南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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まずフィリピンからにしようか、ね、、3

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/11 18:27 投稿番号: [2984 / 41162]
バターン死の行進
16人の将校を含む7万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士がバターンで武器を捨てた。降伏後彼らは勝利者である日本軍の残忍な扱いをうけた   。
飢え、渇き、病、疲労で極度に衰弱していたにもかかわらず、彼らはバターンのマリベレスからパンパンガのサン・フェルナンドまで約80kmの全工程を行進するよう強制された。この悪名高き「死の行進」中フィリピン人約1万人アメリカ人約1200人が路上で死亡した。サン・フェルナンドで生存者は有蓋貨車に詰め込まれ、ターラックのキャパスあったオドンネル、キャンプにつれて行かれ収容された。その結果、飢えや病気でほとんどが死亡した。最終的に家族の下に帰れたのはごく少数の人たちであった。
(バターンのマリベスから鉄道のあるサン・フェルナンドまで80kmの道のりで捕虜達はそこを5〜6日がかりで移動させられた。サン・フェルナンドからフタつきの貨車でカパスまで運ばれ、カパスから再びオドンネルキャンプまで12kmを歩かされた)

日本の軍政
日本軍マニラ侵入の翌日1942年1月2日   日本の軍事政権がフィリピンの政治,経済,文化活動を指揮するために設置された。第一主任将校にハヤシ・ヨシヒデ   第2.第3にタカギ・ワイチ各陸軍少将が就任した。


東京からの命令を実行して日本軍事政権はいくつかの規定を定め無力なフィリピン人はそれに従わざるを得なかった。夜間外出禁止令および灯火管制が全マニラに施行され、戒厳令がしかれた。火器、弾薬、その他の武器全てが没収され、日本軍に敵対するいかなる行動も処罰の対象になった。日本人一人を殺せば有力なフィリピン人を二人射殺するという軍の布告が出された。
全てが日本の支配下に置かれた。日本の「軍票」がフィリピン通貨に換わって配布された。

4へ続く

まずフィリピンからにしようか、ね、、2

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/11 18:25 投稿番号: [2983 / 41162]
日本軍は何をしたのか
日本軍がマニラを占領した時にバルガスにフィリピン行政府の長になるように命令がきた。7つの省が設置されそのぞれの長にフィルピン人がなった。しかし、どの省にも日本人がいて、フィリピン人の一挙一動を監視していた。
1943年初頭   日本はフィリピンに「大東亜共栄圏」に参加するなら自由にするといった。そして、日本はフィリピンの憲法制定の為フィルピン独立準備委員会を作った。日本はフィリピン独立宣言以前に政党活動を全て禁止し、代わりにカリバピ(新生フィリピン奉仕団)を設け、新しいフィリピン大統領を選出した、がこれは日本の支持によるものだった。
1943年10月14日
ホセ・ラウレルは共和国大統領に就任した、同日、日本と軍事協定(日・比同盟)を結ぶことを強要された。この協定は無意味なものであった。なぜなら、フィリピンは日本に対してはもともと非協力的であったからである。フィリピン人は全国の学校で教えられたアメリカとその民主主義の価値観のほうに忠実であったからである。

ゲリラ
ユサッフェの残軍は山に登り、ゲリラ活動を開始した、ゲリラの数は町や市の市民が加わったりしたので増えつづけた。日本軍の残酷さ ---- -特に地方での女性に対する邪悪な扱い -- -は多くの市民がゲリラになる要因の一つであった。
ゲリラ活動の広がりを危険視した日本軍はフィリピン市民に対して残酷さを一層加えるようになった。有罪、無罪を問わず捕らえられ、サンティアゴ砦や日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に帰ることが出来た者にしても、不自由な身体となっていた。
一般市民はゲリラに全面協力し、食糧やお金を与え、また、日本軍の情報を伝えた。ゲリラ活動はルソンに集中しており多勢の指導者はここの出身者であった、有名な人物としてはウェンスラオ・Q・ビンソン、マルセロ・アッドル、テリー・アデボソ、マルコス・V・アグスティンである。

3へ続く

まずフィリピンからにしようか、、ね 1.

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/11 18:24 投稿番号: [2982 / 41162]
フィリピンの教科書だよ。
よく読んで、意味を噛みしめてね。

高等学校用
「フィリピン国の歴史」(タガログ語)
テオドロ・A・アゴンシリオ著
ナショナル・ブックストア発行

第17章   太平洋戦争
マッカーサーと軍隊
1939年ヨーロッパで戦争が始まった時フィリピンの国情は必ずしも悪い状況では無かった。
しかし、マヌエル・ケソン(国民党党首)はフィリピンの美しい空に暗雲が立ち込めるのではないかと感じた。民族主義者で作家で知識人そして国会議員でもあるクラロ・M・レクトは日本が一番危険ではないかと考えた。
1930年代に日本と中国が戦争を始めたときから日本は極東アジアを征服したがっていたらしい。もし、アジアで戦争が起こったならばドイツが太平洋にある列強の植民地を奪ったように日本もアメリカからフィリピンを奪うのではないかという恐れを抱いた、ケソンは戦争が起こりそうな情報を受けていたので、マッカーサーにフィリピンを守るように要請した。つまり毎年4万人の兵隊を訓練することを提案した。5年間に20万人のフィリピン軍の動員を計画し,ルーズベルト大統領はフィリピンとアメリカの軍隊を合体して指揮官にマッカーサーを任命した、フィリピン軍13万とアメリカ軍隊の連合隊をユサフェ(アメリカ極東軍)といった。
宣戦布告
1940年9月日本はドイツ・イタリアと同盟関係を結んだ。これらの国を枢軸国という。1941年7月日本はインドシナ(ベトナム)に侵攻した。アメリカはその侵攻に脅威を感じ、フィリピンも危険と考えたアメリカは主権を持った国家同士であることで日本に対して相互に理解し合おうと提言した、しかし   日本はそれを拒否した。2国間の関係改善のため日本は来栖三郎を野村駐米大使の協力者としてアメリカに派遣した。しかし、両者がハル国務長官と交渉している間に日本はパールハーバーを攻撃した。日本は宣戦布告をしないでアメリカの軍事施設を奇襲したのである。奇襲の結果アメリカ海軍将校   兵士計5000名が死傷した。ここに太平洋戦争が始まった。

日本の侵略
真珠湾攻撃の数時間後、日本はフィリピンに侵攻した。それは1941年12月8日である。アバリ・ダバオ・バギオ・タルラ・タルラックなどを攻撃を仕掛けてきた。夜にはマニラが爆撃された。と同じくして日本はアパリ・リンガエン・アティモナン・ラモン湾に上陸した。12月9日ルーズベルトの声をラジオで聞いた「我々は戦争のただ中にいる、この戦いは帝国主義的戦争への復讐のためにあるのではない、危険の無い世界をつくり、この国とその全てのものが、子供達のために自由であるようにするのだ」
12月26日「私はフィリピンの人々にフィリピンの自由を回復しその主権を守ることを誓う、アメリカはこの誓いを果たす為に人と物を使い力を尽くす」

マッカーサー   バターンへの退却
アパリとリンガエンに上陸した日本軍はマニラへ向かった。この軍事展開によってマッカーサーは一時バターンへ退却し、最後まで闘うことを決意した。彼の意図は戦争の被害から民間人を守り総力を集中して再び日本軍と戦うことにあった。
フィリピン軍は軍人と民間人との両者から組織されたものだったが、全員バターンへ退却するよう命じられた。従って日本軍は容易にマニラに侵入することが出来た。1942年1月2日マニラは制圧された。

フィリピンの敗北
日本軍はバターンを攻撃し、その総力を集中し、本間雅晴司令官ら日本軍の最高幹部は攻撃に幾たびもの失敗をした。ユサッフェには被弾して多数の死傷者が出たが降伏はしなかった。日本軍も死傷者は多くまた、マラリアに苦しむ者も多かった。本間はマッカーサーに降伏を勧告したがしかし、マッカーサーはそれを無視して戦い続けた。ルーズベルトはマッカーサーにオーストラリアに転戦するように命じた。バターンの防衛軍は食糧と武器不足のため弱体化し4月9日バターンは陥落した。
5月6日コレヒドール陥落、フィリピンは敗北した。

亡命政府
ケソンがワシントンに到着してすぐに亡命コモンウェルス政府(独立準備政府)が樹立された。
ケソンの閣僚のほとんどはフィリピンに残ったが彼についてきた者には重要なポストが与えられた。バシリオ・バルデス将軍は国防大臣、マヌエル・ニエト大佐は通商農業大臣、ハイメ・ヘルナンデスは大蔵大臣   住宅相にはホアキン・エリザルデが任命された。彼らは太平洋戦争会議のメンバーとなり、国際連合設立の為の文書に署名をした。

2へつづく

n_o_i_s_e_m_a_n=嘘つきの妄想野郎

投稿者: oj_simpsan 投稿日時: 2004/09/11 16:52 投稿番号: [2981 / 41162]
>国民徴用令による軍属としての朝鮮人動員は、一九三九年に開始されていたが
>一九三八年二月、陸軍特別志願兵令(勅令第九五号)を公布、(中略)同年四月から志願兵制度を実施した

つまり、南京事件時には朝鮮人の動員はなかったし、志願兵制度もない。
加えて、

>ばいかる丸で帰国した160名は,朝日新聞によると「南京攻略戦に輝かしき武勲を樹て」た勇士ということです.

その160名のうち、朝鮮人は何人なの?

確認できるのは、たった1名。しかもその1名も南京に入る前の11月22日負傷だから、占領された南京に入っていない。
けっきょく、

>>現実問題として、私が恐れを抱くのは、この占領された南京に日本兵の恰好をした朝鮮兵がいたことです。

1名も確認できていないのに、何が「朝鮮人がいた」だ、この嘘吐きの妄想野郎。

>は?

投稿者: simon2000jp 投稿日時: 2004/09/11 12:00 投稿番号: [2980 / 41162]
このオイチャンコロというのはいい年をこいて平気で嘘をつき、
真摯に真実を追究しようなどという気持ちなど端からなく、
われらのご先祖様を言葉巧みに罵倒する為、
ただただ言を労して目立ちたいだけの、
アホなんです。
こんなやつを相手にする時間などもったいないですから、
やめたほうがいいですよ。

何ひとつこの男の発言に信頼性などありません。
歴史的知識など小学生以下です。

は?

投稿者: fighter8823 投稿日時: 2004/09/11 07:43 投稿番号: [2979 / 41162]
朝鮮はいつ日本と独立戦争を戦いましたか?

フィリピンはいつアメリカと独立戦争を戦いましたか?

スリランカ(セイロン)はいつイギリスと独立戦争を戦いましたか?

ブルネイはいつイギリスと独立戦争を戦いましたか?

>あなたに論理的思考は期待しませんよ

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/10 18:59 投稿番号: [2978 / 41162]
>無料で独立をもらった国はありませんよね。


>では、朝鮮、フィリピン、スリランカ(セイロン)、ブルネイ、等々。

馬鹿を言っちゃいけませんよ。

彼の国においては独立戦争を行っていますし、血の代償も払っていますよ。

日本軍とも戦っていますよ。
知らなかったのでしょうかね?

もう少し、お勉強されてはいかがでしょうかね?

>非合法であれ、合法であれ、国際間で一応の決着を見た、利益を、戦前の状態の戻そうとするのは、正常な事ですよ。

>「正常か否か」なんて誰が言いました?

>スリカエは止めましょう。

正常かどうかなどとは言ってはおりません、当然の事だと申しております。
日本語お分かりでしょうかね?

>「第一次インドシナ戦争」とどんな関係があるのですか?

ど〜した?
返答に困ったのでしょうか?

>あなたに論理的思考を期待したのが

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/10 18:52 投稿番号: [2977 / 41162]
なんのことやら、

言いがかりばかりで、

よく、分かりませんな?

もう少し、想像力というものを働かせて見てはいかがでしょうか?

それに

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2004/09/10 10:11 投稿番号: [2976 / 41162]
>「その後の人口の増加」を示すまでも無く、それは物理的に可能だとお考えでしょうか?

とても赤ん坊を放り投げて突き刺したり、レイプしたり女性器を抉り取ったりする時間的余裕など皆無だったと思いますが。
(10人殺して死体を処理する延長で、100人規模、1000人規模、1万人規模の処理ができるわけではありませんし、市民の口や態度を防ぐことなどできません。)

それはつまり

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2004/09/10 10:06 投稿番号: [2975 / 41162]
>陥落後しばらくは、外国人の記者や外交官はは南京への上陸そのものが不可だったぞ。だから、当初残っていた4人の外国人記者が南京を離れた後は、1月上旬まで南京には外国人のジャーナリストは一人も入れなかった。

それはつまり、「30万人の犠牲者のほとんどはその期間に集中して行なわれたと思っている」ということでしょうか?

「その後の人口の増加」を示すまでも無く、それは物理的に可能だとお考えでしょうか?

南京に行った朝鮮人

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2004/09/10 10:01 投稿番号: [2974 / 41162]
>>現実問題として、私が恐れを抱くのは、この占領された南京に日本兵の恰好をした朝鮮兵がいたことです。
>では、この時期、中支那方面軍のどの師団に朝鮮兵が居たのか、具体的な師団名旅団名・連隊名をいってみろよ。


朝鮮人の従軍

『4   軍需員としての動員
(一) 軍属
国民徴用令による軍属としての朝鮮人動員は、一九三九年に開始されていたが、対米戦争開始以後、その数が急激に増大した。厚生省発表によると一九四五年までに一五万四九○七名の朝鮮人軍属が動員され、日本本土や南洋諸島で軍事土木工事、炊事係、捕虜監視要員や運輸要員として労働させられていた。
(二) 志願兵制度
  日本政府は、当初、朝鮮人に武器をもたせることを恐れていたが、戦争の際限のない拡大の中で、朝鮮人青年の軍人としての動員に踏み切った。一九三八年二月、陸軍特別志願兵令(勅令第九五号)を公布、同年三月に勅令一五六号で、六ケ月間の志願兵訓練所官制を制定し、羅南、   興、平壌、大邸などに陸軍兵志願者訓練所を設置、同年四月から志願兵制度を実施した。また、太平洋戦争が始まり、海軍の兵力が不足すると、一九四三年七月、海軍特別志願兵令(勅令六○七号)を公布、鎮海に海軍志願者訓練所を設置し、一○月一日から朝鮮人青年を海兵として養成しはじめた。
さらに、一九四三年には学徒志願兵として専門学校、大学の朝鮮人志願兵として動員された朝鮮人人青年は二万三六八一名である。
(三) 徴兵制度
日本政府は、対米戦争が始まり、より多くの兵力が必要になると、朝鮮人青年の戦争への動員をより義務的なものにするため、一九四二年五月一九四四年度からの徴兵制導入を決定し、「徴兵制施行準備委員会」を設立して準備にとりかかった。そして、中学以上に現役将校を配属し、国民学校卒業生を義務的に入所させ、軍事訓練や皇民化教育を行い、同年一○月には徴兵適齢届を行わせた。こうした準備を経て、一九四四年四月、ついに朝鮮に徴兵令が適用され、一九四五年までに二○万九二七九人の朝鮮人青年が戦場に狩り出された。
(四) 朝鮮人軍人軍属の処遇
日本軍は朝鮮人青年を動員したものの、その反乱を恐れ、朝鮮人だけの部隊は編成せず、日本人部隊の中にばらばらに配置した。』

このため、「朝鮮人部隊」はありませんでしたが、


http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19450514baikaru/15baik-simbun.htm

『ばいかる丸で帰国した160名は,朝日新聞によると「南京攻略戦に輝かしき武勲を樹て」た勇士ということです.日本軍は12月17日に中華民国の首都南京を攻略しますが,その直後に所謂南京事件が起こります.』

この朝鮮半島出身の鄭達去氏は、軍属として日本軍の通訳をしていた人ですね。
(もちろん従軍中はヘルメットも支給される軍服も日本軍のものです。)

この人がそうだというわけではありませんが、「日本軍の規律」を叩きこまれたわけではありませんし、「占領された中国人市民」との出会いは、彼ら(やその他南京にいた100名以上の朝鮮人)に「優越感」と「長年虐げられた恨みを晴らす機会」を与えただろうとは思います。


また、「朝鮮人下士官にイビられる日本内地人新兵」や「朝鮮人兵をいじめる」話は日本兵の従軍日記にも良く出てきますし、上海事変以降で中支軍や朝鮮軍に朝鮮人兵がいたのは間違いないですが、具体的な師団名旅団名・連隊名はすぐには分かりませんでしたので今後も調査してみます。

(ちなみに、日本軍の中では洪思翊中将や金錫源少佐が有名ですし、東京裁判で死刑になった日本軍のB,C級戦犯1061人中朝鮮人は23人です。南京にいたのが有名人ならすぐに分かるでしょうが、一般兵士や軍属から探すのは大変そうです。)

あなたに論理的思考を期待したのが

投稿者: fighter8823 投稿日時: 2004/09/10 09:07 投稿番号: [2973 / 41162]
間違いでした。

何しろ、

人口20万人で「かなりの密集地帯」で「人間がひしめいている状態」だとするなら、「20万人しかいなかったと言うことでは無く、それ以上いたかもしれない」なら、人口20万人の場合以上に「かなりの密集地帯」で「人間がひしめいている状態」

だ、ということが理解できないお方だというのを忘れていました。(笑)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4obbvbcb&sid=1143582&mid=5981


>既得権益を守ると言うことがお分かりになってはいないようです。


「第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していた」のなら、既得権益もヘチマもないでしょう。


>非合法であれ、合法であれ、国際間で一応の決着を見た、利益を、戦前の状態の戻そうとするのは、正常な事ですよ。


「正常か否か」なんて誰が言いました?

スリカエは止めましょう。


>無料で独立をもらった国はありませんよね。


アジアでは、朝鮮、フィリピン、スリランカ(セイロン)、ブルネイ、等々。


>>第一次インドシナ戦争が代理戦争?
>>ベトナムの再支配を企んだフランスはどこの国の代理?

>フランスからアメリカにバトンタッチされたのは、ど〜してでしょうね?


何故「第一次」と命名されてるかご存知ないのですか?

アメリカが介入して以降は「第一次インドシナ戦争」とは言いませんよ。


>朝鮮戦争は何故、起きたのか?
>何故   アメリカが対応したのでしょうかね?
>北朝鮮を支援した国はどこの国でしたでしょうかね?


「第一次インドシナ戦争」とどんな関係があるのですか?

>横>論点がずれているのでは?あなたが

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/10 06:31 投稿番号: [2972 / 41162]
既得権益を守ると言うことがお分かりになってはいないようです。

どこの国も自分の国の利益は守ろうとするモノです。

非合法であれ、合法であれ、国際間で一応の決着を見た、利益を、戦前の状態の戻そうとするのは、正常な事ですよ。


また、被征服者の反乱抵抗があって、そこで、独立運動になり、独立が達成されるのが、今までの、常道ではなかったでしょうか?
当時アジアでは
独立とは血をながして勝ち取るものでしたと思うのですよ。

無料で独立をもらった国はありませんよね。

日本くらいでしょう、占領されてから、独立をもらったのは、、、ね。

>オランダやイギリスやフランスは、「第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していた」けれども、もう一度植民地を取り返しに行ったというわけですか?(笑)

このような幼稚と思えるような、思考は単純なる馬鹿としか思えません。
理想はあくまでも理想であって、当時としては、実行には時間が必要であったのでしょう。
どこの馬鹿でも、その高尚なる理想が現実となる場合にはそれなりの時間的な経緯が必要なものと考えるでしょう。

それさえ理解できないとは、情けないを通り越して、アホとしか言いようがありません。

特に人間というのものは東西を問わず、他人、他国に対しては、自分や、自国の事は棚にあげて、要求するものだと言うことも、お考えくださいね。、、無理か?

>第一次インドシナ戦争が代理戦争?
>ベトナムの再支配を企んだフランスはどこの国の代理?


ベトナムの最大の支援国はどこだったのでしょうかね?
フランスからアメリカにバトンタッチされたのは、ど〜してでしょうね?

朝鮮戦争は何故、起きたのか?
何故   アメリカが対応したのでしょうかね?
北朝鮮を支援した国はどこの国でしたでしょうかね?

国際感覚にも欠けるのじゃ〜ね。

かなり目も悪そうですね。

>横>論点がずれているのでは?あなたが

投稿者: fighter8823 投稿日時: 2004/09/09 17:57 投稿番号: [2971 / 41162]
>当時の国際上のセンス特にヨーロッパおいては第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していたのではないでしょうかね?

>>もしそうなら、何故、 タイやフィリッピンに抑留されていた旧蘭印軍の兵士がインドネシアに戻って来たのでしょうか?

>>何故、インドネシア独立戦争に英軍までが参戦したのでしょうか?

>>何故、フランスがインドシナ諸国の独立を認めず、植民地再建のためインドシナに戻って来たのでしょうか?


>それらはすでに彼らが取得していた、既得権益であったからでしょう。

>当然、取り返したいと思うでしょう。
>ただ、それだけですよ。


なるほど。

オランダやイギリスやフランスは、「第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していた」けれども、もう一度植民地を取り返しに行ったというわけですか?(笑)


>>何故、第1次インドシナ戦争が起ったのでしょうか?

>代理戦争の始まりでしょう。


第一次インドシナ戦争が代理戦争?

ベトナムの再支配を企んだフランスはどこの国の代理?

仮にベトナムの再支配を企んだフランスの裏で糸を引く国があったのだとしたら、あなたは「当時の国際上のセンス特にヨーロッパおいては第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していた」の主張を自ら否定することになりますけどね。

>外部に漏れる情報の制限

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/09/09 12:25 投稿番号: [2970 / 41162]
>当初残っていた4人の外国人記者が南京を離れた後は、1月上旬まで南京には外国人のジャーナリストは一人も入れなかった。


結局、外国人ジャーナリストが1人もいなかった期間は、何日間くらいですか?

 何とも 底抜けに女々しい 今の中国人

投稿者: iiikkassamaaaworldcaps 投稿日時: 2004/09/09 10:09 投稿番号: [2969 / 41162]



         何とも   底抜けに女々しい   今の中国人


 
   かつて   アジアの盟主を   自認しながら

     白人に膝を屈した   中国人

     眠れるブタ   とまで言われた   駄目な中国人

     犬と中国人   入るべからず   とも言われた


 
   自分自身の   情けなさに対する   嫌悪感

      そして   日本人に対する   暗い劣等感



   そんな   女々しい感情を   反日感情に   すり替える

     何とも   底抜けに女々しい   今の中国人

     昔の中国人は   もっと   まともだった

     それを   反省することもできない



  そこまで堕落した   中国人    朝鮮人と   同じレベルだ

     朝鮮人と同じ   ということは   世界で最低   ということだ


横>論点がずれているのでは?あなたが

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/09 06:26 投稿番号: [2968 / 41162]
論点がずれてやしませんか?


ことらが言いたいのですよ!

それらはすでに彼らが取得していた、既得権益であったからでしょう。

当然、取り返したいと思うでしょう。
ただ、それだけですよ。

日本政府の行った植民地略奪政策は戦争遂行のための占領にしか過ぎなかったことが良く分かると思いますがね。

現地で搾取、強奪した物品が、戦争初期にこそ内地で加工、現地へ補給という体制が整っていましたが、まもなく
、輸送船も無くなり、ほんどへの搬送が出来なくなったにもかかわらず、倉庫には略奪品が山積みとなり、内地からの補給もおぼつかなくなり、自滅していったのですよ。

ですから、アジアのインフラ整備などしてはいませんね。

>何故、第1次インドシナ戦争が起ったのでしょうか?

代理戦争の始まりでしょう。
国際感覚が異なりますよ。

具体的に師団名・連隊名いってみな

投稿者: oj_simpsan 投稿日時: 2004/09/09 04:52 投稿番号: [2967 / 41162]
>現実問題として、私が恐れを抱くのは、この占領された南京に日本兵の恰好をした朝鮮兵がいたことです。

ほう。断言するわけね。
では、この時期、中支那方面軍のどの師団に朝鮮兵が居たのか、具体的な師団名旅団名・連隊名をいってみろよ。

この時期、師団はもとより連帯に至るまで編成された場所は明らかになっているぜ。
どこに、朝鮮兵が編入された連隊があるんだい。具体的にいってみな。

断定するだけの根拠を言ってみなさい、n_o_i_s_e_m_a_n先生。

外部に漏れる情報の制限

投稿者: oj_simpsan 投稿日時: 2004/09/09 04:38 投稿番号: [2966 / 41162]
>南京については、基本的に自国や他国のマスコミの進入は可能だったわけで、
少なくとも組織的に虐殺・弾圧・略奪・レイプといったことを行なうつもりはなかったことは明らかです。

陥落後しばらくは、外国人の記者や外交官はは南京への上陸そのものが不可だったぞ。だから、当初残っていた4人の外国人記者が南京を離れた後は、1月上旬まで南京には外国人のジャーナリストは一人も入れなかった。

oityantyanを責めないで。

投稿者: donchan5656 投稿日時: 2004/09/08 22:02 投稿番号: [2965 / 41162]
あんまりいぢめるとまたどっかにトンズラします。

あっちこっちで負け続け、もうここしかないのに・・・・・

(。>_<。) えーん

もう少しかわいがってあげてください。

希少価値はあるんですから。

 反日は おろかな中国人の 自作自演

投稿者: iikkassaamaaawor1dcaps 投稿日時: 2004/09/08 19:05 投稿番号: [2964 / 41162]



       反日は   おろかな中国人の   自作自演




  底辺の   中国人は   朝鮮人と違って

    根性の腐った奴は   それほど多くは   ありませんが

    民度が低く   政治よりも   食うことや   金儲けに必死で

    政治家を   選ぶセンスが   ゼロなので

    無能で   残忍な奴ばかり   政治家になります

    毛沢東のように   数百万人も   数千万人も   虐殺した狂人が

    いまだに   英雄扱い   されているのです




  そして   無能で   残忍な政治家   江沢民による   反日洗脳教育で

    民度の低い中国人は   簡単に   反日洗脳   されてしまいました

    中国人の反日は   中国人が   勝手に作り出した   反日です

    反日を   外交カード化する   卑劣な   外交戦術なのです

    反日について   日本には   何の責任も   ありません

    反日は   おろかな中国人の   自作自演です




  こんな中国に   善意も   援助も   指導も   無駄な努力です

    平均的一家庭あたり   毎年数万円の税金が   中国への援助になります

    税金を   ドブに捨てている   ようなものです

    中国は   日本からの援助で   日本を狙う   核ミサイルを   建設しています

    中国人は   世界でも最低の   野蛮人なのですから

    日本も   核武装して   自国を守るほか   ありません

    日本はいつでも   中国をはるかに上回る   核武装が可能です

    桁外れに違う   技術力の差を   思い知らせて   やりましょう




現実的な恐れ

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2004/09/08 15:27 投稿番号: [2963 / 41162]
現実問題として、私が恐れを抱くのは、この占領された南京に日本兵の恰好をした朝鮮兵がいたことです。

日本の精鋭部隊は、次の戦闘のためにすぐに多方面に移動しており、「兄弟国を最前線に送るのは忍びない」と南京守備には結構朝鮮兵がいたわけで、
はっきり言って「支配者側の立場に身を置いた彼らが市民に何もしなかった」と考える方がかなり難しいということです。

外部に漏れる情報の制限

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2004/09/08 15:26 投稿番号: [2962 / 41162]
チェチェンやチベットの問題でよく分かるのは、虐殺・弾圧(略奪・レイプ)を行なうためには「外部に漏れる情報の制限が欠かせない」ということです。

軍事施設といったものは、どこの国でもマスコミに公開され難いでしょうが、街そのものにマスコミ(特に海外特派員)の進入を禁止するとなると、「それは弾圧をやるつもり」と言っているようなものです。


南京については、基本的に自国や他国のマスコミの進入は可能だったわけで、
少なくとも組織的に虐殺・弾圧・略奪・レイプといったことを行なうつもりはなかったことは明らかです。

横>論点がずれているのでは?あなたが

投稿者: fighter8823 投稿日時: 2004/09/08 14:32 投稿番号: [2961 / 41162]
>当時の国際上のセンス特にヨーロッパおいては第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していたのではないでしょうかね?


もしそうなら、何故、 タイやフィリッピンに抑留されていた旧蘭印軍の兵士がインドネシアに戻って来たのでしょうか?

何故、インドネシア独立戦争に英軍までが参戦したのでしょうか?

何故、フランスがインドシナ諸国の独立を認めず、植民地再建のためインドシナに戻って来たのでしょうか?

何故、第1次インドシナ戦争が起ったのでしょうか?

当時の国際感覚

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/09/08 09:45 投稿番号: [2959 / 41162]
>当時の国際上のセンス特にヨーロッパおいては第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していたのではないでしょうかね?


1928年8月27日、「パリ不戦条約」が締結された当時の「侵略の定義」は、“自国と平和状態にある国に向かって、相手側が挑発行為をしないのに、先に武力行動を取ること”です。
米国のケロッグ「国務長官」が、「パリ不戦条約」締結に当たって、“自国が行う戦争が、自衛であるか侵略であるかについては、各国自身が認定すべきであって、他国や国際機関が認定できるものではない”と主張したこともよく知られている話です。
付言するするなら、同「国務長官」は、1928年12月7日の「米上院外交委員会」で、“国家が相手国に直接攻撃を加えることなく、単に経済封鎖するだけでも戦争行為である”とも述べています。

●「自衛権」発動についての当時の列強各国の認識
・日本「満州・支那の平和が脅かされた時には、『自衛権』を発動する」
・アメリカ「太平洋地域の安全が脅かされた時には、『自衛権』を発動する」
・イギリス「植民地を含む自国領域防衛、及び海外の自国権益保護のため必要があると認められた場合、『自衛権』を発動する」
etc.

また「植民地奴隷支配」という言葉は、当時の列強の「植民地政策」の一端を示しているとは思いますが、必ずしもその実態の全てを表しているとは思えません。
さらに、当時の欧米諸国の感覚は、ウッドロー・ウィルソン大統領の「植民地は解放すべき」という“先進的”考えに、総論的には一定の理解は示したものの、では自国の所有している植民地を即刻無条件で解放するかということになれば否定的でした。
特に英仏蘭のように本国の数倍もの面積の植民地を持ち、そこから多大な収益を得ていた国は、それを手放すと財政が破綻してしまいますので、おいそれと手放すわけにはいかないという事情がありました。

>論点がずれているのでは?あなたが

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/08 06:43 投稿番号: [2958 / 41162]
>それは、それが合法的と見られる時代のことでは?と言うより、それが国益に合致する時代だった。しかし、いまの時代は、侵略が国益にならない。
つまりは、住んでいる時代が違うのでは?昔の時代の事をいまの現代人の感覚で論じる事自体おかしいのでは?

当時の国際上のセンス特にヨーロッパおいては第一次世界大戦の反省の上に立ち、侵略、植民地奴隷支配の害悪を嫌悪していたのではないでしょうかね?

日本政府はこの周回遅れの国際感覚で中国を侵攻、侵略していったのですよ。
つまり、国際間の意識が変わったという意識もなく、ただ、国力を高め、世界の頂点を目指した、そのためには他国の事情などお構いなしに、勝手に侵脱、略奪、人的搾取、経済的破壊を中国大陸、で行い、さらに、国際社会で非難されると、アメリカとの開戦に備えて、アジアに侵攻し、戦争に必要な物資獲得を目指したのですよ。決して民衆の為の工業力インフラ整備を蓄積したのではありません。
全ては日本政府、日本軍の都合による開発なのですよ。
ですから、現在使用され、残っているものは殆どありません、泰緬鉄道などの線路くらいかな?

全く反論になっていません。

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/09/08 00:05 投稿番号: [2957 / 41162]
それにあなたは以前、都合の悪い質問には
何回答えを求めても、決して答えようとしなかった
ことがあるので、まともに相手をする気が失せました。

論点がずれているのでは?

投稿者: etranger20012001 投稿日時: 2004/09/07 20:20 投稿番号: [2956 / 41162]
>強奪するためにアジアへ侵略していったと言う事実。
を安全保障というもっともらしい言葉で弁明しているんでしょうか?

それは、それが合法的と見られる時代のことでは?と言うより、それが国益に合致する時代だった。しかし、いまの時代は、侵略が国益にならない。

つまりは、住んでいる時代が違うのでは?昔の時代の事をいまの現代人の感覚で論じる事自体おかしいのでは?

>もし、許されるならば、強盗殺人罪で捕まった犯人も、生活苦から生きるためには仕方がなかったということで、罪には問われないということでしょうか?

国家間の事と国家の中に住む人間の事を同じ視点で論じるのはおかしいのでは?

>こんな馬鹿は法治国家においては許されませんよね。

法治国家は法を守る事で成り立ちます。しかし、国家間の事は国際法を守る事では自国は守れない。

日本の侵略を否定する人間の感情も侵略を非難する人間の感情も私には理解出来ない。当時の日本の行動には当時感覚でも問題のあることは、あるだろうが、(意図しない)結果としては、歴史的を良い方向へ導くきっかけになったと思います。

>自国の安全保障の必要もないのに

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/07 20:06 投稿番号: [2955 / 41162]
>文句は、マッカーサーに言ってください。

実行犯はマッカサーじゃないだろう?
戦争を企図したのもマッカサーじゃないよ。!


実行したのは日本軍であり、その指導者は天皇裕仁であり、東条英機らじゃないの?

>他国を侵略し、植民地にして奴隷扱いで収奪していた欧米列強や
中国と比べたら、はるかに情状酌量の余地があります。

どこに?情状酌量の余地があるの?

情状を求めると言うことは、全ての犯罪を認めた上での事でしょうね。

そうでなければ、意味が通りませんよ。

去死日本人!

投稿者: cocoa11292001 投稿日時: 2004/09/07 19:23 投稿番号: [2954 / 41162]
日本女人全是妓女,日本女人最喜歡被男人日!!!

自国の安全保障の必要もないのに

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/09/07 19:18 投稿番号: [2953 / 41162]
他国を侵略し、植民地にして奴隷扱いで収奪していた欧米列強や
中国と比べたら、はるかに情状酌量の余地があります。

文句は、マッカーサーに言ってください。

米における東京裁判批判の弁明?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/07 07:14 投稿番号: [2952 / 41162]
>(『東京裁判日本の弁明。PP564〜565』

これは弁明しているのでしょうか?

>日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

戦争するための物資が不足していたという事実、その不足物資を強奪するためにアジアへ侵略していったと言う事実。
を安全保障というもっともらしい言葉で弁明しているんでしょうか?

もし、許されるならば、強盗殺人罪で捕まった犯人も、生活苦から生きるためには仕方がなかったということで、罪には問われないということでしょうか?

こんな馬鹿は法治国家においては許されませんよね。

どこの国であろうと戦争指導者は、国による戦争は安全保障の自衛戦争といいますよ。

周辺国が仮想敵国であると考えれば、早いうちに占領したくなるものでしょう。

米における東京裁判批判の決定打

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/09/06 19:46 投稿番号: [2951 / 41162]
アメリカにおける東京裁判批判の決定打となったのは、歴史学の権威であったチャールズ・ビアード博士が一九四八年(昭和二十三年)、アメリカの公式資料に基づいて『ルーズベルト大統領と第二次世界大戦』なる著書を発表したことであった。博士はその著の中で、

《日本が真珠湾を攻撃するより数カ月前にルーズベルト大統領はアメリカをして海外に秘密なる軍事行動をなさしめた。》(菅原裕・東京裁判の正体・PP328〜329)

と指摘し、戦重責任を問われるべきは日本ではなく、ルーズベルト大統領だと訴えたのである。
東京裁判の菅原裕弁護人によれば、アメリカの要人たちもビアード博士が学界の権威であるだけに弁解の余地もなく、「もしそうなら戦犯も追放もあったものではない。アメリカから謝罪使を送らねばなるまい」という者や、「いまさら謝罪もできないから、この上は一日も早く日本を復興させて以前に戻してやらねばならぬ」という者もあったという。

かくして内外で東京裁判批判が続出するなかで、裁判の事実上の実施者である連合国軍局司令官であったダグラス・マッカーサー元帥自身が、一九五〇年一昭和二十五年一十月十五日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際に、「東京裁判はあやまりだった」と告白したと言われている。マッカーサー司令官は公式の場でも、一九五一年(昭和二十六年)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で次のような答弁を行なった。

〈日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。》(『東京裁判日本の弁明。PP564〜565』

こりゃ失礼おば

投稿者: donchan5656 投稿日時: 2004/09/05 22:24 投稿番号: [2950 / 41162]
あなたにそれほど嫌っていただけるとは、

大変光栄です。

ご心配なく!しばらくはROM程度にしておきます。

ここで存分にその素晴らしい論理的な説明をふるってあげてください。

楽しみにしております。

donchan5656 また、おまえか?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/09/05 22:00 投稿番号: [2949 / 41162]
有名な秘密の話のばかりのお前では
面倒で、臭いのだよ。


お前の相手が嫌で、こっちへ来ているんだよ。

馬鹿を相手にするのは、、もう勘弁してほしいね。

また、よそを探すとしようかね。

馬鹿な男の深情けか、、?あっちいけよ、

嫌になるよ、、お前は、、

oityantyan

投稿者: donchan5656 投稿日時: 2004/09/05 21:04 投稿番号: [2948 / 41162]
こんな所に生息していたんだね。

いやーお元気で何より。

今は下ネタ専門ですか?(^w^) ぶぶぶ・・・

ところで


満州からの流民の間違いじゃないの?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=ffckdca4nc0oahc0uga4&sid=1143582&mid=3474


強制連行したのでせうかね!

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=ffckdca4nc0oahc0uga4&sid=1143582&mid=3466

不破さんも強制連行説を採ったよ。よかったね。

ところで

戦争責任観はどうなった?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=ffckdca4nc0oahc0uga4&sid=1143582&mid=2883

<証拠の提示は何もないよね

投稿者: donchan5656 投稿日時: 2004/09/05 18:13 投稿番号: [2947 / 41162]
多分党員さんが必死で作ってるんでしょう。

どんな資料、証拠が出てくるやら。

楽しみ楽しみ。ワクワク。

証拠の提示は何もないよね

投稿者: seigihaseigi 投稿日時: 2004/09/05 11:44 投稿番号: [2946 / 41162]
全然信用する気にならん。

1200万人の強制移民

投稿者: donchan5656 投稿日時: 2004/09/05 11:36 投稿番号: [2945 / 41162]
http://www.jcp.or.jp/activ/activ14_kyoukasyo/2001-0805-fuwa.html

えらいこっちゃ

中国から満州へ1200万人の強制移民があったそうだ。

これは大変だ。

もはや南京や慰安婦どころじゃないぞ。


さすが不破のじーさん

ついに発狂ですね。

げひんん!!

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/09/05 06:54 投稿番号: [2944 / 41162]
よくこんな下品なこといえるよなあ!!
さすが日本人はちがうなあああ!!!
恥ずかしくないのか!!!
死んだら??

>おまえは度胸も金玉も小さいんじゃな〜
>おまけに脳みそまで、小さいのじゃ、これから先、どうやって、生活するの?

>>チンポだけはでかそうだな!

もって行き場がないだろう、、
>そんな奴も   時には居ると聞いていたが、お前がそうだったのか?

>カワイソーだな。

>手は大きいか?
そりゃよかったな、、がんばれよ!

>猿と同じか、、、(笑)

>名前もジローか?   猿回しの、、、
それとも猫のタマ   か?

>金タマの   タマ、、?
猫じゃ、、、痛いだろう、、な。
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