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収奪?

投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/11/10 02:13 投稿番号: [244 / 3669]
産米増殖計画とは、米騒動を契機に、内地、植民地で同時に行われたもので、土地改良(灌漑、畑から水田への転換、開墾・干拓)と、農事改良(米の品種改良、肥料の増施)を主眼としていました。しかし、あてにしていた民間資本が集まらず、総督府は巨額の投資をするはめになり、そのうえ、増産が軌道に乗った1929年には、世界恐慌にともなう農業恐慌が日本を襲い、日本国内の米価が暴落、朝鮮米輸入反対運動が起きます。総督府は朝鮮農民の現金収入を確保するために米輸出を強行しますが、結局1934年以降、この計画は中断されました。

>農民に作付転換などを強要

というのは、畑から水田への転換のことを言ってるのかな。
灌漑設備ができて、それまで米が作れなかったところで換金価値の高い米ができるようになったら、農民にとっては歓迎すべきことのように思えるけど。

で、「収奪」ですが、大辞林によれば、収奪とは「(権力をもつ者が)うばいとること。とりあげること」となってますね。
いくらなんでも農民から米を奪い取ったってことはないでしょう。

朝鮮の農家は戸数割合でいえば、
1918年で、
地主3.3%
自作農19.6%
自小作農39.3%
小作農37.6%
地主には日本人が含まれますが、日帝時代末期で、面積比で耕地の25〜30%が日本人の所有だったそうです。

20年代から30年代中盤にかけて、大量の米が朝鮮から日本に移出されますが、米の流れを概観すると、自作農は生産した米から自家消費分を除いて商人に売り、小作農は収穫の約50%を小作料として地主に納め、残ったぶんから自家消費分を除いて商人に売り、また地主は小作人から小作料としてとった米を商人に売り、その商人がいちばん有利な市場である日本に売った、というところでしょう。

これを収奪と呼ぶのには無理がある。

教科書には
「日帝の土地収奪によって小作農に転落した農民は、日本人地主に収穫量の五○パーセント以上を小作料として納めただけでなく、さまざまな税金と肥科代金までも負担させられた。」
という記述がありますが、不思議ですね。日本人より多かったはずの朝鮮人地主は、小作料をとらなかったのでしょうか。

参考に、日本の小作料は、
1885年:収穫の58%
1910年:54%
1920年:49%
50%の小作料は、内地並みですね。
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