支配されるユダヤ人1
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60926 / 99628]
IV 支配されるユダヤ人
ユダ王国が壊滅したのち、ユダヤ人たちは、あるいはエジプトに、あるいはバビロンにすみ、またパレスティナでは小作人として生活をいとなんだ。
1 バビロンでの生活 それらの共同体のうちで、もっとも重要なのはバビロンの共同体だった。捕囚民はそこで、すでに前597年に移住させられ、自分たちの繁栄した居住区をつくりあげていた同信の人々と合流した。捕囚民の共同体は、祭司であり預言者だったエゼキエルの指導のもとで、政治的なイスラエルを宗教的なイスラエルに変身させることによって、周囲から切りはなされた独自性をたもった。
宗教はより儀式化され、また捕囚の生活を支配するようなかたちに典礼化された。書記たちはイスラエル人の伝承を文書にまとめはじめるが、それが結局、のちの聖書となる。神殿での犠牲祭儀を中心にした礼拝の代わりに、祈りの集会がおこなわれるようになった。ある匿名の預言者(その預言は聖書の「イザヤ書」の第2部におさめられていることから、「第2イザヤ」ともよばれる)は、敬虔な捕囚民たちに、再建されたエルサレムでの新たな生活にそなえるようによびかけた。
2 エルサレムへの帰還 前539年に、ペルシャ帝国の創建者キュロス大王がバビロンを征服した。翌年キュロスは、ユダヤ人の解放を許可する勅令を布告した。捕囚民のうち約4万2000人が、パレスティナにむけて出発した。彼らは自分たちの財産すべてと、バビロンに残留する人々が託した贈り物、そして伝承によればキュロス自身の贈り物をもたずさえて、帰還した。故郷は、カルデア人に破壊されたままの廃墟だった。帰還者たちは、これからとりくまねばならない膨大な仕事を思って、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。
帰還民たちにひろまった意気消沈は、しかし、2人の宗教的指導者、預言者ハガイ(→ ハガイ書)とゼカリヤ(→ ゼカリヤ書)によってふたたび活気をとりもどした。彼らは、かつてエゼキエルがしたように、宗教的生活による救いを約束したのである。ユダヤ人は、ダビデ王家の血をひくゼルバベルの指導のもとに、神殿再建にとりくんだ。こうして前516年に、第2神殿が完成した。ユダヤ教の伝統では、この年がバビロン捕囚の真の終わりとみなされている。すなわちバビロン捕囚は、前586〜前516年の70年間つづいたのである。
ユダヤ教の大祭司が、ペルシャ帝国の属州としてのユダヤの統治者にえらばれた。これにもとづき、ユダヤは神権政治の共同体となった。しかし、エルサレム再建の事業は遅々としてすすまなかった。前445年ごろには、ペルシャ王アルタクセルクセス1世の側近だったユダヤ人ネヘミヤ(→ ネヘミヤ記)が、再建事業を監督する許可をうけてユダヤへやってきた。エルサレムは、彼の指揮のもとでふたたび偉大な都市となった。
おそらくほぼ同じ時期に、バビロンの共同体は、ユダヤの宗教的な秩序がみだれているとの報告をきき、有名な教師で律法学者でもあったエズラを派遣して、宗教改革をおこなわせたらしい。ただし、「エズラ書」にも言及される「アルタクセルクセス」は、ネヘミヤ時代のアルタクセルクセス1世ではなくアルタクセルクセス2世だったかもしれず、エズラのユダヤ帰還が前398年か前397年だったという可能性もある。
前4世紀中ごろまでに、ユダヤは、公認された信仰上の教義にしたがって組織され、強力な祭司集団によって統治される宗教国家になっていた。律法の書であるトーラー(モーセ五書)が、ユダヤの生活のあらゆる領域を支配していた。また、書記や律法の教師たちが、聖書に最終的な形態をあたえたのもこの時代である。こうして、ユダヤは繁栄した。ユダヤ人は状況の変化に順応して、150年ほどのうちに、政治的な統一体から、ほぼ全面的に宗教的な動機によって構成される民族へと変身をとげたのである。
ユダ王国が壊滅したのち、ユダヤ人たちは、あるいはエジプトに、あるいはバビロンにすみ、またパレスティナでは小作人として生活をいとなんだ。
1 バビロンでの生活 それらの共同体のうちで、もっとも重要なのはバビロンの共同体だった。捕囚民はそこで、すでに前597年に移住させられ、自分たちの繁栄した居住区をつくりあげていた同信の人々と合流した。捕囚民の共同体は、祭司であり預言者だったエゼキエルの指導のもとで、政治的なイスラエルを宗教的なイスラエルに変身させることによって、周囲から切りはなされた独自性をたもった。
宗教はより儀式化され、また捕囚の生活を支配するようなかたちに典礼化された。書記たちはイスラエル人の伝承を文書にまとめはじめるが、それが結局、のちの聖書となる。神殿での犠牲祭儀を中心にした礼拝の代わりに、祈りの集会がおこなわれるようになった。ある匿名の預言者(その預言は聖書の「イザヤ書」の第2部におさめられていることから、「第2イザヤ」ともよばれる)は、敬虔な捕囚民たちに、再建されたエルサレムでの新たな生活にそなえるようによびかけた。
2 エルサレムへの帰還 前539年に、ペルシャ帝国の創建者キュロス大王がバビロンを征服した。翌年キュロスは、ユダヤ人の解放を許可する勅令を布告した。捕囚民のうち約4万2000人が、パレスティナにむけて出発した。彼らは自分たちの財産すべてと、バビロンに残留する人々が託した贈り物、そして伝承によればキュロス自身の贈り物をもたずさえて、帰還した。故郷は、カルデア人に破壊されたままの廃墟だった。帰還者たちは、これからとりくまねばならない膨大な仕事を思って、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。
帰還民たちにひろまった意気消沈は、しかし、2人の宗教的指導者、預言者ハガイ(→ ハガイ書)とゼカリヤ(→ ゼカリヤ書)によってふたたび活気をとりもどした。彼らは、かつてエゼキエルがしたように、宗教的生活による救いを約束したのである。ユダヤ人は、ダビデ王家の血をひくゼルバベルの指導のもとに、神殿再建にとりくんだ。こうして前516年に、第2神殿が完成した。ユダヤ教の伝統では、この年がバビロン捕囚の真の終わりとみなされている。すなわちバビロン捕囚は、前586〜前516年の70年間つづいたのである。
ユダヤ教の大祭司が、ペルシャ帝国の属州としてのユダヤの統治者にえらばれた。これにもとづき、ユダヤは神権政治の共同体となった。しかし、エルサレム再建の事業は遅々としてすすまなかった。前445年ごろには、ペルシャ王アルタクセルクセス1世の側近だったユダヤ人ネヘミヤ(→ ネヘミヤ記)が、再建事業を監督する許可をうけてユダヤへやってきた。エルサレムは、彼の指揮のもとでふたたび偉大な都市となった。
おそらくほぼ同じ時期に、バビロンの共同体は、ユダヤの宗教的な秩序がみだれているとの報告をきき、有名な教師で律法学者でもあったエズラを派遣して、宗教改革をおこなわせたらしい。ただし、「エズラ書」にも言及される「アルタクセルクセス」は、ネヘミヤ時代のアルタクセルクセス1世ではなくアルタクセルクセス2世だったかもしれず、エズラのユダヤ帰還が前398年か前397年だったという可能性もある。
前4世紀中ごろまでに、ユダヤは、公認された信仰上の教義にしたがって組織され、強力な祭司集団によって統治される宗教国家になっていた。律法の書であるトーラー(モーセ五書)が、ユダヤの生活のあらゆる領域を支配していた。また、書記や律法の教師たちが、聖書に最終的な形態をあたえたのもこの時代である。こうして、ユダヤは繁栄した。ユダヤ人は状況の変化に順応して、150年ほどのうちに、政治的な統一体から、ほぼ全面的に宗教的な動機によって構成される民族へと変身をとげたのである。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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