イスラエル/パレスチナ和平

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選挙結果:リクード勝利

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/29 17:59 投稿番号: [4756 / 20008]
「聖地を血で汚しておいて、その「剣で殺すもの」を議長とする以上、「剣で殺すものは剣で殺されねばならない」のは既に避けがたい?

冗談はさておき、選挙結果報道紹介。

http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/chuto/200301/29-3.html
右派リクードが勝利   シャロン政権続投へ
【エルサレム海保真人、井上卓弥】パレスチナ衝突と中東和平の行方を左右するイスラエル総選挙の開票が28日夜(日本時間29日未明)から行われ、シャロン首相が党首を務める右派与党リクードが第1党に躍進し、地滑り的な大勝を収めた。第一党党首が首相に指名されるため、シャロン氏の首相続投が固まった。これを受け、当面の衝突収拾は極めて困難な情勢となった。
  中央選挙管理委員会の中間発表などに基づく獲得議席予測によると、第2党だったリクード(改選前21議席=前回選挙後、2議員が入党)は37議席を確保。これに対し、中道左派・労働党(同25議席)は19議席に低迷し、第1党の座から転落した。第3党以下は世俗派・シヌイ(同6議席)は15議席、ユダヤ教超正統派・シャス(同17議席)は11議席などと続いている。国会120議席のうち、右派政党が約70議席を占める見通しだ。
  シャロン首相は選挙戦でパレスチナ衝突に関し、武力によるテロ掃討の継続を掲げ、「テロが完全に停止するまで和平交渉は行わない」と断言。一方、労働党のミツナ党首は、速やかな交渉再開とパレスチナ領との完全分離策などを掲げ、治安対策をめぐり真っ向から対抗した。
  シャロン首相は勝利演説で「テロやイラクの脅威を国民全体の団結により克服した上で、真の勝利を祝うことができる」と述べ、挙国一致内閣樹立の必要性を訴えた。これに対し、ミツナ党首は敗北を認めつつ、「国民に平和と希望を提供するため今後も戦う」と述べ、連立への参加を拒否した。
  シャロン首相は01年2月の首相公選に勝ち、首相に就任。以後、労働党などと連立政権を組み、テロの報復策としてパレスチナ自治区への軍事侵攻や過激派の暗殺作戦などを繰り返してきた。だが、労働党が昨年10月末に連立政権を離脱したのを機に、国会解散と早期総選挙に踏み切った。首相公選制度は既に廃止されている。
  有権者は約470万人で、投票率は国会議員選挙としては史上最低レベルの約68%だった。


注目すべき点
1   労働党の敗北とリクードの勝利。
2   シヌイの勝利とシャスの敗北。
3   史上最低の投票率。

もはや攻め手なし、か。

投稿者: haikinhayuibutsukyoto 投稿日時: 2003/01/29 15:12 投稿番号: [4755 / 20008]
  シヌイ党15議席。リクード37議席。
  イスラエルの有権者の下した結論が、この議席である以上、イスラエルの有権者たちは、好むと好まざるとに関わらず、成立した内閣の行った行政政策の結果に対して政治的責任を負わねばならない。

  イスラエル(の右派)にとって、今はまだ全てが順調に進んでいるが、ミッドウェイまでの我が国もそれなりに順調であった。

  旧約の徒は、戒めを守る覚悟があるのなら、箱船に乗らずともよいから、背徳から離れよ。
  ヨブは友にさえ苦しめられたが、万軍の主は間違った戒めを与えられ給うたのか。
  義を決める権限は肉や石や鉄に与えられ給うたのか。
  私が伝え聞く限りにおいて、ノアに主は言われた。今後、水が人を滅ぼす事はない、と。
  だが、私が伝え聞く限りにおいて、ロトには主は言われなかった。今後、火と硫黄が都市を滅ぼす事はない、とは。

  今後のイスラエルを襲うものはマサダとなろう。
  神殿を血で汚しておいて、その「剣で殺すもの」を王とする以上、「剣で殺すものは剣で殺されねばならない」のは既に避けがたい。
 
  髪黒き者よ、戒めを護りし者よ。
  あなたの地には乳と蜂蜜は流れていない。
  天が人に無償で与えた地は、ここにある。
  豊葦原瑞穂の國、神の國に逃れ来たれ。

今日選挙/テロ停止合意できず

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/28 11:26 投稿番号: [4754 / 20008]
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/2683613.stm
Politics and the Palestinian issue

総選挙の争点紹介。
もっともあまり争点らしい争点がない選挙となってしまいましたが。。。

http://www.haaretzdaily.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=256710&contrassID=1&subContrassID=0&sbSubContrassID=0
Hamas, Islamic Jihad reject Egyptian cease-fire
plan
エジプトが出したテロ停止案は、否決された模様。
会議前から合意は難しいと見られていた。

ハマスの代表は"There will be no halt, no truce and no freezing of resistance,"
イスラム聖戦の代表は"As long as there is occupation, there is resistance. This is a natural law."
とコメントを残している。

イスラエル側、パレスチナ側、双方の「平和勢力」ともに、
この選挙を「分岐点」とすることに失敗した、というところでしょうか。

PLO、東京の駐日事務所を再開

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/27 17:34 投稿番号: [4753 / 20008]
http://www.asahi.com/international/update/0127/008.html
PLO、東京の駐日事務所を今春にも再開   約8年ぶり
  パレスチナ解放機構(PLO)は、財政難から閉鎖中だった東京の駐日総代表部を今春にも約8年ぶりに再開し、代表を常駐させる。現在はガザ自治区にいるワリド・シアム駐日総代表部代表が25日、朝日新聞に明らかにした。イスラエルとの衝突で疲弊したパレスチナの苦境を日本に直接伝え、経済支援の上積みを目指す。
  総代表部は77年、東京事務所として開設されたが、PLOの財政難から95年に閉鎖された。シアム氏によると、PLOは昨年、アラファト議長のもとで海外拠点の見直しを進めた。5大重要拠点として米、ロ、中、日、欧州連合(EU)が挙げられたが、事務所がないのは日本だけだった。
  日本政府は00年9月にイスラエルとパレスチナの武力衝突が始まって以降、対パレスチナ支援を大幅に減らしており、援助の増額交渉が総代表部の最大の課題だ。そのために、政府や国会議員に直接働きかける必要があると判断した。 (15:40)


自治政府の事務所ではなく、PLOの事務所だそうです。
パレスチナの人民の困窮が伝えられるなか、
援助の増額には賛成ですが、
横流しされてテロ資金にされたりすることがないように、
きちんとした監視システムを構築して欲しいです。

ガザ大規模侵攻

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/27 17:31 投稿番号: [4752 / 20008]
http://www.asahi.com/international/update/0126/004.html
イスラエル軍がガザで大規模武力攻撃、12人死亡

  イスラエル軍は25日深夜、パレスチナ自治区ガザの旧市街など中心部に軍事侵攻し、市民を含む12人が死亡、65人が負傷した。00年9月のインティファーダ(パレスチナ抵抗運動)開始からガザで最大規模の軍事作戦になった。
  同日午後11時すぎ、攻撃ヘリに支援された戦車40台がガザ南部から市街へ侵攻し、市場や住宅などを破壊した。4カ所以上の橋が爆破され、軍はこの作戦でイスラム過激派ハマスが拠点を置く中心部の孤立化を図った模様だ。ミサイル攻撃や銃撃戦による死者の中には14歳の少年もいた。朝日新聞の取材に対し、パレスチナ人女性は「子どもたちと戦車の前に立たされ人間の盾にされた」と証言した。
  26日未明にかけ、重機が投入され、市街地の建物が破壊されたとの情報もある。すべてのモスクでは、拡声器で「ジハード(聖戦)」を呼びかけており、28日のイスラエル総選挙の投開票を前に報復テロが懸念される。自治政府当局者は、「現政権が総選挙を有利に運ぶ意図があからさまだ」と批判した。 (01:59)

ブッシュは殺人鬼

投稿者: alsulypha 投稿日時: 2003/01/25 16:30 投稿番号: [4751 / 20008]
憎きアメリカのブッシュは世界中を混乱と戦争に陥れる殺人鬼だ!
その犬と化したイギリスのブレア、飼い狐のシャロン、お前らに明日はねぇ!

『人間の盾』 矛は?

投稿者: nekobasi_666 投稿日時: 2003/01/25 02:24 投稿番号: [4750 / 20008]
米軍の飛行機に乗って避難(藁)
矛盾という事を認識できないのね。

テルアビブヤフォ爆発

投稿者: alsulypha 投稿日時: 2003/01/25 00:42 投稿番号: [4749 / 20008]
アメリカのブッシュが世界をテロと戦争の炎に包まれ灰燼に帰すことを行う。
そうなったら、
地下からテルアビブを襲撃する。シャロンの首には金が懸かっていることだ。

シヌイ党躍進へ?

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/23 17:35 投稿番号: [4748 / 20008]
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/2684123.stm
Shaking up Israeli politics

労働党とリクードの泥試合に飽きた有権者のなかで、
「世俗的なイスラエル」を訴える「シヌイ党」への支持が集まり、
第2党を確保しそうだ、という報道。
シヌイは、テルアビブなどで暮らす世俗的な若い世代にとくに受けている。
というのは、イスラエルではユダヤ教超正統派の家族に対して
兵役免除や手厚い生活援助など
(超正統派はト−ラーやタルムードを学ぶので時間がない。
しかも避妊しないので子だくさん。
それに対する配慮)があり、
世俗的な人々からは「不公平」との不満が強まっているから。

ちなみにシヌイ党の和平への方針は、
「パレスチナとは交渉しなければならないが、アラファトとは交渉しない」
とのこと。

パレスチナ各勢力参加の会合開催へ

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/23 17:34 投稿番号: [4747 / 20008]
http://newsflash.nifty.com/news/ta/ta__reuters_JAPAN-102532.htm
パレスチナ各勢力参加の会合、エジプトで開催へ(ロイター)

  [カイロ   22日   ロイター]   パレスチナの広範な勢力が参加する会合が、23日にカイロで開かれる。
  会合では、イスラエルへのテロ攻撃終結に向けたエジプトの提案が話し合われる。
  ただ、一部には提案を拒否したり、すでに厳しい交渉を持ちかける勢力があるほか、対イラク戦争の影響を懸念して調印に消極的な勢力があるなど、テロ攻撃終結の合意が成立する公算は小さい、とみられている。
  一方で、アラファト・パレスチナ自治政府議長寄りの「ファタハ」のほか、共産主義者やイスラム主義勢力まで含め、広範囲の勢力が出席する予定で、これらの組織が一堂に会するのは初めてとなる。
  また、出席をめぐっては、主要勢力の「ハマス」と「イスラム聖戦」が21日、すべての組織が招かれていないとして欠席を表明。一時中止になりかけたが、両勢力は、後に交渉が成立したとして出席を表明している。


さて、どうなることやら?

「第一次パレスチナ分割」に」至る過程

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/21 12:04 投稿番号: [4746 / 20008]
<1920年から始まる対立で、アラブによる、モーゼの墓事件と嘆きの壁事件以前に、ユダヤによるアラブへの攻撃はなかったのでしょうか?
また、それらの事件に関して簡単な説明をお願いできますか?>

もちろん「ナビ・ムーサー廟事件」以前にも、小競り合いのようなものは、いろいろありましたが、大きな抗争事件については聞いたことがありませんね。
1920年の「ナビ・ムーサー廟事件」(「モーゼの祭り」の日に発生)、それに引き続いて起こった「メーデー事件」は、この地域をユダヤ人の祖国建設予定地から分離し、南シリアとしてファイサル国王の統治下にすべき、との考えを持つアミーン・アル・フサイニーらの指導によるムスリムの暴動でしたが、ファイサルがフランスにより、シリア王から追放されると、フサイニーらはその考えを改め、ユダヤ人の祖国建設運動そのものを阻止する方向に方針転換し、その後1921年、1925年、1926年、1928年に反ユダヤ暴動を起こしました。

「嘆きの壁事件」は、1929年8月15日、ユダヤ人が「嘆きの壁」前広場に大挙結集したことに対抗し、翌8月16日、今度はムスリムが同様の行動を取り、互いの対立が加熱して、ついに8月23日〜29日の「ヘブロンの虐殺」に繋がっていった事件でした。


<英国はユダヤの財とアラブの戦闘力を利用して、何を企てていたのですか?>

イギリスはユダヤ人の財とアラブ人の戦闘力を利用して、「第一次世界大戦」に勝ちたいと考えていたのです。
「第一次世界大戦」で勝利を収めるためには、ヨーロッパ戦線でドイツ、オーストリア・ハンガリーを破るだけではなく、その同盟国であるオスマン・トルコを破る必要もあります。
そのためには、ユダヤ人の資金力を利用して膨大な戦費を賄い、一方ではアラブ人の戦闘力を利用してアラビア半島のオスマン・トルコ軍を撃破しようと考えたわけです。


<イギリスはトランスヨルダンになぜ、全体の80%もやってしまったのですか?>

「第一次世界大戦」中、イギリスに協力しオスマン・トルコと戦ったメッカのシャリーフのフセイン・イブン・アリーとその三人の息子達アリー、アブドラ、ファイサルは、大戦後はイギリスとの「フセイン・マクマホン協定」に従い、アラビア半島にアラブ国家の建設を始めました。
大戦中の1916年に、既にメッカを首都とするヒジャス王国国王に認定されていたフセイン・イブン・アリーと長男でその皇太子アリーは、アブドラ(次男)とファイサル(三男)にアラビア半島の他の地域を統治させたいと考えていました。
このプランに従い、まず1920年にファイサルがシリア王として即位したわけですが、「国際連盟」からシリアの統治を委任されたフランスがこれを拒否してファイサルを追放。そこでイギリスは翌年、ファイサルをイラク王として即位させました。
また、イギリスの「植民地省」大臣チャーチルは、パレスチナでユダヤ人とムスリムの対立が深まっていることを憂慮し、「ムスリム融和策」としてパレスチナ10万9000k㎡のうち、9万600k㎡を分離し、トランスヨルダンと名付け、その国王としてアブドラを認定したのです。

今日はちょっとこれから出掛ける用事がありますので、ここまでにさせてもらいます。

’20年後から、アラブの攻勢に?

投稿者: happyskay2009 投稿日時: 2003/01/20 17:15 投稿番号: [4745 / 20008]
ご説明いただき助かります。

1920年から始まる対立で、
アラブによる、モーゼの墓事件と嘆きの壁事件以前に、ユダヤによるアラブへの攻撃はなかったのでしょうか?

また、それらの事件に関して簡単な説明をお願いできますか?

英国はユダヤの財とアラブの戦闘力を利用して、何を企てていたのですか?

アラブとユダヤの先祖は叔父と甥の関係だった、そうですが、そのユダヤが外国で
散々迫害の憂き目に遭っていることに同情してくれていたアラブと、犬猿の仲にしたのは英国の責任、という意見に対して、ヨーロッパではどうかんがえられているのでしょうか?

イギリスはトランスヨルダンになぜ、全体の80%もやってしまったのですか?


露・仏のアラブでの支配地はアラブ軍によって奪還されたのですか?

質問ばかりですみません。

イラク支持

投稿者: alqajarrla 投稿日時: 2003/01/18 14:24 投稿番号: [4744 / 20008]
全てではないが、同胞を侵害する十字軍は虐殺の機を狙う侵略者であり、ジハードを決行するべく立ち上がる。
アッバース朝の昔に準えたフセイン大統領であるが、利権による裏切り者を全面に控えての戦いとなる。

インドネシアのアブサヤフ、アフガニスタン東部のアルカイダ、パキスタン西北部、イランで、米・英でのテロを誘発せよ。

続:<争いの始めから、建国辺りまで>

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/18 11:48 投稿番号: [4743 / 20008]
「アラブ大反乱」(1936〜1938)に、ほとほと手を焼いたイギリスは、1939年5月、「マグドナルド白書」を発表。この「白書」の内容は、次のようなものでした。
「今後5年間のユダヤ人移民は、毎年1万人とする。但し、別枠としてナチスの迫害を逃れてくるユダヤ人移民を2万5000人まで認める。」

ユダヤ人はこれを見て、イギリスに対する不信感を爆発させました。といいますのも、これではその後の5年間に最大限見積もっても、7万5000人の移民しか認められないことになり、この「白書」は実質的な「バルファア宣言」の撤回と受け取ったからです。
騙されたと感じたユダヤ人は、反英闘争組織として、1909年に結成されていた「ハガナ」に結集し、さらに過激な人々は「イルグン・ツバイ・レユミ」を結成、そこから分派の「シュテルン」も生まれて、反英闘争は一気にエスカレートしていきました。

その後に、まだまだ紆余曲折はあるのですが、要するにユダヤ人、ムスリム、イギリスの三つ巴の戦いが続く中、「第二次大戦」が終わり、戦後設立された「国際連合」が「パレスチナ問題」の仲裁に乗り出し、「国連総会」での「パレスチナ分割決議案」採択ということになったわけです。

Res:<争いの始めから、建国辺りまで>

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/18 11:31 投稿番号: [4742 / 20008]
<そもそも、トルコ帝国崩壊までは共存していたユダヤ、アラブが表立った争いをするようになったのは、第一次大戦後ですか?
出来れば争いの始めから、建国辺りまで
お願い出来れば、大体の全体像が理解できそうです。>

1516年、オスマン・トルコ帝国がパレスチナを領有するようになってから、広大な帝国領土内のユダヤ人が、ぼつぼつパレスチナの地へ帰還するようになりました。
しかし纏まった人数の帰還となると、19世紀末から20世紀初頭にかけての帰還ということになるでしょうね。

・第一次帰還(1882〜1903)
主としてロシア皇帝のポグロムを逃れたユダヤ人達の移住

・第二次帰還(1904〜1913)
主として東欧での迫害を逃れたユダヤ人達の移住

この過程で、1904年に最初のキブツである「デガニア(移住の意)」が設立され、1909年にテルアビブが建設されたのです。
この頃は、パレスチナ人(多数派のムスリム、少数派のユダヤ教徒)は、迫害を逃れてパレスチナの地に移住してくるユダヤ人に同情的で、目立ったトラブルは発生していませんでした。

しかし「第一次大戦」中に、イギリスがユダヤ人の資金力とアラブ人の戦闘力を利用しようと考え、双方に独立を約束してから
話が縺れてきたのでしょうね。

・「フセイン・マクマホン書簡」
イギリスは、アラブ人がアラビア半島に独立国家を建設することを承認する

・「バルフォア宣言」
イギリスは、ユダヤ人がパレスチナの地に祖国建設運動を行っていることを理解し、これを支援する

そして実際は、「第一次大戦」終了後の様々な外交交渉を経た後、オスマン・トルコ帝国が放棄した領土は、英仏が大戦中に結んでいた「サイクス・ピコ協定」の内容に近い形で、英、仏、露(ソビエト)三国が分割統治するところとなりました。
その際、パレスチナは「国際連盟」から委任されるという形でイギリスの統治下に置かれたわけです。

こういう状況下で、パレスチナの地を巡り、ユダヤ人国家の建設と、パレスチナを含むアラブ人国家の建設が同時並行的に進行し、1920年4月の「ナビ・ムーサー事件」で、本格的な衝突へと発展していったのです。
エルサレムからヨルダン渓谷に向かう途中にある「ナビ・ムーサー廟」は、「モーゼの墓」とされているところですが、ここでムスリムが蜂起し、同年5月の「メーデー事件」へと繋がっていきました。

さらにマホメット直系のフセイン国王の三男ファイサル(「アラビアのロレンス」で御承知のことと思います)が、1920年にシリア王、1921年にイラク王を名乗るに至り、イギリスもパレスチナの扱いに困り果て、次のような折衷案を打ち出しました。
つまりパレスチナの地を分割し、その約80%をトランスヨルダンと名付け、それをフセイン国王の三男アブドラが統治することを認めたのです。(1923年)
こうして後に残された約20%の地が、それ以降パレスチナと呼ばれることになったわけですが、そこではなおユダヤ人とムスリムの勢力争いが続きました。

1929年8月15日〜16日、「嘆きの壁事件」が発生。これを機に「アラブ高等委員会」議長ハッジ・アミーン・アル・フサイニーが指導し、パレスチナ各地でユダヤ人に対するかなり大規模な攻勢が仕掛けられました。
その際、ヘブロン丘陵地帯の古くからのユダヤ人集落多数が襲撃され、多くのユダヤ人(アラブ語を話すユダヤ人)が殺されました。この情報は「ヘブロン虐殺」として、瞬く間にユダヤ人の間に伝わり、ユダヤ人対ムスリムの本格的な武力抗争へと発展する切っ掛けとなったのです。

いちいち挙げていれば、きりがないので割愛しますが、パレスチナ人の間で今も半ば神格化されているシャイフ・イッズディーン・アル・カッサムについてだけ、簡単に述べておきたいと思います。
カッサムはシリアのジャブラで生まれ、「反仏闘争」を行っていたのですが、パレスチナのハイファに移住してきて、今度はイギリス人、ユダヤ人を相手に闘争。
1935年11月、イギリス軍との衝突で死亡し、史上初めて公式のパレスチナ人の「フェダーイー(ムスリム戦士)」として「シャヒード(殉教者)」に認定されました。このカッサムの葬儀を前哨戦として、いわゆる「アラブ大反乱」(1936〜1938)が起こることになるのです

トルコ帝国後の争いの顛末は?

投稿者: happyskay2009 投稿日時: 2003/01/17 18:39 投稿番号: [4741 / 20008]
いつもありがとうございます。

またまた疑問が出てきました。

そもそも、トルコ帝国崩壊までは共存していたユダヤ、アラブが表立った争いをするようになったのは、第一次大戦後ですか?
それはなぜですか?
そのために、英国は第二次大戦後、国連に委託したのでしょうか?
、、だとすれば、それらはどんなものだったのでしょうか?

出来れば争いの始めから、建国辺りまで
お願い出来れば、大体の全体像が理解できそうです。よろしくお願いします。

「ハマス」とは

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/17 16:41 投稿番号: [4740 / 20008]
●「ハマス」
1978年、「イスラム同胞団」(本部エジプト)の「パレスチナ支部」として発足。指導者は若くして「イスラム同胞団」のメンバーとなっていたシェイク・アフマド・ヤシン。(ヤシンは15歳から車椅子生活)
初期には「貧困者支援用の基金創設」「貧困家庭への食糧、生活必需品などの無料サービス」「学校、診療所、病院の建設」など慈善活動を活発に行い、大衆の中に支持者を増やす。
その後「PLO」No.2のアブ・ジハードと連絡を取り合い、「第一次インティファーダ」(1987.12.9〜1991.10)を起こす。
1987年12月14日、「ハマス」は武闘組織として姿を現わし、翌1988年に「ハマス綱領(5章36条)」を発表。

「ハマス綱領」
・第1章2条「ハマスはイスラム同胞団の一翼」
・第1章6条「領土的譲歩は一切行わない」
・第2章10条「パレスチナだけでなく、どこでも行動」
・第2章13条「パレスチナ問題の平和的解決、国際会議による解決は拒否」
・第4章25条「東の共産主義、西の十字軍が主な敵」
・第5章34条「パレスチナは世界の中心」
等々

「ハマス」は和平プロセスを全面的に拒否し、イスラエルの生存権を根本から否定する。また、いかなるアラブ諸国もパレスチナ人の運命を決める権利はない、とも主張。

◎「表組織」(政治組織)
(省略)

◎「裏組織」(軍事部門)
・情報組織:テロ実行のための情報収集、利敵行為や敵の協力者の摘発、処刑

・浄化組織:イスラム法に反した行為(麻薬、売春、不当利得etc.)の取り締まり

・テロ実行組織(カッサム軍団):イスラエル人の誘拐及び拉致、イスラエル人の暗殺、パレスチナ穏健派の暗殺、自爆テロ

★「ハマス」幹部リスト
1.アフマド・ヤシン(1938〜 )
2.ハリド・ミシャアル(1956〜 )
「政治部門」責任者、「クウェート大学」卒、物理学博士
3.ムーサ・アブ・ズーク(1951〜 )
「カッサム軍団」責任者、「エイン・シャムス大学」卒、工学士
4.イブラヒム・ゲーシェ(1936〜 )
「カイロ大学」卒、工学士
5.アブデルアジズ・ランティシ(1947〜 )
「アレキサンドリア大学」卒、医学博士
6.ムハンマド・ナツァル(1963〜 )
元「ハマス・ヨルダン支部」代表、「カラチ大学」卒、化学修士

「ディル・ヤシン村虐殺事件」について

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/17 15:34 投稿番号: [4739 / 20008]
<“イスラエルが建国以前に、パレスチナ人への威圧、放逐、虐殺をディル・ヤシン村でしていた”という情報は本当なんでしょうか?>

1948年4月9日〜10日に、イスラエルの民族軍事組織である「イルグン・ツバイ・レユミ(エツェル)」と「シュテルン(レヒ)」により、テルアビブとエルサレムを結ぶ街道沿いのディル・ヤシン村で、住民254名が殺されたというのは本当の話です。
「イルグン」とその分派である「シュテルン」は、ユダヤ人の軍事組織の中核である「ハガナ」からも過激すぎるということで問題視されていた組織でした。
当時の状況としては、パレスチナ人がエルサレムを包囲しており、エルサレムのユダヤ人が孤立していましたので、これを救援するためエルサレムに向かった「イルグン」と「シュテルン」の部隊が、街道沿いのディル・ヤシン村でパレスチナ人(及びイラク兵)と交戦し、その際に非戦闘員の村人多数を殺害したという事件です。
パレスチナ側指導部は、この事件を「ディル・ヤシン村虐殺事件」として大々的に取り上げ、「この事件が切っ掛けとなってパレスチナ人の大量難民が発生した」と主張するようにさえなりましたが、殊更この事件とパレスチナ難民発生とを関連付けようとする試みは、多分に政治宣伝的なものだといえるでしょう。

その後、パレスチナ側による報復事件として、1948年4月14日の「ユダヤ人医師団虐殺事件」(死者77人)、同年5月13日「エティオンブロック虐殺事件」(死者276名)が発生。

残念ながら当時は、このような悲劇的な事件が頻発していたのです。

N.B.
イスラエル側は「ディル・ヤシン村虐殺事件」の死者は116名と主張。一方パレスチナ側は「ユダヤ人医師団虐殺事件」の死者は47名と主張)

自ら破滅を選んでいるパレスチナ人?

投稿者: happyskay2009 投稿日時: 2003/01/17 12:38 投稿番号: [4738 / 20008]
詳しい情報をありがとうございました。

建国当時の状況がぼんやりと見えてきたような気がしてきました。ここで又疑問があります。それはM4724、palestineさんの
意見に“イスラエルが建国以前に、パレスチナ人への威圧、放逐、虐殺をディル・ヤシン村でしていた”という情報は本当なんでしょうか?

国連は、分割決議の時、イスラエル領内のパレスチナ人の居住権を前提にしていて、第一次大戦後の49年に、難民の帰還の権利を認め、望まない者へは補償金を課した
、、これはイスラエルが支払う、ということですよね?、、、

のに関わらず、50年にイスラエルは勝手に
不在者財産没収法を作って、国連の勧告を無視し、パレスチナ人の財産権を無視しましたね。もし、ここで
イスラエルが誠意を尽くして、彼等の帰還を促し居住権を保障していたら、ここまで
問題がこじれる事もなかったかもしれない
,、とは思いませんか?


アラファトによる現実路線への決定で94年の自治合意は、イスラエル右派によるラビン暗殺で消滅してしまい、その後はパレスチナ過激派・ハマスによって邪魔される
,,、という経路で、結局は双方とも過激派をどう管理するか、という問題になっているのでしょうか?

ハマスはいまだにイスラエル追い出し作戦を諦めていないようです。先日1月

14日にロンドンで開催されたパレスチナ和平会議でも、テロ停止案に議長が受諾しても、ハマスはテロ継続を主張したとか。

ハイデル・アブドル・シャフイ氏も、現実路線で、テロの停止、きちんとした民主的な政府を提案している。彼は現在83歳だそうですが、ガザ、西岸地区へのイスラエルの入植を阻止することだけに活動目的を制限して、運動を組織化し、民族統一を図るべきだ、と言っている。

先の会議でも自治政府は憲法草案を明言したそうですが、どうせ、ハマスが又それをぶち壊すでしょうし、一体ハマスはパレスチナ人を絶滅させたいのでしょうか?
大体、ハマスが民衆に支援物資を配っていて、民衆の支持を得ているそうですが、アラファトは、私腹を肥やしているらしく、リーダー足り得ないなら、国際社会は支援物資を彼に渡さないで、シャフイ氏に渡るように出来ないものなのでしょうか?

ハマスに引きずられている民衆が、自殺行為を止めることを決意しない限りは、和平はむずかしい、と思います。

ハマスの指導者、イスマイル・アブシャナ   ブを監禁・指導出来ないアラファトではダメだと思う。

リクード再び盛り返す 世論調査

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/17 11:21 投稿番号: [4737 / 20008]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030117-00002123-mai-int

<イスラエル総選挙>リクード再び盛り返す   世論調査
  今月28日に行われるイスラエル総選挙を前に、イスラエル3紙は16日、最新の世論調査を発表。それによると、シャロン首相の不正資金疑惑などで一時、人気が落ちた右派与党リクードは再び勢いを盛り返し、第1党の座が濃厚な情勢となった。これに対しライバルの左派・労働党は人気を落とし、リクードとの差は広がった。(毎日新聞)
[1月16日21時57分更新]

リクードの復活要因は、
相次ぐテロの他にも
「不正資金疑惑を釈明しようとしたシャロンのテレビ会見が
途中で選挙管理委員会によって中断された」という事件が
影響を与えているようです。
なんでも、釈明がいつのまにか労働党批判に移ったところで、
選挙管理委員会が放映を中断させたのですが、
これが「労働党の陰謀」と有権者には思われたらしい。。。

「平和への道」が争点にならない選挙って
外部から見ていて辛いです。

>三日月旗とアラブ旗

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/17 11:14 投稿番号: [4736 / 20008]
>イスラムの聖地をモーセやイエスから護る

貴殿はイスラムを否定なさるのでしょうか?

コーランでモーゼとイエスがどんな位置付けをされているのか御存知でしょうか?

イスラムの5大預言者がノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマドであることを
御存知でしょうか?

一度下の本でもお読みになったらいかがですか?
日本人のためのイスラム原論
小室 直樹 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797670568/ref=sr_aps_b_/250-7427979-5497846

三日月旗とアラブ旗

投稿者: alqajarrla 投稿日時: 2003/01/17 00:02 投稿番号: [4735 / 20008]
ムハマンドメッカ巡礼、および預言者として神が降臨した日を記念して。

ユダヤ・キリスト・イスラムの三つ巴となったイスラムの聖地をモーセやイエスから護る。コーランを教書とし来る日へ向かい備える。

その末に・・・。

投稿者: palestinewoman216 投稿日時: 2003/01/16 20:26 投稿番号: [4734 / 20008]
ラビン首相はイスラエル右派の青年に暗殺されてしまったんですね・・・ううう。

「PLO」とアラファト議長の到達点

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/16 15:43 投稿番号: [4733 / 20008]
1964年の「第一回アラブ首脳会議」で、エジプトのナセル大統領の肝いりで「PLO」が設立された。議長には元サウジアラビア「国連」代表のアハメド・シュケイリ弁護士が就任した。「PLO」はパレスチナ人を代表する組織とされたが、実際はエジプトなどアラブ諸国の意向を忠実に反映するだけの実態の乏しい組織だった。その「PLO」の最終目標は「イスラエルという国家を葬り去ること」と景気はよかったが、ただ大言壮語するだけで、日常的な活動はほとんど何もしていなかった。

ところが、これとは別にパレスチナ人であり、「第一次中東戦争」にエジプト軍中尉として参加したヤセル・アラファトは、「パレスチナ人によるパレチチナ人のための闘争」を旗印に、1958年に「アル・ファタハ」を創設し、難民キャンプを拠点とするゲリラ活動を行っていた。

そして1967年、「第三次中東戦争」を契機に、パレスチナ人の間にも、ようやく「アラブ諸国は頼りにならない」という意識が定着し、それに比例して「アル・ファタハ」への期待が高まった。こうしたパレスチナ人の期待を受けて、「アル・ファタハ」は「PLO」と合体し、1969年2月にアラファトは、「PLO」議長に就任したのである。
そしてウエストバンクとガザに「パレスチナ国家」を建設するという現実路線を打ち出した。これには「PLO」内部でも異論が続出し、激しい議論が展開された。
例えば「PFLP」は、あくまで「イスラエルを葬り去り、パレスチナ全域に独立国家を建設すべき」と主張し、「DFLP」は「まずウエストバンクとガザにミニ・パレスチナを建設し、そこを拠点に最終的にはイスラエルを葬り去って、パレスチナを統一する」という「二段階解放論」を展開した。
1971年に中国、北朝鮮を訪れて以来、非妥協性が目立つようになっていたアブ・ニダルは、特に過激な「テロ闘争至上論」を唱え、少しでも反対する者は誰であろうと次々に暗殺していったので、ついに1974年にアブ・ニダルは「PLO」を除名され、欠席裁判で死刑判決が下された。
そして1974年の「PLO」総会で、「徐々にパレスチナ解放区を拡大していく」という「DFLP」の主張に近い現実路線が採択された。

ところがそれから数年後、「イスラエル・エジプト平和条約」が締結されるなどパレスチナを巡る国際情勢は時代と共に大きく変動し、さらに「レバノン戦争」などで追い詰められたアラファトは、このままでは「パレスチナ国家」は永久に実現しないと考えるようになった。
そこで「PLO」内の最も強硬な「アブ・ニダル派」など約150名を思い切って粛正し、1988年11月15日、アルジェにて「イスラエルの存在を認め、武装闘争を放棄し、イスラエルと共存する形でウエストバンクとガザにパレスチナ国家を建設する」と方針大転換を発表、センセーションを巻き起こした。
アラファトは、同年12月13日に同様の内容の演説を「国連総会」で行い、アラブ諸国を含む世界中の国々から大きな拍手を浴びた。
イスラエルもこれに応え、1993年に「PLO」を承認し、こうして「パレスチナ問題」の話し合いによる解決の可能性が俄かにクローズアップされてきた。
その流れの中で、1994年9月13日の歴史的な「パレスチナ暫定自治合意」調印が実現したのである。(同年12月10日、アラファト議長、ラビン首相、ペレス外相は「ノーベル平和賞」を受賞)

現在、イスラエル、パレスチナ双方において、盛んに「パレスチナ暫定自治合意」を葬り去るべく、テロリズムを含む様々な妨害活動が行われているが、やはり「パレスチナ問題」の包括的解決のためには、この「合意」をたたき台にする以外、手掛かりがないのではないかという気がする。
特にアラファト議長には、後進に道を譲るということも含めて、この到達点を大切にしてもらいたいと思う。

「パレスチナ難民問題」

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/16 12:34 投稿番号: [4732 / 20008]
<国連側は分割案を出した時、イスラエル領とされた地域に住んでいたパレスチナ人達は、何の保障も無いまま出て行け、と考えていたのでしょうか?
そのことに世界は賛成した?   のでしょうか?そこが最も分からない点だったのです。>

「国連」は、当該地域をイスラエル領とパレスチナ領に分割しましたが、当然そこに住む住民には宗教の如何を問わず居住権が認められることを前提としていました。
ところが「第一次中東戦争」を主な原因としてイスラエル領内のパレスチナ人(イスラム教徒)の多くが周辺諸国に流出し難民となったのです。

「国連」は1949年12月11日に次のような決議を行いました。
「パレスチナ難民は自分の村に帰還する権利を有する。但しそれを望まない者には補償金を支払うこと」
しかしパレスチナ難民の帰還者はごくわずかでした。

それには次のような理由がありました。
・帰還してもイスラエル人に迫害されるのではないかという不安
・アラブ諸国が、イスラエル領内に止まっているパレスチナ人を“アラブの裏切り者”呼ばわりしたこと
・近い将来、アラブ連合軍が態勢を立て直して、もう一度イスラエルに戦争を仕掛けイスラエルを粉砕してくれるのではないかという期待

こういうことでしたので、1950年の時点でのイスラエル居住のパレスチナ人人口は、約16万人程度に止まっていました。
またイスラエルでは、1950年に「不在者財産没収法」が成立し、帰還してこないパレスチナ人の土地を没収して、そこに入植地を建設することが可能になりました。そしてそういう入植地に、「第一次中東戦争」の結果を受け、中東、北アフリカ各地で、迫害され移民して来たユダヤ人が入植していったのです。
もちろん、これはイスラエル領内から外に出て難民となっているパレスチナ人が納得できる話ではありません。
さりとて今となっては、帰還するには些か時間が経過し過ぎており、人口も随分増えていますので、あまり強引に権利ばかり主張できる状況でもありません。
そこの兼ね合いが「パレスチナ難民問題」の解決が難しいところです。

◎参考資料
現在のイスラエルの人口は約630万人
・ユダヤ人約500万人
・パレスチナ人(ドゥルーズ派を含むイスラム教徒)約110万人
・キリスト教徒約20万人

パレスチナ人人口も約615万人(うち難民約390万人);
・イスラエルに約110万人
・ヨルダンに約165万人(大半が難民)
・ウエストバンクに約160万人(35%が難民)
・ガザに約100万人(75%が難民)
・シリア、レバノンなどに約80万人(大半が難民)

*原則として、ヨルダンなど既に他のアラブ諸国の国民となっている者は、パレスチナ人としてカウントしていない

パレスティナ建国

投稿者: alqajarrla 投稿日時: 2003/01/15 23:54 投稿番号: [4731 / 20008]
ブッシュ・ブレアの両愚将がイラクを攻撃し、トルコを筆頭とした中東社会の経済バランスを壊す時、アラファト別働隊とエジプトのアルジハードがテルアビブを化学兵器で攻撃する。
ビザンツ帝国以来の地・エルサレムを奪回し、パレスティナ建国を断行する。

イスラエル領内のパレスチナ人は?

投稿者: happyskay2009 投稿日時: 2003/01/15 17:01 投稿番号: [4730 / 20008]
詳しくご説明いただきありがとうございます。

国連側は分割案を出した時、イスラエル領とされた地域に住んでいたパレスチナ人達
は、何の保障も無いまま出て行け、と考えていたのでしょうか?
そのことに世界は賛成した?   のでしょうか?そこが最も分からない点だったのです。

そのための時間的な猶予期間はどれくらいあったのでしょうか?

欠席裁判?

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/15 12:21 投稿番号: [4729 / 20008]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030115-00001010-mai-int

<中東和平会議>イスラエルの強硬な姿勢を批判   ロンドン
  【ロンドン岸本卓也】パレスチナ紛争解決を目指した英政府主催の中東和平会議が14日、ロンドンで開かれた。会議に反対したイスラエル政府はパレスチナ自治政府幹部の出国を禁止したが、英政府は現地にいる幹部がテレビ中継で協議に参加できる措置をとった。会議参加者はイスラエルの強硬な姿勢を批判した。
  会議には調停役の米国、ロシア、国連、欧州連合(EU)の4者グループの代表者と、エジプト、ヨルダン、サウジアラビアの担当者も出席した。パレスチナ自治区ではラボ文化情報相らがテレビ中継を通じて発言した。
  議題は自治政府の改革問題。司会役のストロー英外相が司法機関の独立など民主的な政治制度の確立を求めた。パレスチナ側は改革案を数週間以内に提示することを表明したが、ラボ文化情報相は「自治区に対するイスラエルの占領が改革を妨げている」と訴えた。
  英政府は米英が準備するイラク攻撃による中東地域の混乱を抑えるためにも中東和平交渉の再開が必要と判断して会議を開催した。しかし、アラファト自治政府議長を敵視するシャロン・イスラエル首相は「テロリストとは交渉できない」と英政府と対立した。
  EUのソラナ共通外交安保上級代表は「この会議は和平に向けた機運を保つ意味で重要だ」と述べた。米国、ロシア、国連、EUの調停グループは今月28日のイスラエル総選挙後を見据えた交渉の日程づくりに入っている。しかし、総選挙でシャロン政権が続投を決めれば、交渉再開は難しい情勢だ。(毎日新聞)
[1月15日10時21分更新]

中東和平会議なのにイスラエルは欠席、
パレスチナはテレビ中継での参加。。。

イスラエルはこのあいだのテルアビブでのテロへの対抗措置として
パレスチナ要人の移動を禁止し、
それによってパレスチナ側の出席は不可能になったのですが、
さすがに、その措置にはイスラエル内でも批判がありました。
「対テロ戦争でアメリカとタッグを組んでるイギリスの面子を潰してどうする」とか
「イスラエルの対外イメージを傷つけるだけ」とかね。

パレスチナ側は出席禁止を逆手に取って「イスラエルの占領のせいで改革も出来ない」と
アピールする作戦に出て、それがある程度成功した、ってところでしょうか?

アラファトが本気で自治政府改革を考えているとは思えないけど、
イスラエルとしても、出席を認め、
「自治政府改革を後押しする」という姿勢を出すことが必要だったと思います。

もっとも、選挙が近付いているのにテロが止まないという状況で、
パレスチナ側に「宣伝の機会」を与えることは、リクードへの逆風となる、
というシャロンの計算もあったのでしょうが。

オスマン帝国崩壊

投稿者: alqajarrla 投稿日時: 2003/01/15 00:20 投稿番号: [4728 / 20008]
ドイツと手を結んでハプスブルク家、オスマントルコが第一次世界大戦に大敗し、アラブにイスラムが還ってきた史実を準え、アラブ国家独立を見ても、エルサレムはイスラムの聖地である。十字軍もユダヤも聖地とみなすなら、この地を開放することだ。
シリア・ヨルダン・レバノンでの活動をイスラムの同胞は期待せよ。

イラク攻撃はどうなった?

投稿者: hiromurajp 投稿日時: 2003/01/14 23:49 投稿番号: [4727 / 20008]
  イスラエルの将来を憂う未来予想はいいけど、現代と繋がらないフィクションは片手落ちじゃ利かないよ。


  、、、最近自分では書くことない私。

近年まれに見る・・・

投稿者: timpo_man 投稿日時: 2003/01/14 22:06 投稿番号: [4726 / 20008]
シャロン、ネタニヤフ共々葬り去れるいいチャンスだったのにね。右翼化傾向はまだまだ強し。

ジハード

投稿者: alqajarrla 投稿日時: 2003/01/14 20:27 投稿番号: [4725 / 20008]
攻撃目標はイギリス。ベルファスト近郊。

追加訂正差し上げます。

投稿者: palestinewoman216 投稿日時: 2003/01/14 20:18 投稿番号: [4724 / 20008]
パレスチナとイスラエルの領土は必ずしも公正に分割されたものではありませんでした。それは当時のパレスチナにおける人口比率からしても明らかです。よってパレスチナ人及びアラブ諸国が納得せずにいたところ、イスラエルは建国を強行しました。それに対して行われたのがアラブ諸国の軍事行動です。ただ、この時点でイスラエルはアメリカからの武器により戦闘準備が完了しており、またそれ以前に計画的にパレスチナの無防備な人民を威圧・放逐・虐殺(ディル・ヤシン村など)していたので、迅速な戦闘態勢ができました。パレスチナ難民は自発的に祖国を離れた様に解説されておりますが、第一次中東戦争が起こった際に「戦禍を避け」たのではなく、ディル・ヤシン村のように住民全員が虐殺されることを恐れた人々が逃げるのは当然のことであり、その後再び故郷に帰ることを許さなかったイスラエルに「追い出された」とする方が適当でしょう。

リクード支持率回復?

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/14 19:18 投稿番号: [4723 / 20008]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030114-00000575-reu-int
イスラエル首相、支持率回復の兆し=世論調査
[エルサレム   13日   ロイター]   13日に発表されたイスラエルの各種世論調査によると、再選を目指すシャロン首相は、中東地域での武力衝突の増加を受け、不正資金疑惑にもかかわらず支持率が回復の兆候を見せている。
  最新の衝突では、イスラエル軍がガザ地区で、手りゅう弾やピストルで武装したユダヤ人入植者らを乗せたバスを襲撃しようとした2人の男を射殺した。
  一方、ヨルダン川西岸のナブルス近郊でも、イスラエル軍が武装した男1人を射殺したと複数の目撃者が証言。軍側は、男は肩にかついだミサイルを発射しようとした際に、ミサイルが爆発して死亡した、としている。
  さらに週末には、銃で武装してイスラエルに潜入しようとした男4人を含む8人のパレスチナ人と、2人のイスラエル人が死亡する事件が起きた。
  総選挙は28日に行われる。
  同国のヘブライ後日刊紙イディオト・アハロノトとマーレブに掲載された世論調査では、シャロン首相率いるリクードは、定数120議席のうち最大33議席を獲得する、とみられている。(ロイター)
[1月14日15時23分更新]


週末に相次いだテロを受けての結果。
いったい何のためのテロなのか?
誰を助けようとしているテロなのか?
「占領地からの無条件撤退」を掲げる労働党より
リクードに勝って欲しいのか?
とパレスチナ側に問いかけたい。。。

「第一次中東戦争」の頃の状況

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/14 17:41 投稿番号: [4722 / 20008]
<それは、イスラエル建国が、当時、実際にはどのようにおこなわれたのか、その具体的な形が見えていません。
その辺の事を国連はどのように考えていたのか、も分からないという事です。>

「国連」加盟の11ヶ国で構成された「パレスチナ特別委員会(UNSCOP)」が現地調査を行い、パレスチナをイスラエル領とパレスチナ領に分け、仮りの国境線を引いて提出した「パレスチナ分割案」が、1947年11月29日の「国連総会」で賛成33票、反対13票、危険10票で採択される。(「国連総会決議181号)」

(賛成票を投じた国)
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス、ポーランド、チェコスロバキア、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、ソビエト、ウクライナ、ベラルーシ、ニュージーランド、オーストラリア、フィリピン、カナダ、アメリカ、ニカラグア、コスタリカ、ドミニカ、エクアドル、ペルー、ボリビアetc.

(反対票を投じた国)
イラク、シリア、エジプト、レバノン、サウジアラビア、イエメン、イラン、アフガニスタン、パキスタン、キューバetc.

(棄権した国)
イギリス、中華民国(台湾)、ユーゴスラビア、メキシコ、アルゼンチン、チリ、コロンビア、エチオピアetc.

イスラエルは「国連」の「パレスチナ分割決議案」採択に従い、1948年5月14日、パレスチナを信託統治していたイギリスが全面撤退後、「分割決議案」でイスラエル領とされた地域で独立宣言。
ところが「パレスチナ分割決議案」採択に不満なアラブ諸国は、一気に軍事力で片を付けようと、翌5月15日、「イスラエル粉砕」を叫び、独立したてのイスラエルに軍事侵攻。誰もが、イスラエルは一たまりもなく潰されると思ったが、予想に反しイスラエルは国民が一丸となって防衛戦争を戦い、ついに数において圧倒的に優勢なアラブ連合軍に勝利して独立を維持したばかりか、却って領土を拡大した。

この戦争で、約60万人ともいわれるパレスチナ難民が発生。(「PLO」はパレスチナ難民は72万6000人と主張)
アラブ側の見解によれば「シオニストの政治的、軍事的戦略の一部として、あらかじめ立案されていた通り、パレスチナ人は追放され難民になった」ということだが、イスラエル側の見解によれば「パレスチナ難民は、アラブ諸国の指導者達の勧告に従い戦禍を避け国外に出て、そのまま難民になったか、自らの意思で国外に出てそのまま難民になった人達」とのことである。

またこの戦争で、中東、北アフリカのイスラム諸国でユダヤ人の迫害と追放が始まり、1948年〜1951年に約70万人のユダヤ人が土地や財産を奪われ裸同然でイスラエルに移住。彼らはセファルディと呼ばれるが、その多くは、ムスリムに対して強硬姿勢を取る「リクード党」の支持者となっている。

この「第一次中東戦争(パレスチナ戦争)」では、世界の世論(ソビエト陣営を含む)は、激しくアラブ諸国を非難した。
その理由はアラブ諸国が「国連総会決議」を真っ向から否定して、戦争を仕掛けたからであった。
特にこのドサクサに乗じ、ガザ地区を占領したエジプトと、ウエストバンク及びエルサレム旧市街を占領したトランスヨルダンには批判が集中した。
一方、パレスチナ難民には同情が集まった。

「第一次中東戦争」前後の状況は、おおよそ以上のようなものでした。
あなたの質問の答になっているでしょうか?

当時、建国の仕方はどんなふう?

投稿者: happyskay2009 投稿日時: 2003/01/14 13:11 投稿番号: [4721 / 20008]
EUには、パレスチナ人への道義的な責任はあるでしょうが、法的にはないのでは、、
また、パレスチナへの支援では、米、日、に次いで継続的に行なっています、とのことでしたが、キリスト教的反ユダヤ主義で
ユダヤ迫害が、ホロコーストまでエスカレートし、パレスチナへ建国させて厄介払いをして、パレスチナ人に同情する、という
、、、結局は、キリストの“まむしの子等よ”
に始まるユダヤ嫌悪の魂が、現在も無関係な国々まで引きずり込んで、迷惑を懸けつづけている、、とはいえないでしょうか?

全ての争いの根源を正せばそこに行き着くような気がしてくるのです。
ユダヤ迫害の総責任はバチカンにある、と言ったら言いすぎでしょうか?
無宗教の私から見ると、古代人の思想に振り回されている現代人達の争い、、とも受け取れるのです。

彼等は、いまだに人は神様がおつくりになった、と考えているのだろうか?
人類学ではそうは言っておらず、生命の誕生は様々な化学物質の結合によって偶然生まれた物から進化して人類が生まれた、、
と言っているようですが、彼等一神教徒たちは、それをどう考え、教育しているんでしょうか?



これまで私がここで何度も触れていた事で分からないことがあります。

それは、イスラエル建国が、当時、実際にはどのようにおこなわれたのか、その具体的な形が見えていません。
その辺の事を国連はどのように考えていたのか、も分からないという事です。

EU諸国、露(ソビエト)の対応について

投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/14 11:35 投稿番号: [4720 / 20008]
<欧や露のユダヤ人への迫害があって、そこへ独のホロコーストが直接の引き金になって、イスラエルの誕生があり、パレスチナ人の悲劇が生じた、とすれば、彼等ヨーロッパ、露はパレスチナ人へ保障する義務があるのではないか、と私は考えるのですが
貴方はどう思いますか?>

週末、出掛けていましたので返事が遅くなりました。
「ヨーロッパ、露はパレスチナ人へ保障する義務があるのではないか?」とのことですが、何らかの道義的責任はあるでしょうが、法的には個別の国家単位で補償する義務まではないでしょうね。
(イギリスは、特に重い道義的責任あり)

現在、パレスチナには様々な方面から援助が集まっていますが、そのような経緯もありますので、EUはアメリカ、日本に次ぐ大口の経済援助を継続的に行っています。
またEU内には、キリスト教的反ユダヤ主義の根深い伝統もあり、パレスチナ人には同情的な人が多いですね。
「バチカン」も1980年代までは、どちらかといえばパレスチナ贔屓で、イスラエルとは外交関係も持たず、常に厳しい姿勢で接していました。
しかし「ローマ教皇暗殺未遂事件」を機に方針転換し、今は少なくとも表面的には宗教的な和解も成立して、イスラエルと正式な外交関係を持つようになっていますが。

また「第二次大戦」後、西ドイツはイスラエルと「ルクセンブルク協定」を締結し(1952年)、「ホロコースト」の賠償を行ったことは広く知られていますが、一方意外に知られていない次のような事実があることも、指摘しておきたいと思います。
「第二次大戦」後、「ナチス」の残党の多くが南米に逃れましたが、中近東に逃れた者もかなりいました。例えば「ナチス」の大物将校オットー・スコルツェニーなどは、中近東各地でアラブ人の間に「ナチズム(国家社会主義)」に基づく民族主義的反ユダヤ主義を広め、アラブ諸国の指導者に依頼され、実際にゲリラの軍事訓練なども手掛けました。初期のアラブ民族主義過激派の中には、そういう土壌の中から出て来た人も大勢います。

またソビエトは、イスラエルの独立をアメリカなどと共に一番早期に承認した国ですが、「米ソ冷戦」が激化してくるに従い、戦略的にパレスチナ人(アラブ人)を支援するようになり、テロリスト養成大学として有名な「ペトリス・ルムンバ大学」に多くのパレスチナ人を受け入れました。特に「PFLP」系の活動家には、この大学で思想教育及び軍事訓練を受けた人が多いですね。

バスに対戦車砲/暗殺作戦の巻き添え

投稿者: adventureoftheultraworld 投稿日時: 2003/01/14 11:24 投稿番号: [4719 / 20008]
http://www.yomiuri.co.jp/05/20030114id01.htm
ガザでバス襲撃のパレスチナ人2人射殺
  【エルサレム=当間敏雄】ガザ地区のユダヤ人入植地ネツァリム付近で13日、軍に先導された入植者のバスが対戦車砲のようなもので攻撃を受け、直後にバスに近づいたパレスチナ人2人がイスラエル兵士に射殺された。バスは直撃を免れ、負傷者などはなかった。2人は自動小銃や手榴弾で武装していた。
  また、ヨルダン川西岸ナブスル近郊は同日、準備中の爆弾の誤爆と見られる爆発が起き、イスラム原理主義組織「イスラム聖戦」の地元幹部が死亡した。
  西岸ラマッラでは軍が爆弾の製造拠点を発見し、完成した爆弾4個と爆弾の製造道具を爆破処理した。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)がエルサレムで爆弾テロを計画していたという。


「対戦車砲は、バスに向けて打つんじゃなくて、ちゃんと戦車に向けて打て」と
誰か注意してあげた方がよいと思います。


http://www.yomiuri.co.jp/05/20030113i501.htm
イスラエル領への侵入相次ぎ、6人が死亡
  【エルサレム=当間敏雄】ヨルダン川西岸に隣接するイスラエル北部と、同国南部のエジプト国境付近で武装した男らが侵入してイスラエル人を銃撃する事件が12日夜、2件相次いで発生、イスラエル人2人が死亡した。侵入した犯人の男4人はイスラエル治安部隊に射殺された。
  西岸のパレスチナ自治区ジェニンに近いイスラエル領で発生した事件は、イスラム原理主義組織「イスラム聖戦」が犯行を認めた。  
  一方、ガザ地区南部ハンユニス近くで同日、イスラエル軍武装ヘリのミサイル攻撃で2人が死亡する事件があったが、2人は過激派とは無関係のパレスチナ人少年と判明、標的の車からハマス活動家らが逃走しており、軍は「暗殺」に失敗した模様だ。
(1月13日19:16)

標的だったハマス活動家2名は逃走、死んだのは巻き添えになった無関係の少年2名。
なんかやりきれないっす。

メッカ巡礼

投稿者: alqajarrla 投稿日時: 2003/01/14 01:01 投稿番号: [4718 / 20008]
アブ・ニダルと共にジハードを行う。
十字軍とユダヤの追放。

シャロンは植民地を作ろうとしている

投稿者: nishiuwa 投稿日時: 2003/01/14 00:45 投稿番号: [4717 / 20008]
植民地主義は人類が多くの犠牲をはらつて清算したのに、シャロンはパレスチナの土地に植民地をつくろうとしている。
イスラエルは古代ギリシャのスパルタと同じだ。さしずめパレスチナ人はペリオイコイかヘロツトだろう。
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