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支配されるユダヤ人4

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 17:16 投稿番号: [60929 / 99628]
6 大反乱
後1世紀には、宗教紛争が原因となって、血なまぐさい戦闘がひきおこされた。ローマ人の総督たちは暴君的で、ユダヤの宗教にほとんど敬意をはらわなかった。そこで66年には、狂信的なユダヤ教党派である熱心党(ゼーロータイ)による、ローマの権威に反抗するはげしい反乱がおこった。皇帝ネロは、ローマの将軍ウェスパシアヌス(のちに皇帝に即位)を派遣して、この暴動を鎮圧させようとした。70年までに反徒はうちやぶられ、神殿は破壊され、エルサレムは廃墟と化した。反乱の最後の拠点となったマサダの要塞も、73年には陥落した。

それでもなお、ユダヤは、名目上はかろうじて存続をたもった。ユダヤ教の学問の中心は、偉大な賢者ヨハナン・ベン・ザカイの指導下にヤブネ(ヤムニア)にうつされた。次の世代のユダヤは、ローマのきびしい支配のもとで、おおむね平和だった。ローマ皇帝ハドリアヌスは、エルサレムを異教の町として再建するように命じた。再建された町は、ユピテル(ジュピター)と皇帝(プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス)自身をたたえて、「アエリア・カピトリナ」と名づけられた。ハドリアヌスはまた、ユダヤ教の重要な宗教儀礼である割礼を禁止する勅令を発布した。この二重の屈辱は、ユダヤ本土のユダヤ人とディアスポラのユダヤ人の双方をおどろかせ、反ローマ感情をふたたびかきたてる原因となった。

7 バル・コホバ こうしてユダヤでは、シモン・バル・コホバを指導者とするはげしい暴動がおこった。132〜135年に、ユダヤ人はローマ軍に対して必死の抵抗をつづけ、一時は優勢に戦いをすすめた。反乱はローマ軍によって最終的に鎮圧され、ユダヤ人はエルサレムから追放された。皇帝の命令により、「ユダヤ」という属州の名称そのものが廃止され、「シリア・パレスティナ」にかえられた。エルサレムは完全な異教の町となり、その門をはいったユダヤ人は、だれであれ死をもって罰せられることになった。帝国全土を通じて、ユダヤ人への弾圧が当たり前のことになった。

さらに、ユダヤの滅亡はユダヤ教徒とキリスト教徒の間に深い溝をきざんだ。ユダヤ人はこれを災禍と考えたが、キリスト教徒は、神がユダヤ人をみすてたことの証拠とみなし、自分たちこそ、神の恩恵の真の担い手であると信じるようになった。紀元後の最初の3世紀間、キリスト教はますます力をました。そして、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が313年にこの新しい宗教を公認したのち、キリスト教徒とユダヤ教徒との対立は拡大し、のちには、キリスト教徒によるユダヤ人迫害がひろまるようになった。
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