Re: 林森公園
投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/20 22:37 投稿番号: [1379 / 3149]
日本時代は、たしか三板橋墓地(正式の名)または大正町墓地(俗称)と呼んでいた。「三板橋」は台湾人が前からつけた地名、そこが内地人(戦前の在台日本人)用の墓地になった。しかし台北市の発展とともに、そこを墓地にしておくことは不都合になり、日本時代すでに公園予定地になっていたらしい。
その墓地へ大陸からの難民(外省人)が入り込んで、始めは仮住家を建てて住み、十年、二十年と年月の経過とともに建物も進化し、日本人の墓を埋めて墓碑を建築材料に使ったりした。長い間十四号公園予定地、十五号公園予定地という公定番号がつけられていたが、歴代の台北市長は公園建設に踏み切ることができなかった。そこを陳水扁市長が、断固として公園建設を完遂した。陳水扁市長の偉功の一つであるが、そこに住んで商店や市場まで開いていた外省人の深刻な恨みを買った。
明石総督の墓のほかに、乃木総督の母堂の墓もあった。乃木総督の総督在任期間は短かったが、任期中に母堂が台北で亡くなったので、そこに墓を建てた。母堂の命日を、のちの台湾総督が勝手に「乃木節」と呼んで、台北の中学以上の学校は、生徒20人ほどを学校の代表として墓参せよという規定をつくった。わしも旧制中学の時代に、すくなくとも1回は代表に選ばれた。
学生を明石総督の墓に墓参させる規定はなかった。
林森公園を建設するとき、地下から出てきた数多くの遺骨は、台北市外のどこかのお寺の納骨塔に収められたと聞く。
これは メッセージ 1376 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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