南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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従軍慰安婦に関する国会討議(1)

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/15 00:29 投稿番号: [6019 / 41162]
従軍慰安婦にまともな根拠はないということは国会で明らかにされている。
少し長いが、該当議事を全文引用してみよう。

平成09年01月30日   参議院予算委員会

○片山虎之助君   いや、それは簡易にすぐ言えて、そこできちっと、公式非公式じゃなくて、議論をしてよりよい教科書をつくるというような場を設けるんですよ。
  時間が余りありませんからあれですが、実は教科書の偏向記述の問題やいわゆる従軍慰安婦の問題で今国内のいろんなところで大変論議が起こっている。私の地元の岡山県議会も十二月十九日に、中学校の歴史の教科書の従軍慰安婦の記述を落とせという陳情の趣旨採択をしたんです。全国で今十ある。それから、県でも四県用意しているところがある。ほかにもいっぱい広がっていますよ。やっぱりそれだけ国民の関心が教科書問題に向かってきたんです。私なんかは門外漢だった。だから、こういうところでこういう質問をするということは、これはこれでいいのかなと、普通の国民が私はそう思っていると思うんですよ。
  そこで、いわゆる従軍慰安婦の問題は私はやや感情過多になり過ぎていると思う、ともに。もっと事実だけを冷静に検証して、それに基づいた議論をすべきなんです。聞く耳を相手は持たない、こういうのは私は困ると思います。しかし、実際はいろんな動きが出ている。私はどうやってこれを直すかということは大きな国民的課題だと思いますけれども、まず従軍慰安婦という言葉はやめてくださいよ、教科書でも、政府のものでも。政府の場合には「いわゆる」が上についているけれども。これは誤解を招くに決まっている。文部大臣は二種類あると言った、従軍という言葉に。そんなこと国民はわかりますか、いかがですか。

○国務大臣(小杉隆君)   そもそもこの慰安婦という記述が教科書に載るようになった経緯については先生も十分御承知だと思うんです。
  戦後処理問題が非常に議論されたのがたしか平成三年の三月ごろだったと思いますが、その後政府としてもいろいろな調査、内外のいろいろな調査機関に当たったりあるいはいろんな資料を検証したりして、客観的な調査研究の結果として平成五年八月に政府の慰安婦関係調査結果というものが出されました。そして、この問題が社会的に大きく取り上げられまして、歴史的事象の一つとして中学生にも理解が可能である、こういうことから執筆者並びに教科書発行会社の方で記述に踏み切ったものと考えております。
  私どもは、そうした経緯を尊重しながら、よりよい検定制度というものをつくっていくためにさらに努力したいと思っております。

>>上海爆撃と南京大虐殺

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/15 00:27 投稿番号: [6018 / 41162]
  何が言いたいのか分からないんですが。

  安全区に逃亡兵が潜伏したのは事実ですよね?
  まさかこの事実を否定しませんよね?
  安全区で武器が見つかったことも事実ですね?
  これでどうして、安全区内に逃亡兵による抗日武装勢力が潜伏しているという発表が「擦り付けの工作」になるんでしょう?
  抵抗の意思がないなら、投降するんじゃないんですか、普通は。
  少なくとも戦争の常識を弁えていた日本軍士官たちはそう考えたと思いますよ。
  投降したら虐殺されると中国兵が考えていたかどうかなんて、この際無関係です。
  抵抗の意思がなければ投降する、投降しなければ抵抗継続の意思があると見なす。
  これは戦場における常識でしょう。
  抗日武装勢力の存在が事実か誤認かは今となっては解明しようのないことですが、十分合理的な推定だと思いますが。

  それに安全区を設定した以上、国際委員会は敗残兵の流入を阻止すべき義務があったことも認めますよね?
  そして侵入した逃亡兵を日本軍に引き渡す義務があったことも。
  中立国の権利を主張し安全地帯を設定したなら、逃亡兵を積極的にであれ消極的にであれ匿うが如き中国軍に加担する行為は許されないのが戦時の国際慣習のはずですよね?
  安全区の国際委員会が軍人ではない人間を識別できたのなら、軍人であった人間も識別できるはずです。
  それなのに何故不法に侵入した逃亡兵の検挙に協力しなかったんですか?
  もし故意に中国軍に利する行為を働いたのなら、国際委員会は中立の第三者ではなく、その証言も中国当局関係者のものとして評価しなければなりませんよ。
  逃亡兵の検挙に協力する能力がなかったのなら、国際委員会には逃亡兵による抗日武装勢力の存在を否定する証言能力もないということです。

  それからこれが最も重要な点ですが、挙げて頂いた事例は、日本軍が自軍の犯罪行為を中国軍に擦り付けた例になるんですか?
  どういう動機であれ、占領下において武器を隠匿するのは歴とした犯罪行為でしょうに。
  武器を発見したら日本軍か国際委員会に届けるよう徹底しなかったラーべやベイツたち委員会の責任ですよ、この事件は。

  一体何が擦り付け工作なのか、意味不明です。
  話を逸らし中国政府の悪辣さの印象を軽減することが目的でなければ、改めて合理的な説明をお願いします。

  あと、挙げられた資料の中にはいかにも日本兵が中国人婦人を強姦したような記述が含まれていますが、これに信憑性はあるんですか?
  南京大使館に提出された被害届のほとんどは、少なくとも日本大使館員によって確認された範囲では無責任な風聞か虚偽だったと判明しているはずですが。
  何故この文脈で、日本軍が犯罪行為を働いたが如き印象付けをしようとするのか、その理由も説明してください。

「裁判に付し得ない」

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/06/15 00:22 投稿番号: [6017 / 41162]
ここには、自衛戦争か否かに関する各国の「自己解釈権]
(right   of   auto-interpretation)(自主的解釈権ともいう)が明白に承認されている。
ケロッグはまた上院外交委員会で証言し「アメリカ政府は自衛の問題の決定をいかなる裁判所であれ、
それに委ねることを決して承認しないであろう。
また(他国政府も)この点については同様に承認しないであろう。」
と述べている。
ここでは、交戦国の双方が共に自衛戦争の主張を行うような場合に
自衛か侵攻かの認定の問題は「裁判に付し得ない」(not   justiciable)
という法的状況にあることが明示されている。


はい、yominokuni56くん、ここ注目(笑)



自衛戦争か否かに関する各国の「自己解釈権]が明白に承認されている。


交戦国の双方が共に自衛戦争の主張を行うような場合に
自衛か侵攻かの認定の問題は「裁判に付し得ない」

課題山積 yominokuni56

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/14 23:01 投稿番号: [6016 / 41162]
いい加減、「全部嘘でした。ゴメンナサイ。」と言って謝れば楽になれるぞ。


#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802や#5814や#5879や#5882や#5902で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、

1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756

2.支那軍がわざと上海の市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775

3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783

4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787

5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799

6.支那側は停戦協定を何度も繰り返し破り、8月9日に予定されていた和平会談も支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊し、さらに上海戦の後11月6日に蒋介石に伝えられた和平条件も蹴って南京戦を強行したことを認めるんだな?#5799

7.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802

8.上海戦は、蒋介石が攻撃を始めて日本が防衛した戦争だったと認めるんだな?#5814

9.上海戦における日本軍の損害が予想を超えた理由は、日本の不拡大方針による小出しの兵力投入と、支那軍の細菌戦のせいだったことを認めるんだな?#5814

10.日本軍の食糧は、日本本土からの補給を原則としたが、補給が不如意になって現地調達する際にも、支那軍のように強奪するのではなく、カネを払って調達したことを認めるんだな?#5851、#5868、#5879

11.南京戦の前に多くの南京市民は南京を脱出し、残った20万人も全員が国際安全区に避難して無事だったことを認めるんだな?#5882、(#4674、#5696)

12.上海から南京への道路沿いの村々や周辺の村落を破壊、略奪、放火したのは支那軍であり、支那はそのような焦土作戦(清野作戦、焦土戦術)をしておいて、「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁したことを認めるんだな?#5882

13.「句容県誌」(日本軍侵占句容期間暴行録)という記録は、いつ、誰が、書いたのか?
どうして、南京軍事法廷や東京裁判(1946年〜1948年)に、証拠として提出されなかったのか?#5902


(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)

1.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514

2.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514

>句容県誌、高淳県誌、江浦県誌

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/14 22:56 投稿番号: [6015 / 41162]
>約80発の爆弾が落とされ、住民約100余人が死亡した。破壊され焼失した家屋は700余間(200余戸)(高淳県誌)
>12月6日日本軍(国崎支隊)が水陽鎮から県境の水碧橋村に進入し、村民36名を惨殺した。翌7日   高淳県城を占領した日本軍は、住民に対して発砲し、30余名を死傷させた。(高淳県誌)
>江浦県城占領までに30余名の農民や難民が殺害されている。さらに、県城から浦口に至る沿道の農民や漁民44名が死傷、水上部隊(約100名)が西江口(小港)を襲撃し、農民、商人、子供ら30余名を殺害、商船100余隻を砲撃、破壊、焼却した。
>民船を捜索中に発見した婦女子10数名は船中で輪姦され殺害された。(江浦県誌)


#5902でも、
―――――――――――――――――――
「句容県誌」(日本軍侵占句容期間暴行録)という記録は、いつ、誰が、書いたんだ?
どうして、南京軍事法廷や東京裁判(1946年〜1948年)に、証拠として提出されなかったんだ?
つーか、その句容県の睨塘村虐殺事件というのを俺は初めて聞くのだが、いつから話題になってるんだ?
―――――――――――――――――――
と質問したのだが、完全無視だった。


「高淳県誌」と「江浦県誌」についても同じ質問をしたい。

よろしく!

矛盾していますか?

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/14 22:47 投稿番号: [6014 / 41162]
>>日本政府首脳が当事者能力を喪失しており、立憲君主制の君主としての立場を守り続けてきた「天皇」がそれを破ってまで「終戦の決断を下した」わけです。

>『昭和天皇独白録』   開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは、立憲政治下における立憲君主としては己を得ざる所である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何ら異なる所はない。   終戦の際は、しかし乍ら、之と事情は異にし、廟議がまとまらず、鈴木総理が議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。そこで私は、国家、国民の為に私が是なりと信ずる所に依て、事を裁いたのである。

政策を決定するのは天皇ではなく政府です。
その政府が「日本の進退を決められずに天皇に裁可を仰ぐ」ことは本来あってはならないことです。

「それを行わざるを得なかった」というのは、すなわち「当事者能力を喪失した」ということです。

しかし「誰かが日本の進退を決定」しなければなりません。
そして、立憲君主制の君主としての立場を守り続けてきた「天皇」がそれを破ってまで「終戦の決断を下した」わけです。

何か私の言ったことと矛盾していますか?

連合国はそれを承認しました

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/14 22:37 投稿番号: [6013 / 41162]
立憲君主制の君主としての天皇の立場として

>戦争を行うには、天皇の許可が必要であった。

これは正しい。

>もしかれが戦争を望まなかったならば、その許可を差し控えるべきであった。

これは正しくない。
「政府が決定したなら許可を与える」というのが天皇の立場。


>かれが暗殺されたかもしれないということは、問題の答えにはならない。

それとは関係なく、政府が決めたことには反対であっても許可は与えています。


>かれが進言に基づいて行動したとしても、それはかれがそうすることを適当と認めたからである。

それでは「天皇が自らの意志で政治を行う」ことになってしまいます。
「天皇がどう思うか」ではなく「政府がどう決めたか」が問題です。


>しかし、何れにしても、大臣の進言に従がって国際法上の犯罪を犯したことに対しては、立憲君主でも赦されるものではない。

天皇は「自らの身の上を法廷の俎上に乗せるか乗せないか」をGHQにゆだね、「GHQは乗せなかった」ということです。

「連合国はそれを承認した」のですから、なんら問題はありません。

卑怯な支那の撹乱工作隊

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/14 22:17 投稿番号: [6012 / 41162]
『南京虐殺の徹底検証』P277   展転社   東中野修道著

■馬中将は安全地帯で反日撹乱行為を扇動

  また上海でアメリカ人が発行する『チャイナプレス』(1938年1月25日号)も同じ事を報じている。それによれば、12月28日現在で、外国大使館から、支那軍の将校23名と、下士官兵54名、兵卒1498名が摘発された。これは、12月24日からの住民登録の結果でもあった。つづけて「チャイナプレス」1月25日号は、その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する。

≪   その報告書の主張するところによれば、彼らの中には南京平和防衛軍司令官王信労(ワンシンロウ音訳)がいた。かれは陳弥(チェンミー音訳)と名乗って、国際避難民地域の第四部門のグループを指揮していた。また、前第八八師の副師長馬?香(マーポーシャン音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(ミシンキ音訳)もいるといわれている。馬中将は安全地帯内で反日撹乱工作の扇動を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安(フワンアン音訳)大尉のほか17人が、機関銃1丁ライフル17丁をもってかくまわれ、王信労と3人の元部下は掠奪、扇動、強姦に携わったという   ≫

  安全地帯内に潜伏中の支那軍将兵が悪事を働いたのである。




ちなみに事件を裏付ける日本側史料


『南京戦史資料集』P232

  飯沼守(少将、上海派遣軍参謀課長)日記

1月4日(快晴)

憲兵は南京難民区区域或いは外国大使館に潜伏しある不逞徒を捕らえつつあり。八八師副師長など主なる者なり。



  88師の副師長ということで情報が一致していますから、事件があったのは間違いないと思います。


http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page004.html

<<日本は何故原子爆弾

投稿者: grazzuie 投稿日時: 2005/06/14 22:14 投稿番号: [6011 / 41162]
君がもし日本人ならば、国語を勉強してください。中国か朝鮮人ならば、変な日本語もどきを話さず、我が国から出て行け。

上海派遣軍参謀長飯沼昭守少将の日記)

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/14 22:14 投稿番号: [6010 / 41162]
12月4日
南京攻略下命にともなって、海軍の航空作戦も南京攻略の協力に転じ、南京、蕪湖方面の攻撃に主力をそそがれた。

前日 南京東方約140kmの地点の常州に海軍航空隊基地が開かれ、同基地を拠点に陸戦協力の為の南京、蕪湖の攻撃が加速される。この日、海軍航空隊の偵察機、戦闘機、爆撃機計19機が出撃した。(中国方面海軍作戦)

南京特別市の最南端にある高淳県は、水運で蕪湖へ、陸路で南京城へ通じる交通の要所にある。この日国民党軍の蕪湖への撤退を阻止するために、橋と運河を破壊する目的で、県城、および街も爆撃された。

なかでも、蕪湖〜上海間に位置する運河の港街となっている東項の街が激しい空襲を受け、街の中心地に集中的に爆撃が行われ、爆風で吹き飛ばされた死体が沿道に散乱し、街の家屋は火の海となり、廃墟と化した。約80発の爆弾が落とされ、住民約100余人が死亡した。破壊され焼失した家屋は700余間(200余戸)(高淳県誌)

第五師団国崎支隊(支隊長国崎登少将、歩兵第9旅団)は12月2日広徳を出発、3日朗渓に達し、同地で水上機動の準備を行い、6日同地を出発、主として水路を利用して水陽鎮、高淳県城を通過、9日太平を占領した。(支那事変陸軍作戦)

12月6日日本軍(国崎支隊)が水陽鎮から県境の水碧橋村に進入し、村民36名を惨殺した。翌7日   高淳県城を占領した日本軍は、住民に対して発砲し、30余名を死傷させた。(高淳県誌)

江浦県は六合県とともに長江の北側にある、中支那方面軍司令部は南京攻略において中国軍を包囲殲滅する作戦を徹底しようとした、そのため、長江北岸の両県にたいしてもあらかじめ、日本軍を進撃させて南京防衛軍の退路を絶とうとしたのである。
完全包囲網である。


12月11日
「国崎支隊、長江左岸に移りたる報に、殿下(朝香宮上海派遣軍司令官)も[何とかして、13D(師団)を早く長江を渡し、津浦線を遮断し得ざるやと多少、焦慮せらる」(上海派遣軍参謀長飯沼昭守少将の日記)

国崎支隊は慈湖鎮付近で長江を渡河し、北岸を南京城の方向に進撃、12日午後1時には江浦県城に侵攻した。

12月11日に鳥江鎮を占領した日本軍(国崎支隊)2000余名は同地から南京戦区に突入し、国民党軍と銃火を交え、浦口を目指して侵攻する、住民も巻き込まれて殺害され、民家には火が放たれた。

江浦県城占領までに30余名の農民や難民が殺害されている。さらに、県城から浦口に至る沿道の農民や漁民44名が死傷、水上部隊(約100名)が西江口(小港)を襲撃し、農民、商人、子供ら30余名を殺害、商船100余隻を砲撃、破壊、焼却した。

民船を捜索中に発見した婦女子10数名は船中で輪姦され殺害された。(江浦県誌)

広大な南京戦区の県城と村には、まだ、膨大な住民が居住していた。
南京近郊の6県を合わせれば150万人以上と思われた住民のうち、南京攻略戦が開始されて、一帯が戦場と化しても汽車や自動車で遠くへ避難していくことは殆ど不可能であった。

県城や村は孤立して、散在しており、近郊にはラジオや新聞などの通信手段はなく、日本軍の正確な情報は伝わらなかった。
また、何よりも農民には守るべき田畑や大切な家畜があり、それらを置いて避難することが出来なかった。
そして、日本軍の大群が次々と波状的に長期に渡り、10数万の兵隊が進撃してくるなど、予想もしていなかったのである。

第16師団状況報告
12月24日

「今次作戦間、兵馬の給養は現地物資をもって、これに充つるの主義をとり、もって、迅速なる機動に応ぜんと企図せしが、幸いに富裕なる資源により、大旨良好なる給養を実施しえたり」と総括している。(南京戦史資料集)

進軍途中の物資豊富な都市、農村で十分に食料徴発、略奪が出来たことの証である。

農民が遠くへ避難せず、生産し、生活を営んでいた農村地帯に進入したからこそ、家畜や作物を略奪して食し、日本軍兵士は飢餓に苦しまずに進軍できたのである。そして、食料を供給してくれた農民を殺戮し、家を焼きはらったのである。

南京に向かう日本軍の諸部隊が軍規の弛緩による破壊欲や悪戯、気晴らしから沿道の村々を放火して進軍したため、住む家を無くした農民たちは難民のような生活を余儀なくされ生活しているところへ、部落掃討に来た日本軍に捕縛され、集団虐殺されるという悲劇も頻繁に発生している。

原爆投下、市民殺りくが目的

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/06/14 22:14 投稿番号: [6009 / 41162]
1983年8月6日(朝日新聞)

米学者、極秘文書で確認

原子爆弾が広島に投下されてから6日で38年。これについて米最高首脳はこれまで「軍事目的に限定して使った」(トルーマン大統領回顧録)としてきたが、実は「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺りくすることにあった」とスタンフォード大の米歴史学者が極秘文書で確認、近く出版する本で発表する。また広島、長崎に「米人捕虜がいる」と英国情報部などが警告したのにもかかわらず、米政府はこれを無視したという。(パロアルト<米カリフォルニア州>菊地特派員)

スタンフォード大歴史学部のバートン・バーンスタイン教授は、原子爆弾が日本に投下されたとき、まだ小学生で、辺りの人々が「これで戦争が終わった」と喜んでいるのを記憶している。しかし、スタンフォード大で歴史学を専攻するうち、なぜ人々が原爆投下を単純に受け取っているか、について疑問を持ったという。あのころドイツが降伏し、日本だけが世界を相手に戦っていたのになぜ原爆を使わなければいけなかったか、についてである。この疑問を解明するため米軍事外交文書を研究するうち、“歴史の偽り”を発見したという。
同教授が入手した極秘文書によると、1945年7月31日、原爆投下についてスチムソン米陸軍長官を囲んで最高会議が開かれた。その際ノーベル賞学者のE・ロレンス博士(サイクロトロンの発明者)は「科学者としては原爆を直接日本に投下したくない。まず米国の砂漠などで世界の代表者を呼び、公開の場でその威力を見せるべきだ」と主張した。しかし、他のメンバーたちは「もし原爆が不発だったら世界の笑いものになる。ともかく日本へ投下しよう」と主張して決定を見たという。
投下地点の選定については、「軍事施設のみという科学者の主張に米軍側が強く反対し、結局、民間人を大量に殺りくすることが決定された」としている。
人類初の原爆は“効果半径”約1.8キロ。同教授の入手した米空軍史(部外秘)によれば、「その火の玉を広島の住宅密集地、商業地区に投下せよ」との命令が出ている。投下時間は午前8時15分。「これは工場労働者が仕事を始め、市民の子どもたちが戸外に遊びに出る時間帯。米軍はまさにそこを狙ったのだ」と同教授。
しかしトルーマン大統領はその回顧録で「原爆は非戦闘員の婦人、子どもを避けて、軍事基地だけに限定して使った」と書いている。
この広島原爆で護送中だった米人捕虜23人が死亡した。この事実は1945年10月9日、国際赤十字が確認したが、米当局は公表を避けているという。同教授によれば、それは、原爆投下の直前、米国は英情報部から「広島に米人捕虜がいる」と通告を受けていたがこれを無視したからだという。
米戦略空軍司令部の極秘電報(45年7月30日付)によると同司令部は長崎には米人捕虜収容所があることを確認、ワシントンに打電した。しかし投下は強行された。結局、長崎の原爆は目標を少しずれたため、約1400人の米人捕虜は助かった。
同教授はトルーマン大統領の内政、外交政策について研究を続けるうちに、あるときふと、「広島で米兵捕虜も爆死しているのではないか?」という疑問を抱き、政府や軍に当たったが答えは得られなかったという。
しかしその後、ワシントンの国立公文書館で「極秘」扱いを解かれた兵士らの「軍歴書」の中に、「ヒロシマで戦死」との記述を見つけ、米兵捕虜被爆死の事実を確認した。
とはいえ、軍歴書は、乗機を撃墜され捕虜になって広島で死んだ、としているだけで、それが原爆によるものであることにはまったく触れていない。その遺族らも、被爆死どころか広島で死んだことすらも知らされておらず、日本上空で撃墜され戦死、あるいは戦傷死したものと信じていた。
政府が秘密にしていた理由について同教授は「米国民の大半が支持した原爆投下で米兵が殺されていたとなれば、世論は批判にかわり、第2次大戦直後の冷戦激化の中での核戦略に重要な影響をもたらす、と懸念したからではないか」と語り、「一般市民はもちろん、味方の軍人まで犠牲にしても平気な“戦争の狂気”を告発したい」といっている。
バーンスタイン教授はこれらの新発見を基に近く「核軍縮への道」(仮題)という著書を出版するが、「米外交文書の公開は軍事機密に関しては特に厳しい。1978年に資料要求したものが最近やっと数点入手できたほどだ」と語っている。


(注)原爆の投下目標として検討された都市は東京など16都市があり、最後に広島、小倉、長崎の3目標に絞られた。8月9日の第1目標は小倉だったが、天候その他の条件が悪いときは長崎に投下すると決まっていた。

原爆の効果を視るため、出来るだけ被害を受けていない都市を選んだと聞いたことがあります。
被害の少ない都市といえば、京都も原爆投下の目標に入っ

>>日本は何故原子爆弾で被爆された

投稿者: kisikaisei2004 投稿日時: 2005/06/14 22:12 投稿番号: [6008 / 41162]
地形と人口密度が目標の選定条件。
偏に実験したかっただけのこと。
条件に最も合致していたのは、京都と奈良。文化財の消失を惜しむ勢力が反対したとか。有色人種の無差別攻撃は気にならなかった。

そんな、当時のアメリカが華僑のことなど考慮するはずがない。

マッカサーは朝鮮戦争で、中共向けに50発程の原爆を本国に要求したとか。
「もし」、これが許可されていたら、北朝鮮も中共さえも、今は存在しなかったかも知れない。

みんなペテン師はお前だよ。

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/06/14 22:06 投稿番号: [6007 / 41162]
歴史を正しく見直しましょう。

すべてを日本の性だとする、気代のペテン師、それはお前だよ。

天皇の戦争責任『昭和天皇独白録』。

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/14 22:05 投稿番号: [6006 / 41162]
>日本政府首脳が当事者能力を喪失しており、立憲君主制の君主としての立場を守り続けてきた「天皇」がそれを破ってまで「終戦の決断を下した」わけです。

馬鹿を書いちゃいけないよ(笑)

『昭和天皇独白録』

  開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは、立憲政治下における立憲君主としては己を得ざる所である。
若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何ら異なる所はない。

  終戦の際は、しかし乍ら、之と事情は異にし、廟議がまとまらず、鈴木総理が議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。

  そこで私は、国家、国民の為に私が是なりと信ずる所に依て、事を裁いたのである。
(寺崎英成   マリコ・テラサキ・ミラー共著『昭和天皇独白録』1995文芸春秋社)

  ウェッブ裁判長(オーストラリア)の別個意見より

戦争を行うには、天皇の許可が必要であった。
もしかれが戦争を望まなかったならば、その許可を差し控えるべきであった。

かれが暗殺されたかもしれないということは、問題の答えにはならない。

この危険は、自己の義務を危険があっても遂行しなければならない統治者のすべてが冒しているのである。

いかなる統治者でも、侵略戦争の開始という犯罪を犯しておいて、そうしなければ命が危うかったのであるからといって、それを犯したことについて、赦されるものと正当に主張することはできない。

  天皇は進言に基づいて行動するほかはなかったということは証拠と矛盾している。

かれが進言に基づいて行動したとしても、それはかれがそうすることを適当と認めたからである。

それはかれの責任を制限するものではなかった。

しかし、何れにしても、大臣の進言に従がって国際法上の犯罪を犯したことに対しては、立憲君主でも赦されるものではない。

至極当たり前のことですね。

yominokuni57、、人の名を語るペテン師

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/14 22:00 投稿番号: [6005 / 41162]
>追伸:私は、明日から海外出張で3ヶ月程日本を離れます。その間にあなたが自虐史観から脱出していることを祈っています。

馬鹿は帰ってくるな(笑)

どうせ、オマエの事だ、名前を変えて、出てくるさ(笑)

海外へ出稼ぎか、、(笑)

11名の裁判官の中の一人の判決だけを取り上げるアホだな。
裁判の決定は裁判官の過半数以上の投票によって決定することが定められていた。これも日本国政府は承認している。

東京裁判をやり直したいのなら、天皇の戦争責任をも追及しなきゃならんだろうよ。(笑)

>日本は何故原子爆弾で被爆されたか

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/14 21:46 投稿番号: [6004 / 41162]
アメリカ軍は原爆投下目標を広島、小倉、新潟と決定していた。

広島と小倉の部隊はマニラ、シンガポール、インドネシアなどで、華僑の虐殺を行った部隊とされていた、と聞いている。その報復の為に家族に危害を加えたのだろうか?
新潟については知らない。

小倉のバスセンターを目標に原爆搭載機は飛来したが、雲が多く、目印であるバスセンターを発見できず、引き返す途中、長崎に原爆を投下したということを聞いています。

歴史共同研究 実証重視を貫け

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/14 21:21 投稿番号: [6003 / 41162]
■【主張】歴史共同研究   中国にも実証重視を貫け

  日韓歴史共同研究の報告書が公表され、日韓双方の学者の歴史に対する見方や考え方の違いが明確になった。

  最大の相違点は、日本の学者が実証的な研究を重んじているのに対し、韓国の学者の研究が政治的な主張から脱却できていない点だ。韓国併合や日本の朝鮮統治、戦後の日韓国交正常化などをめぐり、両国の学者の見解はことごとく対立し、その両論が報告書に併記されたことは興味深い。

  日本側の学者が韓国側の主張に引きずられず、日韓併合条約が合法的に成立したことや、日本統治が朝鮮半島に「豊かな大衆消費社会」をもたらしたことなどを堂々と主張したことは、評価されてよいだろう。

  真の歴史共同研究というものは、双方の社会が成熟し、言論や学問の自由が十分に認められた状態でなければ意味がない。韓国は民主国家であり、日本の統治を客観的に評価しようという動きも芽生えているが、それを許容する雰囲気は醸成されていない。

  金完燮(キムワンソプ)氏の『親日派のための弁明』は、韓国で青少年有害図書に指定されたままだ。戦前の日本統治が戦後の韓国の経済成長に影響を与えたとする米国の学者、C・J・エッカート氏の『日本帝国の申し子』は、日本で反響を呼んでいるが、韓国語訳はない。

  近く、第二期の日韓歴史共同研究が始まるが、日本側は今後も、こうした韓国の学問状況を把握し、安易な歴史認識の共有は避けるべきだ。

  先の日中外相会談で、日中歴史共同研究についても、日中両国が前向きに検討することで合意した。中国は日本や韓国と異なり、共産党独裁国家である。中国共産党の意に反した歴史観は一切、認められていない。政治的宣伝のためには、歴史的事実までねじ曲げようという国である。

  日中共同研究が実現すれば、日韓共同研究のとき以上に激しい対立が予想される。日本側は日韓共同研究の時のように、「南京大虐殺三十万人」など中国側主張の問題点を学問的に指摘していくことが重要である。そのための適切な人選が求められる。

  中国は学問の独立に敬意を払う国とは到底言いがたい。日本側はそのことを十分承知したうえで、あくまで実証研究重視の姿勢を貫くべきだ。


平成17(2005)年6月14日[火]
産経新聞

あー、いかん

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/14 20:13 投稿番号: [6002 / 41162]
ここは一旦引き揚げたはずでした   _(^^;)ゞ

>>>上海爆撃と南京大虐殺

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/14 19:23 投稿番号: [6001 / 41162]
>>南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。

>その通りである。しかし、失敗した。

違いない、少なくとも対外的にはいまだに成功していない。

>>上海爆撃と南京大虐殺

投稿者: longlivezhongguo 投稿日時: 2005/06/14 14:20 投稿番号: [6000 / 41162]
>南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。

その通りである。しかし、失敗した。

中山文部科学相は良くぞ言ってくれた!

投稿者: chestnuttreevalley2 投稿日時: 2005/06/14 14:19 投稿番号: [5999 / 41162]
朝鮮戦争当時の韓国軍は慰安婦達を伴っていたが、自国の事は非難されてはいないようだ。

更にベトナム戦争派遣韓国軍部隊は、数十万人の南ベトナム民衆を虐殺したのみならず、多数のベトナム女性慰安婦を伴い、万人単位の韓国人混血児を放置したまま帰国した。

この厳然たる事実は、韓国の歴史教科書には、一行一句たりとも記載されていない。

日本軍を稼ぎの対象とする追軍売春婦は居たが(その過半数は日本人売春婦)、日本軍に強制された「従軍慰安婦」という存在は後の世の捏造だといえる。

どうしても、「日本軍が強制連行した従軍慰安婦」として歴史教科書に明記、非難したいのなら、朝鮮戦争、ベトナム戦争で韓国軍が伴った、韓国人およびベトナム人売春婦の事も、「強制的に連行した、韓国軍の従軍慰安婦」として、自国歴史教科書にもチャンと明記すべきであろう。

>上海爆撃と南京大虐殺

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/14 06:11 投稿番号: [5998 / 41162]
>南京大虐殺に当てはめて言うなら、中国政府は自軍の戦争犯罪について、故意であれ誤認であれ、日本軍に責任転嫁して政治宣伝に利用しているということですから。

南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。
中国は占領直後には南京の実状を把握できる立場にありませんので、
当たり前なのですけど。


たとえば、小林よしのりの紹介ですっかり有名になった
「ニューヨークタイムズ   1月3日記事    安全区の敗残兵による攪乱工作」
ですが、   外国人発信を装っていますが、この情報の出所は明らかに日本側なのです。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/ousinrin.htm
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano126.html

1月25日の上海での日本軍記者会見での発表内容の事前リークと考えられます。
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano127.html


1.1937年12月末から、1月3日までの時期には、南京から外部への通信手段は
  日本側(軍)が独占しており、外国人、中国人が独自に情報発信することはない。
2.NY   1月3日記事の内容は、居留外国人の記録とは一致せず、
  日本軍の欧米向け記者会見の内容とだけ一致する。
3.日本側に該当する報道、記録が一切ないにも関わらず、外国人記者向けの
  発表だけが、軍によって行われた。

以上から、立ち始めた日本軍の悪評を打ち消すための、欧米向けの
プレス発表として、多分に創作された内容のものだったと考えられます。

戦時には双方とも、有利な材料は大きく、不利な材料は小さく、
時には、希望的観測を強調したり、幾分創作を交えたりして
発表しますので、   まあ、現代の我々まで、戦時宣伝の片棒を
担ぎ続ける必要はないということです。


自虐史観に陥ったyominokuni56へ

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/13 23:54 投稿番号: [5997 / 41162]
■ 自虐史観に陥ったyominokuni56へ

左巻き教師やマスコミ等により洗脳された哀れなyominokuni56さん、下記ホームページ「?????」を毎日繰り返し、読んで早く、自虐史観から抜け出してください。

追伸:私は、明日から海外出張で3ヶ月程日本を離れます。その間にあなたが自虐史観から脱出していることを祈っています。

★「?????」
     ↓
http://www6.plala.or.jp/mwmw/kotoba.html

ご都合主義でごっちゃにしてはいけません

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/13 23:46 投稿番号: [5996 / 41162]
>講和条約も受け入れなきゃ良かったんじゃありませんかね

日本は「日本の主体性を守り続けるため」に戦い続けてきました。

しかし、陰謀の首謀者たちによって、日本は「絶滅の危機」に瀕しました。
(原爆投下計画も2発で終わりではありませんでした。)

ところが、日本政府首脳が当事者能力を喪失しており、立憲君主制の君主としての立場を守り続けてきた「天皇」がそれを破ってまで「終戦の決断を下した」わけです。

「不服なら払わなければ良かった」
「講和条約も受け入れなきゃ良かった」
と言いますが、これ以上戦い続けることは「日本および日本人そのものの存在」を危うくします。

つまり、「日本国の主体性」を取ることより「日本国民の生命」の方を優先したということです。


>それとも四国も九州も分断され、オーストラリアと中国に統治された方が良かったと、、、?そんなこと無いでしょうね

日本(天皇)の決断が「通常の物」かと言えばそんなことはありません。むしろ奇跡に近い出来事です。

通常は、権力者は自らを守ろうとして最後まで自軍に戦闘をやめさせないものです。
(例えば、イラクでフセインは自軍に最後まで抵抗をやめる事を認めず、結局イラクを「未だいつ果てるともない混乱の局地」に追い落とし、自分も逃亡生活の末惨めに逮捕されました。)

一方、日本では天皇が抵抗をやめる旨を全国民に自らの声で直接伝え、日本軍は一切の抵抗も無く連合軍に「無血占領」を認めました。天皇も自らの命を敵の総司令官にゆだねました。
また、東京裁判でも、日本の指導者たちは皆自分の命を省みず、「日本の正論」を堂々と述べました。

通常は無血占領などありえませんし、まず自分の身の安全を考えるものです。
これらの態度は「歴史の教科書に載せるべき立派な態度」だと言えます。


>戦勝国の判断で訴追は免れたようですね(笑)これは追求はしないのでしょうかね(笑)

このような態度を正しく評価できる人物は、連合国にも多くいました。
また、東京裁判を通じて「真の犯人」であり「真の敵」が別にいることに占領軍の首脳部の多くが気づいたことが大きかったと思います。

そして結果的に「天皇は裁かれずに済み」日本も「速やかに国際社会に復帰すること」につながったということです。


>こういうのをご都合主義とでもいうのでしょうね(笑)

それは「アメリカやその他連合国の普通の人間」と「陰謀を企てたアメリカや中国や日本の一部政治家やコミンテルンのスパイや親中反日勢力」をごっちゃにしているからにすぎません。

きちんと分けて見直せば、なんら矛盾していないことに気づくはずです。

(ちなみに真犯人たちは日本占領や東京裁判の表舞台には登場せず、かわりに「フィリピンで日本軍に酷い目に遭ったマッカーサー」を「占領軍の最高司令官」に、「オーストラリアで日本軍に酷い目に遭ったウェブ」を「極東軍事裁判の裁判長」に選ぶというように、「日本に恨みを持つ者たちに代わりに日本をリンチさせようとした」ということです。)


>東京裁判も日本に制裁を加えたモノだと言いたかったのじゃないのか?

というより、国際的に日本が行ったことが罪なら、中国の侵略も周辺国の吸収支配も戦争も罪だということです。

日本がやったのが国際的に罪なら他国がやっても罪、他国がやっても罪でないなら日本がやっても罪でないだけです。


>国際連盟での42対1の決議による制裁だよ。

これは「リットン調査団の勧告についての決議」です。
それが日中戦争や太平洋戦争とごっちゃになっています。
日本の侵略を審議した東京裁判では、結局満州は(どのように)扱われていましたか?

何のこっちゃ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/13 23:17 投稿番号: [5995 / 41162]
>あ、そうそう、
>でりちゃん   m9(^_^)
>チャイナジャーナルの翻訳は、私の著作物なので、無断引用するなよ   (^^

俺の翻訳は、そんなに下手ではない。


>釈明は軍カテでゆっくり聞いてあげるから
>心配するな   (^◇^

釈明って何のこっちゃ?
支那軍機は、避難民でごった返していた場所をわざと狙ったとしか考えられない。
いい加減に諦めろ。
チャイナジャーナルの記事は詳しいが、詳しい分だけ益々支那軍の仕業である確信が強まる。
墓穴を掘っているようなものだよ。


>長機の操縦士はちょうど南京路がバンド(租界の川沿いはそう呼ばれた)と交わる地点の上空で爆弾を放してしまったが、そこは「出雲」からゆうに1/4マイルは離れていた。
>必殺の投弾の一つはパレスホテルを直撃し、上方の階を破壊して、そこにいた多くの中国人を殺した。もう一つはパレスホテルとキャセイホテルの間の南京路に落下し、主に女性と子供である中国人避難民の群れの間に死と破壊を撒き散らし、この地区の街路に立ち並ぶ豪華な商店のウィンドウを吹き飛ばして、多数の自動車に火を付けた。
>何人かの外国人もこの場所で命を落とし、傷ついた。

こいつは被弾もしてもいないのに、放った爆弾の一つは「出雲」から500mぐらい離れたパレスホテルを直撃し、もう一つは女子供でごった返す避難民のど真ん中に落下させたわけだ。
それで、もう一機は被弾したのに戻って来て、常時最も混雑しているチベット通りとエドワードVII通りの巨大な交差点のど真ん中に命中させたわけだ。
ぷ♪


>なぜこれらの爆弾が混雑した地域に放たれたのかという点について、見解は食い違っている。

食い違うのも無理はない。
誰しも、すぐには、支那軍機がわざと狙ったとは信じたくないだろうから。

上海爆撃も結論済みだが・・・

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/13 23:10 投稿番号: [5994 / 41162]
>「シブミ」のリサーチの信憑性に関わることなんだから、も少し真摯になれない?

ハイ、ハイ。
でも、まあ、支那軍の爆撃によって破壊されたパレスホテルの写真に「日本空軍の爆撃による破壊」と説明を付けた笠原十九司みたいな似非学者よりは遥かにマシだけどね。


>「すぐ窓側に行き、黄浦江の上空を眺めると、マルチン爆撃機の五機編隊で、・・・

マーチン爆撃機5機以外にノースロップ機も出撃していたことはあり得ないの?


>「具体的な根拠なんてなくたって、支那人だから卑怯なことをやったに違いない」
と、言いたいわけか。

具体的な根拠は『シナ大陸の真相』で述べられているから、俺は説得力を増大させるために『シナ大陸の真相』執筆後の支那軍の行動パターンを述べたのだよ。

重慶爆撃の結論

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/13 23:03 投稿番号: [5993 / 41162]
>大規模な都市無差別爆撃を受けた国の国民としては、そういう割り切りには
>釈然としないものがあるよな。


重慶爆撃の規模――1939年〜1943年の5年間で死者数1万1889人。

被害の大きかった1939年5月の重慶爆撃――市街地の周辺に数十門の高角砲があった。

最初から住民大虐殺(実験、宣伝)を目的とした広島・長崎への原爆投下や東京大空襲などと同列に語るのは大間違い。

日本は何故原子爆弾で被爆されたか

投稿者: chjpyuukou 投稿日時: 2005/06/13 22:45 投稿番号: [5992 / 41162]
日本は何故原子爆弾で被爆されたか、その理由は日本人たちに教えてもらいたい。良心がある人の話だけ聞きたいです

上海爆撃と南京大虐殺

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/13 22:42 投稿番号: [5991 / 41162]
  軍事作戦面での詳細な分析が展開されていますが、上海爆撃については、上海に落とされた爆弾はイタリア製であり、この時点で日本軍に対して爆弾を供与していないことをイタリアは認めていて、それにも関らず、中国は上海爆撃を日本の仕業と宣伝していた、これが現在判明している事実ですね。
  故意か誤爆かは関係ありません。
  この中国政府の責任転嫁のあり方こそ、その後の歴史歪曲の象徴でしょう。
  仮に国民党政府が本当に日本軍の仕業だと信じていたとしても、国民党政府は、数少ない空軍戦力が行ったことにも関らず、また状況を注視していた自国領土内の大都市における出来事であるにも関らず、自軍の犯罪行為または犯罪疑惑のある行為を把握できておらず、悪事を全て日本軍の所為にしていたということですから、悪辣さは同じです。
  南京大虐殺に当てはめて言うなら、中国政府は自軍の戦争犯罪について、故意であれ誤認であれ、日本軍に責任転嫁して政治宣伝に利用しているということですから。
  この点こそが、上海爆撃事件を論じる際の要点だと思いますよ。

南京問題とキーセン問題の捏造について

投稿者: jptmd2oo4 投稿日時: 2005/06/13 22:03 投稿番号: [5990 / 41162]
変な言い方をしないようにしましょう。

たとえば南京大虐殺問題とか慰安婦問題とか。

正しくは、捏造された南京問題。

正しくは、朝鮮キーセン娼婦問題。

朝鮮人の売春斡旋業者に騙されたかたがたにはお気の毒だけど、
売春斡旋業者に騙された責任を日本に擦り付けてはいけません。

そうそう、 でりちゃん

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/13 20:26 投稿番号: [5989 / 41162]
釈明は軍カテでゆっくり聞いてあげるから

心配するな   (^◇^

キャセイホテルと出雲の距離

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/13 20:00 投稿番号: [5988 / 41162]
さて、上記の報道によると爆弾の落下地点は“「出雲」からゆうに1/4マイルは離れていた。”
ということなので、多分500m程度、明らかに1km以下ということになろうかと思います。

当日の「出雲」の停泊位置について明確な資料の持ち合わせがありませんが、
ケンゲルバッヒャー撮影の1937年の写真では、黄補江の大きく彎曲する辺り
ガーデンブリッジの対岸あたりに錨泊していると推定されます。
http://www.japan-guide.com/a/shanghai/image.html?1
目分量で1kmぐらい向こうの背景に上海税関と香港上海銀行らしきものが
写っている点から、まず間違いないと思います。

これが正しければ、爆弾の落下した「南京路がバンドと交わる地点」からの距離は
上記記事通り500m強ということで、問題ないのではないでしょうか。

あとは、投弾が間違いなのか故意なのかという点ですが、
どっちにしても状況からの推測でしかありません。
私は、中国空軍機が出雲への爆撃行動に入って被弾したことは多くの人に目撃されており、
出雲への爆撃行動は実際に行われたとしか考えられません。

実際に被弾してまで、爆撃するふりをして市街地をわざわざ爆撃するというのは
なかなかやろうったって出来るものではないと思います。

もちろん、その可能性がゼロだとは言いません。
どちらが蓋然性が高いかの問題でしかないのです。
中国軍機のパイロットの腕は上記記事の通りですから。


トピズレじゃという批判が来そうなので、私は一旦
軍カテに戻ります    (^_^)/~~

「ああ梅林中尉」     ↑





あ、そうそう、
でりちゃん   m9(^_^)
チャイナジャーナルの翻訳は、私の著作物なので、無断引用するなよ   (^^

チャイナジャーナル37年9月号

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/13 19:56 投稿番号: [5987 / 41162]
一度抜粋を引用したのですが、省略があったのと、誤訳に気付いたので
8月14日の爆撃部分の逐語訳を掲載します。
これが、当日起きたことの同時代の報道です。

チャイナジャーナル   1937年   9月号記事
「4時30分、さらに3期の中国爆撃機が共同租界の繁華街の上空を、西から東へ「出雲」に
向けて飛行した。
これらは濃密な対空砲火に遭遇した。   長機の操縦士はちょうど南京路がバンド(租界の川沿いはそう呼ばれた)と交わる地点の上空で爆弾を放してしまったが、そこは「出雲」からゆうに1/4マイルは離れていた。
必殺の投弾の一つはパレスホテルを直撃し、上方の階を破壊して、そこにいた多くの中国人を殺した。もう一つはパレスホテルとキャセイホテルの間の南京路に落下し、主に女性と子供である中国人避難民の群れの間に死と破壊を撒き散らし、この地区の街路に立ち並ぶ豪華な商店のウィンドウを吹き飛ばして、多数の自動車に火を付けた。
何人かの外国人もこの場所で命を落とし、傷ついた。
他の一機の中国爆撃機は、明らかに対空砲火の弾片が直撃していたのだが、旋回し、北西方向に進んだ。   機が、常に上海で最も混雑しており、まさにこの時巨大な難民の人波でいつもよりひどく混み合っていた西蔵路と愛多亜路の交差点の上空にあるとき、観衆は二つの爆弾が放たれたのを見て恐怖した。
これらはほぼ正確に巨大な交差点の中央に落下し、一つは地面を直撃して巨大な穴を穿ち、もう一つは地面から数フィート上の中空で爆発した。その結果はそれ以前に人類の誰も目にしたことがないような種類の虐殺の光景であった。
一瞬のうちに千を越す人々がこの死の一撃を受け、多くが広場をおそった恐るべき爆風で粉々に引き裂かれ、多くが原形をとどめないほどに切り刻まれた、手や足や頭部さえもがあらゆる方向に撒き散らされたのである。
何十台もの自動車が屑鉄になり、爆弾の破片で穴だらけになるか火が点いて、乗員は黒こげになった。
頭上の電線は爆発で寸断され、鞭となって路上を薙ぎさらなる破壊をもたらした。
ここで死んだ者の他に何百という人々が傷つき、裏道まで這って逃れ、そこで息絶えた。
ここでもさらに何人かの外国人が死んだ。
なぜこれらの爆弾が混雑した地域に放たれたのかという点について、見解は食い違っている。
中国の公式声明は対空砲火により爆弾架が損傷したというものであり、これに反対するこの悲劇的出来事の目撃者の一般的な見解は、弾片を受けて理性的判断を失った操縦士が、明らかに競馬場付近の空き地に爆弾を落とそうとして、これを取り除くために努力したが、投下してしまったというものだ。
彼は、続いて損傷した機体を中国側の占領地域に着陸させることに成功したが、着陸の際に機体はぺしゃんこにつぶれてしまったと報告されている。
したがって、爆弾架が本当に損傷していたかどうかは永久に判らない。
「血の土曜日」として知られるようになった上海への爆弾落下による死者の総数は1200を越え、負傷者は300から400と見られる。
こうして上海は日中の宣戦布告なき戦いの直中にあることに手荒く目覚めさせられることになったのである。」
http://www.talesofoldchina.com/journal/193709/370301.htm

>訂正

投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/13 12:33 投稿番号: [5986 / 41162]
お説のとおりとしても、パレスホテル、キャセイホテルは南京東路の入り口あたりとなる。軍艦「出雲」は、たとい日米戦争時期の停泊場所に在ったとしても、南京東路の入り口から1kmは離れていた。爆撃の狙いが外れたにしては、外れが大きすぎる。

上海外灘

投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/13 11:51 投稿番号: [5985 / 41162]
>1930年代の外灘の写真があります。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=177;id=imgbord#17 7
___________________________________

外灘とか黄浦灘路とは1940年当時の日本人居留民がバンドと呼んでいた。

バンドの写真は1930年代とのことだが、1940年代でもほぼ同じである。全く同じかも知れない。

日米戦争の間中、日本軍艦「出雲」が停泊していた場所は、ガーデンブリッジよりももっと右側で、この写真の範囲外である。蘇州河以南地区は、1937年の上海事変ては中立地区であった。但し蒋介石軍の飛行機の爆弾がこの地区に落ちた。日本の軍艦はこの写真に写っている水域に進入しなかったはずである。

訂正

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/13 08:04 投稿番号: [5984 / 41162]
>>現在の和平飯店がキャセイホテル、その向かいの友邦大厦が
パレスホテルだと思うのです。

パレスホテルは現在の和平飯店南楼ですね。
友邦大厦は旧のノースチャイナデイリーニューズ社になるのかな。
http://www.his-hotel.com/asia/sha/sha_rkg.php

枝葉末節にズレてますけど,折れてるよ

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/13 06:16 投稿番号: [5983 / 41162]
>中国共産党の首脳が過去の歴史において日本が一方的に非難されるべきものではないという見解を公に明言したわけだから、その後継政府の連中が、先人がいなくなってから今更に反省だとか謝罪だとかとやかくいう資格はないといってるんだよ。


おまえはホントに義務教育を終えたのか?
物事を順序立てて考えたことあるの?

かなり程度が低いよ、、普通こういうのは馬鹿と相場はきまってるよ(笑)

ずれとかで済む問題じゃないよ、病院行っても直らんな、、アホ以下じゃ(笑)

あほの一つ覚え(笑)

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/13 06:12 投稿番号: [5982 / 41162]
ごめん、ごめん、悪かったな(笑)

アホと馬鹿の2つ覚えだった、勘違いしてて、ゴメンネ(笑)

これでいいか、、

オマエがどこまで責任もって書いていると、、?笑わしてくれるじゃないの。
このペテン師が、、(笑)

>どこも条約違反は犯していません(笑)

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/13 06:09 投稿番号: [5981 / 41162]
>なぜ、戦時賠償金を支払ったのでしょうか?なぜ絞首刑となったのでしょうか?

>何度言わせるんですか
その「首謀者が裁判を主催してる」んですが。(笑)
ですから当然の結果です。

こういう馬鹿をいつまで、繰り返すつもりなんでしょうな(笑)
不服ならば払わなきゃいいでしょう。
講和条約も受け入れなきゃ良かったんじゃありませんかね。そして、東西2分割され、東はソ連、西はアメリカと分断統治されただけでしょうね。
それとも四国も九州も分断され、オーストラリアと中国に統治された方が良かったと、、、?そんなこと無いでしょうね(笑)


>>なぜ、天皇は裁かれなかったのでしょうか?

>天皇自身はマッカーサーを訪ねて「あなたにゆだねるからどう処してくれても構わない」と自分の処分をマッカーサーに委ねていますから、これはマッカーサー(GHQ)側の判断です。

戦勝国の判断で訴追は免れたようですね(笑)これは追求はしないのでしょうかね(笑)
こういうのをご都合主義とでもいうのでしょうね(笑)

>中国に対しては制裁を行ったもので植民地にするとは日本は言っていませんね。
つまり。どこも条約違反は犯していません

あはっはっっはは(大笑)
東京裁判も日本に制裁を加えたモノだと言いたかったのじゃないのか?(笑)
そうだよ、日本の悪行を裁き制裁を加えただけのモノだよ、、そうだとしたら、、国際条約、国際法には触れないのだろう?(笑)

支離滅裂だな(笑)

国際連盟での42対1の決議による制裁だよ。
侵略戦争を糾弾したのだよ。

はあ、なるほど 2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/13 05:41 投稿番号: [5980 / 41162]
>どうでも良いことだが、8月14日に支那軍が行った爆撃にノースロップ機は使用されなかったの?

どうでもいいって・・、自分が自信を持って出した資料なんだろ。
「シブミ」のリサーチの信憑性に関わることなんだから、も少し真摯になれない?

松本重治氏が「上海時代」の中で、自分の目で見た様子を
「すぐ窓側に行き、黄浦江の上空を眺めると、マルチン爆撃機の五機編隊で、「出雲」めがけて進んでいるではないか。私の肉眼では、編隊の高度はだいたい六、七百メートルとみた。」
と、書いているところから、この時使われたのは中国が9機購入した
マーチンB−10爆撃機の対中輸出型Martin 139WCだろうね。
http://www.marylandaviationmuseum.org/images/PC002-031_139WC.gif
http://www.marylandaviationmuseum.org/history/martin_aircraft/08_b10.html

また、「五機のうち一機の急所に高射砲の弾が命中したらしい。その一機が隊伍を乱すかと見ると、中国空軍の射手らしいものが、真っ逆さまに降ってきて黄浦江にじゃぶん。」
と、あるので、射手が機体から落下するような構造の銃座が付いていることが判る。
だから、ノースロップ単葉じゃあない。
http://www.airminded.net/alpha/Gamma.jpg


>そして、俺の結論

あー、要するに
「具体的な根拠なんてなくたって、支那人だから卑怯なことをやったに違いない」
と、言いたいわけか。

私はね、
「根拠なんかなくたって、日本人なんだから悪いことをしたに違いない」
なんて言われるのはいやだし、そういうことを言う外国人を見ると
その人の知性とか人間性が疑われて悲しくなってくるのだけどね。

でりちゃんはそうではないのだね。



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