南京事件の背景――指揮官と幕僚の変質
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 19:29 投稿番号: [38795 / 41162]
南京大虐殺の中で、捕虜の集団殺害と便衣兵の「処刑」は、
軍や師団の 命令によって おこなわれたものだった。
国際法を無視して 捕虜の殺害を 命令したり、
裁判にもかけずに「便衣兵」 処刑を指示したことについて、
高級指揮官と その幕僚は、責任を 負わなければならない。
そもそも 南京攻略戦そのものが、兵站や補給を 無視して、
敵国首都への一番乗りを争った 猪突猛進の無謀な作戦だった。
糧食は徴発によるという この作戦が、掠奪の 原因になった。
兵站、補給を軽視して 戦力を失わせるという日本軍の悪弊は、
この後の 東南アジアや太平洋での戦闘でも改まることはなく、
戦死者より餓死者が多い という惨状を 生み出すことになる。
大量の捕虜が発生した際、給養に行き詰ったのは 当然だった。
予想以上の捕虜をかかえ お手上げ状態となり、大量「処分」に
走ったのだが、そのとき、日本軍の指揮官や幕僚には、国際法や
人道という観念を、まったく 失っていたのだ。
積極果断をむねとし、合理的配慮を欠いた 実行力を たっとび、
国際法や人道を無視する戦闘第一主義に陥った 指揮官や幕僚が
なぜ 生み出されたのだろうか。
それは、日本陸軍における幹部補充制度と、その教育内容による
ところが 大きい。
陸軍現役将校の補充は、基本的には 陸軍士官学校の 卒業生に
よったが、その数は 大正中期から減少し、人事配置の面では
きわめて アンバランスな状態に 陥っていた。
それに加えて、注目すべきは、陸軍幼年学校の存在だ。
幼年学校 という名称は、明治維新直後から存在し、士官学校の
予備教育として 語学教育を行なうことから始まったが、その後
将校養成教育として 軍のエリートを育てるための機関となり、
その出身者は 参謀や高級幹部に進むことが 多くなっていった。
この幼年学校出身者は、少年時代から特殊なエリート教育の結果、
偏狭、独断で 自尊心が強く、積極果断な実行力を 信条とし、
それが 軍を 誤らせることになった。 このことについては、
自身も幼年学校出身であった 松下芳男が「幼年学校の功罪」
として、論じている。(『明治軍制史論 下巻』有斐閣 1956年)
「陸軍の反省」を著した加登川幸太郎も この説に賛成しており、
日本軍の精神主義が 「陸軍のエリート将校たちの、唯我独尊、
無軌道、戦場での硬直した考え方の原動力」だった としている。
日本軍の 幕僚層の性格や 国際感覚の実情を示すものとしては、
第十軍司令部が作成した 意見書などがある。これは、防衛研究所
図書館に 所蔵されているもので、昭和十三年 陸支密受5267号
「陸支密大日記」 に含まれる 丁集団参謀部
『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』だが、そこでは
「本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」
とし、猛毒ガスのイペリット弾を 空爆に用いることを促している。
当時、すでに 毒ガスを含む化学兵器は、非人道的殺戮兵器として
国際的に使用が禁じられていた にも関わらず、それを市街地への
攻撃に使用するという計画まで 立てていたことになる。
こうした 日本軍幹部の 国際法にも人道にも 無関心な態度が、
南京大虐殺事件の背景に 存在していた といえるだろう。
軍や師団の 命令によって おこなわれたものだった。
国際法を無視して 捕虜の殺害を 命令したり、
裁判にもかけずに「便衣兵」 処刑を指示したことについて、
高級指揮官と その幕僚は、責任を 負わなければならない。
そもそも 南京攻略戦そのものが、兵站や補給を 無視して、
敵国首都への一番乗りを争った 猪突猛進の無謀な作戦だった。
糧食は徴発によるという この作戦が、掠奪の 原因になった。
兵站、補給を軽視して 戦力を失わせるという日本軍の悪弊は、
この後の 東南アジアや太平洋での戦闘でも改まることはなく、
戦死者より餓死者が多い という惨状を 生み出すことになる。
大量の捕虜が発生した際、給養に行き詰ったのは 当然だった。
予想以上の捕虜をかかえ お手上げ状態となり、大量「処分」に
走ったのだが、そのとき、日本軍の指揮官や幕僚には、国際法や
人道という観念を、まったく 失っていたのだ。
積極果断をむねとし、合理的配慮を欠いた 実行力を たっとび、
国際法や人道を無視する戦闘第一主義に陥った 指揮官や幕僚が
なぜ 生み出されたのだろうか。
それは、日本陸軍における幹部補充制度と、その教育内容による
ところが 大きい。
陸軍現役将校の補充は、基本的には 陸軍士官学校の 卒業生に
よったが、その数は 大正中期から減少し、人事配置の面では
きわめて アンバランスな状態に 陥っていた。
それに加えて、注目すべきは、陸軍幼年学校の存在だ。
幼年学校 という名称は、明治維新直後から存在し、士官学校の
予備教育として 語学教育を行なうことから始まったが、その後
将校養成教育として 軍のエリートを育てるための機関となり、
その出身者は 参謀や高級幹部に進むことが 多くなっていった。
この幼年学校出身者は、少年時代から特殊なエリート教育の結果、
偏狭、独断で 自尊心が強く、積極果断な実行力を 信条とし、
それが 軍を 誤らせることになった。 このことについては、
自身も幼年学校出身であった 松下芳男が「幼年学校の功罪」
として、論じている。(『明治軍制史論 下巻』有斐閣 1956年)
「陸軍の反省」を著した加登川幸太郎も この説に賛成しており、
日本軍の精神主義が 「陸軍のエリート将校たちの、唯我独尊、
無軌道、戦場での硬直した考え方の原動力」だった としている。
日本軍の 幕僚層の性格や 国際感覚の実情を示すものとしては、
第十軍司令部が作成した 意見書などがある。これは、防衛研究所
図書館に 所蔵されているもので、昭和十三年 陸支密受5267号
「陸支密大日記」 に含まれる 丁集団参謀部
『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』だが、そこでは
「本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」
とし、猛毒ガスのイペリット弾を 空爆に用いることを促している。
当時、すでに 毒ガスを含む化学兵器は、非人道的殺戮兵器として
国際的に使用が禁じられていた にも関わらず、それを市街地への
攻撃に使用するという計画まで 立てていたことになる。
こうした 日本軍幹部の 国際法にも人道にも 無関心な態度が、
南京大虐殺事件の背景に 存在していた といえるだろう。
これは メッセージ 38794 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.