南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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◆検証 南京大虐殺捏造の背景④

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 21:54 投稿番号: [38806 / 41162]
共栄圏をつくろうとした日本

  一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
  日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
  その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
  だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
  汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。その象徴が上海です。日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
  ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
  一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
  もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。
  日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
  それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らは略奪で生計をたてていたのです。
  また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
  このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
  しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
  そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
  日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
  またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
  以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載したとき、ある日本人は「こんなことがあったなんて知りませんでした。一般に世間で言われていることと何と違うでしょう」と言いました。しかし、日本に留学しているある中国人クリスチャンが手紙をくれたのですが、こう書いていました。
  「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってください」
  中国人も、知っている人は知っているのです。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景③

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 21:53 投稿番号: [38805 / 41162]
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
  日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
  ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、
  「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
  といった内容の声明を出しています。

この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、
  「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
  と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
  けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景②

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 21:53 投稿番号: [38804 / 41162]
本当の人民解放軍は日本軍だった

また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
  中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
  つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
  それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
  一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
  日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
  本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
  日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
  それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。

農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
  日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
  日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
  これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
  中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
  ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに残虐非道であったかよく知っています。

◆検証 南京大虐殺捏造の背景①

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 21:52 投稿番号: [38803 / 41162]
中国民衆を虫けらのように殺した中国軍

中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
  中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん   殺戮される民)と呼んでいます。
  たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
  しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
  「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
  と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
  この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
  堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
  こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。いや、共産軍はもっとひどいものでした。共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
  中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
  ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
  日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。
  むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
  つまり中国兵が中国兵を殺したのです。中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
  また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
  日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。

◆パール判事の慧眼

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 21:02 投稿番号: [38802 / 41162]
ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)

要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。・・・・私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)

「日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていく」

・・まさにパール判事の危惧した通りになってしまった・・・


卑屈、頽廃に流された成れの果てが   ここのバカサヨ連中だ。


特にワダツミ21とやらのの卑屈さは救い難い。


こいつらはもう救いようがないが   「新しい日本人」の為にも


『あやまられた歴史は書き変えなければならない!』
     byラダ・ビノード・パール

◆歴史の真実 「もし日本なかりせば」

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 21:02 投稿番号: [38801 / 41162]
暗愚の村山内閣時代、国賊土井たか子をはじめワダツミ並みのお馬鹿政府関係者が群をなして東南アジアへ「謝罪行脚」したとき、 それを迎えた側の反応はどうだったか?

何も言っていない先からいきなり頭を下げて「戦争中はご迷惑を・・・」と謝る馬鹿共にに、マレーシアのマハティール首相も フィリピンのラモス大統領も台湾の李登輝総統も打合せをしたわけでもないのに、全員口をそろえて

「過去はどうでもいい」「これからが大切である」 という返事をしたという。

マハティール首相に至っては、日本の国連常任理事国入りを支持し、

「日本の成功は東南アジアに大きな自信を与えた。日本の進出が 無ければ欧米の世界支配はさらに続いていただろう。」と述べられている。又、日本の戦争責任についても「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、 非人間的な支配と収奪を続けた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来た事で植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」と発言されている。 以下は、「SAPIO」誌99年4月14日号に載った氏の演説の抜粋である。

「日本は軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなく コストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用出来るようにしたのは日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡ともいえる成果を作り出したのだ。

日本の存在しない世界を想像してみたら良い。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、 欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国はその価格を押し付けられていただろう。

(中略)

もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していただろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたといっても過言ではない。 北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配した事だろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう。

このシナリオには異論もあるかもしれない。だが、十分あり得る話である。日本がヨーロッパとアメリカに投資せず、資金をすべて国内に保有していたらどうなるかを 想像すれば、その結果は公平なものになるのではないだろうか。ヨーロッパ人は自国産の製品に高い価格を支払わねばならず、高級なライフスタイルを送る余裕がなくなるだろう。

東アジア諸国は、自国民だけでなく世界中の貧困者の生活の質を高めた。東アジア諸国の成功は魔法のおかげではない。日本が成し遂げた事を、東アジアの他の国々も 程度の差こそあれ達成する事が出来たのである。同様に、ヨーロッパ諸国もそうする事が出来る。

その成功の主な要因は、高い生活水準を維持する余裕の無い時期には低い生活水準を受け入れようとする意思である。東アジア諸国は進んでそうしている。無理して 高い生活水準を維持すれば、競争力を失ってしまう。むしろヨーロッパ人のほうが、自分たちのやり方が賢明なものかどうか自問し、現実を受け入れなければならない。 そうすれば、ヨーロッパと東アジアは相互の利益のために協力することができる。ただし、どのような事情があっても、東アジアの成長を止めることは出来ない。 東アジアには発展する権利があるのだ。」

◆笑うに笑えないwadatumi_voice21の珍論

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 20:55 投稿番号: [38800 / 41162]
相も変わらずお馬鹿投稿を繰り返す wadatumi_voice21なる反日バカサヨが以前、こんな珍論を披歴していた。

『他国を   武力を用いて   攻撃・占領するためには、
少なくとも   「軍事力の脅威を排除する」という口実が必要だ。
軍事力を持たない日本には   「脅威」は   存在し得ない。』

      by wadatumi_voice21



戦争をするのに「少なくとも軍事力の脅威を排除するという口実が必要だ」などというおバカ丸出しの物言いにも呆れるが、

「軍事力を持たない日本には   「脅威」は   存在し得ない」

に、いたっては笑いを止めるのに苦労するが、笑ってばかりもいられない。
なにせ本人は「本気で言っている」のだから・・・

なぜこのようなバカげた珍論を大真面目に語るのか?
それは、wadatumi_voice21をはじめとする頭空っぽのバカサヨが「御バカ念仏平和主義者」であるからに他ならない。

例えば日本がどこかの国に攻められる。そして占領される。そして「日本国憲法」が停止されるということは、世界の歴史を見れば、充分に考えられることである。するとそういうことがないようにはどうすればいいかというと、当たり前の話だが、そのための軍隊を持っておく。つまり憲法を護るための軍隊を持っておくということである。これはバカ以外は当然そう考えるから、どこの国でもちゃんと憲法に規定された軍隊がある。永世中立国といわれるスイスにもある。いや、むしろ自前のしっかりした軍隊があるからこそ、永世中立を掲げることが出来るのである。ところがバカだけは、軍隊があると戦争を呼ぶんじゃないか。だからないほうがいい。しかしまったくないのも不安だから、軍隊とは呼ばずに「自衛隊」といおうと。内容でも変わっているのかというと、全然変わっていない。ただ、言葉で誤魔化しているだけである。

自衛隊は常識的に見れば、どこの国の誰が見ても、軍隊である。しかし、軍隊といわずに自衛隊という。日本には軍隊はないんだと安心する。だけど自衛隊はある。またそれで安心する。こういう奇妙な言葉の上での誤魔化しの二重構造の上にバカの論理(「日本に軍事力は無い」)は成り立っているのである。

「雨が降ると言えば雨が降るという世界」では、日本に軍隊はありませんといえば、無いんです。実際にはあっても、それはどう見ても軍隊じゃないかというものがあっても、言葉の上だけで打ち消しておけば、無いんです。そして、そのことによって安心する。

全くもって呆れ果てて屁も出ないとはこのことである。

散るぞ悲しき―改ざんされた訣別電文(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 20:09 投稿番号: [38799 / 41162]
最近、映画や出版物で   硫黄島の戦闘がクローズアップされたが、
栗林の   最後の電文が   軍部によって   改ざんされた意味を、
もういちど   考えるべきであると思う。

戦争を知らない自分には、最初、栗林の訣別電報の文言は、
一見すると、いかにも   軍人らしい   美文に   思えた。
しかし、
改ざん電文の内容を知り、さらに   硫黄島戦の生存者の証言を聞き、
多くの資料を調べるうちに、訣別電報に込められたものが見えてきた。
そこから、あの時代が見え、戦場が見え、「皇軍」   が見えてくる。

「玉砕」という   美しい言葉、「皇国の必勝と安泰」   という大義、
「全員壮烈なる総攻撃」   という   勇壮で華々しい最後を描く言葉、
皇軍の   大本営発表による   こうした数々の粉飾された言葉からは、
本当の   「戦場」は   見えてこない。

いまなお、ヤスクニが垂れ流す   大本営そのままの言葉も
まったく同じだ。   そこでは、兵士の   本当の苦しみや悲しみは、
すべて   消去され、都合よく   改ざんされているのだ。

ヤスクニは、栗林の電文を改ざんした「皇軍」を   美辞麗句によって
褒め称え、「神」   として   祭りあげている。
そして、この場所に   「兵士が残した言葉」として展示されているのは、
すべて   「皇軍」が   厳しく、細かく検閲して、許可したものしかない。
特攻隊員の手紙も、遺書も、すべて   軍部の検閲が許可した文書だ。
些かでも   戦争への疑問や批判めいたことを書くことは許されなかった。

家族に   戦地から   41通もの手紙を書き、長文の戦訓電報をしたため、
こまめに感状を出して部下の武勲が上聞に達するよう取り計らった栗林は、
最後まで   “伝える意志”を   持ち続けた人物だった。

その意志は、訣別電報の、まさに   一字一句に   あらわれている。
いま   軍部が改ざんしたものと比較しながら   その原文を読むとき、
栗林が   現代に向けてメッセージを送り続けているように思えてならない。
60年余の歳月をこえて、同時代の人々とともに、
彼が伝えようとしたことを   真摯に受け止めたい   と思う。

散るぞ悲しき―改ざんされた訣別電文(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 20:07 投稿番号: [38798 / 41162]
栗林の   絶唱ともいえる   訣別電報の電文を、
皇軍の大本営は   改ざんして   新聞発表した。
昭和20年3月22日付の新聞各紙は、大きく硫黄島の陥落を報じた。
そして、各紙とも   「訣別電報」   の電文を   掲載したが、
それは   次のような   文章となっていた。

   戦局最後の関頭に直面せり
   十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち
   皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ
   全員壮烈なる総攻撃を敢行す

改ざんされた電文が   強調したのは、
栗林が強調した将兵達の苦闘ではなく、「皇国の必勝と安泰」だった。
続く   「壮烈なる総攻撃」   という言葉は、当時   さかんに使われた
常套句であり、栗林の実際の電文には   どこにも出てこない   文言だ。
つまり、大本営が   勝手に   付け加えたものだ。
さらに、この後に続く部分にも、栗林が書いた電文にはない文言、
「将兵一同と共に謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ」と挿入されている。

逆に、栗林の電文にはあって、新聞発表では   削られた   表現がある。
「宛然徒手空拳を以て」   という部分が   それだ。
武器もなく、補給も途絶えた中で戦わねばならなかった兵士達の苦しみ、
悔しさ、それを   栗林は   「宛然(=まるっきり)徒手空拳」という、
はっきりした   批判のニュアンスを   持たせた言葉で   表現した。
もちろん、大本営が   これを   見逃すはずはなかった。

栗林の電文が   まず訴えたかったのは、
桁違いの物量で攻めてくる敵に「徒手空拳」で立ち向かい、
「弾丸尽き水涸れ」て斃れていく兵士たちの姿であることは、
一読して   解る。
決まりきった形式を越えて、言うべきことを言おうとした
当時の指揮官としては   異色の電文、といってよいだろう。

栗林は、絶海の孤島に屍を晒し、遺骨も帰れない部下たちの悲しみを
せめて本国の人々に伝えることが   指揮官の務め   と考えたのだろう。
しかし、大本営は   その遺言を   国民の目に   触れさせまいとした。
この電文には   もうひとつ、決定的な改ざんが   加えられている。

   国の為重きつとめを果たし得で   矢弾尽き果て散るぞ悲しき

この歌は、電文の最後に添えられた   栗林の辞世の歌だ。
末尾の「散るぞ悲しき」が、発表では「散るぞ口惜し」に変えられたのだ。
栗林家にある実物には、この歌の頭に朱筆で   大きく丸印が付けられている。
原文は「悲しき」の部分が   線で消され、脇に   「口惜し」と書かれている。
死んでいく   兵士たちを、栗林は   「悲しき」   と歌ったのだ。
それは、率直にして   痛切な   本心の発露であったに   違いない。
しかし、「皇軍」   にあっては   それは   許されないことだった。

あるいは、栗林は   わかっていたのかもしれない。
「徒手空拳」という言葉が   大本営のお偉方の心情を
逆なでするであろうことも、
部下の死を「悲しき」と嘆じることが   帝国軍人にあるまじき
タブーであるということも。
しかし、勝利も   帰還も望めぬ   戦場にあって、潔く散ることを禁じ、
最後まで   死よりも苦しい   持久戦を命じた   自分の言葉を守った
2万将兵のために、どうしても、言わないわけには   いかなかった
のではないだろうか。   この電文は、日本国民へのメッセージであり、
戦争指導者たちへのプロテストであり、歴史への証言だったのだ   と思う。

散るぞ悲しき―改ざんされた訣別電文(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 20:06 投稿番号: [38797 / 41162]
『硫黄島からの手紙』   という映画で、俳優の   渡辺謙が演じた
硫黄島守備隊司令官の   栗林忠道中将は、海軍の山本五十六長官と
同様に、アメリカ滞在の経験があり、彼我の戦力の差を熟知し、
当時の皇軍の中でも   理性派として   貴重な存在だった。
やはり   山本長官と同じく   対米開戦にも   最後まで否定的だった。

米軍は、硫黄島を   5日程度で攻略できる   と見込んでいたという。
しかし、栗林は   徹底した持久戦によって   強大な敵を迎え撃った。
守備隊は   地熱で蒸される地下に潜り、36日間も   闘い続けた。
硫黄島の地下は、水もない劣悪な環境下であり、兵士たちはわずかな
雨水を溜めてしのぐほかに   手段がなかった。

栗林が   昭和20年3月16日、最後の総突撃を前に発した無電、
いわゆる   「訣別電報」の電文が   いまも   残されている。
防衛研究所戦史室の資料『戦史叢書』にも   全文が引用されているが、
その実物は、遺族の手元に   大切に保管されていた。

訣別電文は   大本営に宛てて   発せられたものだが、それが
栗林家にあるのは、硫黄島の   「玉砕」   が新聞で   報じられた
3月22日に、大本営陸軍部の   大佐が   栗林中将の   妻を訪ね、
「これをもって遺骨と思われるべし」と言って   渡していったからだ。
電報には   「軍事極秘」「警急」   という赤いスタンプが押されている。
電文の一部を   抜粋して   以下に引用する。

    戦局最後の関頭に直面せり   (中略)
    宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは
    小職自ら聊か悦びとする所なり
  
    然れども飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ
    為に御期待に反し   此の要地を
    敵手に委ぬる外なきに至りしは
    小職の誠に恐懼に堪へざる所にして
    幾重にも御詫申し上ぐ  
    今や弾丸尽き水涸れ   全員反撃し
    最後の敢闘を行はんとする(後略)

「弾丸尽き水涸れ」とは、決して   修辞ではない。
米軍の戦車隊を撃破し   進軍を阻止した砲兵にたいして
感状が   授与されることになったとき、その砲兵隊長が
「感状などより   弾が欲しい」   と訴えて   涙したという。
砲は健在でも   弾薬はすでに尽き、できることは肉迫攻撃だけだった。

また、硫黄島の   水不足に関しては   よく知られていた。
島には   川もなく、井戸を掘っても茶色く濁った塩水しか出てこない。
飲み水は   雨水に頼るほかなく、戦闘が始まると   貯水槽は破壊され、
生命を支える   最低限の水も   確保できなくなっていたのだ。
まさに、戦場は   地獄というほかなかった。

しかし、それでも   皇軍は、自軍の兵士が   撤退することも  
敵に降服することも、絶対に   許さない   組織だった。
多くの兵達が地獄の中で   勝ち目のない死闘に身を投じているとき、
皇軍の統帥権を持つ   大元帥は、臣下から和平工作を上奏されても、
いま一度   戦果をあげてから交渉せよと語り、進言を   退けていた。

最高指揮官の無能が、数多の若者の未来を   失わせた。
栗林が、最後の「訣別電報」を   皇軍の大本営に宛てて発したのは、
まさに   「弾丸尽き水涸れ」   るまで、徹底した持久戦を闘いぬき、
遂に   最後の突撃以外には   手段がないことを   確認した時だった。

「百鬼夜行の追撃戦」に関する回想録

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 19:32 投稿番号: [38796 / 41162]
南京における   強姦の多発が   国際的に問題となったことは
前述したが、女性への   性的暴行以外にも、中国の民衆への
残虐行為が   日常茶飯事として   繰り返されていた。
南京攻略戦のさいの   第九師団経理部将侯の   回想録がある。
そこには、「百鬼夜行の追撃戦と給養」と題し、住民の拉致、
強制連行の状況が、以下のように   描かれている。

   兵は青壮年らしい者を見るや否や今迄気息奄々として落伍
   しそうな者までが急に元気になってまるで運動会の旗取り
   競争そのままに数人の選手が申し合はせた様に一斉に部隊
   から飛び出した。
   何事が起つたかと見れば   逃げ迷ふ者を包囲して捕へんと
   競争して居るのである。

   漸くして捕へられた土民は   捕らへた者の所有物とされて
   背嚢を負わされ雑嚢や水筒をかけられて一人前の兵のような
   姿で部隊と共に行動するの光栄に浴する。
   兵は彼の後方から銃をかついで意気揚々として監視しながら
   ついて行く。  

   しかし食ふものが不足して居るので腹がへってくると次第に
   弱る。   そうすると   鞭でたたいて   督励する。  
   残酷のように思はれるが戦友が惨殺されて居るのを
   目のあたりに見れば徹底的にやつつけろと云ひたくなる。
   斯くして夜になれば彼等は概ね逃ぐるか天国へ逃るのである。

このように、日本兵が   住民に強制して   荷物を担がせ、
逃げようとすれば殺すという行為を   公然と続けていた様子が
記されている。
こうして   住民を連行し、徴発した牛や   驢馬などを従えて
部隊が   行軍する様は、「まるで百鬼夜行の行列であつた」
「石川五右衛門の物取りの帰りもかくや」   と思われた、
とも述べている。

これは   第九師団の場合であり、常設師団でさえも   このような
状況なのだから、後備兵主体の   特設師団の場合や、後方から
追走する補充員の集団の状況も、同様か   あるいは   もっと酷い
ものであった   と考えられる。
このような掠奪・暴行など、住民に対する犯罪は   深刻だった。

日本軍自身でも   それを認めていた。
たとえば   柳川部隊法務部「戦地ニ於ケル犯罪ノ予防ニ就テ』という
文書がある(『続現代史資料6   軍事警察』みすず書房、1982年)。
いずれ、機会があれば   引用してみたい。

南京事件の背景――指揮官と幕僚の変質

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 19:29 投稿番号: [38795 / 41162]
南京大虐殺の中で、捕虜の集団殺害と便衣兵の「処刑」は、
軍や師団の   命令によって   おこなわれたものだった。
国際法を無視して   捕虜の殺害を   命令したり、
裁判にもかけずに「便衣兵」   処刑を指示したことについて、
高級指揮官と   その幕僚は、責任を   負わなければならない。

そもそも   南京攻略戦そのものが、兵站や補給を   無視して、
敵国首都への一番乗りを争った   猪突猛進の無謀な作戦だった。
糧食は徴発によるという   この作戦が、掠奪の   原因になった。
兵站、補給を軽視して   戦力を失わせるという日本軍の悪弊は、
この後の   東南アジアや太平洋での戦闘でも改まることはなく、
戦死者より餓死者が多い   という惨状を   生み出すことになる。

大量の捕虜が発生した際、給養に行き詰ったのは   当然だった。
予想以上の捕虜をかかえ   お手上げ状態となり、大量「処分」に
走ったのだが、そのとき、日本軍の指揮官や幕僚には、国際法や
人道という観念を、まったく   失っていたのだ。

積極果断をむねとし、合理的配慮を欠いた   実行力を   たっとび、
国際法や人道を無視する戦闘第一主義に陥った   指揮官や幕僚が
なぜ   生み出されたのだろうか。  
それは、日本陸軍における幹部補充制度と、その教育内容による
ところが   大きい。
陸軍現役将校の補充は、基本的には   陸軍士官学校の   卒業生に
よったが、その数は   大正中期から減少し、人事配置の面では
きわめて   アンバランスな状態に   陥っていた。

それに加えて、注目すべきは、陸軍幼年学校の存在だ。
幼年学校   という名称は、明治維新直後から存在し、士官学校の
予備教育として   語学教育を行なうことから始まったが、その後
将校養成教育として   軍のエリートを育てるための機関となり、
その出身者は   参謀や高級幹部に進むことが   多くなっていった。

この幼年学校出身者は、少年時代から特殊なエリート教育の結果、
偏狭、独断で   自尊心が強く、積極果断な実行力を   信条とし、
それが   軍を   誤らせることになった。   このことについては、
自身も幼年学校出身であった   松下芳男が「幼年学校の功罪」
として、論じている。(『明治軍制史論   下巻』有斐閣   1956年)
「陸軍の反省」を著した加登川幸太郎も   この説に賛成しており、
日本軍の精神主義が   「陸軍のエリート将校たちの、唯我独尊、
無軌道、戦場での硬直した考え方の原動力」だった   としている。

日本軍の   幕僚層の性格や   国際感覚の実情を示すものとしては、
第十軍司令部が作成した   意見書などがある。これは、防衛研究所
図書館に   所蔵されているもので、昭和十三年   陸支密受5267号
「陸支密大日記」   に含まれる   丁集団参謀部
『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』だが、そこでは
「本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」
とし、猛毒ガスのイペリット弾を   空爆に用いることを促している。

当時、すでに   毒ガスを含む化学兵器は、非人道的殺戮兵器として
国際的に使用が禁じられていた   にも関わらず、それを市街地への
攻撃に使用するという計画まで   立てていたことになる。
こうした   日本軍幹部の   国際法にも人道にも   無関心な態度が、
南京大虐殺事件の背景に 存在していた   といえるだろう。

或る日本軍将兵がつくった唄

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 19:27 投稿番号: [38794 / 41162]
中国領土に   大軍をもって   武力侵攻していった   日本軍。
従軍した兵士は、そこで   戦争の実像を目の当たりにした。
ある日本軍兵士が   つくった唄がある。

   支那人の密集する街わが来れば
    白眼視する視線を感ず
   さりげなく装ひてゐる土民らの  
    中に入り来て心ゆるさず  
   避難民にまぎれるる便衣隊多くなりて  
    歩哨の誰何も殺気だちをり
   匪よりえし抗日伝単のはげしさは  
    藁西洋紙にこくするてありぬ
   ベルマンの速射さくべきひまもなし  
    あはれ鉄帽うちぬかれたり
   敵軍の少年兵が死の際まで  
    ふせぎまもりたるはあわれなるかな
   にくみてもなほあまりある共産軍  
    捕虜は大方わらべなりけり
   にくしみもやがてうすらぎ  
    倒れゐる少年兵に涙おちたり
   (『支那事変歌集』戦地編より)

1937年11月の中旬、激しい上海戦が   終わり、日本軍は  
次の攻撃地である   南京をめざして、軍靴の歩を   進めていった。
ある日、日本軍の一旅団が、占領した上海の市街を行進していた。
先頭では   軍楽隊が、いさましいマーチを   奏でていた。
やがて   隊列は、日ごろは賑やかな   大通りに   さしかかった。

そこには、ひとつの   “死の街”   が、彼らを   待っていた。
すべての商店は   扉をおろし、ビルの窓はカーテンを閉めていた。
すべての   中国人住民は   路上に   姿を見せなかった。
シーンと   静まり返り、人影のない   死んだ街を、
行進曲を奏でながら日本軍は   歩いて行かなければならなかった。

当時、憲兵将校として   上海にいた、ある   陸軍大尉の
思い出の中の風景だ。   しかし   彼のような   感じ方は、
戦争の最後まで、一般日本人の間には   伝わることはなく、
また   国家を指導していた   政治家や軍人の考え方に  
影響をあたえることも   できなかった。

また   現地の兵士・将校とは   べつに、
新しい中国が生まれつつあることや、植民地獲得戦争が
世界の趨勢とは   逆向きである   ということを、
もっと真剣に解き続けた人々は、相次いで刑務所に送られ、
沈黙を   しいられた。  
そして、血なまぐさい戦争だけが   続いていったのだ。

Re: 公娼制度

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/02/11 19:26 投稿番号: [38793 / 41162]
とても nidanidao を極右だと認めるに至らんな。
自称極右など糞の役にも立たんし。。

どの辺が己を極右と自負できるのかを伺いたいものだ。

Re: 公娼制度

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/02/11 19:23 投稿番号: [38792 / 41162]
<nidanidao>
無駄ガネ使わなきゃ、女性を救う方法はいくらでもあったんだぜ。
      ↑
具体的に例示し給え。

Re: 公娼制度

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 18:08 投稿番号: [38791 / 41162]
>反日民族には、何の意見も無しかい〜?

なーんでいちいち反日民族に意見せにゃならんの?
そういう人は大勢いるからそういう人にまかせておけばよいだろ。
俺は反日民族のことなど眼中にない。
他人の考えないことを考えたいのさ。

>反日特亜三国と戦後の日教組の教育の賜物が、

またそれか。
俺は日教組とはまったく正反対の立場の「極右」だぜ。
いかにして日本の婦女子を守りながらアメリカと戦うべきだったかを仮想思考実験しているのである。

いいか、二度と俺に意見するな。いいな。

Re: ◆世界連邦の礎石を置いた大東亜戦争

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/02/11 18:07 投稿番号: [38790 / 41162]
ワダ罪のアホウ投稿を一層アホウに見せる一連のよき投稿。

ただ、

>ニミッツ元帥(アメリカ   太平洋艦隊司令長官)
  この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

は疑問視されているようですね。ほんとにニミッツがこう言ったんかいな、と。

Re: 公娼制度

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/11 17:27 投稿番号: [38789 / 41162]
反日民族には、何の意見も無しかい〜?

下らんの〜、だからお前はノー天気な野郎なんだろうよ〜。

反日特亜三国と戦後の日教組の教育の賜物が、お前の様な危機感も持たない日本人?が生まれて来たんだろうなぁ〜。

Re: 公娼制度

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 16:41 投稿番号: [38788 / 41162]
>公娼制度で如何に多くの女性が救われたのかを知らないようだなぁ〜。

そうとはいえないぜ。

それは女性を救うシステムに見せかけた、女性を搾取するシステムだな。

その公娼制度とやらは、業者を介してのものだったんだろ?

たとえば原発事故作業現場では一人あたり7万円の日当だというが、作業員の実質手取りは2万円以下というぜ。

その差額が業者によるピンはねだよ。

その業者がまた裏で原発推進政治家を応援してカネを循環させて、原発事故収束が原発推進するシステムというわけだ。

おまえのいう「公娼制度」はピンはねは無かったのかい?

無駄ガネ使わなきゃ、女性を救う方法はいくらでもあったんだぜ。

な、konoyo_anoyo、どうなんだい。

Re: ◆人種差別の壁を崩した日本 1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 16:02 投稿番号: [38787 / 41162]
宣言

今や聯合列国が講和会議に於いて国際連盟を設け世界永久の平和を図らんとするは日本国民の満腔の賛意を表し其の成立を切望して已まざる所あり。
然るに従来国際間に行われたる人種的差別待遇は単に自由平等の大義に悖るのみならず将来国際紛訌の禍根を貽するものにして、之をして依然存続せしめん乎   仮令百千の盟約を重ぬと雖も要するに沙上の楼閣と一般世界の平和は到底得て望むべきにあらず。依って吾人は此の機会に於いて正義人道の本義を徹底し世界永久の平和を確立するが為世界の公議に愬え其の目的を達成せんことを期し茲に左の決議を為す。
決議
日本国民は講和会議に於いて従来国際間に行われたる人種的差別待遇を撤廃せしむることを期す
右決議す
大正八年二月五日

人種差別撤廃期成大会

日本人は世界に魁ける民族と云うことは、世界が知っているからね。

Re: 東條とケネディの比較 キューバ危機

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 16:01 投稿番号: [38786 / 41162]
>ケネディ政権がキューバ危機の時に東條内閣の立場を嫌というほど味わったのは有名。


   有名?   どう有名なのか?



>ケネディと東條は本当にヤバイ時に上手く切り抜けられるアメリカと、完全にぶっ壊れるまでどこまでも突き進むバカで間抜けな日本との決定的な違いを世界に示した。


バカが言いそうな事だな。



             ↓



http://ansaikuropedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F


               w


.

Re: ◆ありがとう日本人 この誇り高き民族

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:45 投稿番号: [38785 / 41162]
日本人であれば自分の生まれた国、祖国を褒められれば素直にうれしいと思います。
また、逆に祖国を貶めるような嘘の歴史や捏造には怒りを覚えるでしょう。
それが人間として至極当然のことだと思います。

しかし、彼らは日本の国が褒められることを喜びません。むしろ、そのことを否定します。
また、どういうわけか「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」など日本にとってマイナスになるような嘘出鱈目を嬉々として語ります。

彼らが「日本人」というのならこれ以上の『恥』はありません。

◆笑うに笑えないwadatumi_voice21の珍論

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:29 投稿番号: [38784 / 41162]
相も変わらずお馬鹿投稿を繰り返す wadatumi_voice21なる反日バカサヨが以前、こんな珍論を披歴していた。

『他国を   武力を用いて   攻撃・占領するためには、
少なくとも   「軍事力の脅威を排除する」という口実が必要だ。
軍事力を持たない日本には   「脅威」は   存在し得ない。』

      by wadatumi_voice21



戦争をするのに「少なくとも軍事力の脅威を排除するという口実が必要だ」などというおバカ丸出しの物言いにも呆れるが、

「軍事力を持たない日本には   「脅威」は   存在し得ない」

に、いたっては笑いを止めるのに苦労するが、笑ってばかりもいられない。
なにせ本人は「本気で言っている」のだから・・・

なぜこのようなバカげた珍論を大真面目に語るのか?
それは、wadatumi_voice21をはじめとする頭空っぽのバカサヨが「御バカ念仏平和主義者」であるからに他ならない。

例えば日本がどこかの国に攻められる。そして占領される。そして「日本国憲法」が停止されるということは、世界の歴史を見れば、充分に考えられることである。するとそういうことがないようにはどうすればいいかというと、当たり前の話だが、そのための軍隊を持っておく。つまり憲法を護るための軍隊を持っておくということである。これはバカ以外は当然そう考えるから、どこの国でもちゃんと憲法に規定された軍隊がある。永世中立国といわれるスイスにもある。いや、むしろ自前のしっかりした軍隊があるからこそ、永世中立を掲げることが出来るのである。ところがバカだけは、軍隊があると戦争を呼ぶんじゃないか。だからないほうがいい。しかしまったくないのも不安だから、軍隊とは呼ばずに「自衛隊」といおうと。内容でも変わっているのかというと、全然変わっていない。ただ、言葉で誤魔化しているだけである。

自衛隊は常識的に見れば、どこの国の誰が見ても、軍隊である。しかし、軍隊といわずに自衛隊という。日本には軍隊はないんだと安心する。だけど自衛隊はある。またそれで安心する。こういう奇妙な言葉の上での誤魔化しの二重構造の上にバカの論理(「日本に軍事力は無い」)は成り立っているのである。

「雨が降ると言えば雨が降るという世界」では、日本に軍隊はありませんといえば、無いんです。実際にはあっても、それはどう見ても軍隊じゃないかというものがあっても、言葉の上だけで打ち消しておけば、無いんです。そして、そのことによって安心する。

全くもって呆れ果てて屁も出ないとはこのことである。

Re: ◆ありがとう日本人 この誇り高き民族

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/11 15:18 投稿番号: [38783 / 41162]
反日サヨは、日本人の良い面を悉く否定している売国奴なんですよね〜。

自分の祖先を貶め、戦争で亡くなった日本軍人を貶め、御満足の日本人モドキ。こいつ等ハヨ、反日特亜三民族に鞍替えすれば良いものを。

何故か日本人のまま死にたいと思っているんでしょうかね〜。

◆ありがとう日本人 この誇り高き民族

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:08 投稿番号: [38782 / 41162]
ガザリー・シャフェー(元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』 と。」


  トモ(インドネシア元情報相)

日本軍が、米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は、白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり我々がやらねばならなかった。そして実は、我々の力でやりたかった。


  アジス(マレーシア・マラヤ大学副学長)

私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。


  モハマド(マレーシア外務省情報センター所長)

これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。
民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。
これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。


  ネール(インド首相)

アジアの一国である日本の(日露戦争の)勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。
ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。


  アブドル・ハリス・ナシオン(インドネシア元国防軍参謀総長)

独立できたの要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。第二は、日本軍の猛烈な軍事訓練です。日本軍は大変立派なことをしてくれました。
日本は、歴史に残ることをしてくれました。誰も変えることのできない真実です。

◆世界連邦の礎石を置いた大東亜戦争

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:08 投稿番号: [38781 / 41162]
アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

  日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57〜65ページ)

 

   ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

  我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。

 
  朱   耀翰 {韓国   元国会議員   ゴーマニズム宣言第六巻p232}

  「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」

 

   ニミッツ元帥(アメリカ   太平洋艦隊司令長官)

  この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

 

   スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

  たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。(「敗北から勝利へ」)

  かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。(同書)

 

   蒋介石

  ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む

 

   ベルナール・ミロー(フランス   ジャーナリスト)

  これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』)


H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


    世界連邦の礎石をおいた!

◆植民地解放の端緒を開いた大東亜戦争

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:06 投稿番号: [38780 / 41162]
第二次世界大戦後の世界の大きな流れの一つが、世界各地の植民地解放運動である。そのきっかけが日本の大東亜戦争であった。
  東南アジアにおける英米仏蘭の植民地は、日本軍の占領によって白人支配から解放され、新国家の建設が始まったのである。日本が負けると、白人は一時的に植民地に戻ってきたものの、もはや過去のように支配を続けていくことはできなかった。

  日本の戦いぶりに励まされ、民族意識、国家意識に目覚め、そして日本人によって国家運営の訓練を施されていた諸民族は、もはや白人支配に甘んじることはなかった。かくして東南アジアでは独立戦争が展開され、この新しい時代の潮流は、地球上の植民地に拡散していった。その結果として、敗戦国だけでなく戦勝国だったはずの列強も、次々と植民地を手放さざるを得なくなった。

  もちろん大東亜戦争の目的は「東亜の解放」だけではない。しかしアジアから列強勢力を駆逐し、諸民族と共存共栄を図らなければ、日本の国家としての生存権は守り難いとの認識は国民に一般的だった。そこから生まれたのが大東亜共栄圏の構想であり、それを実現するために「東亜の解放」が必要不可欠だと考えられたのだ。

  <日本軍によって白人世界帝国が終焉した事実>

  ・東南アジアの抵抗運動には、白人と提携していた華僑の反抗もあったし、日本の敗色が濃いと見て、イギリス側に寝返ったビルマ軍の例もあった。日本軍を「支配者」というなら、たしかに支配者として君臨していたし、当然のことながら統制も行い、作戦遂行中ゆえ、軍事的にも動員も行った。アジアの防衛戦争を継続中なのだから、独立を与えてすぐさま撤退するなどできるはずがない。

  日本人は、実直すぎる民族で、外交が下手である。東南アジアの住民は、歓迎の熱が冷めれば、厳格な日本軍は「嫌な存在」に変わったことは想像に難くない。しかし長く付き合えば無二の友邦にもなったであろう。そもそもわずか3年にも満たない進撃、占領期間で、前記も後期もあるまい。

  中国にいたっては、1951年に、「農奴解放」を大義名分に人民解放軍がラサに入り、チベットを軍事占領した。1959年には反中国暴動が発生しているが、いまだに占領は解かれていない。
 
  それに対して日本は、わずか3年足らずの間で、東南アジアの住民に近代国家のあるべき姿を教育し、次々と政府を樹立させていった。

  アジア諸国の独立は、やがて連鎖的にアフリカ植民地の独立をも誘発する。日本の植民地解放戦争は、白人世界帝国解体への起爆剤となったのだ。


  アメリカのJ・C・レブラ『東南アジアの解放と日本の遺産』

  「日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを、イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになる」ー東南アジア全域の独立運動について、日本軍占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力が、西洋植民地支配に対抗する決定力になったことを指摘している。

 
  A・トインビー

  「アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間、信じられてきたような不敗の神でないことを、西洋人以外の人種に明らかにした」−日本人が歴史に残した功績である。

 
  パラディ・デサイ博士(インド法曹界の長老)1947(昭和22)年

  「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで三十年も早まった。インドだけでなく、ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしょう」

◆人種差別の壁を崩した日本 2

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:05 投稿番号: [38779 / 41162]
日本の提出した人種差別撤廃法案

  第一次大戦後、戦後処理を行った「パリ講和会議」(1919年1月18日開会)において、アメリカ全権であったウイルソン大統領は、世界秩序回復の為の、14か条を提唱した。しかし、この会議には、実は日本の代表団が提出した、「15番目の提案」があった。それは、「国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事」と言う提案であった。法案提出の事情には、当時、唯一有色人種の国家として、先進国の仲間入りをしつつあった日本が、人種的偏見によって不当に扱われるのを避ける狙いもあったであろう。しかし、1919年当時としては、「人種差別を撤廃する」と言うのは非常に画期的な主張であったと思われる。事実、当時アメリカで人種差別と闘っていた、「全米黒人新聞協会」は、「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」、「全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」とコメントしている。

  アメリカのウイルソン大統領は、理想的人道主義者のように言われているが、自分の国内の事情もあり(注)、この法案の投票結果が17対11で賛成多数となると、突如、このような重要法案は、「全会一致でなければならない」として、「不採決」を宣言し、日本の提出した「人種差別撤廃法案」を葬り去ってしまった。

  当時、日本が取った行動と、アメリカがそれを葬り去った現実を比べてみると、一概に「日本が人種差別主義で、アメリカが人権の擁護者」と決め付けて良いのだろうか?

(注)当時のアメリカの状況について

  我々日本人が、アメリカの歴史の中で、如何に白人が黒人を差別し、黒人が差別撤廃のために闘って来たかを想像するのは容易な事ではない。アメリカでは、1857年に最高裁判決で、「差別をしても憲法違反にならない」、「黒人は市民ではなく、奴隷であり、憲法は白人のためのみにあるものであり、黒人は、白人より劣等な人種である」とはっきりと宣言している。その後の歴史はまさに、リンチと暴動と、暗殺の歴史である。特に、武器が民間人にも容易に手に入るアメリカにおいては、白人が集団で黒人をリンチし、むちで叩くとか、家を壊す、火をつける、ひどい場合には、電柱につるして銃で蜂の巣にするような事が公然と行われた。1908年(スプリングフィールド)の暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが、「白人で処罰された者は、一人もいなかった」。なぜだと思われるか?
  パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きている。原因は、ミシガン湖畔で、「白人しか遊泳が許されていない水泳場に、無断で泳いで行った黒人青年が溺死した」事が発端であった。暴動によって街は無法地帯と化し、双方に多数の犠牲者が出た。家を焼かれたり壊されたりした黒人の数は、1000人を超え、同じ年に、アーカンソー、ネブラスカ、テネシー、テキサス、コロンビア特別区でも同様の暴動が起きている。ややさかのぼるが、1905年には、カリフォルニアで「日本人排斥運動」が起きている。
  これが、日本が「人種差別撤廃」を打ち出した当時、これを否定したアメリカ国内の偽らざる状況である。

◆人種差別の壁を崩した日本 1

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:04 投稿番号: [38778 / 41162]
戦後の徹底した情報操作とwadatumi_voice21のような反日バカサヨの跋扈に自分の頭で物事を考えることのできない日本人は日本は戦前戦中ひどいことををした国だと思っているのではないか?そんな人のために今まで目に触れ無いように隠されていた事柄に光を当てることによって真実はどうであったのかを知って頂きたいと思う。


1)人が人をつないだ鉄の鎖(ワシントンの博物館で見たもの)

  筆者は以前、ワシントンの国立自然博物館において、かつてアフリカの奴隷をアメリカにつれてくる際に使われた、鉄の鎖を見た。人が人を犬のようにつないだ鉄の鎖である。1441年、ポルトガルは、航海王ヘンリーの時代から、盛んにアフリカ西海岸を、探検し、多数の黒人を捕らえて奴隷として連れ帰る事を始めた。これ以来、スペインなど他のヨーロッパ諸国も追従し、黒人は、「黒い象牙」と呼ばれ、「商品」として売買された。スペインは、無敵艦隊の威力を背景に、盛んに中南米にも進出し、激しい植民地支配を行った。黒人奴隷達は、ヨーロッパ本国についで、キューバ、ハイチ、ブラジルなどの砂糖のプランテーションで働く労働者として盛んに連行された。イギリスは、後に奴隷貿易の独占的支配権を持つようになり、ヨーロッパの安価な品物を、ギニアの海岸で奴隷と交換し、大西洋を超えて西インド諸島に運んで、砂糖や鉱物と交換し、本国へ持ち帰ると言う、「三角貿易」を盛んに行うようになる。当時の支払い例によると、男一人あたりラム酒100ガロン、女一人あたり85ガロンであったと言う。奴隷となった黒人は、会社の印のついた「焼きごて」を胸に当てられ、狭い奴隷船にほとんど身動きできないほど詰め込まれて航海した。あまりの不衛生のため、奴隷船は3回も航海すれば捨てられたが、それでも莫大な利益が上がったという。航海の途中、多くの奴隷が発病し、それに加えて反乱を起こした者も、容赦無く海に投げ捨てられた。

  アメリカと言う国は、今でこそ、自由と民主主義の国、あるいは人権の擁護者のように振舞っているが、その根底は、人種差別と奴隷制度によって支えられて来た国である。人が人を犬のように鎖につなぎ、あるいは、家畜のように市場で品定めをして売買する。ヨーロッパ人が言う、キリスト教的な博愛とは、「同じ宗教を信ずる白人同士に限られた話」であって、異教徒や有色人種は、当時、博愛の対象ではなかったことを記憶されたい。(もしこの博愛が、全人類的博愛であれば、宗教戦争も、世界の植民地化もありえない事である。)

  国立アメリカ歴史博物館では、第2次大戦中の「日系人」に対する差別の展示もあった。法の下の平等とは言っても、それは言葉の上の事で、程度の差はあるものの、ほとんどの白人は、心のどこかに有色人種に対する優越感を持っている。第2次大戦中、米国民であるはずの日系人12万人が、家や財産を没収され、強制収用所に送られている。しかし、同じ敵性国民であった、ドイツ系、イタリア系アメリカ人が、強制収用所に送られる事は無かった。その理由はなぜだろうか?

  アメリカと言う国は、歴史的に調和を欠いた国である。白人と黒人、白人とインデアン、キリスト教徒とユダヤ教徒、黒人と韓国人、韓国人と日本人、さまざまな対立と闘争が、ずっと繰り広げられてきた。また、アメリカの歴史とは、開拓の歴史であり、開拓の歴史とは、すなわち侵略の歴史とほぼ等しい。

This land is mine, God gave it to me.と言う歌があるが、白人の勝手な言い分に聞こえるのは私だけだろうか。今でこそ、「人種差別はいけないこと」と言うけれど、人類の歴史には、いずこにおいても人種差別の概念があり、特に白人が、躊躇なくアフリカ、中南米、北米、そしてアジアを次々と侵略し、植民地としてきた歴史の裏側に、「根強い人種差別意識」がある事を忘れてはならないだろう。

  「人種差別の壁」によって近代の世界は形成され、白人の利益を基準にコントロールされてきたことを、我々は、もしかすると忘れてしまったのではないだろうか。

Re: 糧食送付

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/11 14:37 投稿番号: [38777 / 41162]
公娼制度で如何に多くの女性が救われたのかを知らないようだなぁ〜。

所詮、人間も動物、食欲、物欲、性欲有って当り前。

そう言った女性を貶める、反日サヨに迎合する無かれ〜。

Re: 糧食送付

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 14:23 投稿番号: [38776 / 41162]
禁欲主義者に一般人のことが判るかというと、夫れには無理が在るよね。

逆に禁欲主義者のことも一般人には理解するのは無理があるよね。

途中から禁欲したのならば、一般人のことも理解出来るだろうけどね。

一般人が途中から禁欲したとすればそれはそれで理解出来るだろうけどね。

君の論理を理解せよというのには無理があるよ、君は反省しなさい。

Re: 糧食送付

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 13:22 投稿番号: [38775 / 41162]
>行ったことが無ければ内部の事情は知らないんだね。

私は禁欲主義者であり、それらの施設に行くことはこれからもありえない。

君は行ったことがあるようだが、だからといってすなわちそれの労務規定が軍隊に適応したものであるかは未知数である。

したがって、貴殿のソープ嬢募集計画は無理と判断します。

Re: 糧食送付

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 13:03 投稿番号: [38774 / 41162]
行ったことが無ければ内部の事情は知らないんだね。

君が一回行って来てからお話ししましょうね。

そうしないと利用の形態が理解出来ないでしょう?

Re: 糧食送付

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 12:31 投稿番号: [38773 / 41162]
もちろん行ったことないよ。

蕃族の宗教間其の三

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 10:03 投稿番号: [38772 / 41162]
雨乞い

ニュフミンショ   シュサンビジョク(只今豚を屠りて供う)

アナキャハンモツ   ハミレクガガガ(仮令紊りに習慣を破る者ありとも)

カモアラフショ(雨ふらせ給え)

マホッケルサミウジャイ(我等は死の苦しみにあり)

バッカウットフガ   カモアラフショ   カモアラフショ(神よ我等を愛するならば雨を降らしめ給え降らしめ給え)

蕃族の宗教観其の二

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 09:49 投稿番号: [38771 / 41162]
舎加路番

神(リュットフ)   善神(ビッラクリュットフ)
          悪神(ヤッカイリュットフ)

神の善悪は結果によりて判断す神其の者には善悪なし
悪人は災害を受くるも神の悪しきによらず人の悪しき為なり
仲悪き者を夢に見たる時は「ヤッカイリュットフ」なり
仲良き者を夢に見たる時は「ビッラクリュットフ」
魂あればこそ人は互いに談話するを得
祖霊の保護あればこそ人は生活し得るなれされど何処に居るや不明なり唯夢にて其の姿を見得る

↑悪神を「ヤッカイ」と云う様だが、日本では厄介な出来事という表現を使うよね。

日本と非常に似た言葉だよね。

この様な人を日本人が馬鹿にする事は無いし、馬鹿にした事実は無い。

Re: 糧食送付

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 09:34 投稿番号: [38770 / 41162]
君は行ったこと在るの無いの、人に聞く前に自分の経験を教えるのが常識だよね。

それとも常識の無い人なの?

蕃族の宗教観

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 09:32 投稿番号: [38769 / 41162]
加拉歹番

神(リュツトノ)   善神(ビスチックリュットフトゥミンヌン)
          悪神(ヤッッカイリュットフ)

人には魂あり死後神となる而して魂は一つあるのみ
夢によりて神あるを知る
人の死後霊魂は「アトハン」に赴く
「アトハン」は「ビットンガサル」
霊魂は虹を渡りて「アトハン」に赴く而して馘首せざる男機織りの術を知らざる女は其橋を渡る能わず途中で死す
幽霊は人の形なり
・・・・云々

日本人に或る意味近い宗教観なんだね。

読まんぞ、wadatumi_voice21

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/11 09:22 投稿番号: [38768 / 41162]
ウザッタラシイだけだ、馬鹿!!

Re: 糧食送付

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 09:14 投稿番号: [38767 / 41162]
>従軍慰安婦の募集しなくてもソープ嬢を募集すれば良いんですよ。

ソープ嬢って、いわゆるソープランドというところで働いてる人のことだよな。

君はそういうところへ行ったことがあるのかい?
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