韓国ふざけんな

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

南北アメリカのユダヤ人

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:57 投稿番号: [60942 / 99628]
3 南北アメリカのユダヤ人 ユダヤ人のアメリカ両大陸への移住は、アメリカの最初の植民地建設の直後にすでにはじまっていた。数多くのセファルディム系のユダヤ人(スペインおよびポルトガルのユダヤ人の子孫)は、まずブラジルに移民した。ただし、そこでうけいれられたのはマラノだけだった。また、異端審問による迫害がはじまると、マラノもやがてブラジルから逃亡した。

北アメリカにおける最初のユダヤ人共同体は、ブラジルからのがれてきたこれらのマラノによって1654年に建設された。以後彼らは、ニュー・アムステルダム(現ニューヨーク)のオランダ人植民地で、公然とユダヤ教の信仰生活をいとなむことができるようになった。ほかのユダヤ人集団は、フィラデルフィア、ペンシルベニア、ニューポート、プロビデンス、ロードアイランド、サバナ、ジョージアなどに定着した。

1780年前後のアメリカ独立革命のころには、植民地にすむユダヤ人の人口はほぼ2000人ほどだった。植民地ユダヤ人の何人かは、この時代に頭角をあらわした。たとえば、ロードアイランドとマサチューセッツで活躍したアーロン・ロペスは、植民地における指導的な大商人のひとりだった。また、有名な金融業者ハイム・サロモンは、アメリカ独立戦争のための最大の資金援助者のひとりだった。

19世紀にアメリカ合衆国へやってきたユダヤ人の大部分は、ドイツからの移民だった。1815年以降、ナポレオン失脚後の反ユダヤ主義の高まりをさけてわたった人々と、48年以降、ドイツの3月革命の失敗をうけてわたった人々である。これらのドイツ系ユダヤ人の中には、合衆国上院議員で南部連合内閣の主要閣僚のひとりとなったジュダ・フィリップ・ベンジャミンや、アメリカの改革派ユダヤ教の組織者アイザック・メイヤー・ワイズなどがいた。

1880年までには、約25万人のユダヤ人がアメリカ合衆国にすんでいた。これらの初期の移民たちは、個人で、あるいは数家族の集団でアメリカにやってきた。つづく40年間に、さらに約300万人ものユダヤ人が、主として東ヨーロッパから合衆国にわたった。これらの洪水のような移民たちは、いくつかの共同体、さらにはいくつかの地方全体の住民を構成するようになった。彼らは、大西洋沿岸の大都市にすみながら、集団で民族的自己同一性をまもりつづけた。この大規模な移民は、1924年に「出身国別移民割当制度」が導入され移民の数が制限されることによってようやくおわった。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)