南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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米国はいいとして、、、

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/18 19:14 投稿番号: [2604 / 41162]
貴方は中国のブーイングをしたサポーターと同じレベルじゃないでしょうかね?

日本人のレベルを下げちゃいけませんよ


喧嘩になるのは”能力が同程度”であるが故に喧嘩になるのですよ。

アメリカは大人であると言うことを証明したに過ぎないのです。

分かりやすく言うと、、、

3歳の子供が20歳の大人に”お前は嫌いだ、あっち行け、、”と言われても、立腹などしないでしょう。
それと同じということです。

これを中国のことわざで、「天に唾をする、、、」と言います、、日本のことわざか?    あはははは!

だまって聞け

投稿者: brinkmanship111 投稿日時: 2004/08/18 03:56 投稿番号: [2601 / 41162]
おまえ、うざいんだよ
いろんなとこに張りまくるこのくそこぴぺちゅうが

脳ねえのか?

おれのわけてやろうか?あへへ

>日本が国益を無視して

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/17 00:59 投稿番号: [2599 / 41162]
私は、日本が国益を無視してアジアのために戦った
などとは思っていません。当然日本の国益は考えていたでしょう。

公害がひどい地域の住民の一人が、その地域から
公害をなくすために立ち上がることと似ていると思います。
不当な害を受けているその地域の住民の利害と
立ち上がった住民の利害は密接不可分です。

当時の日本とアジア諸国も似たような関係だった
のではないでしょうか。

>(大東亜戦争の海外の評価)

投稿者: etranger20012001 投稿日時: 2004/08/17 00:24 投稿番号: [2598 / 41162]
個人的には、先の戦争については、日本の国益を守る(得る)為の戦争と思っています。そして、その結果が今日に状況を作り出した。

私の親たちは戦争に負けて良かったといいっています。しかし、今日の日本が北朝鮮みたいな国になっていれば、あの戦争に勝っていればといっていることでしょう。(^^

戦争とは国家間の紛争(問題)を武力で解決する手段です。それ以上のそれ以下のモノでもない。否定、肯定もないと私は思います。あるのは、戦争をした事実とそれによって起こった結果だけ。

私は、日本が戦争をしたことを謝罪するつもりはないが、日本がアジアを開放するために戦争したと言うつもりもない。

大昔の人々が今日に世界を作るために、戦争を繰り返して来たのではないでしょう。あくまでも歴史の偶然の産物としての結果が現在です。

私は、この国の歴史に誇りを持っています。20世紀の世界に日本がいい結果を与えた事は紛れもない事実です。

しかし、日本が国益を無視して本気でアジアの開放の為に戦争した時、今日の歴史はどのように変わっていたでしょうか?

いまとなれば、先祖の選択を正しいと評価するのみです。(^^

おすすめHP(大東亜戦争の海外の評価)

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/16 23:30 投稿番号: [2597 / 41162]
是非ご一読を

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

http://www.geocities.co.jp/Bookend/9304/daitoua.htm

先の大戦について肯定的に語ることがタブーのような空気に包まれている日本に於いては、日本人自身のそういった発言はすぐに色眼鏡で見られ、レッテル張りされてしまいます。そこで外国人の意見を集めてみました。

 

  H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

 

   アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

  英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

 

  ククリックド・プラモード   (タイ国元首相   )

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

 

   バ・モウ   (ビルマ元首相   独立宣言より)

  約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答   日下公人   PHP研究所)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その他多数あり

ヾ(@^▽^@)ノわはは

投稿者: y_iori_y 投稿日時: 2004/08/16 21:23 投稿番号: [2596 / 41162]
長々書いてくれたわりに、

全部、東京裁判の丸写しじゃんか、

戦争経験者が正に目撃して語った事です

うそこけ〜〜〜〜〜ぇ!!

続く6

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:44 投稿番号: [2595 / 41162]
その上でわたしは何十万人がと言うような表現をすることが出来ません、勿論わたしが聞いたときの戦争経験者も人数については具体性を持っては発言していなかったと思います。
この様な数字を当時混乱するその町に居た人間であっても正確なものとしては知りうる筈が無いのでしょう。
簡単にこう言った数字が公に出てくること自体おかしいですし中国人の方達もどちらかと言うとこう言う話は無防備でへたくそなのだと感じます。
きっとこう言う事には不慣れで焦ったのでしょうね。
海千山千で鉄面皮の日本人にしてみれば不用意にこの手のデーターを出してしまった時点で、逆手を取るのもひっくり返すのも大変に簡単なのでしょう。
そして捏造だと言う事になる。
しかし確定的な定量的表現にはデーターサンプリングそのものが今となっては薮の中であり信用性のある証拠も正式に提示不可能である以上、確かに通常簡単には数値の方は示せないのですが、前述の殺戮方法は戦争経験者が正に目撃して語った事です。
そしてそれを経験者本人の言葉として自ら聞いたわたしがこの事を“非常に大量の人達が日本兵によって虐殺されていた”と言う定性的表現で発言する時、それに対する反論があったとしても事実として存在しないとまで否定される様な事は無いと思っています。
またあの地引網のような方法が至る所での殺戮に使われていたとすれば死者は100人や200人であると考える方がおかしいと思って居ます。
実際に持って行った弾薬が何発であったのかは知りませんが武装兵が民間人に銃を向ければどうなるのかは自明の理、ホールドアップ状態では川へでも谷へでも飛び込ませる事などは簡単だったろうと容易に想像できます。

わたしがこのレスをするに付いて内容の出所は全て戦争経験者若しくはその御家族などのご本人に近い方から語られた事として書きました。
そしてインプットは直接及び以前からのメディアを通じての色々な方々の御発言によるものです。
いずれにしても殆どがこれまでの長い間に人の口から発言されてずっと記憶して居た事を一つ一つ書き出して自ら思う事なども添えてまとめたのです。
要するにここにレスしたそれぞれの事柄は一口に言って、殆ど元日本兵の口から出た物であると言う事です。

この様な話はすでにあちらこちらで様々に語られて居るのでしょうが、日本にあって国の内部から外への目線で無作為に観察し、同時に物事が未だ良く理解できない幼少の頃から少しずつ現在に至るまでの長きに渡ってこれらの事を見聞きし考えてきた日本人の話と言う点に置いて何等かの意味は有るのでは無いかと思うのです。
余計な事かも知れませんが、ひょっとして中国人の方には保存版の価値は有るのでは無いか・・・
ちなみに私自身はかつて幸か不幸かちょっとした軽い事故から念の為完璧な脳波測定を実施し神経科専門医ともじっくり問診して、至って健康であり正常であるとの診断を頂いた経験を持つ者ですので所謂キチガイでは有りません。
念の為。

これまでのその時々に一度聞いただけで良くこんな事をずっと忘れずに覚えていたものだと感心してしまいます。
もしかしたらこのわたしまで呪われているのかも知れませんね・・・冗談です。
そう言えばもう盆ですね。

このように長いレスには疲れました。
一万六百文字も書いてしまったのでもう当分書きたくありません、はっきり言って書き逃げします。

所でどなたか中国人の方
“う〜ら〜め〜し〜や〜”と言う意味の日本語は北京語ではどう言う言葉になるのか教えていただけませんか、もちろんローマ字付きで。
こんな声が何処かから聞えてきた時には理解できるようにして置きたいので。

それでは   さようなら〜。

捏造感想文

投稿者: hoax_cn 投稿日時: 2004/08/16 20:26 投稿番号: [2594 / 41162]
したそうですね。

決まっていたとの事。

有った様です。

だったそうです。



典型的な捏造文だなこりゃ。

続く5

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:11 投稿番号: [2593 / 41162]
この無念さは・・・昔ですが某テレビ局で再現ドラマなるものをやっていましたね。

或る日本兵の事。
夜、中国の農村の或る家に押し入る。いつも通りあらかた略奪の後、その家の14歳位の娘さんに目をやる。危険を感じた母親は娘を抱きしめ“私ならどうなっても良い、娘だけは助けてください”と懇願した。苛立った日本兵は次の瞬間に母親を惨殺。14歳の娘で、しこたま性欲を満たした後やはり口封じで殺害。彼は何故かその後もその娘の顔を良く記憶していた。
時は過ぎ、終戦を向え帰国。日本兵の家族は皆無事で彼を出迎えた。ともあれ自国での仕事にも就き別段これと言った問題も無く一通りの人生を始める事が出来た。と言うより国も復興を始め経済的にも彼のその後の人生は順調だった。自国では一転して良き一家の主人として一児を設けその子供もすくすくと育ってゆく・・・前途には何の問題も無かった。一つだけ言えば帰国した頃から少しずつ自覚し始めた彼の頭痛位のものだったが気には成らなかった。そして五年経ち、十年経ちする内に彼は何か引っ掛かるようなものを感じ始めていた。帰国後からこれまでの間には何不自由の無い毎日を謳歌し充足感を感じつつも、同時に彼は十年ほど経った時からすでにある事をはっきりと認識していた。彼の子供は何故か女の子一人だけ、十歳になったその子供はかの国でのあの夜の十四歳の娘に少しずつ似て来ているのだった。その事を分かりつつも彼はそれを口には出さずにずっと黙って毎日を暮らしていた。そしてその頃になると意識して子供の顔を正視出来なくなって来ていた。加えてずっと続いていた持病の頭痛も更にキリキリと痛みを増しての苛立つ毎日を送っていた。その後同じ家の中に居ても殆ど子供の顔を見る事もなく、その子供は十四歳の誕生日を迎えた。誕生日の祝いの席でついに彼は子供の顔をはっきりと見て思わず気絶しそうな自分をかろうじて抑えた。なんと似ているというよりはその子供はあの時のあの娘に顔も体も生き写しだったのだ。その後の彼は次第に意味不明の言葉を口走る様になり、頭痛も加わって精神に異常を来たして行った。最終的に彼はある晩子供の首を絞めて殺し、彼の女房もそのショックで衰弱してその後果てた。その彼も遠からず狂いながら死んで行き一家は全滅した。

昔テレビを見て記憶したものですから細部まで正確ではないかも知れませんが、ざっとこの様なストーリーでした。
わたしはこの様なものを初めて見て色々な意味でもショックでした。
又実話の再現との事でしたが、現実性と言う点では一般的に語られる話しでは無いにしてもテレビでこの再現ドラマを作った位でしたから割と皆さんは黙って居るけれど実は一連の出来事を知って居たのですね。
所で、最近の日本は子供達の世界からして全体的に何処かこの様な感じが致しませんでしょうか?
状況からしてもそっくりな死に方をされている方々も居られるのでは無いですか・・・冗談です。
そう言えばもう盆ですね。

一方ここに転んだ以上商売だからと諦め、割り切った慰安婦の方達に支払われたものもやはり前述の軍票と言う事でした。
これ程人を苦しめこれ程戦費を節約して自らの快楽を効率的に追求するシステムは他のどの歴史にも無いのでしょうね。
やはり日本人は自ら言う通り頭が良いのでしょう。
こう言う事も人間の誇りを捨てれば出来るのでしょうか。

最後に申し上げますが、これらの内容は本や資料からの引用はしておりません。
何故ならば他の機会などでも時々ご紹介いただく本や資料の内容も必ず双方に御立場がある為に捏造、嘘などの言葉が互いに飛び交い始めた時点でその間から情報を捉えて読む側の立場としては其々の内容は判断付けがたい物に成ってしまうからです。
特に何かの数値をお示し頂いた所であちらこちらから違うものが出てきてしまう以上それ自体が推定や想像の範囲に留まり定量的かつ権威を伴なうデーターとしての確信も持てず、自らの考えの中で取扱うことが出来なくなります。
自然に考えて自明の理と成るものも中には有りますが、それ以外のものは考古学で言う所の“人類最古の骨”みたいなものとして考えています。
ご紹介されるものは一読し参考にさせて頂きますが自ら調べる術も無い者にとっては確信を持つ事も出来ず、かと言って自らの都合に従っていずれかを妄信してしまえという訳には行かない所にその理由があります。

続く4

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:10 投稿番号: [2592 / 41162]
軍でせっせと管理売春システムを組織して。
そして民間業者も含む3通り程の調達経路。
そして拉致するのは軍であるけれど、わざわざその間に民間の売春業者を入れてそこを経由してから徴用する。
そして三者ともごちゃ混ぜにして複雑化する。
用意周到なカムフラージュでした。
その上で問題化を隠蔽する為に、それぞれを遠く離れた別々の国へと連れてゆく。
自国で売春を希望していた女性であっても船に乗せられ出航した時点までは騙されていたと気が付いていない。
一部の女性達の中には気楽に商売しようと思う方も居たのでしょうが残念でした、そして地獄へ、死へ。

これら日本軍の方々は特性的に他国では凄い事を考えた訳ですが、自国へ戻ると旺盛な防御本能を示しており大々的に自警団などを作り自らの子や孫を“守るんだ”と言う事に異常な執着を見せていたそうです。
ほんとにひょうきん漫画みたいな有様なのですね。
終戦以降は外国の影響なのかレディファーストや親切、優しい、可愛いなどの言葉が流行して皆満足していたようです。
主観に過ぎませんがわたしの周りでは同時にこの言葉が他人への攻撃にも使われる特徴が見られたので少し気になっていました。
そうかと思うと昨今では逆にその防御本能には一転してほころびも見え始め、日本中で児童へのいたずら目的の拉致が流行するよごれた国へ。
そして頻発する家庭や男女間の卑しいトラブルから殺し合いへ。
或いは国内での9年にも渡る異常とも思える長期間の拉致監禁事件も警察は放置し涼しい顔、ついには検挙率も低下した分警察自身が日常茶飯事の性犯罪を犯す様にも成ってしまった。
一体どう言う事なのか、現在では志願して海外へ出かけて行って自らの本能を撒き散らす様な結構なシステムが無くなってしまった為に国内で用を足す事に成ってしまったと言う事なのでしょうか。

結局マクロ的には実はそれぞれの事の重大性には関係なく、その時々の行き当たりばったりの判断や快楽主義で行動するのが大方の日本人と言う事なのか。

それにしても気の毒なのは、59年してからもなお“就職斡旋”でしたなどと言われてしまい逆に被害者の方々の責任にされてしまうとは・・・原理原則の無い稚拙な国家。・・・一般人は大抵は皆積極的には理解しようとはしないだろうからここがミソなのでしょうし全体的に非常に巧妙に出来ています。この様にすれば後でどうにも言えるのでしょう。

特に拉致の方はお金を貰ってもうれしくなんかは無いでしょう。
のんびりとした田舎で20歳子育て中の女性、それまでは汚れも無く、それなりにも田舎でのそれぞれの幸せの未来を描く毎日が突然変わる。
自殺したり発狂して死んだ人はこのタイプに多いのでしょうね。
この中でも一番幸せだったのは多分早めに死を選択した方だったのだろうか?
いずれにしても残念無念でした。

続く3

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:09 投稿番号: [2591 / 41162]
最初の話に戻ります。
この現地調達は他の事でも活躍したそうですね。
調達係と言うのが有って、こちらは慰安婦の調達を専門にやっていたそうです。
方法は決められていて4〜5人のグループ編成で行う。
調達対象は14,5歳〜20歳位の女性と決まっていたとの事。
まるで漫画にでも出て来そうな滑稽さすらイメージさせられてしまうその方法とは。
手分けしてあちこちへ出かけていって、目的の町や村に近付いてトラックを止めてから拉致する女性を物色して、先ず3人で何気なく近付き後ろから羽交い絞めにして口を塞ぐ。
もしその女性が子育て中で子供を抱いている場合は4人目がそのまま子供を奪い取り5人目に渡してから4人で女性を肩に担いですばやく走り去る。
子供を受け取った5人目は子供を泣かせない様にあやしながら民家の軒先などに置いて、1人で走ってトラックに追いつく。
仮にも軍隊を名乗る者がこんな事を一生懸命にやって居たのですか。
その後は軍の運営する売春組織に運んで行って女性を渡す。
軍では非常に巧妙に組織した大掛かりなシステムを持っていて、アジアを中心とする様々な国々からこの様にして女性を“調達”しては様々な戦地へ運搬供給し慰安所と称する掘っ立て小屋の様な所に女性を置いていたとの事。
慰安所の中は通路に沿って牛小屋を少しきれいにしたような感じで其々簡単に仕切られていて軽い軟禁状態。
それでも逃げ出す様な心配は要らない、何故なら女性達は和服のようなものを一枚だけ与えられて居てそれを羽織って床にただ座って居るだけの生活をずっと続けている。
しかも“客”は連日押すな押すなの大盛況で殆ど24時間連日客を取らされ続ける様な状態も多かったそうです。
そして何度も妊娠する人も居て腹を蹴られて堕胎する、それだけで体力を失って死んでしまう人も居たそうです。
生き残る人も居ますが死ぬ人の場合の多くは2年位と聞きました、死んだら裏に穴を掘って埋めるだけなのでしょう。
日本軍は武器弾薬も十分持たずして一体何をしに彼の戦地へ赴いたのでしょうか。
肝心の戦闘はどの位戦ったのか。
志願兵の中には女性を自由に出来るから、と言う事を聞いて志願したと言う方の話を某テレビ局で放送していた事も有りましたから遊び目的で行った方も居られるのでしょう。
一つ言えるのは下半身のピストルや弾薬は十分であったと言う事でしょうね。
乱射しまくって居たのでしょう。
こうした事を日本人の女性達はどの様に考えるのか少し興味が沸いてしまいます。
ある時某東京の女子大の先生と称するオバサンがテレビにのこのこ出ていらっしゃって、しどろもどろでは有りましたが、明らかに“この位の事は驚く事は無い、やっても良いのだ”調の御発言にお言葉を弄して居られました。
それで最近になってコンクリ事件の様な変わった類の事が頻発するように成ったのでしょうかね。
良いのだと言われれば不和雷同の輩、皆すぐ真似を始めますからね。
個人的には愛さなければうれしくもないのではという気もするのですが・・・しかしそれにしてもすごい事を発案するものなのですね。
世界初でしょうか、滑稽ですが日本人は“発想力に乏しい”なんて嘘ですね。

それから軍隊のこうした下半身の問題は外国でも皆無ではなく昔からカフェインの強い飲み物を配給して性欲を抑えたり各国軍部はあれこれ試行錯誤や苦労をして居た様ですが、米国などで問題があったとしても一小隊の暴走に留まって居た様で少なくともコントロールは入って居たのでしょうね。
まさか国を挙げての軍隊に一斉に下半身攻撃をやられたらハトの豆鉄砲、びっくり仰天なんて言うものでは無いのでしょうね。
我々は少なくともあのイラク人やドイツ人とは完全な別人種なのでしょう。
彼らは見掛けと違って戦時下の女性達に対しては巻添えを除けば敵でも味方でも一応は大事にして居た様ですから。

慰安婦調達の方法は幾通りか有った様です。
一つは拉致。もう一つは売られてくる人。そして確かに自ら商売を目的とする方も若干は居たようです。
圧倒的に多いのは拉致でしょう。後者の二つが多数派である様には思えません。
言葉と言うものにはやはり裏やトリックは付き物なんですね。

続く2

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:08 投稿番号: [2590 / 41162]
我々は今や善人面などしても頭隠して尻隠さずと言う訳です。
両方欲しがると言うのはややこしい限りでしまいにはその頭も禿ると言うもの、この際虐殺が何人かと言った様な事の応酬には終始せず無視出来ない程の死ななくても良い人達が悲惨な犠牲者と成った事を事実として、それが悪党のする事であるのならば真面目に悪党面をした方がむしろ国家防衛もやり易いのだと思うのです。
通常は我が国家のする事ですからやたら反対はしませんが、自衛隊の派兵時に持ってゆく武器一つにしても妙にややこしく矛盾だらけで何をしに行くのかも防衛庁の話からはすっきりとは分からない。
こうした事も前述の事柄を引き摺る我々がずるずると問題解決を放棄して一向に正体を現さずに善人面を続けてきた結果が招くもの。
この事が長年放置された後に時期を逸してしまった今では、このままで過去の問題すら根本解決すると言う事は今後永久に無いと考えるべきでしょう。
たとえ悪党、外道の類であっても問題解決には臨まなければ成らないのでしょう。
周辺海域で発生している理解できない事柄も領海侵犯ならばすぐに撃ち殺せば良い筈なのにそれをしない。
それが元で戦争に発展しないかと言う心配ならばいまさら遅い事であるし、59年前から現在を経てこの先も永久に続くこの問題を更に放置すればいずれ九州をよこせ四国をよこせと言う事に成るので領土問題に関する事ならばそんな心配など無用でありどんどん撃ち殺した方が結果は良いのです。
すでに、一般的感覚よりも事はもっと先の方へ進んでしまって居るのでしょう。
不幸にして戦争になった時には十分な物資ときっちり数えた13億発の弾薬を持って進軍し、くれぐれも意地汚い事はしないように兵には虚勢手術を施して出かけるべきです。
国家の存亡をかける戦いなのですから我国ではその位はしなくてはならないのでしょう。
相手を殺す時も間違いなく必ず一人一発の銃弾によって確実に止めを刺す様にしなくては成りません。
その位注意をしないと戦争が終わってから後に成って、また“あの島をよこせこの島をよこせ”“そんな事知らん捏造だ”と言う泣き言が始まる訳でありややこしくてなりません。

全ての事柄が一緒くたになって本来の原理原則まで消滅しているとすればこの国はすでに亡国、我々は主権国家にありこれとそれとは違うのだと言う主張が出来なくなっていると言う事なのですから。
この際全て認める事は認める、しかし不法行為には即座に徹底して対処するという方向性を示す事が出来ないのか。
この先も安全保障にぶら下がった実体の無い架空の国家のようにして永久にやって行くつもりなのでしょうかね。
我々は長い間良い思いをして来た訳ですが、今後は今の常識では考えられない程に時代は更に変わって行くのだと思います。
すこし話がずれました。

続く1

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:06 投稿番号: [2589 / 41162]
弾薬の数と死人の数は侵略国の性質によっては一致しなくても良いのでは無いのでしょうか。
悪意や殺意さえあれば人間は転ばせただけでも簡単に死にますよ、無抵抗の者では特にね。
こんな話を聞いた事が有ります。
或る街の一定区画に長いロープを張って出来るだけ沢山の住居を取り囲む。
その範囲を地引網の様に狭めて行き更にバケツや太鼓などを叩いてロープが開放されている方向へと驚く住民を追い立てて行く。
ひしめき合う大量の人達が集められた場所の先は川の岸辺となっている。
恐怖に脅え切った人々には何度か発砲しただけでその多くは面白い様に自ら飛び込み川はまたたく間に人間で溢れる。
そしてその頭上から岸に近い者に対してだけ機銃掃射を浴びせる。
岸から離れた大半の人達は苦しみもがいて溺死して行く。
何故この様にするかと言えば、弾薬は節約する様に命令されていたから知恵を絞った方法だったのだそうです。
そしてその後の対処も、後に成ってから持って行った弾の数しか殺せないと言う事を言えば良いのです。
しかし軍事訓練されていない人達に銃を向けて殺すのはゲームの様に簡単だから苦労せずに出来る方法なのでしょう。
そしていまどきのゲーセンに群がる若者達よりも更にリアルで刺激的な思いをされていた様ですね。

これなら時間に比例していつかは忘れてくれると言う単純計算の方法自体が間違っている。
忘れる筈は無い、だからその後はいたちの如くいつまで逃げ回っても駄目なのでしょう。
わたしたちが同じ事をされた場合を想像すれば簡単に理解できますよね。

こうなった後の私達はこの事を良く認識しておく必要があるのだと私は感じるのです。
言い換えれば今我々は過去からの行動も、己の特性も、相手の事も、十分には理解出来ていない或いは思考を放棄していると言う事にも成りましょうか。
そこを考える最大の理由は、将来或いはの局面に立った時にも相手の思いがいかなる物であるのかを読み取る事が遅れると自らの取るべき行動も瞬時決めかねると言う所にあるのです。
そして一瞬の切っ先を鈍らせる。
現在の我国の国家間の諸問題に対しての長きに渡る対応も及び腰の一語に尽きるものがあり、昨今に至ってようやく少し動き出したにしても未だに歯痒さを感じるのです。
実は国民自体がそれをさせていない所もあるのでしょうが、それは何故でしょうか。
本来ならば軍を出撃させてでも守るべき国家主権と国民を守り切れて居ないのはそこに原因があるのだとも感じます。
せいぜい民間人同士の永久に結論の出ないヤジ合戦止まりでしょうか。
しかしいずれ我々も覚悟を決めなくては成らない時がやって来るとわたしは感じています。

これらの過去が事実であったと認識するについて、自己催眠など掛けずに考えれば別に驚く事も無いのでしょう。
逆に一切事実と違うのだとするならばこの国の国民が至る所善人で埋め尽くされているとでも証明するのでしょうか。
正気になって周囲を見渡せばすぐ近くにも沢山居るではないですか、自分達だってそうかも知れない。
戦後の長きに渡る芝居に疲れて、ついに化けの皮を剥がした者達がすでに至る所で臆面も無く正体を現して居るでは無いですか。
正に現代にもそう言う凶行を洒落でやりそうな人達はこの国には数限りなく居ますし、過去にはそう言う人達も多数他国の地へ放たれたのでしょう。
詫間やサカキバラ、スパフリ、コンクリ事件、先日の加古川事件、・・・後から後から色とりどりの種類が勢揃いして証明してくれています。
学者からは人間の遺伝子は千年や二千年では容易に変わらないと聞きますから、するとまだまだ居るのでしょうね。

Neowindst様〜〜〜

投稿者: gokutubisi 投稿日時: 2004/08/16 20:05 投稿番号: [2588 / 41162]
元従軍慰安婦の方々を営利目的の売春婦として、正に給料が支払われていたとの趣旨のレスの様なのでわたしの知る事と思う事をもう一回だけレス致します。
少々個性的かもしれませんが了承出来ない部分は無視して下さい。

この事は後にもコメント致しますが、戦争経験者であるあちらこちらの複数の元日本軍兵士の口から語られてわたしが無作為に記憶していた事です。
歴史につきましては畑違いの者なので詳細な知識も有りませんが、自らの主観を除く無作為な記憶に付いては一定の信用性があると考えています。

確かに慰安婦の方々に給料と言うものが支払われていたとの事です。
しかし支払は日本軍が勝手に印刷し発行した“軍票”と呼ばれる“紙幣”によるものだそうです。
これについては色々な理屈があるようなのですが、結局   被占領当事国が認めて発行していたものではないので事実上は軍隊の脅威を背景にした公然としたニセ金みたいな物でしょうね。
http://www.warbirds.jp/ansq/7/G2000074.html
実際占領軍の駐留が必要なくなって引き上げた時点で紙屑になるのですから、どの様なレート換算を試みても法律が持ち出された時点で無効と成るのでしょうね。
この軍票についても戦争経験者の人が“やりたい放題だったぞ”と言う感想を昔言っていました。
又慰安婦の方々はそうした知識も有る訳ではなくそれを信じ、けなげにもせっせとこれを溜め込んでいたとの事です。
勿論慰安婦の方からその紙幣について問われると“価値あるぞ”と日本人は答えていた様です。
悲しいですね。

日本軍の進軍方法はこの様な事だけに留まらず、もっと根本的な方針に決定的なものが有ったようです。
これも元日本軍兵士の発言でしたが、進軍する時は武器弾薬、食料などの物資の供給を一定量で制限するので、それぞれの部隊は“現地調達”しながら進軍せよと言う方針が下されたと言うのです。
わたしが思うに、この事こそが正に単なる戦争に加えて傷口を更に深く深く、弱い者達をはずかしめ切り刻む結果になったのでは無いかと思うのです。
軍当局としてはどうでも構わなかったのでしょうけれどね。
“現地調達”とは何気ない言葉ですが戦時下の国でこれをやればどの様な事がもたらされるのか。
他国において本能むき出しでやりたい放題の真っ最中にはこれ程楽しい事はないのでしょうし、後々の我々にどの様なダメージを残すものか等と言う事を思い浮かべる暇も無いのでしょうね。
日本軍の上層部からは確かに民間への虐殺命令などは公然とは出されないのでしょうが、これは現実の戦地ではおのずと“何をやっても構わない”と言う命令が出されるのと同じ事になるのでしょう。
特に心に犯罪者の素質を持つ者達にとっては、お上が許可しているのですからこの上なき快楽の連続でしょうか。
当時の軍幹部はこの様な事には頭脳が働いたのでしょうね。
当時シビリアンコントロールなどと言う概念も明確ではないでしょうし自由に調達する事に実質制限は掛からないとすれば・・・
逆に武装した軍兵士が民間人に自由に接近する事が許可されているという事で、本来の軍事行動目的以外の余計な事まで容易に出来る条件を与えてしまっている事にも成るのでしょう。
仮に我々が休日に昼寝でもしながらのんびりと過ごしている時に武装した兵士がいきなり家族めがけて踏込んで来る、と言う事をされる側として考えればどう言う事なのか良く思考を巡らせる事が出来ると思います。
そして軍の兵士と言っても高い教養を持つ者とは限らず凶悪な者もいれば異常な者もいる変った趣味の者も多数いる。
結局人の顔をした多数のけだもの達が他国の至るところに放たれると言う結果になった。
朝は鶏の鳴き声の聞えるのどかな村々、もちろん武器らしいものは殆ど持っていない非武装の人達が牛の世話などをしている所を狙って日本軍の武装兵(或いは犯罪者の正体を持つ者達)が至る所でいきなり押し入る訳です。
暴力、後には全く何も残らない程の略奪、虐殺、若い女性だけ裸にされ、犯されたなどはまだ良い方、趣味によっては銃剣で性器を突き刺し切取り、性器に銃弾を撃ち込んだらどこに抜けるのか、などの少し変わったゲームも流行ったという話です。

中国政府による「済南事件」歪曲の実例

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/08/16 19:59 投稿番号: [2587 / 41162]
中国の中学生用の国定歴史教科者である「中国歴史」(人民教育出版社歴史室編纂)によれば、「済南事件」をこのように記述しています。

「1928年、国民政府は奉天系軍閥・張作霖に対する北伐を開始した。北伐部隊は、またたくまに済南を占領した。日本帝国主義は、国民政府の北伐を阻止するため、公然と出兵して済南を占領し、中国の軍民6000余人を殺害した。これがいわゆる『済南事件』である。
国民政府の北伐部隊が済南に進出、占領すると、日本帝国主義は邦人保護を口実に山東に出兵し、済南に侵入した。日本軍は、北伐軍に武器の一部を提供させ、占領区域内で銃を撃ちまくり、中国の軍民数千人を死傷させた。さらに、国民政府の山東における交渉責任者であった蔡公時らを不当に連行した。蔡公時が抗議すると、日本軍はまず蔡の耳と鼻をそぎ、次に目をくりぬき、最後に殺害した。日本軍の残虐な行為は、済南の軍民の反発を引き起こしたが、蒋介石は部隊に抵抗しないように命令した。」

南京だけじゃないよ

投稿者: uranuzmanse 投稿日時: 2004/08/16 18:45 投稿番号: [2586 / 41162]
↓これも日本兵の仕業とされているらしい。

------

済南事件   昭和3年(1928)
中国兵による略奪陵辱暴行殺人事件。略奪被害戸数136、被害人員約400とある。中国側も立ち会った、済南医院での日本人被害者の検死結果。

藤井小次郎
  頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
斎藤辰雄
  顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創。
東条弥太郎
  両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。
東条キン(女性24歳)
  全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
  陰部に約2糎平方の木片深さ27糎突刺あり。
  両腕を帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。助骨折損。
鍋田銀次郎
  左脇腹から右脇に貫通銃創。
井上国太郎
  顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。
宮本直八
  胸部貫通銃創、肩に刺創数カ所。頭部に鈍刀による 切創。陰茎切除。
多比良貞一
  頭部にトビ口様のものを打ち込まれたらしい突創。
  腹部を切り裂かれて小腸露出。
中里重太郎
  顔面壊滅。頭骨粉砕。身体に無数の刺創。右肺貫通銃創。
高熊うめ
  助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
  右脚の白足袋で婦人と判明した。

他の二体は顔面を切り刻まれたうえに肢体を寸断され、人定は不可能であった。

桁違い

投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2004/08/16 18:29 投稿番号: [2585 / 41162]
>桁が一桁違うのでしたならば、問題かもしれませんが、、2倍3倍くらいは許容範囲でしょう。

桁が一桁違うのですが・・・

最後っ屁=イタチか?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/16 17:48 投稿番号: [2584 / 41162]
イタチのようなかわいい子であった?

もう少し   素直かと思ったがな!

ま〜勉強しなさいね。

最後っ屁

投稿者: kakisutegomen20040816 投稿日時: 2004/08/16 16:21 投稿番号: [2583 / 41162]
>桁が一桁違うのでしたならば、問題かもしれませんが、、2倍3倍くらいは許容範囲でしょう。

仮に3倍が許容範囲としても、被害者10万以下説が今の主流なのでは。
一桁違うかもしれませんよ。

>何らかの影響でもありますでしょうか?

投稿者: Messengerss 投稿日時: 2004/08/16 16:13 投稿番号: [2582 / 41162]
>貴方に何らかの影響でもありますでしょうか?
>無いでしょう。

でもそれをいったら、日中戦争自体も
戦後に生まれた中国人と日本人には何の影響もないと思うんだけど・・・。

それでも一部の中国人はそれを理由に日本で
犯罪を行う時の免罪符にしているんだよね

そういったことを考えると、影響はないとはいえないと思う・・・。

数の大小

投稿者: kakisutegomen20040816 投稿日時: 2004/08/16 16:11 投稿番号: [2581 / 41162]
南京事件当時の人口の流動については、それなりに詳しく検証したものがあるようですが私はそれをここに引用しません。
数問題そのものについてあなたと討論することが目的ではないからです。

私がつい一言いいたくなってしまったのは、あなたのこの態度だけ。

>数の大小を取り上げても意味はありません。
それは被害の大きさを表すだけで、根本の問題では無いと思いますね。


数の大小は問題ではないなどというけれど、たとえば、戦時において十人の虐殺と十万の虐殺を同一に論じるのは詭弁だというくらい、単細胞以外なら誰でもわかるはず。

一方で30万と言う数にこだわりながら、仮にそれが崩されても、根本問題ではないとあらかじめ逃げを打つ…
勇気ある態度とはいえませんね。

ばかばかしいからこれで最後にします。

そっかー? サッカー?ホッケーだ!

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/16 15:59 投稿番号: [2580 / 41162]
>でも数がその度毎に増えたりするのは「なんで?」って感じですが…


それだけ確かな数字は無いということです。

20万人だろうが、30万人だろうが大して代わりは無いということです。

広島の原爆被害者が約10万人ですが、これが20万人に増えたとしても、なにが変わると言うのでしょうか?

貴方に何らかの影響でもありますでしょうか?
無いでしょう。

過去の出来事の被害者数を数えても一般には差ほどの影響はありませんよ。

例えば
武蔵が20人斬り殺したか50人斬り殺したか?の数が問題となりますか?

南京虐殺において、数を目くじらたてて、さも正しいようなことを言っている輩の魂胆は、見え透いていますね。

どちらも正確な被害者の数など分かりはしないのです。
また、分かったからどうってこともありません、、、と思います。
桁が一桁違うのでしたならば、問題かもしれませんが、、2倍3倍くらいは許容範囲でしょう。

参院議員選挙の一票の格差についても3倍は許容範囲として認めているのではありませんかね。

>>日中間の友好確立にはまだ

投稿者: mimi181818jp 投稿日時: 2004/08/16 15:11 投稿番号: [2579 / 41162]
>日米の友好は可能。

>日中の友好は不可能

>これすべて、シナの責任

日本の責任じゃないの(笑

そっかー

投稿者: nonno_special 投稿日時: 2004/08/16 14:39 投稿番号: [2578 / 41162]
>…事あるごとに日本、及び日本民族を貶めるため、「三光作戦」をはじめとする残虐非道なイメージの普及に、長年努めてきたわけですが、その成果は現在の日本人を見ていれば、十分現れているように感じます。

そうなんですか…色々勉強になりました。
しかし、日本人でも「そうだったのか」と思ってしまったということは、中国人にしてみたら、
それはそれは『日本人は何て残忍な民族なんだ!』と思うことでしょうね…
中国では今の子どもにも言い伝えられている、歪んだ中国側の見解の日中戦争。
友好なんて無理な話ですね。


>>その数は判らないけど、数の問題でもなく。

>↑
>「南京事件」について「三十四万人虐殺」という公式見解を維持できなくなった「中国共産党」政府が、最近さかんにあちこちで流している苦し紛れの屁理屈と全く同じ論理としかいえませんね。…

私は単に死者が一人でも何千万人でも虐殺は虐殺だろう   と思ったに過ぎず、
勿論中国側の考えを聞いて洗脳されたわけでもありません。

でも数がその度毎に増えたりするのは「なんで?」って感じですが…

>日中間の友好確立にはまだ

投稿者: hoax_cn 投稿日時: 2004/08/16 14:14 投稿番号: [2576 / 41162]
>中間の友好確立にはまだ大きな溝があるということは確か…

日米の友好は可能。

日中の友好は不可能

これすべて、シナの責任。

>なぜ中国側の発表の30万人説を

投稿者: hoax_cn 投稿日時: 2004/08/16 14:10 投稿番号: [2575 / 41162]
>なぜ中国側の発表の30万人説を疑われるのでしょうか


そんなの簡単。

証拠がないから。

ウソではないと言うのであれば挙証しなさい。

あなたの認める勇気とははなんだろうか?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/16 13:59 投稿番号: [2574 / 41162]
>>たとえ10万人でも大虐殺だよ。(あくまでも仮定の話だからね、仮にあったとして、の話)
>でもその場合、中国側は、20万人分は捏造でした、とちゃんと認めて世界に公表する勇気もってる?
>日本は全面的に間違ってた、あったかなかっただけが問題で、数の問題は些細なことだから、20万人分の捏造水増しはいちいち認めて公表する必要はない?
なんてことにはならんでしょう。
数は問題ではない、というのは詭弁だよ

お分かりになってはいらっしゃらない様子ですね。
それでは、なぜ中国側の発表の30万人説を疑われるのでしょうか?
10万人説を言われる方は、なぜ、当時南京の人口が20万人もいなかったと証明できるのでしょうか?

不思議なことですよ。
人口動勢調査でも行われていたのでしょうかね?
現在でも国勢調査は半年から1年を経なければ結果は出ませんよ。自己申告でありながら、、何をか言わんでしょうね?

いいですか、宣戦布告なき首都南京爆撃を海軍木更津航空隊の新鋭機96式陸上攻撃機20機が長崎大村基地から発進して、台風の中を洋上600kmを含む960kmを4時間で飛行し首都南京を無差別攻撃したのが

1937年8月15日ですよ。

それから連日連夜の爆撃に南京市民のほとんど裕福な者から、外国人も、南京から避難していったのですよ。

一方、
11月5日に第10軍が杭州湾に上陸し、
11月13日には白茆口に上陸するや、中国軍は総崩れとなって撤退、壊走がはじまったのです。

11月中旬には日本軍は上海全域を制圧
上海戦はここに終了しました。

11月19日上海派遣軍は首都南京へと進撃を開始。
11月20日大本営の設置
12月1日大本営は海軍と協力して首都南京を攻略すべし、の命令を出す。

12月11日日本国内において「南京陥落」の新聞報道が踊る(現地では戦闘中)

単純に考えて、この3ヶ月弱の期間に南京市内の人口をどのようにして、数えたのでしょうかね?

南京無差別爆撃の前には136万人の人口があったとされていますが、あなたの説で言っても100万人の人口から、どのように避難していった人口を数えたのでしょうかね?
ラーベが書いていましたか?
二つの目でどれくらいの人数を数えられますか?

あなたはいかがでしょうか?
後楽園に入っている数は誰でもどれくらい入っているかはわかるでしょうがね!

できるなら   すぐにでも「野鳥の会」にお入りなさい、歓迎されますよ。紅白にもでれるでしょうね。

小学校低学年の問題ですよ。

数の大小を取り上げても意味はありません。
それは被害の大きさを表すだけで、根本の問題では無いと思いますね。

つまりは「南京虐殺は無かった」とする人たちの言い逃れにすぎないということでしょうね。

こんな幼稚な論理に騙されるような単細胞は、そんなにはいないと思いますよ。

>うーん

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/08/16 12:40 投稿番号: [2573 / 41162]
>日中戦争で、日本は「三光作戦」という戦略があったようですね。
とにかく全ての人を殺し尽くし、ものを奪い尽くし、焼き尽くせ…みたいな。

「三光作戦」の「三光」とは、「搶光」「焼光」「殺光」のことで、中国で発行されている「中国人民述語辞典」には、“「三光」は、蒋介石の「国民党」が人民を殺害する悪政のスローガンだった”と書かれていますが。
一方、台湾の「中共述語語彙」には、“「共産党」の地主への「清算闘争」用のスローガンとして、「分光」「吃光」「用光」があった”との記述が見られます。

1957年に「カッパブックス」から刊行された「三光」(神吉晴夫編)というタイトルの本には、“ドイツ人軍事顧問ゼートクが指導する「国民党軍」の「瑞金討伐作戦」を観戦した岡村寧次が、そこで「三光作戦」を学び、華北の抗日根拠地攻撃でそれの実施を主張した”と書かれていますが、実はこれは事実関係が大違いで、岡村寧次は司令部高官を集め、かつて「清軍」が中国に侵入した時に出された訓辞「不焚」「不犯」「不殺」を引用し、“焼くな、犯すな、殺すな”と訓示しているのです。この岡村の訓示を中国側が「プロパガンダ戦」に正反対の意味付けをして利用したというのが、“「日本軍」の「三光作戦」”なる日本語にさえなっていない奇妙な用語の正体です。しかし「第二次大戦」敗戦により、戦前の価値観が崩壊し極端に自虐的になった日本人の中には、日本で「共産主義」革命を起こすことを至上命題とし、敢えて中国の「プロパガンダ戦」の一翼を担うことを自らの使命と考えた一群の学者や政治家などがいて、事あるごとに日本、及び日本民族を貶めるため、「三光作戦」をはじめとする残虐非道なイメージの普及に、長年努めてきたわけですが、その成果は現在の日本人を見ていれば、十分現れているように感じます。

>その数は判らないけど、数の問題でもなく。


「南京事件」について「三十四万人虐殺」という公式見解を維持できなくなった「中国共産党」政府が、最近さかんにあちこちで流している苦し紛れの屁理屈と全く同じ論理としかいえませんね。

そもそも日本側にも「南京で市民の犠牲者、捕虜の処刑が全くなかった」などと主張している人はいないのですから、結局は数の問題なわけですよ。

三光作戦?南京事件を持ち出す意図とは?

投稿者: antimarck 投稿日時: 2004/08/16 06:22 投稿番号: [2572 / 41162]
三光作戦?光という字を「〜しつくす」という意味になど日本語では使いません。
支那の国共内戦で使われた言葉です。もし、この言葉があったとして、日本軍に関する公式資料で示せますか?
すでにこの言葉を使う時点で支那の謀略にのせられているのです。

さて、支那がこのことを持ち出す意図は現在の政治的な都合によるものです。
そのつど、捏造であることを主張すべきです。虐殺の写真と称するものは今ではすべて捏造あるいは関係のないもの(馬賊の処刑写真など)と判明しています。
特に、軍人の戦死は戦闘では殉職に当たるもので、平時の殺人にはあたらないこと、また、便衣兵の処刑は国際法上認められていることを何度でも強調すべきと思います。
戦火に巻き込まれ命を落とした一般民衆については、日中平和友好条約(1972年)が結ばれている以上、訴訟を起こすのであれば、現支那政府に起こすべきことを、繰り返し言って行くべきです。
これから50年は、支那の捏造報道は続くでしょうが、言うべきを言って、後は取り合わないことが賢明だと思います。
もともと、戦火に倒れた自国民を悼んでのことではなく(天安門事件一つとってみても自国民を大切にする国とは思えません)
、政治的なものなので、こちらの主張を繰り返すことにより、やがては沈静化していくと思います。

うーん

投稿者: nonno_special 投稿日時: 2004/08/16 02:40 投稿番号: [2571 / 41162]
「日中戦争」「南京大虐殺」などでネット検索すると色々出ています。
中には実際に戦地に行かれた方のHPもあります。

色々私も調べましたが、日中戦争で、日本は「三光作戦」という戦略があったようですね。
とにかく全ての人を殺し尽くし、ものを奪い尽くし、焼き尽くせ…みたいな。

信じ難いことでも、虐殺があったのは事実ではないのかな。
その数は判らないけど、数の問題でもなく。
と言っても、そのままその当時の日本人が、全てが全て思いのままにしたことでもないと思うし、
まして今の日本人にもそんな考え(「中国人は殺せ」という考え)がある訳でもないし…

まだまだ自分なりに考え中ですが、今の時点で考えられることは、
日中間の友好確立にはまだ大きな溝があるということは確か…

認める勇気

投稿者: kakinigegomen20040815 投稿日時: 2004/08/16 00:25 投稿番号: [2570 / 41162]
たとえ10万人でも大虐殺だよ。(あくまでも仮定の話だからね、仮にあったとして、の話)
でもその場合、中国側は、20万人分は捏造でした、とちゃんと認めて世界に公表する勇気もってる?
10万人虐殺されたことが証明された、だから我々のいうことが正しくて、日本は全面的に間違ってた、あったかなかっただけが問題で、数の問題は些細なことだから、20万人分の捏造水増しはいちいち認めて公表する必要はない?
なんてことにはならんでしょう。
数は問題ではない、というのは詭弁だよ。
認める勇気、は双方に要求されるものだ。
日本にだけそれを求めるのはご都合主義。
数を問題にしたくない、というのは「犠牲者の数30万人」という自分たちの主張が崩れてきたために、その部分について突っ込まれたくない、数をごまかしたことについての責任をとりたくない、と逃げを打っているようにしか見えない。
つまり、「認める勇気」がハナからないんだ。

>>>ちょっと、お尋ね?@駄目押し

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/16 00:05 投稿番号: [2569 / 41162]
##南京には135万の人口があったが、宣戦布告も警告もなく、日本軍に爆撃され、多くの人民は難民として避難してしまったのだよ。##

蒋介石軍の行為までいっしょくたにされてはたまりませんね。

蒋介石幹部&富裕層の逃亡→お決まりの清野作戦→電気が途絶える→一般民の間で強盗等の内部混乱が生じる

中支那方面軍、第五野戦重砲旅団から成る上海派遣軍、第十軍、松井石根大将が総攻撃を開始する以前に、蒋介石は唐生智を城塞都市の司令官に任命し、南京近郊の建物、民家、家財道具や財産を日本軍に利用させないために徹底的に破壊し、焼き尽くすという行為があったのは、これこそ本人も認めるように事実です。

このプロセスを見落としている以上は、議論の続行も出来ません。

それに、日本軍が南京攻略において南京城前に到着してからも、日本軍は1937年12月9日に国際法学者とも協議して作成した「攻略要領」に基づき「和平開城勧告文」を飛行機で撒布しました。国際法にのっとって無防備都市として開城すれば攻撃しないと中国側に通告したが、翌十日午後一時の回答期限になっても何の回答もなかったので総攻撃に踏み切りましたが。

##笑えるね、、、、 ##
笑えるね、、、、

>>>ちょっと、お尋ね?3

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 23:41 投稿番号: [2568 / 41162]
##100人でも虐殺じゃないのか?##
必ず軍紀に基づいて軍隊全員が行動していたというのは有得ない話です。何処かそこらで軍紀の乱れや違反はあったでしょうし、略奪も強姦も恐らくあったでしょう。しかし、30万人という虚構が崩れると「問題は数じゃない。問題を矮小化するな」という人達の論理には、ほとほと付き合いきれません。「言い逃れができないので、不確かな被害者の数を問題にし」始めたのはあなた達のサイドですよ。

##南京には135万の人口があったが、宣戦布告も警告もなく、日本軍に爆撃され、多くの人民は難民として避難してしまったのだよ。##
##30万人は多すぎるなどと何を根拠として言っているのか、常識を疑われるというものだ。##

あなたはデータを重視する方だと思っていましたが、どうやら買い被り過ぎていたようです。135万人というデータは何処から出てきたのでしょうか?証明する資料は無い様ですね。対してあなた方の賛美する「ラーベの日記」の叙述者であるラーベの上申書には7月には100万人の人口がいた、とされています。これは様様な資料から裏付けされていますね。その同じラーベが日本に対しての物資補給への報告書を出す際に、

第6号文書(Z   9)
南京国際区安全委員会
寧海路5号   1937年12月17日  

言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。〜中略〜もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
  市の一般市民の保護にかんして当委員会はなんなりとも貴下に喜んで協力することを確約します。   敬具  
委員長   ジョン・ラーベ

上記の20万人という内容、またアメリカ大使館及びラーベの、人口の凡そ4/5(ラーベは日記で80万人としている)が脱出したという報告を鑑みれば30万人説はこれだけでも崩壊しますね。

最後に。
多分、今後は1人でも100万人でも虐殺は変わらない云々の無駄な論理展開が予想されますので、レスは控えさせていただきます。説教したいのは私の方ですよ。高校生に説教されるのは立場的に嫌ですか?もう少しマトモなトピだと思ったのですが、トンだ思い違いだったようですね。では。

>>>ちょっと、お尋ね?2

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 23:40 投稿番号: [2567 / 41162]
ちなみに資料。

白茆口に上陸した第十六師団の、12月1日侍従武官に対する状況報告

作戦経過の概要
  第十六師団ハ数船隊トナリ11月12日呉淞沖ニ達シ、13日払暁、白茆口付近ニ上陸シ、一部ヲ以テ白茆口付近ヲ占領シ、主力ヲ以テ支塘鎮ニ
向ヒ前進スベキ軍命令ヲ受領ス。
  師団ハ重藤支隊ニ引続キ13日、第一船隊タル歩兵第三十旅団(第三十八連隊欠)ヲ基幹トセルモノヲ以テ佐々木支隊トシ、揚子江岸ニ
上陸シテ、連カニ支塘鎮−常熱道ニ進出シ敵ノ退路ヲ遮断セシム。佐々木支隊ハ、退却掩護ニ任ズル四、五千ノ敵ヲ撃破シ、夜間追撃ヲ
続行シテ15日常熱東方約四十粁付近ニ進出シ、「トーチカ」ヲ有スル既設陣地ニ拠ル敵ト相対ス。
  上陸地点ヨリ戦場ニ至ル間、車輌ヲ通ズル道ナク、加フルニ連日ノ降雨ノタメ泥濘ノ悪路ト化シ、部隊ノ進出意ノ如クナラズ。コノ頃、
師団砲兵全ク参加ノ見込ナク第十一師団及ビ軍砲兵ノ協力ヲ得テ本攻撃ヲ実行セリ。

  19日夜半、敵ノ退却ニ尾シテ、第一線各部隊ハ夜間追撃ヲ敢行シ、当面ノ敵ヲ駆逐シテ、22日夕、東亭鎮(無錫東方)ニ進出ス、
当時師団ハ歩兵部隊ハ之ヲ集結シタルモ砲兵ハ僅カニ四門到着シタルニ過ギズ、後方補充機関ハ未ダ上陸ヲ完了セズ。(中略)
  東亭鎮付近ノ「トーチカ」ヲ有スル既設陣地ヲ昼夜兼行デ攻撃シ、26日午後二時三十分、完全ニ無錫ヲ占領セリ。師団ハ直チニ
草場少将ノ指揮スル歩兵三大隊、軽戦車隊、野砲兵一大隊トシ、京滬鉄道ニ沿フ地区ヲ常州ニ向ヒ追撃セシム。
  追撃隊ハ各方面ヨリ退却シ無錫市内ニ充満セル敵ヲ掃蕩シ、或ハ潰走中ノ敵ニ多大ノ損害ヲ与ヘツツ追撃シ、29日午前十一時四十分
常州ヲ占領シ、続イテ丹陽ニ向ヒ追撃中、師団主力ハ11月30日常州ニ進入セリ。
  師団ノ大部ハ既ニ集結シ得タルモ、騎兵第二十連隊、野砲兵第二十二連隊ノ三中隊、大隊段列ノ主力及ビ連隊段列、輜重兵第十六連隊、
野戦病院ハ尚船上ニアリ、又各部隊ノ大行李ノ主力ハ、或ハ船上、或ハ揚陸地ニアリテ未ダ集結ノ見込立タズ。
●経    理●
  師団上陸以降ノ給養ハ、主トシテ現地物資ニ依リ、調味品及ビ副食等ノ一部ハ追送ヲ仰ギタルモ、幸イニ江蘇省特産ノ米ヲ各地ニテ得
ラルルタメ、比較的良好ナル給養ヲ実施セリ。
  師団ノ大行李及ビ輜重等隊属ノ補給機関ハ未ダ揚陸途中ニアルヲ以テ、軍隊直接ノ補給ニハ主トシテ地方小舟ヲ徴用シテ、「クリーク」
往来ニヨリ、概ネ大行李、輜重ノ代用ヲツトメツツアリ。
  馬糧ノ追送ハ容積ノ関係上頗ル困難トシツツモ、現地ニオケル刈取ノ稲ヲ利用シ、又小麦等ヲ加ヘ殆ド内地ニ見ル給飼ヲ実施シアルモ、
今日迄ニオイテ、栄養上ニハ支障ナキモノト認メアリ。
  被服ニ関シテハ、鹵獲セル靴下、綿入、朋衣等ヲ支給シ、概ネ給養上遺憾ナカラシメアリ。

●衛    生●
  衛生ノ状態ハ概シテ良好ニシテ、将兵ノ健康度ハ逐次気候風土ニ慣馴シ、増強シツツアルヲ認ム、コノ地上陸以来ノ戦死総数計一九二
(内将校一四)、戦傷五六九(内将校二三)平病約二〇〇ニシテ、傷病者ハ迅速ニ衛生機関ニ収容セシメ、初療ノ普及ニ遺憾ナキヲ期シアリ。
(以下略)

これによると第16師団は初期のころは、補給が滞りがちになり、現地物資によった訳ですが、これがもとで軍紀が乱れが発生したようには読みとれないし(強姦だの略奪だの)、調達も経理部によって適正に処理されていたようです。

ちなみに当時の陸軍刑法。

陸軍刑法(昭和17年(1942年)改正で第八十八条ノ二を追加)
   第九章   掠奪及強姦ノ罪

第八十六条   戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス
2   前項ノ罪ヲ犯スニ当リ婦女ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処ス

第八十七条   戦場ニ於テ戦死者又ハ戦傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第八十八条   前二条ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス

第八十八条ノ二   戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス
2   前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処ス

第八十九条   本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

>>>ちょっと、お尋ね?1

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 23:39 投稿番号: [2566 / 41162]
##戦闘、追撃、略奪しながらの距離ではないでしょう。単純な計算ですよ。##

上海郊外の大場鎮、ゼークトラインを攻略した後(包囲殲滅戦は失敗)、国府軍を平行追撃したはずだし、"猛スピードで進んだ"はずなのに、100kmも寄り道をする日本軍は凄い悠長ですね。

##上海占領後は派遣軍は内地へ凱旋することになっていましたが、松井と武藤が南京攻略を策略し、当初から計画のなかった、もちろん参謀本部も南京への進撃を予定もしなければ、認めもしなかったのですよ、しかし、彼らは強行した、結果、参謀本部も、政府も後から追認したのです。##

ちなみに当初の作戦制令線は上海郊外(蘇州〜嘉興の線)までで、制令線撤廃については現地軍と参謀本部のあいだで激烈な議論の応酬があり、最終的に中央が折れて、制令線撤廃に至ったという経緯があります。とはいえ現地軍はその後も中央の統制を受け続けていたし、その都度制令線が
引かれ、また進撃経路、速度もそれぞれ中央の統制の中にあって、勝手気ままに南京を攻め落としたわけではありません。

##もちろん上海から南京までの進撃コースにおいても略奪、強姦、人民の殺戮、虐殺は行っています。##

国民党側の焦土作戦と混同してもらっては困ります。焦土作戦を行ったことは中国側も認めています。焦土作戦の目的は米、豚、鶏等の食料を日本軍に渡さない為であり、日本軍が焼き尽くされた家や村から食料を強奪できるとは到底不可能です。それに強奪するも何も住民は居ませんね。焼け野原に家を建て直し住民を集めた後で#略奪、強姦、人民の殺戮、虐殺#が行われたというのならそれはそれで凄い話です。

##でなければ、あなた方の言われる「南京虐殺は無かった」とはいつまでもウソであるということです。##

あるならあるでデータでも持ってきてください。それに否定派は肯定派が出してくる論拠を覆すことで、証拠罪定主義に基づき、十分に南京大虐殺は存在し得なかったことに成りえます。

それに
食料補給しよう=>奪う=>虐殺
の三段論法が罷り通っている時点で恐ろし
い物を感じます。まず食料現地調達=略奪では意味がぜんぜんちがうし、(現地調達=代金支払い発生、略奪=泥棒)現地調達自体はどの国の軍隊でもやっています。ちなみにアメリカ軍が長崎や佐世保の農家からキュウリやトマトを現地調達してもそれが問題にはならないし、それでアメリカの空母の中で暴動が起こったなど聞いたことがありませんね。

虐殺?大虐殺?

投稿者: asdll58 投稿日時: 2004/08/15 23:31 投稿番号: [2565 / 41162]
よく数の問題ではないという奴がいる。そいつらの言い分に従えば、

一人殺しても虐殺になり得る。それなら、数人殺せば大虐殺だ。

だが、そんなこと言いだせば、世界は虐殺、大虐殺だらけだ。古今東西、戦争で大虐殺やってない国なんてほとんど存在しないだろう。自分のことは棚に上げておいて、上記のような理屈で、数の問題ではない、日本軍は南京で大虐殺を行ったといいつのるのは筋が通らない。

いや、南京への進軍中に行った略奪暴行虐殺も計算に入れているというやつがいるが、いまここで問題にしているのは、南京市内での無辜の市民の(20万〜30万人規模の)大虐殺ではないか。

数の問題ではないとか、南京へ行軍中とか言いだすのは、すりかえにすぎない。

>>ちょっと、お尋ね?説教しょうかな?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/15 21:39 投稿番号: [2564 / 41162]
これで解決でしょうかね?

>上海-南京間は距離にして300kmです。

これは地図上での直線距離ですよ。

戦闘、追撃、略奪しながらの距離ではないでしょう。
単純な計算ですよ。

>補給基地や物資部隊などは存在し得ないことになります。食料は上海から南京に進攻中、無錫に大補給基地があってそこで補充してから充分ありました

あなたは上海派遣軍がどうのような編成で進軍して行ったか、、をどうも   ご存じない方の様ですね。

後備役、予備役の臨時招集された軍隊ですよ、しかも上海戦に限り、編成、編合された軍隊です。
松井石根大将そのものが予備役の退役軍人だったのを司令官不足から急遽、任命された人物じゃあ〜ないですか?

上海占領後は派遣軍は内地へ凱旋することになっていましたが、松井と武藤が南京攻略を策略し、当初から計画のなかった、もちろん参謀本部も南京への進撃を予定もしなければ、認めもしなかったのですよ、しかし、彼らは強行した、結果、参謀本部も、政府も後から追認したのです。
ですから、食料などの兵站機関は当然ながらありませんでした。

もう一度、よ〜く   お調べ下さいね。

でなければ、あなた方の言われる「南京虐殺は無かった」とはいつまでもウソであるということです。

もちろん上海から南京までの進撃コースにおいても略奪、強姦、人民の殺戮、虐殺は行っています。

日本軍の食料は「現地調達主義」「現地生活主義」でした。

占領するまでは調達、徴用、略奪を繰り返し、
占領すれば、田畑を耕し、鶏、豚を飼う。
占領地で畑を耕している兵隊の写真が多いのもこの為である。

あまり、いい加減なことは投稿しないようにしましょうね。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋10

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 19:05 投稿番号: [2563 / 41162]
*中国政府と朝日が「合作」

この常軌を逸した朝日報道の中でも、最大の決定打となったのは昭和46(1971)年8月から連載された『中国の旅』だった。執筆者は本多勝一記者。これは本多記者が中国に出かけ、中国共産党政府が用意した「証人」に聞いた話を「裏付け・検証ナシ」でそのまま掲載したものである。「裏付けナシ」という、新聞記事の常識を無視した企画が新聞本紙、週刊朝日、朝日ジャーナル、アサヒグラフなど、あらゆる媒体を使って大々的に展開、翌年には単行本化され、ベストセラーになった。

文革真っただ中、今で言えば北朝鮮政府が選んだ人に北朝鮮の国情と金正日の人柄を聞いてくるようなもので、現在冷静に読み返してみると、もう笑うしかない代物になってしまっている。なにしろ出る人出る人、口々に「生きたまま顔の皮を剥いだ」だの「肝を取り出して煮て食った」だの、中国・漢民族の伝統文化の発想にしかない残虐行為を「日本兵がやった」とする証言を延々続け、最後に「今は毛沢東主席のおかげでしあわせです」と判で押したように語るのである。当の中国政府が、文革を権力闘争による同胞2000万大虐殺を伴うとてつもない犯罪行為、と認めている現在も、なぜかこの本は出版されている。

この連載の中で「南京」も大々的にとりあげられ、中国の証言そのままに「犠牲者30万人」が改めて大宣伝された。実は東京裁判の時には南京の事件は「南京暴虐事件」などの名称で呼ばれていた。「南京大虐殺」の名が一般的になったのは『中国の旅』から後のことである。言い様によっては「南京大虐殺」は朝日新聞が作った、とも言えるのである。
『中国の旅』キャンペーンには「事実と違う」という声も多く寄せられていた。しかし朝日はその反論をすべて無視し、中国のプロパガンダである反日宣伝の物量作戦を続行した。あくまでもこれに反論しようとする者は、今より遙かに「日本の良心」としての権威があった朝日新聞の正義の前に「日中友好の敵」「軍国主義者」のレッテルを貼られ、沈黙させられた。
「被害者の証言を疑う者は悪魔」。「従軍慰安婦」の時にも繰り返された構図である。(以下略)

ゴーマニズム宣言より一部抜粋9

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 19:04 投稿番号: [2562 / 41162]
*大虐殺宣伝屋は誰か?

実は戦後しばらくの間、「南京虐殺」は忘れられた存在だった。「大宅壮一文庫・雑誌記事索引総目録」を検索すると、占領下の昭和21年にティンパーリーの文が1回載っただけで、その後年10年間該当する記事がない。そして昭和31年に吉本隆明らが「多くの文学者が戦時下の言論活動の総括をしていない」と批判、「戦争責任論争」として一時話題になった時期に4件だけ「南京虐殺」が登場する。ちなみにそのうちの1件が先に紹介した「今井記者のニセ手記」である。そしてその後は昭和46年のー月まで14年近くもの間、1件の該当記事もない。
戦後すっかり風潮が変わり、「日本軍国主義」を告発することが正義とされる世の中になったのに、昭和31年の一時期を除けば25年もの間、「南京大虐殺」をほとんど誰も語っていなかったのだ。本当に「大虐殺」があったのなら、このような現象はありえない。

もしこのまま時が流れ、冷静に事実の検証が行なわれていれば、「南京虐殺」は『私は貝になりたい』のように、不正な戦犯裁判による占領下日本の悲劇の一つとして歴史に残っていたかも知れないのだ。ところが現実には未だに南京で大虐殺があったということが常識になっている。しかも東京裁判ですら認定できなかった「犠牲者30万人、計画的・組織的虐殺」が事実として宣伝されている。なぜそんなことが起きたのだろうか。

大宅壮一文庫によると、25年近くほとんど誰も語っていなかった「南京虐殺」の記事が、昭和46(1971)年一年間で突然12件も登場する。70年代からコトは始まったのだ。戦後四半世紀も経ってから、日本人が自ら「東京裁判」をもう一度やるような行為を始め、忘れられていた「南京」に強引に光を当て、さらに膨らませた「大虐殺」として日本国中に自ら流布した、それが今日の問題の根源なのだ。
ではその日本人とは誰か?
「朝日新聞」である。

既に稲垣武氏、片岡正巳氏、井沢元彦氏ら多くの人が指摘し、一部は朝日新聞も認めているように、70年代前半、朝日新聞は報道機関としての立場を外れ、完全に中国に偏向していた。常軌を逸して中国に肩入れした広岡知男社長から「たとえ事実でも中国に都合の悪いことは書くな」という趣旨の命令が出され、現実に実行されていたのである。これは裏を返せば「たとえウソでも中国に都合のいいことを書け」と言っているようなもので、実際にそのような記事も書かれていた。70年安保を前に、佐藤.ニクソン会談で沖縄返還・日米安保強化の声明が出された際、中国政府はこれを「日本軍国主義の復活だ、日本は未だ中国の戦争被害者に謝罪していない」と猛烈に非難した。日本の「軍国主義化」など実際にはありえないことは明白で、これはその後も事あるごとに繰り返される中国の反日プロパガンダにすぎなかったのだが、朝日新聞はこれを直輸入して記事にし、大宣伝し始めたのである。

当時の中国は文化大革命の真っただ中、「日本は世界征服の陰謀の第一歩として中国を侵略した」というトンデモない内容の反日偽書『田中上秦文』を『毛沢東語録』とともに大量頒布し、ありとあらゆる「日本軍の蛮行」を捏造しまくり、「その悪鬼・日本から我々を救って下さったのは毛沢東主席だ」という大宣伝を行なって国内をまとめていた。その一環として「南京大虐殺」も使われていたのだが、朝日はそんなプロパガンダを直輸入し、検証もせずに大宣伝したのだ。そして反戦・反権力ブームの当時の世相がそれを後押しし、他のマスコミも追随した。それが、戦後消えていた「南京虐殺」が突然大々的にマスコミに登場した理由なのである。

>> 知らなかった・・・

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 19:03 投稿番号: [2561 / 41162]
>彼らにとっては、歴史は当然捏造するものであり、

高句麗問題で韓国が中国に対して「歴史の歪曲であり捏造だ」と声を大にして叫んでいる姿は因果応報とでもいう他無いですね。日本人も含め普通に学校へいき教科書を読むだけの人達(マジョリティ)は歴史など教科書に書いてあることが唯一無比であり、疑うことなど知らないので無理もないでしょうが・・・

>アメリカは、中国と共同で捏造した歴史を使って計画的に、日本人に罪の意識を植え付けたのです。まさに洗脳です。

W.G.I.P(ウォーギルドインフォメーションプログラム)というヤツですね。しかし、ただアメリカは酷い酷いといっているだけでは何も始まりません。彼等戦勝国にとってはそれが戦後における対日政策への戦略だったのですから(皮肉なことにアメリカは5年後冷戦の激化に伴い自ら否定する羽目になりますが)。アメリカの陰謀だアメリカの性だ、と憲法改正でも良く持ち出されますが、戦後60年間日本が変えてこなかったのも事実です。それを"他国の性でかえれなかった"としてしまっては隣国のお友達と同じレベルです。
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