大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/01 15:31 投稿番号: [40991 / 41162]
1946年6月5日のミッドウェイの敗北によって、日本海軍は
主力空母4隻を失い、太平洋戦線における
制海権を失った。
それなのに、8月7日に
米軍がガダルカナルに上陸すると、
その時の前線基地ラバウルから、600カイリも前方にある
この島に、大本営は
次々と
兵力を送り込んでいったのだ。
米軍の上陸に
慌てふためいた大本営は、その奪回を決意し、
第十七軍を
その作戦に
当てることにしたが、とりあえず
急行させる
兵力としては、ミッドウェイ作戦用の
部隊で、
その中止後
グアムに待機していた一木支隊を送ることにした。
ところが
一木支隊を
急遽派遣するために、輸送船によらず
一木清直大佐以下1000名の先遣隊を駆逐艦6隻に分乗させ
急行させたのだ。
もともと
軽装備だった一木支隊先遣隊は、
駆逐艦輸送のため
重火器は持てず、食糧7日分だけを携行し、
戦車や重砲を持つ米軍から
飛行場を奪う任務を
負わされた。
一木大佐は、白兵突撃で
飛行場を奪回するつもりで、
8月1日夜
ガダルカナル島タイボ岬に上陸し、8月20日、
米軍陣地に突入したが、圧倒的な米軍の砲火によって全滅した。
一木支隊先遣隊の攻撃失敗後、第二梯団や海軍陸戦隊の輸送は、
制空権を握った
米軍機の妨害で
ことごとく
失敗した。
だが、大本営は
あくまでもガダルカナル奪回の意向を変えず、
パラオの川口支隊に続いて、ジャワから第二師団を第十七軍に
増加した。それらは
船団輸送ができず、「鼠輸送」とよばれる
夜陰に乗じての
駆逐艦による輸送に
頼らざるを得なかった。
辛うじてガ島にたどり付いた川口支隊は、9月11日と13日、
飛行場に
総攻撃を行なったが、強力な米軍の
砲爆撃を受け
携行食糧も尽きたため
失敗した。
10月24日、25日に第二師団主力による攻撃を行なったが、
これも
第一次攻撃と同じように
失敗した。
それでも
大本営は、奪回の方針を
変更しなかった。
11月中旬には
さらに第三十八師団主力をガ島に送った。
こうした兵力輸送のたびに、輸送に当たった駆逐艦も、
これを援護する
海軍の航空兵力も艦艇も
大損害を受け、
とどまることのない
消耗戦の様相を
深めていった。
ガ島における
陸上部隊の状況は、悲惨の一言だった。
増援兵力を送るのさえ困難をきわめたのだから、補給物資を
送る余裕はなく、駆逐艦が
米などを
ドラム缶やゴム袋に
入れて、海岸の近くに投棄したりして、辛うじて
わずかな
補給をしているだけ
というありさまになっていたのだ。
これは メッセージ 40990 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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