南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 天皇の軍隊の行く所、慰安所あり

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/08/10 06:05 投稿番号: [27865 / 29399]
食糧が無いというデマを流すんじゃないの。

慰安所と言う売春宿は何処にでも在った、なかった場所を教え手頂戴な。

日本軍の組織的なものは無かった、嘘吐いちゃ駄目だよ。

天皇の軍隊の行く所、慰安所あり

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/08/10 00:50 投稿番号: [27864 / 29399]
食料もまともにないと言うのに。

トップの昭和天皇の許可がなければ、何もできなかった時代にあって、
組織的に「強姦所」を軍隊の行く先々に作った。

こんな昭和天皇の責任を戦後も問うことはできなかった。
天皇の後ろ盾はアメリカ様だから。


この慰安婦問題が明るみに出てから、

韓国政府も台湾政府も
「アジア女性基金」ではなく、自国での援助を開始している。



★・・戦場で兵士の性欲処理をさせるために、台湾から連れて行かれた女性は、台湾での調査によれば1200名から2000名にのぼる。しかし、ホットラインを通じて婦援会に連絡してきたのは、台湾人41人、中国人2人、先住民族14人の57人のみであった。戦場から帰れなかった人、帰れても、痛めつけられた身体を50年間保てなかった人がほとんどであった。また元「慰安婦」と判明した人の中でも、家族などに知られるのを恐れて申し出を撤回する人もいた。その後、婦援会とともに「慰安婦」問題を世に訴える活動の担い手となった阿媽は、42名である。

日本の「従軍慰安婦」問題が国際的に注目されるなかで、日本政府は「財団法人   女性のためのアジア平和国民基金(以下、アジア女性基金)」を設立、民間による謝罪と賠償によって解決しようとした。これに対し、台湾社会は、日本政府が自らの責任を逃避するものだと反発。阿媽たちも、自分たちを苛めたのは一般の日本人ではない、アジア女性基金の償い金は受け取れないと語った。

アジア女性基金の200万円の償い金を拒否した阿媽たちには、台湾の民間から、それに相当する額のカンパが贈られ、その後、台湾の政府からも同じ額が支払われた。

しかし、台湾社会でいかに支援の手がさしのべられようと、阿媽たちの心の傷は癒えることはなかった。ひたすら自らの「過去」を人に知られることを恐れていた。阿媽たちの記者会見は黒いカーテンの後ろでおこなわれ、記者の目には、カーテンの下から覗く足しか映らない。阿媽たちは、顔も、名前も、出そうとはしなかった。

1999年7月14日、支援の人たちに励まされ、背中を押されて、9人の阿媽が原告となり日本政府に謝罪と賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。
提訴のために来日した阿媽たちは、自分たちの「過去」について、「恥ずかしい、恥ずかしい」を連発した。「恥ずかしいのは阿媽たちではなくて、阿媽たちをそんな目にあわせた日本なのだ」と、いくら説得しても、最後には「それでも恥ずかしいことですよ」と言う。

  そんな阿媽たちが裁判の過程で変わっていった。いままで「恥」と思い、人には話したくもないことを、法廷で陳述したりするなかで、気持ちの整理ができたのかもしれない。また、国際会議で同席した同じ経験をした韓国のハルモニから、顔を隠し、名前を隠す態度を批判され、考えさせられたこともあった。いろいろなことを経験するなかで、日本政府に謝罪と賠償をさせることこそが、自らの名誉の回復なのだ、恥じずにすむ自分に戻れるのだと確信するようになっていった。阿媽たちにとって、裁判は人間の尊厳を回復する手段となった。

  提訴時、9人の原告のなかに本名を出したがらない阿媽が5人いた。訴状では「原告A、B、C、D、E」となった。5人のうち4人は先住民族で、1人は台湾人である。
先住民族の社会では、女が夫以外の男と性的関係をもてば、殺されるという掟があった。裁判の進行中に原告D、Eが亡くなった。原告A、Bは、法廷で裁判官の前で宣言した――「これからは、自分の名前を名乗ります。」   阿媽たちは、名前を出さなければ、裁判官に信じてもらえないと思ったのだった。阿媽が裁判に主体的に向かいあった瞬間だった。

だが、法廷で涙ながらに辛い過去を証言した阿媽たちに、2002年10月15日、東京地方裁判所は、原告敗訴の残酷な判決を下した。あんな酷いことをした被告「日本国」が裁判に勝つなんて、阿媽たちには、とても信じられなかった。「日本国」とは、そんな不条理な国なのか。

原告敗訴の理由として、裁判官は次のようなことをあげた。
  個人で国に賠償を求めることはできない。
  大日本帝国憲法では、国の権力的作用による私人の損害について、国は賠償責任を追わないとの国家   無答責の法理が妥当していたものと解するほかない。
  不法行為による損害賠償権は、不法行為の時から20年を経過したときに消滅する。

理不尽で残酷な裁判の結末に、これが私たちの国の姿なのかと、怒りを通り越して、悲しみが襲う。・・

http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/support_group/2006/06_8taiwan_ahma_nakamura.html

Re: 台湾の取り組み・・政府も支援している

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/08/06 15:30 投稿番号: [27863 / 29399]
日本で流行中の“韓流デリヘル”をめぐって韓国メディアが「人身売買」と批判する問題は、嫌日・嫌韓のいがみ合いを刺激し、エンドレスゲームの様相を呈する。日本が韓国人女性を理不尽な状況に追い込んでいるとすれば、事態の改善は急務となる。

  しかし、ここ数年で売春に従事する韓国人女性たちが、大量に海外渡航しているという事実にも眼を向けなければいけない。

  韓国人売春婦が海外流出したのには原因がある。2004年、韓国政府は売春特別法を制定し売春一掃作戦に乗り出した。ソウル在住の韓国人男性はいう。

「ミアリや清涼里(チヨンヤンニ)といった有名売春街は摘発され、今や壊滅状態です」

  職場を失った女性たちは“海外進出”を果たした。この現象は、一部を押さえると他がふくらむ様子から「風船効果」と呼ばれた。

  韓国の国家行政機関・女性家族部は5月、「海外で売春に従事する韓国人女性の総数は約8万人」と発表した。さらに、釜山警察庁国際犯罪調査隊の責任者も衝撃的な数字を述べている。

「海外で出稼ぎする韓国人売春婦は、約2万人が日本で稼いでいる」

  中国の新華社通信が報じた数はもっと多い。

「海外で売春する韓国人女性は8万人。その内5万人が日本で“活躍”している。韓国人売春婦の多さにあきれ、日本では嘲笑の対象となっている」

  同警察庁によると「オーストラリアには、約1万人の売春婦が向かった」。オーストラリアの市民団体の昨年の調査によれば、歓楽街で売春に従事する韓国人女性は1000人以上に達すると報告されている。

※週刊ポスト2012年7月13日号

Re: 台湾の取り組み・・政府も支援している

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/08/05 14:04 投稿番号: [27862 / 29399]
台湾の社会で、台湾の女性が日本軍に強制されて、あるいは騙されて
前線の日本軍へ娼婦として派遣されたと騒がれたことは、一度もない。
台湾が蒋介石政権の占領するところとなり、日本時代の日本人官吏、
軍人を誹謗することが奨励されたが、日本軍用娼婦制度が日本人官憲
によって施行されたという話は出現しなかった。

日本時代、売春は公認であった。国民党政権時代でも公認され、娼館は
緑色の門灯を掲げて、標誌とした。文字を書いた看板は掲げなかった。

蒋介石政権時代、軍人を顧客とする娼館は「軍中楽園」というニックネー
ムで市井の会話の材料となった。

軍中楽園も、平民向けの緑灯戸も時代がたつに従って、減少し、希少
となった。

台湾人の陳水扁が台北市長となったとき、台北市の公娼制度を取り消
した。彼が台湾総統になったとき、中華民国は禁娼国となった。

以上が台湾社会の今までの売春事情の総括である。

さてこの度は、元参議院議員伊東秀子氏により、日本統治時代に日本
本官憲によって、台湾人女性が日本軍兵士に性サービスを強制させら
れたという話題が提出された。これは今まで台湾人が聞いたことのな
い新鮮な話題である。

Re: 台湾の取り組み・・政府も支援している

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/08/05 05:41 投稿番号: [27861 / 29399]
台湾「売春合法化」とアジアの性産業

Red Light Fight: Sex Work in Taiwan

台湾の合法化は、社会秩序と売春婦の権利保護の間で揺れ動くアジア諸国に大きな影響を及ぼす可能性がある

2010年12月01日(水)18時14分

ジョナサン・アダムズ(台北)

台湾の取り組み・・政府も支援している

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/08/05 01:03 投稿番号: [27860 / 29399]
★日本政府は法的賠償責任を負うべきである

〜台湾人慰安婦問題の解決を求めて〜


王清峰(弁護士)


  「慰安婦」という言葉は学校の教科書や辞書には載っていません。

  1992年まで私たちは台湾人の女性が第2次世界隊戦中に日本軍に性サービスを提供したことを知りませんでした。

  1992年2月、元参議院議員伊東秀子さんは防衛庁研究所図書館で昭和17年(1942年)3月12日付の台湾軍司令部が南方方面軍あてへの3通の電報を発見しました。


  そこには現地(台湾)の女性50名を集めてサラワク(ボルネオ)へ送るので、日本陸軍で渡航証を発行してほしいとありました。


この要請に応じて、同年3月16日に日本陸軍は渡航証を発行しました。


その後、南方軍司令部はさらに50名の慰安婦ではまかないきれないと再度20名の増員と渡航証の発行を要請し、陸軍はそれを許可しています。


この3通の電報は、第2次世界大戦中に台湾女性が日本軍の前線におくられ、慰安婦とさせられた確かな證票となるといえましょう。


  台北市婦女救援社会複利事業基金会(Taipei Womens Rescue Foundation,以下、TWRFと略)は、性的な権利の侵害を受けた女性および児童を保護するための民間団体ですが、



・・1992年の時点で37人の元「慰安婦」が確認され、そのうち35人が台湾人で、2人は中国人でした。その後13人が亡くなり、新たに6名が元「慰安婦」であったことが確認され、1997年10月末現在では30名の元「慰安婦」の生存が確認されています。


  彼女たちのほとんどはだまされて連れていかれたと主張しています。


台湾本島を離れ、それぞれ海南島、インドネシア、フイリピン、ミャンマー、シンガポール、沖縄、中国広東など日本軍のいるところに連れていかれました。


  資料によると、この他にもサラワク、ニューギニア、中国各地に連れて行かれた人もいたようです。元慰安婦の中には、親子(母・娘)もいれば、姉妹もいました。また、自分の兄に慰安所で会った元「慰安婦」もいました。


  ・・

うち、2人は家族に知られることを恐れて賠償請求をあきらめました。


・・一部の人は今でも山の奥に住んでいます。


彼女たちは当時自分の住んでいる山と別の山奥にある慰安所に連行され、性サービスを提供させていました。


【日本の警察は彼女たちの夫や兄が海外に軍夫として徴用されていることを利用して軍隊に裁縫、お茶くみ、掃除などの仕事を名目で騙し、連行し、1〜2カ月経過後、日本軍の性のおもちゃにされたのです。】


・・   いったい、何人の台湾人女性が「慰安婦」として日本軍に送られたかについて、元「慰安婦」や当時の台湾人元日本兵士だった人の話しや、資料によると、


少なくても1200人以上になり、期間は1938年から1945年までの間、もっとも人数が多かったのが1942年、1943年の2年間、年齢は14歳から30歳代までとなります。


いままでTWRFか台湾政府でケアした元「慰安婦」は42名になります。これは漢民族、原住民族を含んだ数字です。


  もともと「慰安婦」制度というのは日本軍が女性たちに性サービスを強要させたものであり、ほとんどの元「慰安婦」被害女性たちは、慰安所で強かんされたのが始めての性経験となります。


そのため、心身に大きなダメージを受けた彼女たちは生涯傷を負ったまま生きてきました。


【元「慰安婦」は今でも苦しんでいます。半分以上は子どもを産めなくなり、ほとんどの人が長期間、病魔と闘っています。とくに精神的なショックが大きかったため、自分の身体が汚い、恥ずかしいと思い込み、孤独の中で結婚恐怖症になり、また結婚しても不幸な結婚生活になり、離婚せざるを得なくなった人が多くありました。】


・・

私たちに真実を

  伝統的な貞操観念および社会の性的被害者への偏見で元「慰安婦」たちは50年間、大変辛い生活をしてきました。


・・【台湾外交部(日本の外務省に相当)も、台湾人女性が日本軍の「慰安婦」として連行された事件を公開してから、何度も日本政府に謝罪と賠償を求めてきています。公平公正を原則として台湾の「慰安婦」に対し差別待遇をしてはなりません。】


・・

http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/resources/199910_nl_baishosekinin.html

石原都知事が記者会見で女性専用車を問題視

投稿者: hurutati_itirou 投稿日時: 2012/08/01 01:11 投稿番号: [27859 / 29399]
石原都知事が記者会見で女性専用車を問題視

男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両を
石原都知事が都庁記者会見で問題指摘しました。

ぜひ記者会見の動画をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&list=PLC6839F661C03104D


のべ32万人が視聴した女性への専用車両の問題指摘番組をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=eJulroCYvt0&list=PL2CBF5FE163F75C23

Re: 日記の元本

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/07/26 20:18 投稿番号: [27857 / 29399]
自身に体験のないことにたいしては、真摯な態度で検証を重ねながら、当時の人達とその習俗文化を学び、事実に近づき、現実と言えることを突き止め、記録や資料に残る事象や変遷から歴史を知るということが歴史学という学問ですね。そのためには、知ろうとする時代に対応する言語と文字と文体などの記録の習慣や哲学を先ずは学ばなければなりません。

そういう点で、戦後生まれである貴女が近代史を考察するにあたって、予断を持たずに漢字や仮名遣いなどの用法をよく研究して、その成果と照らして提示されている自称「一次資料」の検証の有無や在り方に疑問を投げかけ検証をする姿は、学者や研究者にこそ見習ってほしい処です。

私の恩師の一人で社会学民俗学を専門とする埋葬学の権威の方がいらっしゃいますが、やはり時代ごとの習俗や言語及び文字文体の用法などまで研究し、その当時の環境要素や信仰的発想などまで研究して、私たちの先祖の在り方を研究しておられます。

その方からは、事実や現実に対して真摯に向き合うとはどういうことなのか、真実とは人が近づくことはできても辿りつくことのない理であろうこと、愛知の知とは無知を愛すという意味での無知のことだとか、多くの心構えや在るべき態度を学びました。

まだ御在命の戦時下を生きられた御仁達からお話を伺える機会が多く持てるとよいのかもしれません。
私は、多くのそういう方たちと出会う機会があり、ある意味一方的に思う思いの当時の話を聞かせて戴く機会がありました。

多くの人の戦前戦時下の体験談と違う世界を生きた方としては、横井正一さんでしょうか。
それ以上に、世間で稀な戦時体験をした人としては、捕虜一号になられた坂巻氏と学徒動員で軍の地下司令部の設計を手伝っていた私の父ですね。

坂巻氏と父から直接聞いた戦時下と終戦直後から復興の体験談は、世間で一般的に知られていない当時の様子と社会情勢を教えられましたが、今の人達の知る歴史認の幅では想像のつかない部分もあるのですよ。

ついでと言っては何ですが、M資金なるものは実体のない風評でしかなく、精々詐欺の道具でしかないことや、国などの公共事業でに資金面への関与による資金洗浄で表に出てくる終戦で埋もれてしまった別の資金が存在することで国家財政が保全されていて、国家国民に寄与しない政府の際にはこの資金が出てこないということも知りました。

基本的には、一つの国体を保って先週百年以上存続し続ける日本という国は、今の人や欧米の想像する以上に奥深いのですよ。
他国で知っているのは、中国の奥底に存在し続ける深端の知恵者ぐらいでしょうか。

貴女のアプローチに対して、権威に縋る人達が見て見ぬ振りをしたがったり誤魔化したりするのは、研究者や学究者として備えておくべき能力を備えずに低きに流れて学者気取りでいる自分から目を背けたいからなのですよ。

だから、彼らの世界に身を置く気なわけでもないあなたが、何の円了をすることもないのですよ。
しっかりと、あなたが探究し、行動した内容を記録として残していくことが最も重要だと思います。

web上ではいつ消えてしまうかもわからないという不安があるのなら、CDなりDVDなりにその成果は保存しておくべきかと思います。

陰ながら、応援していますよ。

Re: 日記の元本

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/07/25 23:03 投稿番号: [27856 / 29399]
もうすぐまた終戦記念日がやってきます。

日本がアジア各地で繰り広げた戦争の意味づけは、
論争の種になり続けるのでしょう。

私はまぎれもない戦後生まれですし、
戦前に詳しいとも言えないし、

大東亜戦争・太平洋戦争・第二次世界大戦、に詳しい訳でもないので、
戦後世代は、というご批判には、耳が痛く、忸怩たる思いのする者です。

私はたまたま、日本人の手書き文字の変遷の説明がない、
特に、近世と現代の間の激変について説明がない、

歴史学という名前の学問がありながら、これは何という片手落ちかと、
非常に気にしていただけのことです。

いくら井家又一日記はニセモノだ、と持ち歩いてもほとんど反応がありませんでした。

古文書学の先生に、論文にしてみては、と言われて初めて、

何と、これは誰にも、私の話に意見を添えられるほどの、
材料も見解も、ないみたいだ、

と考えるに至ったのです。一体、何ということでしょうか。

政争、学閥、国家間同士の情報操作、
研究者の生計を成り立たせる、上級者の研究承認、
経営が優先するメディアの世論形成、

いろいろなものが混じって、このような事態に立ち至ったのではないかと推測します。

ここまでおかしいからには、おかしいことは続々と出てくる可能性がある、ような気がする。

私自身も、これまでの評価の内、何がどうなっていくのだろうと、とても気にしています。

しかし広範囲なことまでは、私には手が届きそうにないです。

でも、いずれにしても、先の大戦の大敗は、
弥生時代から今日に至るまでに発生した人災としては、
日本では未曾有のものだった、と、私は思っています。

そしてまた世界的に、あの時代、未曾有の人災が発生したのです。
これからも、何だったのだろう、と、考え続けるでしょう。

Re: 日記の元本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/25 17:59 投稿番号: [27855 / 29399]
歴史の検証は、時代考証(たとえば言語学的など)を行い、次いで当時の他の記録との照合を行い、其れを書いた人間若しくは証言した人間が当時其処に居たことを証明出来なければ、証拠となることはないと思いますよ。

更に、現在南京虐殺があると言いながら、総てを説明できるようなものは何処にも存在しませんよね。

南京虐殺が無かったことを示す証拠は段々増えてきていますね。

私は、当時書いたものの現物又は写し(映像)を見ないことには、活字は信用しません。

又活字に書いてあっても裏付有れば信用します。

但し、私は裏付けを自分で出来無いものは信用しません、何故なら秘密にする必要がないものは一般の人でも確認出来るはずですからね。

其の確認したものを又裏付けると云うことも亦必要ですね、私の場合。

Re: 台湾の少数民族慰安婦・・・戦後も慰安

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/07/25 17:12 投稿番号: [27854 / 29399]
孫曳お馬鹿登場ですかw

Re: たいせつだった「ゐ」「ゑ」

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/07/25 17:11 投稿番号: [27853 / 29399]
「小学時代から漢字とかなづかいがへただった」と感じるような言語劣等生だったからこそ感じ廃止例論者になったのでしょうね。

そんな彼だからこそ「ゐ、ゑ」を同音の「い、え」があるから不要と除去したのでしょうが、実は同音でもなく用法も異なり「ゐ、ゑ」は日本語文章
を書くために非常に重要な機能を持っていたことなど分からなかったのでしょう。

終戦当時成人していてもこの程度の人間がいたのだから驚きますね。
だから、彼を米国側の工作員だと推察する人達もいるのでしょう。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/07/25 17:07 投稿番号: [27852 / 29399]
当時の資料を現代仮名遣いに直した時点で、その資料の価値は喪失したに等しい。
根拠とするには、正確に仮名遣いも正確に表記して提示することが必要となる。
変換辞書の事情で旧字や旧仮名遣いで表記が適わない場合は、明確に注釈を加えるか、原本の画像を判読可能な範囲に写して参照できる手立てを掲載することが必要なんだよ。

unhooさんが指摘するのは、現代仮名遣いに直された記述でのの引用分ではなく、原本のまま引用したとする記述に対しての話だろう。

何ら根拠やその裏付けを明示できたためしがなく、何処かの誰かの引用を孫曳して己の正当性を主張するコピペの脳味噌しかないshoujoujiが、他の投稿者に根拠や証拠を提示する権利など存在しない。

Re: 日記の元本

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/07/25 16:50 投稿番号: [27851 / 29399]
戦前戦時下の日本や日本軍を非とする論者や研究者の多くは、根拠とする資料原本の記述通りの意味とは違った解釈を構築して主張している場合も多いと推察できるのですよ。

アジア助成基金が政府調査資料をアーカイブして、それを根拠に裏付けのない証言を補強材料として自分達の主張の正当性を流布していますが、政府調査資料にある一次資料で実際に記述されている記録の内容とは全く整合性もなく、多くはその資料の記述は否定を示すものです。

他にも、原本だとする近代日本語の記述を読解できずに解釈で我田引水している例も多々見受けられます。
また、多くの場合、戦後生まれや終戦当時は未だ児童であって戦後育ちの人達で、伝統的な国語に対する能力が適切に備わっておられない人も多いのですね。

何より戦前戦時下の安定した時期から変動して終戦を迎えるまでの日本の国家規模で地域規模での社会情勢や慣習に疎い人達が多く、近代史自体を現代に生きる彼らの主観を物差しとして照らして、当時の人達のメンタリズムや行動様式を推し量り教条化してレッテル貼りに陥るのですよ。

戦前育ちの多くの人達は、相手の匂いには敏感です。
当時を知ろうとする真摯な気持ちのない人や素直に話を聞く気のない人には、終戦以前の本音などは為そうとしないのですから、取材などできようもありません。

彼らの取材に物申す老人は、終戦以前と終戦後に己が置かれた状況に不満を持ち、旧体制や旧社会或いは日本軍に不満や恨みや憎しみを持つ人達であり、世終戦以前の日本を非としたい彼らに迎合して望まれる返答をする老人しかいないのです。

田原総一郎が戦前生まれを傘に来て偉そうにものを言うことが多々ありますが、終戦当時の彼は11歳だったのです。
彼の実体験で知り得た戦前社会などたかが知れたものです。
多くは、取材によって知るべきであったはずですが、あの様な彼に本音を語る戦前生まれの一般人などいないってことです。

Re: 日記の元本

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/07/25 13:06 投稿番号: [27850 / 29399]
南京事件元兵士が書いたとされる日記の現物について、
大きさとか、装丁の材質・方法、紙質、書式、使用・経年による劣化の程度など、
まだ誰も話題にしていないのではないでしょうか。

ユーチューブで、小野氏が登場した番組で、現物の映像が出たのを見ましたが、
こういう点には、全く注目していなかったです。

この番組では、ニャンコさんが、年代がおかしいと指摘された装丁のものもありましたね。

とにかく、大虐殺派の話はいつも、活字印刷され、製本された文章の内容を根拠に、始まります。

syoujoujiさんが、
「これまでに歴史資料として採用されている文書は
  いずれも専門の歴史家によって実物であることが検証されている
  という前提により」

とおっしゃっているのは、まともに考えようと努力している証拠です。

それなのに、当の専門家たちが、日本語文献担当者達の判定を鵜呑みにして、
自分たちの担当分野を追及するのに没頭してしまったために、

日本語文献が検証されていないことに、
全く気が付いていなかったのではないか、と思う。

中国語をマスターするだけでも、笠原先生のような若い頭脳は、
必死だったのではないか、と想像したりする。
私への返事でも、本物です、としか、おっしゃいません。

秦郁彦氏は、米国系知識の持ち主で、中道を自称していますが、
日記の現物を見て首を傾げないほどに、戦前日本人に詳しくないか、と言えば、
そんなことはないだろうと思われるので、この人は灰色に見えます。

たった一つとはいえ、井家又一日記の奇妙さは、文字や文章だけでもひどいものです。

日本語文献担当者は、そのひどいものを握りつぶしたのですから、
他の文献だって、大いに疑うべきだと思います。

南京事件資料の日本語担当者が本物だと判定した文献の現物と、
間違いなく当時の日本兵が書いた日記の実物が、欲しいですよね。

皆に納得してもらうために、公開で比較するべきだと思います。

Re: 日記の元本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/25 09:04 投稿番号: [27849 / 29399]
言語学的には、当方は不得手ですから、多くは語れませんが。

日記に関しては、違和感がありますね。

1.日記の用紙の大きさ(当時兵隊のポケットに入るのはB5版程度)軍隊手帳に書かなかった理由が不明

2.当時の日記の書き方は、上部に日付天候を書くのが普通、更に通信文の発信記録受信記録

3.誰からの命令かを書いていない

4.誰と行ったかを書いていない

5.16日に掃蕩とあるが、此の時期は掃蕩が終わって各部隊は、次期作戦準備をしていた時期に当たる

6.避難民から兵隊を抽出したのは、国際安全委員会、南京市警察、及び憲兵であって、一般の兵隊が行った記録は無い

上記は、日本軍の記録及び安全委員会の記録を基にしたものです。

Re: 日記の元本

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/07/24 21:53 投稿番号: [27848 / 29399]
nyankoさんとも、どこまでお話したのか忘れてしまいました。

私は古文書学会向け論文で、私の視点として、以下のような奇妙な部分を指摘しています。

○変体仮名の使用頻度が尋常ではない。

  写真版・井家又一日記の334文字の内、仮名は172文字ある。

  そしてその内、「く」「な」の古い字体を含む変体仮名は、全部で11種類40文字ある。

  これを、昭和10年刊行・平凡社『手紙講座』の、
  1894年から1904年までに生まれた(南京事件の頃には33歳から43歳)、
  小学校で現代ひらがなだけで勉強したはずの10人と比較してみる。

  この人たちは、変体仮名を使っている人でも、1文書に最大2種類しか使っていない。

  井家又一の年齢はわからないが、この人たちと同じか、
  もしくは、より若いくらいに見積もるべきだと考えると、
  11種類もの変体仮名の使用は、尋常な数ではない。

  1890年から1893年生まれ(45歳〜47歳)の人にまで、範囲を広げてみても、
  5・6種類が多い方で、それも、相手に非常に気を使った手紙ばかりである。

  井家又一日記に近い頻度で変体仮名を使っている例を探すと、
  口語文に限ると、九条武子(50歳)・有島武郎(59歳)・
  五十嵐力(63歳)・竹本土佐太夫(74歳)で、

  年齢が、一般兵のそれをはるかに上回る人たちであり、
  どれも相手に非常に気を使った手紙である。

○1行目「しまった(志満っ多)」の「満」の字の、日本人の用例から考えると、
69歳・81歳・101歳の人が、「めでたさ、肯定、華やぎ」を含ませるために使っているもので、
一般兵士の虐殺日記に使われると違和感が甚だしい。

○日本人の手書き手紙には、画数の多い数字(大字)を使ったものは、1点も存在しない。


174点の手書き手紙をUPしての、成果の例です。

掲示板での話が、ホームページにも出てきますので、論文でも触れています。

古文書学会の論文として、通る体裁だろうか、と心配な点でもあります。
でも実際、掲示板で教えていただいたこともあるわけですから、うそを書くわけにもいくまい。

何にしろ、偽作の検討方法が簡単に見つけられなくなっている現在の状況は問題です。

笠原先生だって、偽作の実例や偽作の検討方法を知っていたら、
岩波新書の『南京事件』みたいな、中国文献丸呑みの本は、書いてないのではないかと思う。

Re: 日記の元本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/24 17:25 投稿番号: [27847 / 29399]
井家又一日記は、兵隊日記とは全然別物ですね。

書き方が兵隊らしくない。

兵隊は日付天気を明瞭に書く癖がついているが、井家日記には其れが無い。

恐らく後日書かれた偽物でしょうね。

日記の元本

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/07/24 15:20 投稿番号: [27846 / 29399]
久しぶりに覗いたら、なんだか不思議なやりとりをしていたので、
書いてみます。

syoujoujiさんは、この遅レスを読むのでしょうか?

井家又一日記の手書き原本の写真版らしきものは、

それを元兵士から直接手渡されたとする秦郁彦氏が、
中公新書『南京事件』に、1985年発行時から掲載しています。

それを私が、自分のホームページにUPしています。
現物写真版   井家又一日記
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html

ここには、現代仮名遣い「いる」が、二箇所使われています。

また私は、幕末(1835年)から1904年までに生まれた、
日本人の手書き手紙の写真版(正確には影印版)
174点もUPしております。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/1894nennikouniumaretahitonomoji.html

この両者を比較して、井家又一日記は偽作であると結論した論文を、
現在、古文書学会に提出中です。

平凡社から『南京事件論争史』を出しておられる笠原十九司先生から、
平凡社編集氏経由で、先生の名前の、お返事をいただきました。

私が平凡社編集部あてに質問を回してほしい旨、依頼を出してあったのです。

メールですので、笠原先生直々であるという証拠には少々不足ですが、
でも、平凡社編集氏経由ということで、私の質問に対する反応ですから、
これ以上その真偽を追求してもしょうがないと思っています。

そのお返事を読ませていただく限り、笠原先生は、
現代表記以前の日本人の手書きには、知識がないとお見受けしました。

笠原先生のご本は、岩波新書を読めばわかりますが、
中国語文献が非常にウェイトを占めています。

私は、研究者の間で、かなりの分野分担があったのではないか、
英語文献・中国語文献・日本語文献という分担があったのではないかと推測しております。

7月13日の貴殿のご発言、
「これまでに歴史資料として採用されて
いる文書はいずれも専門の歴史家によって実物であることが
検証されているという前提により、素人同士での掲示板の議論が
成り立っている。」

とのことですが、日本語文献担当者が偽証すれば、
南京事件の捏造は、可能であった、
という状況ではなかったかと、私は思います。

仮に偽文書が100例あったとすれば、
100人が偽作に当たればよいだけのことで、
別にそれほど大変なことではないでしょう。

100人なんて、ちょっと大きな部屋なら、全員が入れるくらいの規模の組織です。(あったとすれば)

戦争するより、簡単な話である、と考えてみることも、可能ではあるでしょう。

ましてや日本では、無差別空襲・原爆投下により、一般市民が米軍により虐殺された、
こちらは、南京事件と違って、間違いない話です。

米軍だって、南京事件はあらねばならない話で、
秦郁彦氏が米国系の知識や経験をお持ちであることは、
米国系の情報操作の可能性も、あり得ないわけではないと、

私は思います。(私も途中からですので、的外れでしたら失礼ですが)

Re: 台湾の少数民族慰安婦・・・戦後も慰安

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/23 10:12 投稿番号: [27845 / 29399]
成人婦女子の売買は、国際法で認められているんだけど、君知らないの?

台湾の慰安婦

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/23 07:10 投稿番号: [27844 / 29399]
朝鮮からは20万人も慰安婦が徴集されたというのが今や定説となって
いる。それなら台湾人は日本帝国での地位が朝鮮人より低いから、ず
いぶん大勢徴集されただろうと、日本の左派の人物が台湾へ様子を調
べに来たが、名乗り出るおばあさんがさっぱりない。鐘と太鼓で探して、
やっと二、三十人見つかった。すると実数はせいぜい数百人と思われる。

台湾人の間で、女が警察や憲兵に徴集されたという話題は聞かれない。

すると朝鮮の20万人は、女が同意し、朝鮮人の男も反対しなかったのだ
と思うべきだ。

台湾でも日本時代は公許の娼婦、娼舘が至るところにあった。しかし
戦争中に戦地の兵隊サービス用に強制したという話はない。娼婦とし
ても、故郷で稼げるなら、そのほうがいいにきまている。

台湾の原住民を生蕃と呼んだ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/23 06:25 投稿番号: [27843 / 29399]
清朝の官吏が台湾の原住民を蕃人または生蕃と呼んだ。原住民のうちで
漢族に同化され、漢族式の生活している者を熟蕃とよんだ。

台湾総督府統治になって、生蕃は公用語から除かれて蕃人と呼んだ。原
住民たちも日本語で話すときは、自分たちのことを蕃人と言った。

屏東の公園には蕃人の実物を展示する蕃人住宅が一軒あって、蛮人の青
年がいつでも一人当番として、観光客の問答に答えた。観光客との用語
は日本語であった。観光客は内地人(日本人)でも、本島人(台湾人)でも
よかった。問答したあとで、チップを渡しただろうと思う。問答の内容は
原住民の風習を質問することが主であった。

霧社事件の大反乱(昭和5年秋)の後、台湾総督府は蕃人という言葉を
廃止して、高砂族と改めた。大東亜戦争では、高砂族義勇隊が比島進攻
に参加した。ある地域では、高砂族とその地の住民が言葉が通じた。

Re: 台湾の少数民族慰安婦・・・戦後も慰安

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/23 05:32 投稿番号: [27842 / 29399]
終戦後5年か10年か知らんが、日本人が台湾へ旅行できるようになって、
一人の日本人が原住民を訪問したところ「なんとも言えないほどなつかし
そうな態度で迎えられた」という報告があった。食事の接待を受けたが、
そのとき原住民のおばさんは「どうぞお使いください」と言ったと。「召
し上がりください」でなく、「お使いください」だったのが奥ゆかしく感
じられたと。

その原住民の住所はウライ(台北市の南数十キロ)だったと。

台湾の少数民族慰安婦・・・戦後も慰安婦に

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/07/23 01:03 投稿番号: [27841 / 29399]
★・・台湾の少数民族の女性の場合非常にはっきりしていることは、その女性たちを仕事があるからといって騙して連れていくのは、皆、派出所の警官なんですね。


台湾総督府警務局理蕃課が少数民族に対する政策を坦当しているのですが、実際には、

【現地の派出所の警察官が日常的な植民地支配の最先端になっていて、台中でインタビューをした女性たちは皆はっきりと彼女たちを騙した日本人警察官の名前を記憶していました。】


  台湾での少数民族の女性のインタビューで、他の国の「慰安婦」にされた女性たちと少し違うことがありました。


今日お見えになる女性の中に、やはり駐屯していた日本軍のために洗濯とか繕い物をする仕事だと騙されて、何ヶ月かたつと物資を貯蔵しておく大きなトンネルの中で日本兵に強姦され、性奴隷にされた女性がいます。


そのトンネルは今もそのまま残っていますが、当時も電灯もなく真っ暗だったとその方は話していました。


  【その女性たちの中で戦後しばらくして、妊娠をしたという女性がいました。】


最初どういうことなのかわかりませんでした。確かに、フィリッピン、マレーシア、ビルマ、インドネシアなどの国々では日本の敗戦とともに、連合国軍が、自分たちの植民地奪回のために急遽上陸し、占領地や植民地は解放されるわけで、その過程で性奴隷にされた女性たちも救出されたり、自発的に逃亡したりしています。


  台湾の状況は違っていました。


【台湾は日本の植民地でしたから、連合国軍が日本の敗戦と同時に上陸したのではなく、日本軍の支配が継続し、女性たちは、敗戦後も性奴隷として監禁され、その結果として、戦後になってから妊娠したという女性がいたのでした。】


  台湾での少数先住民族は9割をしめる漢民族には差別され、

日本が植民地化した時には日本人によって特に過酷な扱いを受け、強制労働等が強いられてきたのです。


確かに霧社事件がおこった原因のひとつには強制労働があったわけですが、非常に多くの少数民族の女性が強姦されたという事実も無視できません。


ある意味で、ある部族の女性が強姦されるということは、その部族の男性の誇りを踏みにじることであり、


結婚まではきちんと身を保つという考えが非常に強かった時代ですから、強姦されたらその人の一生は終わりだという観念も強く、


そのようなことも抗日蜂起の原因になったのです。


さらに悲劇的なことは、少数民族の青年の中には教育を受けて、ことに優秀な青年は警察官として採用されていた人々がいたということです。


警察官としての立場と、少数民族としての立場の板ばさみになって、霧社事件がおこると彼らは家族を殺して自分も自殺をすることになるのです。


松井やよりさんが、朝日新聞の記者だったとき、台湾の霧社事件についていくつかの記事を書いていますが、今でも覚えているのは、


少数民族の警察官がみずから妻や子供を殺し自分も自殺する光景です。着飾った女性や子供たちの死体がまるで花のように大木にぶらさがっている光景です。 ・・


http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/resources/199910_nl_senjuumin.html

過酷です。

たいせつだった「ゐ」「ゑ」

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/18 09:37 投稿番号: [27840 / 29399]
小学時代から漢字とかなづかいがへただったために、漢字廃止論者
になったと松坂忠則は言っている。漢字廃止に進む前提として、敗戦
ボケでうろうろしていた内閣官吏に「昭和21年11月16日内閣訓令およ
び内閣告示」を公布させるに成功し、かなのうちから「ゐ、ゑ」を同音
の「い、え」があるから不要と除去したが、実は「ゐ、ゑ」は日本語文章
を書くために非常に重要な機能を持っていたのである。今更言っても
仕方がない。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/16 08:51 投稿番号: [27839 / 29399]
>日記が偽物だと主張するのは100%、その内容が都合が悪いと
思っている人間だよ。

レス:   どうも貴殿は他人の記述に貴殿の感情をつけ加えて困るな。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/15 15:06 投稿番号: [27838 / 29399]
我々が必要なのは、其の資料の裏付けが在るか無いかで在る、脳死君。

其の一つ、仮名遣い、

其の二、書いた人間が書いた通りのことを証明する別の資料が在るか無いかで在る、現在の所裏付けの取れる使用は馬鹿サヨの示すものの中には無い、脳死君。

日記が偽物じゃないとするのは、百%裏付けを取らないからである、脳死君。

都合の良し悪しで資料を云々するのは、馬鹿サヨ達のみでアル、脳死君。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/07/15 14:23 投稿番号: [27837 / 29399]
>わしは日記の元本を鑑賞する機会にめぐまれたことはない
>わしは戦前の文書とされているものを鑑賞しておや「兵隊がいる」
と書いてあるぞと苦笑する。それだけだ。

元本を見たことがないのなら、めったなことは言わんことだ。
当然ながら、掲示板に引用されたものは現代の表記に直してある。
我々にとって必要なのは資料の文章の内容であり、表記ではない。

>それがわしに都合がよいとか悪いとかの事情が発生したことはない

日記が偽物だと主張するのは100%、その内容が都合が悪いと
思っている人間だよ。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/15 13:41 投稿番号: [27836 / 29399]
>そもそも日記の元本に新仮名遣いとやらがあったというのはどういう根拠
によるのか

↑わしは日記の元本を鑑賞する機会にめぐまれたことはない。ヤフーの
掲示板に引用されたものを鑑賞するだけである。それがわしに都合が
よいとか悪いとかの事情が発生したことはない。わしは第三者にすぎ
ないからだ。

わしは戦前の文書とされているものを鑑賞して、おや「兵隊がいる」
と書いてあるぞと苦笑する。それだけだ。わしは台湾に居住している
から、四六時松坂式かなづかいに漬かっている日本人とちがって、
戦前の古文と称する文章に松坂式かなづかいが混入していたら、すぐ
わしの目を射る。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/15 10:40 投稿番号: [27835 / 29399]
脳味噌で考えることが出来ない、つまり脳死と同じという意味だ、恥を知るのは考えることが出来ない君たちの方じゃないの、自分の脳味噌で。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: nanchikakisan 投稿日時: 2012/07/15 00:37 投稿番号: [27834 / 29399]
おい猫    他人を脳死くん   呼ばわりは何ぞや?   恥を知れ   屑

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/14 18:50 投稿番号: [27833 / 29399]
新仮名遣いは昭和21年11月16日の内閣訓令第八号および内閣告示第三十三号によって奨励されているんだね、脳死君。

其れ以前に、新仮名遣いで教育を受けた人間は居ない、脳死君。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/14 13:34 投稿番号: [27832 / 29399]
敵を殺したという記述がない兵隊の記録がが無いのは、兵隊がそうする職業だからだよ、之は国際法上認められているからだね、脳死君。

世の常識とは当時の常識であって、今日の常識じゃないよ、当時の常識を知らん様じゃ話にならん、脳死君。

抑、日記には片仮名と平仮名があるが送り仮名の使い方は同じだね、脳死君。

歴史の専門家が素人の指摘に反論出来ないようじゃ、専門性が問われるね、脳死君。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/07/14 10:38 投稿番号: [27831 / 29399]
>「わずか数行の記述」ではない。わずか数字の語句だ。

貴殿がある日記を偽物だと言いたい動機は、貴殿にとって都合が悪い
わずか数行の記述だろうと言っている。敵をつかまえて殺したという
記述を一カ所でも含む日誌がごまんとあるうちで、貴殿はどれが本物で
どれが偽物だと主張するのか。貴殿が本物と思う日記にはそのわずか
数字の語句がないとなぜ言えるのか。

>↑日誌が膨大かどうかはわしの知ったことでない。

貴殿が知ったことでなくても、世の中の常識というものがある。貴殿に
都合が悪い(人によって都合が悪いか否かの度合いがさまざまな)わずか
数行の記述を入れるために、発掘されるかどうかもわからない一庶民の
日記の全文を捏造する動機は何ぞやということになる。貴殿にとって
都合が悪い数行を除く残りのすべての記述は、ひたすら歴史事実と矛盾しない
ように資料を調べながら架空の個人体験を書き続けたのかね、ということだ。

>そのなかに一箇所の松坂式のかなづかいが見つかれば、その文書が戦後の
偽作であることの動かぬ証拠だ。

そもそも日記の元本に新仮名遣いとやらがあったというのはどういう根拠
によるのか(あやしげな御仁がそう言ってるのを貴殿はうのみにしている
らしいが)。貴殿にとって都合が悪い記述を含む全日記に新仮名遣いが
あるのか。仮名遣いが正しくない文章を書く人間は現代でもごまんといる
(を→お)など。貴殿が本物だと思う日記の全文章を分析して新仮名遣いが
ひとつもないと確認したのか。そもそもそれは「新仮名遣い」なのか。
単に戦前の歴史的仮名遣いがすべての知的レベルの国民に浸透していたわけ
ではなく、素朴に発音通りの書き方をする者もいたのではないか。貴殿は
元植民地人でありながら忠実な天皇のしもべであることを自慢しているらし
いから、自分は正しい仮名遣いをしていたと言いたいだろうが、すべての
庶民がそうだったと断言できるのか。

ま、ざっとそんなところだ。基本的には、歴史の専門家が史料として採用
しているものを、掲示板の素人が「わずか数字の語句」で偽物であると
喝破するなんぞ臍が茶をわかすということだな。以上、終わり。

Re: 南京事件に関する、日本側の記録

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/14 10:28 投稿番号: [27830 / 29399]
告別ノ辞 曩ニ江南戦雲ニ覆ハルヘヤ石根之乏ヲ以テ上海派遣軍司令官ノ重職ヲ担ヒ次テ戦局ノ拡大ニ件ヒ中支那方面軍ノ指麾ニ任セラル爾来征戦半歳全軍将士克ク勇戦力闘或ハ深濠堅塁ノ相交錯セル間ニ衆敵ヲ破砕シ以テ上海周辺ヲ清掃シ或ハ果敢駿速ナル機動ヲ決行シテ湖東ニ快捷ヲ博ス或ハ又長駆急撃敵都ヲ屠ル等曠古不滅ノ偉業ヲ成就シ其ノ功績ハ燦然トシテ江寧ノ地ニ遍シ斯クン石根幸二上 聖明ニ対ヘ奉リ下国民ノ信倚ニ酬エルヲ得実ニ感激ニ堪ヘサル所深ク将士ノ労ノ多トス 今般君命ニ依リ間外ノ任ヲ解カル将ニ隷下士ト相訣レントス 既往ヲ顧レハ陣営ノ労苦戦捷ノ

↑松井石根の「告別の辞」より抜粋。

Re: 南京事件に関する、日本側の記録

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/14 10:10 投稿番号: [27829 / 29399]
お前は板倉の主張を真実だとして引用した、お前に立証義務がある、脳死君。

Re: 新かなづかいのおいたち

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/07/14 01:16 投稿番号: [27828 / 29399]
>それら膨大な日誌が捏造されたと・・・・

↑日誌が膨大かどうかはわしの知ったことでない。戦前からあった
と言張る文書でも、そのなかに一箇所の松坂式のかなづかいが見つ
かれば、その文書が戦後の偽作であることの動かぬ証拠だ。偽造の
証拠は「わずか数行の記述」ではない。わずか数字の語句だ。

Re: 南京事件に関する、日本側の記録

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/07/13 20:49 投稿番号: [27827 / 29399]
お前、ハヨシナ人に国籍変更したら如何でっか〜?

でも、日本人で居たいんでっか〜?

Re: 南京事件に関する、日本側の記録

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/07/13 20:47 投稿番号: [27826 / 29399]
>↑日記原本と日誌原本の整合性

何のこっちゃ?(藁

文句があるなら板倉氏にするんだな(故人だったかも)

Re: 南京事件に関する、日本側の記録

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/07/13 19:30 投稿番号: [27825 / 29399]
>まず芙蓉版では,残留内外人は多少恐怖していたが,
<日本軍が治安回復に努めた結果安心してきた>ように読める。

<ところが><日記原本>を<素直に読む>と

<日本軍が落ち着いてきた><ので><内外人も安心した>ことになり,
<恐怖の原因が><日本軍にあった>ことが判る。

↑日記原本と日誌原本の整合性をどうやってとったんだい、脳死君。

君理解出来るの、脳死君。
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