まるまで、ちょうど3ヶ月だが、何か?
それで故郷に帰れると期待していた兵士たちが、
南京進撃にかり出されたのが12月はじめだよ。

↑当初の日本軍は陸戦隊4000名だったよね、脳死君。

>上海戦に補給された食糧が5200トンだとおまえは言った。
5200トン÷25万人=20キログラム/人/90日
20キログラム÷90日=220グラム/人/日
握り飯1個の重さが約110グラム。やれやれ、日本軍の
補給は兵士1人あたり1日に握り飯2個か(藁
それも上海戦までだ。現地軍の独断により突然開始された
南京進撃では補給ゼロだった。

↑残念だね、君が勝手に解釈するからお話しが混乱するんだよ、君自身で、脳死君。

5200屯の糧秣とはK方面作戦用だよ、脳死君。

K作戦は自分で調べなさい、脳死君。

因みに、戦時尋常食は精米4合5勺、精麦1合9勺、缶詰め肉40匁、食塩3匁、醤油エキス5匁、野菜、漬物、調味料、栄養価3800カロリーだよ、脳死君。

携行口糧は、精米六合、又はパン180匁、缶詰め肉40匁、食塩3匁、だよ、脳死君。

>第十軍が陸軍次官宛に送付した一九三八年一一月一八日付「丁集団総合報告」。
「丁集団作戦地域は地方物資特に米、野菜、肉類は全く糧を敵に依るを得たり」

↑当然だよ、君は目の前にあるのを喰わないんだね、脳死君。

食費としての資金を持っていたんだよ、脳死君。

これも細かく規定があるんだね、脳死君。

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/12/31 12:38 投稿番号: [40982 / 41162]
>始まりは昭和12年8月9日だね、脳死君。
>君の主張する3ヶ月を足し算してみようね、脳死君。

はて、11月9日に中国軍が撤退を開始して上海戦の
勝敗が決まるまで、ちょうど3ヶ月だが、何か?
それで故郷に帰れると期待していた兵士たちが、
南京進撃にかり出されたのが12月はじめだよ。

上海戦に補給された食糧が5200トンだとおまえは言った。
5200トン÷25万人=20キログラム/人/90日
20キログラム÷90日=220グラム/人/日
握り飯1個の重さが約110グラム。やれやれ、日本軍の
補給は兵士1人あたり1日に握り飯2個か(藁
それも上海戦までだ。現地軍の独断により突然開始された
南京進撃では補給ゼロだった。

第十軍が陸軍次官宛に送付した一九三八年一一月一八日付「丁集団総合報告」。
「丁集団作戦地域は地方物資特に米、野菜、肉類は全く糧を敵に依るを得たり」

上海派遣軍の第九師団参謀部「第九師団作戦経過の概要」。
「軍補給点の推進は師団の追撃前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る
約百里の間、殆ど糧秣の補給を受くることなく殆ど現地物資のみに依り追撃を敢行」

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 10:26 投稿番号: [40981 / 41162]
第二次上海戦

始まりは昭和12年8月9日だね、脳死君。

君の主張する3ヶ月を足し算してみようね、脳死君。

嘲笑

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 08:05 投稿番号: [40980 / 41162]
5200000000/250000=20800/1000=20.8㎏/人

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/31 08:04 投稿番号: [40979 / 41162]
どれくらい不足したんだい、計算して頂戴な、脳死君。

事実トピにお前の似非が出てるぞ赤犬

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/12/31 00:10 投稿番号: [40978 / 41162]
共産支那に移住したいそうだ。

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/12/30 22:21 投稿番号: [40977 / 41162]
>軍需品として食糧は第一次から第二十一次迄の間五二〇〇噸配給されました。
>弾薬は総計四四〇〇噸が補給されました。
>これは昭和12年11月5日付江上輸送量概算票からの抜粋です。

ん?21回もかかって配給食糧がたった5200トンだと?
上海戦では3ヶ月以上にわたり25万人の兵力が投入されている。
5200トンを人数と日数で割ってみな(藁

蒋介石の静夜作戦を

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/12/30 17:26 投稿番号: [40976 / 41162]
無とし、日本軍に擦り付ける、我が罪ボイス。

シナ大陸逝って、叫んで来い〜!

Re: 残虐行為が発生しなかった背景(4)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/30 17:08 投稿番号: [40975 / 41162]
歩兵第百五十連隊命令     十二月十二日午前十一時四十分
於   高射砲兵団兵舎
一.城壁外ノ敵ハ逐次撃退セラレツツアリ
歩兵第百十五連隊ハ周家凹高地ヲ奪取セルモノノ如シ
二.連隊ハ現在ノ線ニ先ズ突撃ヲ準備シ砲兵ノ射撃終了ト共ニ南京城東南角ニ突入之ヲ奪取セントス
三.第一大隊(配属部隊故ノ如シ)ハ現在ノ線ニ隊勢ヲ整ヘ東南角城門ヨリ城内ニ突入スベシ勇敢ナル将校以下一小隊ヲ選抜シ砲兵射撃間城壁ニ近接セシメ城門奪取ニ任ゼシム
四.第二大隊(配属部隊故ノ如シ)ハ現在ノ線ニ隊勢ヲ整ヘ城壁破壊口ヨリ城内ニ突入スベシ勇敢ナル将校以下一小隊ヲ選抜シ砲兵射撃間逐次城壁ニ接近セシメ城壁破壊口ノ奪取ニ任ゼシムベシ
五.第一線両大隊ハ直チニ「クリーク」通過点及城壁附近ノ敵情地形ヲ捜索スベシ
六.野砲第八中隊ハ城壁破壊射撃ヲ実施スベシ此ガ終了時刻ハ午後一時二十分トス
七.爾余ハ予備隊トス左大隊ノ後方ヲ前進スベシ
八.余ハ暫ク現在地ニ在リ後左大隊ノ後方ニ在リテ突撃ス
連隊長   山本中佐
下達法
命令受領者ヲ集メ口達筆記セシム
注意
一.城内ニハ毒瓦斯及細菌撒布ノ疑イアリ殊ニ水ニ付キ注意ヲ要ス
被毒疑イアルモノハ速ヤカニ報告スベシ化学実験部ハ師団ト同行シアリ
二.突入部隊ハ国旗ヲ振リ突入スルコト又第一線部隊ハ敵眼ニ見エザル所ニ国旗ヲ表示セシムベシ
三.選抜両小隊ノ外第一線部隊ハ兵営ノ北側ノ線以北ニ
    進出スルコトナク突撃準備ヲ整ヘ後命ヲ俟ツベシ

  四.現在ノ線ヨリ突撃前進ニ際シテハ重火器ヲ以テ城壁上ヲ制圧シ突撃ヲ
    掩護セシムルヲ要ス
五.第一線ハ速ニ「クリーク」通過及城壁攀登ノ為メ応用材料ヲ蒐集スベ
     シ 第二大隊ハ正午兵営北端ノ線ニ達シ机、丸太、戸板等ヲ以テ軽渡
     河ノ材料ヲ準備シ尚城壁攀登ノタメ梯子、机等蒐集ニ努ム

残虐行為が発生しなかった背景(4)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/30 17:07 投稿番号: [40974 / 41162]
歩兵第百五十連隊命令     十二月十二日午前八時
         於   曽家門西南側凹地
一.敵ハ逐次退却ノ徴有リ
二.連隊(野砲第八中隊ヲ属セラレ砲兵小隊ノ配属故如)ハ115iノ右翼
     ニ進出シ周家凹東側陣地ヲ攻撃シタル後南京東南角ニ進出セントス
三.第一大隊(第二、第三中隊欠第五中隊、連隊機関銃一小隊、平射砲
     小隊、砲兵小隊ヲ配属ス)ハ第一線115iノ右二進出シ展開スベシ
  四.第二大隊ノ歩兵一小隊及機関銃一小隊ハ右側援護隊第一線大隊ノ右
     側後ヲ前進シ攻撃前進間右側ノ警戒掩護ニ任ズベシ
五.爾余ノ予備隊第一線中央後ヲ左ノ順序ニ依リ疎開前進スベシ
予備隊第一線     第二大隊(第五中隊欠
   第二線    右連隊機関銃(一小隊欠)
左第三大隊(9、11、12欠)
第三線    歩兵砲隊(平射小隊欠)
各線ノ距離二百米トス
六.野砲兵第八中隊ハ終始第一線大隊ト連絡シ同大隊ノ攻撃ニ協力スベ
     シ現在ノ位置ニ於イテ攻撃ノ進捗ニ伴ヒ敵陣地ノ銃眼ノ制圧爾後南
     京城壁ノ破壞射撃ニ任ズベシ
七.通信班ハ前任務ヲ続行スベシ
八.余ハ暫ク現在地ニ在リ爾後第一線ノ中央後ヲ前進ス
連隊長   山本中佐
下達法
命令受領者ヲ集メ口達筆記セシム
午前八時三十分第一線大隊ノ前進準備完了スルヤ連隊長ハ全員ヲ整列セシメ
旗手ニ命ジテ軍旗ノ覆ヲ脱シ部隊中央前ニ誘導セシメ左記要旨ノ訓示ヲ與フ

訓示
  愈々軍旗ヲ奉ジ敵国首都南京城ヲ攻撃スルニ先ンジ恭シク軍旗ヲ奉迎     ス時コソ至レリ各自一死奉公ノ誠ヲ盡セ決シテ人後ニ落ツル勿レ
    次ニ東方宮城ヲ遙拝シ聖寿万歳皇国万歳ヲ祈念ス将兵ノ士気頓ニ揚ガ
    リ戦前既ニ敵ヲ呑ムノ概アリ 終ルヤ直チニ「第一線前進」ヲ命令シ予
    備隊之ニ続行シ目標ニ向ヒ急進ス此頃19iハ東方ニ転進ノ為部隊ヲ集メ
    結中ナリ
午前九時三十分頃第一線大隊ハ曽家門高地上ヲ占領シ歩兵第百十五連
    隊ノ右翼ニ展開ヲ終ル同地砲兵観測所ニ於テ連隊長ハ野砲兵連隊長ト
    城壁ヲ指呼シ細部ノ協定ヲ遂ゲ配属砲兵中隊ニ対スル要求ヲ為ス此頃
    雨花台方向ヨリ数十発ノ敵迫撃砲弾及野砲弾道路ノ両側付近ニ落下シ
    轟然タル爆音ヲ挙ゲ炸裂スルモ我ニ被害ナシ
    濫隊長ハ直チニ第二大隊(二ケ中隊欠)ヲ右第一線ニ増加シ連隊機関
    銃隊(一小隊欠)ヲ両大隊中間ニ陣地進入セシメ両大隊ニ協力ヲ命ズ
第一線両大隊ハ攻撃前進ヲ開始シ陸家東北方台地本道付近ノ堆土及集
    圍家屋ヨリ敵自動火器ノ射撃ヲ受クルモ逐次之ヲ撃退シツツ午前十一
    次第一線ハ南京東南方約三百米ノ陸軍高射砲兵団ニ達シ戦線表示ノ為
    メ十一時十分高サ三十米ノ桿頭ニ国旗ヲ揚グ予備隊モ亦相次ギ此ノ付
    近ニ到達セルモ敵ハ周家凹付近ノ高地及城壁方向ヨリ自動火器、野砲
    及迫撃砲ヲ以テ猛烈ナル射撃ヲナシ我又之ガ制圧ニ努メタルモ数名ノ
    死傷者ヲ生ズルニ至レリ正午頃旅団予備隊足リシ第九中隊ハ連隊ニ復
    帰ヲ命令セラレ到着セルヲ以テ予備隊ニ加フ最後ノ目標タル南京城ヲ
    眼前ニ睨ミ将兵ノ士気ガ上ニモ昂揚セル時連隊長ハ左ノ命令ヲ下ス

残虐行為が発生しなかった背景(3)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/30 15:56 投稿番号: [40973 / 41162]
日本軍兵士の証言を引用するお馬鹿が居る。

此の日本兵の証言は他の兵士の証言と全く正反対である。

又当時の戦闘詳報に記載されている命令が全然引用されていない。

方面軍命令や、訓令はどの兵士にとっても絶対で在るはずであるにも不拘で在る。

又当時の南京付近では山田支隊の戦闘を三八連隊の砲兵が応援したり、山田支隊が、海軍の支援を受けたりしたにも拘わらず、証言が一致しないどころか正反対である事。

サヨが引用する証言より他の証言の方が当時の命令や戦闘詳報に即しており、当時の実情を反映している。

又当時新規に開発された戦闘方法として、払暁攻撃、夜間攻撃、天明攻撃、夜間攻撃があり、兵隊は寝る間も無く戦闘をしており、予備隊となった時の休養以外には時間も無かった、事実が証言者からは語られていない。

命令も夕刻、夜、深夜、夜明け前、夜明け、夜明け直後、朝、午前中、昼、午後というように軍が移動する度に命令が出ており、捕虜に危害を加える暇などなかった。

残虐行為が発生しなかった背景(2)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/30 15:16 投稿番号: [40972 / 41162]
軍需品として食糧は第一次から第二十一次迄の間五二〇〇噸配給されました。

弾薬は総計四四〇〇噸が補給されました。

これは昭和12年11月5日付江上輸送量概算票からの抜粋です。

食糧や弾薬が不足したという事実は、現地では有りませんでした。

戦闘中連日連夜、夜討ち朝駆けで、食事のとれなかった事実は有るようですね。

以下の通り

歩兵第百五十連隊命令     十二月十一日午後七時三十分
於   毛家営

一.敵ハ揚子江ヲ渡リ退却ノ徴アリ
   115iハ其ノ第一線ヲ以テ紅土山北側付近ニ進出シアリ

二.連隊ハ19iト115iノ間隔ニ重点ヲ指向シ速ニ当面ノ敵ノ右
   側背ヲ攻撃シテ南京ニ向フ追撃ヲ準備スル為ノ本道方面
   ニ転進セントス

三.第一線両大隊転身ノ準備完了セバ燕子根附近ニ速ニ兵力
   ヲ集結シ本道方面ニ転進スベシ

四.予備隊ハ一部ヲ以テ第一線ノ患者ヲ燕子根寺院ニ護送ス
   ベシ

五.転進ノ為行軍序列左ノ如シ
第一大隊ノ一小隊、歩兵砲、連隊本部、通信班、第一大
   隊主力、第二大隊、第三大隊ノ一部、機関銃一小隊(配
   属部隊旧ノ如シ)

六.各大隊ハ転進ノ準備完了次第報告スベシ

七.余ハ暫ク現在地ニアリ後本隊ノ先頭ニアリテ行進ス

           連隊長   山本中佐

     下達法
     命令受領者ヲ集メ口達筆記セシム
     注意
     企図ノ秘匿ニ特ニ注意スベシ午後九時頃ヨリ急造担架ニヨリ第一線
     両大隊ノ戦死傷者収容ヲ始ム約一時間ヲ要シ之ヲ終リ部隊亦逐次所
     命ノ場所タル燕子根ノ寺院付近ニ集結シ午後十一時頃概ネ之ヲ完了
     ス而シテ第一線部隊ハ昨日来敵ト近ク相対シ或ハ三回或ハ四回ノ食
     事ヲ欠ク者アリ次デ追撃準備の為小行李弾薬及新ニ受領ノ弾薬竝
     携行口糧ヲ分配セシム一方患者ノ処置ハ隊附キ軍医ヲシテ合同ノ隊
     繃帯所ニ初療ニ任ゼシメ衛生隊ノ派遣ヲ請求セルモ本夜中ノ派遣ハ
     覚束ナシトノ回答ニヨイリ戦死者ノ処置ヲ兼ネ小銃三分隊ヲ残置ス
     ルニ決ス同時森下中尉ヲシテ野重第二大隊長ニ連絡セシメ連隊長ノ
     爾後ノ企図ヲ通報シ協力ニ関シ協定セシム
十二月十二日
午前四時連隊ハ予定ノ如ク転進ヲ始ム星明ニ淡ク光ル細道ヲ粛々トシテ本道
ヲ越エ西北進ス午前六時三十分連隊ハ曽家門西南側凹地ニ兵力ノ終結ヲ了リ
朝食ヲ喫シ兵器ノ手入レ整備ニ着手シ午前七時四十分主準備ヲ完了セリ

残虐行が為発生しなかった背景(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/30 15:00 投稿番号: [40971 / 41162]
昭和12年10月9日

第十三師団司令部

捕虜の利用取扱等に関しては昨八日師団情報収集要領に於いて指示せしも多数の捕虜ありたるときは之を射殺することなく武装解除の上一地に集結監視し師団司令部に報告するを要す又俘虜中将校はこれを射殺することなく武装解除の上師団司令部に護送するを要す之等は軍に於いて情報収集のみならず宣伝に利用するものに就き此の点部下各隊に徹底せしむるを要す

残虐行為多発の背景(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/30 14:50 投稿番号: [40970 / 41162]
歩兵第六十六聯隊第一大隊の   戦闘詳報には、さらに次のように
記録されている。
      ↓
   九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ
    監視兵ヲ附ス
    午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル
    結果、各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、
    第一中隊ハ路営地南方谷地   第三中隊ハ路営地西南方凹地
    第四中隊ハ露営地東南谷地ニ於テ   刺殺セシムルコトトセリ
    但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ
    察知サレザル如ク注意ス
    各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分
    刺殺ヲ終リ聯隊ニ報告ス
    第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ
    失敗セリ捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、
    銃剣ノ前ニ乗リ出シ   従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ
    泣キ喚キ救助ヲ嘆願セルモノアリ特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ
    其ノ声起レリ

武装を解除し、投降した捕虜全員を、ただちに   殺害することは、
国際法違反である以前に、人道に反する残虐行為に   ほかならない。
ひとつの部隊だけでも、上記のような   数日にもわたる   組織的な
大量殺害が   実行されたのだから、日本軍全体での   捕虜殺害は、
いったい   どれほどの規模だったのだろうか――   想像を絶する。

虐殺の背景として、まず   第1には、中国人への蔑視とともに、
国際世論を恐れて戦争の実態を「事変」   と得矮小化するために
戦時国際法を無視したことによる   人権感覚の喪失が挙げられる。
第2に、もともと補給を極端に軽視する   日本軍の欠陥体質があり、
予期せぬ大量の捕虜を収容し、処遇に窮する事態を招いたことだ。

そして、第3には、軍紀風紀の頽廃による規律喪失が無視できない。
急速な軍隊の拡大による   兵士の素質の低下、とくに後備兵の増加が
軍紀風紀の頽廃の原因となり、その結果が、兵士個人の犯罪である
掠奪、強姦などを   多出させた   と考えられる。
旧軍の軍紀風紀関係資料については、既に別の投稿で引用したが、
「掠奪、強盗、強姦等極メテ悪質」犯罪の多発が記録されている。

日本の国土が   他国から   武力攻撃を受けているとか、侵略により
国家の独立が危機にたっている惨状を   目の当たりにして   自らの
愛国精神によって起ち上がった、等という状況では   まったくなく、
「事変」と称した他国への侵攻戦において、日本軍兵士の   多くは、
予期もせず   突然の令状で召集された   予後備兵か   補充兵だった。

もともと祖国防衛や民族解放などの崇高な理想に起った戦ではなく、
目的が不明確なうえに、各戦場では、予想を超えた   中国人たちの
はげしい抵抗に直面して、多くの戦友を失い、死の恐怖に苛まれた
日本兵士たちには、中国人民への憎悪と侮蔑感情だけが   かぎりなく
増幅し、理性と規律を   喪失していった。  
これは、数多くの史料や   証言によって   記録されている事実だ。

残虐行為多発の背景(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/30 14:50 投稿番号: [40969 / 41162]
対中戦争を   「事変の鎮圧」   で済ませようとした   日本軍には
長期戦に必要な   補給路確保、給養の備えは   不十分だった。
その日本軍に、大量の捕虜を収容し続ける手段は   なかった。
上海派遣軍右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
仙鶴門鎮付近で   大部隊を捕虜にした際の状況を   証言している。
     ↓
    捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、
   「直ちに銃殺せよ」   と言ってきたので   拒否しましたら
   「では中山門まで連れて来い」   と命令されました。
   「それも不可能」   と断わったら、やっと
   「歩兵四コ中隊を増援するから連れて来い」ということになり、
   私も中山門近くまで同行しました。(中略)  
   「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、命令を下したのか。
   当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより  
   今日に至るまで、私の脳裡から   離れません。  
   (畝本正巳「証言による『南京戦史』」)

師団副官が捕虜殺害を指示したという   歩兵第三十八聯隊副官の
次の証言もある。
      ↓
    聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
   彼我入り乱れて    混戦していた頃、師団副官の声で、
   師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」
   と電話で伝えられた。(中略)
    部隊としては実に驚き、困却しましたが   命令やむを得ず、
   拡大隊に下達しましたが、拡大隊からは、その後何ひとつ
   報告は   ありませんでした。

師団が捕虜の処置を決めて指示した   という史料も   残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名「戦闘に関する教示」で
中国人捕虜の扱いについての方針を   次のように   示していた。
     ↓
   (前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、
    師団司令部ニ護送スルヲ要ス   (中略)
    但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スル
    モノトス
   (防衛研究所所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)

護送せずに、「適宜処置スル」とは、つまり   処刑を意味している。
武装解除した後の捕虜を、裁判もなしに   その場で処刑することは
当時の国際法上でも、明白な違反であったことは、言うまでもない。
しかし、「事変」と称した大量殺戮の場では   国際法は   適用されず、
道義的規範は   完全に   無視されたのだ。

第十軍   第百十四師団   歩兵第六十六聯隊第一大隊の   戦闘詳報が
残されており、12月10日から13日の間に捕虜1,657人を
捕らえたこと、そして、この捕虜を   旅団命令で14日に   すべて
殺した事実が、具体的に   記述されている。   その記録によると、
捕虜を、上部命令で   組織的に虐殺したことが明らかにされている。
以下に   13日の記事の一部を抜粋してみよう。
     ↓
   八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
   イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ  
     其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
   ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
   ハ.聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
     貴大隊ノ任務ハ前通リ

残虐行為多発の背景(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/30 14:49 投稿番号: [40968 / 41162]
以下は、中国戦線に従軍した   元日本軍兵士の証言だ。

   徴発、掠奪をガタクルと言った・・・  
   掠奪はいかん、物品は必ず   金円を支払って調達せよと
   空命令を出しても身も心も荒みきった兵隊に通じる筈も
   なかった。漢口を発つ時、どの部隊も糧秣等は現地調弁
   せよと命令され、調達物資は必ず相当金額を支払うこと、
   金円がない場合は後払い証を発行せよ   と言われた。

   こんな馬鹿げた命令をする奴は、第一線の状態が  
   どんな様相を呈しているのか承知していて、
   腹の中では   腕ずくでも、相手を殺してでも徴発すべしと
   言っているのだ。  
   (「湘南戦記」「十五年戦争史②日中戦争」青木書店より)

補給確保を軽視し、現地での徴発(という名目の略奪)に頼り、
それでもなお   自軍の食料確保にさえ窮していた   日本軍に、
大量の捕虜を収容し、その給養を確保する手段は   なかった。
方面軍司令は、捕虜殺害について、次のように   述べている。

   捕虜も相当出来たけれども   捕虜に食はせる物もない。
   (中略)   それでちよん斬つてしまうといふことになった。
   それで大したことではないのだが   南京の東南方の鎮江との
   間の所で   一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは
   無論追撃中だから戦闘中と見てもよろしい、(中略)
   始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射つてしまつたのだ。
   その死骸が川に流れた。   それから問題になつたのだ。
   (吉田裕『南京事件と国際法』より)

食料不足から捕虜の処遇に困った、それで「戦闘中」と見なして
捕虜を殺害した   という証言だ。   どうやら   日本軍の司令官は
中国軍捕虜を処分することを   犯罪とは考えていなかったようだ。
このほかにも、軍や師団が   捕虜の「処分」を命令または指示し、
組織的な殺害がおこなわれていたという史料が多数存在している。

派遣軍司令部の情報主任参謀で方面軍参謀を兼ねていた中佐が、
捕虜をどうするかという師団からの問い合わせに対して、
くりかえし「ヤツチマエ」と命令していた   という証言がある。
これは、当時少佐で方面軍司令の専属副官であった人物の証言だ。

おそらく、南京虐殺「まぼろし説」を振りかざす否定派などは、
こうした数々の証言を   すべて   捏造だ、ウソだ、などと決めつけ、
必死になって   否定しようとするだろう。
しかし、引用した陸軍次官通牒や戦闘詳報など   日本軍の記録には
これらの証言を裏付けるように、日本軍の   中国軍兵士への認識や
対処方針などが示されており、資料的価値は   非常に高いものだ。

残虐行為多発の背景(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/30 14:48 投稿番号: [40967 / 41162]
第2に、日本軍の   補給軽視という、戦略上の欠点が挙げられる。
この欠陥は、太平洋戦争でも   兵士の大量餓死発生の要因となる。
補給軽視のうえに、対中戦争を「事変」鎮圧で済ませようとした
日本軍には   長期的戦略はなく、給養の備えは   不十分だった。
物資補給は、もっぱら   「現地調達」   に頼るほかなく、必然的に
「徴発」   名目による   現地人民からの略奪、強盗頻発を招いた。

陸戦法規には、徴発する場合は   その場で   現金を支払うか、
もしくは   領収証を発行し、「なるべく速やかに」   支払いを
履行しなければならない、と   定められていた。
しかし   南京へ進撃していた日本軍は、兵士らが   勝手に略奪を
続けることを   放置していたに   等しかった。
以下に引用する   兵士の証言は、その実情の一端を   表している。
   ↓
  「米もカンパンも持ってなくての。特務隊が半煮えのご飯で作った
  おにぎりなんかを、たまに届けてくれたの。だけども食料が来ない
  ので、食べ物は   ほとんど徴発ですましてました。米とか味噌とか、
  鶏、豚なんかを   徴発していました。」
  「夜、中国人の家ん中に入って、鍋を探す者、米探す者、菜っ葉
  探す者とそれぞれ役目を決めて、探して来た物を   分隊で分けて
  食べるのさ。」
  「二ヶ月くらい徴発で食いつないだかの。   菜っ葉なんか食べて
  食いつなぎました。ずっと   物を盗って   すごしたな。」
  (以上、「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて・元兵士102人の
  証言」社会評論社より引用)

兵士の証言だけでは足りない、と思われるかもしれないので、
南京安全区国際委員会委員長が残した記録も併せて引用しよう。
   ↓
  「12月13日・・・   日本軍は10人から20人のグループで行進し、
  略奪を続けた。   それは実際に   この目で見なかったら、とうてい
  信じられないような光景だった。   彼らは窓と店のドアをぶち破り
  手当たり次第盗んだ。   食料が不足していたからだろう。」
  「ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。
  また、福昌飯店もこじ開けられた。中山賂と太平賂の店もほとんど
  全部。なかには、獲物を安全に持ち出すため、箱に入れて
  引きずったり、力車を押収したりする者もいた」
  (ジョン・ラーベ著「南京の真実」より引用)

防衛研究所に収蔵されている   軍関係の資料を   調査すれば、
上記は、膨大な記録の   一部にすぎないことが   理解できる。
多数の記録が示すように、日本軍は   「徴発」   という名目の
略奪に頼って、なんとか食いつないでいたのが   実情だった。
菓子や酒など嗜好品も   「徴発」   していたという記録もある。

このように、略奪に頼るほど、日本軍は   補給に窮していた。
補給途絶は、自軍兵士の給養欠乏という   深刻な事態とともに、
予想を超える多数の中国人捕虜の収容を   困難にしてしまった。

日本軍の包囲戦により、南京城内と周辺地域には   少なくとも
10万人程度の中国兵が   逃げ遅れ、投降した   と推定される。
これに対し、日本軍側には   捕虜収容の用意が   なかった。
給養に窮乏し   困り果てた日本軍にとって   残された手段は、
中国人俘虜を   大量に   「処分」   することだけだった。

残虐行為多発の背景(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/30 14:47 投稿番号: [40966 / 41162]
日本軍が起こした   侵略戦争を、正義の戦争   として美化し、
軍国主義を   免罪しようとする者にとっては、日本の軍隊が
中国大陸や   東南アジアの各地で行った   残虐行為の事実は、
じつに   都合の悪いものだろう。
したがって、彼らが、数多くの   記録史料や当事者の証言等
残虐行為の実態を示す   膨大な証拠資料を   ことごとく
「ウソ」だ、「捏造」だ   などと   必死になって否定し、
アカだ、反日だ、馬鹿だ、低脳だ   などと   下劣な雑言で
口汚く罵り、思想差別攻撃を吐き散らすのは、当然なのだ。

しかし、人が殺し合い   破壊し合う戦争を起せば、皇軍に限らず
戦場や占領地において   残虐行為が発生することは当然なのだ。
過去の事実から目をそらさず、原因と経緯を究明すること自体が、
日本の歴史を汚すとか、恥をさらす   ということではないし、
実際、そのような目的で   論じているのではない。

南京事件や慰安婦問題などの   歴史の真実に向き合うことを恐れ、
記録や証言などの資料すべてを「ウソ」、「デタラメ」   と否定し、
大本営発表だけを   拠所にして、戦争を美化することが、
真に国を愛する者の言動とは   言えない。

問題にすべきは、なぜ   規律に厳しかったはずの日本軍でさえも
残虐行為を   組織的に、かつ   広範囲にわたって   発生させ、
それを防げなかったか、ということであり、いま行うべきことは
客観的資料に基づく   徹底した検証作業なのだ   と思う。
この視点から、日中戦争の実相を   あらためて   論じてみたい。

日中戦争が   全面化し始めたとき、日本軍部は、これを   「事変」
であるから、「戦時国際法は適用しなくてもよい」   としていた。
支那駐屯軍が   華北で総攻撃を開始した   直後の   1937年、
8月5日付陸支密第198号   支那駐屯軍参謀長宛   陸軍次官通牒
「交戦法規ノ適用ニ関スル件」   には、次のように示されている。

   一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
    「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
    具体的事項ヲ   悉ク適用シテ行動スルコトハ   適当ナラズ

戦線が   華北のみならず中国全土に拡大し、各方面で   日中両軍が
総力戦に突入して全面戦争となったにもかかわらず、日本軍部は
国際社会の非難と制裁を恐れ、戦争とは呼ばず「事変」と称した。
「戦争」でないのだから、当然、戦時法は適用しないことになる。

さらに、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ
言動、例ヘバ   戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」   などについては
「つとめて避けよ」   と指示している。   国際社会の批判を恐れ、
先に戦争を仕掛けたのが   日本軍だと悟られないよう、戦利品や
俘虜という   戦時用語は使用するなと   自軍の兵士に   命じたのだ。

こうした軍中央部の方針は、ただちに   現地軍に伝えられた。
投降した   中国人捕虜に対して、国際法に基づいた処遇は不要。
したがって、収監したり護送したりする手間は   要らなかった。
前線から国際法に基づく人道的扱いが消えたのは   当然だった。
虐殺の背景として、まず   第1には、このような   中国人蔑視と
国際法を無視による   人権感覚の喪失があった   と言える。

◆化石脳tyankonabejpには理解不能

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 22:01 投稿番号: [40965 / 41162]
「南京大虐殺」も「従軍慰安婦強制連行」も反日が国是である中共や朝鮮、そして、これらの国に媚び諂うイカレタ反日サヨクの捏造であり、嘘・出鱈目であるということは世界周知の事実であるが、

いまだに、日本と日本人を何としてでも悪者にしたいwadatumi_voice21のような脳腐れの反日工作員共が必死に嘘と捏造の投稿を繰り返しているので

おさらいの意味も含めて

  「なぜ南京大虐殺は捏造されたのか」を振り返ってみましょう。



   http://www.youtube.com/watch?v=iPhyKUmxwm0


   http://www.youtube.com/watch?v=iPhyKUmxwm0


  汚い反日の屑どもの妄言・狂言に賢明な真の日本人諸君はくれぐれも騙されないでほしい。

捕虜の取扱に就いて

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 10:33 投稿番号: [40962 / 41162]
昭和12年10月9日

第十三師団司令部

捕虜の利用取扱等に関しては昨八日師団情報収集要領に於いて指示せしも多数の捕虜ありたるときは之を射殺することなく武装解除の上一地に集結監視し師団司令部に報告するを要す又俘虜中将校はこれを射殺することなく武装解除の上師団司令部に護送するを要す之等は軍に於いて情報収集のみならず宣伝に利用するものに就き此の点部下各隊に徹底せしむるを要す

Re: 南京への道(1) 

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 09:43 投稿番号: [40961 / 41162]
中支那派遣軍司令部及中支那派遣軍兵站監部臨時編成要領、同細則ノ件 昭和13年2月3日 昭和13年8月1日 中支那派遣軍 上奏案 中支那派遣軍司令部及中支那派遣軍兵站監部臨時編成要領制定方施行ノ件 中支那派遣軍司令部及中支那派遣軍兵站監部臨時編成要領制定ノ件 允裁相成候ニ付テハ別紙軍令案ノ通之カ施行ヲ命セラレ度謹テ奏ス 朕中支那派遣軍司令部及中支那派遣軍兵站監部臨時編成要領ヲ製定シ之カ施行ヲ命ス 御名御璽 陸軍大臣 陸支機密受第一〇号 軍令陸甲 (別紙ノ通) 軍人陸甲第五号 3月9日 中支那派遣軍司令部及中支那派遣軍兵站監部臨時編成要領細則規定ノ件

↑中支派遣軍は、昭和12年には無かった。
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