竹島

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Re: 韓国人は優秀ですか?

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/08/18 10:56 投稿番号: [18372 / 18519]
>世界一優秀な民族がなんで売春しに
日本に来るのですか?

言いたいことはわかるけど、そういう朝鮮たたきは他でやりましょ。
このトピは史料価値の高い議論の伝統があるんだよ。

Re: 竹島

投稿者: xpsqp700 投稿日時: 2010/08/18 10:02 投稿番号: [18371 / 18519]
ただの岩
固有の領土など有り得ない。

Re: 韓国人は優秀ですか?

投稿者: kuntakinte1929 投稿日時: 2010/08/18 09:35 投稿番号: [18370 / 18519]
それは全てが嘘、捏造(当然世界1優秀も)の国だから。

韓国人は優秀ですか?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 23:36 投稿番号: [18369 / 18519]
世界一優秀な民族がなんで売春しに
日本に来るのですか?

なぜノーベル賞がとれないのでしょうか?

なぜ日本の経済大国二位に追いつけないのでしょうか?

世界一優秀な民族がなぜ日本の真似ばかりするのですか?

なぜ強姦が激烈に多いのですか?

教えてください。

chaamiey氏 & 在特会 22日(日) 15時

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/17 22:13 投稿番号: [18368 / 18519]
先日の「日本の、これから」は面白かったですね。冒頭マツコデラックスが出てきたかと思いました。webデザイナーの方はよく歴史を知っていると思いますが、ツイッターのコメントで「おいおい」見たいな意見が出て、監督も暴言を吐いていましたね。全くダメです。見逃した方は下記をご覧下さい。

日本のこれから   〜韓国人の妄言 1/3
http://www.youtube.com/watch?v=IC-GII8hh_Y
http://www.youtube.com/watch?v=DTYvWV3rRs8
http://www.youtube.com/watch?v=SxwBZ-WUDEM

今週日曜日には東京の日比谷公園で15時から「日韓併合の真実」がございます。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。全国各地でもやって頂きたいです。


さて、掲題の件ですが、西短が2回戦で負けましたので下記文章お越しをしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
ただ、ある問題が・・・。


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短2回戦突破で可頭峰公開!(←負けたので当分の間非公開)
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!(←負けたので当分の間非公開)
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
(6-7ページを紛失していることが判明!)
■chaamieyさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka76/a001a.jpg
上記翻訳をお願いします。

今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
朝鮮半島を救った日韓併合の真実   東京・日比谷公園   22日(日) 15時
http://www.zaitokukai.info/

歴史の真実ですね。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 17:14 投稿番号: [18367 / 18519]
イチローの年収が36億円だって●^o^●

チョンチョンさんは
どう思われましたか?

太政官は竹島と外一島を共に松島と認識

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/17 15:06 投稿番号: [18366 / 18519]
>内務省や太政官が・・・松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

  ここで問題となっているのは、島根県の認識ではなく、太政官の認識ですね。すると、島根県提出の資料の解釈は後回しにして、太政官の認識を論点とすべきです。「ウィキペディアの竹島外一島」は、太政官指令が出される1877年までの地図を掲げ、太政官が「竹島=アルゴノート島」の認識を有していたと主張しているようです。ararenotomo1さんは、これに反論せず、又、太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた資料の提出を拒んでいます。


>内務省は・・・『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました。

  この内務省伺いの本文は、「竹島所轄之儀に付   島根県より別紙伺出取調候処」と始まり、竹島のみの「所轄之儀」に付いて取り調べたことを明らかにしています。「竹島所轄之儀に付」「本邦関係無之相聞」と判断した内務省は、「版図の取捨は重大之事件に付」、1号〜4号・口上書を摘採し添付し上申しました。
  そこで、「1号〜4号・口上書」を見ると、そこには竹島のみの争いが記され、アルゴノート島とダジュレー島、又は、ダジュレー島とリャンコ島の2島が争われた痕跡はありません。安龍福が于山島鬱陵島2島領有を呈書したことに「有妄作之罪(3号)」と応えていますから、争われたのが1島であることが明らかです。
  そして、元禄期に争われた朝鮮名「鬱陵島」は、「風日清明、則峯頭樹木及山根沙渚、歴歴可見(3号の輿図所載)」であり、「無論彼遠此近(3号)」であると記されています。半島から峯頭の樹木及び山根の沙渚が歴歴可見な島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。論ずる迄もなく日本に遠く朝鮮に近い島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。更に、磯竹島略図で確認すると、隠岐〜竹島は120里であり、竹島〜半島は50里です。
  この様に、版図外とした竹島はアルゴノート島であると解するに相当性があります。


>竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

  島根県令境二郎は、明治9年10月16日と明治14年11月12日に、「竹島外一島」にかかる判断をしています。境二郎は、明治9年に「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」をして、「竹島外一島の義   本邦関係無之義」の返答を得ています。これを承知の境二郎は明治14年に「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」をしました。
  この事から、明治9年の伺いに謂う「外一島」が松島を意味しないとの境二郎認識が判明しました。『原由之大畧』の「次に一島あり・・・」が、論理的に境二郎認識として「外一島」を意味しないのです。

  明治10年の内務省が「外一島」をどの様に認識していたのかは解りません。そもそも、「版図の取捨は重大之事件」にも関わらず、わざわざ「外一島」の文言を使用して曖昧にした理由が判りません。

  しかし、明治14年の内務省は、「外一島ハ松島ナリ」の註記をしました。史料的には、ここで始めて「外一島」への意味付が為されたのです。「竹島」=ダジュレー島、「外一島」=ダジュレー島と意味付けが為されたのです。
  ところが、 ararenotomo1さんは、内務省照会別紙甲号の「外一島ハ松島ナリ」の松島はリャンコ島であると主張されます。この解釈を延長すると、内務省照会本文の「日本海ニ在ル竹島松島之義」の松島もリャンコ島となり、別紙乙号の「日本海内松島開墾之儀」の松島もリャンコ島となります。更に、外務省返信の「朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀」の松島もリャンコ島となります。もう少し拡大解釈すると、明治15年に渡海を禁じた「蔚陵島(我邦人竹島又は松島と唱ふ)」の松島もリャンコ島となります。
  こんな解釈はありえません。ここに謂う松島はダジュレー島を示していると解釈しなければ、全体として意味を為しません。


島根県伺再考
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html

明治15年指令
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/

おれは釜山が欲しい

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/17 15:01 投稿番号: [18365 / 18519]
だからよこせ

韓国人は竹島が欲しいの?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 14:47 投稿番号: [18364 / 18519]
ん?

問題は反応

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/08/17 13:05 投稿番号: [18363 / 18519]
おひさしぶりです。

7月13日の記事が竹島を石島としたものであるなら、日本の領有に対する反対運動や記事が無ければおかしい。
領土だと思うけど、日本の領有を仕方ないと思うなら、結局同じ。
だから、アリバイが無いことは結局変わらない。

太政官は竹島外一島を鬱陵島・現竹島と認識

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/16 23:19 投稿番号: [18362 / 18519]
ahirutousagi2様、ご返事ありがとうございます。

少し誤解しておりました。確かに、ahirutousagi2様が述べておられるのは、太政官は竹島と松島を版図外にした、だけですね。大変失礼いたしました。

私が誤解したのは、ahirutousagi2様が、「結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と書かれたからです。これはahirutousagi2様の解釈ですね。

私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

1876年10月16日付で、島根県が提出した資料は古来の竹島を鬱陵島とは言っていませんが、内務省は1877年3月17日に、『旧政府評議之旨意』(一号文書)等を加えた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。一号文書には所謂「竹島一件」で幕府が竹島=鬱陵島(蔚陵島)を放棄したことが明記されています。

ahirutousagi2様はまた、「その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、」と述べられました。『原由之大畧』の「松島」の位置は、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし私は、『原由之大畧』の記事から、内務省・太政官はその「松島」を隠岐から竹島へ行く途中にある島と理解していた、と思います(No.18332)。さらに、内務少輔前島密は、「古来の松島」が勝海舟識『大日本國沿海畧圖』で「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた、とahirutousagi2様が紹介された「ウィキペディア:竹島外一島」は記しています。

私は「ウィキペディア」の「竹島外一島」の項目を前に読んだことがありますが、何とも歯切れが悪い曖昧な文章が多く、どうもよく理解できませんでした。それでも、「竹島外一島」は鬱陵島と現竹島を意味しない、という日本の一部にある主張に、根拠を与えようと懸命に努力されていることは分かりました。ahirutousagi2様の優れた文章力によって、この項目が一読して理解できるようになればと期待しております。

「ウィキペディア:竹島外一島」には、「明治10年頃の状況、内務省の立場、情報を纏めると、」として、“(6)前島密ら明治政府は欧米列強各国からの相次ぐ情報から、幕末時に勝海舟が編纂した『大日本国沿海略図』では鬱陵島が二重描画になっていて「竹島」は架空島で、海図上の「松島」が鬱陵島である蓋然性が高いことを知っていた。(7)前島密らは欧米列強各国からの相次ぐ情報で、シーボルト海図以前の徳川時代に「松島」と呼ばれていた島は、『大日本国沿海略図』では「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた。”と記されています。

前島密は、箱館の諸術調所で武田斐三郎に航海術を学び、1859〜1861年に函館から日本海を南下し太平洋岸に出て函館に戻る航海や、ロシア領ニコライエフスクへの航海等を行っています。また、鹿児島・対馬から北海道まで日本全土を何度も旅行し、地理には精通していましたから、上記の「ウィキペディア」の記述は頷けます。
http://www.japanpost.jp/corporate/founder/index02.html

太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

Re: ふと考えて見た

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 07:21 投稿番号: [18361 / 18519]
ええと・・・・・・コメントありがとうございます。が、私がふと思ったのは1900年の勅令制定時の資料ではなくて、1906年の統監府の質問とそれに対する大韓帝国政府の回答に関する文書に関してでした。制定時には地図が添えられていなくても、6年後のやりとりはまた別でしょうから。

Re: ふと考えて見た

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/16 06:31 投稿番号: [18360 / 18519]
chaamiey様

>鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。
>報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。

Web竹島問題研究所2008年11月分の回答に次のものがあります。

【質問1】
    実事求是10に、「勅令第41号が裁可される前日、内部大臣李乾夏が提出した請願書に「該島地方は縦八十里、横五十里たるべし」とあるように、その中に竹島(竹嶼)と石島も含まれていたということである。」とあるが、勅令第41号の起案書や請願書には地図は添付されていないのだろうか。

<回答>
    「勅令第41号」の請議書に、地図が添付されていたかとのご質問に対し、お答えします。結論から申しますと、地図は添付されておりません。
    しかし、「勅令第41号」の第二條で欝島郡の行政区域に加えられた石島が、今日の竹島(独島)でないことは明らかです。「勅令第41号」の公布に繋がる内部大臣李乾夏の「欝陵島を欝島と改称し、島監を郡守に改正するに関する請議書」は、1900年6月、欝陵島に派遣された視察官禹用鼎等の視察録を基にしており、禹用鼎が残した『欝島記』では、欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としているからです。この事実は、極めて重大です。
禹用鼎が欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としたのは、1882年5月、高宗の命を奉じ、欝陵島を踏査した李奎遠の『欝陵島検察日記』・『啓本草』等を踏襲しているからで、李奎遠は欝陵島の疆域を「一百四五十里許」、「周回仮量為一百四五十里」とし、欝陵島開拓の必要性を奏上しています。そこで高宗は、それまで渡海を禁じていた欝陵島の開拓を命じますが、同時にそれは欝陵島の疆域が定まった時でもありました。
    ここで問題になるのは、李奎遠が「周回仮量為一百四五十里」とした中に、今日の竹島が含まれていたのかどうかです。それを知る手がかりは、同行した画員劉淵■の『欝陵島外図』の中にあります。この『欝陵島外図』も、李奎遠によって高宗に奏上されますが、そこには「勅令第41号」に登場する竹島(竹嶼)と、後に鼠項島となる島項の二島が描かれているだけで、今日の竹島は描かれていません。

ということのようです。

ふと考えて見た

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 01:09 投稿番号: [18359 / 18519]
  鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。

  報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。

  もし韓国政府にそういう地図も含めて文書が残っているならば、それを公開すれば「石島」は明らかに「独島」であることが分かって、「石島は観音島ではないか」などという「妄言」を吐く日本人をギャフンと言わせられるのに。公開されないということは、そういう資料は残っていないのかなあ。

  日本側については、まず、その当時、この件についてのやりとりが本国政府にまで報告されていたのかどうかが問題です。単に現地の統監府の判断だけで事実を確認しようとしたのであれば、文書は統監府限りのものとなり、現在の日本政府には全く残っていないことになります。

  ただ、統監府が、「こんな話があったので、こういうふうに確認したよ」と本国政府に報告していたならば、文書が残っている可能性もあります。
どうなんでしょうねぇ。

国際司法裁判所の小和田所長は

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/16 00:16 投稿番号: [18358 / 18519]
雅子様の父親ニダ      愛子様の祖父ニダ

Re: 国に恥をかかせるようなこと 1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 00:12 投稿番号: [18357 / 18519]
鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)

  統監府から内務部に照会があって、江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島に所属する島嶼と郡庁設置年月を示せとのことであったので回答が出され、光武二年五月二十日に鬱陵島監を置いていたが、光武四年十月二十五日に政府会議を経て郡守を配置し、郡庁は台霞洞に在り、その郡の所管島は竹島、石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合わせて二百余里だとしたという。



  現時点ではこの記事しか手がかりがないので、正確な解明ができないわけですが、統監府が「何の理由で」、「何について」質問したのかが重要ですね。

  記事によれば、照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったように見えます。ところが韓国政府の回答は、その二つのほかに、「郡庁の位置」と距離なのか範囲なのか判然としない「数字」が回答されています。

  では、「郡庁の位置」と「数字」は、聞かれてもいないことを回答したのか、という疑問が生じますが、私はそうではなかろうと思っています。

  まず、郡庁の位置については、聞かれているのは郡庁の設置年月であるわけですが、設置年月を回答しようとすれば、自然に、「郡庁は台霞洞だが」というくらいの説明はくっつくものと思います。まあ、聞かれていないことを回答したと言えないこともないですが、郡庁の設置年月を回答する際の補足説明でしょうから、全く無関係のことを回答したとは言えません。

  次に謎の数字ですが、これも、聞かれていることと全く無関係のことを回答するはずはないので、聞かれている「鬱陵島に所属する島嶼」を説明するために必要であったから付け加えられたと考えるのが自然でしょう。

  「鬱陵島に所属する島嶼」は勅令には「竹島、石島」とありますが、これではどこにある島なのかさっぱり分からないので、正確に回答するためには、勅令には書いてないけれども数字を持ち出す必要が生じます。

  では、その数字は、大先生が言うように距離を示すものなのか?   海上の島と島との間の距離を示すのならば、方角と距離を示せば良いわけです。「鬱陵島から東南東に○○里」とかいう言い方で。ところが、この回答では「東西が六十里で南北が四十里だから合わせて二百余里」ですから、これはとても2地点間の距離を指すものとは言えない。明らかに何かの「範囲」です。大先生はこの点を無視しました。

   これは、やはり、「所管する島は竹島、石島」というだけではどこらへんにあるのかさっぱり分からないので、それらの島は「東西が六十里で南北が四十里、合わせて二百余里」の四方の範囲内にある、と説明したものだ、と考えるのが最も自然ですね。

  また、柳美林氏が「東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里」は鬱陵島そのものの範囲を言ったものだというのも、何の根拠がある話なのか。統監府の照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったわけで、鬱陵島の面積を回答する必然性は何もないです。

  統監府は、要するに、日本が韓国の領土を誤って竹島として編入したのかそうではないのかをはっきりさせたかったから「鬱陵島に所属する島嶼」を中心とするこの照会を出した(と私は考えている)のであって、鬱陵島の面積なんかはこの場合はどうでもいいことだったはずです。

   ただ、柳美林氏の見解は、大先生の「二百里は独島までの距離だ」という見解を否定していることにはなりますね。

国際司法に出て来れない情けない人たちです

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 22:51 投稿番号: [18356 / 18519]
おかしく滑稽な人達です。

これが小国の発想なんでしょうなぁ

Re: 国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/15 22:31 投稿番号: [18355 / 18519]
   鄭佑相(チョン・ウサン)記者も、そして彼のこの記事を掲載することを認めた朝鮮日報の編集責任者も、全くひどいものですね。


  「日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」などという話は聞いたこともない。鄭佑相記者が個人的に接した日本人の誰かがそんな類のことを語ったということはあるのかも知れないが、公的な主張としてはそんなことは誰も主張していないでしょう。

  そもそも1905年の竹島編入は、そこが「無主地」であることを前提として行われている。無主地を編入するのに日韓協約などの二国間条約が何の関係があると言うのだろう。

  鄭佑相記者は日本側の主張を捏造して、韓国人が反日感情を持ちやすい材料であるところの日韓協約に強引に結びつけている。新聞が両国国民間の相互理解を進めるのでなく、いたずらに悪感情を増幅させる役割を果たしていることになる。

  もっと正確な報道をしてもらいたいと思う。(ト、ムリヲショウチデイッテミル。)

Re: 国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 12:21 投稿番号: [18354 / 18519]
http://photo.jijisama.org/index.html

国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 12:12 投稿番号: [18353 / 18519]
  朝鮮日報チョンウサン記者は、「独島(竹島)問題と関連し、日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」と述べています。
   http://www.chosunonline.com/news/20100811000019

  ここにいう「日本」とは、日本政府を意味する筈です。日本政府・島根県はかかる主張をしていません。
  この認識は、日本側が「1905年以降実効支配をしていたのに、韓国から異議申立がなかった」と主張し、韓国側が「外交権を奪われていたので、異議申立が出来なかった」と反論している事実に基づく誤認であると推察されます。

  朝鮮日報チョンウサン記者においてすら、独島領有根拠に関しこの程度の知識なのです。韓国一般市民において、そのレベルの低さは推して知るべきです。
  この独島領有根拠への市民レベルでの低い認識が、昨年末に発表の「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」が犯した『幼稚な歪曲解釈』を、半年以上に渡って放置しているのだと思います。

国に恥をかかせるようなこと 1

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 11:54 投稿番号: [18352 / 18519]
  ahirutousagi2さん。   「こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。」No.18344
  chaamieyさん。   「こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?」No.18348


  韓国にも「恥」という概念はあるようです。
  8月13日付朝鮮日報社説は、菅談話誤訳報道に対して「こうした韓国の姿を見詰める日本の視線を思うと、顔から火が出る思いだ。外交部は、国に恥をかかせるようなことを自ら招いたのだ。」と締めています。
   http://www.chosunonline.com/news/20100813000011

  ところで、柳美林氏の主張は「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当しないのでしょうか。柳美林氏は杉野氏への反論において、皇城新聞の記事を「郡の所管島は竹島と石島である。(郡の主島である鬱陵島は)東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里である。」と解釈しました。対して、杉野氏は文理解釈上の反論をしていました。又、韓国施政改善の途中で為されたものであれば、統監府が鬱陵島の大きさ情報を求めたとは考えられません。これは、「減らず口」なのかも知れません。

  さて、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」は、相変わらず「減らず口」に満ちていますが、皇城新聞の記事解釈においては、その限度を超えていると思いました。韓国人の知的レベルがこんな「子供騙しの説明」を受け入れる程に低いとは考えられません。韓ドラ「チャングムの誓い」は面白いですもん。私の翻訳が誤っている可能性が高いと考えるべきです。
  しかし、私の翻訳はそれ程間違っていなかった様です。
  すると、シンヨンハ氏の皇城新聞の記事解釈は、明らかに、「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当すると考えられます。


 -- -追伸 -- -
  冒頭の社説は、『日本は一度も「返還」という言葉を使ったことがないのにもかかわらず、韓国だけが「日本の姿勢は変わった」と騒いでいたということだ。・・・今回の誤訳騒動は「意図的な歪曲ではないか」という声が上がるほどひどかった。』と述べています。
  しかし、この誤訳騒動の本質は、一国の首相の発言に対しその原文を確認することなく、外交の成果として発表した外交部、お祭り騒ぎをしたマスコミの幼稚性にあります。然るに「意図的な歪曲である」との前提で問題を掘り下げない反動性をこそ恥ずべきでしょう。

おめでとうございます。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/14 22:37 投稿番号: [18351 / 18519]
http://photo.jijisama.org/hata.html

鬱陵、独島で世界大学生祝祭

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/14 21:59 投稿番号: [18350 / 18519]
鬱陵、独島で世界大学生祝祭

毎日新聞 2010.08.14
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=32938&yy=2010


   社団法人韓国未来青年フォーラム(代表金ククソン)は、17〜20日、鬱陵島と独島で「第1回8.15独島世界大学生祝祭」を開催すると11日明らかにした。韓国未来青年フォーラムは、大学生60人と国内に居住する外国人大学生50人を招待して鬱陵、独島を探訪する計画だ。参加する学生たちは、18日午後に鬱陵島に到着して「サンフランシスコ平和条約と独島」を主題とする保坂祐二世宗大学教授の講演を聞いて、19日には独島現地を訪問して大型太極旗を広げて光復節記念行事を行う。
   金ククソン韓国未来青年フォーラム代表は、「独島探訪を通じて学生たちに海洋領土の重要性と愛国心を悟らせ、外国の学生たちには独島が大韓民国の領土であることを確かに伝えるために行事を行う。」と語った。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/14 04:57 投稿番号: [18349 / 18519]
>公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・

それではペテン師、詐欺師、法螺吹きなどではいかがでしょうか?(ウソツキの言い換えは難しい!!)

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:50 投稿番号: [18348 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分の翻訳です。



10 1900年、大韓帝国勅令41号により独島を韓国の領土として、西洋の国際法を参照して、世界へ改めて公布しました。

(4)日本側が1906年に大韓帝国政府に鬱陵島の所属島を質問してきた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日、政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島(竹嶼島を意味する)と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島から100里あるいは200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることが、もう一度再確認されたのです。

    「鬱島郡の配置顛末」の記事画像

  石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島であることを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した「皇城新聞」1906年 7月13日付け記事。

(翻訳ここまで)



  実際の記事は、「その郡の所管島は竹島と石島で、東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里という。」ですが、大先生の説明では「東西が60里で南北が40里なので」の部分が完全に無視されていて、単に鬱陵島から竹島/独島までの距離が200里と書かれているかのようになっています。

  こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?


  公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・



「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」も何の進歩も見られない。

Re: 「韓国施政改善ニ関スル協議会」

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:11 投稿番号: [18347 / 18519]
良い資料を確認なさいましたね。

  ほんの一部だけですが、ここにも記録があります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=17368


   要するに韓国統監である伊藤と韓国政府との間では定期的に話し合いが行われていたわけで、韓国側の言う「日本の竹島編入に対して、外交権を日本に掌握されていた韓国政府は抗議ができなかったのだ」という主張がたわごとに過ぎないことが、今回確認なさった資料によって一層明らかになると思います。

日の出展望台 & 韓国が意図的に「誤訳」

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/13 20:48 投稿番号: [18346 / 18519]
菅さんの「お詫び」で物事が大きくなっております。「菅首相談話」よりも「太田総理と安倍元総理のトーク」の方がよっぽど日本の為になります。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。中国にも飛び火しちゃってますね。


さて、掲題の件ですが、西短が1回戦突破しましたので「日の出展望台」をアップしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短1回戦突破で日の出展望台公開!(アップ済み)
西短2回戦突破で可頭峰公開!
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
韓国が首相談話を意図的に「誤訳」、文化財すべて返還要求の声も
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0812&f=national_0812_180.shtml
独立運動団体が首相談話に反発「天皇による具体的な謝罪」を要求ー韓国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0812&f=national_0812_090.shtml
日本首相の「韓国だけへの謝罪」に神経を尖らせる中国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0813&f=politics_0813_006.shtml
【櫻井よしこ   菅首相に申す】36回…なぜ謝罪続ける
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100811/plc1008112356015-n1.htm

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 17:45 投稿番号: [18345 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.ht ml で取り上げていますね。

「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。素直に読めば鬱陵島の南東92km程の所にある竹島は版図外と朝鮮政府は認識していたことを示すとしか読めないでしょう。

1900年の勅令第41号には欝島郡の範囲は示されていませんが、その請議書には「該島地方は縦が八十里ほど、膻は五十里という。」(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/02/1900-oct-22-petition-by.html )との記述が出てきます。皇城新聞の「鬱島郡の配置顛末」とは若干数字が異なりますが、いずれにしてもリアンクル島と呼ばれたこともある竹島は朝鮮の版図外であると朝鮮政府が認識していたという事実は覆しようがなさそうです。

すなわち、これは「512年の于山国の新羅帰順以来の朝鮮領である」との韓国側の主張を否定するものであり、1905年段階で竹島は無主地であったのであって、日本の先占は合法的に行われたものであるということでしょう。だからこそ初期の草案で韓国領としていたサンフランシスコ講和条約も最終的には日本の主張を認め、竹島を日本が放棄する地域に含めなかったのではないでしょうか。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/13 17:39 投稿番号: [18344 / 18519]
>「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。

これはひどい。議論の余地もなく、ブログを参照するまでもなく、あきらかに仰る通りの理解が正しいわけで、こじつけもいいところです。話になりませんね。問題外。

こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。この引用解釈は、韓国ならではの、議論以前のむちゃくちゃな話ですね。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 14:45 投稿番号: [18343 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.ht ml で取り上げていますね。

「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。素直に読めば鬱陵島の南東92km程の所にある竹島は版図外と朝鮮政府は認識していたことを示すとしか読めないでしょう。

1900年の勅令第41号には欝島郡の範囲は示されていませんが、その請議書には「該島地方は縦が八十里ほど、膻は五十里という。」(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/02/1900-oct-22-petition-by.html )との記述が出てきます。皇城新聞の「鬱島郡の配置顛末」とは若干数字が異なりますが、いずれにしてもリアンクル島と呼ばれたこともある竹島は朝鮮の版図外であると朝鮮政府が認識していたという事実は覆しようがなさそうです。

すなわち、これは「612年の于山国の新羅帰順以来の朝鮮領である」との韓国側の主張を否定するものであり、1905年段階で竹島は無主地であったのであって、日本の先占は合法的に行われたものであるということでしょう。だからこそ初期の草案で韓国領としていたサンフランシスコ講和条約も最終的には日本の主張を認め、竹島を日本が放棄する地域に含めなかったのではないでしょうか。

竹島でお風呂はどうしていますか?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/13 14:01 投稿番号: [18342 / 18519]
朝鮮人軍はお風呂に入っていますか?

頑張ってくださいませ。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/13 13:42 投稿番号: [18341 / 18519]
  5月初旬の一連の独島の報道から7月13日の「鬱島郡の配置顛末」までの認識を新たにすることが出来ました。

  ところで、独島学会が、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」という『PDF』を作成しています。シン・ヨンハ氏がまとめたものの様です。その30頁に次のとおりです。
  http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf

 --------------------
  日本から、1906年に大韓帝国政府に鬱陵島所属島の照会があったた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島で100里または200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることがもう一度再確認されたのです。
    「鬱島郡の配置顛末」の記事画像
  石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島なのを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した黄城新聞。   1906年 7月 13日付け記事。
 --------------------

  と言うことなので、puracyaka2007さんへの反論は、「いいえ、韓国に対して勅令41号にかかる照会があったので、独島が韓国領であると回答しています。」となるのかも知れません。


 ---- 追伸 --------

  どなたか、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分を正しく翻訳していただけませんか。
  又、鬱島郡の配置顛末の皇城新聞記事が、独島学会の様に解釈できる可能性を教えて下さい。それはハングル文字を除くと「郡所管島■竹島石島■東西■60里■南北■40里■合200余里■■■」となっています。

韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/13 00:43 投稿番号: [18340 / 18519]
続きです。
時系列で並べてみますと,
4月19日   「韓国施政改善ニ関スル協議会第五回」
5月初旬   一連の独島の報道
6月25日   「韓国施政改善ニ関スル協議会第六回」参政大臣朴斉純は独島に言及せず(内部大臣李址鎔は欠席)
6月28日   伊藤統監高宗と正式謁見
7月2日    伊藤統監高宗と内謁見。
7月3日    「韓国施政改善ニ関スル協議会第七回」
7月12日   「韓国施政改善ニ関スル協議会第八回」
7月13日   皇城新聞「鬱島郡の配置顛末」記事
(すべて1906年中)
という流れです。
もし韓国政府が伊藤統監に対して独島が韓国領である旨説明する意思があったのであれば,その機会はいくらでもあったことは明らかです。しかし,当時の韓国政府はそれをしなかった。なぜか?それは独島が韓国領であるという証拠が見つからなかったからに違いありません。

◆あの悪党小沢!検察は諦めても、国税は

投稿者: jyougayayamatokome 投稿日時: 2010/08/13 00:07 投稿番号: [18339 / 18519]
諦めないぞ!

小沢一郎が中心になり「政治資金規正法」を改正しておきながら、それを悪用し不正蓄財を重ねてきた悪徳政治家=悪党小沢。
検察は人事で脅せば黙らせることができるかもしれませんが、国税はそうはいきません。
もし国税までもがこの様な悪党を見逃すことがあれば、もはやこの日本で誰も真面目に納税しようと思う者はいなくなるでしょう。

その辺の経緯を含め「悪党小沢」の実態を、「日本の良心」渡部昇一氏が詳しく書いています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★小沢氏は何で稼いだのか★
渡部昇一書下ろしニュースレター /抜粋

  民主党幹事長・小沢一郎氏の政治資金規正法違反問題や隠し資産問題で
検察はこれを不起訴とした。
  小沢問題の詳細はすでに報じられているからここでは割愛するが、
今度の騒ぎは小沢氏の政治資金管理団体である陸山会が東京・世田谷区に
約4億円で購入取得した不動産にもっぱら焦点が当たった。
これを事務所経費として計上しているが、名義は小沢氏個人であり、
これは政治資金規正法違反である、というわけである。
これに対して小沢氏は、この不動産は秘書宿舎であって、この事は公表しており、
名義については小沢名義になっているが、陸山会の財産を小沢氏個人の資産
にはしないという確認書を交わしていると主張、何の問題もないと説明した。
しかし、陸山会の代表は小沢氏なのである。
小沢氏の説明だと、「個人としての小沢氏」と「陸山会代表としての小沢氏」
の間で確認書が交わされたというわけである。
これだと、政治家というのは自分の資産財産を、これは自分個人のもの、
これは政治家としての自分のものと自分で好き勝手に仕分ければ、
それで通用してしまうことになる。
何とも噴飯物である。

  しかし、小沢氏への疑惑はこれだけではない。
4年ほど前に『週刊現代』が、陸山会が東京都内にマンション10戸、6億円以上を所有しているとしているが、名義はすべて小沢氏個人であり、
小沢氏の隠し資産である、と報じたことがあった。
小沢氏は名誉を傷つけられたとして、発行元の講談社などを告訴した。
ところがこの裁判は、一、二審とも小沢氏の敗訴だったのである。これに対して、小沢氏は最高裁に上告しなかった。
つまり裁判上は、陸山会が東京都内に所有するとする10戸のマンションは
小沢氏個人の隠し資産、ということで決着がついたのである。
この裁判は今度の騒ぎでは片隅に置かれた感じであまり表面には出てこなかった。
  しかし、新しく出てきた問題に、沖縄の基地予定地の近くの土地や
新しく候補地としてささやかれる島にも土地を買っているという問題もある。

それはともかく、小沢問題が浮上したとき、民主党最高顧問の渡部恒三氏が、
「山林など自分の財産を売って政治資金にし、それで丸裸になったという政治家の話しは聞いたことがあるが、政治資金で自分の不動産を買った政治家というのは聞いたことがない」
とコメントしていたが、うなずける素朴な感想である。

  だが、私にはそれ以上に素朴な感想がある。
小沢一郎氏の父親は代議士だった小沢佐重喜氏である。
事実はどうかは知らないが、岩手県出身の貧乏代議士でそれだけに清廉潔白
が売りの政治家で、一郎氏が相続した遺産は一文もなかったという。
その佐重喜氏が急死し、跡を継いで一郎氏が衆院選に当選したのは27歳だった。
以来、小沢氏はずっと衆議院議員一筋で、政治家以外の仕事はしたことはない。
すなわち収入は議員としての歳費だけのはずである。
にもかかわらず、わかっただけでも10数億円の個人資産を蓄えているのである。
これほどの金をどこから稼いだのか。賄賂以外には考えられないではないか。

疑念と危惧は深まるばかりである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2010/08/13 00:06 投稿番号: [18338 / 18519]
オツムの中のOSがWindows95レベルでバグだらけなんでしょう。

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: goodalgotsson 投稿日時: 2010/08/12 23:43 投稿番号: [18337 / 18519]
大きなお世話かもしれませんが、
あんまり考えすぎると、体に悪いですよ。
歴史の考察は、現代の風味と過去のランダムな資料でいろいろな
味付けが可能になります。
ともすれば、都合よく時間軸を長くしたり、短くしたり、わかりもしない
当時の人々の心情を妄想したりします。

少なくとも、多くの日本人を傷つけ、拘束し、人質にし、日本アシカを
絶滅させ、島の環境を破壊したのは、朝鮮人。

ただし、55年前の韓国は、独裁政治国家であり、悪い人が権力を
持ってしまえば、何をしでかすかわからない国。

今はどうか、一応、民主化して20年程度たっている。しかし、韓国人は誰一人
55年前の悪行に異を唱える人はいない。

機能的な問題によるものなのか?   何か意図があるのか?
どう思う。皆さん。

Re: 竹島

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/12 00:02 投稿番号: [18336 / 18519]
久しぶりの投稿となります。
かなり前に「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録に有用な情報がある可能性があるという趣旨の投稿をしました。
肝心の「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録がどこにあるのかわからずそれっきりになっていたのですが,ひょんなことから「日韓外交資料集成6   上,中,下」(厳南堂書店)にすべて収録されていることが分かり,探したところ近所の県立図書館に収蔵されていることもあっさり判明しました。ちなみに当該書籍には伊藤統監と高宗の内謁見記録もすべて収録されています。
漢字カタカナ文で読みにくくて3巻中1巻をようやく読み終えたところですが,内容は目からウロコです。
気付いた点をいくつか挙げてみますと,
・伊藤が韓国大臣の意見を採用したり,議論の末妥協する場面が頻繁に見られる。
・伊藤が韓国大臣からの苦情処理をする場面がある。(日本人警察官の「不謹慎ナル言動」について法部大臣李夏栄から苦情を持ち込まれ,伊藤が文書訓示を行った事例,早稲田大学の学生討論会で韓国帝室を侮蔑する行為があったと大韓毎日新報が報じたため韓国政府が激怒し,伊藤が顛末を日本政府に照会した事例)
・郡主レベルの朝鮮人官吏とも面会していたらしい。(伊藤が平壌郡主と面会したと話す場面がある。)
・一般韓国人から手紙を貰っていたらしい。
上巻は明治40年5月30日の第16回協議会までですがその中には「独島」は出てきません。領土問題で話題になっているのは,間島と鴨緑江中の黄草坪という小島の帰属だけです。

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:35 投稿番号: [18335 / 18519]
尻切れトンボでしたでしょうか。

…そのような認識があれば、外務省で甲論乙駁など、はじめから存在しなかったことでしょう。

というようなことを続けて書いていました。

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:26 投稿番号: [18334 / 18519]
次のお返事ですが(便宜上番号を入れます)、
================ =
1. 幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。

2. ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。

3. 上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」

4. 松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。
================ =

1については「島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう」というのはあたっていると思います。ただそれを超える斟酌をすべきものではないと理解しています。太政官、内務省もしかりです。結局、島根であれ太政官であれ、竹島と松島の二島を理解していたことが、松島=ダジュレー(の位置認識)との理解を否定する根拠には何らなりえものと思われます。

2は、そのままご理解下さい。私なりに簡単に書いたつもりでしたが、そんなに分かりにくい文章だったでしょうか。

3については、私の意図することとは明らかにいささか違った解釈が入り込んでいます。一つは、太政官が松島=ダジュレー=鬱陵島と判断したということです。私はそのように書いた記憶はありません。太政官が松島=鬱陵島と考えたというところまで私は踏み込んでいないということです。太政官は鬱陵島については何も語っていないのではないでしょうか(竹島の情況については言及があります)。私が申し上げたのは、太政官が現在の視角から確認できる鬱陵島の位置において松島を把握したこと、ということだけです。

二つめに、私は「松島=現竹島は版図内」とは書いた記憶がありません。私はこの外一島の理解は、この何年間も変わることのない考え方を持っていますがその一貫した考え方は、「リアンクール岩については明確な主権意識が欠けていた。基本的にリアンクール岩=無主地の理解であったと思われる」というものです。

4については、太政官は鬱陵島については何も語っていない、ということに尽きるのだろうと思います。太政官は竹島・松島を放棄した。それだけの話であり、また、その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、ということがいえるだけです。そして、それは、前後して出されている政府に関連する部署の地図にすべて統一的に整合性が取れるものであると同時に、天城の調査や三条実美の記述に至るまで、すべて何の矛盾もなく理解が可能である、ということです。

その後に知ったのですが、私の考え(私の考えは、ここで提示してもう何年にもなっています。そのころに私のような主張をしている方は誰もいなかったように記憶しているのですが)におおむね近い、次のような主張があることを知りました。全面的に同意すべきかどうかは、まだ読み込んでいませんが、さっと読んだところでは、かなり私の考えに近い印象を受けました。体力があるときにまたじっくり読んでみます。もしもよろしければご参考ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%A4%96%E4%B8%80%E5%B3%B6

『原由之大畧』は、太政官が放棄した松島=リアンクール岩だったという根拠には、何もなっていないと思います。そもそも古来の松島=現竹島(つまりリアンクール岩)なんて認識が、普通にあったとは私は考えません。漁民は分かりませんが、島根県や内務省、太政官ら政府関係者においてです。そのよ\xA4

Re: henchin_pokoider01様へ

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/05 22:35 投稿番号: [18333 / 18519]
henchin_pokoider01様は、“当時の欧米地図はリアンクールロック「ス」を2つの島として描いています。しかしながら、明治9年10月16日の「内務卿あて日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」では、松島を1つの島として記載しており、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」とはなっていません。”と書いておられます。

しかし、島根県が明治9年10月16日、内務卿大久保利通に宛てた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』には、『磯竹島略圖』という地図を添えましたが、それには、松島として、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」が描かれています(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。

島根県提出文書の一つ『原由之大畧』にある松島の記述は、“大きさ的には、地図に描かれたダジュレー、アルゴノートの2つの鬱稜島とは異なりますが、形状的にはリアンクールロックスとして描かれた現竹島とも異なる。このため、『この島根県の地理情報から政府が「松島=現竹島」と判断した』なんて断定は無理ですし、2つの岩として描かれた地図をもってその状況証拠とするは「結論ありきの物語」でしかないと思いますね。”とhenchin_pokoider01様は述べられました。

『原由之大畧』は、松島の大きさと位置を「周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許」、竹島のそれを「隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許」と書いています。従って、henchin_pokoider01様が言われたように、大きさから松島を鬱陵島とするのは無理でしょう。しかも、『原由之大畧』は、松島が隠岐から竹島への航路の途中にある島と記しました。それ故、「隣接する2岩」を明白に描いた松島の地図とともに、これら島根県の地理情報から、政府(太政官)は「松島=現竹島」と判断した、と私は思っています。

henchin_pokoider01様はまた、“『塚本明毅は、「松島」を「竹島一件」で放棄した鬱陵島、「竹島」を烏有のアルゴノート島の位置に比定し、「竹島外一島」を版図外とした太政官指令に対し、ささやかな抗議の意を示しました』も噴飯ものですな。”と述べておられます。

島根県文書の竹島・松島と隠岐間の距離から、「竹島をアルゴノート(架空の鬱陵島)、松島を現鬱陵島に比定」されたのは、henchin_pokoider01様が恐らく最初ではないかと思います(No.2810)。塚本明毅は『Carte de l'empire du Japon』や『日本地誌提要』で「竹島松島」の日本領化を図りました。しかし、1877年3月の「竹島外一島本邦関係無之」とした「太政官指令」により、その意図は挫折しました。そこで彼は、henchin_pokoider01様の卓抜した識見と同じ様に、竹島をアルゴノート、松島を鬱陵島に比定して、抗議の意を表した、と私は考えております(Nos.15816, 15893)。今、henchin_pokoider01様は自らの優れた卓見を噴飯ものと思っておられるとは、驚きました。
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