或る日本軍将兵がつくった唄
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 19:27 投稿番号: [38794 / 41162]
中国領土に
大軍をもって
武力侵攻していった
日本軍。
従軍した兵士は、そこで
戦争の実像を目の当たりにした。
ある日本軍兵士が
つくった唄がある。
支那人の密集する街わが来れば
白眼視する視線を感ず
さりげなく装ひてゐる土民らの
中に入り来て心ゆるさず
避難民にまぎれるる便衣隊多くなりて
歩哨の誰何も殺気だちをり
匪よりえし抗日伝単のはげしさは
藁西洋紙にこくするてありぬ
ベルマンの速射さくべきひまもなし
あはれ鉄帽うちぬかれたり
敵軍の少年兵が死の際まで
ふせぎまもりたるはあわれなるかな
にくみてもなほあまりある共産軍
捕虜は大方わらべなりけり
にくしみもやがてうすらぎ
倒れゐる少年兵に涙おちたり
(『支那事変歌集』戦地編より)
1937年11月の中旬、激しい上海戦が
終わり、日本軍は
次の攻撃地である
南京をめざして、軍靴の歩を
進めていった。
ある日、日本軍の一旅団が、占領した上海の市街を行進していた。
先頭では
軍楽隊が、いさましいマーチを
奏でていた。
やがて
隊列は、日ごろは賑やかな
大通りに
さしかかった。
そこには、ひとつの
“死の街”
が、彼らを
待っていた。
すべての商店は
扉をおろし、ビルの窓はカーテンを閉めていた。
すべての
中国人住民は
路上に
姿を見せなかった。
シーンと
静まり返り、人影のない
死んだ街を、
行進曲を奏でながら日本軍は
歩いて行かなければならなかった。
当時、憲兵将校として
上海にいた、ある
陸軍大尉の
思い出の中の風景だ。
しかし
彼のような
感じ方は、
戦争の最後まで、一般日本人の間には
伝わることはなく、
また
国家を指導していた
政治家や軍人の考え方に
影響をあたえることも
できなかった。
また
現地の兵士・将校とは
べつに、
新しい中国が生まれつつあることや、植民地獲得戦争が
世界の趨勢とは
逆向きである
ということを、
もっと真剣に解き続けた人々は、相次いで刑務所に送られ、
沈黙を
しいられた。
そして、血なまぐさい戦争だけが
続いていったのだ。
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