反ユダヤ主義
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:59 投稿番号: [60944 / 99628]
5 反ユダヤ主義
19世紀末の世界の出来事は、ハスカラー運動によってひきおこされた政治的な希望を間接的な仕方で助長することになった。とくにドイツとフランスで、反ユダヤ主義運動が生じたのである。この運動は、「反セム主義」ともよばれた。運動の推進者たちは、宗教としてのユダヤ教に反対するよりも、彼らが「ユダヤ人種」とみなすもの、すなわち「セム人種」に反発したのである。ドイツ、フランス、オーストリア、ハンガリーでは、ユダヤ人が要職につけないようにするための政党が結成された。
フランスでは、ドレフュス事件がおこったことにより、反ユダヤ主義が焦眉の政治問題となった。この事件は、ユダヤ教徒の将校アルフレド・ドレフュスが、捏造(ねつぞう)された証拠にもとづきスパイ容疑で裁判にかけられたことに端を発した。ドレフュスの裁判を取材したジャーナリストのひとりに、ヘルツルという名のオーストリアの作家がいた。ヘルツルは、反ユダヤ主義問題を解決するためには、ユダヤ人国家を樹立する以外にない、と確信した。1896年、ヘルツルはパレスティナでの祖国再建をめざす政治的シオニズムの創始者となった。その後50年間にわたって、シオニストたちは、この大志の実現のためにたたかい、計画をたてた。その結果として最終的に実現したのが、1948年のイスラエルの建国である。
20世紀の前半、とくに両世界大戦にはさまれた時代に、反ユダヤ主義はヨーロッパ、とりわけドイツの政治の支配的な勢力となった。1930年代には、反ユダヤ主義的理論をとりいれたナチズムの台頭が、すべてのユダヤ人の存在をおびやかした。彼らの多くは、自分たちがユダヤ人であることを自覚しておらず、さまざまな国民集団の同化した一員だとみなしていた人々である。国家社会主義者(ナチス・ドイツ)が西ヨーロッパの覇権をにぎった時期に、ドイツおよびその支配下にはいった諸地域で、総計600万人ものユダヤ人が虐殺された。この時代のヨーロッパのユダヤ人の迫害と絶滅は、「ホロコースト」(すべてをやきつくしてささげるいけにえ)とよばれる。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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