「第一次中東戦争」の頃の状況
投稿者: sascom007 投稿日時: 2003/01/14 17:41 投稿番号: [4722 / 20008]
<それは、イスラエル建国が、当時、実際にはどのようにおこなわれたのか、その具体的な形が見えていません。
その辺の事を国連はどのように考えていたのか、も分からないという事です。>
「国連」加盟の11ヶ国で構成された「パレスチナ特別委員会(UNSCOP)」が現地調査を行い、パレスチナをイスラエル領とパレスチナ領に分け、仮りの国境線を引いて提出した「パレスチナ分割案」が、1947年11月29日の「国連総会」で賛成33票、反対13票、危険10票で採択される。(「国連総会決議181号)」
(賛成票を投じた国)
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス、ポーランド、チェコスロバキア、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、ソビエト、ウクライナ、ベラルーシ、ニュージーランド、オーストラリア、フィリピン、カナダ、アメリカ、ニカラグア、コスタリカ、ドミニカ、エクアドル、ペルー、ボリビアetc.
(反対票を投じた国)
イラク、シリア、エジプト、レバノン、サウジアラビア、イエメン、イラン、アフガニスタン、パキスタン、キューバetc.
(棄権した国)
イギリス、中華民国(台湾)、ユーゴスラビア、メキシコ、アルゼンチン、チリ、コロンビア、エチオピアetc.
イスラエルは「国連」の「パレスチナ分割決議案」採択に従い、1948年5月14日、パレスチナを信託統治していたイギリスが全面撤退後、「分割決議案」でイスラエル領とされた地域で独立宣言。
ところが「パレスチナ分割決議案」採択に不満なアラブ諸国は、一気に軍事力で片を付けようと、翌5月15日、「イスラエル粉砕」を叫び、独立したてのイスラエルに軍事侵攻。誰もが、イスラエルは一たまりもなく潰されると思ったが、予想に反しイスラエルは国民が一丸となって防衛戦争を戦い、ついに数において圧倒的に優勢なアラブ連合軍に勝利して独立を維持したばかりか、却って領土を拡大した。
この戦争で、約60万人ともいわれるパレスチナ難民が発生。(「PLO」はパレスチナ難民は72万6000人と主張)
アラブ側の見解によれば「シオニストの政治的、軍事的戦略の一部として、あらかじめ立案されていた通り、パレスチナ人は追放され難民になった」ということだが、イスラエル側の見解によれば「パレスチナ難民は、アラブ諸国の指導者達の勧告に従い戦禍を避け国外に出て、そのまま難民になったか、自らの意思で国外に出てそのまま難民になった人達」とのことである。
またこの戦争で、中東、北アフリカのイスラム諸国でユダヤ人の迫害と追放が始まり、1948年〜1951年に約70万人のユダヤ人が土地や財産を奪われ裸同然でイスラエルに移住。彼らはセファルディと呼ばれるが、その多くは、ムスリムに対して強硬姿勢を取る「リクード党」の支持者となっている。
この「第一次中東戦争(パレスチナ戦争)」では、世界の世論(ソビエト陣営を含む)は、激しくアラブ諸国を非難した。
その理由はアラブ諸国が「国連総会決議」を真っ向から否定して、戦争を仕掛けたからであった。
特にこのドサクサに乗じ、ガザ地区を占領したエジプトと、ウエストバンク及びエルサレム旧市街を占領したトランスヨルダンには批判が集中した。
一方、パレスチナ難民には同情が集まった。
「第一次中東戦争」前後の状況は、おおよそ以上のようなものでした。
あなたの質問の答になっているでしょうか?
その辺の事を国連はどのように考えていたのか、も分からないという事です。>
「国連」加盟の11ヶ国で構成された「パレスチナ特別委員会(UNSCOP)」が現地調査を行い、パレスチナをイスラエル領とパレスチナ領に分け、仮りの国境線を引いて提出した「パレスチナ分割案」が、1947年11月29日の「国連総会」で賛成33票、反対13票、危険10票で採択される。(「国連総会決議181号)」
(賛成票を投じた国)
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス、ポーランド、チェコスロバキア、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、ソビエト、ウクライナ、ベラルーシ、ニュージーランド、オーストラリア、フィリピン、カナダ、アメリカ、ニカラグア、コスタリカ、ドミニカ、エクアドル、ペルー、ボリビアetc.
(反対票を投じた国)
イラク、シリア、エジプト、レバノン、サウジアラビア、イエメン、イラン、アフガニスタン、パキスタン、キューバetc.
(棄権した国)
イギリス、中華民国(台湾)、ユーゴスラビア、メキシコ、アルゼンチン、チリ、コロンビア、エチオピアetc.
イスラエルは「国連」の「パレスチナ分割決議案」採択に従い、1948年5月14日、パレスチナを信託統治していたイギリスが全面撤退後、「分割決議案」でイスラエル領とされた地域で独立宣言。
ところが「パレスチナ分割決議案」採択に不満なアラブ諸国は、一気に軍事力で片を付けようと、翌5月15日、「イスラエル粉砕」を叫び、独立したてのイスラエルに軍事侵攻。誰もが、イスラエルは一たまりもなく潰されると思ったが、予想に反しイスラエルは国民が一丸となって防衛戦争を戦い、ついに数において圧倒的に優勢なアラブ連合軍に勝利して独立を維持したばかりか、却って領土を拡大した。
この戦争で、約60万人ともいわれるパレスチナ難民が発生。(「PLO」はパレスチナ難民は72万6000人と主張)
アラブ側の見解によれば「シオニストの政治的、軍事的戦略の一部として、あらかじめ立案されていた通り、パレスチナ人は追放され難民になった」ということだが、イスラエル側の見解によれば「パレスチナ難民は、アラブ諸国の指導者達の勧告に従い戦禍を避け国外に出て、そのまま難民になったか、自らの意思で国外に出てそのまま難民になった人達」とのことである。
またこの戦争で、中東、北アフリカのイスラム諸国でユダヤ人の迫害と追放が始まり、1948年〜1951年に約70万人のユダヤ人が土地や財産を奪われ裸同然でイスラエルに移住。彼らはセファルディと呼ばれるが、その多くは、ムスリムに対して強硬姿勢を取る「リクード党」の支持者となっている。
この「第一次中東戦争(パレスチナ戦争)」では、世界の世論(ソビエト陣営を含む)は、激しくアラブ諸国を非難した。
その理由はアラブ諸国が「国連総会決議」を真っ向から否定して、戦争を仕掛けたからであった。
特にこのドサクサに乗じ、ガザ地区を占領したエジプトと、ウエストバンク及びエルサレム旧市街を占領したトランスヨルダンには批判が集中した。
一方、パレスチナ難民には同情が集まった。
「第一次中東戦争」前後の状況は、おおよそ以上のようなものでした。
あなたの質問の答になっているでしょうか?
これは メッセージ 4721 (happyskay2009 さん)への返信です.
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