ビックリ台湾!?

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ホテルのロビーで実際にあった会話

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/20 20:33 投稿番号: [1378 / 3149]
「あのよぉ、この札の蒋介石が着ている服だけどよぉ、これ、人民服みたいだよな」
「そうだな」
「なんで蒋介石が共産党の服着ているだぁ?」
「わっかんねぇなぁ」
「おかしいじゃねぇか。これ、毛沢東なんかが着てた服じゃねぇか」
「昔よぉ、戦時中よぉ、共産党と国民党が一緒になってたことあんだろ。そのせいじゃねぇか」
「ああ、シナ事変の時分かぁ。そのころ共産党あったのか」
「八路軍が共産党じゃねぇか」
「えっ、八路軍は共産党だったのかい」
「なんだ、おめぇ、そんなことも知らねぇのか」


もう、20年以上前、台北駅近くのホテルのロビーで…。多分、農協のオヤジさんたち。

Re: 林森公園

投稿者: urfraternity 投稿日時: 2007/12/20 19:44 投稿番号: [1377 / 3149]
>「明石台湾総督の墓所」

他のトビで評判の林森エリアを知らなかったので昨日歩いてみました。昼間でしたので全く収穫はありませんでしたが、公園は通りました。鳥居は、見落としたか知りませんが見ませんでした。碑はありましたな、次のように。

hxxp://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E6%A3%AE%E5%85%AC%E5%9C%92

ついでですが、びっくり・・・はありますが、秘境は台湾にはないのですかな。どこに行っても路はあるし人人・・で。あるいは林森あたりが秘境・・。

林森公園

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/20 18:23 投稿番号: [1376 / 3149]
  昔、写真週刊誌に「明石台湾総督の墓所」という記事があり、それが林森北路の低所得者層住宅密集地(ほかの表現もあるが)に埋もれていて、鳥居の端が人家の軒先から突き出ている写真が出ていた。こういう話なら記憶に残る。当時はかなりの頻度で訪台していたから、忘れもこともなくホテルから徒歩で向かった。ただの観光客だから他にこれという用もない。林森北路なら地図はいらないし、すぐ近くのビルにある「太陽城」という小さいレストラン・シアターには何度か行ったこともある。昼日なかの台北を歩くのになんの遠慮もいらないはずだが、「ここは…」と、その場所にちょっと踏み込んで気がついた。中国系の人たちの地域だった。べつに恐いこともないが、よそ者が興味本位で歩きまわる場所ではないと思ってすぐに退散したから明石さんの鳥居は見つからなかった。そこがなぜ当時から「林森公園」と呼ばれていたのかをすぐに理解できたのは、台湾近代史を多少なりとも勉強していたからである。ただ、それも浅学だから、その明石総督が日露戦争直前に特務としてロシア、欧州で活躍(暗躍?)した明石元二郎と同一人物だと知ったのはずっと後のことである。それから数年後、ふたたび夕暮れの林森北路を歩いて、驚愕した。だだっ広い空き地の真ん中にポツンと鳥居が立っていたからである。あの密集住宅がすべて取り壊され、すっかりブルドーザで均されていた。もちろん、鳥居まで行ってみたが他には何もない。ただ、日本人の墓石のかけらがいくつも散乱しているのは痛々しかった。鳥居が残されていたのは作業員が「災厄」を恐れた結果にちがいない。グーグル・アースでみると現在は本物の公園になっているようだが、あの鳥居はすでに丁寧に撤去されたものと思う。あるはずがない。

Re: 100万円

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/19 22:26 投稿番号: [1375 / 3149]
>無名の若い芸人にとって一人当たり33万円は大金である。<

そうですね。台湾では何かの仕事で、働き手を募集する広告に「年収100万元不是夢」(年収百万元も夢でない)をキャッチフレーズにしているのをときどき見かけます。百万元は350万円ぐらいかな。

100万円

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/18 20:57 投稿番号: [1374 / 3149]
日本にはいつごろからか、「今年の言葉」なるものが定着して、暮れになると発表されて話題になる。どこで発表しているのか知らないし、たいして関心もないが、今年は「偽」である。「偽」のない世界はない。戦後の日本のカメラはライカやイコンのコピー、オートバイはアメリカのコピーから出発している。台湾のテレビ番組も「あれ?」と思うことがある。早い話、日本のパクリなのだが、なにもかもソックリというのはいただけない。もっとも、昔の日本だってテレビやラジオの人気番組は、ほとんどアメリカの物真似だから笑うわけにはいかないだろう。今夜、大笑いをした番組があった。若いお笑い芸人が三人、スタジオの天井から吊るされた百万円を引っ張り下ろすというもの。高さは5メートル、そのための道具もビニール傘だのラップ、ハンガー、ボール等々、大量に用意されているが、それらを工夫して五分以内に落とせば「いただき」という趣向である。これはチンパンジーが吊るされたバナナを落とすところから考え付いたものらしいが、無名の若い芸人にとって一人当たり33万円は大金である。だが、5メートルはハンパな高さではない。カネ欲しさの三人のムダのない協同と真剣さ、恐ろしく緊張したさまは、まさに旧軍の「協同一致は戰鬪の目的を達する爲極めて重要なり   兵種を論ぜず上下を問はず戮力協心全軍一體の實を擧げ始めて   戰鬪の成果を期し得べく   全般の情勢を考察し   各々其の職責を重んじ一意任務の遂行に努力するは即ち…」を地で行くようだ。これがときには「早送り」で編集されているから非常に面白かった。台湾でもすぐに真似されるだろう。いや、真似してもらいたい。

Re: 「の」入りの看板

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/12/18 12:32 投稿番号: [1373 / 3149]
すでに大勢の日本人観光客が来てはいたが、まだ戒厳令解除前で日本語を話すのが憚れていた蒋経国の時代、中山北路に「ホワイト・ノーブル紅茶」?とかいう日本語のかなり大きな看板がありました。漢字の看板が溢れている街中のカタカナは驚きでした。

「の」入りの看板

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/18 03:42 投稿番号: [1372 / 3149]
「秋の嘗」というのを昨日見た(嘗には口へんがついていた)。今回もタクシーに乗っていたので、何の店だか見る時間がなかった。「の」入り看板のおもしろいものを、以前たくさん見たのだが、書き取っておかなくて惜しいことをした。

台湾の言語に取り入れられた「の」

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/12 02:13 投稿番号: [1371 / 3149]
台湾の街には、ときどき「××の××」と書いた看板を見かける。今日見つけた実例は、「時尚の星」という看板。タクシーに乗っていて、ひょっと見えたのだが、何を売っている店だか見ないうちに走り過ぎてしまった。

「時尚」はファッションのこと。つまり「ファッションの星」という看板です。おそらくは、女性の流行服を売る店であろう。台湾人がこの看板の文を声を出して読む時は、「時尚」と「星」とは台湾語か北京語の発音で読み、「の」は日本語の発音で読む。

「の」という日本語は便利なので、台湾の言語(台湾語または北京語)取り入れられる可能性がある。

「××の××」の実例は、注意すればまだまだ見つかるから、発見された方は、このトピに書き込んでください。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: wosyanhoitya 投稿日時: 2007/12/05 21:56 投稿番号: [1370 / 3149]
直訳メニューにびっくり!折角日本語なのに余計に意味が判らなかったです。また、あっちこっちで日本語が間違っているのでついついツッコミしたくなる今日この頃です。この場合、間違っている事を教えてあげた方がいいのでしょうか?

初期の投稿

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/12/05 11:57 投稿番号: [1369 / 3149]
このトピの初期の投稿を見ると、軽くて肩の凝らない話題が続いています。それがだんだんと話題が重苦しくなり、投稿者の數もへっています。どなたかこのトピを若返りさせてくださる方がいませんかなあ。

Re: 台湾に行きたかったが…

投稿者: nachitakao 投稿日時: 2007/11/29 00:39 投稿番号: [1368 / 3149]
tokyo_cachito3様:

株価が落ちたらまた上昇で昨日は$120.00上昇で$13000.00に戻ってきました。米国は格差がおおきいですから貧富がはっきりしています。ところが、米国は夫婦で働きますので、少数民族でも大学で10年すれば、12万ドルは年平均所得でしょう。株価は待つ時も大切ですね。引退者の年金は年3-4%の増額で、国家医療保険制度で掛け金はそのままで助かります。やはり日本としては65000人が殺されたシベリヤ捕虜(ジュネーブ協定違反)と北方にあり4つの島を返さないソ連も過去20年は静かであったが、最近豊富な油田(全部国営にもっていく)の開発で日本を相手にしない1945年以来からの未決問題はどうなんですか。漁業といい経済区域
と言い、日本にはどうしても解決したいが、外交歴史を見るとソ連の外交は
だまし撃ちが得意であります。憲法改正して集団権確立して、武装してこそ、米国の同盟は破棄出来ます。デモ当初の防衛力の予算は30-40兆円
は必要とか。孤立しつつある日本を狙う周辺武装国家は虎視眈々です。
今の生活水準をどうにか保つ上で日米同盟は良いが、誇りが許さないとすれば、憲法改正で核の保有もありうる国力が必要ですね。
株取引は良い時もあれば悪い時もありますが、米国の戦後の歴史では$13000.00は上場の高相場であります。ゆっくり構えてください。

台湾に行きたかったが…

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/22 18:05 投稿番号: [1367 / 3149]
  今夏からの株の下落で、年初から営々として稼ぎ貯めた利益をキレイに吹き飛ばしてしまった。香港の夜の雑踏が好きで、台湾のついでに行こうかと思っていたが、これではどこに行っても観光気分にはなれない。米国のサブプライム問題が主因だ。いったい、アメリカ人とは世界の人々には恐ろしい存在である。もう、戦勝国アメリカの時代はとっくに過ぎ去ったのだが、アメリカ人であれば、広々とした敷地に豪壮な住宅を建て、ピカピカの新車に乗り、夜ごとのパーティを楽しむことができるのだと、今もなお考えているらしい。なぜ俺がその幻想のとばっちりを受けなきゃならんのだ。日本というアメリカ合衆国の従属国に住んでいる以上は仕方がないのか。

Re: 臭豆腐、納豆

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/21 01:21 投稿番号: [1366 / 3149]
「酢豆腐」という落語がある。これは関東の落語だが、関西ではちょっとストーリーが違っていて「チリトテチン」という。なんとここでは「台湾」という言葉が一瞬だが出てくる。「台湾」が紛れ込んでいる噺はおそらくこれだけだろう。はじめは長崎だったらしいが、日本帝国主義のおかげで台湾も噺の範疇に入ってしまった。「ほう、台湾からの到来物ですか。ちょいと拝見、おや、なつかしいですな、よく尊公らにこの珍なものが手に入りましたな。ええ、もちろん食べ物でがすよ。拙も台湾にいたころはこれをよく食しました」。余談になるが古今亭志ん生の「寝床」には最後のオチに唐突に「ドイツ」が出てきて驚かされる。「その晩からだよ、番頭さんが書置きをしていなくなったのは…。だんだん聞いてみるとあの人は今、ドイツにいる」。日本から噺、話芸の職人が消えて久しい。

臭豆腐、納豆

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/20 23:49 投稿番号: [1365 / 3149]
臭豆腐は昔は台湾になかった。戦後外省人が持ってきた物です。もう一つ、皮蛋も昔台湾になかった。昭和8年ごろに中国から渡って来た物です。

皮蛋は「アヒルの卵を馬の小便に漬けた物」という触れ込みで入って来ました。終戦までは、本島人も内地人もみな「馬の小便に漬けた物」と信じて疑わなかった。

アヒルの卵を塩漬けにした物は、むかしから台湾産がありました。

納豆は新しくなければだめだというお説は、わしも日本旅行の体験で承知しています。日本では納豆を具にした海苔巻きが安く買える。細巻き1本80円ぐらいだったかな。それを2本買って、どこかのベンチに腰掛けて昼飯にするのがひとつのたのしみです。その際の飲み物は自動販売機で適当なものを選びます。

アヒルの卵の塩漬けについてコメントしたいが、今ちょっと手が混んでいるのでまた後で。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/20 21:13 投稿番号: [1364 / 3149]
  台中のコンビニに納豆を見つけたときは驚いた。これはできるだけ新しいうちに食べたほうがいい。知らない人は、発酵食品だから賞味期限などはあまり関係なかろうと思うかも知れない。だが、日にちの経った納豆は焦げ茶色に変色し、アンモニア臭が鼻について食べられたものではない。台湾の人が古い納豆を口にして「まずーい」と言われるのは残念だ。ケント・デリカットが「あれは腐っているよ」と、わが食文化を侮辱したが、世界広しといえども腐ったものを食う民族はいない。発酵と腐敗の区別もできないアメリカ人では栓もないが、やつが口にしたものは本当に腐っていたのだろう。台湾に臭豆腐があることは承知しているが、実は見たことがない。こんど行ったら食べてみようかと思う。

Re: デジタル カメラ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/16 17:43 投稿番号: [1363 / 3149]
台湾の大手デジタルカメラOEM(相手先ブランド製造)メーカー、普立爾(Premier)、華晶科技(Altek)、アビリティ(Ability)の3社による、2008年の合計出荷台数が5300万台に上ることが明らかになった。全世界の出荷量のおよそ50%以上を占めるとみられる。ChinaByteが伝えた。


  まさか、イギリスが…、と思って調べたらPremierというのは、やはり台湾のメーカーでした。その台湾の会社も工場は中国にあるに違いない。

Re: デジタル カメラ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/16 15:50 投稿番号: [1362 / 3149]
よく調べてみると、デジカメにはPremierという商標名の英国製のものがあって、これがなかなか大きなシェアを持つらしい。ほかに韓国のサムスン商標のデジカメもある。

デジタル カメラ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/16 10:10 投稿番号: [1361 / 3149]
>ただ、ソニーが最近開発したデジタルカメラの「スマイルシャッター」はすばらしい。<

そういう特殊な例を考えなくても、デジカメと言えば日本製が世界を制覇しています。あと、コダックもデジカメを出しているようだな、ライカのデジタルが出たようだなと、頭の隅に思い浮かべる程度です。

南十字星

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/15 13:44 投稿番号: [1360 / 3149]
>30年位前友人の結婚式に台湾から“君達の永遠なる幸せを、南十字星にお願いしました”と打ちましたが台湾では、サザンクロスは見えませんですよね!!<

その電報は名文です。南十字星は、幸いにして台北でも見えるのです。戦前台北市に「台北天文同好会」があって、その会の幹事が公会堂(今の中山堂)の事務長でした。40歳ぐらいの内地人でした。会長には気象台の天文課課長の窪川氏(東京帝大天文学科出)が推されて納まっていました。時々公会堂の屋上で、星座を見る会を開催し、一般市民に星座を教えました。わしはその会で、南十字星を教えられました。四つの星のうち一番下のひとつだけ台北市の南にある山々にさえぎられて見えなかったように記憶します。

電報

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/14 23:37 投稿番号: [1359 / 3149]
小学生の頃、「電報の読み方」が教科書にあったのを思い出した。例えば、「ホンヒ」とあれば「本日」と読んでカタカナを節約するルールがあった。字数によって料金が違うのは当然だが、何事も節約し、折り畳み、凝縮するのは日本の文化だから造作もないことだ。ちいさな電器製品をつくることにかけては他の追随を許さないはずの日本が携帯電話では世界市場から大きく立ち遅れ、もはや挽回のチャンスもない。せっかくの巨額のビジネスチャンスなのに惜しいことをしたと思う。国内のシェア争いに一喜一憂する近頃のサラリーマン社長では「世界制覇」など望むべくもない。ただ、ソニーが最近開発したデジタルカメラの「スマイルシャッター」はすばらしい。被写体の人物が笑顔をつくると、それを感知してカメラが自動でシャッターを切るという。そのアイディアだけでも大変な値打ちがあるが、その商品は話題性も十分で、一時は沈没するかと思われたソニー神話復活の先駆けになるかも知れない。

Re: バスポート

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2007/11/14 19:42 投稿番号: [1358 / 3149]
unhoo先生
  日本の電報は現在結婚式とお悔やみだけだと思います。30年位前友人の結婚式に台湾から“君達の永遠なる幸せを、南十字星にお願いしました”と打ちましたが台湾
では、サザンクロスは見えませんですよね!!   星座の事は苦手です。

Re: バスポート

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/14 08:10 投稿番号: [1357 / 3149]
驚いた!   日本にはまだ電報があるのですか。台湾ではとっくの昔になくなりました。調べてたところ、1991年9月9日をもって、国内電報というサービスが廃止になったのだそうです。国内電報でなく、外国行きや外国から来る電報はまだあるのかどうかは不明ですが。

台湾の国内電報が廃止になった理由は、電話、FAXの普及で、電報依頼のお客がほとんどなくなったからです。また、今はなくなったが、十数年前には「受信者側のタイプライターを送信者側から操作する」とでも言うべき機械が商社や官署の間で普及したからです。当時この機械が、商社や役所で、さかんにカチカチ音をたてていたが、わしは傍へ寄ったこともないので、正確なことは知りません。

日本に電報が残っている理由は、結婚、入学、昇進などに電報でお祝いの文を送ることが習慣として定着したからでしょうか。戦前の小説では、結婚式場で、仲人が祝賀電報を読み上げる場面がありました。菊池寛の小説『慈悲心鳥』には、恋に破れた男が結婚式場へ「ナンジ   ノケツコンヲノロフ」という電報を送りつけるという場面がありました。

バスポート

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/13 20:03 投稿番号: [1356 / 3149]
  今日、パスポートの更新申請に行ってきた。「緊急連絡先」の欄に書いた弟の電話番号が思い出せない。母親のところに書き直すのも面倒だからそのまま提出した。「ここ、電話番号が抜けてます」「番号わからないんですけど、これ、なんのために書くんですか」「緊急のときに外務省が連絡するためです」「じゃ、電報にしてください」「電報なんかできません」「どうしてですか。電報という制度があるじゃないですか」「電話で連絡することになっているんです」「だから電話番号がわからないから電報にしてくださいと言ってるんですよ。わたしは何か無理なことを言ってますか。電報というのはなんのためにあるんですか」「ほかに親族とか、いないんですか」「みんな死んじゃいました」「お友達は」「友達なんか一人もいません」「五年前のパスポートの連絡先はどこでしたか」「そんな五年前のことなんか覚えてませんよ」「思い出してください」「思い出せと言われてもねぇ、それじゃアナタ、五年前のことなんでも思い出せますか」そんなやりとりのあと、職員は「ちょっと待ってください」と言ってどこかへ行ってしまった。上司に処置を聞きに言ったのだろう。長々と待たされた挙句、「それじゃ、ここに、電話番号は調べたけどわかりませんでした、と書いてください」で落着。官僚主義の大先輩である台湾の官庁だったら、こんな掛け合いをする人はいないでしょうね。

掲示板の不景気

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/12 19:40 投稿番号: [1355 / 3149]
台湾カテがこのごろ低調だが、掲示板全体をざっと見渡したところ、どこもみな不振のようすです。以前にどこか、台湾に関係のないカテに、投稿が數十万に達したトピがあった。そのトピには一日で百件もの投稿があった。経済関係のカテだったように記憶する。それを今回探してみたが、見つからない。

↑このようなことを書き込むことを、中国語では掲示板を「唱衰」する言うのですな。どこかのトピ(台湾カテ)で、中国語「唱衰」とはどんな意味かという討論が発生したことがありましたな。

台湾の看板

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/10 20:01 投稿番号: [1354 / 3149]
  以前、台湾では店や会社のプラスチック看板が漢字一文字ずつの正方形でいかにも手間の掛かった造りだった。もちろん蛍光灯や電球入りで、贅沢であり優雅ですらあった。そうでなけりゃ看板じゃないといった風情で、それは政治には関わることができず、熱心に商売に励むしかない台湾人の商魂の表れだったかも知れない。空港から乗ったバスが高速道路を降りて台北の市内に入ると、いやでもそれらの看板が目に飛び込んできて「ああ、また台湾に来たな」という実感がわいたものだ。だが、時代は変わった。いまはほとんどが日本と変わらないストレートな長方形になっている。経済が膨張し、看板のコストも上がってそうした「無駄遣い」が許されなくなったに違いない。

敵進我退、敵駐我攪・・・・

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/07 09:22 投稿番号: [1353 / 3149]
わしは毛沢東の著書を読んだことがない。蒋政権時代の台湾は、自宅の本棚に毛沢東の著書を置いていただけで、発見されたら銃殺される。蒋政権が消失して、李登輝氏が総統になると、とたんに毛沢東の本が台湾の本屋で売られるようになったが、その頃には毛沢東は死んでトウ小平の時代になっていたから、わしは毛沢東に興味を感じなくなった。

「 敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追」、毛沢東はこんなふうに文字をきれいに書きならべて、得意満面だったのですね。しかしわしの考えでは、文字面があまりきれいだと、叙述としては、あてにならなくなる。

Re: 孟子の説に承服しかねる

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/07 01:07 投稿番号: [1352 / 3149]
敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追

  これは「持久戦論」に出ていたのか、ほかの文献だったか調べてみたいが、ともかく40年ほど前の中国では「心のなかの紅い太陽」と、歴代のどの皇帝より崇め奉られた湖南省出身の人物の造語だ。進むことを知って退くことを知らない軍隊の末路は哀れである。旧日本軍の作戦要務令を読んでも、「退却」という用語は絶対に出てこない。それどころか、「防御よく攻勢の鋭気を包含し…」などと煽って、穴熊のような立て篭もりは許さず、なにがなんでも攻撃するのが「赫々たる伝統を有する国軍」だった。だが、この「かえり見はせじ」という重大な欠陥を相手の軍隊に知られたのはまずかった。司馬遼太郎の戦国時代の歴史小説に、撤退につぐ撤退で相手を油断させ、夜陰に乗じて一気に逆襲、打ち落とした敵の首が二千という奇跡的な大勝を得た史実の記述があった。舞台は相模だったと記憶するがそれ以上は思い出せない。まぁ、それはともかく、退却イコール敗北ではないのは確かである。

孟子の説に承服しかねる

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/06 23:18 投稿番号: [1351 / 3149]
小学時代、校門の斜め向かいに長い間空き家のまま放置されていた建物があった。ドアには鍵がかかっていないので、そーっと開けて中を覗き込む子もあった。やがて子どもたちのあいだにあの建物の中には化けがいるという説が定着した。

ある日学校帰りの1年生から3年生までの子数十人の有志者が、お化け屋敷探検に集まった。先陣として3年生の男子5人が、おそるおそる中へ踏み込んだが、途中で怖気づいて、走って出てきた。それを見て、外で待ち構えていた数十人は、一斉に悲鳴をあげて逃げ散った。そして20メートルほどで踏みとどまった少数の者は、なおも逃げて行く連中の後姿を指差して、声をあげて嘲笑したのである。

わしはそのとき2年か3年で、20メートルで踏みとどまった組の1人であった。

だから、6年ぐらいになって、50歩逃げた者には100歩逃げた者を笑う権利がないという説を聞かされて、不服であった。化け物屋敷探検のとき、われ等20メートル踏みとどまり組の目には、なおも必死に逃げ続ける奴らのうしろ姿は、たしかにおかしくってたまらなかったのである。

Re: 孟子

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/06 12:00 投稿番号: [1350 / 3149]
  孟子対えて曰く「王、戦を好む。請う戦を以て喩えん。填然として之を鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳いて走る。或は百歩にして後止まり、或は五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑わば、則ち何如」と。曰く「不可なり。直だ百歩ならざるのみ。是れも亦走るなり」と。曰く「王如し之を知れば、即ち民の隣国より多きこと望むこと無からん。」
  
だけど、国王を前に孟子も随分と遠慮のないことを言ったものですねぇ。わたしだったら、「その儀でございますが、帝の徳を慕ってわが国に来たがっている隣国の民は数知れずでございます。しかし、向こうの王は国境にいくつもの関所をつくって民の出国を禁止しておると聞き及びました。まことに嘆かわしいとは存じますが、それはむこうの勝手、別段、わが国に悪さをしているとも言えず、困ったものでございます」

Re: 孟子

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/11/06 09:02 投稿番号: [1349 / 3149]
  ちょっと考えてみたが、どうもよくわからない。わからないが、人生の達人である先生がおっしゃることだから何か含みがあるのだろうと、コンビニで日本経済新聞を買った帰りの小雨の中で考えていたらあることが思い当たった。「あれはヘーゲルの弁証法でいうところの、あの有名な【質量転化の法則】つまり、 量の増減は質的変化を導くということを言っているのか」と。だとすれば、同一線上にあっても「量」(この場合は歩数)の違いから「質」の違い、つまり、「笑うもの」と「笑われるもの」がいても理屈に合うのだ、ということになるかも知れない。ただ、哲学も宗教も門外漢だから、それ以上のことはわたしのアタマではわからない。

Re: 孟子

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/11/06 03:10 投稿番号: [1348 / 3149]
五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑うのは間違いだと孟子が言ったそうだが、わしには承服できない。わしの考えでは五十歩しか逃げなかった者は百歩も逃げた奴を笑ってよろしい。

Re: 機内預け

投稿者: heitotakao1941 投稿日時: 2007/11/02 03:15 投稿番号: [1347 / 3149]
taiwanboom様:
機内預けの荷物の乱暴扱いですが、例えばロスからニューヨークに行きたい
が時間はゆったりあるという時、直行飛行でなくて、シカゴあたりで乗り換え
をやると、乗車券が安くなります。しかもお客は待ち時間を30-40分なんての有効性を見てアレンジします。こんな時は荷物を引き出し、入れ替える
連中も一瞬の時間が大事で残し遅れを出さない様に乱暴扱いをしますね。それでも積み残しよりは、ましだと思うお客もいますので、時間と丁寧の格闘に
なるのですが。乗車券の値段が半値になることがよくありました。一年に5万マイル(8万キロほど)を飛んで日本技術者を案内して通訳をしましたので、
色々な経験をしました。一度は2万2000キロ飛んでアマゾンから北極圏までいきましたが、地球は広いとかんじました。横から失礼します。

はあ〜、

投稿者: floor92 投稿日時: 2007/11/01 17:50 投稿番号: [1346 / 3149]
しばらく掲示板を見るのを忘れてたんで、このトピなくなってるかも、と心配でしたが、ホッ。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/10/28 14:50 投稿番号: [1345 / 3149]
  近所の区の図書館に「世界地理(誌?)体系」なる十数巻の全集があった。写真も豊富だが、発売からすでに45年も経っている。こうした本は実に不人気だが、堅表紙の全集であればなんとなく貫禄があって図書館としては立派な蔵書だろう。「台湾」の項は「中国」の地方扱いだったが、それなりのページ数があった。台北にはもちろん高層ビルなどはなく、総統府から北を望む市内の風景も閑散としていて、現在の円山大飯店あたりの丘陵が写真ではすぐ前に見えるのも不思議な気がした。驚いたのは松山機場付近は広々とした一面の田園である。台中市内の写真も店の看板が写っていて街路名もあったが、こうまで変化してはそれに現在の姿を重ね合わそうとしても無理なようだ。以上、トピの上げついでに書き込んでみた。ただ、「上げ」だけじゃ芸がないからね。

Re: 久米仙人はウィットの産物

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/10/26 16:04 投稿番号: [1344 / 3149]
  碁を見ていただけで歳をとったのでは敵いません。それなら竜宮で乙姫様の歓待を受けた浦島サンのほうがマシというものです。シナにはそのお話とある意味で反対の物語もあります。
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-066.htm        
  こういうすばらしい道士にならぜひともお遭いしたいものですが、道士には特有の姿形、服装があるのでしょうか。敦煌でスタインの写真におさまった王某という道士のみすぼらしい姿を記憶していますが、あのやたらに袖の長いナイトガウン(と呼べるほどのものではありませんが)のようなものが道士の衣装だったのでしょうか。世紀の大発見をしたもの知らず、あの間抜け面では山のような国宝を根こそぎ持って行かれたのも仕方がありません。話を聞いたわが日本もあわてて敦煌に探検隊をだしたが、はや、もぬけの殻で、カネになると気がついた王某が隠し持っていた残り僅かな宝物を言い値で買って帰ったそうです。

Re: 台湾の寺社 tokyo cachito3様

投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2007/10/26 11:07 投稿番号: [1343 / 3149]
cachito3様

ほんと、木柵指南宮はすごいですね。
私も10年ほど前に2回行きました。
高い山の中に豪華絢爛、雄大な廟があります。
こんなところにどうやって、こんな豪華な廟を建築したのか。
費用はどこから出たのか。

台湾の廟はすべて信者の寄付、喜捨よるそうですね。
木柵のもう一つの廟では、建築材料に寄付者の氏名を書き入れていました。
レンガなどで、組み込まれてしまえば「氏名」が見えなくなります。
私も寄付をしようと思いましたが、
寄付金額の最少単位がちょっと張りすぎるので…。
孔子廟以外は、廟には公的な「援助」はないそうです。

台南の鄭成功上陸地点にある「鹿耳門正統聖母廟」は、
度肝を抜く大規模なものですが、これも信者の寄付によります。
拝殿の壁に寄付者の氏名が刻み込んであります。
まだまだスペースが空いています。
まだまだ寄付を期待しているのです。

この廟は寄付が続く限り建設を続けることになっています。
「金の切れ目が縁の切れ目」なんていいたくなります。
あのガウディの教会「サクラダファミリア」のようなものですかね。
私は数年おきにこの聖母廟を訪ねていますが、
そのたびに大きな建物が出来ています。

いずれにしても、台湾人の廟建設資金の寄付に対する姿勢は
日本人とはまったく違います。
「葬式宗教」と「生活宗教」との違いですかね。
ついつい脱線しました。お許しを。

久米仙人はウィットの産物

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/10/24 19:46 投稿番号: [1342 / 3149]
わしは久米仙人のことを、日本製の出来損ない仙人だと思っていたが、今になって気がついたことは、あれは江戸時代の日本人がわざと仙人を茶化した傑作です。

支那では昔から山奥に仙人というたいへん偉いお方が住んでいるのだと言い伝えているが、詳しい記事はない。江戸時代の日本人が業を煮やして、仙人を茶化したのです。

本場支那仙人の記事の一例:   ある樵夫(きこり)が山奥にはいりすぎて、仙人たちが碁を打ってたのしんでいるのを見つけた。おそるおそる傍へ行って覗き込んだ。仙人たちは別に気にする様子がなかった。碁の成り行きに見とれていたら、仙人の一人が樵夫に「もう帰れよ」と声をかけた。樵夫が帰ろうとして、そばに置いた斧を取り上げたら、柄がぼろぼろに朽ちていた。村へ帰ったら、村人は知らない人ばかり。自分の家族や友達の名を言ったら、あれはずっと昔の人ですといわれた。・・・この物語が日本化したのが、浦島太郎の話だと思います。

Re: 仙人は支那製でなくっちゃあ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/10/24 18:23 投稿番号: [1341 / 3149]
>仲間なんかないのですが、有ることにしたのが川柳子の機知ですね>

  江戸の川柳作者のウイットな感覚は今の日本人にはありません。その証拠に、現代川柳、サラリーマン川柳の稚拙さ、お粗末さは呆れ返るばかりです。
「久米のスコタン聞いたかと仙仲間」、江戸期の庶民がどうしてこのような優れたセンス、諧謔さを持ち合わせていたのか、今となっては解き明かせない謎です。世の中には時代が経るほど衰退し、寂れていくものがあって、「昔は良かった」という年寄りの決まり文句にはかなりの真実が含まれていると思います。若い頃、年老いた人から「近頃、いい職人がいなくなりましたねぇ」と何度か聞いたのを記憶していますが、すでに「職人仕事」などはコストのうえでも成り立たなくなったのでしょう。いまどき、指物師の見事な家具・調度品や工芸品などはどこのデパートに行ったってありません。

仙人は支那製でなくっちゃあ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/10/24 13:15 投稿番号: [1340 / 3149]
仙人は支那の特産ですが、仙人に関する記事はすくないですね。

日本産の仙人は久米の仙人一人だけであって、その一人がごらんのとおりの出来損ないです。仲間なんかないのですが、有ることにしたのが川柳子の機知ですね。

日本にはばけものの傑作、天狗と河童があります。

木柵の指南宮、どうも戦後は一度も行ったことがない。

Re: 台湾の寺社 tokyo cachito3様

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2007/10/24 12:25 投稿番号: [1339 / 3149]
たぶん、道教の寺院でしょうね。台湾には仏寺より道教の寺がずっと多いようです。日本にはどうして道教がないんでしょうかね。神仙思想は日本人には馴染みにくかったのでしょうか。ただ、まったくなかったわけでもないようです。


    久米仙はよほど遠目のきく男
    仙人さまーッと濡手で抱き起こし
    仙人の顔へたらいの水を吹き       
    たな引く雲の絶間より久米どさり    
    雲間見をしたが久米仙落度なり     
    毛が少し見えたで雲を踏みはずし    
    洗濯のそばへ太竿さげて落ち       

    久米のスコタン聞いたかと仙仲間     
    女湯を見たらとそしる仙仲間       
    もみ医者に見せやれなどゝ仙仲間    
    仙人も還俗(げんぞく)をして糊を売り    
    仙人も素人にする美しさ
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