Re: 旧日本軍の重慶爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/14 23:46 投稿番号: [10982 / 41162]
>このことから考えると、ほとんど無抵抗の都市にこれだけの攻撃を加える軍事基地が有ったとは考えられず、残念ながら無差別爆撃であったと言われても、よほどの証拠が無い限り反論の余地は少ないものと思います。
また、支那軍が上海で行なった故意にホテルやデパートを狙った大量殺戮爆撃や米軍が行った東京などの住宅地への焼夷弾による絨毯爆撃や広島・長崎への原爆投下と同列にするのは大間違い。
【重慶爆撃】
・支那軍が対空砲台を市街地に設置していた。
・1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。
・1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)
・したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は少なかった。
・『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)によると、1939年〜1943年の5年間で死者1万1889人。
・戦争の早期終結への願望も要因としてあっただろう。
(参考)
#5913、#5927、#5934など
(参考資料)
――――――
海軍航空隊の指揮官として、重慶爆撃に参加した巌谷二三男氏の証言
「
[一九四〇年]六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
これは メッセージ 10964 (jyugunianfunohigeki さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/10982.html