◆人種差別の壁を崩した日本 2
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:05 投稿番号: [38779 / 41162]
日本の提出した人種差別撤廃法案
第一次大戦後、戦後処理を行った「パリ講和会議」(1919年1月18日開会)において、アメリカ全権であったウイルソン大統領は、世界秩序回復の為の、14か条を提唱した。しかし、この会議には、実は日本の代表団が提出した、「15番目の提案」があった。それは、「国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事」と言う提案であった。法案提出の事情には、当時、唯一有色人種の国家として、先進国の仲間入りをしつつあった日本が、人種的偏見によって不当に扱われるのを避ける狙いもあったであろう。しかし、1919年当時としては、「人種差別を撤廃する」と言うのは非常に画期的な主張であったと思われる。事実、当時アメリカで人種差別と闘っていた、「全米黒人新聞協会」は、「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」、「全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」とコメントしている。
アメリカのウイルソン大統領は、理想的人道主義者のように言われているが、自分の国内の事情もあり(注)、この法案の投票結果が17対11で賛成多数となると、突如、このような重要法案は、「全会一致でなければならない」として、「不採決」を宣言し、日本の提出した「人種差別撤廃法案」を葬り去ってしまった。
当時、日本が取った行動と、アメリカがそれを葬り去った現実を比べてみると、一概に「日本が人種差別主義で、アメリカが人権の擁護者」と決め付けて良いのだろうか?
(注)当時のアメリカの状況について
我々日本人が、アメリカの歴史の中で、如何に白人が黒人を差別し、黒人が差別撤廃のために闘って来たかを想像するのは容易な事ではない。アメリカでは、1857年に最高裁判決で、「差別をしても憲法違反にならない」、「黒人は市民ではなく、奴隷であり、憲法は白人のためのみにあるものであり、黒人は、白人より劣等な人種である」とはっきりと宣言している。その後の歴史はまさに、リンチと暴動と、暗殺の歴史である。特に、武器が民間人にも容易に手に入るアメリカにおいては、白人が集団で黒人をリンチし、むちで叩くとか、家を壊す、火をつける、ひどい場合には、電柱につるして銃で蜂の巣にするような事が公然と行われた。1908年(スプリングフィールド)の暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが、「白人で処罰された者は、一人もいなかった」。なぜだと思われるか?
パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きている。原因は、ミシガン湖畔で、「白人しか遊泳が許されていない水泳場に、無断で泳いで行った黒人青年が溺死した」事が発端であった。暴動によって街は無法地帯と化し、双方に多数の犠牲者が出た。家を焼かれたり壊されたりした黒人の数は、1000人を超え、同じ年に、アーカンソー、ネブラスカ、テネシー、テキサス、コロンビア特別区でも同様の暴動が起きている。ややさかのぼるが、1905年には、カリフォルニアで「日本人排斥運動」が起きている。
これが、日本が「人種差別撤廃」を打ち出した当時、これを否定したアメリカ国内の偽らざる状況である。
第一次大戦後、戦後処理を行った「パリ講和会議」(1919年1月18日開会)において、アメリカ全権であったウイルソン大統領は、世界秩序回復の為の、14か条を提唱した。しかし、この会議には、実は日本の代表団が提出した、「15番目の提案」があった。それは、「国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事」と言う提案であった。法案提出の事情には、当時、唯一有色人種の国家として、先進国の仲間入りをしつつあった日本が、人種的偏見によって不当に扱われるのを避ける狙いもあったであろう。しかし、1919年当時としては、「人種差別を撤廃する」と言うのは非常に画期的な主張であったと思われる。事実、当時アメリカで人種差別と闘っていた、「全米黒人新聞協会」は、「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」、「全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」とコメントしている。
アメリカのウイルソン大統領は、理想的人道主義者のように言われているが、自分の国内の事情もあり(注)、この法案の投票結果が17対11で賛成多数となると、突如、このような重要法案は、「全会一致でなければならない」として、「不採決」を宣言し、日本の提出した「人種差別撤廃法案」を葬り去ってしまった。
当時、日本が取った行動と、アメリカがそれを葬り去った現実を比べてみると、一概に「日本が人種差別主義で、アメリカが人権の擁護者」と決め付けて良いのだろうか?
(注)当時のアメリカの状況について
我々日本人が、アメリカの歴史の中で、如何に白人が黒人を差別し、黒人が差別撤廃のために闘って来たかを想像するのは容易な事ではない。アメリカでは、1857年に最高裁判決で、「差別をしても憲法違反にならない」、「黒人は市民ではなく、奴隷であり、憲法は白人のためのみにあるものであり、黒人は、白人より劣等な人種である」とはっきりと宣言している。その後の歴史はまさに、リンチと暴動と、暗殺の歴史である。特に、武器が民間人にも容易に手に入るアメリカにおいては、白人が集団で黒人をリンチし、むちで叩くとか、家を壊す、火をつける、ひどい場合には、電柱につるして銃で蜂の巣にするような事が公然と行われた。1908年(スプリングフィールド)の暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが、「白人で処罰された者は、一人もいなかった」。なぜだと思われるか?
パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きている。原因は、ミシガン湖畔で、「白人しか遊泳が許されていない水泳場に、無断で泳いで行った黒人青年が溺死した」事が発端であった。暴動によって街は無法地帯と化し、双方に多数の犠牲者が出た。家を焼かれたり壊されたりした黒人の数は、1000人を超え、同じ年に、アーカンソー、ネブラスカ、テネシー、テキサス、コロンビア特別区でも同様の暴動が起きている。ややさかのぼるが、1905年には、カリフォルニアで「日本人排斥運動」が起きている。
これが、日本が「人種差別撤廃」を打ち出した当時、これを否定したアメリカ国内の偽らざる状況である。