韓国ふざけんな
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
>>私たちがしなきゃいけないこと
投稿者: oh_happy_dayjp 投稿日時: 2002/07/27 18:46 投稿番号: [60961 / 99628]
>まず何事も自分の周りからなんじゃない?
禿同!(ああ染まっていく私)
これは メッセージ 60912 (hamtann8 さん)への返信です.
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>vaio6256 最後6ね、ロク。
投稿者: air_09_00 投稿日時: 2002/07/27 18:41 投稿番号: [60960 / 99628]
ちょいと一言。
ここの人ってなんかむかつく人みたら何でもかんでも韓国人や在日にしすぎ!
笑いでも、言い過ぎのような気がする。
>プロフ消えてるし、大変立派な学者さんのようです。
あと、最後の学生が代わりにレスしたけど
がHNが被っているから変えるとレスしていますよ。
あの人も威張りすぎの所もあったけど!
これは メッセージ 60954 (jpwcstix さん)への返信です.
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学者サンは
投稿者: elbartwashere 投稿日時: 2002/07/27 18:39 投稿番号: [60959 / 99628]
まぁサンプリングをしたかったんだろうけど
抽出対象にやたらと口を出してる時点で
サンプリング失敗だし。
代理の人(?)が書いてたけど
結局煽って反応が見たかっただけみたいだし。
暴言吐いて消える煽りも低レベルだが
あのテの煽りもねぇ・・・・。
まずは「ワールド・カップ」の「・」の意味を説明してもらいたかったです・・・。
これは メッセージ 60954 (jpwcstix さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/60959.html
>vaio6256 最後6ね、ロク。
投稿者: areyakoreyakomattana 投稿日時: 2002/07/27 18:38 投稿番号: [60958 / 99628]
>プロフ消えてるし、大変立派な学者さんのようです。
60877で,(代理の方から)HNは変えるとおっしゃっているので,それででは?
正直,あの方の態度は感心しませんがね.
最後,代理とか言って書込みしてるけど,
ウソならバカみたいだし,本当なら社会人としてなってない.
こんな人が「先生」ってのは悲しい話です。
これは メッセージ 60954 (jpwcstix さん)への返信です.
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>hamtanさんareyakoreyaさん
投稿者: areyakoreyakomattana 投稿日時: 2002/07/27 18:31 投稿番号: [60957 / 99628]
ご理解いただけてよかった.
別に喧嘩しに来てる訳じゃないし.
(意見のぶつけ合いは別ね)
カマちゃんのことは,気長に待つ事にします.
これでただのバカンスだったら怒るよ(笑)
これは メッセージ 60952 (unzari_sisters さん)への返信です.
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ちなみに
投稿者: nightingeel7 投稿日時: 2002/07/27 18:29 投稿番号: [60956 / 99628]
これは メッセージ 60939 (netcitizenjp さん)への返信です.
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カマちゃん
投稿者: maasa1112002 投稿日時: 2002/07/27 18:28 投稿番号: [60955 / 99628]
>それにその前にもいろいろあったから
かまちゃんはナイーブだから・・
大丈夫。ちょっとやそっとの発言じゃくたばらないね。カマちゃん。気になっても気にせずGO!って感じで(^.^;
かまってもらえないといじけてたけど(笑)
気が向いたら来るんじゃない?
これは メッセージ 60946 (hamtann1 さん)への返信です.
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vaio6256 最後6ね、ロク。
投稿者: jpwcstix 投稿日時: 2002/07/27 18:24 投稿番号: [60954 / 99628]
>
せっかくのデータの山なのに、このままでは、
定説どおりの解釈しかできず論文のネタにもならない。
人類学者としては、もっと新しい知見が欲しい。
<
つまり、君の言いたいのは、“新しい説を唱えたいので、
データよ革新的なものに摩り替わってくれ!捏○したい!”
っていうことだね。当に勧告人学者ってことか。
まあ、某国じゃ学者の評価が低くて低くて研究意欲も
湧かなくてこういう所へ出てくるんだろうけど、
もう少し、この世界とそこに存在してる自分との関係を
見つめ直してデータ収集した方が良いんじゃない?
プロフ消えてるし、大変立派な学者さんのようです。
これは メッセージ 60733 (vaio6256 さん)への返信です.
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かまちゃ〜ン!誤解だったんだよ
投稿者: hamtann1 投稿日時: 2002/07/27 18:23 投稿番号: [60953 / 99628]
戻っておいで〜〜〜
このままぢゃ何か後味悪いぞ〜〜〜
これは メッセージ 60952 (unzari_sisters さん)への返信です.
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hamtanさんareyakoreyaさん
投稿者: unzari_sisters 投稿日時: 2002/07/27 18:20 投稿番号: [60952 / 99628]
ほっ。
しばらくこのトピから離れていたので流れが読めず、
悪ノリが過ぎたかもしれませぬ。
その他おかまちゃんファンの皆様も、彼が戻ったら、
盛大にむかえましょう♪
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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ザ・スクープが真紀子問題を動画配信!
投稿者: dekavital 投稿日時: 2002/07/27 18:11 投稿番号: [60951 / 99628]
これは メッセージ 60886 (honestzzz さん)への返信です.
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>>がんばれ 韓国
投稿者: kinky_dick 投稿日時: 2002/07/27 18:08 投稿番号: [60950 / 99628]
>だから、だあれも嫉妬なんてしてないって言ったつもりだったんだけど。
そうだったね!
これは メッセージ 60947 (hanyuyo さん)への返信です.
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>鏡像実験
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/07/27 18:07 投稿番号: [60949 / 99628]
>想像力や労力を駆使した罵倒という点では、日本の掲示板のほうが、ドイツのワイマール政権末期の反ユダヤ新聞を彷彿とさせて、興味深い。
なぜ
旧ナチスを日本に当てはめるの?
戦後の韓国にとって、ドイツは恩人でもあるはずなのにね。
思い出したくもないが、ドイツ代表をヒトラーの子孫と非難したのは、君らの資料を収集している人たちと同類なのかな?
これは メッセージ 60761 (vaio6256 さん)への返信です.
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unzari_sistersさんへ
投稿者: areyakoreyakomattana 投稿日時: 2002/07/27 18:06 投稿番号: [60948 / 99628]
私は,unzariさんに対してはまったく他意はないですよ。
もし,気にしてしまったらごめんなさいです.
貴方とカマちゃんのやり取りは,軽く楽しんでる・・ととっていたので.
(だから,その後のカマちゃんが不可解・・)
私が怒ったのは,その前の日辺りの昼。
いきなり即席HNで出てきて自分勝手言って消えた奴.
そう書いたつもりなのですが??
#はむちゃん
私とは受け取り方違いました?ちょっと言い過ぎかなぁと・・・。
これは メッセージ 60937 (unzari_sisters さん)への返信です.
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>>がんばれ 韓国
投稿者: hanyuyo 投稿日時: 2002/07/27 18:04 投稿番号: [60947 / 99628]
>なんで韓国のBEST4に嫉妬するの?
ん?
だから、だあれも嫉妬なんてしてないって言ったつもりだったんだけど。
これは メッセージ 60940 (kinky_dick さん)への返信です.
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unzari sistersさんへ
投稿者: hamtann1 投稿日時: 2002/07/27 18:03 投稿番号: [60946 / 99628]
そういうつもりで書いたのなら・・・
でも▼マークっていうのは傷つくよ
かまちゃんは煽りじゃないんだから。
かまちゃんのレス元気なかったよ・・・
それにその前にもいろいろあったから
かまちゃんはナイーブだから・・・
という訳で、誤解だったそうなので
このレスを読んでたら、戻ってきてください。
これは メッセージ 60937 (unzari_sisters さん)への返信です.
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> 西ヨーロッパでの生活
投稿者: kinky_dick 投稿日時: 2002/07/27 18:01 投稿番号: [60945 / 99628]
>とりわけユダヤ的な文化復興としてのハスカラー運動は、ユダヤ人の精神的遺産の研究を通じて、パレスティナという故郷への帰還の希望をふたたびもえたたせるうえでも重要な役割をはたした
もともとそこに住んではいなかったが大儀名分を造って要するに占拠したと言うことですね
これは メッセージ 60943 (ditgtedgbbdc さん)への返信です.
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反ユダヤ主義
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:59 投稿番号: [60944 / 99628]
5 反ユダヤ主義
19世紀末の世界の出来事は、ハスカラー運動によってひきおこされた政治的な希望を間接的な仕方で助長することになった。とくにドイツとフランスで、反ユダヤ主義運動が生じたのである。この運動は、「反セム主義」ともよばれた。運動の推進者たちは、宗教としてのユダヤ教に反対するよりも、彼らが「ユダヤ人種」とみなすもの、すなわち「セム人種」に反発したのである。ドイツ、フランス、オーストリア、ハンガリーでは、ユダヤ人が要職につけないようにするための政党が結成された。
フランスでは、ドレフュス事件がおこったことにより、反ユダヤ主義が焦眉の政治問題となった。この事件は、ユダヤ教徒の将校アルフレド・ドレフュスが、捏造(ねつぞう)された証拠にもとづきスパイ容疑で裁判にかけられたことに端を発した。ドレフュスの裁判を取材したジャーナリストのひとりに、ヘルツルという名のオーストリアの作家がいた。ヘルツルは、反ユダヤ主義問題を解決するためには、ユダヤ人国家を樹立する以外にない、と確信した。1896年、ヘルツルはパレスティナでの祖国再建をめざす政治的シオニズムの創始者となった。その後50年間にわたって、シオニストたちは、この大志の実現のためにたたかい、計画をたてた。その結果として最終的に実現したのが、1948年のイスラエルの建国である。
20世紀の前半、とくに両世界大戦にはさまれた時代に、反ユダヤ主義はヨーロッパ、とりわけドイツの政治の支配的な勢力となった。1930年代には、反ユダヤ主義的理論をとりいれたナチズムの台頭が、すべてのユダヤ人の存在をおびやかした。彼らの多くは、自分たちがユダヤ人であることを自覚しておらず、さまざまな国民集団の同化した一員だとみなしていた人々である。国家社会主義者(ナチス・ドイツ)が西ヨーロッパの覇権をにぎった時期に、ドイツおよびその支配下にはいった諸地域で、総計600万人ものユダヤ人が虐殺された。この時代のヨーロッパのユダヤ人の迫害と絶滅は、「ホロコースト」(すべてをやきつくしてささげるいけにえ)とよばれる。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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西ヨーロッパでの生活
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:58 投稿番号: [60943 / 99628]
4 西ヨーロッパでの生活
西ヨーロッパにおけるユダヤ人の解放は、宗教、文化、政治の領域で広範な影響をあたえた。ユダヤ人は、ゆっくりと近代世界の中に自分たちの場を占めていった。ユダヤ人共同体をかこっていたユダヤ教のきびしい伝統の壁が、くずれはじめた。
モーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ教を宗教としても、また生活方法としても、外の世界に順応させるのに絶大な影響力をあたえた。彼は、モーセ五書をドイツ語に翻訳し、さらにユダヤ人と非ユダヤ人世界の文化的な交流の価値をおしえることによって、のちのユダヤ人がユダヤ人共同体や全世界に文化的貢献をおこなう道をひらいたといえる。その功績のひとつが、ドイツのユダヤ人による改革派ユダヤ教の創始である。
多くのユダヤ人家族は、ユダヤ教を全面的に放棄してキリスト教に改宗し、文化的・市民的なチャンスを拡大しようとした。しかも改宗という行為によって、1世紀前であればまきおこったような容赦ない非難は生じなかったのである。そのような家族のひとつが、メンデルスゾーン自身の孫である有名な作曲家、フェーリクス・メンデルスゾーンの一家だった。ドイツの偉大な詩人ハイネもユダヤ人として生まれた。彼はキリスト教に改宗したが、ユダヤ教への愛着はけっしてすてなかった。イギリスの政治家ディズレーリも、改宗ユダヤ人の息子だった。
西ヨーロッパのどの国でも、アメリカ合衆国でも、ユダヤ人はユダヤ人共同体の一員としてではなく、市民として、また国民文化の担い手として、記念碑的な貢献をおこなった。
たとえば、マルクスは、近代の社会主義・共産主義運動の創始者となった。フランスではベルグソンが、またドイツではコーエンとブーバーが現代哲学に深い影響をあたえた。フロイトは精神分析学の開祖だった。美術の領域では、モディリアニ(イタリア生まれ)、ピサロ(両親はポルトガル系とフランス系)、シャガール(ロシア生まれ)のような画家たちや、ジェイコブ(ヤコブ)・エプスタイン(アメリカ生まれ)、ジャック・リプシッツ(リトアニア生まれ)などの彫刻家たちが国際的に有名になった。アインシュタイン(ドイツ生まれ)は、相対性理論によって物理学と数学の諸理論に革命をおこした。
学芸や事業の多くの分野で、ユダヤ人は、特異ではあるが同等の成員として活躍した。19世紀には、ユダヤ人共同体自体が大きなルネサンスを体験した。「ハスカラー」(ヘブライ語で「啓蒙」の意味)とよばれるこのルネサンスは、東ヨーロッパではじまった。ユダヤ人は、ふたたびヘブライ語で著作をはじめ、ダーウィンやトマス・ハクスリーの新しい生物学にとりくんだ。それどころか、かつては神聖不可侵だったはずの聖書の学問的・科学的解釈にさえ手をつけるユダヤ人もいた。ヘブライ語の詩や、小説や、歴史書が出版され、ヘブライ語は生きた言語として復活した。東ヨーロッパのユダヤ人のイディッシュ語は、メンデレ・モヘル・セトファリーム、シャローム・アレイヘム、ユダ・レブ・ペレツ、ショーレム・アッシュなどの大作家たちによって気品のあるものに発展した。
とりわけユダヤ的な文化復興としてのハスカラー運動は、ユダヤ人の精神的遺産の研究を通じて、パレスティナという故郷への帰還の希望をふたたびもえたたせるうえでも重要な役割をはたした。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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南北アメリカのユダヤ人
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:57 投稿番号: [60942 / 99628]
3 南北アメリカのユダヤ人 ユダヤ人のアメリカ両大陸への移住は、アメリカの最初の植民地建設の直後にすでにはじまっていた。数多くのセファルディム系のユダヤ人(スペインおよびポルトガルのユダヤ人の子孫)は、まずブラジルに移民した。ただし、そこでうけいれられたのはマラノだけだった。また、異端審問による迫害がはじまると、マラノもやがてブラジルから逃亡した。
北アメリカにおける最初のユダヤ人共同体は、ブラジルからのがれてきたこれらのマラノによって1654年に建設された。以後彼らは、ニュー・アムステルダム(現ニューヨーク)のオランダ人植民地で、公然とユダヤ教の信仰生活をいとなむことができるようになった。ほかのユダヤ人集団は、フィラデルフィア、ペンシルベニア、ニューポート、プロビデンス、ロードアイランド、サバナ、ジョージアなどに定着した。
1780年前後のアメリカ独立革命のころには、植民地にすむユダヤ人の人口はほぼ2000人ほどだった。植民地ユダヤ人の何人かは、この時代に頭角をあらわした。たとえば、ロードアイランドとマサチューセッツで活躍したアーロン・ロペスは、植民地における指導的な大商人のひとりだった。また、有名な金融業者ハイム・サロモンは、アメリカ独立戦争のための最大の資金援助者のひとりだった。
19世紀にアメリカ合衆国へやってきたユダヤ人の大部分は、ドイツからの移民だった。1815年以降、ナポレオン失脚後の反ユダヤ主義の高まりをさけてわたった人々と、48年以降、ドイツの3月革命の失敗をうけてわたった人々である。これらのドイツ系ユダヤ人の中には、合衆国上院議員で南部連合内閣の主要閣僚のひとりとなったジュダ・フィリップ・ベンジャミンや、アメリカの改革派ユダヤ教の組織者アイザック・メイヤー・ワイズなどがいた。
1880年までには、約25万人のユダヤ人がアメリカ合衆国にすんでいた。これらの初期の移民たちは、個人で、あるいは数家族の集団でアメリカにやってきた。つづく40年間に、さらに約300万人ものユダヤ人が、主として東ヨーロッパから合衆国にわたった。これらの洪水のような移民たちは、いくつかの共同体、さらにはいくつかの地方全体の住民を構成するようになった。彼らは、大西洋沿岸の大都市にすみながら、集団で民族的自己同一性をまもりつづけた。この大規模な移民は、1924年に「出身国別移民割当制度」が導入され移民の数が制限されることによってようやくおわった。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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近・現代のユダヤ人
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:57 投稿番号: [60941 / 99628]
VI 近・現代のユダヤ人 16世紀末には、西ヨーロッパにのこっているのは、古いユダヤ人共同体の末裔(まつえい)だけだった。
1 宗教改革とフランス革命 しかし、プロテスタント宗教改革につづく政治的・社会的自由の漸進的拡大は、西ヨーロッパにユダヤ人に対する寛容をふたたび確立させた。新しい自由が最初にもたらされたのは、イングランドにおいてだった。軍事的・政治的指導者クロムウェルの指導する共和制のもとでは、ユダヤ人の移民が歓迎された。また、哲学者ロックや、アメリカにわたった宣教師ロジャー・ウィリアムスなどによって、アメリカのイギリス植民地へのユダヤ人の移民も奨励された。
フランスでは、フランス革命(1789〜99)の平等精神にならって、1791年の国民議会がユダヤ人に公民権をあたえた。また、ナポレオン1世は、ヨーロッパを貫通する遠征の途上で、進軍路上にあるゲットーの扉を次々とひらき、ユダヤ人を解放した。
しかし、1815年のウィーン会議以降、ユダヤ人への抑圧が再開された。一時はナポレオンに屈伏した国々が、ナポレオンの政策の受け入れを拒否したのである。そこには、ユダヤ人解放政策もふくまれていた。それらの国々の目には、解放政策がリベラリズム(自由主義)に偏向したものとうつったのである。ただし、この反動は数十年間しかつづかなかった。60年代には、西ヨーロッパではユダヤ人の解放がほとんど常態となった。
2 東ヨーロッパでの迫害 これに反し、東ヨーロッパでは、以前のユダヤ人に対する寛容政策が逆転した。ポーランドとロシアは、自由主義的傾向をすべて払拭するために、公然たる迫害政策をはじめたのである。この迫害は、中世のユダヤ人弾圧に匹敵するほどのものだった。1772年、93年、95年の「ポーランド分割」によってポーランド東部がロシア帝国に併合されて以降はとくにそうだった。
新たにロシアの領土にくわえられた部分は、ポーランドのユダヤ人居住地のほとんどをふくんでおり、ユダヤ人にはきびしい制限が課された。ユダヤ人はさだめられた地域以外にすむことを禁止され、教育や就職の機会も限定された。またロシア帝国政府は、定期的におこなわれる「ポグロム」とよばれるユダヤ人虐殺を支援し、それに財政援助さえおこなった。これは、19世紀後半になってもまだ支配的だった封建的体制に対するロシア民衆の不満のはけ口にするためだった。
さらにロシア帝国政府は、ロシアのユダヤ人を孤立させ、彼らからのいかなる影響も遮断するために、過酷な反ユダヤ的政策を実行した。ユダヤ人が、西ヨーロッパの思想や知識をロシアにもちこむことが多かったからである。このきびしい迫害は、1917年のロシア革命によって、ツァーリ(ロシア皇帝)体制が打倒されるまでつづいた。
ポグロムの結果として、1890年から第1次世界大戦(1914〜18)の終了までに約200万人のユダヤ人が、ロシアの影響下にある諸地域からアメリカ合衆国に移住した。それ以外にも、カナダ、南アメリカ(とくにアルゼンチン)、南アフリカ、パレスティナに東ヨーロッパからのユダヤ人移民の居住区がつくられた。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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>がんばれ 韓国
投稿者: kinky_dick 投稿日時: 2002/07/27 17:54 投稿番号: [60940 / 99628]
>韓国のベスト4に嫉妬なんかしてない。
LOOK
AT
MY
PROFILE.
なんで韓国のBEST4に嫉妬するの?
これは メッセージ 60933 (hanyuyo さん)への返信です.
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>たぶん君よりは
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/07/27 17:51 投稿番号: [60939 / 99628]
仕事をしているとおもうけど(笑)
あとさ、失業率のことは話題にしない方がいいよ。今は韓国での失業率もかなり高いんだから。特に新卒の就職率や潜在失業率という観点でも見ておくことを推奨するよ。
これは メッセージ 60755 (davidpkjp さん)への返信です.
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自分も
投稿者: masukomihenn 投稿日時: 2002/07/27 17:45 投稿番号: [60938 / 99628]
実はあのキャラ好きだった。
みんな待ってるよ〜♪
これは メッセージ 60572 (iitaikotoiitai さん)への返信です.
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hamtann3さん、areyakoreyaさん・・・
投稿者: unzari_sisters 投稿日時: 2002/07/27 17:44 投稿番号: [60937 / 99628]
私はおかまちゃんを追い出す気も傷つける気はありませんでした。
というより、おかまちゃんに書くのも初めてですし、
どっちかっていうと彼が寂しそうだったのでおかまちゃん寄りに書いてみたのですが。
おかまちゃんもあの時は元気に返事くれましたし。
以前、ボンちゃんネタで盛り上がってた時にモメてたみたいなので、
心配しただけです。
それで、彼が傷ついたのだったらおかまちゃんに謝りますし、
おかまちゃんファンの皆様にお詫び申しあげます。
>最低の野郎!!!
unzari sistersの方が出てけばいいのに!!
私は捨てハンで投稿したこともないし、そんなに怒らないでください。
すみませんでした。
これは メッセージ 60768 (hamtann3 さん)への返信です.
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>>データの山
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/07/27 17:43 投稿番号: [60936 / 99628]
>いきなり飛び込んできて
vaioは前から時々姿をみせてたよ。
反日かもしれないが、それはそれと発言をみてみようじゃない。
>そして恐ろしいことに、この朝鮮人の資質はきっちり在日にも受け継がれているってことだよ。
数千年にもわたって出来た民族の性格というのは、なかなか消えるものではないんだね
民族的な資質とは必ずしも言えないと、思う。いずれにしても、このように捉えられてしまったこと、私は誠に残念に思う。
これは メッセージ 60744 (sinjindee_su さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/60936.html
>販促フラッシュ:親日派の・・・
投稿者: areyakoreyakomattana 投稿日時: 2002/07/27 17:37 投稿番号: [60935 / 99628]
むじゅん本バージョンも欲しい・・。
これは メッセージ 60934 (denpayunyun さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/60935.html
販促フラッシュ:親日派の・・・
投稿者: denpayunyun 投稿日時: 2002/07/27 17:34 投稿番号: [60934 / 99628]
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/60934.html
がんばれ 韓国
投稿者: hanyuyo 投稿日時: 2002/07/27 17:32 投稿番号: [60933 / 99628]
>そもそも全く朝鮮には興味ないですね!
そうそう。
興味ないんですけど、レス漬けたくなっちゃったんですんまそ。
韓国のベスト4に嫉妬なんかしてない。
素晴らしいんじゃないですか。戦士のみなさんも早く諸外国に移籍できるといいですね。
特に「会長自らバカなこと言うチームなんて戻らない!」って言ってたのに仕方ないから戻るなんて
間抜けなことは言わないで、徹底抗戦でいきましょうよ。
「タフでハングリーで元気もの」っていうイメージが定着しそうって過去ログにありましたもんね。
負けちゃいけません。諦めもいけません。
韓国人としてらしくないですよ。
辞書にも「倭人」とか「倭国」とかあほなことばっかり記載しないで
「ベスト4」っていうのとか「ひじんぐ」っていうのを載せたほうがいいと思いますよ。
これからもがんがってくださいね。
これは メッセージ 60906 (kinky_dick さん)への返信です.
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>vaio6256
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/07/27 17:29 投稿番号: [60932 / 99628]
>ワイマール末期と今の日本の社会状況が相似しているという論評
確かに日本は今は厳しい経済状態であることにはちがいないが、民族的偏見という点でこれをみるなら、ワイマールの頃とは全然異なる。
むしろ、これが当てはまるのは韓国・北朝鮮の方だと思う。
急進的な思想は、経済的に困窮すると勢いを増すのは古今東西どこにでもあるものだが、現在の韓国の反日・反共の根底は日韓の経済力格差にあるってことを君は気がついてる?
在日韓国人でいまだに反日とかを掲げている人は、そのほとんどが貧しい故のやつあたり状態であり、普通に生活している人はみんな反日思想はばかげたこととしか考えない。(日本を好きかどうかはともかくとしても、反日思想の理論的根拠が正しいとは考えないってこともある。)
在日韓国人を世代別にみれば、人類学者なら普通にわかることだとおもうけど、気にしたことないかな?
これは メッセージ 60733 (vaio6256 さん)への返信です.
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追放後のユダヤ人2
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:19 投稿番号: [60931 / 99628]
3 中世ヨーロッパのユダヤ人 10世紀の中葉には、聖俗をふくめた学問の中心はメソポタミアから、当時イスラム国家だったスペインにうつった。スペインには、ローマ帝国が台頭する以前からユダヤ人居住地があったが、その後、同地のユダヤ人は長い間、とくに6世紀にカトリックをうけいれた西ゴート族の支配者によってきびしい迫害をうけていた。イスラム勢力のスペイン征服は、同地のユダヤ人にとって平和の到来を意味した。彼らは、政治家、医師、金融業者、学者などとして、高い地位をきずくようになる。ユダヤ人の学者たちは、ヨーロッパにおけるルネサンス(14〜17世紀)の始まりに貢献した。彼らの翻訳を通じて、古代ギリシャの古典文献がはじめて西ヨーロッパにもちこまれたからである。
スペインの平和な時代は、イベリア半島のイスラム支配の終焉(しゅうえん)とともに終止符をうたれた。スペインを奪還したカトリックの王のもとで、スペインのユダヤ人は、ほかのヨーロッパ地方のユダヤ人と同様の低い社会的地位を強制された。中世を通じて、キリスト教国では、ユダヤ人迫害が日常茶飯事となった。迫害のほとんどは、すべてのユダヤ人がイエス・キリストの殺害の共犯者だと思いこんだ大衆によってひきおこされた、爆発的なものだった。十字軍時代(1095〜1270)には、当時の独特の宗教的な熱気の中で、何千というユダヤ人が虐殺された。
1215年には、教皇インノケンティウス3世が第4ラテラノ公会議を召集し、かつてのウマル法典に似た公式の規制政策を決定し、ひと目でユダヤ人とわかる特別の目印を身につけるように命じた。ヨーロッパじゅうで、ユダヤ人は軽蔑の対象となった。都市では、ユダヤ人は「ゲットー」とよばれる特別な地区にすむよう強制され、移動の自由はみとめられなかった。
13〜14世紀、ヨーロッパの一部の王や領主は、ユダヤ人の財産をさしおさえたり、その所有者を追放するなどして自分の財宝庫をみたした。1290年には、イングランド王エドワード1世がユダヤ人の財産を没収し、イングランドからユダヤ人を追放した。1394年には、フランスのシャルル6世がイギリスの例にならった。その結果、フランスにおけるユダヤ人の歴史は事実上終わりをむかえ、近代になるまで空白がつづいた。
14世紀のいわゆる「黒死病」(ペスト)の時代になると、ヨーロッパじゅうでユダヤ人迫害が当たり前のこととしておこなわれるようになった。彼らは、キリスト教徒の井戸に毒をなげこんだという嫌疑をかけられていた。スペインでは、教会による組織的な迫害の結果、多くのユダヤ人が、自分の命をすくうためにキリスト教に集団改宗した。多くの場合、そのような改宗は見かけだけのものだった。「マラノ」(スペイン語で「豚」を意味する)とよばれる改宗ユダヤ人の階級が成立したが、彼らはカトリックを奉じているようにみせかけながら、ひそかにユダヤ教を信じつづけた。
しかし、1478年にはスペインで異端審問が制度化され、マラノの迫害がはじまった。92年には、ユダヤ人がスペインから追放され、97年にはポルトガルからも追放された。
西ヨーロッパから追放されたユダヤ人難民は、大陸の東部に避難所をみいだした。そこで、何千というユダヤ人がトルコに移住した。トルコが、イスラムの寛容政策を維持していたからである。こうして16世紀には、ヨーロッパ最大のユダヤ人共同体がコンスタンティノープルに成立した。イングランド、フランス、ドイツ、スイスから追放されたユダヤ人の大部分は、ポーランドとロシアにうつりすんだ。1648年までに、ポーランドのユダヤ人共同体は、50万人以上にふくれあがっていた。
ポーランドのユダヤ人は、ポーランド王国内部に自治組織をもっており、ユダヤ教活動の中心となった。しかし、1648〜58年にかけて、フメルニツキーのひきいるウクライナのコサックによる大迫害がおき、ポーランドの無数のユダヤ人共同体が破壊された。これは、東ヨーロッパにおけるユダヤ人の没落の始まりだった。ユダヤ人には、知的職業も、同業組合(ギルド)加入も、農業も、大企業経営も禁じられた。彼らには、細々とした小規模な商業で生きていく道しかのこされていなかった。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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追放後のユダヤ人1
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:19 投稿番号: [60930 / 99628]
V 追放後のユダヤ人 第2のユダヤ人国家の滅亡と反ユダヤ主義の蔓延(まんえん)は、しかしながら、ユダヤ人の解体にはつながらなかった。
1 寄留地での宗教的発展 この事態に対するユダヤ人の側からの答えが、「ユダヤ教」とよばれる追放後の宗教の発展だった。ユダヤ人をひきつづき一つにむすびつけたものは、共通の言語、すべてのユダヤ人がまなび知ることを義務づけられた文学的遺産、しっかりと組織化された共同生活と社会機関、そしてユダヤ人のたえざるメシア待望だった。
追放後の最初の6世紀間、律法の教師やラビたちは、膨大な口伝律法と宗教的解釈を「ミシュナ」と「ゲマラ」に書きおろした。両者はあわせて「タルムード」とよばれる。ユダヤ教の学問の主要な中心地はパレスティナ、とくにガリラヤと、バビロニアだった。バビロニアははじめパルティアの支配下にあったが、227年以降はササン朝ペルシャの支配をうけた。バビロニアには前6世紀以降、有力なユダヤ人共同体が存在しており、それがこの時代になると、各地に寄留するユダヤ人にもっとも強い影響力をおよぼすようになった。
バビロニアのユダヤ人共同体の首長は、レシュ・ガルータ(捕囚民の長)とよばれる管理者だった。バビロニアのスーラとプンベディタにある2つのユダヤ教の学院が、各地のユダヤ人共同体全体に名声を博した。後1〜2世紀にかけて、口伝律法の文書化と編纂(へんさん)に尽力した学者たちは、タンナイーム(アラム語の「おしえる」に由来)とよばれる。彼らの活動をついだのが、3世紀のアモライーム(アラム語の「説明する」に由来)と5世紀のサボライーム(アラム語の「考察する」に由来)とよばれる編集者たちである。
「ミシュナ」に対する注釈である「ゲマラ」の完成により、「バビロニア・タルムード」が6世紀初頭に完結した。より完成度の低い「パレスティナ・タルムード」(別名「エルサレム・タルムード」)は、それよりほぼ1世紀前に現在のかたちにまとめられた。その後のバビロニアの学院長はゲオニーム(ヘブライ語で「気高い者」を意味するガオンの複数形)とよばれた。彼らは地中海周辺各地のユダヤ人からさまざまな宗教的な質問をうけ、それにこたえる回答状(レスポンサ)は標準的な宗教的習慣の中にとりいれられた。
2 イスラムの寛容 イスラムの台頭は、バビロニアのユダヤ共同体には大した混乱をひきおこさなかった。イスラム軍は637年にメソポタミアを占領し、その後イスラム教が国教となった。第2代カリフ、ウマル1世の発布したウマル法典は、形式的にはユダヤ人にさまざまな制限を課すものだった。たとえば、ユダヤ人は政治的な役職につくことができなくなり、イスラム教徒の召し使いをもつことも禁止された。武器を携帯することや、シナゴーグを新たにたてたり、改築することが禁じられ、大声で礼拝することもゆるされなかった。それどころか、ひと目みてユダヤ人とわかるように、袖に黄色のあて布をつけることを義務づけられた。
しかしその後、バグダッドのアッバース朝のカリフたちは、ウマル法典に拘束されず、ユダヤ人が事実上の自治をおこなうことをゆるした。ユダヤ人に課せられた制限の歴史的意味は、むしろのちにそれらがキリスト教によってヨーロッパにつたえられ、ヨーロッパのユダヤ人に強制されたことにある。
イスラム教徒の寛容の時代には、イスラム教徒とユダヤ人の協力の結果、ギリシャとイスラムとユダヤの学問を融合した文化がいちじるしく発達した。そのころ、ヨーロッパはまだ、いわゆる「暗黒時代」(今日では「中世」とよばれる、5〜15世紀)の中にあった。
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支配されるユダヤ人4
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60929 / 99628]
6 大反乱
後1世紀には、宗教紛争が原因となって、血なまぐさい戦闘がひきおこされた。ローマ人の総督たちは暴君的で、ユダヤの宗教にほとんど敬意をはらわなかった。そこで66年には、狂信的なユダヤ教党派である熱心党(ゼーロータイ)による、ローマの権威に反抗するはげしい反乱がおこった。皇帝ネロは、ローマの将軍ウェスパシアヌス(のちに皇帝に即位)を派遣して、この暴動を鎮圧させようとした。70年までに反徒はうちやぶられ、神殿は破壊され、エルサレムは廃墟と化した。反乱の最後の拠点となったマサダの要塞も、73年には陥落した。
それでもなお、ユダヤは、名目上はかろうじて存続をたもった。ユダヤ教の学問の中心は、偉大な賢者ヨハナン・ベン・ザカイの指導下にヤブネ(ヤムニア)にうつされた。次の世代のユダヤは、ローマのきびしい支配のもとで、おおむね平和だった。ローマ皇帝ハドリアヌスは、エルサレムを異教の町として再建するように命じた。再建された町は、ユピテル(ジュピター)と皇帝(プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス)自身をたたえて、「アエリア・カピトリナ」と名づけられた。ハドリアヌスはまた、ユダヤ教の重要な宗教儀礼である割礼を禁止する勅令を発布した。この二重の屈辱は、ユダヤ本土のユダヤ人とディアスポラのユダヤ人の双方をおどろかせ、反ローマ感情をふたたびかきたてる原因となった。
7 バル・コホバ こうしてユダヤでは、シモン・バル・コホバを指導者とするはげしい暴動がおこった。132〜135年に、ユダヤ人はローマ軍に対して必死の抵抗をつづけ、一時は優勢に戦いをすすめた。反乱はローマ軍によって最終的に鎮圧され、ユダヤ人はエルサレムから追放された。皇帝の命令により、「ユダヤ」という属州の名称そのものが廃止され、「シリア・パレスティナ」にかえられた。エルサレムは完全な異教の町となり、その門をはいったユダヤ人は、だれであれ死をもって罰せられることになった。帝国全土を通じて、ユダヤ人への弾圧が当たり前のことになった。
さらに、ユダヤの滅亡はユダヤ教徒とキリスト教徒の間に深い溝をきざんだ。ユダヤ人はこれを災禍と考えたが、キリスト教徒は、神がユダヤ人をみすてたことの証拠とみなし、自分たちこそ、神の恩恵の真の担い手であると信じるようになった。紀元後の最初の3世紀間、キリスト教はますます力をました。そして、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が313年にこの新しい宗教を公認したのち、キリスト教徒とユダヤ教徒との対立は拡大し、のちには、キリスト教徒によるユダヤ人迫害がひろまるようになった。
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支配されるユダヤ人3
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60928 / 99628]
4 ハスモン時代
前168年のうちに、不可避的に反乱が勃発(ぼっぱつ)した。この反乱を指導したのは、ユダヤ教の祭司の家系に属するマタティアとその息子たちで、彼らはマカベア(マカバイ)家とよばれた。はげしい戦闘のすえ、ユダヤ軍はシリア人を撃退した。マカベア家の人々はユダヤの指導者となり、最終的にはユダヤ人の独立王国の王となった。これによってマカベア王朝が成立した。マカベア朝は一族の祖先の名にちなみハスモン王朝ともいわれた。
ハスモン朝の支配のもとで、ユダヤ人は自分たちの宗教を純粋なものにたもち、異文化の影響を払拭することに努力した。その間に、サドカイ派とファリサイ(パリサイ)派という2つの大きな党派が成立した。両者は、宗教的教理においても政治理論においても対立していた。この時代にあらわれたもうひとつの宗教的党派に、エッセネ派がある。彼らは、修道会的な結社をつくって禁欲的な共同生活をおこなったユダヤ教の同胞団体である。
ハスモン朝は、「サンヘドリン」とよばれる最高法院を創建した。これは71名の指導者や賢者から構成される国家的な協議会であり、聖俗両面での法的決定にかかわる最高の権威をもつ組織だった。その後王国は拡大し、ヨハネ・ヒュルカノスの時代には、サマリアや当時イドマヤとよばれた旧エドムをもふくむものとなった。併合された地域の住民は、ユダヤ教への改宗を強制された。
かつてのイスラエル王国やユダ王国がそうだったように、ハスモン朝のユダヤ王国もまた内紛にくるしめられた。前1世紀には、ハスモン家の兄弟ヒュルカノス2世とアリストブロス2世の間に王位継承権をめぐる権力争いがおこった。ヒュルカノス2世の支持者とおぼしいイドマヤ人アンティパトロスは、ローマの将軍ポンペイウスとひそかに通じて、この紛争を自身に有利なように決着させようとした。その代償は、ユダヤをローマの保護国にすることだった。こうして、前63年にはローマ軍がエルサレムに入城し、前47年にはユダヤ王国がアンティパトロスを総督とするローマの直属領となった。そして前37年には、アンティパトロスの息子ヘロデがユダヤの王となった。
5 キリスト教の成立 古代ユダヤ国家の最後の1世紀間は、宗教的および政治的大変動の時代だった。紀元前後における古代世界のユダヤ人の総人口は、約800万人だったと考えられる。ユダヤ本土以外では、ユダヤ人の多くはアレクサンドリアにすみ、さらにキレナイカ(北アフリカ)、バビロン、アンティオキア、エフェソス、ローマなどにもユダヤ人共同体があった。このような離散状況は、ヘレニズム文化の影響にくわえて、ユダヤ教にとって打撃となるいくつかの動きを生みだすことになった。
ひとつは、ユダヤ人全体に直接むけられた反感であり、それは商売上の争いや、宗教的な相違、高位の役職についた多くのユダヤ人にあたえられた政治的特権への反発などを原因とするものだった。もうひとつは、ユダヤ教内部から、キリスト教というかたちで生じた。すなわち、イエス(ヘブライ語で「イェシュア」ないし「ヨシュア」)を約束されたメシアと信じるヘレニズム世界のユダヤ人がふえ、しだいにイエスをうけいれたユダヤ本土のユダヤ人の数をしのぐようになったのである(→ イエス・キリスト)。
イエスの使徒たちが古代世界をひろく旅して布教すると、多くの異邦人がこの新しい信仰に改宗した。はじめのうちは、キリスト教はユダヤ教内部の一宗派とみなされていた。しかし、ますます多くの異邦人がキリスト教にうけいれられるようになると、彼らの信仰は、ほぼ全面的にイエスの人格と教えだけを中心とするものになっていった。他方で、キリスト教にくわわったユダヤ人(いわゆるユダヤ人キリスト教徒)は、その後も本質的にユダヤ人でありつづけた。しかしユダヤ教徒の側は、この新しい運動に対して、伝統的な宗教の義務履行をそこなうものだとして反発した。
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支配されるユダヤ人2
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60927 / 99628]
3 ディアスポラ(離散) 前4世紀後半、マケドニアがアレクサンドロス大王のもとで古代世界における支配的勢力へとのしあがった。マケドニアが前331年にペルシャを征服したのちに、ユダヤはアレクサンドロス帝国の一属州となった。伝承によれば、アレクサンドロス大王はユダヤ人に特別の配慮をおこなった。そのため、アレクサンドリアの町が建設されると、何千というユダヤ人がエジプトに移住したという。
ギリシャ世界とオリエント世界を統一した大帝国のもとで、商業の機会が拡大すると、ユダヤ人は当時知られていた世界のあらゆる所に居住地をつくった。それは黒海沿岸地方から、ギリシャの島々や地中海沿岸の各地におよんだ。これらの移民はひじょうに大規模におこなわれたので、「ディアスポラ」(ギリシャ語で「離散」)と総称された。移民たちはユダヤ教の中心地をはるかにはなれて、ヘブライ語の代わりにギリシャ語をまなんで使用したり、ギリシャ流の生活習慣や思考様式を身につけなければならなかった。
前3世紀には、「モーセ五書」がギリシャ語に訳された。のちに旧約聖書のほかの部分をもふくむようになったギリシャ語版の七十人訳聖書は、ディアスポラのユダヤ人にとって標準的な聖書となった。ギリシャ流の生活様式と、「ヘレニズム」とよばれるギリシャ文化は、ディアスポラのユダヤ人に強い影響をあたえるようになった。
前323年にアレクサンドロス大王が死ぬと、ユダヤ人にとって、ギリシャ人が政治的にも文化的にも大きな脅威になった。アレクサンドロスの帝国は、大王のかつての将軍たちによって分割され、ユダヤはまず、エジプトの王となったプトレマイオス1世に支配されるようになった。ユダヤ地方は、アラビアとの通商路をふくみ、戦略的に重要な地域だったので、その後プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアの間ではげしい争奪戦がくりかえされた。
前198年には、シリアのアンティオコス3世がパネアスの戦でエジプト軍を撃退し、ユダヤをシリアの領土に併合した。セレウコス朝の支配者たちは、ユダヤ人に対しヘレニズム化政策をおしすすめた。そのクライマックスをなすのが、アンティオコス4世によるユダヤ教の迫害だった。彼は、前168年にユダヤ教を非合法化し、エルサレム神殿のヤハウェのための祭壇をギリシャの神ゼウスのための祭壇におきかえた。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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支配されるユダヤ人1
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60926 / 99628]
IV 支配されるユダヤ人
ユダ王国が壊滅したのち、ユダヤ人たちは、あるいはエジプトに、あるいはバビロンにすみ、またパレスティナでは小作人として生活をいとなんだ。
1 バビロンでの生活 それらの共同体のうちで、もっとも重要なのはバビロンの共同体だった。捕囚民はそこで、すでに前597年に移住させられ、自分たちの繁栄した居住区をつくりあげていた同信の人々と合流した。捕囚民の共同体は、祭司であり預言者だったエゼキエルの指導のもとで、政治的なイスラエルを宗教的なイスラエルに変身させることによって、周囲から切りはなされた独自性をたもった。
宗教はより儀式化され、また捕囚の生活を支配するようなかたちに典礼化された。書記たちはイスラエル人の伝承を文書にまとめはじめるが、それが結局、のちの聖書となる。神殿での犠牲祭儀を中心にした礼拝の代わりに、祈りの集会がおこなわれるようになった。ある匿名の預言者(その預言は聖書の「イザヤ書」の第2部におさめられていることから、「第2イザヤ」ともよばれる)は、敬虔な捕囚民たちに、再建されたエルサレムでの新たな生活にそなえるようによびかけた。
2 エルサレムへの帰還 前539年に、ペルシャ帝国の創建者キュロス大王がバビロンを征服した。翌年キュロスは、ユダヤ人の解放を許可する勅令を布告した。捕囚民のうち約4万2000人が、パレスティナにむけて出発した。彼らは自分たちの財産すべてと、バビロンに残留する人々が託した贈り物、そして伝承によればキュロス自身の贈り物をもたずさえて、帰還した。故郷は、カルデア人に破壊されたままの廃墟だった。帰還者たちは、これからとりくまねばならない膨大な仕事を思って、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。
帰還民たちにひろまった意気消沈は、しかし、2人の宗教的指導者、預言者ハガイ(→ ハガイ書)とゼカリヤ(→ ゼカリヤ書)によってふたたび活気をとりもどした。彼らは、かつてエゼキエルがしたように、宗教的生活による救いを約束したのである。ユダヤ人は、ダビデ王家の血をひくゼルバベルの指導のもとに、神殿再建にとりくんだ。こうして前516年に、第2神殿が完成した。ユダヤ教の伝統では、この年がバビロン捕囚の真の終わりとみなされている。すなわちバビロン捕囚は、前586〜前516年の70年間つづいたのである。
ユダヤ教の大祭司が、ペルシャ帝国の属州としてのユダヤの統治者にえらばれた。これにもとづき、ユダヤは神権政治の共同体となった。しかし、エルサレム再建の事業は遅々としてすすまなかった。前445年ごろには、ペルシャ王アルタクセルクセス1世の側近だったユダヤ人ネヘミヤ(→ ネヘミヤ記)が、再建事業を監督する許可をうけてユダヤへやってきた。エルサレムは、彼の指揮のもとでふたたび偉大な都市となった。
おそらくほぼ同じ時期に、バビロンの共同体は、ユダヤの宗教的な秩序がみだれているとの報告をきき、有名な教師で律法学者でもあったエズラを派遣して、宗教改革をおこなわせたらしい。ただし、「エズラ書」にも言及される「アルタクセルクセス」は、ネヘミヤ時代のアルタクセルクセス1世ではなくアルタクセルクセス2世だったかもしれず、エズラのユダヤ帰還が前398年か前397年だったという可能性もある。
前4世紀中ごろまでに、ユダヤは、公認された信仰上の教義にしたがって組織され、強力な祭司集団によって統治される宗教国家になっていた。律法の書であるトーラー(モーセ五書)が、ユダヤの生活のあらゆる領域を支配していた。また、書記や律法の教師たちが、聖書に最終的な形態をあたえたのもこの時代である。こうして、ユダヤは繁栄した。ユダヤ人は状況の変化に順応して、150年ほどのうちに、政治的な統一体から、ほぼ全面的に宗教的な動機によって構成される民族へと変身をとげたのである。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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あきれてはいるんだが・・・
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60925 / 99628]
>netcitizenjpさんが苦労する訳だ・・・
このような馬鹿どもを懸命に説得に当たったnetcitizenjpさんには、本当に頭が下がる思いだよ。
”癒されたーっ”て気分ですね。
立場上、こういう馬鹿どもも相手しないといけない。こういう輩がどんどん他国の心証を悪くするんで、放っておくのも難儀なんですよ。
だけど、こんな輩に時間をさくよりも地元たる日本人との交流とか国際交流とか、草の根的にやることの方がよっぽど有意義だとおもっている。
これは メッセージ 60727 (net_bios_07 さん)への返信です.
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>私たちがしなきゃいけないこと
投稿者: matikanepoppea 投稿日時: 2002/07/27 17:13 投稿番号: [60924 / 99628]
>日本にある政党とマスコミを自分たちの手に取り戻すことだと思う
>反日政党やマスコミの力をなくすこと
今回のW杯はそういった事に関心を持ついいきっかけ
になったと思うよ。今まではそういったことに無関心な人が
多かったけど、これからじんわりと変わっていくんじゃあないでしょうか。
急激な変化ってあんまり期待できないし、
そんな方法があるなら僕も知りたいなぁ。
韓国人からの直接な被害を受けないと
ほとんどの人はなんにも関心持てないんでしょうね。
間接的にはお腹いっぱい頂いてるのに・・・
これは メッセージ 60888 (hamtann8 さん)への返信です.
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塀の中の懲りない面々
投稿者: netcitizenjp 投稿日時: 2002/07/27 17:08 投稿番号: [60923 / 99628]
翻訳の件に回答するまで、以後は返信しないから、念のため。
私はね、どこかのだれかさんのように身分で嘘はついていないの。
なんなら、このカテの常連の誰かに証明してあげようか?
それと、君はあの文章を訳さなかった。それとも、”訳したくなかった”みたいだね。逃げているのは君のほうでしょう。
韓国語は単語の羅列状態でも一応の文意は伝わるし、たとえ片言でも、日本語への対訳はできるんだよ。
文法の先生ならそれぐらいわからないの?
訳したくないからって、弁明してんじゃないだろうね?
北朝鮮の反共思想にかぶれた小僧、身の回りの心配した方が良いんじゃないのかな?
HNと一緒に早く消えた方が良いよ。
>引退宣言したんじゃなかったのか
お前みたいのがいなければな。
たまに覗いてみれば、好き放題しやがって、本当にあきれる奴。
あまりに発言が醜いから再度戻ってきた。
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ユダヤ人(再メンゴ)
投稿者: kinky_dick 投稿日時: 2002/07/27 16:59 投稿番号: [60922 / 99628]
「高校でカザール書簡の存在は教えている。だが、歴史的事実だとしても、カザールのインパクトは低い。PLOがイスラエル建国の権利を否定する根拠にしているのは間違いだ」
つまり、否定はしないが「インパクトは低い」というニュアンスでぼかしている。
「カザール書簡」というのは、十世紀のアラブ支配のウマイヤ朝時代にコルドバのカリフの総理大臣だったユダヤ人、ハスダイ・イブン・シャプルトと、時のカザール王ヨセフとの間で交わされたヘブライ語の手紙のことである。ケストラーは、「この書簡の真偽は論争の的であったが、現在では後世の書写人の気まぐれをそれなりに斟酌した上で、大体受け入れられている」と記し、同時代のアラブ側の歴史資料などと比較検討するなど、詳しい考証を行なっている。
比較言語学によって得られた最近の成果は、さらに説得的である。この方法で民族の歴史が解明された有名なものには、ジプシーのインド起源説の例があるが、アシュケナジムのイディッシュ語の起源も、見事に解明された。将来展望としては、遺伝子のDNA比較などの最新技術も駆使されるであろう。歴史はいまや立派な科学なのである。
イスラエル大使館の広報担当者の慎重な返事は、そういう歴史的事実と現在の政治のはざまであえいでいるように聞こえた。歴史ロマンの解明への道は、まだまだ、血なまぐさい葛藤の彼方にあるようだ。特に問題なのは、現地で相争うアラブ人とイスラエル人は、こういう因縁をお互いに良く知っており、日本人はまったく知らないということである。
以上で(その61)終り。(その62)に続く。
これは メッセージ 60921 (kinky_dick さん)への返信です.
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