★「竹島」は日本固有の領土です

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ゲーリービーバー氏「竹島の日」寄稿

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/14 17:13 投稿番号: [8560 / 9207]
http://fiorina.blog24.fc2.com/blog-entry-265.html

反日宣伝拡大阻止を
ビーバーズ氏「竹島の日」寄稿

韓国で竹島問題を研究する米国人英語教師のゲーリービーバー氏が山陰中央新報社へ寄せた投稿文には、韓国側の主張を覆す古地図のほか、反日感情が浸透する韓国の現状を懸念する内容も盛り込まれていた。22日の島根県の「竹島の日」を契機に竹島に関する真実を発信するように、日本側に呼びかけている。(以下投稿文の要約)

島根県が「竹島の日」を定めたことは、その島は独島と呼ばれる韓国領である」と主張してきた韓国で猛烈な抗議を引き起こす結果となったが、韓国の主張にはおかしな点がある。歴史的文書や地図から根拠が見いだせないからだ。

竹島は隠岐島から北西157キロ、韓国 欝陵島の南東92キロの日本海に突き出た形の二つの岩からなる小島だ。周囲の海域は豊かな漁場で、だからこそ、この小島が日韓両国の漁民にとって重要になっている。

日本はこの小島のことを認識していて、1905年に公式に日本領とした。だが現在は韓国海上警察派遣隊が占拠し、50年代から常駐部隊を配置している。
 
日本では日韓両国の小島をめぐる紛争を国民が知らないか、無関心であるようだが、韓国では紛争のことはほぼ全国民が熟知し、韓国の訴えの正当性を擁護している。日本は対抗策を講じるべきだ。

問題の本質は韓国が日本領をと日本の漁場を占拠していることではない。韓国政府やメディア、教育システムが小島をめぐる紛争を利用し、韓国内ばかりか世界中に反日感情を蔓延させていることにある。
にほんがその島の領有権を要求するのは再び韓国領をかすめとろうと画策しているからだ、と韓国の人々は世界の国々に向かって宣伝している。

日本の人たちに理解してほしいのは、日本側が韓国主張に強く反論していかないことをいいことに、反日団体が韓国側のプロパガンダ(宣伝)を広めている事実だ。

歴史的な証拠を見る限り圧倒的に日本側の主張に軍配があがる。韓国が独島のことを言う干山島が竹島でないことは、韓国の地図が証明している。日本側が証拠を勉強し絵真実を世界に伝えれば、反日プロパガンダの広がりを阻止できる。

私は日本の皆さんが竹島独島紛争にもっと興味を寄せることを願っている。知識を得て、広めていくことがあふれ出している反日プロパガンダを押しとどめる手段になるからだ。   どうか島根県の「竹島の日」を大切にしてほしい。竹島に関する真実を世界に向かって伝えることができる絶好の機会なのだから
http://www.occidentalism.org/?p=522
2007-03-07 水 20:11:20 /URL /Kaneganese /編集

解釈として 此の2島で問題ないようです

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/11 19:21 投稿番号: [8559 / 9207]
半月城氏:「一州の土を復す」について、金学俊氏はこう反論しました。「州が島の意味で使われる場合がなくはないが、このような場合は群島や、行政体制を持つ村がある場合にだけ該当する。
  例えば、安鼎福(1681-1763)が書いた『星湖[イ塞]説類選』にあるように、「安龍福の功労で欝陵島、独島などを取りもどした」という意味であって欝陵島一島を取りもどしたという意味ではない」


然からば(接)=それなら、そうならば、そうであれば、
「・・・すれば」の形の句を受けて「即ち」は下の内容が上の条件の当然の帰結である事を示す、岩波1970年

⑨ 此の2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ そうであれば、即ち、日本の北西の地は、此の2島を以て限りと為す。

金学俊氏が言うように欝陵島、独島の2島でならば「州」は島の意味になると言っておりますので、「此の州」を「此の2島」にしても問題はないようです。

星湖 李翼が「一州の土を復す」としたのは

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/09 13:22 投稿番号: [8558 / 9207]
朝鮮王朝後期の実学派である大学者の星湖 李翼は安龍福の件に対し「星湖[イ塞]説」の鬱陵島条で次のように論評した。
「考えるに、安龍福はまさに英雄豪傑である。微賤な一介の漁夫として万死
をかえりみず国家のために強敵と対峙し、邪悪な心根をへし折り、何代も尾を引いた紛争を終わらせ・・・

te氏・・
また、『星湖[イ塞]説類選』で鬱陵島に関して「一州の土を復す」と述べられている例(#8548)については、鬱陵島がかつて独立国をなしていた特別な島だから「州」と表現され得るのであり、そのような経緯を知らない隠州視聴合紀の著者が竹島を「州」と呼ぶ根拠にはならないことを説明しました(#8546, #8551)。

@@   星湖 李翼が「一州の土を復す」と記したのは安龍福を賞賛したからであり、その時は鬱陵島は無人島でした、星湖 李翼は鬱陵島がかつて独立国をなしていたとも言ってはいないし、また記してもいない、ただ星湖 李翼は無人島の鬱陵島を知っていただけでしょう、だから無人島の鬱陵島を「一州」としたのですよ。

「此の2島」でならば、流水のごとく

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/09 09:43 投稿番号: [8557 / 9207]
★   然からば(接)=それなら、そうならば、そうであれば、
★「即ち」は下文の内容が上文の条件の当然の帰結を示します、

⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ そうであるならば、即ち、日本の北西の地は、此の2島を以て限りと為す。

上記文はまったく、引っかかりなく、読めるでしょう   無理に隠州とするから、流れが、引っかかるのですよ。

郡代には朝鮮の歴史など知る必要も無い

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/09 09:16 投稿番号: [8556 / 9207]
te氏:
また、『星湖[イ塞]説類選』で鬱陵島に関して「一州の土を復す」と述べられている例(#8548)については、鬱陵島がかつて独立国をなしていた特別な島だから「州」と表現され得るのであり、そのような経緯を知らない隠州視聴合紀の著者が竹島を「州」と呼ぶ根拠にはならないことを説明しました(#8546, #8551)。

@@   郡代は何も朝鮮に合わせる必要はないのですよ、鬱陵島の歴史がどうであれ、郡代にとってなんら関係ないでしょう、鬱陵島の経緯を知る必要もないし、まったくの白紙の状態で、彼   独自に「「州」を2島と記しただけです、だから   郡代は「此の州」を「此の2島」としたのです。

Re: そうであれば 即ち 日本の北西の地は

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/09 08:23 投稿番号: [8555 / 9207]
>>>
此の○○の中に隠州か2島入れてみればハッキリします
<<<

「州」と呼べないものは入れられません。
これまでにやり取りした内容を踏まえた記事を書いてください。

ninnikumanxさんが「州」に島の意味がある例として挙げた「隠州」(#8522)については、隠岐は一つの島(群島)が一つの国をなしている特別な島であり、一般的に「州」と「島」が同じ意味であることにはならないことを説明しました(#8524)。

また、『星湖[イ塞]説類選』で鬱陵島に関して「一州の土を復す」と述べられている例(#8548)については、鬱陵島がかつて独立国をなしていた特別な島だから「州」と表現され得るのであり、そのような経緯を知らない隠州視聴合紀の著者が竹島を「州」と呼ぶ根拠にはならないことを説明しました(#8546, #8551)。

更に、隠州視聴合紀の他の個所の記述を分析すれば、「此州」が島を指すことは無いことが分かることを説明しました(#8546)。

これらに関する見解を述べないまま、「○○に2島を入れてみれば」などと論ずるのは全く意味がありません。

一島で一州とみなせる鬱陵島

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/09 01:33 投稿番号: [8554 / 9207]
『星湖[イ塞]説類選』の中で、安龍福の功で鬱陵島が朝鮮に復したことを「一州の土を復す」と記している。

te氏は   島のことを「州」と呼ぶのは、一島で一州をなすとみなせる特別な島の場合に限ります、
  朝鮮にとっての鬱陵島は、そのような特別な島なので『星湖[イ塞]説類選』は「州」と呼んでいるのでしょう

@@   一州の土を復すと記してあり、鬱陵島を朝鮮に復したのですから、松島はその中に入っていない事になりますね、「竹島一件」

そうであれば 即ち 日本の北西の地は

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/09 01:08 投稿番号: [8553 / 9207]
⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

★   然からば(接)=そらなら、そうならば、そうであれば

⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ そうであれば   即ち、日本の北西の地は、此の○○を以て限りと為す。

此の○○の中に隠州か2島入れてみればハッキリします、「即ち」は下文の内容が上文の条件の当然の帰結を示します、
つまり   此の無人島を入れて限界と為すとなります。

Re: teさんは何を強調していると思いますか

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/08 22:16 投稿番号: [8552 / 9207]
>>>
「しからば」の使い方は前文を強く強調するために入れられたのです、
<<<

単に前の文章を受けているだけでしょう。「強く強調」というほどの意味は無いと思いますよ。


>>>
ところで   teさんは、何を強調しているとお考えですか?
<<<

「然」は、「此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州」を受けます。

「此州」は、「隠州」を指し、それは「隠州在北海中故云隠岐島、其在巽地言嶋前也、知夫郡海部郡屬焉、其位震地言嶋後也、周吉郡穩地郡屬焉、其府有周吉郡南岸西觶豊崎也、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州」で主題として語られている隠州です。


思うにninnikumanxさんは、次のようなルールがあるものと勝手に決め付けていませんか。

====
「○○○○、然則、××××」という文章で、××××の中に「此」という指示詞があった場合、その指示するものは必ず○○○○の中にある。
====

こんなルールはありません。「此」の指示するものはもっと前にあっても構いません。

Re: 此の州は此の島でも問題はないはづ

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/08 22:14 投稿番号: [8551 / 9207]
私が   #8546に書いた内容を踏まえた記事を書いてください。

島のことを「州」と呼ぶのは、一島で一州をなすとみなせる特別な島の場合に限ります。
朝鮮にとっての鬱陵島は、そのような特別な島なので『星湖[イ塞]説類選』は「州」と呼んでいるのでしょう。

日本にとっての竹島は、そのような特別な島ではないので「州」と呼びません。

古の隱州は日本の西北の限り 郡代

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/07 15:17 投稿番号: [8550 / 9207]
後の巻二・周吉郡・元谷村の節で「按此日月の祭古之遺法歟   書曰味谷寅餞納日   本朝亦曾行此禮歟   隱州戌亥之極地昧暗也   與元立日相近也   上古於是餞納日   亦未可知焉   爲好古人姑記備之」

つまり   古の隱州は日本の西北の限りと、おおむね記されておる様です、
だけども   今の日本の西北の限界は磯竹島であると、郡代は述べておる様ですね、

teさんは何を強調していると思いますか?

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/07 13:09 投稿番号: [8549 / 9207]
それに対して私は、先行する文章を「隠州在北海中故云隠岐島、其在巽地言嶋前也、知夫郡海部郡屬焉、其位震地言嶋後也、周吉郡穩地郡屬焉、其府有周吉郡南岸西觶豊崎也、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州」ととらえれば、主題として語られている隠州を指して「此州」と書いたことになり、何の問題も無いことを示したのです。

@@   隠州在北海中故云隠岐島を「此の州」が受けているというのがteさんの主張でしょうが、そうであるならば   特に書きこまれた「しからば」が意味をなくします、「しからば」の使い方は前文を強く強調するために入れられたのです、それでは何を強調しているかですが、「高麗が見える無人島2島」を強調してますね、   ところで   teさんは、何を強調しているとお考えですか?

此の州は此の島でも問題はないはづ

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/07 11:41 投稿番号: [8548 / 9207]
『星湖[イ塞]説類選』の中で、安龍福の功で鬱陵島が朝鮮に復したことを「一州の土を復す」と記している
朝鮮でも島を州と呼んでいたのですから、郡代も州が島を意味する事、知っていたでしょう、だから   此の州は此の島でも問題はないはづ。

Re: 則(即)「・・・すれば」の形の句を受

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/06 23:10 投稿番号: [8547 / 9207]
>>>
則(即)
「・・・すれば」の形の句を受けて、下の内容が上の条件の当然の帰結であることを示す。岩波1970年

つまり   「隠州を限りと為す」とは「隠州を望むが如く」の条件の当然の帰結でなければならないのです、だからイメージとして出した隠州で帰結させてはいけないのです、
<<<

私が #8525に書いた内容を踏まえた記事を書いてください。

Re: te さん 「此の島」が正解

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/06 23:08 投稿番号: [8546 / 9207]
>>>
「此の州を以て限りと為す」の州をあなたは「隠州」だと断定してますが、朝鮮の古書には一州をもって土となすとあり、現朝鮮ではこの州を2島をもってと解釈したそうだ、そうならば「此の州」を島と解釈しても問題はないですね、
<<<

恐らく「星湖塞説類選」(「塞」には正しくはニンベンが付く) の記述のことを言っているのだと思いますが、鬱陵島はかつて于山国と呼ばれる独立国だったので、一島で一州をなす島だという意識が朝鮮にはあるのだと思います。日本で隠岐、壱岐、対馬、淡路、佐渡が、島とも州とも呼ばれるのと同じ理屈です。

竹島が朝鮮の鬱陵島であることを知らなかったであろう隠岐の郡代は、竹島のことを州と表現しないでしょう。

「州」の解釈を考えるならば、そんな外国の文献よりも隠州視聴合紀自身を見れば良いのですよ。

隠州視聴合紀の「巻二・周吉郡・蛸木浦」の節にも「此州」という表現が出てきますが、先行する文章に「隠州」という言葉が出てこないにも関わらず、「隠州」を指しています。しかも、直前には「松島」という島の記述があり、そのような状況で「此州」が「松島」ではなく「隠州」を指しているという事実を考えれば、隠州視聴合紀では「此州」が島を指すことは無いと結論して良いでしょう。

「巻二・周吉郡・蛸木浦」のテキストは以下に載せてあります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9652


>>>
さらに前にも、わしは書いたが、「然からば」だが、雲州より隠州を望むがごとしが含まれているので、この中のイメージとしての隠州で、「此の州を以て限りと為す」では、隠州を入れて帰結させるはまちがいであると指摘しといたはづだ、
<<<

それについては、反論済みです。
私が #8525に書いた内容を踏まえた記事を書いてください。

則(即)「・・・すれば」の形の句を受けて

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/06 19:21 投稿番号: [8545 / 9207]
則(即)
「・・・すれば」の形の句を受けて、下の内容が上の条件の当然の帰結であることを示す。岩波1970年

つまり   「隠州を限りと為す」とは「隠州を望むが如く」の条件の当然の帰結でなければならないのです、だからイメージとして出した隠州で帰結させてはいけないのです、

te さん 「此の島」が正解

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/06 18:53 投稿番号: [8544 / 9207]
⑥ 戌亥(北西)の間、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
⑦ また一日ほどの程で竹島(現在の鬱陵島)がある。
⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

@@   郡代は日本の西北の国境を強く意識していますね、

「此の州を以て限りと為す」の州をあなたは「隠州」だと断定してますが、朝鮮の古書には一州をもって土となすとあり、現朝鮮ではこの州を2島をもってと解釈したそうだ、そうならば「此の州」を島と解釈しても問題はないですね、さらに前にも、わしは書いたが、「然からば」だが、雲州より隠州を望むがごとしが含まれているので、この中のイメージとしての隠州で、「此の州を以て限りと為す」では、隠州を入れて帰結させるはまちがいであると指摘しといたはづだ、よって「此の州」とは「此の島」が正解なのです。

Re: 無人島宝島なら、なおさら自分の物に・

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/06 15:47 投稿番号: [8543 / 9207]
>>>
則(即)は漢文では「れば則」といって、上をうけて下におくる時につかう。
無礼儀則上下乱(礼儀なければ、すなはち上下乱る)孟子   小学館
つまり   「2島はこう言う事であるから、それをうけて2島はこうなる」となりますね、
<<<

なりません。

「2島はこう言う事であるから、それをうけて××××である」となるだけです。

ninnikumanxさんは、何とかこの「××××」が2島に関する記述だということにしたいようですが、願望だけで論理を無視した議論をしないでください。

ところで前回まで「則」は「言い換えれば」の意味だと主張されていましたが、それはどうなったのですか?


>>>
@@   「しからば」は(この2島、高麗が見える無人の地だから)を強調してます。
<<<

何のために無人の地であることを強調しているとお考えですか。


>>>
郡代は年々数ヶ月間、島に滞在する大谷村川家が、磯竹島に渡海して、島を開発している事を承知していますね、それでも   無人の地と述べています、
だから郡代にとっての「無人の地」の意味は年間通して定住していなければ、「無人の地」となるのです
<<<

細かい表現に引っ掛かるところはありますが、概ね同意できます。


>>>
ここでの、「無人の地」は無人島の事ですね、無人島ならば、自分の物にしたいでしょうね、それが宝島ならなおさらでしょうよ、だからこそ2島を日本の領地とするのです。
<<<

そうでしょうか。

島を日本の領地にしたいと思うのは、そうしないと外国に取られる可能性がある場合です。
取られる可能性が無く、いつでも日本人が使えるならば、日本の領地かどうかなんて、ある意味どうでも良いことです。

隠州視聴合紀の書かれた時代、竹島渡海事業は既に半世紀近く続けられて、その間、外国と衝突したことはなく、逆に竹島から帰る船が嵐で朝鮮に流れ着き、朝鮮の手厚い保護を受けて帰国したことさえあるのですから、竹島を日本のものとしておかないと渡海ができなくなるかもしれないという危機感は殆ど無かったでしょう。

ですから、隠州視聴合紀の著者が竹島を日本の経済圏と認識しながらも、日本の地とはしなかった可能性は十分あると思います。

その何よりの証拠は、日本の北西限が此州だと書いてあることです。屁理屈をこねて「此州」が○○州という言葉ではなく○○島という言葉を受けるという結論をこしらえるよりも、上のように考えた方がよっぽど素直です。

無人島宝島なら、なおさら自分の物に・・

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/06 09:39 投稿番号: [8542 / 9207]
則(即)は漢文では「れば則」といって、上をうけて下におくる時につかう
。無礼儀則上下乱(礼儀なければ、すなはち上下乱る)孟子   小学館
つまり   「2島はこう言う事であるから、それをうけて2島はこうなる」となりますね、


おっしゃる意味がよく分かりません。「しからば」が「この2島が無人の地であること」を強調していると考えても良いという意味でしょうか。

「この2島が無人の地であること」は2島が日本でない理由にはなっても、2島が日本の地である理由にはなりません。
「この2島が無人の地であること」を強調したならば、日本の北西の限りは隠州という結論の方が自然です。

@@   「しからば」は(この2島、高麗が見える無人の地だから)を強調してます。

郡代は年々数ヶ月間、島に滞在する大谷村川家が、磯竹島に渡海して、島を開発している事を承知していますね、それでも   無人の地と述べています、
だから郡代にとっての「無人の地」の意味は年間通して定住していなければ、「無人の地」となるのです、「無人の地」だからこそ領有できるのです、ここでの、「無人の地」は無人島の事ですね、無人島ならば、自分の物にしたいでしょうね、それが宝島ならなおさらでしょうよ、だからこそ2島を日本の領地とするのです。

Re: この2島が無人の地であることを強調し

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/06 02:02 投稿番号: [8541 / 9207]
(#8538)>>>
それに郡代は「籌海図編」「芝峰類説」を知ってたかもしれません。
<<<

(#8540)>>>
そこで当然郡代は責任者の立場におるから、籌海図編の竹島を知っていたでしょうね、
<<<

14時45分にアップされた #8538では「知っていたかもしれません」だったものが、20時07分の#8540では「当然…知っていたでしょうね」になっています。
ninnikumanxさんの頭の中で空想が膨らんでいくのが分かるようで面白いですね。


(#8540)>>>
「則」の意味は上の言葉の内容を別の言い方で説明する接続詞、とあります
<<<

出典は何ですか?
また、用例が出ているなら教えてください。


(#8540)>>>
@@   この2島=「この2島が無人の地であること」でよろしいです
<<<

おっしゃる意味がよく分かりません。「しからば」が「この2島が無人の地であること」を強調していると考えても良いという意味でしょうか。

「この2島が無人の地であること」は2島が日本でない理由にはなっても、2島が日本の地である理由にはなりません。
「この2島が無人の地であること」を強調したならば、日本の北西の限りは隠州という結論の方が自然です。

この2島が無人の地であることを強調して

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/05 20:07 投稿番号: [8540 / 9207]
『籌海図編』(ちゅうかいずへん)中国の明代・嘉靖41(1562)年
「芝峰類説」1614
隠岐 ---------- 鬱陵島   249Km
蔚珍 ---------- 鬱陵島 142km
隠岐 ---------- 竹島   157km
蔚珍 --------  竹島   215km

磯竹島へ隠岐から249Km、蔚珍から142Km   で   107Km差がある、反面松島までは58Km日本の方が近くなる、しかし   日本は1562年、1614年と磯竹島へ楽々と渡っていますね、1562年籌海図編に「竹島」の名があるから「竹島」名は相当古くからあったのです、そこで当然郡代は責任者の立場におるから、籌海図編の竹島を知っていたでしょうね、郡代は、今は無人島になってしまった磯竹島が元は日本領と知ってた事に成ります。

「則」の意味は上の言葉の内容を別の言い方で説明する接続詞、とあります
「言い換えれば」でいいようです、

「無人の2島」を強調していることと「この2島が無人の地であること」を強調していることは違います。答になっていません。

@@   この2島=「この2島が無人の地であること」でよろしいです
しからば此の2島、言い換えれば、此の2島、高麗が望める無人の地で、日本の西北の領地、此の2島を入れて限りと為す、と成ります。

「竹島」は日本領土とお笑い朝鮮人の学説

投稿者: satoumtr314 投稿日時: 2007/07/05 19:13 投稿番号: [8539 / 9207]
竹島は地図の何処にあるんですかね
釜山外国語大学という大学の教授は、どの程度のレベルなんですかね。

日本に来て韓国の領土だということを証明する、、、笑えます。
やっぱり、朝鮮に文字文化が定着したのは、20世紀になってからなんでしょうね。

聯合ニュース
>>>独島を新羅の領土と表記、日本の古代地図を発見

>>>釜山5日聯合】独島を新羅の領土として表記した日本の古代地図が見つかった。
>>>釜山外国語大学の金文吉(キム・ムンギル)教授(韓日関係史専攻)は5日、鬱陵島と独島を新羅の領土として表記した日本図を発見したとし、関連写真2枚を公開した。この日本図は神奈川県の金沢文庫が所蔵するもので、7世紀に日本の僧、行基が日本列島を布教して回りながら作った日本で初めての地図とされる。行基は日本に帰化した百済人の子孫で、日本の古代仏教の名僧として国づくりにも貢献したといわれる。

>>>行基図では現在の鬱陵島と独島を、雁などが羽を休めていくところという意味で「雁道」と表記している。人の住まない、新羅の領土という解説もついている。

>>>金教授はまた、1662年に京都で郷土史を研究していた人物が行基図を土台に西洋の測地法を用いて作った地図の写真も公開した。これは京都大学の博物館が所蔵するもので、これにも鬱陵島と独島は「雁道」と表記されている。

>>>金教授はこれらの地図から、古代の日本人が鬱陵島と独島を「雁道」と呼び新羅の土地として認めていたことが確認できるとし、「独島領有権を主張する日本に反論できる貴重な資料を確保したという点で意味がある」と述べた。

1562年、 1614年日本海を我が庭のごとく

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/05 14:45 投稿番号: [8538 / 9207]
『籌海図編』(ちゅうかいずへん)中国の明代・嘉靖41(1562)年
「芝峰類説」1614

隠岐 ---------- 竹島 157km
竹島 ---------- 鬱陵島 92km
鬱陵島 -------- 蔚珍(朝鮮本土) 142km
竹島 ---------- 蔚珍(朝鮮本土) 215km

1562年頃、1614年頃   日本人が磯竹島に渡って活動していたのがわかります、我が庭のごとく日本海を航海していたのですね、だから   郡代の頃、隠岐、磯竹島間の距離249Kmは、それほど苦にはならなかっでしょう、それに郡代は「籌海図編」「芝峰類説」を知ってたかもしれません。

蔚珍から磯竹島、蔚珍から松島と述べよ

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/05 12:24 投稿番号: [8537 / 9207]
芝峰類説1614
芝峰類説記事を以て一島二名の証とされるが、同書には近ごろ倭人磯竹島を占拠するの語がある。
他人の占拠を知って之を許し、他人の往漁するを知って之を許すというのは、則ち八十年来、貴国自ら彼島を棄てて他人の有たらしめたものである、

@@   これは竹島一件交渉時の幕府側の反駁ですよ、朝鮮の磯竹島放棄を突いていますね。

隠岐 ---------- 竹島 157km
竹島 ---------- 鬱陵島 92km
鬱陵島 -------- 蔚珍(朝鮮本土) 142km
竹島 ---------- 蔚珍(朝鮮本土) 215km

朝鮮は「磯竹島」「松島」を語り論づるとき、蔚珍から磯竹島、蔚珍から松島と述べなければいけないのです、決して「磯竹島」から松島が見えたとか、「磯竹島」から距離92Kmとか、論じるべきでは無いのです、なぜならば、論じる前まで、両島は人の住まない無人島だったからです。つまり磯竹島から見えたとか92Kとかは、人が住んでの、のちの話だからですよ。

蔚珍(朝鮮本土) 隠岐からの視点で論づる

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/05 11:30 投稿番号: [8536 / 9207]
『籌海図編』(ちゅうかいずへん)とは、中国の明代・嘉靖41(1562)年に地理学者鄭若曽が著した日本研究書のひとつです。その中の出雲沖に「竹島」があります、明国は当時竹島(磯竹島)を日本領としていましたね、

磯竹島、松島は無人島でしたので、距離の基点は、蔚珍(朝鮮本土)   隠岐と成ります、つまり 磯竹島、松島を論づるときは、蔚珍(朝鮮本土)   隠岐からの基点にしなければならないのです。

無人島・・「無人島」だったのです 検証

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/05 09:54 投稿番号: [8535 / 9207]
竹島と隠岐、鬱陵島、朝鮮本土との間の位置的関係を海図上で測定してみると、
直線距離は、以下のように設定出来る
隠岐 ---------- 竹島 157km
竹島 ---------- 鬱陵島 92km
鬱陵島 -------- 蔚珍(朝鮮本土) 142km
竹島 ---------- 蔚珍(朝鮮本土) 215km

すなわち、鬱陵島を基地として竹島に行く場合は、
隠岐から竹島に行くよりも約40マイル近いが、朝鮮本土で最も近い蔚珍附近から竹島に直行するとすれば、隠岐よりも30マイル遠いことになる。

@@   まず当時   朝鮮、日本にとって無人島であった磯竹島、松島の距離から検証するべきでしょうね、つまり最初   「無人島」・・「無人島」だったのです。

Re: わしの問いにも答えて下さい

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/05 06:53 投稿番号: [8534 / 9207]
ninnikumanxさん

(#8526)>>>
⑨では「この2島」が主部になりますね   ⑩のしからばですが   前の直前の文書を強めてます、つまり「この2島」を強調していますよ、しからばこの2島、   そうであるならばこの2島、則(言い換えれば)となります、つづいて   日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

そうであるならば   この2島   言い換えれば   日本の北西の領地、此の2島を入れて限りと為す。となります、いかがでしょうか、
<<<

「則」を「言い換えれば」と訳していますが、漢和辞典にそのような意味は載っていません。
確かに「則」には主格を示す使い方があるので「言い換えれば」と意訳できる場合がありますが、それは「則」の直前に名詞がくる場合に限られます。「然」は名詞でも代名詞でもありません。
「然則」という組み合わせで使われる「則」は、間違いなく「…すれば〜」「…ならば〜」のように条件を示す「則」、俗にいう「レバ則」、であり、「然則」の二文字で「それならば」「そうであるならば」の意味となります。

「⑩のしからばですが   前の直前の文書を強めてます」という記述も違和感があります。
「前の直前」という重複表現や、「文」もしくは「文章」を「文書」と書き間違ったことはご愛嬌としても、「強めている」という表現はニュアンスが違うように思います。まあ、「しからばが受けている」というのを「しからばが強調している」と書いたと考えれば間違いという程のことではないと思いますが。

で、「しからば」について、私は「この2島が無人の地であること」「朝鮮が見えるくらい遠いこと」を受けていると思います。

この2島は無人の地で日本人が定住していないし、朝鮮が見えるくらい遠いところにある。そうであるならば日本の北西の地は隠州までだ、となります。

ninnikumanxさんは、「しからば」が「この2島」を強調して(受けて)いると主張されますが、「この2島が無人の地であること」を強調していると考えてはいけない理由を説明してください。


(#8528)>>>
2島=無人の2島   でもよろしいです、
<<<

「無人の2島」を強調していることと「この2島が無人の地であること」を強調していることは違います。答になっていません。

わしの問いにも答えて下さい

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/04 07:59 投稿番号: [8532 / 9207]
しからば   この2島   言い換えれば   日本の北西の領地、此の2島を入れて限りと為す、となります。いかがでしょうか、←   わしは   あなたに   聞いていますよ、    あなたは答える   以下・・

「この2島が無人の地であること」を強調していると考えてはいけない理由を説明してください。     これに対しわしは   あなたに答える、以下・・

2島=無人の2島でもよろしいです    これに対し   あなたは答えていませんねえ?   しばらく   待っていたのですが   あなたは話題を他に変えてしまった。   変ですねえー

Re: だれだって磯竹島は幕府御用地として・

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/04 00:19 投稿番号: [8531 / 9207]
ninnikumanxさんから、まともな根拠を聞くのは無理なようですね。

だれだって磯竹島は幕府御用地として・・

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/03 19:03 投稿番号: [8530 / 9207]
隠岐年表
http://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/folder/702-165.html

(te22200 #8505)>>>
隠州視聴合紀の作者が竹島を幕府直轄領と認識していたとする根拠について何かご存知ならば、詳しく教えてください。
<<<
@@@   幕府直轄領根拠とする決め手と成る資料はしりませんが、考察として述べておるのですよ、まず隠岐の年表などにより1638年頃から隠岐は幕府直轄領となり、それは明治初期までつづくでしょうか、出雲藩から隠岐の調査を命じられて郡代は1667年、隠州視聴合紀を完成します、それに郡代は大谷村上家渡海に関する窓口、隠岐の責任者です、さらに幕府から磯竹島の管理をまかされた鳥取藩手形もチェックする立場の人ですよ、磯竹島を何十年も開発し、それを管理する鳥取藩の上に幕府がいれば、だれだって磯竹島は幕府御用地として疑わないでしょうよ、

Re: 出雲藩士郡代の権限範囲は限られている

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/03 16:31 投稿番号: [8529 / 9207]
ninnikumanxさん

>>>
出雲藩士郡代には日本の北西の限界を、幕府領地隠岐と無人島松島のあいだには決めれないと言う事ですよ、郡代はそれは承知しておるでしょう、
<<<

「日本の北西の限界を決める」という表現は適切でないと思います。

隠州視聴合紀の著者は、あくまで隠州北西方面の状況を分析し、日本の北西の地は隠州までだと判断しただけです。
分析や判断に権限は要らないでしょう。

ひょっとするとninnikumanxさんは、「幕府が日本の北西限界は竹島だとしていたのだから、出雲藩士の郡代がそれに反する判断をする筈がない」とおっしゃりたいのかもしれません。しかし、それならば「幕府が日本の北西限界は竹島だとしていた」ことの根拠が必要です。

そういえば、#8505 の以下の質問には答えて下さらないのですね。

(te22200 #8505)>>>
隠州視聴合紀の作者が竹島を幕府直轄領と認識していたとする根拠について何かご存知ならば、詳しく教えてください。
<<<

出雲藩士郡代の権限範囲は限られている

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/02 19:28 投稿番号: [8528 / 9207]
出雲藩士郡代には日本の北西の限界を、幕府領地隠岐と無人島松島のあいだには決めれないと言う事ですよ、郡代はそれは承知しておるでしょう、それだから   「日本の西北の地、隠州を限りとする」と記するのはありえない事なのですよ、隠岐の構成要素として島前と島後を挙げただけでしょう。

郡代は北西方向の磯竹島、松島をグループとして2島としたのでしょか、開発している磯竹島から高麗がみえたのでしょう、

2島=無人の2島   でもよろしいです、

Re: 隠岐島は出雲藩の預かり領だった

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/02 16:50 投稿番号: [8527 / 9207]
>>>
だから   郡代は勝手に隠岐に関しては隠岐の限界など決められないはづですよ、つまり   日本の西北の地、「隠州を限りを為す」はありえない事です。
<<<

どうも論旨がよく分からないのですが、日本の北西限界が隠州であるいうのは日本の限界についての記述であり、隠岐の限界を決めているものではありませんよね。

隠州視聴合紀は、冒頭で隠州の構成要素として島前と島後を挙げており、これは隠州の限界を島前と島後の範囲に決めていると言ってもよいかもしれませんが、そのことで何か問題があったのでしょうか?

>>>
⑨では「この2島」が主部になりますね
<<<

ninnikumanxさんは、「見高麗如自雲州望隠州」が竹島だけでなく、2島について述べたものだとお思いになりますか?

実は、私は隠州視聴合紀の文章を素直に読めば「見高麗如自雲州望隠州」が松島も含めた2島の説明に読めると思うのですが、そのことを述べると、躍起になって「松島(現在の竹島)から高麗が見えるのか、このバカ」と反論してくる方が時々いらっしゃるので、ninnikumanxさんはどうお考えかなと、ちょっと気になりまして。

で、正直言って「見高麗如自雲州望隠州」が竹島の記述か、松島と竹島の記述かは、「此州」が何を指すかを考察する上でほとんどどうでも良いことなので、私もあまり突っ込んで議論はしないようにしています。


>>>
⑩のしからばですが   前の直前の文書を強めてます、つまり「この2島」を強調していますよ、
<<<

「この2島が無人の地であること」を強調していると考えてはいけない理由を説明してください。

隠岐島は出雲藩の預かり領だった

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/02 12:58 投稿番号: [8526 / 9207]
⑥ 戌亥(北西)の間、行2日1夜行けば、松島(現在の竹島)がある。
⑦ また一日ほどの程で竹島(現在の鬱陵島)がある
⑨ この2島、無人の地である。高麗(朝鮮)を見ること雲州より隠州を望むがごとし。
⑩ 然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。ー引用ー

@@   隠岐島は1638年以来、一時期を除き、出雲藩の預かり領だった。隠岐島は郡代がいた頃、幕府の領地だったのですね、だから   郡代は勝手に隠岐に関しては隠岐の限界など決められないはづですよ、つまり   日本の西北の地、「隠州を限りを為す」はありえない事です。   念のため隠岐の歴史調べてみましょう。

⑨では「この2島」が主部になりますね   ⑩のしからばですが   前の直前の文書を強めてます、つまり「この2島」を強調していますよ、しからばこの2島、   そうであるならばこの2島、則(言い換えれば)となります、つづいて   日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

そうであるならば   この2島   言い換えれば   日本の北西の領地、此の2島を入れて限りと為す。となります、いかがでしょうか、

Re: ここでは磯竹島が主役

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/02 09:05 投稿番号: [8525 / 9207]
>>>
「然則日本之乾地、以此州為限矣」がぬけてます
<<<

私の意図がうまく伝わっていないようです。

一般論として「此州」という言葉は「先行する文章で話題になっている州」を指します。

そして、ninnikumanx さんは、先行する文章を「見高麗如自雲州望隠州」に限定した上で、例として出した隠州で帰結させるのは間違いだと批判されました。

それに対して私は、先行する文章を「隠州在北海中故云隠岐島、其在巽地言嶋前也、知夫郡海部郡屬焉、其位震地言嶋後也、周吉郡穩地郡屬焉、其府有周吉郡南岸西觶豊崎也、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州」ととらえれば、主題として語られている隠州を指して「此州」と書いたことになり、何の問題も無いことを示したのです。


>>>
隠州としたならば磯竹島の説明が何だったのだろうになりますね、
<<<

既に述べたように松島と竹島が日本の地ではないことの説明だというのが私の考えです。

Re: 「隠州在北海中故云隠岐島」の州は島

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/02 09:04 投稿番号: [8524 / 9207]
>>>
最初に「隠州在北海中故云隠岐島」とあります、ここで郡代は隠州(隠岐州)を隠岐島とも呼んでおります   ここでの州は島ですね。
<<<

隠岐(隠州)、壱岐(壱州)、対馬(対州)、淡路(淡州)、佐渡(佐州/渡州)は、一つの島(群島)が一つの国をなしているので、これらについては「州」=「島」が成り立ちます。

しかし、一般的に「州」と「島」が同じ意味であることにはなりません。

ここでは磯竹島が主役

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/02 06:07 投稿番号: [8523 / 9207]
「隠州在北海中故云隠岐島、其在巽地言嶋前也、知夫郡海部郡屬焉、其位震地言嶋後也、周吉郡穩地郡屬焉、其府有周吉郡南岸西觶豊崎也、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州」の中で主題として語られている「隠州」です。ー引用ー

teさん
@@   「然則日本之乾地、以此州為限矣」がぬけてます、しからばとは=そこから如雲州望隠州、ちいさく高麗を見る事が出来るから   則=言いかえれば
そしてすぐに   日本之乾地、以此州為限矣(日本の西北地、此州を入れて限りとする)と続きます   ここで懸命に磯竹島を説明しておるのですから、ここでは磯竹島が主役ですね   主役を入れて完結とします、つまり此州とは磯竹島が自然でしょうか、隠州としたならば磯竹島の説明が何だったのだろうになりますね、

「隠州在北海中故云隠岐島」の州は島

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/07/02 00:03 投稿番号: [8522 / 9207]
最初に「隠州在北海中故云隠岐島」とあります、ここで郡代は隠州(隠岐州)を隠岐島とも呼んでおります   ここでの州は島ですね。だから郡代は最後に「此州」を「此島」でまとめました、だから此州とは此島で、
州=島   でいい事になりますね、

Re: 「隠州」で帰結させるはまちがい

投稿者: te22200 投稿日時: 2007/07/01 23:19 投稿番号: [8521 / 9207]
ninnikumanx さん

>>>
やっぱり変ですねえ、イメージがわくように隠州を例として出したのですから、その例として出した隠州で西北の限りを隠州で帰結させるのはまちがってますよ、
<<<

「此州」の指し示す「隠州」は、「見高麗如自雲州望隠州」の中で例として出されている「隠州」ではありません。

「隠州在北海中故云隠岐島、其在巽地言嶋前也、知夫郡海部郡屬焉、其位震地言嶋後也、周吉郡穩地郡屬焉、其府有周吉郡南岸西觶豊崎也、従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州」の中で主題として語られている「隠州」です。

ninnikumanx さんの表現を使えば「例として出した隠州」ではなく「言わんとしている本体である隠州」を「此州」という言葉で受けている訳で、別におかしくはありません。


ついでに言うと、

>>>
その帰結は「例として出した隠州」ではなく「言わんとしている本体」で帰結するべきで、
<<<

正確には「言わんとしている本体であり、かつ『州』と呼べるもの」ですね。

「隠州」で帰結させるはまちがい

投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2007/06/30 22:47 投稿番号: [8520 / 9207]
やっぱり変ですねえ、イメージがわくように隠州を例として出したのですから、その例として出した隠州で西北の限りを隠州で帰結させるのはまちがってますよ、
その帰結は「例として出した隠州」ではなく「言わんとしている本体」で帰結するべきで、それではその本体は何かとなりますね、立ってる場所   つまり   磯竹島となりますね、
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