他国の人民を蕃族と蔑視した皇軍(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/10 23:39 投稿番号: [38757 / 41162]
南京虐殺事件の発生を招いた
大きな原因の一つには、やはり
当時の 皇国思想から醸成される 傲慢で不遜な 民族意識と、
それを反映したところの 他国民蔑視、特に 中国人や朝鮮人に
対する 根の深い侮蔑が、作用していた と言えるだろう。
南京だけでなく、日本軍が武力侵攻した中国各地で、捕虜や
民衆に対して 残虐行為が多発した 背景には、日本軍に
内在していた 中国人民に対する蔑視、差別意識があった。
さらに 国際世論を恐れた政府が あくまで “事変鎮圧”
として片付けようとしたことが 国際法規無視を 招いた。
野蛮な中国人を、先進的で正しい日本人が 力で征伐する――
こうした位置づけが、血なまぐさい戦争を正当化し、
無法な武力侵攻と 残虐行為を 中国領土内に拡大していった。
敵の国民は皆 野蛮人であり、力をもって 討伐することは
「正義」を成すことである という意識づけが、兵士たちに
刷り込まれた。 そのうえに、日本領土を侵略する 意図も、
その能力もなかった 当時の中国に攻め込む大義名分として
「暴戻支那膺懲」 つまり、中国人を「こらしめる」という
スローガンが 叫ばれた。 主権侵害以外の何ものでもない。
こうした他国民を見下した傲慢な視点は、日中戦争以前から
日本軍の戦略思想の基層には すでに 存在していたようだ。
その実情を うかがい知る資料として、『靖国神社忠魂史』を
あげることができる。
靖国神社は、日本帝国が引き起した すべての戦争を正当化
するための 宣伝施設としての機能を 常に果たしているが、
この『靖国神社忠魂史』には、日清・日露戦争や第一次大戦
といった 大戦争だけではなく、日本軍の海外派兵のすべてを
「正義の戦争」 として描いている。
その中には、たとえば 日清戦争後の「台湾討伐」(1895年)、
韓国併合後の「韓国暴徒鎮圧」(1906年)、
台湾人武力制圧のための「台湾理蕃」(1896〜1915年)、
満州事変後の「匪賊及び不逞鮮人の討伐」(1931〜1932年)など
植民地における抵抗運動に対する武力弾圧のすべてを 正義とし、
そこで死亡した日本軍兵士の全員を「英霊」 としている。
もともと 日本領土を侵略する意思も、その能力も持っていない
国々を「討伐」し、その主権を奪い、独立を求めての抵抗運動を
武力で制圧する行為を「正義」とする感覚は、まさに帝国主義だ。
古代のヤマト王権が “まつろわぬ民”を 蝦夷、蕃夷と見なして
「征伐」し続けた血なまぐさい伝統を 引き継ぐ 「天皇の軍」
=皇軍としての 本質が、そこにあった。
たとえば、「台湾理蕃」は 5ヵ年計画で、台湾の先住民を
「討伐」し続け、徹底的に武力制圧して、大正3年までに
「目的を遂げることができた」 と記されている。
理蕃とは、『蕃人や蕃族を治める』 ということだ。
つまり、「文明化の使命」を担う日本帝国が、台湾の野蛮人を
天皇の統治の光輝に浴させるための戦争であり、その過程で
死んだ日本兵は「尊い犠牲を払った」のであるという論理だ。
「理蕃」と「正義」を振りかざし、他民族を力で「征伐」する
皇軍の行動規範には、後に 太平洋戦争の 大義名分となった
民族解放や 独立促進などの志向は、まったく 見いだせない。
当時の 皇国思想から醸成される 傲慢で不遜な 民族意識と、
それを反映したところの 他国民蔑視、特に 中国人や朝鮮人に
対する 根の深い侮蔑が、作用していた と言えるだろう。
南京だけでなく、日本軍が武力侵攻した中国各地で、捕虜や
民衆に対して 残虐行為が多発した 背景には、日本軍に
内在していた 中国人民に対する蔑視、差別意識があった。
さらに 国際世論を恐れた政府が あくまで “事変鎮圧”
として片付けようとしたことが 国際法規無視を 招いた。
野蛮な中国人を、先進的で正しい日本人が 力で征伐する――
こうした位置づけが、血なまぐさい戦争を正当化し、
無法な武力侵攻と 残虐行為を 中国領土内に拡大していった。
敵の国民は皆 野蛮人であり、力をもって 討伐することは
「正義」を成すことである という意識づけが、兵士たちに
刷り込まれた。 そのうえに、日本領土を侵略する 意図も、
その能力もなかった 当時の中国に攻め込む大義名分として
「暴戻支那膺懲」 つまり、中国人を「こらしめる」という
スローガンが 叫ばれた。 主権侵害以外の何ものでもない。
こうした他国民を見下した傲慢な視点は、日中戦争以前から
日本軍の戦略思想の基層には すでに 存在していたようだ。
その実情を うかがい知る資料として、『靖国神社忠魂史』を
あげることができる。
靖国神社は、日本帝国が引き起した すべての戦争を正当化
するための 宣伝施設としての機能を 常に果たしているが、
この『靖国神社忠魂史』には、日清・日露戦争や第一次大戦
といった 大戦争だけではなく、日本軍の海外派兵のすべてを
「正義の戦争」 として描いている。
その中には、たとえば 日清戦争後の「台湾討伐」(1895年)、
韓国併合後の「韓国暴徒鎮圧」(1906年)、
台湾人武力制圧のための「台湾理蕃」(1896〜1915年)、
満州事変後の「匪賊及び不逞鮮人の討伐」(1931〜1932年)など
植民地における抵抗運動に対する武力弾圧のすべてを 正義とし、
そこで死亡した日本軍兵士の全員を「英霊」 としている。
もともと 日本領土を侵略する意思も、その能力も持っていない
国々を「討伐」し、その主権を奪い、独立を求めての抵抗運動を
武力で制圧する行為を「正義」とする感覚は、まさに帝国主義だ。
古代のヤマト王権が “まつろわぬ民”を 蝦夷、蕃夷と見なして
「征伐」し続けた血なまぐさい伝統を 引き継ぐ 「天皇の軍」
=皇軍としての 本質が、そこにあった。
たとえば、「台湾理蕃」は 5ヵ年計画で、台湾の先住民を
「討伐」し続け、徹底的に武力制圧して、大正3年までに
「目的を遂げることができた」 と記されている。
理蕃とは、『蕃人や蕃族を治める』 ということだ。
つまり、「文明化の使命」を担う日本帝国が、台湾の野蛮人を
天皇の統治の光輝に浴させるための戦争であり、その過程で
死んだ日本兵は「尊い犠牲を払った」のであるという論理だ。
「理蕃」と「正義」を振りかざし、他民族を力で「征伐」する
皇軍の行動規範には、後に 太平洋戦争の 大義名分となった
民族解放や 独立促進などの志向は、まったく 見いだせない。