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支配されるユダヤ人3

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60928 / 99628]
4 ハスモン時代
前168年のうちに、不可避的に反乱が勃発(ぼっぱつ)した。この反乱を指導したのは、ユダヤ教の祭司の家系に属するマタティアとその息子たちで、彼らはマカベア(マカバイ)家とよばれた。はげしい戦闘のすえ、ユダヤ軍はシリア人を撃退した。マカベア家の人々はユダヤの指導者となり、最終的にはユダヤ人の独立王国の王となった。これによってマカベア王朝が成立した。マカベア朝は一族の祖先の名にちなみハスモン王朝ともいわれた。

ハスモン朝の支配のもとで、ユダヤ人は自分たちの宗教を純粋なものにたもち、異文化の影響を払拭することに努力した。その間に、サドカイ派とファリサイ(パリサイ)派という2つの大きな党派が成立した。両者は、宗教的教理においても政治理論においても対立していた。この時代にあらわれたもうひとつの宗教的党派に、エッセネ派がある。彼らは、修道会的な結社をつくって禁欲的な共同生活をおこなったユダヤ教の同胞団体である。

ハスモン朝は、「サンヘドリン」とよばれる最高法院を創建した。これは71名の指導者や賢者から構成される国家的な協議会であり、聖俗両面での法的決定にかかわる最高の権威をもつ組織だった。その後王国は拡大し、ヨハネ・ヒュルカノスの時代には、サマリアや当時イドマヤとよばれた旧エドムをもふくむものとなった。併合された地域の住民は、ユダヤ教への改宗を強制された。

かつてのイスラエル王国やユダ王国がそうだったように、ハスモン朝のユダヤ王国もまた内紛にくるしめられた。前1世紀には、ハスモン家の兄弟ヒュルカノス2世とアリストブロス2世の間に王位継承権をめぐる権力争いがおこった。ヒュルカノス2世の支持者とおぼしいイドマヤ人アンティパトロスは、ローマの将軍ポンペイウスとひそかに通じて、この紛争を自身に有利なように決着させようとした。その代償は、ユダヤをローマの保護国にすることだった。こうして、前63年にはローマ軍がエルサレムに入城し、前47年にはユダヤ王国がアンティパトロスを総督とするローマの直属領となった。そして前37年には、アンティパトロスの息子ヘロデがユダヤの王となった。

5 キリスト教の成立 古代ユダヤ国家の最後の1世紀間は、宗教的および政治的大変動の時代だった。紀元前後における古代世界のユダヤ人の総人口は、約800万人だったと考えられる。ユダヤ本土以外では、ユダヤ人の多くはアレクサンドリアにすみ、さらにキレナイカ(北アフリカ)、バビロン、アンティオキア、エフェソス、ローマなどにもユダヤ人共同体があった。このような離散状況は、ヘレニズム文化の影響にくわえて、ユダヤ教にとって打撃となるいくつかの動きを生みだすことになった。

ひとつは、ユダヤ人全体に直接むけられた反感であり、それは商売上の争いや、宗教的な相違、高位の役職についた多くのユダヤ人にあたえられた政治的特権への反発などを原因とするものだった。もうひとつは、ユダヤ教内部から、キリスト教というかたちで生じた。すなわち、イエス(ヘブライ語で「イェシュア」ないし「ヨシュア」)を約束されたメシアと信じるヘレニズム世界のユダヤ人がふえ、しだいにイエスをうけいれたユダヤ本土のユダヤ人の数をしのぐようになったのである(→ イエス・キリスト)。

イエスの使徒たちが古代世界をひろく旅して布教すると、多くの異邦人がこの新しい信仰に改宗した。はじめのうちは、キリスト教はユダヤ教内部の一宗派とみなされていた。しかし、ますます多くの異邦人がキリスト教にうけいれられるようになると、彼らの信仰は、ほぼ全面的にイエスの人格と教えだけを中心とするものになっていった。他方で、キリスト教にくわわったユダヤ人(いわゆるユダヤ人キリスト教徒)は、その後も本質的にユダヤ人でありつづけた。しかしユダヤ教徒の側は、この新しい運動に対して、伝統的な宗教の義務履行をそこなうものだとして反発した。
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