南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

虐殺は嘘15 誰も知らなかった虐殺1

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/16 02:27 投稿番号: [11037 / 41162]
1. 当時の南京の人口は20万しかいない

2.難民帰還で人口はむしろ急増した

3.大量虐殺された死体やそのための設備跡がない

4. 日本軍には軍事目的がなく、作戦記録もない

5.東京裁判の証言者以外に累々たる死体を見た者がいない

東京裁判で証言台に立った紅卍会許伝音副会長、ベイツ教授らは、いたるところに死体が転がっていたと証言しているが、入城した将兵、百数十名の新聞記者やカメラマンは、誰一人この光景を見ていない。15人の国際委員会の委員、5人の外国人記者はじめ、第三国人は誰一人として見ていない。ベイツ教授自身、占領3日後の時点では「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が訪れたのは何よりです」と新聞記者に挨拶していた。(『東京日日新聞』昭和12年12月26日号)【注1】


6.マギー牧師が見た殺人は1人のみ

東京裁判で証言台に立ったアメリカのジョン・マギー牧師は、膨大な殺人、強盗、強姦、暴行、累々たる死体などを見たかのような証言をした。しかし、ブルックス弁護士が「殺人行為の現行犯をあなた自身はどのくらいご覧になりましたか」と反対尋問すると、答えは「1件のみです」。その1件すら歩哨に誰何(すいか)されて逃亡した者を射殺したケースだった【注2】。この場合は合法的な殺人であり、虐殺には当たらない。あとはみな伝聞あるいは想像ないし創作だった。


7.写真、映像の記録が何もない

日本軍が南京に入城してから治安が回復し、市民が安堵した表情で食糧を受け取っている写真は多数ある。これに反し、虐殺を示すと検証された写真は1枚もない。これまでに、南京での虐殺写真だとして報道されたものは、どれも偽写真や合成写真であることが明らかにされてきた。

虐殺そのものを収めた記録フィルムも全くない。専門家によって唯一実写と認められているフィルムは、マギー牧師によるもの。その中にも虐殺を思わせるシーンは全くなく、多くは戦傷者の治療風景である。

平成8年4月に開館された長崎原爆記念館ではフィルムが映写されたが、これは米国製の映画『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(フランク・キャプラ監督)の一部だとわかった。この映画は米国で戦意発揚のために作られた反日宣伝映画。実写ではなく、やらせであることが明らかになっている。


8. 箝口令は引かれていないのに誰も伝えていない

南京入城には、百人以上の日本人の記者やカメラマンが同行した。当時はまだ報道管制が行われていない。しかし、戦後、日本人は東京裁判で報道されるまで誰も「大虐殺」を知らなかった。見ていれば、報道しただろう。また、陥落の直後の南京には、大宅壮一、西条八十、草野心平、石川達三、林芙美子らのジャーナリストや作家・文人が行っていた。しかし、戦後言論の自由が完全に保証されてからも、誰一人、「大虐殺」を書き記したり、発表した者がいない。


10. むしろ国際委員会からは感謝状が出た

南京落城近しというときに、英米仏独は国際委員会を作って、非戦闘員である市民を収容する安全区を作った。日本は安全区に対して中立を守るのであればこちらも中立を守ると約束し、砲撃しなかった。これに対し、ラーベ委員長は日本軍に対して、「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡を取り得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っている。


11. 食料を送って受領書と感謝状を受けた

難民区に20万もの人がひしめいて、食糧が不足したため、日本軍は、食料、被服等を給与して民心の安定を図った。特に、昭和13年正月には大量の食糧を送り、紅卍会支部長より受領書、感謝状が贈られている。日本から食糧をもらっている当時の写真はいっぱいある。それに対して、虐殺の写真は1枚もない。

http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06b.htm



【注1】   正確には、昭和12年12月16日号

【注2】   マギーは日記に「その殺人が現実に起きたとき、われわれはそれを見ていなかった」と書いている

Re: シナ兵による日本軍捕虜虐殺

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/07/16 01:50 投稿番号: [11036 / 41162]
>>へえ、どこで?写真については偽だとか認めていたようだけど記事そのものもデマだとして謝罪してた?
>ホー、猿脳君はおもしろいこというね。写真はデマだけど、デマ写真を解説した文章はデマじゃないんだってよ。コーヒー君も同じかね?

俺の問題にしたのは事実関係(記事そのものもデマだとして謝罪していたかどうか)だよ。記事が事実だとは言ってない。記事そのものの真偽については、今のところ保留だ。

だから、

>それにCNNの記事は数ある証言、証拠の一つにすぎない。

だと言っている。コーヒー君は、CNNの記事と一緒に他の証拠(日本軍の手記等)もあげていたろう。

さらに俺は、

>ま、それはともかく、
1。自国民にたいする略奪暴行虐殺。
2。日本民間人にたいする拷問虐殺。
3。漢奸にたいする拷問虐殺。
このような無法行為をしていたシナ兵が殺し合いの相手である日本兵捕虜にだけは、紳士的にふるまったというなら、よほど頭がいかれて(ぴーポーして)いる。

と言っている。こういうのは無視して、CNNの記事だけにこだわる(意図的?)視野狭窄はぴーポーだ。

Re: これは実話です、撫順の日本人自虐洗

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/07/16 01:35 投稿番号: [11035 / 41162]
>中共の歴史観は、階級闘争史観に立っていて、それはつまり、一握りの反動分子と多数の善良な人民大衆という、二極化された構図を前提としている。
権力者は悪人で、一般大衆は善人で虐げられ続けてきた、という決めつけである。
日本の戦争は一部の悪玉によって牽引されたものではない。その上そんな単純な論理で清算できるものでもない。

強く同感。共産主義がどれほど浅薄で偽善的でダメなイデオロギーであるかということは旧ソ連、現シナ、北朝鮮などが証明している。

>そして、悪行が凄ければ凄いほど、日本軍は極悪非道な存在になるというわけだ。
彼らの自供が「強制された嘘」ではなく、「自発的に語った本当のこと」なら、要するに殺人嗜好、強姦癖の人間が自分の罪を軍や祖国になすりつけ、本人は免罪された、ということである。

国家も国民も軍隊も一部の戦争犯罪者も一蓮托生。「自分の罪を軍や祖国になすりつけ、本人は免罪され」ようといのなら許せない。ドイツ(人)がナチスに対してとったやりかたと同じだな。それから、ここで日本、日本人の罪(しばしば捏造、歪曲、誇張されたそれ)だけをいいつのって連合国の罪は棚に上げている連中。

Re: これは実話です、撫順の日本人自虐洗脳

投稿者: asia1867 投稿日時: 2006/07/15 23:13 投稿番号: [11034 / 41162]
応用編として

催眠商法。

マルチ商法。

Re: 鬼畜日帝兵士の実的刺突

投稿者: richard_cheney_jr 投稿日時: 2006/07/15 23:07 投稿番号: [11033 / 41162]
>   彼は泣いて私に訴えた。日本の兵隊の良心に最後の望みを託して、必死に訴え続けた。私にも母親が一人残っていて、私の帰りを待ちわびていた。この少年の叫びが私の心に痛く突き刺さった。然し少年の願いを聞き入れるわけにはいかなかった。少年の願いを聞き入れることは、私の命との引き換えでしか許されません。私は胸をえぐられる思いはしたものの、反射的にその願いを無視せざるを得ませんでした。そして、「戦争に非道は付き物なのだ」と自分に言い聞かせた。


人間を殺すことが兵隊の仕事なのだから、

人間としての良心を捨てることが一人前の兵隊になるための第一歩。

良心が捨てられない兵隊は兵隊として失格。

そのようなものは、ジェンキンス氏のように軍隊から脱走するしかない。

これは実話です、撫順の日本人自虐洗脳2

投稿者: sinnjitu_itiro 投稿日時: 2006/07/15 23:01 投稿番号: [11032 / 41162]
●フォト・ジャーナリスト
平成10年、ある日本人ジャーナリストが撫順戦犯管理所から日本人戦犯の供述書を手に入れ、各マスメディアに売り込んだ。
これらは朝日や地方紙が大々的に報じ、雑誌「世界」で7人分が公開された。
鈴木啓久中将の供述書というのには、従軍慰安婦の強制連行を命令したとか、中国人民への残虐行為を命令したなどとある。
全く「噴飯モノ」としか言いようがない。なにが嬉しくて師団長自らが、兵の下半身の疼きに心を砕かなければならないのだ。
こんなものに飛び付くマスコミも無知丸出しだが、売り込んだジャーナリストというのも浅ましい。

こういう、さもしい輩を利用して、中共は頃合いをみて今後も小刻みに流し続けてくるだろう。
しかも、本人の死亡を待って、反論される危険を避けているようだ。

周到に洗脳されたことを知ったうえで、「帰国後、戦犯の多くが管理所での供述を翻していない事実は重い」として懸命に事実にしたがっている。
中帰連のHPを見ると中帰連の回りには、中帰連を利用して糊口を凌ごうという、私以上にあやしい方々が貼り付いているように見える。

▲中帰連活動陳列館
パンフレットには「改造日本戦犯陳列室」となっている。
中帰連の謝罪と日中友好・反戦平和の活動の数々を展示。郭沫若に 送った感謝と友好を誓った額、著作物、交流活動の写真など。

自己啓発セミナーと言うのが流行ったことがあった。受講者を人里離れた施設に閉じこめ、自己啓発という洗脳を行うのだが、外界と隔離して徹底的な人格破壊をもって思考の方向を変える、というものである。
このノウハウはアメリカから伝えられ、ルーツを遡ると朝鮮戦争に至る。
北に捕まった米軍兵士が戻ってきた。
彼らは一様に徹底的に洗脳されていて、あまりの見事さにアメリカはその洗脳技術を解析し、技術としてまとめた。
この手法はオウム真理教でも大いに活用された。

H13.11.5

http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo8.html

Re: 鬼畜日帝兵士の実的刺突

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/15 22:59 投稿番号: [11031 / 41162]
>我々初年兵が辿り着いた索格荘という部落は、・・・(以下蛇足)


はい、はい。
今回は出典(ソース)を隠匿したけど、また中帰連だね。

昨日も別トピで教えたように、中国帰還者連絡会(中帰連)というのは精神病患者の会なんだよ。
いい加減に芸風を変えようね。

――――――
侵略戦争−体験と反省

絵鳩 毅

絵鳩氏の略歴

一九一三年、鳥取県主まれ。
一九三八年、東京大学文学部卒業後、文部省勤務。
一九三九年、山梨県女子師範学校、上田高等女学校教員。
一九四一年、臨時召集で東部第六四部隊入隊。
一九四二年、北支那派遣軍第一二軍第五九師団第五四旅団第二一大隊機関銃中隊に転属(陸軍軍曹・分隊長)。

  敗戦後シベリアに捕虜として五年間、戦犯として中国に六年間抑留。五六年起訴免除。
  帰国後は、高等学校教員、郵便局長を経て、中国帰還者連絡会常任委員長などを歴任。

(えばと つよし 元中国帰還者連絡会常任委員長)
――――――

Re: シナ兵による日本軍捕虜虐殺

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/15 22:47 投稿番号: [11030 / 41162]
>写真はデマだけど、デマ写真を解説した文章はデマじゃないんだってよ。コーヒー君も同じかね?
>君が引用した
>「やつら(支那人)は、それを楽しんでました。 頭が切り落とされるのを待っていて、頭を手に取り、サッカーをしたのです。 ・・・本当に酷いことです。(以下略)・・・」

確証はないが、おそらく本当だと思うよ。
仮にサッカーの話が嘘だとしても、支那軍が捕まえた日本兵を全員(反戦兵士にする者以外)惨殺したことは紛れもない事実だよ。
#10908で他の事例も紹介しているだろ。

鬼畜シナ人と朝鮮人。

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2006/07/15 21:50 投稿番号: [11029 / 41162]
中帰連の話ばかりではな。

小説が事実と述たもう金ちゃん。真実の歴史を学び、日本及び世界に謝罪しなければならないだろう。シナ人と朝鮮人は。

鬼畜日帝兵士の実的刺突

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/07/15 21:27 投稿番号: [11028 / 41162]
  我々初年兵が辿り着いた索格荘という部落は、戸数僅かに4、50戸程しかない小さな部落だった。わが大隊は、住民を追い出して無住としたこの全部落を宿舎に当てていた。北に高さ数百メートルほどの山を控え、南西側は楊柳の豊かな川原、東側は小高い丘になっていました。

  この丘に中隊の兵隊が、岩を掘り下げ、その上に部落の家々の扉や切り倒した川原の木材をのせて、さかんに奄体壊(えんたいごう=散弾から身をまもり射手の射撃を容易にするための設備)を造っていた。この部落の豚や鶏は既に食い尽くされていた。部隊は、兵を割いて獲物探しに四周の部落を遠くまで荒らし回っていた。そして食糧になる一切が持ち帰られたが、中には潜んでいた部落民までも「戦果」として連れ帰っていた。

  この本隊に命からがら追及してきた初年兵を待ち受けていたものは、大隊長による「検閲」でした。戦地での検閲は射撃と銃剣術が主な科目だったが、今回はいささか勝手が違っていた。伝えられた大隊命令には、今回の検閲では射撃のほかに、捕虜の「実的刺突」を加えると言明されていた。

  検閲のその日、6月12日は雲一つない晴天でした。午前中は、部落の南の川原で射撃の検閲がこともなく済まされると、午後からはいよいよ部隊でも初めての「実的刺突」が行われることになりました。

  その頃大隊では、30名ほどの中国人捕虜を抱えて持て余していました。彼らは皆逃げ遅れて捕らえられた「老百姓」(ラオパイシン=農民)でした。大隊長は、その捕虜を初年兵の刺突訓練のために、各中隊に4、5名ずつ分配させました。私は警備兵を連れて機関銃中隊に割り振られた4名を、大隊本部まで受領に行きました。

  部落の東側に隣接した広い畑地には、すでに4本の柱が打ち立てられ、その後ろにはそれぞれに深い穴が掘られていました。周囲には中隊の警備兵が遠く取り囲んでいる。この様子を見てとった4人の捕虜達は一様にはっと顔色を変え、そして口々にこう訴えました。

  「私は百姓です。助けてください」「私は八路軍ではありません。殺さないでください」と。

  なかに15、6歳の少年が居た。彼は私にすがりつくようにして言った。

  「大人(タイジン)、私にはたった一人の母親がいて、私の帰りを待っています。私を家に帰してください」

  彼は泣いて私に訴えた。日本の兵隊の良心に最後の望みを託して、必死に訴え続けた。私にも母親が一人残っていて、私の帰りを待ちわびていた。この少年の叫びが私の心に痛く突き刺さった。然し少年の願いを聞き入れるわけにはいかなかった。少年の願いを聞き入れることは、私の命との引き換えでしか許されません。私は胸をえぐられる思いはしたものの、反射的にその願いを無視せざるを得ませんでした。そして、「戦争に非道は付き物なのだ」と自分に言い聞かせた。

  やがて彼らは、使役兵によって4本の柱に結わえつけられ、人間から「実的」(生きた標的)に変えられてしまった。

  午後の検閲が始まった。大隊長熱田勝利大尉は、馬にまたがり意気揚々としてその英姿を現わした。教育係助教だった私は、実的から百数十メートルはなれた畑の凹地に初年兵を集めて、敵状を説明し、「前方にいる者はすべて敵だ。必ず突き殺せ」と命令した。そして四列縦隊に並んだ先頭の4人に対して、先ず、「出発!」の号令を掛けた。

  兵隊は土煙りを上げながら、無我夢中で畑の上り斜面を這って行った。やがて教官池田准尉の「突っ込め!」の号令がかかる。半狂乱の兵隊が着剣した銃を構えて突進する。よろめいて倒れる者がいる。敵を前にして立ち止まってしまう者もいる。誰だって人殺しは恐ろしい。

  「馬鹿野郎、敵だ、突くんだ!」という教官の罵声を浴びて、兵隊は我に返る。自をつぶって銃剣を突き出す。だがその剣先は空を切ったり、上下へ大きくそれて、なかなか敵の胸を突き刺すことができない。「よし!」の許しが出るまで盲滅法突きまくる。

  次の4人が出発する。事情は全く同じことが7、8回繰り返されて彼らの検閲はめでたく終了した。人間の血の色をした真夏の大陸の夕日が、中国人のなきがらと初年兵の青ざめた顔とを分け隔てなく照らす。長い腸を引きずって死んだ中国人も、血の気を失ってしまった日本兵も、今は一言も発しない。

  この日の夜、中隊は初年兵のために酒をふるまい祝宴を張った。古年次兵たちは、「これでお前たちもやっと一人前になれたなあ。おめでとう!」と口々に言った。だが、初年兵の表情は重苦しくて、その夜は最後まで晴れませんでした

これは実話です、撫順の日本人自虐洗脳1

投稿者: sinnjitu_itiro 投稿日時: 2006/07/15 19:27 投稿番号: [11027 / 41162]
●中国帰還者連絡会(中帰連)
中帰連は昭和32年に結成され、撫順・太原からの帰国戦犯の約半数が加入した。日中友好協会にも団体加入、親中国運動を展開した。
それはつまり反日・反米・反韓・反台であった。
昭和40年、日共と中共党が文化大革命をめぐり対立、日中友好協会も中帰連も代々木・反代々木で分裂、反代々木系は、(正統)をくっつけた。
その頃、中共では戦犯達を改造した先生が撫順監獄にぶちこまれ、改造を迫られるという漫画みたいなことになっていた。

●洗脳の人生
中帰連の人が書いたこういうタイトルの本があったので買ってみた。いかに洗脳されたか、を記述したものかと思ったら、金返せと言いたいぐらい違っていた。
本人の言う洗脳体験とは、天皇の臣民から一人の自由人として「個」を確立したことつまり、「皇国史観を洗い流したこと」が「洗脳」なのだそうだ。
そして、中共政府の「人道と平和に対する姿勢」に全幅の信頼を置いている。
中帰連のHPを覗いたら、すべてそのような考えで貫かれていた。
当然、彼らにとって、中共の軍拡・核開発やチベット・ウイグルでの民衆弾圧は不可触領域である。

●三光
昭和32年、「三光」という本が、衝撃をもって日本人の前に現れた。
内容の過激さゆえ、当初は驚きと同時に疑いをもって見られていたのだが本多勝一氏の朝日新聞連載「中国の旅」で「三光」という語はかなり定着してしまった。
「三光」という言葉は日本語ではない。国民党と中共党がお互いに相手の残虐さを罵るために使ったプロパガンダ用語である。
にもかかわらず「三光」は日本の歴史教科書にまで載るようになった。

中共の歴史観は、階級闘争史観に立っていて、それはつまり、一握りの反動分子と多数の善良な人民大衆という、二極化された構図を前提としている。
権力者は悪人で、一般大衆は善人で虐げられ続けてきた、という決めつけである。
日本の戦争は一部の悪玉によって牽引されたものではない。その上そんな単純な論理で清算できるものでもない。

中帰連の方々は自分が強姦魔であったり、殺人鬼であることを高らかに白状しているわけだが、それをすべて日本軍や日本国のせいだと言っているのだ。
世の中には人一倍性欲の強い人間や、粗暴で人を殺しても何とも思わない人間が、一定の割合で実在するのである。
そんな奴が軍人になり、殺人や強姦を犯したら、それは個人の資質のなせることであり、そんな個人犯罪の責任まで追及されたら軍や国はたまったものではない。
そして、悪行が凄ければ凄いほど、日本軍は極悪非道な存在になるというわけだ。
彼らの自供が「強制された嘘」ではなく、「自発的に語った本当のこと」なら、要するに殺人嗜好、強姦癖の人間が自分の罪を軍や祖国になすりつけ、本人は免罪された、ということである。
帰国のための方便として、洗脳されたふりをして、帰国後は供述を翻したまともな(もともと犯罪など犯していない)人も多いのだ。
ことさら言い立てるのは、面妖である。

戦争という異常な状況下でやったことだ、というのだが、同じ状況下で何もしなかった人もいるのだ。
「ゆきゆきて神軍」のあのおっさんは、戦後、金銭上のトラブルで殺人を犯した。彼の考えたことは、日本軍は戦争で多くの人間を殺した、それに比べれば自分の殺した一人ぐらいどーってことないだろう。彼は執拗に日本軍ひいては天皇を糾弾する行動に出た。
また、金喜姥も個人的資質による殺人を日本人による民族差別に責任をすりかえた。
親中派の活動は反日一辺倒だが、それはまた彼らの生活の糧にも直結している。日中間の経済活動は、窓口として彼らを通さないと成り立たない時期があった。そして、今でも隠然たる影響力を発揮している。

撫順戦犯管理所

投稿者: sinnjitu_itiro 投稿日時: 2006/07/15 19:24 投稿番号: [11026 / 41162]
●撫順戦犯管理所     中共/撫順

昭和11年(1936)日本が建設。当時は「撫順典獄」といった。
昭和20年8月、日本敗戦、その後の国共内戦で国府軍と中共党軍が撫順を制圧するたびに収監者が入れ替わり、
名称も「遼寧第四監獄」「遼寧省第三監獄」と替わった。
中共成立の翌年の昭和25年、日本軍や満洲国そして国民党軍の戦争犯罪人など、約1300人を収容、「旅順戦犯管理所」と改称。
大々的な日本人の洗脳が行われた。
昭和61年(1986)、一般に開放。

中国帰還者連絡会

投稿者: sinnjitu_itiro 投稿日時: 2006/07/15 19:23 投稿番号: [11025 / 41162]
●中国帰還者連絡会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(中帰連 から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
中国帰還者連絡会(ちゅうごくきかんしゃれんらくかい)は中国の撫順戦犯管理所に抑留された旧日本軍の軍人が帰国後の1957年に結成した団体。中帰連。
731部隊、南京事件(南京大虐殺)、強制連行などについて積極的に証言を行うことで知られる。
2002年に全国組織としては解散され、撫順の奇蹟を受け継ぐ会への事業引継ぎを行っている。

Re: これは実話です、君たちの先祖の所作

投稿者: sinnjitu_itiro 投稿日時: 2006/07/15 19:11 投稿番号: [11024 / 41162]
撫順反日洗脳施設出身者の労作ですか(わら

Re: これは実話です、君たちの先祖の所作

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/07/15 19:10 投稿番号: [11023 / 41162]
>(こばやし たけし   中国帰還者連絡会会員)

はい、さらにアウトと。
事実の裏付け・検証のない証言なんぞ何の価値もなし。
貴君の日頃の妄言と同じだよ。

これは実話です、君たちの先祖の所作

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/07/15 19:08 投稿番号: [11022 / 41162]
  私は病父の片足をクイとつかんだ瞬間、激しく蹴飛ばされた。「何おっ、この死にぞこない奴」とばかり何度も何度も蹴り返した。病父はその度ごとに怒りをあらわにしたが、やがて目を閉じ、ぐったりと床に崩れ落ちてしまった。娘はワッと悲痛な叫び声を上げ、胸元に握り締めた手は怒りに震えていたが、忽ち寝台に突き倒されてしまった。

  村上の「ぐずぐずするな!」のどなり声に、私は血に染まった病父の髪の毛をつかむと、中庭の石畳の上に引きずりだして、叩きつけた。「この老いぼれのくせに、ずいぶん手間取らせやがったなあ」と、フウフウ息をはずませていると、中から「おおい、よく見張っておけ!」のどなり声に混じり、娘の怒りの叫ぴ、被服の裂ける音、土器の転がり落ちる音・・・・がした。

  わたしは、「チェッ、手前ばかりがうまいことしやがって、馬鹿馬鹿しい」とつぶやきながら、目を病父に向けると、ウ、ウ、ウと呻きながら手足をピクリ、ピクリ震わせていたが、目をカッと見開き私を睨みつけている目とぶつかった。「ううん、執念深い奴だ。こいつまだ睨みつけていやがるな」と、いきり立った私は、更に銃で殴りつけると、胸元を思いっきり踏みつけた。ボキリと不気味な音がし、カァと開いた口からどす黒い血の固まりを吐き出すと、そのまま動かなくなってしまった。「とうとう、お陀仏しやがった」とつぶやきながら、私はその死体を蹴り転がした。

  村上は、シャツの袖を半分引きちぎり、胸を丸出しにし、帯剣を肩に引っかけ、フウフウ息を弾ませながら出てくると、いきなり私に向かい「おい行ってこい!」と言う。乱れた髪が額にもつれたままの娘は、引き裂かれた衣服をかき集めるようにして乳房を抑え、赤く腫れ上がった瞳は悲痛のどん底にいながらも、強い怒りに燃えたぎっていた。だが、獣欲に飢えた狂人さながらの私は、この娘に襲いかかり、犯した。

  私が出てくると、村上は煙草をふかしながら、娘からぶんどったハンカチを鼻先にひらめかし、「一番戦果はこれでよし、お次の獲物と行くか」と言う。いつの間にか出てきた娘は、父親にすがりつき、「父親、父親」と叫びながら、父親を抱き起こしにかかった。ペットリと胸元から石畳を濡らしたどす黒い血の塊を見た途端、娘は怒りを込めて「日本鬼子!」と絶叫した。その形相のすさまじさに、二人は震えながらその場を逃げ出した。

  日本の兵隊どもは、鶏を腹にぶら下げながら、なおも獲物をあさって駆けめぐり、「中太」(中隊長)は、木陰の椅子にふんぞり返り、逃げ遅れた部落民の怒りの目におびえながらも、軍刀片手に「おい、これだけの人数では、とても戦果を運搬できやしないぞ。もっと付近を掃討して奴等を連れて来い!」とどなりつけている。

  なんの罪もない病父を殴り殺し、その娘を獣欲の毒牙にかけ、平和で幸福であった生活をかたっぱしからぶち壊し、荒れ狂った殺人鬼の私、それが今その親兄弟たちの温かい懐に抱かれて生きていることを考えると、強い慙愧の念に耐えない。そうだ、戦争だ。天皇や財閥の奴どものために、もう二度と人殺しの武器なんか手にするものか。

  俺の前途には、中国人民の踏んだ血で綴られた真理の道、働く全世界人民の突き進んでいる平和への道があるのみだ。

(こばやし たけし   中国帰還者連絡会会員)

Re: 性奴隷

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/07/15 18:38 投稿番号: [11021 / 41162]
>(ゆあさ けん   中国帰還者連絡会常任委員)

はい、またアウト。
懲りないね。

性奴隷

投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/07/15 18:26 投稿番号: [11020 / 41162]
  当時の軍人の目から見ると「慰安婦」は公娼のように見えたのです。料金を払いますし愛想もよかったからです。然し彼女たちには本当のこと、つまり「私は強制され連れて来られた」とか、「帰ろうとしても脅迫され帰れなかった」などとは絶対に言えなかったのです。相手は軍人、ましてや将校、「日本軍を談議する」とか、「戦争に協力しない」として憲兵隊に通報される。またにこにこして兵隊を迎えなければぶん殴られるが関の山。ここに落ちたら泣いても反抗しても同じ、することはしなくてはならない。だから性奴隷です。これが植民地支配の実情です。

  私は路安で一日に30人を相手にして急死した女性のことを聞きました。苦しくても逃げられなかったのです。

  しかし「外出もできたから自由があった。お金を得たから奴隷ではない」などと言う若いマンガ家や「兵隊を拒否しなかったから商売だった」という大学教授もおります。これらは植民地支配や戦地の軍支配の実体を何も知らない人たちの言うことです。「慰安婦」は正しく日本軍の性奴隷だったのです。

  私はまた彼女たちの性病検査をしました。前記の河南省に派遣される部隊が、まだ山西省南部に駐留しているときのことでした。周囲は山々で各分遣隊への道には点々とトーチカが作られておりました。赴任して間もなく大隊長に呼ばれたところ、「嬉しいことがある」とにこにこ顔で言われ、「慰安婦」六、七名が来たのです。別に性病検査の命令は受けなかったのですが、軍医の私しかいないのです。

  私は産婦人科の経験は学生時代しかなく自信がなかったのですが、六、七名の「朝鮮人慰安婦」の性病検査をしました。リンパ腺にふれて腫大をみたり、クスコという器具を性器に突っ込み粘膜の異常をみる。尿道部を圧迫して腹が出るかを検査しました。そして全員合格とし、部隊には回覧を廻して「全員合格だが肉眼的所見によるものだから必ず予防具をつけること」と通知したわけです。

  そこでは又こんなことがありました。「大隊長の子を宿した」と言う女性がいたのです。これには困りました。日本軍の権威に係わることです。そこで大隊副官と相談し「絶対に堕させること」にしました。私は検査官という武器=権力を持っておりましたから彼女も従わざるを得なかったのでしょう。結局よそに行って堕胎したようです。

  私が3年半いた路安陸軍病院のことですが、兵隊は日曜の外出日には慰安所を訪れるのが最大の楽しみでした。整列した兵に「みんな持っているか」「はーい」、予防具を持っているかを確かめるのです。

  また外出日に当番に当たると町を巡察します。肩から巡察の帯をつけて衛兵を連れ肩をいからして歩くのです。乱れた態度の兵を見つけると注意します。私は巡察時には慰安所には行かぬよう先輩から注意されました。その先輩は馴染みの慰安婦から「今日は偉そうな格好している」と冷やかされ、慌てて逃げてきたそうです。また路安では露営会議といって駐屯する部隊の副官が集まり、私も出席し、日曜日だけの外出では慰安所がいっぱいになるから、部隊に外出曜日を割りあてました。また物価騰貴の折から2円を3円に値上げしたように記憶しています。このように慰安所の経営は業者(軍属?)が行ったのですが、管理は軍がしていたのです。結局戦地の兵士は殆ど全部慰安所を訪れたでしょう。

  以上のほか私が他の軍人と違う体験をしたのは、敗戦後も2700名の軍人と共に国民党軍に徴用され3年半も人民解放軍と戦ったわけですが、その中に軍人の妻となった朝鮮人慰安婦が何十名かおりました。そして全中国の解放時に軍人は捕虜収容所に収容されましたが、彼女たちは軍人の家族として家族隊で生活していました。その時、日本軍国主義の束縛から解放された彼女たちは、「日本軍に騙されいた」「村祭りで遊んでいたら軍人に集められつれて行かれた」「父親の『承諾書』を見せられたが父親は字が書けなかったのに」「苦しくて消毒薬をのんで死を図った」等々の不満が噴出したそうです。

  また殆どの捕虜と家族は、1953年夏帰国を許され大部分は朝鮮に一部は日本に帰りましたが、日本の家庭では彼女らは受け入れられず、ただ働いて働いて多くは苦しみの中に亡くなられたと聞いています。

(ゆあさ けん   中国帰還者連絡会常任委員)

【略歴】
1916年   東京生まれ(父・開業医)
1941年   東京慈恵医科大学卒業   駒込病院勤務
1942年   北支山西路安陸軍病院赴任
1945年   太源にて敗戦
1949年   人民解放軍より釈放   政府病院勤務
1951年   河北省永年の捕虜収容所に家族と共に収容
1956年   起訴猶予で釈放、帰国

Re: シナ兵による日本軍捕虜虐殺

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/15 17:18 投稿番号: [11019 / 41162]
>へえ、どこで?写真については偽だとか認めていたようだけど記事そのものもデマだとして謝罪してた?

ホー、猿脳君はおもしろいこというね。写真はデマだけど、デマ写真を解説した文章はデマじゃないんだってよ。コーヒー君も同じかね?

君が引用した

「やつら(支那人)は、それを楽しんでました。 頭が切り落とされるのを待っていて、頭を手に取り、サッカーをしたのです。 ・・・本当に酷いことです。(以下略)・・・」

Re: シナ兵による日本軍捕虜虐殺

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/07/15 15:35 投稿番号: [11018 / 41162]
>これって。デマ記事であることを指摘されて、
コーヒー君が、CNNだから確かかと思って、中味を見ずに読まずに確かめずに貼りました、ごめんなさい、と謝ったはずですよ。

へえ、どこで?写真については偽だとか認めていたようだけど記事そのものもデマだとして謝罪してた?どこで。

それにCNNの記事は数ある証言、証拠の一つにすぎない。

ま、それはともかく、

1。自国民にたいする略奪暴行虐殺。
2。日本民間人にたいする拷問虐殺。
3。漢奸にたいする拷問虐殺。

このような無法行為をしていたシナ兵が殺し合いの相手である日本兵捕虜にだけは、紳士的にふるまったというなら、よほど頭がいかれて(ぴーポーして)いる。

Re: 南京大虐殺の何が悪い!

投稿者: ipodsd 投稿日時: 2006/07/15 10:41 投稿番号: [11017 / 41162]
中国人は南京大虐殺を恥じるべきではない。
そして隠す必要もない。
中国人に残虐行為はつきものなのだ。
なぜなら中国はすべて狂気なのだから。
正常な理性を持った中国人でも軍隊にはいれば狂気を持つ。
狂気を持てなければ兵隊として失格なのだ。
とりわけ中国人の敗残兵、便衣兵の残忍さは酷い

『社会の中で生きる人間は、その性欲や攻撃性を思う存分に満足させるわけにはいかず、つねに抑圧している。   ところが戦争のような事態になると、そうした本能的欲求を爆発させる。
戦争はつねに、国家を守るためなどといった大義名分があるが、戦争に参加する中国人個々の人間はかならずしもその大義のためだけに戦っているわけではない。つまり、戦場で見方を惨殺したり自国の女子を強姦したりする行為には、そのような大義名分だけではなく、中国人に生まれつき備わっている攻撃性や性欲を満足させるという要因がある』     


Richard Cheney

南京大虐殺の何が悪い!

投稿者: richard_cheney_jr 投稿日時: 2006/07/15 10:32 投稿番号: [11016 / 41162]
日本人は南京大虐殺を恥じるべきではない。
そして隠す必要もない。
戦争に残虐行為はつきものなのだ。
なぜなら軍隊はすべて狂気なのだから。
正常な理性を持った人間でも軍隊にはいれば狂気を持つ。
狂気を持てなければ兵隊として失格なのだ。


『社会の中で生きる人間は、その性欲や攻撃性を思う存分に満足させるわけにはいかず、つねに抑圧している。   ところが戦争のような事態になると、そうした本能的欲求を爆発させる。
戦争はつねに、自由主義を守るためなどといった大義名分があるが、戦争に参加する個々の人間はかならずしもその大義のためだけに戦っているわけではない。つまり、戦場で敵を惨殺したり敵国の女子を強姦したりする行為には、そのような大義名分だけではなく、人間に生まれつき備わっている攻撃性や性欲を満足させるという要因がある』     

  ジクムント・フロイト

Re: 旧日本軍の重慶爆撃

投稿者: ipodsd 投稿日時: 2006/07/15 10:07 投稿番号: [11015 / 41162]
日本の国土(租借地、租界等を含む)を武力で侵略しようとして撃退され、航空機で無差別爆撃を仕掛け、不法戦闘を繰り返す
敵には、戦闘能力を失わせるための、それ相応の対処をしたっていい、っていうのが、
コーヒー君の正義の大元、
権現様、っていうわけだね。



げらげらげら













ボケ!

nihonnjinnoryoushin さま

投稿者: yousunwai 投稿日時: 2006/07/15 10:00 投稿番号: [11014 / 41162]
南京で虐殺された日本人のことを想像してください

中国人が、中国人をレイプし、泣き叫ぶ声が聞こえてきませんか

銃剣でさされ、苦しむ声が聞こえてきませんか

山のような死体は

やがて   川に流されていきました

耳をすましてください

魂のさけびを聞いてください

苦しみさまよう魂を救ってあげてください

どうか   中国人もご一緒に謝罪してください

Re: 旧日本軍の重慶爆撃

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/15 09:58 投稿番号: [11013 / 41162]
>蒋介石らが日本の和平の呼び掛けに応じて戦争を止めれば、巌谷くんたちが対空放火をかいくぐって重慶に爆撃しに行かなくっても良かったのだ。

巌谷くんの弁解は役立たずで
誰一人として説得できず、
コーヒー君は自信をなくして
そこに助けを求めたってワケか。

降服しない敵には何したっていい、っていうのが、
コーヒー君の正義の大元、
権現様、っていうわけだね。

Re: deliciousicecoffee さま

投稿者: ipodsd 投稿日時: 2006/07/15 09:57 投稿番号: [11012 / 41162]
南京で中国兵に虐殺されたひとびとのことを想像してください

自暴自棄の中国便衣兵にレイプされ、泣き叫ぶ声が聞こえてきませんか

国民党の清野作戦で焼き払われ銃剣でさされ、苦しむ声が聞こえてきませんか

山のような死体は

やがて   川に流されていきました

耳をすましてください

魂のさけびを聞いてください

苦しみさまよう魂を救ってあげてください

どうか   あなたもご一緒に中国兵をのろい殺してください

deliciousicecoffee さま

投稿者: nihonnjinnoryoushin 投稿日時: 2006/07/15 09:49 投稿番号: [11011 / 41162]
南京で虐殺されたひとびとのことを想像してください

レイプされ、泣き叫ぶ声が聞こえてきませんか

銃剣でさされ、苦しむ声が聞こえてきませんか

山のような死体は

やがて   川に流されていきました

耳をすましてください

魂のさけびを聞いてください

苦しみさまよう魂を救ってあげてください

どうか   あなたもご一緒に謝罪してください

 

Re: 日本人は良心を失ってはいません

投稿者: qvq_v 投稿日時: 2006/07/15 09:46 投稿番号: [11010 / 41162]
お前は   謝罪する振りをしながら「なかった派」を挑発している。

日本人は良心を失ってはいません

投稿者: nihonnjinnoryoushin 投稿日時: 2006/07/15 09:37 投稿番号: [11009 / 41162]
さいきん、日本人の一部に

南京大虐殺がなかったという人たちがいます

あまりに昔のことなので

若い日本人には信じられないのかもしれません

犠牲者のみなさま

どうかお許しください

ほんとうに   ほんとうに   すいませんでした

Re: 日本人の一人として謝罪します

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/15 09:33 投稿番号: [11008 / 41162]
オマエは、日本人の一人として謝罪するのではなく、支那人か朝鮮人に帰化してしまえ。

Re: 旧日本軍の重慶爆撃

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/15 09:31 投稿番号: [11007 / 41162]
>>重慶市街にも相当数の対空砲台があり、

>もしかして、そこからテポドンを東京に向けて撃っていたのかね(笑)。
>巌谷くんたちがバクゲキキでご訪問しなければ、味方の被害は増大しないのだろう?   対空砲台ってなに?

蒋介石らが日本の和平の呼び掛けに応じて戦争を止めれば、巌谷くんたちが対空放火をかいくぐって重慶に爆撃しに行かなくっても良かったのだ。

日本人の一人として謝罪します

投稿者: nihonnjinnoryoushin 投稿日時: 2006/07/15 09:29 投稿番号: [11006 / 41162]
どんなにか痛かったでしょう

どんなにか苦しかったでしょう

どんなにか悲しかったでしょう

どんなにか怖かったでしょう

ほんとうに

ほんとうに申し訳ありませんでした

Re: 南京虐殺なんてないですよ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/15 09:24 投稿番号: [11005 / 41162]
>いつと言われれば   上海から南京にかけてでしょう
>浸透戦術や並行進撃があり南京の包囲   陥落   ですからね
>実数の特定はほぼ不可能でしょう
>残された資料から見て5万から15万の間と推定する以外無いと思います
>部隊も指揮官の記述などから推測するしかないですね


はぁ?
日本軍による支那人捕虜の虐殺が5万〜15万あったって?
話にならないね。
別宮暖朗のHPなんかで勉強しちゃうから頓珍漢になってしまうのだよ。
10日くらい前のnmwgipさんの投稿で、#10494を読んでないの?
――――――
(一部抜粋)
そして最終的に撃滅、処断推定約1万6千人、但し、不法殺害を推定したものではないと結論している。
  南京戦史は(畝本氏は)「これらの当、不当に対する考察は避けた」と慎重な表現を用いているが、一つ一つ内容を見てみれば、明確に不法殺害の可能性があると判断しているのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみだ。
――――――



>私は優秀ではないでしょう   ただ事実を知りたくて資料を突き合せていった結果です

別宮暖朗のHP?



>私も所謂   南京大虐殺は無かったと思いますよ
>ただ捕虜の殺害がありそれは国際法違反だ   と言っているのです

日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護した。
一方の支那軍は支那事変8年間で日本兵を1人もマトモに捕虜として保護しなかった。
国際法が聞いて呆れる。
まー、#10494を読みなさい。



>私も「裁判の内容や判決理由」まで認めるとは思いません
>しかし   判決は認めねばなりません   当然おっしゃる通り   刑の執行の継承もです
>そんな事を認めねばならなくなったのは不本意ではありませんか?

意味が良く分からない。
日本は講和条約で判決(刑の執行の継承)を受諾したが、裁判(内容や判決理由)は受諾していない。
当時はそれでしょうがなかったと思う。



>私はあったと思われる資料も論も説明した
>では無かったと思われる反証をしてみてください
>浸透戦術を如何にして捕虜を出さずに行うか
>(これはほぼ不可能です   何故なら包囲し降伏させるのが目的ですから)


はぁ?
だから、日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護した事実がある。
――――――
「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日
――――――
投降したり怪我したりして捕まったら、「反戦兵士」にされる者以外全員が惨殺されたのは日本兵の方だよ。
支那兵の方は、ちゃんと日本軍によって捕虜として保護されていたんだよ。



>並行進撃時   投降する兵に患わされず   如何に急速に進撃するか
>またこの作戦時に   捕虜に対処する手段を考慮していなかった野戦軍が如何に対処するのか
>そこまで調べた上での事なのですけどね

何で調べたかが問題かもね。

Re: あった派の論理構造

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/15 08:46 投稿番号: [11004 / 41162]
>多田参謀本部次長は蒋介石の照会に応ずるべきと主張
>近衛は反対


貴方の知識の源泉は、別宮暖朗ではないですか?
別宮暖朗のトラウトマン工作については読んでいないが、彼のHPの南京戦についての記述は読んだことがある。
捕虜殺害に関する論など滅茶苦茶で軍事評論家とは到底言えない低レベルだから彼の言う事を真に受けたら駄目だ。

尾崎秀実ら共産主義者たちがが、戦後の共産革命を目指し、近衛を利用して戦争の継続・拡大を画策していたのは分かるが、蒋介石だって日本の和平案に応じる気はなかった。
12月〜1月のトラウトマン工作の前にも後にも日本からの和平案は何度もあったが、蒋介石は戦争継続で一貫していた。
条件の吊り上げなんて関係ない。
もともとの条件が異常なまでに譲歩したものだったのだから。


11月、日本は支那に対して穏当な和平案を提出したが、蒋介石はそれを無視して戦線を南京に拡大した。

11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、提示した日本側の条件は、
――――――
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
――――――
というものだった。
この内容を、ディルクセン駐日独大使は「穏当なもの、これなら支那側の面子も潰れないだろう」と述べた。
後に、支那の白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいの条件だった。

11月6日、トラウトマン駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴った。
蒋介石は、国連に「日本が侵略している」と訴え、これが9カ国会議に付託され審議されていたので、いい結果が出るのを期待していた。
支那は自分の方から戦争を仕掛けておきながら、「悪いのは日本だ」と国際社会に訴えた訳だ。

2005年春、反日デモをさせておいて、「悪いのは日本だ」と言ったり、呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンして、「悪いのは日本だ」と言い放つ支那は、昔も今もまったく変わっていないのだ。
これぞ、支那4千年の歴史なのだ。

日本は、戦争をやめたくても支那がやめない限りやめられない。
一方的に停戦したとしても、支那が態勢を建て直して襲撃してくるのは経験済みだからだ。

蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に向かって公言した。
これではまるで日本が侵略しているかのようだ。

そして11月20日の「遷都宣言」でも次の様に言った。
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」

日本は「戦争を止めよう」と言ってるのに対し、蒋介石はそれを拒否しながら、こんな事を言ってた訳だ。


11月20日、第10軍から参謀本部に、「集団は19日朝、全力をもって南京に向かってする迫撃を命令」という報告が届けられた(11.19日発電)。対する蒋介石は重慶への「遷都宣言」
12月1日、「大本営」は、南京攻略を正式に発令。
12月8日、南京防衛軍司令官の唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に集結しなければならない」と布告
12月10日、唐生智は、日本軍の降伏勧告を拒否し、「本軍は…、南京固守最後の戦闘に突入した。各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」と下命


南京占領後、日本はまたもや和平を持ちかけた。
和平案は、以前日本が提出した異常なまでに譲歩した条件と比べれば、日本国民が納得するようにと多少戦勝国らしい体裁を繕ったが、領土などの要求はしなかった。

●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る
1月16日、日本政府が「国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明

Re: シナ兵による日本軍捕虜虐殺

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/15 06:15 投稿番号: [11003 / 41162]
>コーヒー君も10908

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6af c0a9oa29ta4n13&sid=1143582&action=m&mid=10908

これだよね。
これって。デマ記事であることを指摘されて、
コーヒー君が、

CNNだから確かかと思って、中味を見ずに読まずに確かめずに貼りました、ごめんなさい、

と謝ったはずですよ。(逆切れ黄身なのはもんだいだが)
君もちゃんと調べたほうがいいよ。

1920年代の中国官憲による犯罪者の公開処刑。「スイス人写真家」はガセ。
ガセ屋がCNNを騙す。⇒よしのりが喰い付く⇒アホウヨたちがウエブに貼りまくる⇒洗脳されたコーヒー君や猿脳君が取り残される   ということでつか?

Re: 旧日本軍の重慶爆撃

投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/15 06:00 投稿番号: [11002 / 41162]
>重慶市街にも相当数の対空砲台があり、

もしかして、そこからテポドンを東京に向けて撃っていたのかね(笑)。
巌谷くんたちがバクゲキキでご訪問しなければ、味方の被害は増大しないのだろう?   対空砲台ってなに?

>蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)

それはルメイ達もいっているだろう。だから「戦略爆撃」という用語になっちょる。

Re: あった派の論理構造、横

投稿者: kikusakura2004 投稿日時: 2006/07/15 03:13 投稿番号: [11001 / 41162]
尾崎秀実は、西園寺公一を通じて、近衞に近づき、朝飯会の構成員となった。

近衞は西園寺を高く評価していた。

ゾルゲと尾崎の接点は上海か。松本重治も上海。

西安事件の結末を予測していたのは、尾崎秀美。

支那通として一目置かれた。

外務省や軍、経済企画院にも転向組がいた。

外務省内ソ連スパイ網は、ゾルゲが捕まっても維持されていた。

郭沫若, 寥承志、周恩来と西園寺公一の関係は不明だが、文革で劉少奇が失脚して日本に帰国。

申し訳無い

投稿者: vf88 投稿日時: 2006/07/15 02:08 投稿番号: [11000 / 41162]
皆様へ

私としては自分の調べた事が書きこめて非常に楽しいのですが
仕事の事情で少しばかり書きこみ出来ない状態となるやもしれません
申し訳無いのですが   予めご了承ください

Re: あった派の論理構造、横

投稿者: vf88 投稿日時: 2006/07/15 02:03 投稿番号: [10999 / 41162]
私も惜しいと思います   これは痛恨の失敗だったと思います

尾崎の件は不明なのですが
蒋介石無視   汪兆銘政権樹立策は積極的に説いているようですね
近衛は国民の人気取りが主眼だったようで
世間ではもっとやれ   という意見が多かったようです
本当は   政治家として近代戦ではあまり益が無い事を国民に説明し納得してもらうか
国民の批判を被っても国益を考えるべきでしたが
そのように動けなかったようです
スパイとしてはゾルゲの方が面白いかもしれませんよ

Re: 南京虐殺なんてないですよ

投稿者: vf88 投稿日時: 2006/07/15 01:46 投稿番号: [10998 / 41162]
いつと言われれば   上海から南京にかけてでしょう
浸透戦術や並行進撃があり南京の包囲   陥落   ですからね
実数の特定はほぼ不可能でしょう
残された資料から見て5万から15万の間と推定する以外無いと思います
部隊も指揮官の記述などから推測するしかないですね

私は優秀ではないでしょう   ただ事実を知りたくて資料を突き合せていった結果です

私も所謂   南京大虐殺は無かったと思いますよ
ただ捕虜の殺害がありそれは国際法違反だ   と言っているのです

私も「裁判の内容や判決理由」まで認めるとは思いません
しかし   判決は認めねばなりません   当然おっしゃる通り   刑の執行の継承もです
そんな事を認めねばならなくなったのは不本意ではありませんか?
もしトラウトマン工作が成功して一時でも和平が成立し
日米戦(おこなわれないと思われますが)で敗戦しても東京裁判では事案には出来ません
既に妥結した物として扱われ二次大戦とは別物とされたでしょう

私はあったと思われる資料も論も説明した
では無かったと思われる反証をしてみてください
浸透戦術を如何にして捕虜を出さずに行うか
(これはほぼ不可能です   何故なら包囲し降伏させるのが目的ですから)
並行進撃時   投降する兵に患わされず   如何に急速に進撃するか
またこの作戦時に   捕虜に対処する手段を考慮していなかった野戦軍が如何に対処するのか
そこまで調べた上での事なのですけどね
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)