南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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残虐行為多発の背景(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/30 14:50 投稿番号: [40969 / 41162]
対中戦争を   「事変の鎮圧」   で済ませようとした   日本軍には
長期戦に必要な   補給路確保、給養の備えは   不十分だった。
その日本軍に、大量の捕虜を収容し続ける手段は   なかった。
上海派遣軍右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
仙鶴門鎮付近で   大部隊を捕虜にした際の状況を   証言している。
     ↓
    捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、
   「直ちに銃殺せよ」   と言ってきたので   拒否しましたら
   「では中山門まで連れて来い」   と命令されました。
   「それも不可能」   と断わったら、やっと
   「歩兵四コ中隊を増援するから連れて来い」ということになり、
   私も中山門近くまで同行しました。(中略)  
   「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、命令を下したのか。
   当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより  
   今日に至るまで、私の脳裡から   離れません。  
   (畝本正巳「証言による『南京戦史』」)

師団副官が捕虜殺害を指示したという   歩兵第三十八聯隊副官の
次の証言もある。
      ↓
    聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
   彼我入り乱れて    混戦していた頃、師団副官の声で、
   師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」
   と電話で伝えられた。(中略)
    部隊としては実に驚き、困却しましたが   命令やむを得ず、
   拡大隊に下達しましたが、拡大隊からは、その後何ひとつ
   報告は   ありませんでした。

師団が捕虜の処置を決めて指示した   という史料も   残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名「戦闘に関する教示」で
中国人捕虜の扱いについての方針を   次のように   示していた。
     ↓
   (前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、
    師団司令部ニ護送スルヲ要ス   (中略)
    但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スル
    モノトス
   (防衛研究所所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)

護送せずに、「適宜処置スル」とは、つまり   処刑を意味している。
武装解除した後の捕虜を、裁判もなしに   その場で処刑することは
当時の国際法上でも、明白な違反であったことは、言うまでもない。
しかし、「事変」と称した大量殺戮の場では   国際法は   適用されず、
道義的規範は   完全に   無視されたのだ。

第十軍   第百十四師団   歩兵第六十六聯隊第一大隊の   戦闘詳報が
残されており、12月10日から13日の間に捕虜1,657人を
捕らえたこと、そして、この捕虜を   旅団命令で14日に   すべて
殺した事実が、具体的に   記述されている。   その記録によると、
捕虜を、上部命令で   組織的に虐殺したことが明らかにされている。
以下に   13日の記事の一部を抜粋してみよう。
     ↓
   八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
   イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ  
     其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
   ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
   ハ.聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
     貴大隊ノ任務ハ前通リ
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