ビックリ台湾!?
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 漫画
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/28 13:46 投稿番号: [1387 / 3149]
日本の漫画家は、どのように勉強して漫画家になれたのか知らないが、美術学校に漫画科があるとは聞かないから、多分独学で成功したのであろう。美術学校で絵画を習って、卒業後独学で自分の漫画を創作した人が多いのではあるまいか。日本の漫画を見ると、作者の絵画の基礎が並大抵でないと思うのが多い。
中国人の漫画家は、戦前も戦後もみなへたくそでお話にならない。
1960年ごろ、台湾で子ども向けの読み物雑誌を発行していた出版社があった。雑誌の名も出版社の名も忘れたが、雑誌の内容は、戦前の日本の「少年倶楽部」「少女倶楽部」からの翻訳物が多かったようだ。初めはあまり売れなかったが、そのうちに孫悟空物語の漫画を連載しはじめたら、たちまち台湾の子どもたちを引きつけて、大いに売れた。その孫悟空の漫画は、画風や故事の展開のしかたから見て、どうも戦後の日本の雑誌からのパクリと思われた。原作者は手塚治虫ではあるまいかと、当時わしは推定していた。
台湾中の子どもが、その孫悟空が読みたいために、毎月新刊を待ち焦がれた。孫悟空の漫画を何回も何回も繰り返して読み、ついでにそれまでは見向きもしなかった子ども向けの読み物も熱心に読んだ。その様子は当時の外省人の親たちを驚かせた。当時の新聞に出ていた記事では;
新刊が出ると、子どもたちは「廃寝忘食」で、雑誌にかじりつく。もう遅いから寝なさいと命令して本を取り上げると泣き出す。我々が大陸に住んでいた時期に、子どもがこんなに本に夢中になってなっているのは、見たことも聞いたこともない・・・・。
その当時小学校の5年生、6年生だった子どもは、今では60歳近い年である。今どき60歳前後のおっさん、おばさんは、本省人であろうと、外省人であろうと、みな手塚治虫原作(?)の漫画によって、孫悟空の物語を始めて読んだのである。
孫悟空の連載漫画は2年ほど続いた後に、原作が終結してしまった。孫悟空がなくては、雑誌が売れないから、台湾の画家に続編を書かせたたが、絵に魅力がなく、物語の展開の仕方がへただった。その上、孫悟空物語のうちの子どもにもおもしろい部分は、大方出尽くしてしまった。その雑誌は間もなく廃刊になった。
手塚治虫の作品には、たしかに孫悟空がある。わしは、漫画本を貸す店で、開いてみたことがあるが、どうも台湾の雑誌に出ていたものとはちがうような気がした。
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漫画
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/26 12:29 投稿番号: [1386 / 3149]
昔、台湾の喫茶店だか軽食堂だかに「老夫子」という漫画があって手に取ってみた。香港のマンガだが、あまりにも有名で中国語を話す人なら誰でも知っているという。「これは面白い」と、台湾や香港に行くたびにシリーズを何冊かづつ買ってきたからもう何十冊もある。あるが、たいして読みもしない大量の本に紛れ込み、一、二冊を除いてどこに隠れているかわからない。中国のマンガは描き方が生真面目で、日本の四コマ漫画やナンセンス漫画と違ってほとんどディフォルメしない。背景までキチンと描いて手抜きをしないから「漫画」というより「劇画」のような作品が多い。この「老夫子」も人物の表現と細密さは「お見事」の一言で、これに比べたら、わたしの好きな谷岡ヤスジの爛熟期の漫画などは子供のイタズラ描きだ。ただ、この「老夫子」、筋の展開に冗長さがあって日本なら四コマで済むところを、その二倍、三倍のコマを費やしている。わが国の文化のどこにそのルーツがあり、どういう方面から発展したのかは知らないが、喜ばしいことに日本のアニメは世界を席巻している。ただ、わたしの好きなナンセンス漫画は「天才」谷岡ヤスジの死と赤塚不二夫の長い病床生活でもうどこにも見当たらない。
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Re: グーグル・アース
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/25 20:14 投稿番号: [1385 / 3149]
なぜ、高速道路沿いを「遊覧飛行」したのか、実はちょっと理由がある。台北から台中までバスで南下すると、半分あたりを過ぎたあたりか、大きな山が左手に迫って見え、道路はその脇をすり抜けるように走っていて、バスのフロントガラスからあの山を目前にすると、「ああ、またここに来たな」と、いつも印象に残っていた。で、その山を探そうと思った。「これがそうかな」というところが何箇所もあって判然としない。台中までは二時間ほどだが、大きい岩がゴロゴロとある川を何本か渡る。もちろん、これはグーグルアースではっきり判るが、日本にはあれほど広々として野趣に満ちた河原はない。
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グーグル・アース
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/25 16:37 投稿番号: [1384 / 3149]
どういうわけでタダで公開しているのか知らないが、「グーグル・アース」とは面白くて便利なものだ。左右を調節しながら台湾の高速道路をゆっくりと南下して台北から台中まで「遊覧飛行」をしてみた。これはバーチャル(架空体験)には違いないが、かなりの臨場感もあってなんとも不思議な気分である。タダで見せてもらって「もうすこし、鮮明にならないか」というのは身勝手な言い分だろうが、ただ、なぜか、ヨーロッパやアメリカの一部の地域は他所とちがって、びっくりするほどの解像力があり、よく見ると人の姿かたちまでわかる。はっきり言い切ってしまえば、これはグーグル社の欧米優先のなせる技だろう。どこの国だって「撮影禁止」の場所があると思うのだが、飛行場の軍用機まで写っていて機種まで判定がつくが構わないのだろうか、数センチのものまで判別できるという軍事衛星の発達もあり、空から見えるものは隠しようがないということなのか
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Re: 林森公園
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/22 00:05 投稿番号: [1382 / 3149]
お話は大変勉強になりました。先生の「証言」は、台湾戦後(光復)史の一部を知るナマの声として貴重なものであります。近頃は桃園空港から台中に直行するので台北はほとんどご無沙汰です。南京東路も名称こそ違え、てっきり戦前からあったものとばかり思っていましたがそうではなかったのですか。商業地とは変遷するもので、以前、台中も駅付近だけが繁華街で、五権路を過ぎると急に寂しくなりましたが、現在はむしろ逆で高速道路に近づくほど賑やかになっています。来年は新装なった故宮の見学のため、せめて一日、二日は台北に逗留したいと思います。十年ほど前から「書」に興味があるので、昔は素通りだった「書」の一角はしっかり見てみたいです。しかし、航空券だけで行くと台北のホテルは高いですね。どうみても中級かそれ以下にしかみえないのに平気で「五千元だけ」なんて言って料金表を指差したりします。帰ろうとすると「二日泊まれば半額ね」とか「日本円なら一万円でいいですよ」などとわけのわからないことを言われたこともずいぶんあります。あたりまえだといわれそうですが、台湾と日本では商売のやりかたが随分ちがいます。今は知りませんが、十年ちかく前、香港などは日本人に対するあまりのえげつなさがマスコミの話題になって観光客が激減したことがありました。
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Re: 林森公園
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/21 22:04 投稿番号: [1381 / 3149]
林森公園になる前の墓地に侵入して居住場所にした中国難民は、当初はテントや板切れ、トタン板で雨露をしのいでいたのであろうが、30年、40年とたつと、そこはかなり景気のよい商業区になっていました。おしゃれな婦人靴を売る店がずらりとならんでいたのを記憶しています。
その墓地が商業地区になった原因は、今から四十數年前に、幅40mの南京東路が建設されたからです。それ以前は「通り道」としか言えない程度の通路があっただけです。阿扁が追い出したときの公園予定地不法占拠民は、当初のあわれな難民ではなく、小金持ちの商人たちでした。最初の難民がそのまま居続けていた例はすくなかったであろう。土地の不法占拠権が、転々と転売されたのが多いのであろうと思います。
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Re: 林森公園
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/21 14:10 投稿番号: [1380 / 3149]
unhoo先生
お教えをいただきました。
> そこを陳水扁市長が、断固として公園建設を完遂した。陳水扁市長の偉功の一つであるが、そこに住んで商店や市場まで開いていた外省人の深刻な恨みを買った。
こうした市政を「偉功」というか、「暴政」というかは意見が分かれるところかと思います。ただ、わたしは台湾の国外の者ですから意見を言える立場にはありません。先生も訪日のおり、新宿駅の通路で一群のダンボール・ハウスを見かけたようですが、さすがにあれは撤去されました。外省人による林森公園の不法占拠もそれと同一線上にありますが、規模、歴史的背景、諸般の事情等々を考えると、必ずしも質的に同一とはいえないようです。その時の立ち退きと接収の現場の様子はどのようなものだったでしょうか。釈迦に説法にならぬよう注意しなければなりませんが、政治は人民の生活こそがすべてであります。北京でもオリンピックのために半強制的立ち退きを強行していると聞きますが、「邪魔だからどけ」「不法占拠は許さん」と、警察権力を行使するばかりではただの「支配」になつてしまいます。わたしが(恐らくは先生の大嫌いな)毛沢東の著作を読んでいることはすでにご存知だと思いますが、この話に関連する彼の談話を思い出し、記憶をたよりに検索した結果、探しだすことができました。ただ、「共匪の話なんか身震いがする。とんでもないことだ」とお思いでしたら以下は眼を通す必要はありません。
「数年前、河南省のあるところに飛行場をつくることになったが、事前に農民への配慮がゆきとどかず、よく説明もしないで、むりやりかれらを引っ越させようとした。そこの村の農民たちは、長い棒で木の上のスズメの巣をつつき落とせば、スズメだってすこしは文句をいうさ、と言った。訒小平、きみにも巣があって、わたしがそれをめちゃくちゃにしたら、きみはなにも文句を言わないかね?
そこでだ、ここの大衆は三段がまえのピケット・ラインを敷いた。第一段は子供たち、第二段は婦人たち、第三段は青壮年男子のピケット・ラインだ。そこへ測量にいった人たちは、みな追い返されて、結局、農民が勝利した。そのご、農民に十分に説明をし、ゆきとどいた配慮をしたら、農民はやはり引っ越し、飛行場はちゃんとできあがったのである。こうしたことは少なくない。いま、天下をとったので枕を高くして寝られる、横暴のかぎりをつくせる、とでも思っているような人たちがいる。大衆がこうした人に反対し、石をぶつけ、鍬をふりあげるのを、わたしは当然のことだとおもうし、これを大歓迎する。それに、腕ずくに訴えてはじめて問題が解決されるばあいもあるのだ。共産党は教訓を汲みとらなければならない。学生が街頭にくりだし、労働者が街頭にくりだす、およそこうしたことがおきたならば、同志諸君は、これをよいことだとみなければならない。成都の百人あまりの学生が、北京に請願に来ようとしたが、ある列車に乗った学生は四川省の広元駅でとめられ、別の列車に乗った学生も洛陽まできたが、北京には来られなかった。これらの学生を北京に来させて、関係部門へ参上させたらよい、というのが、わたしの意見であり、また周総理の意見である。労働者のストライキを許すべきであり、大衆のデモを許すべきである。デモ行進については、憲法にその根拠がある。今後、憲法を改正するときには、もう一つ、ストライキの自由もくわえて、労働者のストライキを許すべきだ、とわたしは主張する。こうすることは、国家、企業長と大衆とのあいだの矛盾の解決に有利である。いずれにせよ矛盾であって、世界は矛盾にみちている。民主主義革命は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義とのあいだの一連の矛盾を解決した。こんにち、所有制の面では、民族資本主義および小生産とのあいだの矛盾も基本的に解決したが、また、別の面の矛盾がきわだってきて、新しい矛盾が発生してきているのである。県委員クラス以上の幹部は数十万人おり、国の運命は、かれらの手に握られている。もし、りっぱに仕事をせず、大衆から浮きあがり、刻苦奮闘しないならは、労働者、農民、学生が、かれらに賛成しないのは当然のことである。われわれはかならず、官僚主義の作風がはびこらないように、人民から浮きあがった貴族階層がうまれないように、警戒しなければならない。官僚主義におちいり、大衆のぶつかっている問題を解決せず、大衆をののしり、大衆をおさえつけ、またいつまでもあらためようとしないならば、大衆が、こうした者をクビにするのは当然のことである。わたしは、クビにすることはたいへんよいことであり、クビにすべきだとおもう」
これは メッセージ 1379 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 林森公園
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/20 22:37 投稿番号: [1379 / 3149]
日本時代は、たしか三板橋墓地(正式の名)または大正町墓地(俗称)と呼んでいた。「三板橋」は台湾人が前からつけた地名、そこが内地人(戦前の在台日本人)用の墓地になった。しかし台北市の発展とともに、そこを墓地にしておくことは不都合になり、日本時代すでに公園予定地になっていたらしい。
その墓地へ大陸からの難民(外省人)が入り込んで、始めは仮住家を建てて住み、十年、二十年と年月の経過とともに建物も進化し、日本人の墓を埋めて墓碑を建築材料に使ったりした。長い間十四号公園予定地、十五号公園予定地という公定番号がつけられていたが、歴代の台北市長は公園建設に踏み切ることができなかった。そこを陳水扁市長が、断固として公園建設を完遂した。陳水扁市長の偉功の一つであるが、そこに住んで商店や市場まで開いていた外省人の深刻な恨みを買った。
明石総督の墓のほかに、乃木総督の母堂の墓もあった。乃木総督の総督在任期間は短かったが、任期中に母堂が台北で亡くなったので、そこに墓を建てた。母堂の命日を、のちの台湾総督が勝手に「乃木節」と呼んで、台北の中学以上の学校は、生徒20人ほどを学校の代表として墓参せよという規定をつくった。わしも旧制中学の時代に、すくなくとも1回は代表に選ばれた。
学生を明石総督の墓に墓参させる規定はなかった。
林森公園を建設するとき、地下から出てきた数多くの遺骨は、台北市外のどこかのお寺の納骨塔に収められたと聞く。
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ホテルのロビーで実際にあった会話
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/20 20:33 投稿番号: [1378 / 3149]
「あのよぉ、この札の蒋介石が着ている服だけどよぉ、これ、人民服みたいだよな」
「そうだな」
「なんで蒋介石が共産党の服着ているだぁ?」
「わっかんねぇなぁ」
「おかしいじゃねぇか。これ、毛沢東なんかが着てた服じゃねぇか」
「昔よぉ、戦時中よぉ、共産党と国民党が一緒になってたことあんだろ。そのせいじゃねぇか」
「ああ、シナ事変の時分かぁ。そのころ共産党あったのか」
「八路軍が共産党じゃねぇか」
「えっ、八路軍は共産党だったのかい」
「なんだ、おめぇ、そんなことも知らねぇのか」
もう、20年以上前、台北駅近くのホテルのロビーで…。多分、農協のオヤジさんたち。
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Re: 林森公園
投稿者: urfraternity 投稿日時: 2007/12/20 19:44 投稿番号: [1377 / 3149]
>「明石台湾総督の墓所」
他のトビで評判の林森エリアを知らなかったので昨日歩いてみました。昼間でしたので全く収穫はありませんでしたが、公園は通りました。鳥居は、見落としたか知りませんが見ませんでした。碑はありましたな、次のように。
hxxp://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E6%A3%AE%E5%85%AC%E5%9C%92
ついでですが、びっくり・・・はありますが、秘境は台湾にはないのですかな。どこに行っても路はあるし人人・・で。あるいは林森あたりが秘境・・。
これは メッセージ 1376 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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林森公園
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/20 18:23 投稿番号: [1376 / 3149]
昔、写真週刊誌に「明石台湾総督の墓所」という記事があり、それが林森北路の低所得者層住宅密集地(ほかの表現もあるが)に埋もれていて、鳥居の端が人家の軒先から突き出ている写真が出ていた。こういう話なら記憶に残る。当時はかなりの頻度で訪台していたから、忘れもこともなくホテルから徒歩で向かった。ただの観光客だから他にこれという用もない。林森北路なら地図はいらないし、すぐ近くのビルにある「太陽城」という小さいレストラン・シアターには何度か行ったこともある。昼日なかの台北を歩くのになんの遠慮もいらないはずだが、「ここは…」と、その場所にちょっと踏み込んで気がついた。中国系の人たちの地域だった。べつに恐いこともないが、よそ者が興味本位で歩きまわる場所ではないと思ってすぐに退散したから明石さんの鳥居は見つからなかった。そこがなぜ当時から「林森公園」と呼ばれていたのかをすぐに理解できたのは、台湾近代史を多少なりとも勉強していたからである。ただ、それも浅学だから、その明石総督が日露戦争直前に特務としてロシア、欧州で活躍(暗躍?)した明石元二郎と同一人物だと知ったのはずっと後のことである。それから数年後、ふたたび夕暮れの林森北路を歩いて、驚愕した。だだっ広い空き地の真ん中にポツンと鳥居が立っていたからである。あの密集住宅がすべて取り壊され、すっかりブルドーザで均されていた。もちろん、鳥居まで行ってみたが他には何もない。ただ、日本人の墓石のかけらがいくつも散乱しているのは痛々しかった。鳥居が残されていたのは作業員が「災厄」を恐れた結果にちがいない。グーグル・アースでみると現在は本物の公園になっているようだが、あの鳥居はすでに丁寧に撤去されたものと思う。あるはずがない。
これは メッセージ 1375 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 100万円
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/19 22:26 投稿番号: [1375 / 3149]
>無名の若い芸人にとって一人当たり33万円は大金である。<
そうですね。台湾では何かの仕事で、働き手を募集する広告に「年収100万元不是夢」(年収百万元も夢でない)をキャッチフレーズにしているのをときどき見かけます。百万元は350万円ぐらいかな。
これは メッセージ 1374 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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100万円
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/18 20:57 投稿番号: [1374 / 3149]
日本にはいつごろからか、「今年の言葉」なるものが定着して、暮れになると発表されて話題になる。どこで発表しているのか知らないし、たいして関心もないが、今年は「偽」である。「偽」のない世界はない。戦後の日本のカメラはライカやイコンのコピー、オートバイはアメリカのコピーから出発している。台湾のテレビ番組も「あれ?」と思うことがある。早い話、日本のパクリなのだが、なにもかもソックリというのはいただけない。もっとも、昔の日本だってテレビやラジオの人気番組は、ほとんどアメリカの物真似だから笑うわけにはいかないだろう。今夜、大笑いをした番組があった。若いお笑い芸人が三人、スタジオの天井から吊るされた百万円を引っ張り下ろすというもの。高さは5メートル、そのための道具もビニール傘だのラップ、ハンガー、ボール等々、大量に用意されているが、それらを工夫して五分以内に落とせば「いただき」という趣向である。これはチンパンジーが吊るされたバナナを落とすところから考え付いたものらしいが、無名の若い芸人にとって一人当たり33万円は大金である。だが、5メートルはハンパな高さではない。カネ欲しさの三人のムダのない協同と真剣さ、恐ろしく緊張したさまは、まさに旧軍の「協同一致は戰鬪の目的を達する爲極めて重要なり
兵種を論ぜず上下を問はず戮力協心全軍一體の實を擧げ始めて
戰鬪の成果を期し得べく
全般の情勢を考察し
各々其の職責を重んじ一意任務の遂行に努力するは即ち…」を地で行くようだ。これがときには「早送り」で編集されているから非常に面白かった。台湾でもすぐに真似されるだろう。いや、真似してもらいたい。
これは メッセージ 1373 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 「の」入りの看板
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/18 12:32 投稿番号: [1373 / 3149]
すでに大勢の日本人観光客が来てはいたが、まだ戒厳令解除前で日本語を話すのが憚れていた蒋経国の時代、中山北路に「ホワイト・ノーブル紅茶」?とかいう日本語のかなり大きな看板がありました。漢字の看板が溢れている街中のカタカナは驚きでした。
これは メッセージ 1372 (unhoo さん)への返信です.
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「の」入りの看板
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/18 03:42 投稿番号: [1372 / 3149]
「秋の嘗」というのを昨日見た(嘗には口へんがついていた)。今回もタクシーに乗っていたので、何の店だか見る時間がなかった。「の」入り看板のおもしろいものを、以前たくさん見たのだが、書き取っておかなくて惜しいことをした。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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台湾の言語に取り入れられた「の」
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/12 02:13 投稿番号: [1371 / 3149]
台湾の街には、ときどき「××の××」と書いた看板を見かける。今日見つけた実例は、「時尚の星」という看板。タクシーに乗っていて、ひょっと見えたのだが、何を売っている店だか見ないうちに走り過ぎてしまった。
「時尚」はファッションのこと。つまり「ファッションの星」という看板です。おそらくは、女性の流行服を売る店であろう。台湾人がこの看板の文を声を出して読む時は、「時尚」と「星」とは台湾語か北京語の発音で読み、「の」は日本語の発音で読む。
「の」という日本語は便利なので、台湾の言語(台湾語または北京語)取り入れられる可能性がある。
「××の××」の実例は、注意すればまだまだ見つかるから、発見された方は、このトピに書き込んでください。
これは メッセージ 1370 (wosyanhoitya さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: wosyanhoitya 投稿日時: 2007/12/05 21:56 投稿番号: [1370 / 3149]
直訳メニューにびっくり!折角日本語なのに余計に意味が判らなかったです。また、あっちこっちで日本語が間違っているのでついついツッコミしたくなる今日この頃です。この場合、間違っている事を教えてあげた方がいいのでしょうか?
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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初期の投稿
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/05 11:57 投稿番号: [1369 / 3149]
このトピの初期の投稿を見ると、軽くて肩の凝らない話題が続いています。それがだんだんと話題が重苦しくなり、投稿者の數もへっています。どなたかこのトピを若返りさせてくださる方がいませんかなあ。
これは メッセージ 1368 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾に行きたかったが…
投稿者: nachitakao 投稿日時: 2007/11/29 00:39 投稿番号: [1368 / 3149]
tokyo_cachito3様:
株価が落ちたらまた上昇で昨日は$120.00上昇で$13000.00に戻ってきました。米国は格差がおおきいですから貧富がはっきりしています。ところが、米国は夫婦で働きますので、少数民族でも大学で10年すれば、12万ドルは年平均所得でしょう。株価は待つ時も大切ですね。引退者の年金は年3-4%の増額で、国家医療保険制度で掛け金はそのままで助かります。やはり日本としては65000人が殺されたシベリヤ捕虜(ジュネーブ協定違反)と北方にあり4つの島を返さないソ連も過去20年は静かであったが、最近豊富な油田(全部国営にもっていく)の開発で日本を相手にしない1945年以来からの未決問題はどうなんですか。漁業といい経済区域
と言い、日本にはどうしても解決したいが、外交歴史を見るとソ連の外交は
だまし撃ちが得意であります。憲法改正して集団権確立して、武装してこそ、米国の同盟は破棄出来ます。デモ当初の防衛力の予算は30-40兆円
は必要とか。孤立しつつある日本を狙う周辺武装国家は虎視眈々です。
今の生活水準をどうにか保つ上で日米同盟は良いが、誇りが許さないとすれば、憲法改正で核の保有もありうる国力が必要ですね。
株取引は良い時もあれば悪い時もありますが、米国の戦後の歴史では$13000.00は上場の高相場であります。ゆっくり構えてください。
これは メッセージ 1367 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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台湾に行きたかったが…
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/22 18:05 投稿番号: [1367 / 3149]
今夏からの株の下落で、年初から営々として稼ぎ貯めた利益をキレイに吹き飛ばしてしまった。香港の夜の雑踏が好きで、台湾のついでに行こうかと思っていたが、これではどこに行っても観光気分にはなれない。米国のサブプライム問題が主因だ。いったい、アメリカ人とは世界の人々には恐ろしい存在である。もう、戦勝国アメリカの時代はとっくに過ぎ去ったのだが、アメリカ人であれば、広々とした敷地に豪壮な住宅を建て、ピカピカの新車に乗り、夜ごとのパーティを楽しむことができるのだと、今もなお考えているらしい。なぜ俺がその幻想のとばっちりを受けなきゃならんのだ。日本というアメリカ合衆国の従属国に住んでいる以上は仕方がないのか。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 臭豆腐、納豆
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/21 01:21 投稿番号: [1366 / 3149]
「酢豆腐」という落語がある。これは関東の落語だが、関西ではちょっとストーリーが違っていて「チリトテチン」という。なんとここでは「台湾」という言葉が一瞬だが出てくる。「台湾」が紛れ込んでいる噺はおそらくこれだけだろう。はじめは長崎だったらしいが、日本帝国主義のおかげで台湾も噺の範疇に入ってしまった。「ほう、台湾からの到来物ですか。ちょいと拝見、おや、なつかしいですな、よく尊公らにこの珍なものが手に入りましたな。ええ、もちろん食べ物でがすよ。拙も台湾にいたころはこれをよく食しました」。余談になるが古今亭志ん生の「寝床」には最後のオチに唐突に「ドイツ」が出てきて驚かされる。「その晩からだよ、番頭さんが書置きをしていなくなったのは…。だんだん聞いてみるとあの人は今、ドイツにいる」。日本から噺、話芸の職人が消えて久しい。
これは メッセージ 1365 (unhoo さん)への返信です.
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臭豆腐、納豆
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/20 23:49 投稿番号: [1365 / 3149]
臭豆腐は昔は台湾になかった。戦後外省人が持ってきた物です。もう一つ、皮蛋も昔台湾になかった。昭和8年ごろに中国から渡って来た物です。
皮蛋は「アヒルの卵を馬の小便に漬けた物」という触れ込みで入って来ました。終戦までは、本島人も内地人もみな「馬の小便に漬けた物」と信じて疑わなかった。
アヒルの卵を塩漬けにした物は、むかしから台湾産がありました。
納豆は新しくなければだめだというお説は、わしも日本旅行の体験で承知しています。日本では納豆を具にした海苔巻きが安く買える。細巻き1本80円ぐらいだったかな。それを2本買って、どこかのベンチに腰掛けて昼飯にするのがひとつのたのしみです。その際の飲み物は自動販売機で適当なものを選びます。
アヒルの卵の塩漬けについてコメントしたいが、今ちょっと手が混んでいるのでまた後で。
これは メッセージ 1364 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/20 21:13 投稿番号: [1364 / 3149]
台中のコンビニに納豆を見つけたときは驚いた。これはできるだけ新しいうちに食べたほうがいい。知らない人は、発酵食品だから賞味期限などはあまり関係なかろうと思うかも知れない。だが、日にちの経った納豆は焦げ茶色に変色し、アンモニア臭が鼻について食べられたものではない。台湾の人が古い納豆を口にして「まずーい」と言われるのは残念だ。ケント・デリカットが「あれは腐っているよ」と、わが食文化を侮辱したが、世界広しといえども腐ったものを食う民族はいない。発酵と腐敗の区別もできないアメリカ人では栓もないが、やつが口にしたものは本当に腐っていたのだろう。台湾に臭豆腐があることは承知しているが、実は見たことがない。こんど行ったら食べてみようかと思う。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: デジタル カメラ
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/16 17:43 投稿番号: [1363 / 3149]
台湾の大手デジタルカメラOEM(相手先ブランド製造)メーカー、普立爾(Premier)、華晶科技(Altek)、アビリティ(Ability)の3社による、2008年の合計出荷台数が5300万台に上ることが明らかになった。全世界の出荷量のおよそ50%以上を占めるとみられる。ChinaByteが伝えた。
まさか、イギリスが…、と思って調べたらPremierというのは、やはり台湾のメーカーでした。その台湾の会社も工場は中国にあるに違いない。
これは メッセージ 1362 (unhoo さん)への返信です.
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Re: デジタル カメラ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/16 15:50 投稿番号: [1362 / 3149]
よく調べてみると、デジカメにはPremierという商標名の英国製のものがあって、これがなかなか大きなシェアを持つらしい。ほかに韓国のサムスン商標のデジカメもある。
これは メッセージ 1361 (unhoo さん)への返信です.
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デジタル カメラ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/16 10:10 投稿番号: [1361 / 3149]
>ただ、ソニーが最近開発したデジタルカメラの「スマイルシャッター」はすばらしい。<
そういう特殊な例を考えなくても、デジカメと言えば日本製が世界を制覇しています。あと、コダックもデジカメを出しているようだな、ライカのデジタルが出たようだなと、頭の隅に思い浮かべる程度です。
これは メッセージ 1359 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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南十字星
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/15 13:44 投稿番号: [1360 / 3149]
>30年位前友人の結婚式に台湾から“君達の永遠なる幸せを、南十字星にお願いしました”と打ちましたが台湾では、サザンクロスは見えませんですよね!!<
その電報は名文です。南十字星は、幸いにして台北でも見えるのです。戦前台北市に「台北天文同好会」があって、その会の幹事が公会堂(今の中山堂)の事務長でした。40歳ぐらいの内地人でした。会長には気象台の天文課課長の窪川氏(東京帝大天文学科出)が推されて納まっていました。時々公会堂の屋上で、星座を見る会を開催し、一般市民に星座を教えました。わしはその会で、南十字星を教えられました。四つの星のうち一番下のひとつだけ台北市の南にある山々にさえぎられて見えなかったように記憶します。
これは メッセージ 1358 (yuwfui さん)への返信です.
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電報
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/14 23:37 投稿番号: [1359 / 3149]
小学生の頃、「電報の読み方」が教科書にあったのを思い出した。例えば、「ホンヒ」とあれば「本日」と読んでカタカナを節約するルールがあった。字数によって料金が違うのは当然だが、何事も節約し、折り畳み、凝縮するのは日本の文化だから造作もないことだ。ちいさな電器製品をつくることにかけては他の追随を許さないはずの日本が携帯電話では世界市場から大きく立ち遅れ、もはや挽回のチャンスもない。せっかくの巨額のビジネスチャンスなのに惜しいことをしたと思う。国内のシェア争いに一喜一憂する近頃のサラリーマン社長では「世界制覇」など望むべくもない。ただ、ソニーが最近開発したデジタルカメラの「スマイルシャッター」はすばらしい。被写体の人物が笑顔をつくると、それを感知してカメラが自動でシャッターを切るという。そのアイディアだけでも大変な値打ちがあるが、その商品は話題性も十分で、一時は沈没するかと思われたソニー神話復活の先駆けになるかも知れない。
これは メッセージ 1357 (unhoo さん)への返信です.
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Re: バスポート
投稿者: yuwfui 投稿日時: 2007/11/14 19:42 投稿番号: [1358 / 3149]
unhoo先生
日本の電報は現在結婚式とお悔やみだけだと思います。30年位前友人の結婚式に台湾から“君達の永遠なる幸せを、南十字星にお願いしました”と打ちましたが台湾
では、サザンクロスは見えませんですよね!!
星座の事は苦手です。
これは メッセージ 1357 (unhoo さん)への返信です.
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Re: バスポート
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/14 08:10 投稿番号: [1357 / 3149]
驚いた!
日本にはまだ電報があるのですか。台湾ではとっくの昔になくなりました。調べてたところ、1991年9月9日をもって、国内電報というサービスが廃止になったのだそうです。国内電報でなく、外国行きや外国から来る電報はまだあるのかどうかは不明ですが。
台湾の国内電報が廃止になった理由は、電話、FAXの普及で、電報依頼のお客がほとんどなくなったからです。また、今はなくなったが、十数年前には「受信者側のタイプライターを送信者側から操作する」とでも言うべき機械が商社や官署の間で普及したからです。当時この機械が、商社や役所で、さかんにカチカチ音をたてていたが、わしは傍へ寄ったこともないので、正確なことは知りません。
日本に電報が残っている理由は、結婚、入学、昇進などに電報でお祝いの文を送ることが習慣として定着したからでしょうか。戦前の小説では、結婚式場で、仲人が祝賀電報を読み上げる場面がありました。菊池寛の小説『慈悲心鳥』には、恋に破れた男が結婚式場へ「ナンジ
ノケツコンヲノロフ」という電報を送りつけるという場面がありました。
これは メッセージ 1356 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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バスポート
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/13 20:03 投稿番号: [1356 / 3149]
今日、パスポートの更新申請に行ってきた。「緊急連絡先」の欄に書いた弟の電話番号が思い出せない。母親のところに書き直すのも面倒だからそのまま提出した。「ここ、電話番号が抜けてます」「番号わからないんですけど、これ、なんのために書くんですか」「緊急のときに外務省が連絡するためです」「じゃ、電報にしてください」「電報なんかできません」「どうしてですか。電報という制度があるじゃないですか」「電話で連絡することになっているんです」「だから電話番号がわからないから電報にしてくださいと言ってるんですよ。わたしは何か無理なことを言ってますか。電報というのはなんのためにあるんですか」「ほかに親族とか、いないんですか」「みんな死んじゃいました」「お友達は」「友達なんか一人もいません」「五年前のパスポートの連絡先はどこでしたか」「そんな五年前のことなんか覚えてませんよ」「思い出してください」「思い出せと言われてもねぇ、それじゃアナタ、五年前のことなんでも思い出せますか」そんなやりとりのあと、職員は「ちょっと待ってください」と言ってどこかへ行ってしまった。上司に処置を聞きに言ったのだろう。長々と待たされた挙句、「それじゃ、ここに、電話番号は調べたけどわかりませんでした、と書いてください」で落着。官僚主義の大先輩である台湾の官庁だったら、こんな掛け合いをする人はいないでしょうね。
これは メッセージ 1355 (unhoo さん)への返信です.
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掲示板の不景気
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/12 19:40 投稿番号: [1355 / 3149]
台湾カテがこのごろ低調だが、掲示板全体をざっと見渡したところ、どこもみな不振のようすです。以前にどこか、台湾に関係のないカテに、投稿が數十万に達したトピがあった。そのトピには一日で百件もの投稿があった。経済関係のカテだったように記憶する。それを今回探してみたが、見つからない。
↑このようなことを書き込むことを、中国語では掲示板を「唱衰」する言うのですな。どこかのトピ(台湾カテ)で、中国語「唱衰」とはどんな意味かという討論が発生したことがありましたな。
これは メッセージ 1354 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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台湾の看板
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/10 20:01 投稿番号: [1354 / 3149]
以前、台湾では店や会社のプラスチック看板が漢字一文字ずつの正方形でいかにも手間の掛かった造りだった。もちろん蛍光灯や電球入りで、贅沢であり優雅ですらあった。そうでなけりゃ看板じゃないといった風情で、それは政治には関わることができず、熱心に商売に励むしかない台湾人の商魂の表れだったかも知れない。空港から乗ったバスが高速道路を降りて台北の市内に入ると、いやでもそれらの看板が目に飛び込んできて「ああ、また台湾に来たな」という実感がわいたものだ。だが、時代は変わった。いまはほとんどが日本と変わらないストレートな長方形になっている。経済が膨張し、看板のコストも上がってそうした「無駄遣い」が許されなくなったに違いない。
これは メッセージ 1353 (unhoo さん)への返信です.
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敵進我退、敵駐我攪・・・・
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/07 09:22 投稿番号: [1353 / 3149]
わしは毛沢東の著書を読んだことがない。蒋政権時代の台湾は、自宅の本棚に毛沢東の著書を置いていただけで、発見されたら銃殺される。蒋政権が消失して、李登輝氏が総統になると、とたんに毛沢東の本が台湾の本屋で売られるようになったが、その頃には毛沢東は死んでトウ小平の時代になっていたから、わしは毛沢東に興味を感じなくなった。
「 敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追」、毛沢東はこんなふうに文字をきれいに書きならべて、得意満面だったのですね。しかしわしの考えでは、文字面があまりきれいだと、叙述としては、あてにならなくなる。
これは メッセージ 1352 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 孟子の説に承服しかねる
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/07 01:07 投稿番号: [1352 / 3149]
敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追
これは「持久戦論」に出ていたのか、ほかの文献だったか調べてみたいが、ともかく40年ほど前の中国では「心のなかの紅い太陽」と、歴代のどの皇帝より崇め奉られた湖南省出身の人物の造語だ。進むことを知って退くことを知らない軍隊の末路は哀れである。旧日本軍の作戦要務令を読んでも、「退却」という用語は絶対に出てこない。それどころか、「防御よく攻勢の鋭気を包含し…」などと煽って、穴熊のような立て篭もりは許さず、なにがなんでも攻撃するのが「赫々たる伝統を有する国軍」だった。だが、この「かえり見はせじ」という重大な欠陥を相手の軍隊に知られたのはまずかった。司馬遼太郎の戦国時代の歴史小説に、撤退につぐ撤退で相手を油断させ、夜陰に乗じて一気に逆襲、打ち落とした敵の首が二千という奇跡的な大勝を得た史実の記述があった。舞台は相模だったと記憶するがそれ以上は思い出せない。まぁ、それはともかく、退却イコール敗北ではないのは確かである。
これは メッセージ 1351 (unhoo さん)への返信です.
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孟子の説に承服しかねる
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/06 23:18 投稿番号: [1351 / 3149]
小学時代、校門の斜め向かいに長い間空き家のまま放置されていた建物があった。ドアには鍵がかかっていないので、そーっと開けて中を覗き込む子もあった。やがて子どもたちのあいだにあの建物の中には化けがいるという説が定着した。
ある日学校帰りの1年生から3年生までの子数十人の有志者が、お化け屋敷探検に集まった。先陣として3年生の男子5人が、おそるおそる中へ踏み込んだが、途中で怖気づいて、走って出てきた。それを見て、外で待ち構えていた数十人は、一斉に悲鳴をあげて逃げ散った。そして20メートルほどで踏みとどまった少数の者は、なおも逃げて行く連中の後姿を指差して、声をあげて嘲笑したのである。
わしはそのとき2年か3年で、20メートルで踏みとどまった組の1人であった。
だから、6年ぐらいになって、50歩逃げた者には100歩逃げた者を笑う権利がないという説を聞かされて、不服であった。化け物屋敷探検のとき、われ等20メートル踏みとどまり組の目には、なおも必死に逃げ続ける奴らのうしろ姿は、たしかにおかしくってたまらなかったのである。
これは メッセージ 1350 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 孟子
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/06 12:00 投稿番号: [1350 / 3149]
孟子対えて曰く「王、戦を好む。請う戦を以て喩えん。填然として之を鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳いて走る。或は百歩にして後止まり、或は五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑わば、則ち何如」と。曰く「不可なり。直だ百歩ならざるのみ。是れも亦走るなり」と。曰く「王如し之を知れば、即ち民の隣国より多きこと望むこと無からん。」
だけど、国王を前に孟子も随分と遠慮のないことを言ったものですねぇ。わたしだったら、「その儀でございますが、帝の徳を慕ってわが国に来たがっている隣国の民は数知れずでございます。しかし、向こうの王は国境にいくつもの関所をつくって民の出国を禁止しておると聞き及びました。まことに嘆かわしいとは存じますが、それはむこうの勝手、別段、わが国に悪さをしているとも言えず、困ったものでございます」
これは メッセージ 1348 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 孟子
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/06 09:02 投稿番号: [1349 / 3149]
ちょっと考えてみたが、どうもよくわからない。わからないが、人生の達人である先生がおっしゃることだから何か含みがあるのだろうと、コンビニで日本経済新聞を買った帰りの小雨の中で考えていたらあることが思い当たった。「あれはヘーゲルの弁証法でいうところの、あの有名な【質量転化の法則】つまり、 量の増減は質的変化を導くということを言っているのか」と。だとすれば、同一線上にあっても「量」(この場合は歩数)の違いから「質」の違い、つまり、「笑うもの」と「笑われるもの」がいても理屈に合うのだ、ということになるかも知れない。ただ、哲学も宗教も門外漢だから、それ以上のことはわたしのアタマではわからない。
これは メッセージ 1348 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 孟子
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/06 03:10 投稿番号: [1348 / 3149]
五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑うのは間違いだと孟子が言ったそうだが、わしには承服できない。わしの考えでは五十歩しか逃げなかった者は百歩も逃げた奴を笑ってよろしい。
これは メッセージ 1332 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 機内預け
投稿者: heitotakao1941 投稿日時: 2007/11/02 03:15 投稿番号: [1347 / 3149]
taiwanboom様:
機内預けの荷物の乱暴扱いですが、例えばロスからニューヨークに行きたい
が時間はゆったりあるという時、直行飛行でなくて、シカゴあたりで乗り換え
をやると、乗車券が安くなります。しかもお客は待ち時間を30-40分なんての有効性を見てアレンジします。こんな時は荷物を引き出し、入れ替える
連中も一瞬の時間が大事で残し遅れを出さない様に乱暴扱いをしますね。それでも積み残しよりは、ましだと思うお客もいますので、時間と丁寧の格闘に
なるのですが。乗車券の値段が半値になることがよくありました。一年に5万マイル(8万キロほど)を飛んで日本技術者を案内して通訳をしましたので、
色々な経験をしました。一度は2万2000キロ飛んでアマゾンから北極圏までいきましたが、地球は広いとかんじました。横から失礼します。
これは メッセージ 1323 (taiwanboom さん)への返信です.
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