重慶爆撃、上海爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 23:35 投稿番号: [5927 / 41162]
しかし、まあ、よく付きまとうものだ。
本当にちんぴらだな。
>当時の重慶というのは中華民国の「抗日首都」のわけですから、
>そういう意味では援蒋ルートの終点と言うことになります。
>「或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
>の部分を、「援蒋ルート終端の破壊」と解釈すれば出来ないこともないでしょう。
了解。
>「・・・ 目標ハ両戦隊共重慶市街中央公園、都軍公署・・公安局県政府ヲ連ヌル地区内トシ副目標ヲ重慶飛行場トス 爆弾は百瓩以上ノモノヲ使用スヘシ」
中央公園内に支那兵が大勢居たかもしれないし、対空砲台があったかもしれないし、その他何らかの軍事施設か何かがあったと考えるのが普通だろ。
>>重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編)によると、犠牲者は、1938年から1943年の約5年間で1万1889人です。
>・・・(民國二十八年度四川各地空襲損害統計表)とか
>「最初の晩に一万人が焼き殺された」(マーチン・ケイディン 「日米航空戦史」)
>とか言われる事実とも相違しています。
支那側の資料『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)に、犠牲者は1939年〜1943年の5年間で1万1889人と書いているのに、「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」とか「日米航空戦史」(マーチン・ケイディン、1967年)とか頓珍漢な資料を引っ張り出して来るな、ちんぴら。
4年前の「人民日報」でさえ、『重慶抗戦紀事』の統計数字を採用している。
―――――――――――――――――――
更新時間:2001年06月06日16:15(北京時間)
歴史的記録フィルム、「重慶大爆撃」を重慶で初めて放映
5日午前、重慶紅岩革命記念館は、歴史的記録フィルム「重慶大爆撃」を一般市民に向けて初めて放映した。
6月5日は、重慶市民にとって忘れられない日である。60年前のこの日の夜、日本軍の爆撃機24機が3編隊に分かれ、連続5時間以上にわたり重慶市内を爆撃した。驚いて避難した市民らが防空壕の中で窒息状態となり、2500人以上が死傷する事件が起きた。
今年4月、紅岩革命記念館の関係者が北京を訪れ、中国共産党・中央南方局の資料を閲覧中に「重慶大爆撃」に関する記録フィルムを発見した。関係者らは、膨大な記録フィルムを51分に短縮し、再編集した。
フィルムには、当時の日本軍が「戦争の功績」を誇示するために撮影した5年半におよぶ重慶市街への戦略的な爆撃(歴史上「重慶大爆撃」と呼ばれる)が鮮明に映し出されている。統計によると、この間に、日本軍は延べ218回にわたり爆撃を繰り返し、延べ9513機を出動させて2万1593発の爆弾を投下し、市民1万1889人が死亡、1万4100人が負傷、1万7608戸の家屋を爆破した。
「人民網日本語版」2001年6月6日
http://j.people.com.cn/2001/06/06/jp20010606_6193.html
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>故意にホテルやデパートを狙ったという電波説は放棄したんじゃあなかったのかな?
他人の主張まで捏造するな。
でっち上げるのは、南京事件だけにしろ。
俺は、百万歩譲って、「ホテルやデパートに命中することも想定した上で、ホテルやデパートが建ち並ぶ繁華区をわざと狙った。いずれにせよ、民間人と外国人が大勢いる場所を狙った。」という旨を述べただけだ。
事実は、ホテルやデパートをわざと狙ったのだと確信している。
#5396、#5397
思考に誠実さを持て!
8月14日に支那軍がパレスホテルとキャセイホテルを爆撃した時も、8月23日に再びシンシアーとウイン・オンデパートを直撃した時も、支那政府の宣伝広報局は、日本軍機から投下されたと発表した。
何故、そんな嘘を吐いたんだ?
最初から支那軍は、市民を爆撃して、日本軍の仕業にして宣伝したかったとしか考えられないだろ?!
後に長沙で街全体を焼き払ったときと同じ動機だ。
#5586
本当にちんぴらだな。
>当時の重慶というのは中華民国の「抗日首都」のわけですから、
>そういう意味では援蒋ルートの終点と言うことになります。
>「或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
>の部分を、「援蒋ルート終端の破壊」と解釈すれば出来ないこともないでしょう。
了解。
>「・・・ 目標ハ両戦隊共重慶市街中央公園、都軍公署・・公安局県政府ヲ連ヌル地区内トシ副目標ヲ重慶飛行場トス 爆弾は百瓩以上ノモノヲ使用スヘシ」
中央公園内に支那兵が大勢居たかもしれないし、対空砲台があったかもしれないし、その他何らかの軍事施設か何かがあったと考えるのが普通だろ。
>>重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編)によると、犠牲者は、1938年から1943年の約5年間で1万1889人です。
>・・・(民國二十八年度四川各地空襲損害統計表)とか
>「最初の晩に一万人が焼き殺された」(マーチン・ケイディン 「日米航空戦史」)
>とか言われる事実とも相違しています。
支那側の資料『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)に、犠牲者は1939年〜1943年の5年間で1万1889人と書いているのに、「民國二十八年度四川各地空襲損害統計表」とか「日米航空戦史」(マーチン・ケイディン、1967年)とか頓珍漢な資料を引っ張り出して来るな、ちんぴら。
4年前の「人民日報」でさえ、『重慶抗戦紀事』の統計数字を採用している。
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更新時間:2001年06月06日16:15(北京時間)
歴史的記録フィルム、「重慶大爆撃」を重慶で初めて放映
5日午前、重慶紅岩革命記念館は、歴史的記録フィルム「重慶大爆撃」を一般市民に向けて初めて放映した。
6月5日は、重慶市民にとって忘れられない日である。60年前のこの日の夜、日本軍の爆撃機24機が3編隊に分かれ、連続5時間以上にわたり重慶市内を爆撃した。驚いて避難した市民らが防空壕の中で窒息状態となり、2500人以上が死傷する事件が起きた。
今年4月、紅岩革命記念館の関係者が北京を訪れ、中国共産党・中央南方局の資料を閲覧中に「重慶大爆撃」に関する記録フィルムを発見した。関係者らは、膨大な記録フィルムを51分に短縮し、再編集した。
フィルムには、当時の日本軍が「戦争の功績」を誇示するために撮影した5年半におよぶ重慶市街への戦略的な爆撃(歴史上「重慶大爆撃」と呼ばれる)が鮮明に映し出されている。統計によると、この間に、日本軍は延べ218回にわたり爆撃を繰り返し、延べ9513機を出動させて2万1593発の爆弾を投下し、市民1万1889人が死亡、1万4100人が負傷、1万7608戸の家屋を爆破した。
「人民網日本語版」2001年6月6日
http://j.people.com.cn/2001/06/06/jp20010606_6193.html
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>故意にホテルやデパートを狙ったという電波説は放棄したんじゃあなかったのかな?
他人の主張まで捏造するな。
でっち上げるのは、南京事件だけにしろ。
俺は、百万歩譲って、「ホテルやデパートに命中することも想定した上で、ホテルやデパートが建ち並ぶ繁華区をわざと狙った。いずれにせよ、民間人と外国人が大勢いる場所を狙った。」という旨を述べただけだ。
事実は、ホテルやデパートをわざと狙ったのだと確信している。
#5396、#5397
思考に誠実さを持て!
8月14日に支那軍がパレスホテルとキャセイホテルを爆撃した時も、8月23日に再びシンシアーとウイン・オンデパートを直撃した時も、支那政府の宣伝広報局は、日本軍機から投下されたと発表した。
何故、そんな嘘を吐いたんだ?
最初から支那軍は、市民を爆撃して、日本軍の仕業にして宣伝したかったとしか考えられないだろ?!
後に長沙で街全体を焼き払ったときと同じ動機だ。
#5586
これは メッセージ 5917 (ja2047 さん)への返信です.