日中関係
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メスブタが産んだ日本のガキオヤジ
投稿者: kota234kota 投稿日時: 2013/01/28 22:15 投稿番号: [196079 / 196466]
他人の不幸を嬉しがる低能オヤジを追放しなければ世界は浄化されない。
ドロミヅ啜って呑みやがれ。
これは メッセージ 196078 (舎烏 さん)への返信です.
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Re: ロンドンスモッグ(殺人スモッグ)。
投稿者: bnqdbofmde 投稿日時: 2013/01/28 22:11 投稿番号: [196078 / 196466]
中国政府が昨年12月発表した「重点地域の大気汚染対策」(2011〜15)では1000億元(約1兆4000億円)を大気汚染の深刻な3つの地域(北京・天津・河北、長江デルタ地帯、珠江デルタ地帯)と9大都市群(遼寧省中部、山東半島、武漢市とその周辺、長沙・株州・湘潭エリア、四川省中部・北部、陝西省漢中エリア、新疆ウイグル自治区ウルムチ都市群)に投入し、107都市で大気汚染の総合的な対策を進める。この対策の対象地域は、げんざいの大気汚染による被害地域と基本的に一致している。
大気汚染、土壌汚染、水質汚染を浄化し元にもどすのは「2005年時の大気状態に戻すには10年以上かかる」そうだ。たかだか1000億元(約1兆4000億円)を対策費として投入した。この金額では汚染を取り除くにはまさに、スズメの涙というもの。
ハッキリ言ってこの中国の汚染状況はロンドンよりも遥かに広範囲で、汚染の状況が深刻である。
まだ命が失われていないなんてとんでもない。中国ではもうこれが原因で年間66万人の人が死んでいる。
これからもっと深刻な状況になるだろう。
これは メッセージ 196072 (sin*you* さん)への返信です.
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Re: 中華思想と大気汚染
投稿者: kota234kota 投稿日時: 2013/01/28 22:10 投稿番号: [196077 / 196466]
メス犬の股からでてきたってのは、オマエのことだよ。
これは メッセージ 196070 (mr_*hin** さん)への返信です.
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Re: 中華思想と 日本のメス犬息子
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/28 22:10 投稿番号: [196076 / 196466]
反日教育を国家挙げて行っている民族、チャンコロやチョンスケに同情して貰いたくも有りませんな〜。
これは メッセージ 196073 (siro さん)への返信です.
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Re: 大東亜戦争肯定論、良い本です
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 22:09 投稿番号: [196075 / 196466]
左翼がクルクルパーな理由は視野狭窄だからです
それが証拠に若いときに左翼思想に染まることが多い
例えば、
モンゴル語も満州語も知らずに中国史を語る左翼の学者
西洋史を枠外に置いて日清日露戦争を左翼学者
過去の価値観や忘れて現在の価値観で歴史を語る左翼の学者
等など、このように左翼の学者は二流三流の学者ばかりだ。
殊に、東大や京大にいる歴史学者は三流だな
>>
昔、二十歳頃に読みましたが、本当に良い本です。
東南アジアでも、アフリカでも、中南米でも、
戦前の日本の偉業が讃えられている、、これが真実だ
これは メッセージ 196063 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
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Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2013/01/28 22:07 投稿番号: [196074 / 196466]
チャンコロのシンチョウ。
清王朝は台湾は毛外の地として、日本国の領土だと文献に残しているんだが。
日清戦争で、敗戦した清王朝が、その日本国の領土と認定していた台湾国を日本国に永久割譲〜。何が如何あれ、台湾国は日本国。お前ら蒋介石が奪った日本国の領土。
そもそも、清王朝って満州人が創った国だがなぁ〜。お前ら漢民族は万里の長城より北には出て行ってはならんのだがなぁ〜。
南はそれこそ南京止まりがお前らの生息範囲だの〜。西方面はチベット、東トルキスタン内モンゴルは元より外国だがなぁ〜。
ま、漢民族は元に戻れ〜!それが世界や人類の為〜!
これは メッセージ 196071 (sin*you* さん)への返信です.
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Re: 中華思想と 日本のメス犬息子
投稿者: kota234kota 投稿日時: 2013/01/28 22:06 投稿番号: [196073 / 196466]
>>>何が中華思想だ「ザマー見ろ」と言いたい。この環境汚染
>>>>>呼吸器系の病気で治療を受けにきた患者数は、900人に達したという。このほか、>>>>同院は平均で1日に1万人近い患者を診察しているが
オマエは日本国の恥だ。南朝鮮人が3.11
日本の東北災害のとき喜んだのと同じ
レベルの人間だ。オマエはメス犬の股の間から産まれてきたようだな。
これは メッセージ 196068 (舎烏 さん)への返信です.
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ロンドンスモッグ(殺人スモッグ)。
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 21:25 投稿番号: [196072 / 196466]
<1952年12月5日から12月10日の間、高気圧がイギリス上空を覆い、その結果冷たい霧がロンドンを覆った。
あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使った。
同じ頃、ロンドンの地上交通を路面電車からディーゼルバスに転換する事業が完了したばかりだった。
こうして暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、滞留し濃縮されてpH2ともいわれる強酸性の高濃度の硫酸の霧を形成した。
亜硫酸ガスのピーク濃度は、平常時に 0.1 ppm 程度だったものが 0.7 ppm 、浮遊煤塵の量は平常時に 0.2 mg/m3 だったものが 1.7 mg/m3 を超えていた。
この濃いスモッグは、前方が見えず運転ができないほどのものだった。
特にロンドン東部の工業地帯・港湾地帯では自分の足元も見えないほどの濃さだった。
建物内にまでスモッグが侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やスクリーンが見えない」との理由で上演や上映が中止された。
同様に多くの家にもスモッグは侵入していた。
人々は目が痛み、のどや鼻を痛め咳が止まらなくなった。
大スモッグの次の週までに、病院では気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの重い患者が次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明らかになった。
その多くは老人や子供や慢性疾患の患者であった。その後の数週間でさらに8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。<<
ま、日本も経済成長時代には四日市公害もあった事だし、死者が出ていないなら手遅れになる事も無いだろう。
放射能を撒き散らしている訳でもないし、本気で対処すれば、数年で解決出来るだろう。
数万年かかる事は無いと思ふ。
。
これは メッセージ 196068 (舎烏 さん)への返信です.
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Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3
投稿者: sintyou7 投稿日時: 2013/01/28 21:16 投稿番号: [196071 / 196466]
何か、前にも同じ論争ありませんでしたっけ?
<日本政府は依然として「尖閣諸島」は、わが国「固有の領土」だといい、また中国も「釣魚諸島」を中国「固有の領土」と主張しているからだ。
「固有」という言葉を広辞苑で引けば、以下二つの解が示されている。「①天然に有する。もとからあること。②その物だけにあること。特有」。
この二つの解のなかで、この問題に該当するのは①の解だが、もちろん、この言葉の厳密な解である「天然に有する」は、この場合、適用できない。
この厳密な解での「固有の領土」などというものは、この人類社会には存在しないからだ。
手っ取り早くいえば、狩猟社会には「領土」は存在しない。
それは、たとえば、「國(くに)」という漢字を解体すれば、自ずから明らかだろう。
「囗」は囲いで、まさに領土、「戈」は武器で、口は人で、一は大地だ。つまり、人類は狩猟社会から農業社会に入って初めて国家を作り、領土を持つに至ったわけだ。
ここで「固有の領土」という言葉で言われているのは、やや漠然した解での「固有の領土」で、「もとからある領土」という程度の意味だ。
だから「尖閣諸島」=「釣魚諸島」問題はややこしいことになる。
中国では明代から釣魚諸島のことは知られていただけではなく、それぞれの島嶼に名前がつけられていた。つまり「釣魚台」「赤尾嶼」などと。
それだけではなく、江戸時代中期に出版された林子平の『三国通覧図説』(1785年)には、中国の地誌を取り入れた地図がつけられ、そこには、これらの島嶼が清国の領土として桃色に刷り分けられている。
ところが、それから時代が下って、日清戦争の最中の1895年1月、日本は国際法上、釣魚諸島が「実効支配」のない「無主の地」であるとして日本の領土に加えることを宣言したのだ。
それに対して、清国政府だけではなく、その後の国民政府からも公然とした抗議が寄せられず、以来、数十年も経っているから、わが国「固有の領土」であるというのが、現在の日本政府の立場だ。
しかし、国際法の「無主の地の先占」の概念(分かりやすくいえば、どこの国家にも属していない土地は、最初に同地に国旗を立てた国の領土としていいという法理論)は歴史的にも大きな問題を孕んでいる。
西歐列強は、あの大航海時代を通じて、この法理によってアフリカやアジアやアメリカのもろもろの未開地域、つまり彼らのいう「無主の地」を自身の「領土」と宣言し、植民地にしてきたからだ。
日本も彼らにならって、具体的には米英の外交官の指導を受けて近隣地域を自身の領土に加えようとしていた。たとえば、「台湾出兵」など。
沖縄はもと琉球王朝として独立の国家だったが、日本帝国の膨張主義政策のなかで、具体的には「台湾出兵」や日清戦争の過程で日本の領土となったものだ。
そういう背景のなかでの釣魚諸島の領有だ。したがって堂々と胸を張って、「尖閣諸島」は、わが国「固有の領土」だと言えるものではない。
「尖閣諸島」の名前は、もとはいえば、英国の海軍調査官がPinnacle Islandsと呼んだものを、日本海軍が日本語訳したものに由来する。このことも、この間の事情を雄弁に語っているといっていいだろう。
こういう歴史的な背景を考えれば、「尖閣諸島はわが国固有な領土である。領土問題は存在しない。粛々と国内法に照らして中国漁船の違法行為を処理する」という前原外相の言葉はあまりに軽すぎ、中国政府の激しい反発も招いたのは当然だったといわざるを得ないだろう。
いつまでも、この問題を棚上げしておくわけにもいくまい。日本政府は真正面から、この問題に向き合い、「戦略的互恵」を踏まえて中国政府と協議と交渉を進めるべきだろう。
この水域は、いずれにせよ、日中の領海が隣り合う地域である。東アジア共同体が近未来に眺望される現在、それに向かって平和な海を実現することが急務だろう。<<
つまり、尖閣諸島の昔からの本来の名前は、「釣魚島」、「赤尾嶼」であり、
Pinnacle Islands=尖閣
と名付けている時点で既に、イギリスが名付けた名前を流用しただけの島名であり、固有の領土では無いという事を証明している。
日本が尖閣諸島の領有を主張したいのなら、本来の名前へ変更してからの話である。
。
これは メッセージ 196067 (mr_*hin** さん)への返信です.
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Re: 中華思想と大気汚染
投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 19:56 投稿番号: [196070 / 196466]
日本は、40年前にこのことを中国に忠告したのだが、中国は聞く耳を持たなかった。残念なことである。身から出たサビとはこのことだな(苦笑)。では、食事じゃ。暫時失礼する^^。
これは メッセージ 196068 (舎烏 さん)への返信です.
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Re: 『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 19:49 投稿番号: [196069 / 196466]
>過去の戦争が、植民地解放目的の
「聖戦」だった
というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは
単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な
侵略戦争を、到底
正当化できるものでは
ないのだ――
と、オイラは
徒然と
想うんだけどね・・・・
↑
確かに当時の日本の朝鮮/満州/中国への進出は、「聖戦」ではなかったと私も考える。当時の朝鮮/満州/中国は、まだ欧米列強の植民地ではなかったから、植民地解放「聖戦」にはあたらない。だが、タイを除く東南アジア、すなわちインドシナ半島やインドネシア、ビルマ、インド、フィリピン等はすべて欧米の植民地であった。日本が南進したのは、植民地解放が主眼ではなく、主眼は資源貧弱な日本の経済軍事力を支えるための石油等南方資源を手に入れるためであった。
したがって、旧日本の進出については、端緒が異なる朝鮮/満州/中国と東南アジア南方地域を別々に分けて考察考証する必要がある。特に南方諸国では、東洋の小国にすぎない日本が強大と思われていた白人優越主義の欧米列強を駆逐したことに大いに元気勇気付けられ、白色人種に対する無意識の服従や劣等感を払拭している。
これに対し、朝鮮/満州/中国への進出は、これが先の大戦の発端なのだが、南方諸国への進出とは決定的に異なる理由/原因がある。貴殿が引用されたこの論評は一理あるが、一方の視点からしか分析評価していない。なぜそうなったのか?
との状況動機には目を塞いでいる。したがって論文論評としては、この内容部分だけでは「片手落ち」である。もしこの執筆者が私の研究室に入りたいと希望しても、私は選抜しないだろうな。偏狭狭隘な心に問題があり、研究者としては不適格ということだ。
では、日本が先の大戦に至った根本的理由と原因を時間を見ながら考察してみよう。タイトルは、それぞれケースごとに適宜変えて論じる。強大脅威な帝政ロシアの南下政策と日清戦争/日露戦争/三国干渉からリットン調査団/ABCD包囲網/ハルノート/太平洋戦争に至る過程と状況を順に分析考察してみたい。大事なことである。
これは メッセージ 196029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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中華思想と大気汚染
投稿者: bnqdbofmde 投稿日時: 2013/01/28 19:06 投稿番号: [196068 / 196466]
『中国新聞網』(1月13日付け)は、中国各地で広範囲にわたって有害物質を含んだ濃霧が発生している事態を次のように伝えた。
北京では連日の濃霧により、都市部では6段階で最高の汚染度を記録している。街全体に有害物質が立ち込め、住民が汚染された空気を吸っている状況に、ネット上では「人間清浄機」といったジョークまで登場している。観測センターによると、大気汚染影響で呼吸器や循環器の疾患で病院に搬送される患者が急増している。
『チャイナフォトプレス』(1月14日付け)は、次のように伝えている。
北京市ではここ数日の深刻な大気汚染により、呼吸器系の病気を患う人が増えている。なかでも、年配者や子供の患者が目立っている。北京児童医院の看護師によると、同院には毎日800人をこえる呼吸器系の病気を患った子供が治療を受けている。今月13日、呼吸器系の病気で治療を受けにきた患者数は、900人に達したという。このほか、同院は平均で1日に1万人近い患者を診察しているが、うち30%が呼吸器系の病気だという。
『チャイナレコード』(1月13日付け)は次のように伝えている。
1月11日、米国の国家高齢者問題研究所の研究者は、1万5000人近くの50歳以上の高齢者を対象とした調査により、空気中の微粒子状物質(PM2.5)は思考力の低下(脳の劣化)を引き起こす重要な環境リスク要因である。という可能性を発見した。微粒子状物質は体内に吸収されると体積が小さいため、肺や大脳に蓄積される可能性があるという。空気汚染が肺への影響を通じて、人間の平均寿命を著しく縮めるという。
中国政府は財政支出の基本方針を間違えている。防衛予算にGDPの2パーセントもの巨額を使い、環境対策予算は0.56%(2011年)と微々たるものである。この差はどこから来るのか。防衛予算では既得権益が張り巡らされており、ここから甘い汁を吸っている集団が存在しているはずである。彼らが推進力となって、防衛費の底上げの策略をめぐらせている。中国政治の実態から判断して、十分に想像できることだ。環境対策はそうした既得権益集団も存在せず、これまで地方政府自体が環境対策に不熱心であった。
環境対策予算は、建設事業などGDPを直接押し上げる分野に回して、自らの出世の踏み台にしてきたことは明白である。これが、中国官僚の一般的な姿である。これらの恐るべき環境破壊の結果、健康を害した国民は年に100万人を超したという。この人達への治療などにかかる医療費は莫大な金額に膨れ上がっていくだろう。
習近平の唱える「中華思想」を基にした「中華民族再興」なる夢物語のために、GDPの2%といわれる莫大な軍事費をつぎ込み、周辺諸国と摩擦をおこし、自国の国民にはおそるべき環境破壊による食糧生産の滞り、健康侵害を強いている。
何が中華思想だ「ザマー見ろ」と言いたい。この環境汚染、環境破壊の被害から逃れる手っ取り早い方法を教えてやろうか?。
習近平が日本の皇居前で跪き、天皇陛下の前で三跪九叩頭の礼をすることである。
日本はこの環境汚染から逃れるノウハウと技術を持っている。
それとも、環境汚染防止の技術とノウハウを自分で開発しますか?。支那人にはまず無理でしょうな。中国国民に永遠に苦痛を強いることになる。
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Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 3/3
投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 18:01 投稿番号: [196067 / 196466]
それに、そもそも台湾がまだ中国に帰属しておらず、その存在がほとんど知られていなかったこの時代に、台湾より東に170キロ遠方にある孤島が地理的に台湾の附属島嶼を成すのかどうかが航海者の関心を惹いたとはとても考えられない。
かくして、文理解釈からも時代背景からも『日本一鑑』の「釣魚嶼 小東小嶼也」の文言より「尖閣諸島は台湾附属の島嶼である」という解釈を引き出すことはできない。
■尖閣が中国の領土だった形跡なし
その他の清代の中国史料からも「清代に尖閣諸島は中国の領土となった」ことを立証する直接的な証拠は見出せない。また引用されている史料の文言は多義的で比喩的な表現が多く、間接的な証拠として見ることも困難である。それに関連して、清代を通じて、尖閣諸島が台湾島の附属島嶼として、中国(国家)によって、また、一般にも、認識されていたことは決して確認されない。中国や琉球(日本)及び西洋人による文献や地図・海図から示されることは、むしろ、19世紀において尖閣諸島が地理的に琉球諸島の一部と見なされていたと推測させる資料(データ)の方がずっと多いことである。
かくして、中国側史料の分析より得られる結論は、「尖閣諸島は、明・清代を通じて中国の領土であったことはないし、また、台湾の附属島嶼として見なされてもいなかった」というものである。
日本の尖閣諸島領有に対して、中国側は1970年までの76年間なんら異議を唱えず黙認してきた。1902〜32年の時期に中国は、西沙諸島に対するフランスの先占の動きには即時に強い抗議をしているのに対して、同時期、尖閣諸島における日本の主権行使に対しては全く沈黙を保ってきた。第二次世界大戦後の台湾や沖縄の日本からの分離に際しても同様であった。これらの事実は、この時期中国が尖閣諸島を自国領土として考えていなかったことを端的に立証するものである。
日本が尖閣諸島に対して領有権を有することは間違いない。日本は中国に対して主張と反論を繰り返すとともに、国際社会に対してそのことを積極的に発信していくべきである。それと同時に、尖閣に対する実効支配を強化していく必要がある。尾崎重義(筑波大学名誉教授)WEDGE2013年1月号>
以上^^
これは メッセージ 196066 (mr_*hin** さん)への返信です.
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Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 2/3
投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 17:58 投稿番号: [196066 / 196466]
■中国が領有主張する根拠を検討すると
まず、明代について。ここでは、明代には台湾島がまだ中国領土ではなかったという紛れもない歴史的事実を前提に考える必要がある。そうすると、その台湾島よりはるか遠方に位置する尖閣諸島が当時中国の領土であったことはありえないのである。絶海の孤島群である尖閣諸島が台湾とは無関係に、はるか遠方の中国福建省の飛び地であったとか、中央政府の直轄領であったというのは荒唐無稽な話にすぎない。
それでは、明代に中国が国際法的な意味で尖閣諸島を「発見」したという主張はどうか。
中国側は、1534年に冊封使陳侃が明朝の使節として琉球に赴く途中で尖閣諸島を望見し、これを中国語の島名で公式の記録に記載したことが国際法にいう「発見」に相当すると主張する。
しかし、これも直ちに否定される。まず、この記録からは、これらの諸島に対する領有意思が全く明らかにされていない。陳侃はただ久米島を見て「これすなわち琉球に属する島なり(乃属琉球者)」と述べているだけである。実は、陳侃は途中の島など何も知らずに久米島まで来て、そこで琉球人に教えられてそれが琉球領であることを初めて知ったのである。途中の島はすべて大海に孤立する無人島であり、ただ帆船航海の航路の目じるしとして注目され島名もつけられていたにすぎない。
当時冊封使船の航海は琉球王国から派遣された水先案内人や熟練の水夫に頼り切りであり、島名も彼らから聞いたものを中国語に訳したと思われる。当時琉中間航路では圧倒的に琉球の船の通航の方が多かった。
琉中間の通航が始まった1372年から陳侃が渡琉した1534年までの162年間に、琉球の官船441隻が尖閣諸島の航路を通航していたのに対して、同時期の明国の官船はわずかに21隻であった。また琉球の船が1372年から渡航しているのに対して、陳侃が渡航したのはその162年後である。つまり、「発見」はむしろ琉球王国によってなされたといいうるのである。
その後の郭汝霖『使琉球録』(1561年)の「赤嶼は琉球地方を界(さかい)する島なり(赤嶼者界琉球地方山也)」の文言については、同じ郭汝霖の『石泉山房文集』の中に「赤尾嶼は琉球領内にある境界の島であり、その島名は琉球人によって付けられた」と述べた一節があることが指摘されている。他に、『籌海図編』(1562年)、『日本一鑑』(1565年)等の明代後期の海防書からも当時尖閣諸島が中国領土であったとする証拠を見出すことはできない。
かくして、明代の中国史料から、「明代において尖閣諸島は中国の領土ではなかった」ことが判明する。
次に、清代に尖閣諸島は中国の領土となったのか。一般論として、このことを認めるのは困難である。清代の文献で、尖閣諸島を中国領土と明記したものは見当たらないし、清国が同諸島の領有を宣言して併合したり、そこに実効支配を及ぼしていたりした事実はないからである。
ここで唯一可能な議論は、尖閣諸島は地理的に台湾の附属島嶼であり、台湾が清代に中国領土となったときに、いわば自動的に尖閣諸島も中国領土となったと説くものである。
Han-yi Shaw氏は、その歴史的証拠として、明代の『日本一鑑』の中の「釣魚嶼 小東小嶼也」の文言を援用する。『日本一鑑』は別のところで「小東島はすなわち小琉球である。日本人はそれを大恵国(台湾のこと)と呼んでいる」と説明しているのだから、ここで「小東」は明らかに台湾島のことである。したがって、「釣魚嶼 小東小嶼也」の文章は、「釣魚嶼(魚釣島)は台湾島附属の小島である」と説くのである。
しかし、この解釈には無理がある。文脈では「小東」と「小東島」は明らかに区別されている。台湾島は明確に「小東島」または「小東之島」と表現されている。ここで「小東之島」は「小東にある島」としか読めない。つまり、「小東」は海域を指すのであり、小東洋なのである。具体的には、日本列島から沖縄列島を経て台湾ぐらいまでの列島弧沿いの太平洋海域を指し、大東洋(太平洋中央部)、小西洋(インド洋)、大西洋(今の大西洋)に対比される概念である。その小東海域にある大きな島すなわち「小東島」が台湾島で、その海域に浮かぶ小さな島すなわち「小東小嶼」が釣魚嶼なのである。よって、ここは「釣魚嶼は小東の海(小東洋)にある小さな島である」と読むのが自然な読み方なのである。<続く>
これは メッセージ 196065 (mr_*hin** さん)への返信です.
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Re: 安倍内閣:外交の一カ月成績② 1/2
投稿者: mr_chinii 投稿日時: 2013/01/28 17:51 投稿番号: [196065 / 196466]
>断言出来ないのに、日本は勝手に国有化していいんですか?
↑
sinさん、以下をどう思われる?^^
<尖閣はなぜ日本領か 歴史的・法的根拠を示そう
WEDGE 1月24日(木)15時0分配信
尖閣諸島は歴史的に中国の領土であり、日本が一方的に奪ったと国際的にPRする中国。一方で、尖閣をめぐり解決すべき領有権の問題は存在しないと一点張りの日本。歴史的な事実や当時の史料を読み解けば、尖閣が中国や台湾の領土であったことは確認されず、歴史的にも国際法的にも、日本に領有権があることは確実だ。日本は中国に対して主張と反論を繰り返し、国際社会へ積極的に発信する必要がある。
2012年9月、経団連の米倉弘昌会長は、尖閣諸島に関して「領土紛争」が存在すると政府が認めるべきだと発言した。また今回の総選挙に向けた日本維新の会と太陽の党の政策合意では、「尖閣諸島について中国にICJ(国際司法裁判所)への提訴を促す」としている。
しかし、ここで注意が必要である。ICJは国家間における「法律的紛争」の解決を任務とする国際裁判所であって、政治紛争を扱う機関ではない。日本が尖閣問題をICJに付託すれば、日中間の法律的紛争として認めたことになり、尖閣諸島の日本領土としての地位を不安定にする恐れがある。尖閣諸島は決して係争地などではない。歴史的経緯からしても国際法から見ても日本の領土であることに疑いはないのである。
つまり、尖閣紛争とは、日本の領土としてこれまで認められてきた地域について、突然に中国側が領有権を主張したことにより生じた外交・政治の問題であって、決して国際法的な意味での領土紛争ではない。そのことを以下で明らかにする。
国際法上「先占」とは、どの国家にも属していない「無主の地」を、他の国家に先立って実力で支配すること(先占行為)によって自国の領土とする行為をいう。先占の要件として、(1)その土地を領有しようとする国家の意思がなんらかのかたちではっきりと対外的に表示され、かつ(2)国家がその土地を実効的に占有することが求められる。
■国際法上、日本は実効的に支配
1895年1月以降日本政府が尖閣諸島に対してとった一連の措置はこの先占の要件を満たしており、日本は同諸島に対する領有権を取得するに至ったということができる。
すなわち(1)の要件に関しては、尖閣諸島を「沖縄県の所轄」と認めた閣議決定(1895年1月14日)と、それにより許可された民間人が現地で開拓に従事し、標柱を建て、日常的に国旗を掲揚していたこと、及び、日本の領有意思を黙示的に表示する一連の統治行為を島に対して行ったこと等により、わが国の領有意思は十分明確に表明された。
(2)の実効的占有(ないし支配)の要件に関しては、次のようなさまざまな統治行為を挙げることができる。
明治政府が尖閣諸島を国有地に編入し、同地で民間人が国の指定する土地利用を独占的に行うのを許可したことは、とりも直さず同諸島に対する国の実効的支配を示すものである。他にも、国有地台帳への登録と地番の設定、同諸島の一部の民間への貸与と払下げ、警察や軍による遭難者救助等の行政行為がなされた。
以上、1895年以降日本政府が尖閣諸島に対してとった一連の措置は、前記先占の要件に十分に合致したものであった。
ただし、先占の成立には重要な前提条件がある。それは、先占しうる土地は国際法上の無主地すなわちどの国家にも未だ属していない土地であるという条件である。
中国・台湾は1971年にこの点を突いて、「尖閣諸島は歴史的に中国の領土であったのを、日清戦争中に日本が一方的に自国領土に編入した」と主張し始めた。そもそも、国家が自国の領土を一方的に他国に編入されたまま76年間も放置してきたとはとても信じられない話であるが、中国は76年後にこのように主張して日本の先占の有効性を否定しようとするのである。この中国の領有主張が歴史的観点から見て正当と見なしうるのか簡潔に検討したい。
尖閣諸島が歴史的にどのような法的地位にあったのか考えるときには、時代を明代(1368年〜1644年)と清代(1644年〜1912年)とに分けて考えることが適切である。そして、(1)「明代において尖閣諸島は中国の領土であったのか」、(2)(そうでないとしたら)「それでは、清代に尖閣諸島は中国の領土となったのか」と順を追って考えていくと分かり易い。<続く>
これは メッセージ 196020 (sin*you* さん)への返信です.
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中国向基幹部品の禁輸、食品の輸入禁止
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 14:26 投稿番号: [196064 / 196466]
日本が取るべき政策です。
中国で生産できない基幹部品の輸出を禁止
あるいは税関検査で意図的に二三ヶ月、遅くし
かつ
中国産食品の輸入を違法な薬を使っているとして
輸入を禁止する
こういう事を行えば、日中関係は良好になるでしょう
これは メッセージ 196063 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
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Re: 大東亜戦争肯定論、良い本です
投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2013/01/28 13:31 投稿番号: [196063 / 196466]
左翼がクルクルパーな理由は視野狭窄だからです
それが証拠に若いときに左翼思想に染まることが多い
例えば、
歴史語る場合には非常に短いスパンに限定したり、
一地域のエピソードを針小棒大に膨らませたりする
>>
昔、二十歳頃に読みましたが、本当に良い本です。
東南アジアでも、アフリカでも、中南米でも、
戦前の日本の偉業が讃えられている、、これが真実だ
支那と属国韓国とが喚いていますが、、、、笑い
これは メッセージ 196034 (stmtr314stmtr314 さん)への返信です.
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出る途端にボコボコされた全滅馬鹿
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2013/01/28 12:55 投稿番号: [196062 / 196466]
「全滅、全滅」と云って、結局オマエは自身まで全滅された、なんだ?「小太郎」???(爆笑)
>ここは日本だ、<
「小太郎」ちゃん(爆笑)、「yahoo!」と「yahoo!japan」を検索しなさい。
「yahoo!」は日本のものではない、「yahoo!japan」は只、「yahoo!」の日本語版。
他人の文章を「僕ちゃんの考え」?他人の会社の場所を「ここは日本だ」と???
「小太郎」ちゃん(爆笑)、オマエは無知無識無才無能、ただのチンピラだ、全滅馬鹿と同様、出る途端にボコボコされた(嘲笑)
これは メッセージ 196051 (kjyd_ke_kotarou さん)への返信です.
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植民地から開放された感謝の言葉4
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:15 投稿番号: [196061 / 196466]
イギリスサッセックス大学教授
クリストファー・ソーン氏
「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。」
中華民国総統
蒋 介石氏
「南京には大虐殺などありはしない。
欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」
アメリカ黒人運動指導者
デュボイス氏
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば戦争は起こらなかったはずだ。」
マレーシア首相
マハティール氏
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前の非人間的な支配と略奪をつづけた欧米の責任はどうなるのか。
我々アジア諸国は日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」
米国国際政治評論家
ラティモア氏
「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」
台湾実業家
許 文龍氏
「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。
守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。
しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。
謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。」
元マレーシア外務大臣
シャフィー氏
「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。
日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」
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植民地から開放された感謝の言葉3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:14 投稿番号: [196060 / 196466]
インド
ラダ・ビノード・パール判事
「欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。
誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えられなければならない。」
フランス人ジャーナリスト
ベルナール・ミロー氏
「日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。
彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命をとり出して見せつけてくれたのである。」
アメリカ軍硫黄島司令官
スプルアンス氏
「アメリカの青年たちよ。
東洋にはすばらしい国がある。
それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。
奮起しろ」
フィリピン
ディゾン画伯
「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。
涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。
同じアジア人としてこのような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています。」
アメリカ太平洋艦隊司令長官
ニミッツ元帥
「この島(ぺリリュ―島)を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」
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植民地から開放された感謝の言葉2
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:14 投稿番号: [196059 / 196466]
イギリス歴史学者
H・G・ウェルズ氏
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた。」
イギリス歴史学者
アーノルド・J・トインビー氏
「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
イギリス最新鋭の戦艦2隻が日本により撃沈された事は、特別なセンセーションを巻き起こす出来事だった。
それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではない事を決定的に示した。
この啓示がアジアの志気に及ぼした恒久的影響は、1967年のベトナムに明らかである。」
ビルマ元首相
バ・モウ氏
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
約50年前ビルマは三度に渡る対英戦争の結果、その独立を失った。
イギリス側はアジアに対する侵略的野望を以ってこれらの戦争を遂行した。
愛国者は挺身的精神を以って鎮圧する為、捕まったり殺されたりする事を恐れずに戦った。
これら英雄達はビルマ生き残りをかけて戦うが遂には負けてしまった。
ビルマ人は、アジアを一つにまとめアジアを救う指導者をずっと待ち望んでいたが、遂にその指導者なる大日本帝国が立ち上がってくれた。
ビルマ人が我が国に対する最大の貢献をしてくれた日本への感謝を永遠に忘れない事を希望する。」
韓国
朴 鉄柱氏
「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
『戦争に勝った負けたは、戦争目的を達成したかどうかにより決まる』とは、クラウゼビッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。
二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、しかし彼らは『英霊』として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」
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植民地から開放された感謝の言葉1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 10:12 投稿番号: [196058 / 196466]
タイ王国元首相
ククリックド・プラモード氏
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のお陰であるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」
インド元大統領
ラグ・クリシュナン氏
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどという事は想像も出来なかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。」
インドネシア元首相
モハマッド・ナチール氏
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
本来なら私達インドネシア人が独立の為に戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私達に軍事力があれば私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったのです。」
インドネシア元情報宣伝相
ブン・トモ氏
「我々アジアやアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、すべて失敗した。
インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗れた時、
『これからの独立は自力で遂行しなければならない。自力でやれば50年はかかるだろう』
と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取る事が出来た。」
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植民地解放戦争論5
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:54 投稿番号: [196057 / 196466]
その後9月15日より始まるアメリカ軍との死闘の末、「サクラ
サクラ」の電文(重要機密書類の廃棄後に全軍玉砕、の暗号)を日本本土へ打電した後、日本軍守備隊は玉砕しました。
戦闘が終わり島へ帰ったパラオ人達の目に映ったのは、この間まで一緒に過ごしていた日本兵達の遺体の山、そしてアメリカ兵達の遺体の山でした。
その時、島に帰った彼らは確かに見たのです。
「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。
我らはここに、征服民族の本性を見る。」
その後彼らは日本兵の遺体をすべて手厚く葬り、日本人達がいつ来てもいいようにと、その後も墓地の清掃を心掛けているといいます。
現在パラオ共和国で使用されている切手には日本軍戦闘機が描かれており、パラオ国旗は「水色地に黄色い丸」で、これは日本国旗である「日章旗」をモチーフにデザインしたもので、太陽(日の国である日本の意)に照らされた青い海の上の月をイメージし、中心に「丸」を持ってくると日章旗と同じになる事をおそれ多いとし、少し左にずらしてあります。
1990年代には、日本敗戦後にアメリカ軍により取り壊された「南洋神社」「ぺリリュー神社」がパラオ人の手によって再建され、パラオ本島とコロール島を結ぶ連絡船(戦後日本の資金援助により建造)の名前をパラオ人は「YAMATO」と命名しています。
当然これらは日本人が押し付けたものではなく、パラオ人自らが決定したものです。
日本は自国はもちろんアジアを守る為に必死に戦いましたが、遂には白人達に敗れてしまいました。
しかし、開戦当初の「大東亜共栄圏」の理念によるアジア解放の本当の意味での戦いには勝利を収めたのかもしれません。
日本人やアジア諸国の勇気の末、白人達はすべての植民地を失ってしまったのですから・・・・
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植民地解放戦争論4
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:53 投稿番号: [196056 / 196466]
パラオ共和国
パラオ共和国は南洋のマリアナ諸島にある、珊瑚礁が美しい小さな島国です。
ここもまた大東亜戦争時には激戦地となった場所です。
パラオは第一次世界大戦までドイツ領でしたが、ドイツが敗戦した後に国際連盟からの委任により、1914年(大正3年)から31年間日本統治下に置かれました。
日本統治となったパラオに対し、政府は農業を促進し、缶詰工場等を建設し雇用を促進、道路の舗装をはじめ電気や電話を通し、日本式教育方法等インフラ整備を積極的に行いパラオ人すべてに伝染病数種の予防接種を受けさせ、日本国民として対応しました。
パラオの人々は
「日本式の学校教育は厳しかったが、小学校1年生になると全員が掛け算の九九を暗記し、文字の読み書きが出来るようになった」
と当時を振り返ります。
パラオでは現在でも神輿(みこし)をみんなで担いで日本式の祭を行っており、昭和天皇即位六十周年記念祭や今上天皇即位二十周年記念祭を行っているほど、日本文化が根付いています。
大東亜戦争時の1944年(昭和19年)9月、ペリリュー島には日本軍守備隊が地下要塞を築き上げ、迫り来るアメリカ軍を待ち構えていました。
パラオ人は日本兵と共に生活し仲良くなり、日本の歌を教わり一緒に歌ったりして楽しく過ごしていました。
アメリカ軍との戦いを目前にパラオ人達は相談し、日本軍と共に戦う事を決意します。
そしてパラオ代表ら数名が日本軍守備隊指揮官・中川州男(なかがわ くにお)大佐にその事を申し出ます。
ところが中川はそれを聞くなり激高し
「我ら帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と叫びました。
日本人は仲間だと思っていたパラオ人達は裏切られた思いで、みな悔し涙を流しながらがっかりしました。
数日後、戦闘を前に避難のするため船に乗って島を離れる時がきましたが、日本兵は誰一人見送りに来ませんでした。
「やはり日本人は我々を見下していたのか・・・」
パラオの若者達は再び肩を落とし、悔しさと悲しみにくれて船を出発させました。
船が島を離れた瞬間日本兵全員が浜に走り寄り、共に歌った日本の歌を歌いながら手を振り彼らを見送りました。
なんとその先頭には、笑顔で手を振る中川の姿がありました。
その時彼らは初めて中川の気持ちを悟りました。
あの時の言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・
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植民地解放戦争論3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:53 投稿番号: [196055 / 196466]
その後大東亜戦争に敗れた日本軍は、インドネシアから撤退する事となります。
そこへまた、オランダ・イギリスをはじめ白人達がインドネシアを取り戻そうと攻め込んで来ましたが、そこには日本に帰らなかった日本軍将兵達がいました。
なんと彼らはインドネシア人達に、
「我々は日本には帰らない。
我々にはこのインドネシアの独立を果たす義務と責任がある。」
と言い、残った弾薬をかき集めて自分達が軍事訓練をしたインドネシア人達に渡し、銃だけではなく日本刀や竹槍、毒矢等まで使ってインドネシア人と共に戦ったのです。
それを見たインドネシア人の群衆も「ムルデカ(インドネシア語で独立の意味)」を合言葉に勇気を振り絞り、共に白人達へ立ち向かったのです。
そして遂にその勇気に恐れをなしたオランダ・イギリス軍は、インドネシアから撤退を余儀なくされたのです。
こうしてインドネシア人と共に戦い、インドネシア独立を見届けた日本軍将兵達はその後日本へ帰った者もいましたが、生涯をインドネシアで過ごした人もいました。
そして現在でも、独立記念日のパレードでは日本の軍歌が誇らしげに歌われ、独立戦争で命を落とした日本人のお墓へみんな揃って花を供え、日本人に感謝の誠を捧げています。
ちなみに独立戦争で戦死した日本人の墓石は、インドネシア人の墓石より大きく、日本人の墓石に向かってインドネシア人戦死者の墓石が整列する形で並べられています。
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植民地解放戦争論2
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:52 投稿番号: [196054 / 196466]
インドネシア独立
インドネシアは350年以上もオランダの植民地になっており、その文明はかなり遅れたものでした。
彼らはインドネシア語の使用を禁じられており、オランダ語の使用を強いられていました。
また彼らはオランダ人の奴隷のような生活を強いられていました。
一説によれば彼らの平均寿命は35歳にまで低下し、文字を読み書きできる人はインドネシア全人口でわずか5%程だったと言われています。
そのインドネシアには、12世紀頃の国王ジョボヨヨによる一つの言い伝えがありました。
「今に北方より黄色い強者が白い布をまとい空から降り、圧政者を追放してくれるだろう」
その後日露戦争での日本の勝利を耳にしたインドネシア人達は、その黄色い強者が日本軍の事だと、にわか信じるようになっていきます。
そして30数年後、大東亜戦争開戦によりオランダ軍制圧のために空から降りて来たのは、白い落下傘に身をまとった黄色人種である、無数の日本軍兵士達でした。
日本軍空挺(落下傘)部隊を見た彼らは、
「これがまさに伝説の白い布をまとった黄色い救世主だ」
と思ったと言います。
インドネシアに降り立った日本軍は、わずか9日あまりでオランダ軍を追い払ってしまいました。
その後駐留した今村 均(いまむら ひとし)陸軍中将をはじめとする日本軍は、オランダ軍が降伏する直前に破壊した石油施設を復旧させると、オランダ統治時代の約半額で石油を販売して、それまで許されていなかった様々な物造りを教育し、一日でも早くインドネシア人が自立できる環境を作り、インドネシアの工業発展に貢献します。
また、道路を整備したり鉄道をひいたり、学校を設立し子供たちを教育したりインフラ整備に努めると共に、青年道場を設立しインドネシア人にオランダが禁止していた軍事訓練を施し、銃の使い方を教えペタ(祖国防衛義勇軍)を結成させ、それまでオランダ語を強要されてきた彼らにインドネシア語を使うよう命じました。
つまり彼らに、民族の誇りと自信を持つ事が独立への第一歩であると教育したのです。
こうして今村中将率いる日本軍のもとに軍事教育を受けた青年達は、後の独立戦争時に結成される軍事組織で中心的な役割を果たすことになります。
同時期に日本はインドネシア独立の方針を推し進め、インドネシア国旗の掲揚と国歌の斉唱を解禁し、独立準備委員会を発足させ、オランダにより流刑されていたスカルノやハッタ等の指導者を呼び戻し、インドネシア独立宣言をさせました。
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植民地解放戦争論1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/28 09:51 投稿番号: [196053 / 196466]
インド国民軍退役軍人デロン中佐は、その後日本に手紙を出しています。
「日本はインドにとっては良い国だと思います。
日本はチャンドラ・ボーズと共にインド独立の為に戦ってくれました。
これははっきり言えます。
インドは日本軍の犠牲により独立する事が出来たのです。
もしあんなに犠牲者を出さず、又インド国民軍に協力しないでインドに進出した場合、インドの軍(イギリス軍インド部隊)は自分達の方針を変えなかったでしょう。
25万のインドの軍が方針を変え、チャンドラ・ボーズの軍となったことにより、イギリスから独立することが出来たのです。
私達は常に日本に対し感謝の気持ちを持っています。
最後にもう一度、ありがとうございました。」
インド最高裁弁護士P・N・Lekhiの手紙
「太陽の光がこの地上を照らす限り、月の光がこの大地を潤す限り、夜空に星が輝く限り、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。」
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Re: 懲りないブタ男
投稿者: higatamadawa 投稿日時: 2013/01/28 08:58 投稿番号: [196052 / 196466]
>ここは日本だ
buu 見事ハズレましたな。
ここは日本ではありません。ネット世界ちゅうところです。オマエの脳内プログラムを
アップデートすべし。
これは メッセージ 196051 (kjyd_ke_kotarou さん)への返信です.
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懲りないバカ中国人
投稿者: kjyd_ke_kotarou 投稿日時: 2013/01/28 05:36 投稿番号: [196051 / 196466]
jm_s1960
↑
このバカは、真性のバカだね、チャンコロらしいバカだ、アハハ。
あのな、チャンコロ。
ここは日本だ、一般的な日本人がcheckをチェックと発音しているんだよ、文章上に書く場合もチェックが一般的だ。
オマエがそれでもチックと発音したいし、書きたいなら、そうしてろ、バカ
他についても同じだ、好きにしてろ、アハハ。
話は変わるけど・・。
日曜日から月曜日にかけての深夜に、つまらない細かい事でああだのこうだのとやりあったり、現実には起こり得ないような事について、ああだのこうだの
とやりあったり、相手と自分の考え方の違いや認識の違いを突っつき合って、ああだのこうだの、、、、、、、、、、
ホント、暇なんだね、ここの連中って
ひょっとして、全員が人生をリタイアした老いぼれか?
新しい一週間が始まってんだよ、仕事の戦闘モードに入る為の休息の時間に、何をしてんだ?お前らは。
勝手に馬鹿を晒してろ、バカども、やってらんねえよ、もう
これは メッセージ 196049 (jm_s1960 さん)への返信です.
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出る途端にボコボコされた全滅馬鹿
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2013/01/28 03:11 投稿番号: [196050 / 196466]
>チャンピオンを「チャンピョン」って書いてた「紅おこぜ」の兄弟か?<
馬鹿!英語を全然わからない馬鹿。
「チャンピオン」は英語で「Champion」のことだ。
全滅馬鹿、説明しなさい:
「Champion」の中に「m」は「ン」と発音する???
「Champion」の中に「m」と「n」は同じ「「ン」と発音する???
日本人は「m」を「エム」と発音するが、なぜ、「n」が「エーン」ではなく、「エヌ」と発音する???
「Champion」は「チャンピオン」ではなく「チャンピョン」の方がより近い。
アメリカ人に言え:【「一、二、三」は日本人が「ワーン、ツー、スリー」と発音だ、パパ達の「ワーン、トォ−、ソリー」の発音は間違ってるの】とこんなに吠える(爆笑)
馬鹿なオマエの舌は短いね(嘲笑)
>おまけ、、中国共産党の代弁者のようなオマエの愚説は読む価値も無い。
何故なら、嘘と捏造にまみれてデタラメだからだ、そんなもの三流のエロ芸能週刊誌よりタチが悪い。<
整理した資料は全て日本からの報道したもの、「嘘と捏造にまみれてデタラメ」なら、全て日本の報道だ。
な〜、馬鹿なオマエは反論の知識もなく、能力もなく、ただ、ただ、ネットで他人のブロックから盗用したものを「僕ちゃんの考え」「真面目に書いた」と、こんな奴が社会人と思わない、最低な野郎だ。
女々しい奴は玉が持ってる?
俺の息子のことをどうのこうの言うが、オマエは子供を作る能力が持ってる?
寂しくて毎晩、毎晩、2時間毎にマスターベーションしたのが馬鹿なオマエだ。
これは メッセージ 196003 (チャンコロ全滅 さん)への返信です.
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出る途端にボコボコされた全滅馬鹿
投稿者: jm_s1960 投稿日時: 2013/01/28 02:17 投稿番号: [196049 / 196466]
>安倍さんがいつ病院に入った?<
脱税疑惑に関して安倍氏は病院に入ったかどうか、いつ入ったもどうでもいいだが、問題はオマエが即刻低能児学校に戻れ!
>チックとかチックインって、なんじゃらホイ?
馬鹿、「なんじゃらホイ」がなんじゃらホイ?
13億の3%を400万と計算したオマエは小学校の算数も解らない、勿論英語はもっと難しいだろ?それは、紅おこぜさんに馬鹿されても仕方がないね。
元々外来語なので、日本人の口から発音が間違っても可笑しくない、まー、外来語だから、より近いの方がいいじゃない?
「チック」を英語で「Tick」と発音する、「Tick」の意味:
1 (答案の正解やリスト項目の確認を示す)チェックマーク((((英))check)。
馬鹿、わかる?
>「チックオア」トってなんだ?「チェックアウト」だろ?<
だから、言ったのに、日本人の発音は可笑しいです。
「アウト」は英語で「Out」のことだが、「O」は「ア」と発音ではなく「オ」と発音だろう。
「オアト」(オァト)の発音は「アウト」より「Out」に近いだろう。
「一、二、三」は英語で「One two
three」ですが、日本人はなぜ、「ワーン、ツー、スリー」と発音か???
特に、
「two」は「ツー」ではなく「トォ−」の方が近いだろ?
「three」は「スリー」ではなく、「ソリー」の方が近いだろ?
馬鹿なオマエはアメリカ人に向いて:【「一、二、三」の発音が「ワーン、ツー、スリー」だ、パパ達の「ワーン、トォ−、ソリー」の発音は間違ってるの】とこんなに吠える(爆笑)
全滅馬鹿、小学校の算数をわからない、英語をしらない、偽名を大量に作って、他人の文章を「僕ちゃんの考え」と恥知らず言う。
さらに、「嫌なら反論すれば?」、まったくわからんが、オマエは他人の文章を盗用した、なぜ、俺は全然知らない他人を反論する???オマエの卑怯なやり方を指摘しただけが。
最近、自慢な「FX」は???
俺の「2、3質問」に関して、オマエは「受ける」、「受けない」と答える勇気もなかった。女々しい奴、玉を持ってないだろ(嘲笑)
2、3日に叩かないと又調子を乗るな!馬鹿!!!
これは メッセージ 196003 (チャンコロ全滅 さん)への返信です.
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Re: 海外派兵と独立運動弾圧(1)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 01:32 投稿番号: [196048 / 196466]
>第一次世界大戦後、脱・植民地化が
歴史の潮流として
広がり、
民族運動が
世界的な高まりを示すなか
白人の白人による白人の為の「脱・植民地化」であり「民族自決」を認めたものであってそれ以外は全く持って相手にされておりませんが。
それを少しでも改善しようと頑張った日本ですが…まぁ貴方それを「日本地位向上のため」と鼻で笑っておりますが
>たちまち数万の群衆デモとなった
日本統治時代では万単位の群衆デモはこれ位しかないのに南半分になった韓国では日常茶飯事ですね。
つまりお前さんの言を借りれば朝鮮政府は朝鮮総督府以上に自国民を苛めぬいている…という笑えない話なんだが
>独立運動は、日本の
徹底した武力弾圧によって
鎮圧されたが
ウィキを例示にあげた以上これも読んでおりますよね
「警察署・村役場・小学校等が襲われ、放火・投石・破壊・暴行・惨殺も多数行われ、暴徒化していった」
襲撃による日本側の被害を挙げると、人的なものは官憲の死者8名、負傷者158名であり、物的なものは駐在所159(警官のもの87、憲兵のもの72)、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27であったといわれる。
治安維持上こう言うのを「徹底した武力弾圧によって鎮圧」しない政府ってどこにあるのでしょうね?
これは メッセージ 196042 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 『植民地解放戦争』論(3)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 01:22 投稿番号: [196047 / 196466]
>戦前・戦中、思想弾圧に
威力を振るったのは
治安維持法だった。
公式の記録では
送検者75,681人、起訴5,162人
となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など
一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに
数十万人にも達したとされる。
あなたがあげた数字が仮に正しとしますが近代化などに伴う混乱により政府による弾圧…というよりも虐殺の数字は日本の逮捕者のそれと比べれば桁違い場合よっては段違いですが。
つまりは諸外国では数百万、数千万、数億の死傷者を出して直成功しなかったものを日本の場合は数十万の逮捕者ですんだ…というのは日本が極めて穏当に事を運んだ証でしかありませんが。
これは メッセージ 196027 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:11 投稿番号: [196046 / 196466]
当時の日本帝国に、植民地解放の志向が
あったのならば、
戦争を引き起こすよりも前に、国際社会に対し
敢然として
繰り返し
「植民地の解放・独立」を
訴えていたはずだ。
また、誰よりも率先して
自ら
植民地支配を解消しただろう。
民族主権を尊重するなら
他国への派兵を厳に慎んだはずだ。
しかし、日本帝国が
そのような行動とることは一切なかった。
靖国教団信者が
「解放戦争」
と賞賛する
太平洋戦争。
その戦争は、泥沼化した日中戦争の
延長上にあった。
ナチス・ドイツは、39年にポーランドに侵攻。翌40年6月には
フランスが降伏した。
この電撃的な侵攻は
世界を震撼させた。
当時、中国との戦争が
長期化・泥沼化していた日本は、
ドイツの
欧州での戦争を、日中戦争打開の好機
ととらえた。
対ドイツ戦争で弱っているイギリス、フランス、オランダが持つ
アジア太平洋の植民地を、武力行使により支配下におこうとした。
フランス降伏の翌月、日本は
大本営政府連絡会議で、アジアでの
武力行使方針を決定。
さらに「皇国の大東亜新秩序建設のための
生存圏について」
を決定。
「独伊との交渉において、皇国の
大東亜新秩序建設のための
生存圏として
考慮すべき範囲は、
日満支を
根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インド
及び
同太平洋島嶼、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、
ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等とす」
とした。
これらの方針のどこにも
植民地解放の理念は
示されていない。
日本は、ドイツと組んで
世界戦争に
参戦することで、
世界秩序を
一変させ、日中戦争の打開を
はかろうとしたのだ。
イギリス、フランスなどのアジアの植民地を『生存圏』としたのは、
その世界戦争のための
資源を獲得するために
ほかならなかった。
40年9月、日独伊三国同盟を結ぶのと
ほぼ同時に、日本軍は
フランス領北部インドシナに進駐。
41年7月の御前会議では、
さらなる「南方進出」
方針を打ち出し、「対英米戦を辞せず」と
決定(「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」)した。
続いて
フランス領南部インドシナへの
武力侵略を
開始した。
もちろん、そこに
「民族解放」
の目的など存在していなかった。
南方進出方針を承認した
昭和天皇でさえ、この手法について
「相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き所謂火事場泥棒式」
と語っていた
(『木戸幸一日記』)。
天皇も「火事場泥棒」
のようだと評した
日本の南方進出に対し
国際社会が
石油の禁輸措置などの
制裁策をとったのは、
当然のことであった
と言えるだろう。
「大東亜戦争」
の最中、1943年5月の大本営政府連絡会議では、
占領した南方諸地域に対する方針「大東亜政略指導大綱」
を決定。
そこでは、東南アジアの扱いについて、「マライ、スマトラ、ジャワ、
ボルネオ、セレベスは
帝国領土と決定」
する
と明記されている。
その他の地域についても、「満州国」
並みの政府を
作らせ、
「独立」
の形をとるが、日本の支配権は
確保する
とした。
「帝国領土」と
傀儡政府づくりとの
この仕分けそのものは、
情勢の変動とともに変化するが、各地域に
どちらの支配形態を
割り当てようと、東南アジアを
日本の支配下に置く
という方針は
終始一貫していたのだ。
これが、靖国教団が流布する大本営発表=「アジア解放の聖戦」の
実相であり、隠しようのない
歴史の真実だ。
これは メッセージ 196045 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:09 投稿番号: [196045 / 196466]
朝鮮では、その後も独立運動が続き、3・1運動から10年間に
「6・10万歳運動」や
「光州学生運動」
などが
起きた。
日本は、大量の警察官を
内地から半島に派遣し、1919年の
6,387人から
翌年には
20,134人へと急増させるなど
朝鮮全土に
軍や警察を配置し、独立運動の監視体制を強化した。
西大門刑務所には
数多くの独立運動家が収容され、処刑された。
朝鮮総督府警察は、日本内地の警察にはない
機関銃や野砲などの
重装備を保有し、準軍事組織的性格を
有していた。
植民地支配強化に血道をあげていた
軍国日本の
いったい何処に
「民族解放」・「独立推進」
の志向があった
と言うのだろうか。
そもそも
日本帝国が
どれほど熱心に
国際社会に対して
植民地の独立促進を
訴えていたというのか。
「植民地解放のための正義の戦争」
であったという宣伝文句を
臆面もなく
垂れ流すのならば、その事実を
提示すべきであるし、
自国の植民地を
最後まで解放しなかった理由を
明確にすべきだ。
内外の植民地解放運動を
武力によって
徹底的に弾圧した事実
のみならず、他国への派兵による
軍事行動の拡大という事実が、
当時の日本帝国には
民族主権の尊重や
植民地解放の志向など
まったくもって
存在していなかったことを
証明している。
他国の主権を尊重する意志が
少しでもあったならば、軍事力を
背景とした威嚇、挑発などは、厳に
慎むべきものだったはずだ。
靖国信徒などによると
日本軍の中国大陸への派兵、武力行使は
反日行動からの邦人居留民の保護
という口実も
あるらしいが、
そもそも
中国人民に反日機運を醸成し、さらに
軍事的緊張を
極限まで高める要因を作った責任は誰にあったかを考えるべきだ。
他国を不平等条約のもとで半植民地化に等しい状況に置きながら、
軍事的に挑発し、戦争に追い込んだのは誰かを考えてみるべきだ。
太平洋戦争の原因についても、米英などによる経済封鎖によって
日本が追い詰められた結果、自衛のため
やむなく起ち上がった
という口実が、靖国宣伝部によって
垂れ流されることがある。
その原因を作ったのも日本の軍事行動、他国への侵略行為であり
国際社会からの経済制裁を招いた責任は
自らにあったものだ。
戦争の原因を作った側が、「自衛」を口実にするのは、厚顔無恥だ。
これは メッセージ 196044 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:09 投稿番号: [196044 / 196466]
1919年に起きた
朝鮮民衆による
「3・1独立運動」
は、
中国の
学生や文化人たちにも、大きな影響を
与えた。
同年
5月4日、北京市内で
大学生たちが反日デモを実施した。
当初、5月7日の
国恥記念日を予定したが、日曜日のこの日に
変更した。
天安門広場には、約3,000人の学生が集まった。
プラカードには
「21か条を取り消せ」、「山東半島を返せ」、
「青島を返せ」
などと書かれていた。
日本は、ドイツ軍を破って
山東を占領したとき、中国や世界に
「山東は中国に返す」
と約束していたが、占領を継続したうえ、
パリで開かれた
第一次大戦の講和会議において
日本は
この山東半島の
領有権を要求し、列強に
認めさせていた。
もちろん、中国政府は
反発し、講和会議で
調印を拒否した。
中国の国民は
こうしたいきさつから、日本に対する
怒りを
募らせていたのだ。
学生たちは、市民に
ビラを配りながら
まず、日本公使館へ抗議しに行こうとしたが
警察に阻まれた。
逮捕者も出たが、多くの市民が
学生たちに
同調し、やがて
日本商品のボイコット運動など
排日運動が
続くことになる。
石橋湛山は、1921年7月21日付
『東洋経済』社説で
「一切を棄つるの覚悟」と題し、次のように
主張している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を棄てる。
また朝鮮に、台湾に
自由を許す。
その結果はどうなるか。
英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を採られては、世界における
その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に
我が国に向かって
信頼の頭を下ぐるであろう。
武力による他国への圧迫を止め、自ら進んで
植民地支配を止める。
そうすれば、日本の道徳的権威が高まるのみならず、世界列強による
植民地政策さえも転換せざるを得なくなる――
石橋の主張は明快だ。
残念ながら
当時の日本は、石橋が言う「小欲」に
囚われ続けた。
満州や山東半島の権益を捨てず、朝鮮や台湾に自由を許さなかった。
そして、道徳的権威を
投げ捨て、自ら血なまぐさい戦争に走った。
結果、数多の命を失い、国土を焦土とし、惨敗するに至った。
アジア諸国の解放・独立は、そうした「小欲」にとらわれた日本帝国の
敗北・崩壊によって
もたらされた
副産物にすぎない。
歴史的事実にてらせば、日本帝国に
民族独立・植民地解放の志向など
存在しなかったことは明白だ。日本軍が引き起こした戦争がきっかけで
植民地独立が
早まったとしても、それは
「結果論」
に過ぎない。
いまさら、植民地解放戦争だった
などと、虚言を吐くのは恥知らずだ。
これは メッセージ 196043 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:08 投稿番号: [196043 / 196466]
1919年に朝鮮半島で起きた民衆運動
「3・1独立運動」では、
当初、日本軍は、ただちに市民集会やデモを
解散させようとした。
しかし、独立を叫ぶ民衆の声は
朝鮮全土に拡大する一方となった。
当時の原敬首相は
ことの重大性に驚愕し、ただちに
3月11日、
朝鮮総督に対して
至急報で
次のように
命令を出した。
「今回の騒擾事件は、内外に対し
表面上には極めて軽微なる問題
とみなすを必要とす。
しかれども、裏面においては、厳重なる
処置をとり、将来再発なきよう期せられたし。ただし、その処置
については、外国人の最も
注目する問題なるにより、いやしくも
残酷苛察の批評を
招かざることに、十分注意されたし」
表面上では
朝鮮人民の独立運動を
「軽い問題」
として扱い、
その裏では
厳重に対処して
再発しないよう抑え込む。ただし、
対処の仕方は
外国から批判されないよう
十分に注意せよ――
日本政府が示した対応からは、朝鮮民族の主権尊重や植民地支配
から解放しようなどという志向は、一片も
見出すことはできない。
命令どおり、現地では「厳重な処置」がとられ、警察だけでなく
軍まで出動し、鎮圧で多数の死傷者、投獄者を出す事態となった。
一方、「内外に対し表面的には軽微なる」もの、つまり
一部の
「不逞鮮人が起こした暴動」
に過ぎない、との宣伝が流布され、
独立を求める大規模な民衆運動
という本質は、巧妙に隠された。
日本の国内世論は、3・1運動を「一部の暴動」とみなす論調が
圧倒的だったが、ごく一部には
運動に同情を寄せる識者もいた。
たとえば、大正デモクラシーの
主導者のひとり
吉野作造は、
『中央公論』などに
朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ
との主張を
発表した。
また
孫文との交友で知られる
宮崎滔天は、朝鮮の独立運動を
「見上げたる行動」
と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、
独立を承認すべきである
と述べている。
このほか、石橋湛山なども
運動への理解を
表明している。
しかし、そうした主張は
少数派であり、黙殺・排斥された。
朝鮮民衆の独立運動は、日本軍の鎮圧により
押さえ込まれた。
しかし、日本政府は
朝鮮民衆の
抵抗の根強さと、ひそかに
海外に脱出した
朝鮮人が、日本軍の残虐な武力弾圧の数々を
世界に
公表したことによる
国際世論からの攻撃を
恐れて、
従来の
統治方針を
大きく
改めざるを得なくなった。
原内閣は、習慣を破り
陸軍出身に代えて
海軍関係者を
朝鮮総督に
任命し、憲兵警察に代わって
普通警察とし、
官吏や教員も
帯剣をやめた。
同時に、統治に有害でない
という条件つきで
『朝鮮日報』や
『東亜日報』などの
朝鮮文字の新聞の発行も
検閲付ながら認めることになった。
これは
3・1運動による、数少ない「成果」
だった。
これは メッセージ 196042 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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海外派兵と独立運動弾圧(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 01:07 投稿番号: [196042 / 196466]
当時の日本帝国に、本当に「植民地解放」の志向が
あったなら、
世界に先駆けて
それを
率先、実行していたはずだ。
しかし、
現実は
逆であり、例えば
朝鮮では、自主権回復・独立を求め
運動が繰り返されたが、その都度
徹底した武力弾圧が行われた。
有名な例では、朝鮮全土で展開された「3・1独立運動」
がある。
第一次世界大戦後、脱・植民地化が
歴史の潮流として
広がり、
民族運動が
世界的な高まりを示すなかで、1919年3月1日、
ソウル、平壌、開城などの都市で『独立宣言』が読み上げられた。
公園に集まった学生たちが
「独立万歳」を唱和しながら
行進。
その隊列に
市民が合流して
たちまち数万の群衆デモとなった。
この独立運動は、3月中旬には
朝鮮の全土に
拡大していった。
参考として、ウィキペディアの解説を抜粋して
以下に引用する。
【三・一運動】
1919年3月1日に
日本統治時代の朝鮮で起こった運動。
(中略)
中心となったのは
天道教やキリスト教、そして
仏教の指導者たちである。
彼等は会合を重ね
大衆化・
一元化・非暴力の
三原則を取り決めた。(中略)
独立宣言は、以下の
一文から
始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民
である事を
宣言する。
これを以て
世界万邦に
告げ
人類平等の大義を克明にし、これを以て
子孫万代に告げ
民族自存の正当な権利を
永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は
何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
朝鮮人民が
自由であることに重きを置いたものであり、
そして
それは
「人類平等の大義」と
「民族自存」という
原理に基づくものとして
捉えられている。
(中略)
パゴダ公園には
数千人規模の学生が集まり、その後市内を
デモ行進した。
道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に
市民が参加し、数万人規模となったという。
(中略)
朝鮮半島全体に広がり数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から
引用したものだ。
独立運動は、日本の
徹底した武力弾圧によって
鎮圧されたが、
この運動の影響は
大きく、同年4月の
インドの非暴力運動や
同年5月に起きた
中国の
五・四運動などの
先駆けとなった。
そして、支配国である
日本帝国自身にも
大きな衝撃を与えた。
ただし、日本国内では、この独立運動は
詳しく報じられず、
朝鮮人に共感を寄せたのは、白樺派の柳宗悦ら少数にとどまった。
もとより
当時の日本に
植民地解放の意志などは
微塵もなく、
独立という朝鮮民族の悲願は、結局
日本の敗戦、皇軍の壊滅を
待たなければ、実現されなかった。
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Re: 『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 01:04 投稿番号: [196041 / 196466]
>日本が突きつけた
21か条要求に対し、中国総統の
袁世凱が
「日本は、ヨーロッパ諸国が
戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを
絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。
特に第5号は
中国を朝鮮と同じように
扱うものである」
と強く非難したのは、いたって
当然だった
ダウト。欧米各国は日本の行為を「余裕があれば俺たちだってやっている、当然の行為」としており結果として21カ条の要求は国際社会的に容認されております
そもそもからこれらは“要求”であって交渉の叩き台であり、その場合は多少無理なことを言うのは交渉技術上当たり前。
さらに言えば21カ条の内容はもともと中国、特に袁世凱が日本にもちかけたものですが
>、国内世論を背景にして
激しく
抵抗したが
残念ながら国際的には日本の要求は妥当のもとされており、「一層のこと最後通知でも出したら?」とまで言われております。
せいぜいが自分が植民地が持って行かれるドイツとアジア進出に遅れているアメリカぐらいですが。
>中国の民族主義運動が高まったのは、あまりにも
当然のことだった。
繰り返しますが国際的には笑止千万のしろも=あなた込みで寝言の類ですが
>少なくとも
中国軍によって
日本固有の領土が
侵略されたり、
国家の独立が脅かされるなどの危機が存在していたわけではない。
そう言う状況になって国防どうこうを叫ぶ輩を世間一般では「泥棒を捕らえて縄を綯う」というのですが。
>当時
日本が、このように
他国の主権侵害に熱心だったこと
しかし、当時の国際社会はそうとは見ておらず、むしろ中国側による日本侵害とみており日本におけるあなた曰くの「他国の主権侵害」は
「どう見ても日本の自衛行為であり中国と行為のそれと同レベルに語るのは文明人としてどうかしている」
ですが
>脱植民地化の潮流は、早くも19世紀にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には
ヨーロッパや
アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。
それはあなたの幻想でありしかもさらに言えば20世紀初頭のアジアの独立運動は日本が大なり小なり公私にわたり支援しておりますが。
というかさっきから必死で中国を擁護されておりますがその中華民国が誕生したきっかけである辛亥革命は日本の支援があってこそですけど。
それを無視して日本の国益を武力により侵害し、その行為を擁護するのは正に「忘恩の徒」というのでしょうな。
>朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも
明らかだと言える
全然。併合以前から朝鮮の近代化に膨大な支援をしていたのは当の日本ですがそれに対して朝鮮は上層部の利権争いの為の内ゲバや文字通りの売国行為により近代化はおろか独立するにも支障をきたす始末です。
その為日本が引き取るはめになっただけですが。
そのような前科持ちを早々独立させること自体が無責任の極みですけど。
これは メッセージ 196029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 『植民地解放戦争』論(2)
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2013/01/28 00:41 投稿番号: [196040 / 196466]
>脱植民地化の潮流に
呼応して
国際社会に対し、繰り返し
植民地解放を
訴え続けていたはずだ。
やっておりましたけど。相手にされなかっただけで
>事件勃発の
前年に、日本帝国は
支那駐屯軍を、1800人から
5800人へと
大幅に増強し
当時の中国では日本政府の抗議を無視して政府公認の反日暴動が各地で起こっており邦人企業や邦人への危害が日常茶飯事ですけど。それに対して日本が邦人企業や邦人を守るために派兵するのは当然ですが。
>一国の首都の近郊に、他国の大軍が
強引に
居座っている状況は、
まさに
露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の
何ものでもない。
残念でした。日本どころか欧米列強の兵が居座っております。
そしてこれは清王朝=中国との条約の上でのことですので強引でもなければ違法な主権侵害でもありません。
ついでに言えばなぜそうなったかと言えば義和団事変の際に大使館襲撃という「露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の何ものでもない」ことをやったせい=ようは自業自得ですが
>戦争に至る原因を作った側が「自衛」を口実にするのは見苦しい。
どう贔屓目に見ての見苦しいのは自国の前非を全く悔いていない中国とそれを鵜呑みにしてあなたですけど。
>日本軍部は、ただちに
大軍派遣を決定し、
10万超もの大兵力を
中国に送り込み、
ちなみに当時上海は80万近くの大々兵力で包囲されておりますが。
さらに言えばこの軍隊はナチスドイツから武器弾薬はもちろん軍事顧問まで派遣されていると言う質量とも侮りがたいものですけど。
さらに言えば蒋介石の命令にもと満洲地方にも兵力を増員している=協定なんかまるっきり守る気がないということなんだが。それに対して日本軍が兵力を増強するのはどこがおかしいのでしょうか?
>南京攻略へと武力侵略を続け
つまりに80万の大々兵力がたかだか10万強の大兵力に突破されさらに首都まで陥落させたという戦史上屈指の大戦果だったと。
>朝鮮半島では、長年にわたって
民族独立運動が
続いていたが、
独立運動という名の山賊行為は一時期ありましたが真っ当な独立運動は当の朝鮮人に相手にされておらず、細々とやっていたか、国外に駆逐され物貰いの生活ですけど。
ちなみにそれら独立運動を鎮圧したのは当の朝鮮人です。
>「植民地解放」
を主張する者は、特高に監視・逮捕されることを
覚悟しなければならなかった。
国家反逆罪相当ですので当然ですね。
これは メッセージ 196026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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